第107回 今年も来るぞ、キノコの季節

 昔からホラー時代劇に定番として登場するものに、「妖刀」という存在があります。妖気を帯びた魔剣のことで、村雨丸とかありますよね。八犬伝などに登場するやつです。他にもさまざまな力を持つ呪われた刀を描いた小説とかありますね。「妖刀人斬り丸」とかいったら、いかにもな刀のようですね。あまりに多くの人を斬り続けてきたか、あるいは呪われた刀鍛冶が作り上げたかわからないけれど、手に入れた侍が鞘から抜くと「水も滴る氷の刃」で、「血が欲しい~血が欲しい~」と啜り泣く。侍は魅入られたように夜毎に辻に立ち、罪なき人々を試し斬りする……といった話。
 こうなると、悪いのはその呪われた力を持つ妖刀で、夜毎に人を斬り続ける侍は刀に操られているに過ぎない存在なのです。だから、人が刀を選ぶのではなく、刀が人を誘い寄せるというイメージかな。
 なぜ、最初にそんなことから書き始めたかというと、梅雨時にちょっとした出会いがありまして。
 出会いといっても人ではない。所用で人吉に泊まりがけで出かけました。用事は夕方だったのでそれまでの時間潰しに旅館を出て散歩に出かけました。あてもなく青井神社から人吉城址をまわり商店街へ。それから駅の近くへ戻るというルート。
 そこで、鎌や包丁を売ってある店の前に来てしまいました。古い店構えでしたが、気になるものを感じて足を止めました。
 そのとき、何を感じていたか。
 そういえば去年キノコを採るときに悔しい思いをしたよなぁ。ふと、そんな記憶がよぎったのです。
 ここで、誤解がないよう記しておきますが、私の趣味はキノコ採りです。おいしいキノコを求めて、どこまでも出かけます。世の中は金本位制で動いておりますが、私の頭の中はキノコ本位制で活動しているようなのです。だから、生活の中で行動を決めるときは、「それはキノコ採りに行く障害にならないか?」「キノコ採りの時期に仕事を入れていないか?」と考えながら決めていることが多い。山歩きのコースを提案するときも、「よりキノコに出会える可能性が高いコース」を選ぶことにしています。まぁ、年中キノコに恵まれるわけではないので、このように偏った判断は秋口になされることが多いですね。春先や、夏、冬にはあまりございません。
 そんなキノコ本位制脳ですから、このときも、キノコに結びつけた思考をしていたわけです。昨年の五家荘の山中でのできごと。
 キノコは土から生えていたり、倒木から姿を見せていたりというイメージが多いのですが、必ずしもそうではありません。立ち木から発生することもけっこうあるのです。
 それもおいしいキノコ。ヌメリスギタケモドキとか、ムキタケ、ヒラタケ、ナメコ。
 閃光のように記憶が蘇ります。五家荘の山中で這いずるようにして斜面を登ります。キノコがあるのは、登山道とは限らないのです。むしろ、人目が届かないような場所にひっそりと生えていたりするのです。
 残念な思い出はナメコ。それがブナの立ち木に鈴なりに発生していたのです。ところが手を伸ばして届く高さは限られています。仲間と行っていれば肩車をし合ってでもできるのですが、一人だとなんともならない。ジャンプをしても届かないし、登れるような樹でもない。
 それから半年、そのときの悔しさが頭から離れません。なんとか、あの手の届かなかったナメコたちを取る方法があるはずなのだが、と。あの採れなかったナメコたちはあれからどうなったのだろう。朽ち果てたのだろうなぁ。なんと口惜しい。
 よもや、この店でにそんな道具があれば……。
 中に入ると店内は人の気配なし。鎌や鋸や包丁専門のお店のようだが。
「何か、お探しですか?」とおじさんが出てきました。実は山でキノコを採るときに、高いところにあって届かないキノコを採りたくて、よさそうなのがないかなぁって探しにきました、と。
「作りましょうか」
ええーっ。おじさんは小さな刃を持ってきました。「これを、柄につける。山歩きの杖にもなるように、反対側には底に金具をつけましょう」
 想像すると、なかなか良さそうだなぁ。なんと、この店は刃物鍛冶のお店だったのです。
 注文して一週間すると我が家に、その特製のマイ・キノコ鎌が届きました。
 細い柄なので杖になる。鎌の部分は鞘がつけられています。いかにも達人が使いそうな逸品でした。
 鞘をそっと外してみると、研がれたばかりの鎌がギラギラと冷たく光っているのですよ。「キノコを採りたい。キノコを採りたい」と囁きかけてくるようです。まるで妖刀のように。
 早く、このキノコ鎌に活躍してもらいたいと、胸をときめかせているわけです。あ、二度ほど試し斬りは済ませました。最初は、熊本城野鳥園の巨木に生えていたヤナギマツタケの群生。いい切れ味でした。
 二度目は我が家の柿の木の高いところにへばりついていたヘクソカズラの蔓。こちらはマイ・キノコ鎌には不憫な使い方でしたが。しかし、恐ろしいほど切れました。
 いよいよキノコの季節です。妖刀ならぬ妖キノコ鎌。充分に活躍していただきましょう。今年の収穫は30%増だ!

