第202回 根子岳の猫屋敷

 宮地までは自動車で。ヤカタガウド登山口に駐車して歩き始めたのは夕方だった。民話を知ってから気になっていた。いろいろと確かめたい。
 リュックを背負うと気が引き締まった。
 ヤカタガウドのウドとは、谷のことだ。つまり館がある谷という意味か。根子岳は阿蘇五岳の一つだが、そこに猫の王の屋敷があるという伝説がある。私は歩き始めた。岩盤が露わになった谷。両側の壁の間をたどりつつ歩いていく。見上げれば奇岩が目に飛び込んでくる。紅葉の時期もさぞや見事だろうなと思った。今は穴の空いた眼鏡岩に目を奪われていた。
 歩き始めたが夕方だったからすぐにあたりは暗くなってきた。やはり、昔話でしかなかったのだろうか?
 いくつかの谷をカーブに沿って曲がると、目に灯りが飛び込んできた。よもや。
 大きな屋敷のシルエットが見える。石の壁にへばりつくように建っている。これが、根子岳の猫屋敷なのか。
 私は屋敷に入った。すでに薄暗い。灯りはいくつかの石燈によるもので電気はここまで来ていないようだ。二十一世紀だというのに。
「ごめんください」と玄関で叫ぶ。ひたひたと奥から足音がして女が姿を見せた。
「道に迷ったのですが、一夜の宿をお願いできませんか?」と、考えていた台詞を口にした。
 女は嬉しそうに笑った。若くて恐ろしいほどの美人だった。聞いていた通りだ。
「お安いことです。食事も用意します。お風呂を使われてゆっくりお休みください」
 私は部屋に通されて、しばらくゆっくりとくつろいでいた。そのとき庭先から別の若い女が現れた。「もし、お風呂に入ったら全身猫にされてしまいます。私は、昔あなたの隣家で飼われていた三毛でございます。あなたには良くしていただいたので教えます。すぐに、ここから逃げてください」
 やはり、そうか。根子岳の猫屋敷の伝説は本当だったのか。伝説と同じ展開だなあ。
 しかし、隣の三毛がここにいたとは知らなかった。ときどき仕えに来るそうな。
 私はリュックの中から用意していたものを取り出し、風呂場へと向かう。風呂は湯が溢れそうだった。これが人を猫へと変える湯か。
 それから慌てて身支度を整え、リュックを背負うと屋敷を飛び出した。
 もうすでにあたりは暗くなっている。一刻も早く駐車場へ戻りたい。すると、「待てー」という声。見ると崖の上に人影が。私を屋敷に招き入れてくれた美女が、湯桶を持って追ってくる。美人なだけに怒ると般若以上の恐ろしい顔だった。逃げながら美人を怒らせてはいけないと、真剣に心に刻み込んでいた。
 ガレ場の終わりの砂防ダムが目の前だった。湯桶の美女の追ってくる姿はもう見えなかった。
「助かった」駐車場までようやく戻ると、へなへなと腰が抜けて座り込んでしまった。
 夜のうちに熊本市内の我が家に帰り着いた。左肘の後ろに異様な感覚があった。これか!と思い、肘を鏡に向けてみた。予想通りだった。その部分だけ円型に三毛猫の毛のようなものが生えていたのだった。
 やはり伝説ではなかった。民話はすべて本当のことを伝えていた。根子岳には猫屋敷があり、迷い込んだ人間を皆風呂に入れて、猫に変えてしまうのだ。
 それが本当だと信じたからこそ、私は根子岳まで出かけたのだった。
 リュックの中からポリタンクをゆっくりと用心深く取り出す。こぼさないように。それから小さなペットボトルにベビーポンプで湯を分け入れた。
 それから私はリストアップしておいた知り合いに次々に電話をかけまくった。
「もしもし。私ですが。今日はあなただけにとっておきのものをお奨めしようと連絡しました。効果百パーセントの養毛剤が手に入ったんです。この液体を頭に塗るだけで、すぐに毛が生え揃います。施術は私がやります。少々お高くなりますが、確実に効果のある方法ですから、そこは目をつぶってくださいませ。もう一度青春を取り戻したいと思いませんか。いや、自分には不要だと感じられたら、お使い頂かなくても構わないんですよ。無視されてけっこうです」
 すると、口には出さないが薄毛に悩んでいる人たちがいかに多いかがわかる。
 注文頂いた方の指定の場所まで出かける。そして、ビニール手袋をつけペットボトルのお湯に筆を浸して、頭の薄くなった場所に塗っていく、と、あら不思議。みるみるうちに毛が生えてくる。
 毛といっても猫の毛だ。三毛猫の毛だったり、白猫だったり、サビトラだったり、黒猫だったり。本来、この人が猫に変えられたら、そんな猫になるんだろうなという毛だった。 
 根子岳の猫屋敷の話を聞いたときから思いついていた「もし本当だったら」やってみたい商売だった。おかげで、随分と育毛処理で儲けさせてもらった。三毛だろうがキジだろうが、毛染め剤を使えば要望のままだし。猫屋敷のお湯が足りなくなればまた根子岳に行くつもりだ。ただ、これを使うとお客さんの話し方も少し変わってしまう。「高いニャー。もう少し、安くならんかニャーゴ。いや気に入っとるんだがニャー」
 それは仕方ないと思ってニャー。
 

