第244回 呪いのショートショート

定期的にショートショートを書いている。ショートショートというのは、枚数の制限はないものの、できるだけ少ない文字数で不思議で奇妙なストーリーを語る…と言えばよいのだろうか。加えて、予想できない驚きの結末であれば理想的だ。
定期的に書いていれば慣れたもので、机に向かえばスルスルと面白いものを書いて担当編集者に渡しているのだろうと思われるかもしれない。確かに、調子がいいときは、何の苦労もなくアイデァが湧いてくるし、展開も浮かんでくる。それに、結末も天から降ってきたみたいな冴えたオチになる。
念のため、もう一度言っておく。これはあくまで調子のいいときに限られる。
調子の悪いときは、七転八倒の苦しみだ。締切りの時間が迫るというのに何も思い浮かばない。きつく絞った乾き雑巾のようなものだ。一滴もアイデァが湧いてこない。
いくつかのショートショートの書き方のノウハウを紹介したものを目にしたことはある。頭に浮かんだ単語を手当たり次第に紙に書き、関係なさそうな二つの単語を結びつけてみて、そのイメージを拡大させてみなさいというもの。連想に連想を重ねると、そこからお話が予想外の動きを見せてくれることがある…とある。その通りにやってみた。本当のことかどうか。
出来なかった。いや、連想することは出来るし、ショートショートに似たものが生まれてきそうにはなるのだが。
何かちがう。面白くない。
自分でショートショートを人よりたくさん書いているのでわかるのだが、そこから生まれそうになるものは、私の好みとは、まったくちがう。そんな自分でも気にいらない発想のものを作品化したくはない。筆も動かない。望むのは書き上げた瞬間にガッツポーズをしたくなるような作品だ。
このままじゃいけない、と相談することにした。相談するのは、読書好きの友人だ。ショートショートに限らず、本であれば絨毯爆撃みたいに何でも読む。ビブリオマニアと言えばよいか。本に関して相談すれば、必ず、いい考えを出してくれた。
「何か、ショートショートのアイデァはないかなあ。面白くて斬新な…エッジの効いたの」
「俺は読む方だから、期待しないでよ」
「だけど、それだけ色々読んでるなら何かあるんじゃない」
彼は、真面目だから、考え込んでしまった。
「呪いのショートショートというのを聞いたことはないか?」
「ない。そんなのあるのか?どんな話だ?」
「いや、噂で聞いたんだけど、どんな話か実はよく知らないんだ。俺も読んでいない」
「なんか呪いのビデオテープを見ると呪われるホラー映画があったなあ。そのショートショートも読めば呪われるのか?」
「わからない。だが、ショートショートだから、あっという間に読めるそうだ。しかし、読み終えたという者に会ったことがない」
「それは読み終えた途端に呪われてしまったということかもしれないな。どこで、その呪いのショートショートを読むことができるんだ?」
「どこで読めるのか知っているなら、とっくに俺も読んでいる。呪いのショートショートを読めば、その呪いがどんな呪いか、わかるじゃないか。実在するかどうかわからない」
「ということは、都市伝説みたいなフェイクかもしれないな。どう思う?で、何が言いたい?そう言えば、最高に怖いホラーで、“牛の首”というのがあるが、怖いだけで誰も内容を知らないのだから、実在するホラー話かもわからない。その呪いのショートショートをどうやって探せというんだ?」
友人は悪戯っぽく顔を歪めて笑った。
「探すんじゃなくて、書いてみろよ」と言った。「え゛ーっ!!!」
「読んだら必ず呪われるショートショートなんて、そんなものがあるとわかればSNSでバズるに決まっているだろう。どんな風に呪われるのか?その呪いからどうすれば逃げられるのか?抜け道はないのか?そんな興味もある。そして、何より呪いのショートショートの内容がどんなものなのか知りたいだろ。実在するとなれば。実在するかどうかわからなければ書いてみればいい!そうすれば、出来上がったら実在することになるんだから」
「そりゃあ、どんなショートショートを書けばいいんだよ。言われっ放しで書けと言われたところで、何を書いていいか、わからないじゃないか!」
彼は無責任にも、こう言い放つ。
「そりゃあ、作者がでっちあげればいい。どんな内容かなんて、俺には関係ないことだ。ただ呪いのショートショートが実在したという事実がすごいことなんだから。善は……いや、呪いは急げ!すぐ書け。俺の目の前で」
仕方なく、目の前に原稿用紙を置き、タイトルを書いた。
「呪いのショートショート」
何も書きようがないが、何とか文字を埋めなければならない。仕方がないから、ここに至った経緯を、ありのままを書きつらねることにした。もうすぐ書上げる。そして筆が止まる。ショートショートで一番大事なオチ。
思いつかない。
筆が止まってしまう。書上げたと思った友人が原稿に手を伸ばしたのだ。
「いや、まだだ。書いてる最中だから」と叫んだが、遅かった。
ショートショートを読み始めた。そして……友人は呪われた。
「なんと、寒い結末」と叫び、倒れ込み亡くなってしまった。
あまりにも寒い結末で全身カチカチに凍死してしまったのだ。
完成していたのか。
読み返してみるか…いや、書いた本人まで呪われてしまう……。
これを読んでいるあなたも、寒気がするのではないか?それは……きっとこのショートショートの呪い。

第243回 ああ 煉獄!