第106回 サイン会、怖い!

 普段は仕事はひとり部屋に籠って、ひたすら頭を捻り、一字一字陣痛こそないものの、唸りそうになりながら書いています。
 で、その間は誰とも会うことがないのです。自分の妄想というか、空想の中の人物に喋らせてカギカッコしているときに、思わず登場人物の科白を喋ってるくらいかなぁ。
 今日この頃、用件のやり取りは、メールか、あるいはファックスだけで、事足りるのですよね。だから、外線の電話で見知らぬナンバーのときは出ないことにしている私は、一日誰とも言葉を交わさないことがあったりするんですね。
 完全に“ヒッキー”に分類されるタイプだな。
 喋るのは昼飯どきに定食屋で注文する品を言うときくらいです。あとは黙したまま。
 だから職場の人間関係の悩みなぞは存在しません。しかし、昔はけっこう人との交際の仕方とか頭を悩ませていたから、今の方が気楽だろうなと思えるのです。
 十人の人がいたら、十のキャラクターが存在するわけですから、一人ずつどのように接したらいいのかを考えなけりゃいかんわけですよ。そして、付き合いやすい方は、ほんのひとつまみで、何を考えているかわからない方やら、気難しい方やらに出会うと途方に暮れていたものです。そんな苦労からは解放されているから、今の環境には感謝するべきかもしれませんね。
 そんなときに、ときどきとんでもない依頼があったりするわけです。
 たとえばサイン会。
 七月は、なんと三件のサイン会をやってしまいました。
 自分の本の営業活動なのだから、依頼があったらありがたく二つ返事で引き受けなければならないことは重々承知しております。
 理屈ではわかっているのですが、承諾の返事をした後に、だんだん心がおもーくなっていくのがわかるのです。
 かつて、専業作家になる以前は一日平均十人以上と会話をしていました。しかし、パーティなどの催しに出ると短時間で数十人と言葉を交わさなければならないことも。そのときどういう状況になったかというと、「人酔い」を起こしてました。パーティ会場を見回しただけで気持ち悪くなる。宴が始まって次々に話さねばならぬ相手の前に立ち、この人は誰?名前は何?どこのどんな人だった?と頭の中を必死でフル回転させなければならない。何か話題にしてはいけないタブーあったっけ。そんなことを考えて思い出せないうちに次の相手が目の前に立つ。違う相手と勘違いして話していて会話が噛み合ず、別れた後で気がついたことも一度や二度ではありません。ほとんど頭の中が真っ白でパーティ終了を迎えたものです。そのときの疲労感たるや半端なものではありません。
 ぼんやりと、その頃から自分なりに気がついている法則があります。それは「一日に十人以上の方と言葉を交わすと疲労する」ということです。
 一日に二会場でサイン会をやるという事態も七月には予定されていました。
 そんなに人が集まるわけないじゃないか!
 そんな脅えもあります。
 誰もいないサイン会場で頬杖をついて時間を潰している姿を想像してしまいました。何やってるんだ!誰も集まってないじゃないか、という視線で嘲笑っていく買い物客の視線。そこまで、想像が膨らみます。
 そして逆のパターンも考えてしまいます。
 サインしてもサインしても列がなかなか終わらない。しかも中には変なお客さんがいるのではないかという妄想。「梶尾さんの小説はちっとも面白くないですよ。今日は文句を言ってやろうと並びました!金返せ!」と、紙袋の中からアーミー・ナイフを取り出して……。なんて事態も想像します。脂汗が出てきます。
 他にも様々な妄想が拡散していき、サイン会の当日の予定時間前には立ち上がりたくもないほどの状態になるのです。加えて、腹が痛くなり何度もトイレに通いたくなる……。極度の緊張状態になります。
 ただ、数十年の間、サービス業に従事していたので、おかしくなくても作り笑いだけは出来るようになっています。それが唯一の武器ですが。
 先日は、何人のお客様にサインさせていただいたかなぁ。
 幸いなことに会が始まると、視野が狭くなって、ひたすら終わりまでがんばりました。この短時間で何ヶ月分の会話をしたことになるのかなあ、と。ミネラルウォーターが用意してあるわけもわかりました。喉がカラカラになるのです。サインしながらおいでいただいた方と話しているのですが、何を話したか、全く記憶していません。
 無事に会が終わって帰宅したら爆睡しました。全く夢も見ない。そう。数ヶ月にわたって話す会話量を一日でこなしたのですから臨界超過だったのかもしれません。
 今回は、一日に二カ所。それもあってか、今でも一人で仕事場で書いているときフラッシュのように、そのときの光景が見えたりするのです。何度やっても慣れないなあ。
 せめて、忙しいところ時間を作りサイン会に足を運んで頂いた方が喜んで頂けることを願うばかりです。