人吉球磨アンバサダーズインタビュー第8弾|中田裕二さんのインタビューを公開!

中田 裕二

人吉球磨にゆかりのある表現者たちにスポットを当てる「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」。連載開始から8回目となる今回は、シンガーソングライター中田裕二さんにお話を伺いました!

熊本出身のシンガーソングライターとして、他アーティストへの楽曲提供やサウンドプロデュースをはじめとして、幅広い音楽活動を展開されている中田さん。
2020年12月には、EXILE NESMITHさん、シンガーソングライターのLeolaさんとともに、熊本応援ソング「さるこうよ」をリリースするなど、地元熊本を元気にするための音楽活動にも精力的に取り組んでいます。
「さるこうよ / EXILE NESMITH, Leola & 中田裕二 (Full ver.)」
https://youtu.be/0_M1-QkaSOg

インタビューでは大好きな米焼酎の話から、現在の音楽活動につながる熊本での原体験、そして熊本の良さや文化を広く発信したいという熱い思いを存分に語っていただきました。
ぜひ、サイトでご覧ください。

人吉球磨アンバサダーズ インタビュー::中田裕二

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◇「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」について
人吉球磨に所縁がある表現者たちのインタビューを掲載したwebコンテンツです。
各界で活躍する表現者の方々を、「アンバサダー(大使)」に任命し、インタビューを通じて人吉球磨がもつ価値や魅力を再発見していきます。