正月二日の朝だった。一人暮らしの私は、暮れに買っておいた餅を焼いた。これが正月らしい今年初めての食事だ。レンジでこんがり焼いて砂糖醬油をつけて頬張る。香ばしい。美味しい。飲みこんだところで、意識が途絶えた。
何やらふわふわと浮かんでいる気がする。誰かが私の手を握って空の高い所へと飛んでいく。
「あ、あなたは誰です?私をどこに連れていこうとしているのですか?」
「おや、気がついたのですね。私は天使です」
なるほど、背中に翼がある。人間ではないようだ。上品な若い男性のように見える。だが人間ばなれしているような。ということは。
「そうです。お察しのとおり、あなたは正月のお餅を喉に詰まらせ、お亡くなりになりました。それで、天使の私があなたを天国にお連れしようとしているところでした」
なるほど、それで謎がすべて解けた。そうか。天国は高いところにあるんだなあ。
「まあ、ぼちぼちまいりましょう」
「わかりました。急ぐ旅でもないようだし」
私と天使は世間話をしながら上空へ上っていく。
「人生を終えて、いかがでしたか?私もいろんな方の人生を見ていたのですが、くわしく見ているわけではないもので」
「そうだなあ。思い返せばいろいろあったな」それは本音だ。しかし、誰でも人生はいろいろあるのではなかろうか?
「それは、それは。どんなお仕事をしておられたのですか?」と天使は尋ねてきた。
「私の仕事か。なんと言えばいいのか。人を欺く仕事と言えばいいかな…うわっ」
私の腕を握っていた天使の手がはずされた。おかげで真っ逆さまに落ちていきそうになった。あわてて私は天使の腕を握り、墜落をまぬがれた。
「危ないじゃないか。急に手を離したら、下に落ちてしまうところだった」
「あなたは人を欺す仕事をしていたのですね。それは詐欺師ということではありませんか。そんな人物を天国に連れていくわけにはいきません。地獄行きが当然です」
「うわっ」私の足が重くなる。下を見ると、私の足を黒っぽい角をはやしたものがつかまり、引っ張っている。「くひひひ…悪人は地獄がお似合いさ」と、うそぶく。こいつは…「地獄からお迎えに来たよ」こいつは悪魔だ。
あわてて言う。
「誤解しないでくれ。人を欺す仕事と言って、けっして悪いことはしていない。私が生きているときの仕事は“奇術師”なんだよ。人は私の術に欺されて大喜びをする。これが、悪いことか?」
天使が、しっかりと私の手を握りなおした。
「なるほど。それは悪人とは言えませんね。もう少しで手を離して地獄へ落とすところでしたよ」
ふーっ。私は安心して溜息をつく。危い。危い。なんとか助かったようだ。すると、足の方でちぇっ!という舌打ちが聞こえた。地獄の悪魔だ。「何を善人気取りでいるんだ。俺が目星をつけた奴は、必ず何か悪いことをやっている。いや、ほとんどの人間は黙っているが悪いことをやっているのが普通なんだよ。俺がこちょこちょすれば嘘がつけなくて本当のことを言うんだよ。そしたら地獄行きだ。さあ、言ってみろ、こうだ。こちょこちょ」と悪魔は私の足の裏をくすぐる。苦しい。なんと、本当のことを言いたくなってくる。助けてくれ。こちょ、こちょ。たまらん。
「言う。私がやった悪いことだ。満員のエレベーターの中でおならを出してしまったことがある。鼻がもげそうな臭気だったが知らんふりをした。おならしたのは誰だ!と皆が怒っても口を割らなかった。今となっては、なんと悪いことをしたのだと反省している」
悪魔が嬉しそうに笑った。「なんと、大悪人ではないか。さあ、俺と地獄へ行こう」天使も「もっと正直な人と信じていたのですが」と手を離しそうになる。私はあわてて叫んだ。「そのことは反省しているよ。だから私はその罪滅ぼしに善行を重ねた。横断歩道を渡れないお年寄りの手を引いてやったし、貧しい子のいる家庭にランドセルを贈った。それでもエレベーターのおならの罪は消えないのですか」
天使と悪魔の動きが止まった。私の生前の行いについて、判定がうまくできないで、フリーズしてしまったようだ。
地獄に行かないのはいい。しかし、このままだと、宙ぶらりんのまま。これが煉獄という状態というわけか。それは困る。どちらかに行くべきだろうが。すると上で声がした。「まだ連れてこないの?」また天使だ。女の声だ。見上げると魅力のない女性天使が舌打ちしていた。
「いや、判断に迷ってね」「さっさと連れてくればいいのよ!」と私の手を引っ張る。すると下でも声が。なんとなまめかしい、私好みの女性悪魔が「あら、なかなか連れてこないと思ったら。でも素敵な彼ね。私も手伝う」と足を引っ張り始める。上からと下から。力が拮抗する。全身が引きちぎられそうだ。
エーイ!!と天使たち。
ソーレ!!と悪魔たち。
その拍子に喉の奥から何かがぴょんと飛び出した。
喉に詰まらせていた餅だった。
気がつくと自分の部屋にいた。
おかげで無事に生き返ったものの。
これからは、もっと悪い人間になろうと考えてしまうのだ。何故かって?
あの、艶っぽい私好みの女性悪魔のことを思い出すと、どうやったら地獄へ行って女性悪魔に逢えるのかと考える日々なのだ。

