腰痛に悩まされ、病状は悪化して歩くこともままならない。杖をついて凌いだが痛みは進行して、最悪の場合は車椅子のお世話になる。
結果、他に方法はないと手術を受けた。三週間入院してリハビリを受けて、やっとよちよち歩けるところまで改善した。退院。
二度とこんな目には遭いたくない。
あとは気長に回復を待つしかない、とも思うが、生活をしていくためには仕事に行かなくてはならない。
会社の連中も「まだ、本調子じゃないようですね。無理しないでくださいよ」と労ってくれる。「腰つきが本物じゃないですよ。見ていて心配になってくる」と。そんなことはわかっている。だが早く仕事に戻らないと。友人たちも、酒に誘うのを遠慮しているようだ。
「大丈夫かよ。山歩きも誘えないよなあ」
うん、時が薬かなあ。ぼちぼち慌てずに元気を取り戻していこう。そう考えることにしている。
友人たちは、それはよかった。頑張れよ。焦るなよ。と言ってはくれるものの、その目は私を憐んでいる。
リハビリのつもりで近くの公園まで散歩してみる。手術後めっきり筋肉も落ちてしまった。まず筋肉を取り戻さなくては。
自分の気持ちがうまく自分の身体に伝わらないもどかしさを、このとき十分に味わった。歩き始めはなんとかいいものの数十メートル歩くと軸足がふらつき始めるのが自分でもわかる。一歩でふらっ、左足出してふらふらっ。右足出してふらふらふらっ。
しかし、いいこともある。酒は入院中はダメだったが、やっと許しが出て外飲みができるようになった。
友人と飲んでいて同情される。
「そうか。それは可哀想だ。そういえば、先日、深夜のテレビ通販で『お元気ベルト』の紹介をやっていたなあ。あれは、お前にいいんじゃないかと思うよ」
「お元気ベルト……なんだい、それは。腰にいいのか?」
問い返すと友人は頷いた。確かに『お元気ベルト』とネーミング聞いただけで腰に元気が湧き出てくる気がする。
「名前を聞いただけで効果がありそうだとは思わないかい?着けるだけで効果があると言っていたよ。真剣に聞いていたわけじゃあない、ながら、で聞いていたんだが。そうだ。病気見舞いしていなかったから、その『元気ベルト』とやらをプレゼントしてやるよ」と言い出した。
「いいよ。いいよ」と断ったにもかかわらず数日後には宅急便が届いた。友人は約束を守ってくれたのだ。中に入っていたのは『お元気ベルト』だった。一見普通のベルトだが幅が少し広い。ズボンの下に着けるようだった。出勤時間が迫っていたが、1日元気で働けるなら。お元気ベルトを着けてみよう。ぐるりと腰に巻く。
カチッと嵌まる音が小気味良かった。
果たして。元気になるのか?と思ったがなかなか元気になれない。おかしいな。するとベルトにいくつかスイッチが付いている。電源がオフになっている。そうか、これをオンにしなくては。どうなるんだ?
電源を入れた。ウィーンと音が響く。動き出すのか?
ヒクッと腰から下が動く。わ、わ、わ、わ。リズミカルに腰が何ども前に突き出される。足は動かない。上半身も動かない。
腰から下だけがリズミカルに前に突き出されるのだ。そして引ける。どんなリズムかというと。クイッ、クイッ、クイッ、クイッ。
鏡の前に立つとその動きはかなり卑猥だ。真面目な表情でいても他人から見れば変な奴と思われるだろう。外そうとしたが外れない。仕方ない。会社へ行かなくては。
歩きながらクイックイッと腰を突き出すと、女の人がキャーと言って逃げていく。逃げていかない人は立ち止まって笑いを隠しきれない。助けてほしい。何が『お元気ベルト』だ。外したいのに外れない。
会社に着くと皆から注目される。女子社員からはあからさまに顔をしかめられ「やめてください。そんな卑猥な動き」
「し、仕方ないんだよ。このお元気ベルトが止まらないんだ」
「スイッチを切ればいいではありませんか!」
「それが、ベルトも外れないし、スイッチも切れないだ」なんと恥ずかしい。
他に策はないと、贈ってくれた友人に電話する。
「ええっ。そりゃすまんなあ。そんなにいやらしく動くんか。いや、俺は自分で着けたことないから、ようわからん。しかし、本当に他にボタンとかないのか?」という頼りなさ。
トイレに行き、よくベルトを見ると……あった。