第201回 忘れな草お姉さん

私の記憶では、初めて彼女に会ったのは幼稚園のときだ。一人っ子だった私は他人と諍いをおこすなどという経験はまったくなかった。遠足のとき、私のお菓子をクラスの男の子たちに取り上げられた。どうしたらいいかわからず泣き声をあげたとき、誰か甘い匂いのする人に抱きしめられた。そして「あなたにはこれを用意しているから」と代わりのお菓子を渡してくれた。顔をあげると品のあるきれいなお姉さんが笑顔で私を見ていた。甘い匂いの他にもう一つ印象に残ったこと。お姉さんがつけていたブローチだ。薄い青の小さないくつもの花。それが白いブラウスの上にあった。
彼女は突然いなくなった。どこに行ったのかわからなかった。ただ、偶然にあのときだけ出会ったのではなかった。私の心に彼女の記憶は深く刻まれていた。また会いたいと。
次に会ったのは小学生のとき。学校の帰りがけ。なかなか掛け算が覚えられないので呟きながら歩いていた。七の段になると必ずつかえてしまう。「七一が七。七二、十四……」七六まできて言葉に詰まったとき、後ろから私の肩をやさしく叩いた。「七六、四十二。七七……?」私は叫んだ。「四十九!」振り返るとあれほど会いたかったお姉さんがいた。笑顔で小首を傾げてみせた。白いニットのセーターに例の薄青の小さな花がいくつもついたブローチをつけていた。あのときと同じ花だ。「ねえ、それはなんの花?」「これ?忘れな草という花よ」名前どおり、決してそれからその花の名前を忘れることはない。七の段と九の段の掛け算を彼女は一緒に唱えてくれた。不思議なことに一人では決してスムーズには言えなかったのに、彼女と一緒に唱えると完璧に覚えこんでしまっていた。そして振り返った瞬間、彼女の姿はなくなっていた。
一つ疑問が湧いた。あのお姉さんは幼稚園のときに会ったときからまったく歳をとっていなかった。名前もわからない。でも会っているとなぜか懐かしい。
中学生になった私は学校の帰り道に公園の前を通った。いつもと少し違う風景。彼女だった。足がすくんでしまった。彼女が笑い手招きをした。最後に会ってから、彼女と会うのを何度夢見たことか。彼女は言った。「ずっと待っていたのよ」私は彼女が持っていたスケッチブックを見た。公園の風景があった。公園の樹々の間を歩いている私らしい少年が小さく描かれていた。彼女はスケッチをしていたのだった。彼女は変わっていなかった。初めて会った幼稚園のときと同じ。私は言った。「会いたかったよ」彼女は言った「私もよ」
「忘れな草」思わす私は呟いた。彼女はこのとき濃紺のダンガリーシャツを着ていたが、胸にはあの忘れな草がつけられていた。彼女に名前を尋ねようとしてためらった。女性に気安く名前を聞いていいのか?失礼なことではないのか?「とってもかわいい」と彼女は私に言った。私が口を開きかけたとき彼女は立ち上がった。「ごめんなさい。時間がないの」そして立ち去った。もちろん私は後を追った。だが、ある大樹の陰に走り込んだ彼女を追うと…彼女の姿はなかった。
それから私はいつも周囲に注意を払うようになった。いつ、忘れな草のお姉さんが現れるかわからないからだ。だが、なかなか現れてはくれなかった。
時が経ち、私は高校生になっていた。成長してあのお姉さんの年齢にずいぶん近づいたと思っていた。だが、会える機会はなかなか巡ってこなかった。
運動会の日。高校の運動会は見に来る父兄も少ない。私の出る種目は200メートル走と男子舞踏。男子舞踏とは空手の型に組み体操とダンスを組み込んだものだ。男子演舞の途中で私は彼女を見つけた。手を振り拍手をする彼女。その笑顔ははっきりと私を見ていた。演技が終わり私は彼女のいた場所へと馳けた。しかし……彼女はいなかった。あたりを走って捜した。代わりにあれは彼女だったという証拠が落ちているのを見つけた。忘れな草のブローチ。確かの彼女がここに。その頃から彼女に恋心を感じるようになった。
それが忘れな草のお姉さんと会った最後だ。彼女が誰なのかはわからないまま。大学に入り、就職してサラリーマンになったが、再び会うことはなかった。忘れな草のお姉さんの正体は誰だったのだろう。ひょっとしたら、あの懐かしい感じは親しい人なのではないか?いや、思いあたらない。やがて私はある女性と知り合い結婚した。結婚相手があのお姉さんではないかと夢想したこともあるが、似たようなところもないではないが、お姉さんとは違っていた。私はなにごともなく人生を過ごしていったが、脳裏からお姉さんの面影がなくなることはなかった。私に娘が生まれた。成長していく過程でふと、あのお姉さんは娘だったのではないかとも思った。だが違う。私のことを毛嫌いし、ろくろく話もしないまま誰かと恋愛し、嫁いでしまった。
それから何年か経って娘夫婦は近所に引っ越してきた。スープの冷めない距離だ。
そして孫娘が生まれた。孫娘は不思議に私になついた。彼女は成長するにつれて、私の若い頃のことをしきりに聞きたがるようになった。その頃だった。私の身体に死病が見つかったのは。この先あまり長くはないようだった。私を慕ってくれる孫には、そのことを包み隠さず話した。孫はそれを聞いて号泣したが顔を上げて言った。「私、テレビのアニメでタイムマシンのことを知ったの。私、発明する。そしたら、昔のおじいちゃんに会いに行っていい?」私は大きく頷いた。そしてまだ幼い歳の孫に、忘れな草のブローチを渡した。

人吉球磨アンバサダーズインタビュー第7弾|火の国サラマンダーズ様のインタビューを公開!