第242回 息子にサンタがやってくる

 クリスマスと言えば、子ども達にとってはサンタクロース。夜空を駆けて全世界の良い子のためクリスマスプレゼントを届けにくる。そう、私も子どもの頃は信じていた。
 実はサンタクロースなんて存在しないということを知ったのは、何歳のときからだっただろう。プレゼントは父親や母親が夜中に、そっと置いてくれるものだと友達の誰かから教えられたためだ。
 そのときは衝撃だった。会ったことがなくてもサンタクロースは太ったお爺さんで白髭ふさふさの真っ赤な服を着ている人だと思っていた。
 しかし、大人になった今でも、自分が子どもの頃にサンタクロースを信じていたことは厭ではない。それどころか、自分が、サンタクロースが大好きだったと考えると心地よくなる。
 あの頃の自分は、どんな少年だったのだろう。そう考えると、何だか甘酸っぱいものを感じてしまう。
 そんな私も、今では人の親である。やっと息子は言葉を話し始めた。そして、もうすぐクリスマスだ。
 息子に私はとっておきの話だ!と語ってやった。
「良い子にはクリスマス・イブにサンタクロースが素敵なプレゼントを持ってきて、靴下の中に入れてくれるんだよ。すごいだろう!楽しみだろう!でも、良い子にしていないとサンタクロースは来てくれないんだ。さあ、ぼくは何が欲しい?パパがサンタクロースにリクエストの品を伝えておいてあげるから」
 私はサンタクロースの画も見せた。ソリに乗ってやってくる真っ赤な服のサンタクロース。大きな袋からあふれんばかりのプレゼントがのぞいていた。
 ところが……やっと喋れるようになった息子の口から出たのは…。
「ばぶ……サンタクロース?パパは、そんなものを大人のくせに、信じているんでしゅか?笑わせちゃいけませんでしゅよ~そんな子どもだましを信じちゃうなんて~。サンタクロースなんて、ホントはいないんでしゅよ~。ばぶ」
 私は愕然とした。こんな幼い子が夢もなく、育とうとしていることに。サンタクロースが来てくれるように、良い子になろうと努力するようになってほしかった。息子は新聞で株式急騰銘柄にペンでチェックを入れながら「ばぶ。投資は早くからやった方がリターンも多いんでしゅ」と言ったりする。何と夢のない子なのだろう。色々と考えてしまう。
 そうだ。息子に本当のサンタクロースを見せてやれば、普通の子らしく、サンタクロースを信じるようになるのではなかろうか?しかし、本物のサンタクロースは存在しないということは私も知っているし……。困った。
 誰かにサンタクロースに化けてもらうしかないか。色々、考えた。でっぷり太ったふくよかなお年寄りで、大きな袋を持っている人。
 何人か、候補を思いついたので頼みに行く。
『七福神神材派遣会社』だ。
「あのー、派遣して頂きたい神さまがいるんですが」
「誰がよろしいでしょう」
「十二月二十四日の夜に。大黒さまか布袋さまをお願いしたいのです。体型も同じだし。大きな袋をお持ちなのでサンタクロースになって頂きたくて」
 担当者はスケジュール表を見た。「大黒さんはその日、因幡の白ウサギの所へ出掛けて無理ですね。布袋さんは空いてます。大丈夫ですよ。いいですか?」
「はい。では布袋さまを派遣してください」
 そして、クリスマス・イブ。わが家に布袋さまがやってきた。でっぷりした彼に赤い服を着せて髭をつけたら、立派なサンタクロースのできあがり。
「では息子さんの前で、私がサンタクロースを演じればいいんだね。お安い御用だよ」と布袋さまは嬉しそう。
「で、こちらでプレゼントを用意しているので、これを渡してください」
「はい。わかった」と布袋さまは私が用意したプレゼントを左手に持つ。右手には布袋さまの大きな袋が。どこから見ても布袋さまは立派なサンタクロースだ。
 夜も更けた頃、布袋さまは息子の部屋に入っていった。私もドアの隙間から様子をうかがう。まだ息子は起きていた。布袋さまを見て驚きの声をあげた。布袋さまはサンタクロースになりきり「ホーッ。ホッ、ホッ。良い子にしていたかね。これはサンタクロースのプレゼントだ」
 息子は目を輝かせた。
「ほんとにサンタクロースはいたんだ!サンタさん、ありがとう」それから息子は予想もしない行動をとった。
 貰ったプレゼントを置くと、そのままサンタクロースの布袋さまに飛びついた。
「ねえ。まだ世界中の子ども達にプレゼントを渡すんでしょう。僕に、もう一つくれてもいいでしょう」
 息子は言うが早いか、布袋さまの袋を取り上げ開く。布袋さまも私も大あわて。
「これはプレゼントの袋じゃない。布袋が持っているのは堪忍袋なんだ。皆が堪え忍ぶこと、病気、不満、飢餓、愚痴、怒り、嫉妬、憎悪が詰まっているんだよ」
 そう言ったときはすでに遅く、息子の部屋は堪忍袋の中身がすべて飛び出していた。息子は口をあんぐり開いたが、時すでに遅く、部屋はとんでもないことに。
 部屋だけではない。その瞬間、世界中に…考えつく限りのマイナスの心が、ありとあらゆる所へ飛び散ってしまったのだ。
 「とほほ」と布袋さまは嘆く。しかし、「おや」と袋の底を覗き込んで布袋さまは言った。「何やら小さな光る石が残っているぞ。これは…希望だ」

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くまもと文学・歴史館 収蔵品展番外編
「あなたにも書ける!!カジシンのショートショートの書き方講座」

【参加無料】【要申込(先着順)】【定員100名】

〈日時〉
12月21日(土)午後1時30分から午後3時

〈場所〉
熊本県立図書館 3階大研修室
熊本市中央区出水2-5-1

〈講師〉
梶尾真治

〈お問合せ・申し込み先〉
くまもと文学・歴史館
096-384-5000(代)
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第241回 駅ピアノ