モード切り替えスイッチ。これで卑猥な動きから解放される。スイッチを切り替えた。ベルトから変な音が。そして前後にひくひくと動く猥雑な動きが止まった。良かった。ほっと胸を撫で下ろす。だが、音が変わる。あ、あ、あ、この動きもいかん。私の股間を中心に、尻が円を描くように動き始めたのだった。誰か止めてくれ。女子社員はウィーン、ウィーンと回転する私の腰つきを見て逃げ惑う。
「助けてくれ!ベルト切ってくれ」見かねた同僚が巨大なカッターを持ってきてベルトを切り、やっと卑猥な動きは止まった。友人に苦情を言い、経過を話す。
「ごめん、ごめん」その後友人からまた品が届く。
開けると今度は『絶倫ベルト』
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本格クラフトジン「BEAR‘SBOOK」初回ロット完売のお知らせ
お客様各位
平素より高橋酒造の商品をご愛顧いただいておりまして誠にありがとうございます。
2021年11月8日(月)より販売を開始いたしました本格クラフトジン「BEAR‘SBOOK」につきまして、ご好評につき本日初回ロットが完売いたしました。
このたびは多くのお買い求めをいただき、誠にありがとうございました。
ご購入を検討されていたお客様につきましてはご不便をおかけすると存じますが、なにとぞご理解の程よろしくお願いいたします。
次回入荷時期につきましては現在のところ未定でございますが、販売再開の際はBEAR‘S BOOKのオンラインショップお知らせページ、メールマガジン、公式SNSにてあらためてお知らせいたします。
※高橋酒造の公式HP、SNSでも併せてお知らせする予定です。
※なお、次回入荷時期についての電話によるお問い合わせにはご対応致しかねますので、あらかじめご了承下さい。
今後とも、本格クラフトジン「BEAR‘SBOOK」をよろしくお願いいたします。
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第205回 老人とマイタケ
ショート・ショートの締切が近づくと産みの苦しみがやってくる。ああでもないこうでもないと話をひねり出す。だが、なかなか思い浮かばない。掲載時期も考える。秋かあ。キノコの時期かあ。
私はキノコ採りが大好きだ。
そうだ、キノコ採りの話にしよう。
〈私はキノコ採りが趣味だ。山に入り美味しいキノコを求めてさまよい歩く。しかし、季節は秋の短い時期に限られる。ナメコ、ムキタケ、ハナイグチ、アミタケ。キノコ採りが好きすぎて、飛行機に乗って長野まで松茸を採りに行ったほどだ。だから、食用キノコはほとんど自分の目で見つけ出し、自分の手で採った。
ただ一種類だけを除いて。
それはマイタケだ。スーパーの店頭にシイタケやエノキとともにならんでいる、あれ。
なぜ、マイタケと呼ばれているかというと、山中で見つけたときにあまりの嬉しさに踊りを舞うほど。だから、マイタケ。それほど貴重なキノコなのだ。
これまで縁がなかった。深山のミズナラの樹に限られた期間だけ発生するという。そのうち偶然に見つかるさ、と自分に言い聞かせて四十年近く経ってしまったが、未だに出会えていない。マイタケを採ったという人の話も聞いた。「市販のマイタケとは全く違うよ。香りも凄いし、味も濃い。歯応え抜群。キノコの女王だね」そこまで聞かされたら、いつかは出会いたいものだ。そう願いつつどれだけの時が経過したか。いや、マイタケと接近遭遇したことはある。十数年前、九州脊梁の山中でキノコ狩りをしていると老夫婦に声をかけられた。「キノコにくわしいんですか?このキノコ食べれますかね」掌サイズのキノコは何と…マイタケだった。「ど、どこで採られました?」「そのあたりですが」これは毒キノコです。すぐにお捨てなさい。と喉まで出かかった。そかし、「これは美味しいマイタケです。よかったですね!」何と悔しかったことか。老夫婦にはビギナーズラックの女神が微笑んだのだろう。なのに、なぜ、私には採れない。いろんな情報がそれこそ山のように私のところへ飛び込んできた。五家荘の雁俣山で採った、とか馬子岳登山道に老菌があった、とか。すべての情報に足を運び検証したが、私がマイタケと出会うことはなかった。神が私を弄んでいるのか?嘲笑したいのか?