火の国サラマンダーズ プロ野球チーム

人吉球磨にゆかりのあるプロフェッショナルたちが語り尽くす「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」。
7回目となる今回は、2020年に熊本県初のプロ野球チームとして誕生した火の国サラマンダーズの石本裕大選手と河添博司選手が登場します!

人吉市出身で、小さい頃は同じ少年野球クラブにも所属していた両選手。
幼少期から球磨川で遊びまわり、高校時代には人吉城の石段でトレーニングするなど、地元・人吉で野球選手としての礎を作り上げてきた熊本を代表するアスリートです。

インタビューでは地元人吉が被災した当時の率直な思いや火の国サラマンダーズを通じて行ったボランティア活動や野球教室活動、そして熊本で野球選手としてプレーできる喜びについて、存分に語って頂いております。

地元・人吉で生まれ育ち、熊本を元気づけようと懸命にプレーする両選手だからこそ語ることができる素朴ながらも熱のこもったインタビューとなりました。
ぜひ、サイトでご覧ください!

人吉球磨アンバサダーズ インタビュー::火の国サラマンダーズ

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◇「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」について
人吉球磨に所縁がある表現者たちのインタビューを掲載したwebコンテンツです。
各界で活躍する表現者の方々を、「アンバサダー(大使)」に任命し、インタビューを通じて人吉球磨がもつ価値や魅力を再発見していきます。

贈る前に知っておきたい!「お中元」のマナーや金額相場について

高橋酒造のスタッフが日頃楽しんでいる飲み方や
商品の耳寄り情報を紹介するスタッフ記事の第3弾をアップいたしました!

今回のテーマは、「お中元」。
・お中元の起源
・お中元を贈る時期
・お中元金額の相場
・「水引」や「のし」について
など、お中元のマナーや豆知識が満載の記事になっています。