その日は、初めての土地へ出張だった。
朝一の新幹線に乗り、その駅で降りた。
かなり大きな都市で、駅も比例して大きい。
出張の目的である会社は、駅から歩いて十分ほどの場所。そこで約束の時間に担当者と会って、開発商品の説明をすることになっている。担当者は時間に厳しいと聞いていたので、予定より随分早く駅に着くようにスケジュールを組んだ。
駅に着いたのは予定時間の三十分も前。目的の会社のあるビルの前には公園があるようだから、そこで時間調整して訪問すればいいと考えていた。
改札口を抜けてビル方向へ伸びる通路を歩く。広場に出たら、左方向の通路に進めばいい。ちゃんと調べておいた。早足で歩くと、その広場へ出た。広場あたりは、随分と通行量が少なくなっている。
これから左方向へ数分歩き、階段を昇れば目的のビルの前に出る筈だった。
ふと広場の隅の黒いものに目が留まった。何だ?
ピアノだ。
テレビでも見たことがある。街角や駅広場などに置かれているピアノで、ピアノに心得のある人が挑戦して名曲を奏で、通行人たちを楽しませる。
これも、そんな駅ピアノなのだろう。少なくとも私には関係なさそうな代物だ。私は唄も音痴だし、小学校の頃から音楽の成績は悪かった。楽器にも興味はない。
もし、ピアノを弾ける腕があったりすれば、この駅ピアノに挑戦してみようという気持ちになったりするのだろうか?
テレビで通りすがりの人が、何気なくピアノに向かい名曲を流暢に弾きこなしている人がいかに多いことか。それも楽譜もなしにやってのけているのだ。
まあ、こちらには関係ないことだが。さあ、目的の会社に急ごう。
待てよ!
そんな考えが浮かんだ。もう一度、ピアノを見た。何だかピアノに呼ばれたような気がしたのだ。立ち止まった。
<そう慌てなくてもいいじゃないか>
ピアノが私に言ったような気が。
<ピアノを別に弾かなくていいんだよ。ここに座ってみたらどうだ。仕事前の焦る気分が落着くぞ。皆がどんな気分でピアノを弾いているのかわかる筈だ。ほんの数分、座ってみればいい。>
それもそうだな。まだ時間に余裕はある。立ち止まりピアノに近付く。
椅子に手を伸ばし、座ってみた。まわりを見回すと通行人がこちらを見て、ホォ、これから弾くのか、と感心した様子で眺め、通り過ぎていく。ほんの少しだけ得意になっている自分がいた。座っているだけだ。弾けないのにね。すると、ピアノにまた話しかけられる。いいや、これも気のせいじゃないのか。
<どうだ。いい気分だろう。鍵盤を指で押してみればいい。凄くいい音がするぞ。皆が知らなくてもいい。それがおまえの曲なんだから。誰も知らない曲、おまえだけの曲>
両手を出して鍵盤にあててみた。
<さあ、弾いてみろよ。素晴らしい指じゃないか。まさに芸術家の指だ。そのまま鍵盤に指を叩きつけるんだ。気持ちを指先に込めて>
弾ける筈がない。しかし、弾いたら気持ちいいだろうな。すっ、とするだろうな。そうだ、どんな音がするかだけ。
指を叩きつける。ピアノから音が響いた。指先から全身に震えるような快感が走った。指先が、まるで自分の指先でないような動きを見せる。小刻みに指が動く。いや、自分ではないような天才的ピアニストの指さばきだ。自分の手でこんなメロディが弾ければいいのにという自分の潜在的願望が現実化した状態といえばいいのか。
初めて聴くメロディだが、弾いている自分が陶酔してしまうような曲ではないか。そして指先が、信じられないほど広がり、快楽の和音をものにしているではないか。弾いている。弾き続けている。
まわりの気配に気がついた。顔を上げると、先程まで誰もいなかったというのに、広場は今や人だらけだ。皆がピアノのまわりで演奏に聴き惚れている。指が勝手に演奏を続けている。何が起こっているのだ。これは自分の演奏ではない。
何かやらなければいけないことがあったような気がする。どこかに行かなくては、という気がするがなんだったろう。大事なことだったと思うのだが。指が止まらない。いや、これほど素晴らしいことがあったろうか。弾いていてこれほどピアノの音が気持ちいいものとは。あまりの気持ちよさに指先からピアノに何かが流れ出ていく。少しずつ究極のメロディに自分の精気がすべて吸い出されていくようだ。ふと、目が、譜面台に吸い寄せられた。譜面台の裏に何かがいて、こちらを満足そうに凝視しているのに気がついた。その目が細く笑うように見えると、こちらの演奏の指の動きも超絶技巧になるのだ。そこで気がついた。音楽も楽譜も何もわからない自分がピアノに取り憑いている何かに操られているからなのだ。ひょっとしてこいつはピアノの魔物?
この駅ピアノは呪いのピアノだ。通りかかる犠牲者を誘いこみ、ピアノを演奏させる。そして、指先から精気を吸いとってしまう。それが駅ピアノの餌なのか。
その犠牲者に選ばれてしまったらしい。
テレビで流れていたのは、妖怪“呪いの駅ピアノ”の実況だったというわけか。どうすればこの危機から逃げ出すことができる。そうだ。本来の自分に戻るのだ。弾き間違えて不協和音を鳴らす、というのはどうだ。駄目だ。指が操られている。不協和音にならない。
最後の手段だった。弾いている鍵盤におもいっきり自分の頭を打ちつけた。これしか方法はない。魔物も頭を使って弾くとは、考えなかっただろう。ズガン!ズゴン!何度も。何度も。頭を打ちつける。頭に不協和音が響き、奇跡的に両手の指が解放された。
<ちっ。逃げやがった>としわがれた声が聞こえた。助かった……!
やっと立ち上がり、ピアノを離れる。自由になった手を振りまわすと、まわりに集まっていた聴衆たちが、演奏が終わったと思ったらしく、私に盛大な拍手を送ってくれたのだった。

 

第240回 見える筈がないもの

私は好奇心が強い方だと思う。歩いていて変な人を発見すると、話しかけずにはいられなくなる。このときの人もそうだった。
その男は歩いていて急に立ち止まり、前方の空間をじっと見続けている。
何を見ているのだろう?その男の前には何もないのに。
私は好奇心を抑えきれず尋ねた。「もしもし。あなたは、何もない場所をしげしげと見ておられる。何を見ておられるのですか?」
すると、男はうなずいて答えた。「いや、私には見えるのですよ。他の人には見えないものが。ほら、そこ」
何もない。「見えません」
「両手を垂らして恨めしそうにこちらを見ているじゃありませんか。何か言いたそうに」
「ひょっとして幽霊ですか?」
「そのようですね。普通の人には見えないのでしょうね。人は視覚に頼って価値を判断していく傾向があります。見えるものは信じ、見えないものは本当か疑う」
そんなものだろうか?
「つまり、あなたは霊が見えるというわけですね」
「いえ、霊だけではありません。上を見てごらんなさい。何が見えますか?」
「太陽と青空が見えますが」
「はい。間違いではありませんが、私には青空のずっと上に、またたく星々が見えます」
私はびっくりした。確かにそうだろう。太陽の光で星々の光はまったく見えないが、青空の上に、現実には星々が存在している。それが見えるというのは、本当にこの人は特殊体質なのかもしれない。
「私は変り者と人から言われて不思議でなりませんでした。人に見えないものが見えているのは、私にとっては当たり前のことだと思い込んでいました。ところが、私の方が珍しいのですね。他の人には見えないのですから。
どうりで私の価値観と他の人の価値観は違うんだとわかりました。見えるもので人の価値観は変化していくんですね。だから、“百聞は一見にしかず”って言うんですよね。おや、危ない!」
そう言って男は、私を押した。それも瞬間的なこと。
「もう、大丈夫です」と私の腕を引いた。私には何がなんだかわからなかった。
「えっ?いったいどうしたんですか?」と私は尋ねる。男は、「危なかった!」と言った。
「いえね。今、インフルエンザのウィルスが風に流れて飛んできたのですよ。あなたは私が押さなければ、危うくインフルエンザのウィルスを吸い込んでしまうところだった。潜伏期間を過ぎたら、あなたは高熱でウンウンうなされるところでしたよ」
信じられない。インフルエンザウィルスに襲われようとしていたなんて。
「あなたにはウィルスが見えるのですか?」
「ええ。ウィルスだけじゃありません。細菌なんかもわかります。だから、私には皆が手洗い、うがいを毎回せずに、汚い手のままで過ごしているのが不思議でならなかったのです。皆には細菌やウィルスが見えないから、食中毒になるんだなあ、と思いますよ」
そんなものまで見えるのか。
「じゃあ、バイ菌がそこにいますよ。注意して!と教えれば、皆さんは食中毒や感染症にならずに済むということなのですね?」
「はい。かつて私はそうしていました。しかし、食べている人に、今食べたものにノロウィルスが附着しているのが見えましたよ、と教えてやっても、私が頭のおかしい人間だと思われてしまいます。だから、最近は口を慎むようになりました。いいことなのか。あなたになら真実を話してもいい気がしたものでね」
あまりに意外な話の連続で私はどう口を挟んだらいいのかもわからない。そんな私のバッグに男は目をやった。
「おや、あなたはクラシックがお好きなのですか?」と私に尋ねた。
「え?」と答えて自分のバッグを見ると、バッグのポケットからCDのディスクが見えた。それは、さっき人から借りてきた音楽のCDなのだ。カバーが付いていないから、男には何のCDなのかわからない筈なのだが。
「わかりますか?」
「ちょっと見えただけなので、すべてはわからないのですが、貸して貰えますか?」
私はCDを男に渡した。男はCDを目に近付け、ゆっくりと首を動かした。何をしている?と思ったとき、男が言った。
「素晴らしいコンサートだ。ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』ですね。ゲルギエフ指揮のようだ」
その通りだった。
「なぜわかるんです?CDを見ているだけで」
「いえ。CDの面のデジタル信号が見えて感じるのですよ。これも私にある見える力の一つなんですけどね」
なんと素晴らしい能力を数々持っている人なのだろう。このうちの能力の一つでもあればと願ってしまう。羨ましい。
「そんな数々の能力があれば、悩みなど何もないでしょう。素晴らしい方だ」
だが、男は首を振った。「今は就職活動で色んな社を受けまわっていますが、人事担当者から駄目出しを受けるんです。あなたはわが社の求める人材とは価値観も能力もちがうようですってね。」
こんなに色々見える能力があるのに、採用しない会社ばかりとは、見る目ない会社が多いんだな。
男には自分の未来だけは見えないなんて世の中、皮肉なものだ。