いつかのこと。山でクリタケの大群生を発見して喜々と採る。そこへ通りかかったキノコ籠の人、うらやましそうだったので、「マグレで採れました」と得意げに言った。とその人はキノコ籠を突き出した。「私もほどほど採れましたからいいですよ」その籠を見ると溢れんばかりの天然マイタケがのぞいていた。へなへなと腰が抜けかけたのだった。もちろん、マイタケにはその後も出会えない。
そして今年も秋になった。やはりマイタケには縁がないのだろうか?いや、期待しすぎるから失望も大きいのだ。無心にひたすら好きなキノコ採りを続けるのだ。
そして、その日も山へ入った。
今日は、どのルートを選ぼうか。ハナイグチ狙いの松林なら直進だが。右手の斜面に入ってみるか。そう判断したのは、足を踏み入れていない斜面には、ひょっとしたらマイタケがある可能性を捨てられなかったからだ。そして、斜面を登り始めた。あまり歩かないルートだから踏み分けもはっきりしない。倒木を跨ぎ、岩場を足を踏み外さぬように細心の注意を払った。樹々もブナやミズナラが目立ち始めた。そして崖沿いの杣道。そこで、腰に吊るしたキノコ籠のロープがとれた。あっ、と声を上げたがキノコ籠は宙をくるくると舞い奈落のような谷底へ落ちていった。どうしよう、と一瞬迷うが、谷底も見えない。籠を探しようもない。なあに、獲物は担いで戻ればいいさ。ひたすら斜面をよじ登る。枝にしがみつき、足を伸ばして。何度も息が切れた。登山道ではない、ほぼ原生林だ。もう二度とこの場所は探せないな、と思い正面を見た。奇跡が起こった。ミズナラの巨木の根本の膨らみは……!目を疑う。間違いない。あれほど夢見たマイタケが!
見つけた。
近づいて目をこする。でかい。四キロほどもあるが天然物のマイタケだ。香りが凄い。あれほど夢に見たものが目の前に。神は我を見離さなかった。ナイフで切る。マイタケはずっしりとあった。だが、キノコ籠はない!崖から落してしまったから。両手で抱えて帰ろう。嬉しさに、その場で踊りだしたほどだ。帰ったら、天ぷらか、汁物か、塩焼きもいい。マイタケご飯も。両手で抱え込み下ろうとすると身体のバランスがくずれ、マイタケを岩にぶつける。パラパラと崩れる。足をすくわれ、倒れるとマイタケの塊が割れる音がする。樹々に身体を弾かれた。マイタケの破片が飛び散る。どれくらい時が経ったか。登山口まで下りてきて見た。あれだけ必死に持ち帰ったはずのマイタケが…。崩れ落ち、手の中にはマイタケの破片がかろうじて。「こんなにでかいマイタケ採ったんだ」と皆に話しても、憐れむような視線が集まるだけだ。やはり、マイタケには縁がなかったのか……〉
できたぁ!今月のショート・ショート。主人公の悲哀が伝わってくる傑作ではないか。そう思い編集部に胸を張って持ち込んだ。ところが……。
「残念ですが、ダメですね。これはカジキマグロをマイタケに替えただけのヘミングウェイ〈老人と海〉の盗作としか言われませんよ。もっと練ってください。没です。」
だあああーっ!そんなぁ。
第203回 おもいでマシン
本日は、かくも多数、私の新発明発表会にお集まり頂きありがとうございます。私は天才科学者なのですぐに大発明をしてしまう。だから発明なんて珍しいことではないのですが、今回は一般の参加者の皆さまにもぜひ発明の素晴らしさを知って頂きたいと、このような発表会のカタチにしたわけです。あまりに画期的な発明なので、お話したところでにわかに信じて頂けないかもしれない。
理論上は先行していたのですが、現物は発表会寸前にやっと間に合ったという代物です。ですから、試験装着もまだ済ませていないのです。しかし、正しい製造法ですから間違いなく完成しているのです。
さてこの新発明。名も先ほどつけたばかりです。
「おもいでマシン」といいます。
なかなか趣のある詩的なネーミングだと思いませんか?