高橋酒造では、お中元にピッタリな本格米焼酎を取り揃えておりますので、ぜひ記事を読んでお中元を選ぶ際の参考にしてくださいね。

第200回 人生でたいせつなこと

 本日、皆さまにお話することになりました、エヘン、ゲボゲボ。機敷埜風天と申します。ええ、…何だっけ、ええっ。あああ。ああ。よく聞こえない。…ああ、そう。
「人生でたいせつなこと」について、であります。人生といえばたくさんの方が、それぞれの人生を歩んでこられてきておられるわけで、ございます。あ、暑うございます。遠慮されんと上着とられてけっこうでございますよ。あ、人生ですね。私の叔母もですね「人生いろいろ」という唄が好きでしてね。人生にはいろいろあるんだ、ということを島倉千代子という歌手が唄っておられました。私もですねぇ、島倉千代子が好きでしてねぇ、カラオケに行ってどなたかが島倉千代子を唄われると、とてもよい気分になりますな。私は唄いません。なにせ音痴でしてな。何を唄っても同じ曲にしか聞こえんらしい。私が幼い頃から異様に耳が良すぎたところに音痴の原因はあるのですよ。というのが、私の婆やが赤子の私を背負うてあやしながら子守唄を唄ってくれたのですが、この婆やは評判の音痴だった。しかし耳の良い幼子の私は、それを正確に記憶してしまったらしい。私はそれ以来、すごい音痴になってしまったというわけ。耳が悪ければ音痴になることもなかったはず…。大学は、南方にあるマイマイ島のハレホレ大学無理学部に在籍しておりましてな。若かりし日の私は日々勉学にいそしんでおりました。すると、学級の徒であった私に大変なことが起こりました。公園のベンチで教科書と参考書に目を走らせておったときですよ。目の前をこれまでの生涯で見たこともない美女が歩いておったのです。自分の目が信じられなくなるほどの美女です。私は参考書をそこに置き去りにしてふらふらと彼女に尾いていった。するとほどなく彼女の家の前に着いたが、人がならんでいる。聞くと、みな彼女のフアンということで彼女とつきあいたいが、彼女は大の唄好き。彼女の前で唄を唄って気に入られないと、ダメということらしいのです。で、みな彼女の前で唄い、私の番がまわってきたました。もちろんダメ。気に入られなかっただけではなく、そのとき自分が音痴だということを思い知ったわけです。
 人は思い知ることが大事ですな。そうそう、思い知らされたといえば私はトイレが近いこと。今思い出したが30分毎に尿意に襲われる。そうなると思考が途切れて何も集中できんようになる。えーっと、何の話をしておったかな。今も、少ぅし、尿意が近づいているのがわかるので不安になってきております。ところで、いかにして私が尿意を抑えられているかというと、若い頃、頼まれて龍退治をしたことがありまして。龍の巣に行き18人がかりで龍を追いつめてやっと仕留めた。村人たちは喜んで龍の肉を分け合って持ち帰っていたなあ。これで私を招いた村は龍に毎年襲われることはなくなったというわけですが、そのとき、帰りかけた私に長老が、お待ちなさい!と龍の膀胱を差し出した。これを煎じて必要なとき飲めば尿意をもよおしても3時間はこらえることができるようになると。若い頃は、そんなものは必要なかったのですが、最近は使いたくなってきた。確か箪笥の奥にしまっておいたはずが、見つからず不思議でならないのです。目の前を通りがかった昔なじみの爺さんに尋ねてみましたよ。龍の膀胱は知らんかね、と。いや、龍の膀胱なんて見たことも聞いたこともない。密室殺人をあんたが解決したときに手に入れた河童の手なら見せてもらったことがある、と。