 

第239回 捕われの獣

犬も歩けば棒に当たる、と言うが、私もその例に漏れない。
あの日、近くの里山を歩いていると、罠にかかった獣を発見した。体長30センチくらいの褐色の体毛をしたスレンダーな獣だ。必死で罠から逃げ出そうとしているが、残念ながらうまくいかないようだ。罠は踏み板式トラップで金属網の檻になっていた。一度、蓋が閉じると自力で中から出ることはできないようだ。
獣は私に気がつくと、暴れるのをやめ、すがるように私を見た。なんだか涙ぐんでいるようで、その目を見ていると、可哀想でたまらなくなった。
罠は、ネズミ捕りと構造は同じだった。私は罠に近付いて、仕掛けになっている蓋を上げてやった。獣は、その瞬間に喜んで外に飛び出す。それから逃げ去ろうとするときに獣は立ち止まり、振り返ると何度も頭を下げた。喜んでいる。私に感謝の気持ちを伝えたかったのだろう。よしよし。もう二度と罠に捕まるようなヘマをするんじゃないぞ、と私は呟いた。
帰りがけ、自分がなにか善行をした気分でうきうきしていたことは隠さなくてもいいだろう。しかし、あの獣はいったいなんだったのだろう?狐にしては小さすぎるし。
その夜のこと。夜は何を食べよう、面倒だなぁ。とテレビを見ていると玄関を叩く音がする。
誰だろう?
あわてて立ち上がり玄関へ行き、ドアを開くと若い女の子が立っていた。上品な褐色の服を着ていて、深々と私に頭を下げた。知った顔ではないが、とても美しくスレンダーでスタイルもいい。よもや。
すると彼女が言う。その声は、鈴が転がるような心地よい声だった。
「今日、危いところを助けていただいたものです。本当にありがとうございました。嬉しくてお礼にうかがいました」
えっ!今日……。ということは、実は、昼間に罠から救ったのは、この美女だったということか。美女が化けた姿?狐は化けると聞いたことがあるが、そうか、あれは狐より小さいから、イタチだったのか?
イタチに化かされたという話も聞いたことはあるような気がする。私は悪戯心を起こした。
「それは。それは。よくおいで下さった。狭いところですが、おあがり下さい」
女は申し訳なさそうに部屋に入ってきた。どこから見ても人間だ。こんなにうまく化けられるものか、と感心した。
女にお茶を出すと、女はゆっくりと、部屋を見回した。
「あの。お礼にあがりましたが、何を持参したらいいのかわかりません。とりあえずお話をうかがってからがよいかと思いまして。現在、何かお困りのこと、不便なこととかありませんか?」
「いや、気楽なひとり暮らしで別に困っていることはありません。男やもめで少々部屋が汚いのは仕方ないと思いますがね」
そう答えると、女は、ぽんっと手を叩いて立ち上がり、前掛けをつけて「わかりました。では、部屋を片付けさせていただきます」
ぽかんとしている私を尻目に、女は箒がけ雑巾がけを始めた。何という行動力なのだろう。
みるみる部屋はぴかぴかに磨きあげられた。とても私の部屋とは思えない。
「お食事はすまされましたか?」
「いや、即席焼きそばでも作るつもりでした」
「そうですか」と女は立ち上がり冷蔵庫から何かあり合わせの食材を取り出すと、てきぱきと何やら作り始めた。
「お待たせしました」
テーブルの上にあったのは初めて見るような高級料理。うまい。奇跡のようだ。「いやぁ、こんなお嫁さんがいたら、素晴らしいだろうなぁ」と思わず漏らす。「そうですか。嬉しいです。ぜひ、私をお嫁さんにして下さい」と女が言った。
一瞬、ワクワクしたものの思いなおした。彼女はイタチなのだ。それはまずいのではないか?
「そればかりは、許されないのではありませんか?人間と獣の婚姻というのは、昔から民話では悲劇的な結末ですよ」
「そうでしょうか」と女は言った。すると、突然女は立ち上がりピタンと飛んだり床をごろごろと転がったり。
何をやっている。この女は!!と驚いた。目を離そうとするが目が離せない。私はくらくらして意識が遠のいていった。
目が醒めると、そこには誰もいなかった。
それから、数年が経つ。あの美女を時々思い出すが、あれはイタチなのだと自分に言いきかせた。ある日、玄関に彼女がいた。心がときめいたが、どうしたんだ。そう尋ねると女は「結婚しましょう。私のお腹にはあなたの子がいます」
私はエー!と驚く。何故?
「私はオコジョなのです。オコジョが獲物を捕まえるとき、踊りを舞うのをご存知ですか?あれは、獲物に睡眠術をかけているのです。あなたには結婚願望があった。それを見抜いたから、あの踊りを舞って……」エーッ。
「でも、あれから、随分と時が経っている」
「オコジョは着床遅延という能力があります。出産に適した時期まで受精卵を着床させません。そして今、子宮着床になったんです」
そうか。ならば私は責任をとらなくては。
こうしてオコジョの女と私は結婚してはや十数年、今も幸福な生活を送っている。
息子ももう高校生だ。息子が「今度、ぼくのオコジョを紹介するよ」
それは彼女のことだろう、と訂正するのだが、息子にとっては彼女のことを「オコジョ」としか言えない。それはオコジョの血をひく本能らしい。まぁそのくらい仕方ないか。