もちろんこの機械がどのようなものなのかは、これからの実験でおわかり頂ける筈です。その前にできるだけわかりやすくお話します。
人は一人づつそれ迄に生きてきた軌跡、すなわち人生を持っている。その人生の中では忘れられないおもいでなどというものが重要な役割を果たしています。ときおり人は生きていく上で立ち止まり、過去を心の中で再生させる。それがいわゆる、「おもいでにひたる」という行為です。
私の発明した「おもいでマシン」は、その人の人生の中で心に刻まれているおもいでに、形を与えて具現化させ再生させる装置なのです。
いや再生させるといっても、映像をモニター画面に映し出すといった単純なものではない。映像だけなら幾重にもCG処理して、よりリアルなものを作れるかもしれないが、本物のおもいでとは程遠い。
本当のおもいでには、五感のすべてが含まれているものです。匂いや、音や声、そして肌触り、そのようなものが一体となっているものではありませんか?そして、おもいでが実体化したときには記憶にあるもののサイズも重要です。そのすべてを再現できるのが、このステージ上の巨大装置、おもいでマシンなのです。
自分のおもいでを再現・実体化させたい被験者は、このヘルメット状の思考リーダーをかぶります。するとこれがおもいでを読み取り、マシンの中で空中の物質を集めて再合成させる。そして、おもいでを実体化するというわけです。おもいでの具象化という革命的発明です。
さて、これから実験を行います。初実験です。自分のおもいでを実体化させてという方おられませんか?いかがです?遠慮されずに。あ、おられますか。さ、壇上に!
ありがとうございます。どんなおもいでを望まれますか?初恋の女性を……いいですね。では、ヘルメットを。
では、開始します。おもいでを思い浮かべて。初恋の女性は、どんな方ですか?
幼い頃、憧れていた隣の家に住んでいたお姉さんにもう一度会いたい、と。今はどこにいるかもわからない。でも、あなたの心に生き続けているんですね。一生懸命思い浮かべて!
マシンが動いています。少々音がうるさいが我慢して。
ほら終わりました。おもいでのできあがり。マシンの把手を開いて。ゆっくり。とてもきれいな方だったのでしょう。わかります。
うわあ。
下がって!なんですか、これは。これが隣のお姉さん?ばけも……。いや、なんでもありません。胸が風船みたいだ。お尻がでかくて今にも破裂しそう。目もでかすぎ。まるで少女漫画の登場人物。髪の毛は……ないじゃないですか。髪は思い出せなかったって。
そうか。あなたの頭の中で初恋のお姉さんは誇張されたんですね。そんなに泣かないで。画ごころがないからうまく思い出せない。わかります。私も子どもの頃から絵が下手だったからなあ。だから私、自分で実験しなかったんですよ。しばらくすれば消えますから、心配しないで。
え、消えない。そんな筈は。おもいでが実体化するとそのままになる設定になっていたのか……。お待ちください。おもいでマシンの性能をもう一度チェックしてみますから。
あ、ぼっちゃん、いつの間に壇上に。下りてください。いま、手が離せないから。
あ、触らないで。そのヘルメットをかぶちゃダメですって!
どうしたんです、ぼっちゃん。なに、ぼくもこのおもいでマシンを使ってみたいって?
あ、ヘルメットをかぶってしまった!
そんなに見たいおもいでがあるんですか?
映画?今年見た映画で一番面白かったものをもう一度見たい、と。
え?ブルーレイでとか映画じゃなくて本物で見たい!
あ、あ、おもいでマシンが動き出した。どんどん膨れあがっている。もうすぐ破裂してしまいます!いったいなんの映画だったんです?ヘルメットをはずして下さい。
え、大巨獣ゲスラ?それは怪獣映画じゃないですか?
うわぁ、マシンが爆発してしまう。おもいでの大膨張だ。
会場の皆さん、一刻も早く逃げて下さい!ひええええっ。
<人気&リピートNO.1!>敬老の日最強ギフトのご案内
早いもので、9月20日(祝)は「敬老の日」。
毎年、高橋酒造でも様々な敬老の日向けのギフト商品を用意しておりますが、その中でもダントツの人気とリピート実績を誇るのは、この商品なんです!