 あ、そういえば密室殺人の解決を頼まれたことがあったなぁ。警察も名探偵もその謎がわからなかった。蔵の内部から鍵がかけられて、中で主人が背に短刀を刺され殺されていた。蔵を見回して言った。お前が、犯人だ!と。犯人は河童だったんですよ。人間の手なら蔵の中の鍵に手が届かない。でも、河童の右腕と左腕は繋がっているのです。だから人の手では内部の鍵に届かなくても河童なら手を伸ばして複雑な解錠操作ができる。だから、犯人は河童だぁ!と。喝破された河童は驚き、思わず右手を落として逃げていったのですね。それで、仕方ないと河童の手をうちに引き取ったのかな。
 あー、しかし、河童の手ではトイレを我慢できるわけもありません。とにかく、尿意を催したら、自分の気を散らすしかないわけです、そういうとき、母親がトイレには幽霊がいるんだからね、と言っていたことを思い出します。みなさんもそんな記憶がありませんか。夜中のトイレにひとりで行くと、中で幽霊が待っている、と思ったこと。あるいは妖怪が出てくるぞ、と感じたこと。実は、トイレには幽霊も妖怪もおるんですよ。無理学部にいた頃はそんな研究ばかりしておりましてな。幽霊も妖怪もいないと思えばいない。いると思えばいる。無理学が通れば道理学が引っ込むのです。そのときのゼミのクラスメイトが変な奴ばかりで。一番変わっていた奴が、時間軸圧縮理論とか考えている奴でしてね。今はどうしているかなぁ。そいつは時を超える装置を作れるとか言っておりました。そいつがある日トイレから出れなくなりまして、内側から叩いたり叫んだり大変な騒ぎ。時を超える装置を作ろうという奴がトイレから出れんなんてね。え、何ですか。は、もう時間ですか。よかった。トイレが。は、まとめろ。題は…。え、なんですか?は、ありがとうございます。そうですね、もうやめろ、ということです。人生でたいせつなことは、ありがとうの気持ちを忘れないということですね。今、ありがとうを申し上げて思い出しました。大事です。
 では皆さん、さようなら。ほんとうに、ありがとうございます。

《HAKUTAKE ONLINE SHOPスタッフ記事第2弾更新》父の日ギフトについて

高橋酒造のスタッフが日頃楽しんでいる飲み方や商品の耳寄り情報を紹介する
スタッフ記事の第2弾をアップいたしました!

 

今回の記事では高橋酒造が自信を持っておすすめする父の日ギフトの中でも非常にレアでなかなか情報が手に入りにくい
◆HAKUTAKE Limited.(30年熟成)

◆一升瓶セット&「一押(いちおし)くん」

の2商品について詳しく解説しています。

 

ぜひ、お父さんへのプレゼントを選ぶ際の参考にしてくださいね。

父の日の到着は6/17(木)までの注文となりますので、お求めの際はお早めに!