【新CM】「イメージ変える!KAORU」を本日より公開!

このたび、白岳KAORUの新CM「イメージ変える!KAORU」を公開いたしました。
本日より、TVCMやYouTubeを通じて幅広く配信してまいります。

◆プレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000030.000064466.html

◆YouTube
【イメージ変える!KAORU 家飲みにはパックも篇】
・15秒バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=lvLE7mxelLE
・30秒バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=390fEvZTCe8

【イメージ変える!KAORU 次はあなたの街へ篇】
・15秒バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=7_0Z2Ap_UxQ
・30秒バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=rHXaNIjMnLg

◆新CM「イメージ変える!KAORU」の見どころ
CM の舞台となるのは、若年層を中心に賑わいを見せている屋外のグルメフェス。九州や関東のイベントを中心に出店している「白岳しろキッチンカー」に集まった女性たちが、友人や職場の同僚と白岳KAORUを楽しむ様子を撮影。

味わった際の新鮮な驚きやリアクションをCMにすることで、今までの焼酎のイメージを覆す華やかな香りや親しみやすい味わいを表現しました。

また、新CMの公開を記念して、8月5日(月)から白岳しろキッチンカーやグルメフェスの世界観を投影した「イメージ変える!KAORU」SNSキャンペーンをスタート。

InstagramとX(旧:Twitter)で実施されるこのキャンペーンでは豪華グッズが各10名に当たりますのでこちらもぜひご応募ください!

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第238回 釜の蓋が開く

生前、よい行いをしてきた人は、あの世では極楽というところへ行く。私もそうだ。
美しい花が咲きみだれ、心地よい音楽が流れている。暑くもなく寒くもない。お腹が空くこともないのだが、甘いものを少しだけ食べたいなと考えれば、どこからともなく甘いものが現れ、味わうことができる。ちょうどよい湯かげんの温泉に浸り、「極楽!極楽」と伸びをする。そんな時間が永遠に続く。
最初のうちはよいのだが、永遠にそんな日を送っていると必ずだんだん退屈になってくる。そんな贅沢を言ってはバチがあたると思うのだが、どんな極楽気分で毎日を過ごしていても、これだけは避けられないようだった。「毎日、いい気分で過ごしているのことも飽きてしまった。もっと刺激的な楽しいことはないものだろうか?何の不満もない。不自由もない。あるのは、退屈だけ。だれか退屈を吹きとばしてくれ。これこそ退屈地獄というやつではないか」と。
ある日のこと。隣に住んでいる男がやってきた。
「やぁ、毎日、極楽ですなぁ」お決まりの挨拶を交わした後、私にチラシを差し出した。
「なんですか?これ」
「いえ、うちの郵便受に入っていた旅行社の案内チラシですよ。この旅行社でツアーを予定しているらしいですよ。興味ありませんかな?」
旅行は生前に行きたいところへはほとんど行ったつもりだった。
「行きたいツアーなんて、ないんですがね」
「いや、内容を見て驚いたんですよ。こんなツアーは聞いたこともない」
「いったい、どこのツアーなんですか?」
「地獄ツアーですよ。地獄に行ったことないでしょう」
確かに地獄のことは話には聞いているけれど自分の目で見たことはない。せっかく極楽に来れたのに阿鼻叫喚の地獄など行こうとも思わない。
「というのが、八月のその日は地獄の釜の蓋が開くんだそうです。地獄の鬼たちもその日だけは休みをとるということで。その日に地獄めぐりをすれば安全で快適なのだそうです。こんな日でもなければ、地獄見物はできませんよ。興味ありませんか?」
なんと刺激的なツアーだろう。地獄の釜の蓋が開き、鬼たちがいなくなった地獄をお気楽に、自由に見て回れるというのだ。鬼たちがいなくても、想像力を使えば日常の地獄の姿を知ることができるだろう。そして、いかに自分が極楽で幸福な日々を送っているのか感謝することができるにちがいない。日頃の幸せに退屈するなんて、もっての外だとわかるだろう。
「そりゃあいい。ぜひ、地獄見学ツアーに参加させてください」と申し出る。「私も」「俺も」と地獄ツアー希望者でみるみるいっぱいになってしまった。
成程、極楽の人々も考えることは一緒なんだなぁ。
お盆の十六日。私たちはその日を迎えた。地獄の釜の蓋が開く日だ。私たちは極楽バスで地獄の入口に乗りつけた。門を抜けると、なるほど、地獄は人っ気がなくガランとしている。本当に鬼たちもいない。塀にはたくさんの鬼の金棒が立てかけられていた。
興味津々で私たちは地獄めぐりを開始した。
「へぇ。こんなところを歩かされるのか!」
でかい尖った無数の針の山がある。針山地獄だ。「痛かろうなぁ」
でかい釜があるが、その時は使われていない。ガイドが「罪人はこの釜で煮られるのです。逃げようとしても鬼の獄卒が出してくれません」なるほど、それが永遠に続くのか。
「熱かろうな、怖かろうな」と地獄に堕ちた人々の苦労を偲んだ。
焦熱地獄も熱そうだし、木の葉が刃物になった山も痛そうだし、地獄はとんでもないところだ。だから退屈は一発で吹き飛んだ。地獄は広い。すべてを見ないと気がおさまらない。ひと通り見学を済ませる。ほどよく汗をかいた。釜を見ると火が入ってないから湯加減はよさそうだ。ひと風呂浴びて、汗流して帰るか。
地獄の釜の湯につかる。するとすっかりいい気分に。思わずウトウトとしてしまう。
釜の上の方はなにやら様子がちがう。はっ、と目を覚した。
釜から顔を出すと、極楽ツアーの連中の姿はどこにもいない。みるみる釜の中の熱湯が噴き出してきて、あわてて釜から飛び出る。寝過ごしてしまったのか。地獄ツアーは私を置いて極楽に帰ってしまったようだ!
このままだと私は地獄の亡者として釜茹でされてしまう。こりゃ大変だ。
日が変わろうとしているのだ。釜から登る。騒がしい声がする。鬼たちが戻ってきたのだ。
地獄の門に急いだが、門はすでに閉じていた。
万事休す。
もう、どうしようもなく身を守るために塀に立てかけられていた金棒を手に取った。すると、あら不思議。私の両腕は筋肉が盛り上がり、赤く皮膚が変わっていく。頭からなにか生えて……角だ。
帰ってきたのは貧相な奴等だった。手当たり次第、金棒を叩きつけ釜に放り込んでやった。
鬼に変身した私は、それから獄卒として亡者たちを苛める日々を過ごしている。
来年の地獄の釜の蓋が開く日まで、とりあえずこうして過ごすつもりだ。案外楽しくて退屈しない。そんな自分が来年、極楽に戻って暮らしていけるかどうかが不安なのだが、とりあえず今は心を鬼にして亡者を苛めることに専念するつもりでいる。