放送作家・小山薫堂さんがプロデュースした究極の米焼酎。
熊本県産米「森のくまさん」と球磨川の伏流水をつかって造りあげた贅沢な逸品です。
高橋酒造の杜氏がおすすめする飲み方は「冷やしてストレート」または「オンザロック」。「百」が持つ高貴でふくよかな味わいをお楽しみください。
◆敬老の日に「百」がおすすめな理由①
長寿を願う「百」というメッセージ
「100歳まで元気でいて」というメッセージを伝えるギフトとして、敬老の日に大人気の「百」。末永く繁栄するという意味を込め、企業の周年などでも贈答される機会が多く、モノだけではなく想いも届けたいというお客様から好評をいただいております。
◆敬老の日に「百」がおすすめな理由②
高級感溢れるデザイン
「百」には高級ガラスメーカー「HARIO」製のボトルを採用することで、従来の焼酎にはなかったオシャレなデザインを目指しました。また、コンパクトかつ軽量で、手に持ちやすいサイズ感も贈答用として好まれる理由の一つとなっています。
「しろ(白)」を造っている会社の「一」番の焼酎として、その名がつけられた圧倒的人気を誇る究極の米焼酎「百」。
ギフトとしての風格はもちろんのこと、味にも最高の自信をもってお届けする1本です。
ぜひ、この機会にギフトと一緒に想いを運んでみませんか。
第202回 根子岳の猫屋敷
宮地までは自動車で。ヤカタガウド登山口に駐車して歩き始めたのは夕方だった。民話を知ってから気になっていた。いろいろと確かめたい。
リュックを背負うと気が引き締まった。
ヤカタガウドのウドとは、谷のことだ。つまり館がある谷という意味か。根子岳は阿蘇五岳の一つだが、そこに猫の王の屋敷があるという伝説がある。私は歩き始めた。岩盤が露わになった谷。両側の壁の間をたどりつつ歩いていく。見上げれば奇岩が目に飛び込んでくる。紅葉の時期もさぞや見事だろうなと思った。今は穴の空いた眼鏡岩に目を奪われていた。
歩き始めたが夕方だったからすぐにあたりは暗くなってきた。やはり、昔話でしかなかったのだろうか?
いくつかの谷をカーブに沿って曲がると、目に灯りが飛び込んできた。よもや。
大きな屋敷のシルエットが見える。石の壁にへばりつくように建っている。これが、根子岳の猫屋敷なのか。
私は屋敷に入った。すでに薄暗い。灯りはいくつかの石燈によるもので電気はここまで来ていないようだ。二十一世紀だというのに。
「ごめんください」と玄関で叫ぶ。ひたひたと奥から足音がして女が姿を見せた。
「道に迷ったのですが、一夜の宿をお願いできませんか?」と、考えていた台詞を口にした。
女は嬉しそうに笑った。若くて恐ろしいほどの美人だった。聞いていた通りだ。
「お安いことです。食事も用意します。お風呂を使われてゆっくりお休みください」
私は部屋に通されて、しばらくゆっくりとくつろいでいた。そのとき庭先から別の若い女が現れた。「もし、お風呂に入ったら全身猫にされてしまいます。私は、昔あなたの隣家で飼われていた三毛でございます。あなたには良くしていただいたので教えます。すぐに、ここから逃げてください」
やはり、そうか。根子岳の猫屋敷の伝説は本当だったのか。伝説と同じ展開だなあ。
しかし、隣の三毛がここにいたとは知らなかった。ときどき仕えに来るそうな。
私はリュックの中から用意していたものを取り出し、風呂場へと向かう。風呂は湯が溢れそうだった。これが人を猫へと変える湯か。
それから慌てて身支度を整え、リュックを背負うと屋敷を飛び出した。
もうすでにあたりは暗くなっている。一刻も早く駐車場へ戻りたい。すると、「待てー」という声。見ると崖の上に人影が。私を屋敷に招き入れてくれた美女が、湯桶を持って追ってくる。美人なだけに怒ると般若以上の恐ろしい顔だった。逃げながら美人を怒らせてはいけないと、真剣に心に刻み込んでいた。
ガレ場の終わりの砂防ダムが目の前だった。湯桶の美女の追ってくる姿はもう見えなかった。
「助かった」駐車場までようやく戻ると、へなへなと腰が抜けて座り込んでしまった。
夜のうちに熊本市内の我が家に帰り着いた。左肘の後ろに異様な感覚があった。これか!と思い、肘を鏡に向けてみた。予想通りだった。その部分だけ円型に三毛猫の毛のようなものが生えていたのだった。
やはり伝説ではなかった。民話はすべて本当のことを伝えていた。根子岳には猫屋敷があり、迷い込んだ人間を皆風呂に入れて、猫に変えてしまうのだ。
それが本当だと信じたからこそ、私は根子岳まで出かけたのだった。
リュックの中からポリタンクをゆっくりと用心深く取り出す。こぼさないように。それから小さなペットボトルにベビーポンプで湯を分け入れた。
それから私はリストアップしておいた知り合いに次々に電話をかけまくった。