第199回 大井川の奇蹟

得意先への訪問は予定時間通りだったのだが、客に引き止められてしまった。次の約束の時間に間に合うにはすぐの高速バスに乗ってギリギリの時間だ。
 福岡から熊本へ走る九州高速道にある大井川インターから数100メートル離れた場所に高速バスの乗り場がある。
 私は残念なことに運転免許証を持っていない。だから、遠方の客を訪問するときは高速バスかJRを使うしかないのだ。だが、このあたりにJRは走っていない。高速バスを使うしかない。実は次の客との商談は数百万円の取引。個人事業主の私としては喉から手が出るほどの案件なのだ。しかし、時間に厳しい相手と聞いている。1分たりとも遅刻するわけにはいかない。
 なぜこのあたりにJRが走っていないのかといえば街らしい街がないからだ。タクシーもあまり走っていない。しかたがないので客先にタクシーを呼んでもらった。タクシーに乗り込み「大井川インター近くの高速バス乗り場まで」と叫んだ。タクシー運転手は「わかりました」と発車した。時計を見ると次の熊本行きのバスは20分後のはずだ。高速バスの停留所まで5〜6分ということだった。「着きました!」タクシー料金を払って降りる。目の前の階段を登ればバス停だ。急ぐ。時計を見る。10分ある。よかった。バス停に立つと、息が止まりそうになる。何、ここは福岡行きのバス停だ。熊本行きのバス停は、道路を挟んだ向こう側ではないか。慌てて階段を駆け下りるとさっきのタクシーは、こちらに気づくはずもなく無情に去っていった。
 どうすれば向こうのバス停に行ける?
 タクシーどころか、下の道は自動車一台通らない田舎道なのだ、鍬をかついだ農家のお年寄が通りがかったので、これ幸いと尋ねてみた。「熊本行きのバス停に行きたいのですが、高速下のトンネルとか、渡る橋とかありませんか?」お年寄はのんびり答える。「そうじゃのう…数キロ先にトンネルがあるのう」数キロ先なら走ってもバスには間に合わない。どうしよう。おろおろ。向こうのバス停は見えているのに。中央分離帯まで入れて40メートルくらいだろうか。
 だが、高速道路はすごい勢いで自動車が走りすぎていく。自動車が走っていなければ全速力で駆け抜ければ10秒もかからないだろう。よし、駆け抜けるか!いま行けば間に合う。
 一歩、踏み出そうとしたとき、白のステーションワゴンが目の前を走った。すごい風圧が身体を襲う。ゴウッという通過音も。
 ひゃあ!
 一歩も進めぬうちにひっくり返る。次の一歩。警笛だ!10トントラックが壁のように迫り、轟音を鳴らして近づき去っていった。
 カバンがない。見るとぺしゃんこに道路の上に転がっていた。その上を次々に自動車が通過していく。
「向こうに渡りたいのかい?」と声をかけられた。振り向くと腕組みをして男が立っていた。黒子のように黒づくめ。黒足袋姿。「あなたは?」「俺は、この大井川の高速越人足だよ。あんたは一目でわかる。ここを渡りてえんだろ。渡してやろうか?ちと値段は張るがね」
「高速道路をどうやって渡るんです?次々に走ってくる車に轢かれるのが関の山ですよ」
「こちとら代々、大井川の渡し人足をやってる。渡りは腕と心意気なんだ」
「無理ですよ。無理」
「よおし。じゃあ、あんたの落としたカバンを特別に拾ってきてやろう」言うが早いか、男は高速道路に飛び込みぺしゃんこのカバンを「あっ危ない!」拾って「あっ!きゃあ」と叫ぶ私のところへ戻ってきた。「ほい」と私の手渡す。「腕は、こんなもんだ。渡りたいし、時間もないんだろ?どうするね。少々高いが、これは技術料だ」渡し賃をいわれて驚いた。高い。そう漏らすと「じゃあ、いいよ。納得した人だけ渡してるからな」「いや、お願いします」数百万の取引がふいになるより、一か八か渡してもらうべきだろう。いかに高額でも。
「よし、わかった。じゃあ担ぎますぜ」
 ひょいと私を肩車すると高速道路に入る。クルマが前を走り、ひょいと踏み出す。すると背後をクルマが通過する。そして、またひょい。近づくクルマに悲鳴を上げる。男はそんなのお構いなしにひょい。ついに中央分離帯だ。「あこぎな渡し人足なら、向こうまで渡りたければ倍の賃料を、とここで言うところだが、あっしはそんなこといわない。安心なさい」と男は言った。私は感心した。「すごい渡りだ。これにはなにか秘伝があるのかね」私は尋ねた。「うん。先祖から伝わっているのは、心を無にすればクルマの隙間が見える!だね」「はぁ!じゃ、これまでは、迷うことなく高速道路を走り渡ってきたんですか?」「ああ、そうだ。向こうへそろそろ渡りますかね」と私を肩に担ぐ。「心に迷うことなく……。そう言えばかなり前にお客さんに言われたなあ。ムカデはどの足から動かすか自分でちゃんと迷わずわかっているのかな?あんたは右足から渡るんか?左足から渡るんか?ってね。そう問われたら考え込んで渡れなくなったっけ。あっ。あっいけねぇ、思い出したら渡れなくなったじゃねぇか。とほほほ。すまねぇ。お代はいらねえ。向こうまでは自分で渡っておくれ」そう言って再び下ろされた。ここで下ろされても困る。すると遠くから熊本行高速バスが近づいてくるのが見えた。急がなくっちゃ。間に合わない。どうすればいい?心を無にするったって。ふっ、と走るクルマの隙間が見える。これだ!
 無事に高速道路を渡った私は、そのときの快感が忘れられず熊本インター近くで渡し人足をやっている。案外お客は多いんだぜ。名も売れてきたしね。バスには間に合ったが開眼したんだ。こんなに快感のある仕事はないってね。いつでもおいで。あっ、という間に安く渡してやるよ。職を変えたおいらがね。