第237回 スポンサーから一言

 わが身の不幸は予測できなかった。予測できる筈もなかった。それは事故だった。
しかも突然に振りかかってきたのだ。
交通事故ではない。
山道を歩いていて、片足を岩の上に乗せて飛び越えようとしたら、岩が突然に転がり、乗っていた私は足をとられて転がり落ちた。その私の上にも岩が崩れ落ちてきたらしい。
全身がぐしゃぐしゃだったということは後から聞かされた。
そして、病院のベッドの上で意識を取り戻した。助かったのだ。そして医師の説明を聞いた。
私は大手術を受けて奇跡的に助かったのだという。山道での事故だから、誰からの賠償も受けられないことを知った。しかも大手術で医療費も膨大な金額になるという。私の収入では、とてもまかなえるものではなかった。私は天涯孤独の身の上だ。誰も医療費を負担してくれる筈がなかった。なのに、大手術はなされ、おかげで生命は助かったのだ。手術が決断されるまでに、それほど時間はなかったのに。経済的なことは後回しで、とにかく生命を救うことを優先させたということなのか。すると、医師が言った。
「私たちは何よりも患者の生命を救うことを優先し、医療行為を施します。そして、医療費の支払いは医療スポンサー機構に申請を出すことで解決します。それで、費用のことは案ずることなく救急作業に従事できるのです。おかげで、あなたの生命も救うことができた。よかった!」
 確かに親戚も友人も一人もいない私にとっては、医師のその選択はありがたかった。おかげで一命をとりとめることがきたのだから。
 だが、“医療スポンサー機構”とはなんだ?初めて聞くのだが。
誰だ。
率直に医師にそのことを尋ねてみた。
「医療スポンサー機構ってなんですか?初めて聞くのですが」
「ああ、本当はもっと難しい名称がついているのですが、わかりやすい表現として医療関係者でも、こう呼ぶようになりました。
 人命を救う医療を行う際、医療費が高額になると予測されるとき、我々は医療スポンサー機構に申請するのです。この機構は数百社からなる民間企業で構成されており、人命を救うために医療費を代替してくれるのです」
 なんと奇特な団体なのだろう。ありがたいことだ。そして、ゆったりと私は治療を受け、主治医からも完治というお墨付きを受けた。医療費の返済も機構にする必要はないということだった。「ただ一つ、スポンサー機構から代わりの現象が時々出現しますが、慣れれば気にならないと思いますよ」
「それは目まい、ふらつきみたいなものですか?」
「いや、その都度ちがうようです。ただ、生命にかかわるようなものではありません」
 そして社会に復帰した。それが起ったのは仕事の途中、一息ついた時だった。突然に目の前が白くなった。そして声が聞こえた。美女が現れ言った。「あなたはお金のある暮らしはお好きですか?最少の投資で最高のリターンをかなえます。角万証券におまかせください」
なんだ、これは!目の前のコマーシャルが消えると日常が蘇った。これはいったい何事だ。それからも突然、目の前で唐突にコマーシャルが始まる現象は続いた。首を蚊に刺されたときは「ムシ刺されにカユミDを塗りましょう。お近くの薬局で」とアイドル系少女が微笑み、夕方くたくたで帰っているときは「疲労回復はこの一本!」とドリンク剤を持った男が飛び跳ねるようになった。
 そこで、はたと気がついた。出現する幻視の商品は医療スポンサー機構の加盟企業だったことに。手術を無料で受けた代わりにスポンサーのコマーシャルを強制的に見せられるのだ。なんという……呪いだろう。
 主治医が慣れれば気にならないと言っていたが…。気にならない方がおかしい。
 始めは、ほっと一息の時に現れることが多かったが、だんだんと節操なく現れるようになった。彼女とデートをして、いい雰囲気になりかけた時、突然目の前が真っ白に。そして「あなたの口臭は気になりませんか。シュッとひと吹き。魅力的な草原の香りに変身。恋人もめろめろですよ」
 視界が戻ると彼女の姿がない。なんてこった、怒って帰ってしまったようだ。
 怒り狂い主治医に言うと「気にいらないときは、右上にボッチありますから“広告を非表示にする”で消すことができますよ」
 へぇ、そんなことができるのか!良いことを聞いた!
 次に目の前の風景が消えると、ニタニタ笑いの男が現れた。「失恋の悲しさを癒しましょう。旅に出ませんか?」思わずコマーシャルに見とれそうになりつつ、右上のボッチを押した。出た!主治医の言ったとおりの文字だ。“広告を非表示にする”だ。それを押した。すると、広告を非表示と現れた。しかし、その下に「広告を非表示にした理由をお聞かせください。/正しくない言語/関連性がない/デリケートなトピック/個人的すぎる/何度も表示される」どれも押したいが、とりあえず関連性がない、を押した。すると、「この広告は表示されなくなりました」と。
 やった。これで広告に悩まされることがなくなった、と喜び、日常生活に戻った。すると目の前がまた白くなり女性が現れた。「あなたは男性の自信を取り戻したくありませんか?」
 そうか。スポンサー機構の企業はまだ無限にあるのだ。このコマーシャルを消しても、次のコマーシャルが…。

第236回 笑顔の真相

 私にも悩みがある。
 自分の心を偽ることができないのだ。仕事はおかげで評判よろしくない。何故かというと、考えていることが、そのまま表情に出てしまう。
 百貨店に勤めている。売場にいたのだが、お客が服を買いにきた。どんな服を着ても似合いはしないようなお客だった。お客は気に入った服を見つけて試着したいと言いだした。
 お客の要望はかなえてあげるのが鉄則だ。試着室を出てきたお客から「どうかしら、似合うかしら?」と尋ねられる。
 とても、お世辞にも似合うとは言えないのだが、売上を伸ばすためには仕方がない。「とてもお似合いですよ」と答える。
 だが、お客はぷんぷん顔で品物を返すと、売場を出ていってしまった。
 あれほど似合うとほめたのに。
 すると、売場の上司に呼ばれた。
「どうして断られたかわかるか?」
「わかりません」
「自分の顔を鏡で見てみろ」
言われたとおりに鏡をのぞいてみる。
 自分でも呆れてしまった。私の表情は苦虫を噛み潰したような顔になっていた。「そんな顔でお似合いですと言われても、誰も信用しないんだよ。信用される表情をしろよ」
 だから、本質的には接客には向いていないのだと思う。心の中が、そのまま表情に出てしまうらしい。もちろんそんなふうだから恋人もできない。
 恋人ができると、最初は言うことと表情が一致して何も問題ないのだが、しばらく経つと、恋人から何かを話しかけられても上の空の表情になってしまうらしい。
 恋人は哀しそうな表情を浮かべて「あなたは私が言うことが余程つまらないのね。もう一緒にいても楽しくないのね」と去っていく。
 だから恋人と数ヵ月も続かない。
 恋人を嫌いになったわけではない。以前ほど笑顔が続かなくなったのは恋人に慣れてきただけのこと。もっと愛想よくすればいいのかもしれないが、やはり気兼ねしなくていいんだという安心が仏頂面として現れてくる結果になった。
 もちろん努力はした。
 ここは笑顔でお客に話すところだ!という場面はわかる。だが、笑顔が作れないのだ。鏡を見て口角を上げてみたり目を細めてみたりするのだが、顔は固まったまま。
 このままで自分の人生は終わるのかと思っていた。
 だが、奇跡が起った。予測できない奇跡が。
 あるランチのときに最近できたばかりのカレー屋に入った。そしてチキンカレーを注文した。
 職場に戻っているとき、顔が小さく痙攣するのがわかった。その感じは、職場に帰りつく迄続いた。
 今、バックヤードの人に会わない場所で在庫の管理をしている。しかし、売場を過ぎて自分の仕事場へ行かなければならない。そこで売場にいたお客に「いらっしゃいませ」と挨拶して仕事場に入った。すると…。
 売場担当者が、大あわてで駆け寄ってきた。
「お前にお客様が相手してほしいってさ」
「何故、私に?」
「いらっしゃいませと言われた笑顔が素晴らしかったから、あの笑顔の店員さんにお願いしたいって」
「まさか。笑顔を浮かべたつもりなんてない」
 自分でも信じられず、近くの鏡を覗きこんだ。そして笑顔を作ってみた。
 なんと素晴らしい笑顔だ。いや、本心の笑顔ではない。作り笑いだ。あれほど顔が強張って仏頂面しか作れなかったのに。
 久しぶりの接客の仕事ではあったが、喜んで買っていかれた。作り笑顔の効果で思いがけぬ売上を記録できた。
続いて来店したお客にも次々に接客。あっという間に一ヵ月分の売上をあげた。
 ここ迄実績をあげるとは。しかも急に。
 理由は?
 チキン・カレー。
 あの店のカレーを食べてからだ。心にもない作り笑い、愛想笑いができるようになったのは。何故なのかはわからないが。まるで、魔法のカレーだ。おかげで仕事は順調だ。
 翌日、午前中に表情が強張りかけたから、あの店へ早目に行き、カレーを食べた。おかげで顔の筋肉が癒されてきた。
 正式に売場担当に指名されることになった。実績も認められたのだろう。新しい彼女もすぐにできた。口ではうまいことが前から言えたのだが、それに笑顔が不足していたのだ。今となっては鬼に金棒。彼女からは「あなたが笑顔で話していると、もう魅力的で離れられなーい」とまで言われてしまった。仕事もプライベートも絶好調。しかし、これは作り笑い、愛想笑いということは自分でもわかっている。人の表情と本心は一致しないということは、わかっておいた方がいい。
 それからもすべては順調そうに思えたのだが、何故か少しずつ売上が落ちてきたように思える。あれほど、笑顔が好きだ、と言っていた彼女も冷たくなったような気がする。
 あれからも、あの店でチキンカレーを欠かさず食べている。作り笑いも愛想笑いもレベルが落ちたとは思わないのだが。
 そして同僚の一人にこう言われた。
「最近、売上落ちたでしょう。お客が言ってたんですよ。あの人、笑っても心からじゃない作り笑いだとわかるのよね。だから言うことも甘いことばかりと思う…今一つ信じられなくて買う気がおきないって」
 翌日、ランチに行くとカレー屋の主人が言った。
 「実はうちのカレーは辛さが選べるんです。これまでカレーの辛さをお聞きしてなかったんですがいかがなさいます」
 初耳だった。意外だった。選べたのか!それがわかれば!!
 「今日からは、最高の辛口にしてくれ」