人吉球磨アンバサダーズインタビュー第6弾| 気象予報士・斉田季実治さんのインタビューを公開!

その道のプロフェッショナルたちが人吉球磨を語り尽くす「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」。6回目の今回は、本日からスタートしたNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の気象考証も担当されている、気象予報士の斉田季実治さんが登場です!

小学5年生から高校生までの青春時代を熊本で過ごし、気象予報士としてのキャリアもNHK熊本放送局からスタートするなど、ふるさととして特別な想いを熊本に寄せられている斉田さん。

インタビューでは、豪雨災害の被害が甚大になった要因や防災という観点で日々意識すべきポイントについて、専門家の視点で鋭くもわかりやすく解説いただきました。

また、斉田さんが豪雨災害情報を伝達する際に感じた「葛藤」や「後悔」についても、当時の思いを余すことなく語っていただいております。

気象のプロフェッショナルでありながらも、天気や宇宙の素晴らしさを少年のような純粋な眼差しで語る斉田さんの新しい一面が垣間見えるインタビューとなりました。

ぜひご覧ください!

人吉球磨アンバサダーズ インタビュー::斉田 季実治 気象予報士

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◇「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」について

人吉球磨に所縁がある表現者たちのインタビューを掲載したwebコンテンツです。

各界で活躍する表現者の方々を、「アンバサダー(大使)」に任命し、インタビューを通じて人吉球磨がもつ価値や魅力を再発見していきます。

第198回 母の日のできごと

 小学校の帰りに、初めて花屋の前で鈴佳は意識した。母の日にはカーネーションを贈るのがならわしだということを。
 いや、それよりも五月の第二日曜日が母の日になると意識していなかった。学校で、もうすぐ母の日だからお母さんに感謝の気持を伝えるための作文を書こう、と先生からお題を出されて、仕方なく心にも思っていないことを書き連ねて提出したことは覚えている。それがいつのことだったかは忘れてしまっている。
「お母さまに日頃のありがとうの気持ちとして赤いカーネーションを贈りましょう。贈れない人は白いカーネーションを飾りましょう」とポスターにある。それがどういう意味なのかは鈴佳にもわかった。
 私は白いカーネーションなんだ。お母さんは亡くなってしまったから。
 去年の母の日は赤いカーネーションも買わなかった。母の日にカーネーションを贈る習慣があることは知っていたのに。カーネーションをプレゼントしてもお母さんは喜びはしないと、勝手に鈴佳は思っていた。
 初めて鈴佳は母の日にカーネーションを買った。
 白いカーネーション。
 鈴佳にとって安い買い物ではない。一本百五十円だった。ペットボトルのミルクティが買える値段だな、と思う。
 二〇世紀初頭、母の日の創設者であるアンナ・ジャーヴィスが自分の母親の追悼式で母親の大好きだった白いカーネーションを参列者の一人づつに手渡したという。それから、母親を偲ぶとき白いカーネーションを供えるようになったのよ。そう花屋のお姉さんは、鈴佳に教えてくれた。
 白いカーネーションを手に家に帰り着くまで、鈴佳は自然と涙が溢れてきて止めることができなかった。
 大事なものは、失ってしまってから何が大事だったのかに気づくものだ。
 それは鈴佳にとっては、お母さんだった。
 お母さんが元気なときには、わがままばかり言っていた。お母さん、欲しい物があるから買って。お母さん、これ作って。お母さん、暗いからついてきて。
 いつもそうだった。それが鈴佳にとって当然の毎日だった。お母さんはいつもそばにいるものと思いこんでいたから。いつも自分がしてほしいことを母親に無理強いし、母親から鈴佳への頼みごとは、そんなこと頼まないで!と無視していた。そんな日々が突然断ち切られた。
 あの日の朝も鈴佳はわがままだった。お母さんに郵便局での用事を頼まれた。それをつれなく断った。
「めんどうだし、いそがしいもん」
 お母さんは郵便局に行った帰りに事故にあったことを知った。
 帰ると鈴佳は仏壇の花瓶に白いカーネーションを挿した。それから長い時間手を合わせた。お母さん、ごめんなさい。とても会いたい。もしも会えたら言うこと何でも聞く。いい子にする。
 手を合わせていると小六の姉の芳美が「あっ、白いカーネーションだ。ちょうどよかった」
 止める間もなく芳美は花を花瓶から抜くと自分の部屋に持っていった。あわてて鈴佳は姉の後を追った。「姉さん。何するの。それは……」
「宿題!宿題!理科の実験の宿題を出さなきゃならないの」
「カーネーションで何の実験をするの?」
「維管束について。植物には維管束というのがあって、それは養分や水の通り道なんだって」
「どうしてカーネーションで実験するの?」
「教科書にこの実験は白のカーネーションがオススメって。維管束には道管と師管があるのよ。今日は道管の実験」
 芳美が花をガラスの一輪挿しに入れると、白のカーネーションの花びらが外側からピンクに染まっていく。
「食紅を濃く溶かした水に花を入れると、維管束の中を食紅が上がって花が紅くなるのよ」
 鈴佳は驚き姉に叫ぶ。「これは母の日のカーネーション。お母さんのいない子は白いカーネーション。大事なカーネーションだったのに」芳美も、母の日の白いカーネーションとは知らなかった。
「ごめん、鈴佳」
 わっと大声で鈴佳は泣き伏す。ごめんなさい、お母さん!
 白いカーネーションはピンクになった。それどころではなく真っ赤な色に。もはや真紅だった。お母さん、ごめんなさい。私がわがままだったから!
 家にはこのとき誰もいない筈だった。
 姉の芳美の部屋のドアの向こうで声がした。
「芳美、鈴佳、大丈夫よ。あなたたちのこといつも見てるから仲良くね。鈴佳、もう自分を責めないで」
 二人はドアを振り返る「お母さん?」もう誰の気配もない。白のカーネーションが赤く変化したから、一瞬だけお母さんは帰ってきてくれた?
「見て!」と芳美が指差した。その指の先の維管束実験のカーネーションは、今は純白に戻り凛としてそこにあった。
 まるで元気な頃の母親のように。
 鈴佳と芳美は無意識に手を取り合い、ドアの向こうにつぶやくようにもらす。「ありがとう。お母さん」