「もしもし。私ですが。今日はあなただけにとっておきのものをお奨めしようと連絡しました。効果百パーセントの養毛剤が手に入ったんです。この液体を頭に塗るだけで、すぐに毛が生え揃います。施術は私がやります。少々お高くなりますが、確実に効果のある方法ですから、そこは目をつぶってくださいませ。もう一度青春を取り戻したいと思いませんか。いや、自分には不要だと感じられたら、お使い頂かなくても構わないんですよ。無視されてけっこうです」
すると、口には出さないが薄毛に悩んでいる人たちがいかに多いかがわかる。
注文頂いた方の指定の場所まで出かける。そして、ビニール手袋をつけペットボトルのお湯に筆を浸して、頭の薄くなった場所に塗っていく、と、あら不思議。みるみるうちに毛が生えてくる。
毛といっても猫の毛だ。三毛猫の毛だったり、白猫だったり、サビトラだったり、黒猫だったり。本来、この人が猫に変えられたら、そんな猫になるんだろうなという毛だった。
根子岳の猫屋敷の話を聞いたときから思いついていた「もし本当だったら」やってみたい商売だった。おかげで、随分と育毛処理で儲けさせてもらった。三毛だろうがキジだろうが、毛染め剤を使えば要望のままだし。猫屋敷のお湯が足りなくなればまた根子岳に行くつもりだ。ただ、これを使うとお客さんの話し方も少し変わってしまう。「高いニャー。もう少し、安くならんかニャーゴ。いや気に入っとるんだがニャー」
それは仕方ないと思ってニャー。
人吉球磨アンバサダーズインタビュー第8弾|中田裕二さんのインタビューを公開!

人吉球磨にゆかりのある表現者たちにスポットを当てる「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」。連載開始から8回目となる今回は、シンガーソングライター中田裕二さんにお話を伺いました!
熊本出身のシンガーソングライターとして、他アーティストへの楽曲提供やサウンドプロデュースをはじめとして、幅広い音楽活動を展開されている中田さん。
2020年12月には、EXILE NESMITHさん、シンガーソングライターのLeolaさんとともに、熊本応援ソング「さるこうよ」をリリースするなど、地元熊本を元気にするための音楽活動にも精力的に取り組んでいます。
「さるこうよ / EXILE NESMITH, Leola & 中田裕二 (Full ver.)」
https://youtu.be/0_M1-QkaSOg
インタビューでは大好きな米焼酎の話から、現在の音楽活動につながる熊本での原体験、そして熊本の良さや文化を広く発信したいという熱い思いを存分に語っていただきました。
ぜひ、サイトでご覧ください。
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◇「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」について
人吉球磨に所縁がある表現者たちのインタビューを掲載したwebコンテンツです。
各界で活躍する表現者の方々を、「アンバサダー(大使)」に任命し、インタビューを通じて人吉球磨がもつ価値や魅力を再発見していきます。
第201回 忘れな草お姉さん
私の記憶では、初めて彼女に会ったのは幼稚園のときだ。一人っ子だった私は他人と諍いをおこすなどという経験はまったくなかった。遠足のとき、私のお菓子をクラスの男の子たちに取り上げられた。どうしたらいいかわからず泣き声をあげたとき、誰か甘い匂いのする人に抱きしめられた。そして「あなたにはこれを用意しているから」と代わりのお菓子を渡してくれた。顔をあげると品のあるきれいなお姉さんが笑顔で私を見ていた。甘い匂いの他にもう一つ印象に残ったこと。お姉さんがつけていたブローチだ。薄い青の小さないくつもの花。それが白いブラウスの上にあった。
彼女は突然いなくなった。どこに行ったのかわからなかった。ただ、偶然にあのときだけ出会ったのではなかった。私の心に彼女の記憶は深く刻まれていた。また会いたいと。
次に会ったのは小学生のとき。学校の帰りがけ。なかなか掛け算が覚えられないので呟きながら歩いていた。七の段になると必ずつかえてしまう。「七一が七。七二、十四……」七六まできて言葉に詰まったとき、後ろから私の肩をやさしく叩いた。「七六、四十二。七七……?」私は叫んだ。「四十九!」振り返るとあれほど会いたかったお姉さんがいた。笑顔で小首を傾げてみせた。白いニットのセーターに例の薄青の小さな花がいくつもついたブローチをつけていた。あのときと同じ花だ。「ねえ、それはなんの花?」「これ?忘れな草という花よ」名前どおり、決してそれからその花の名前を忘れることはない。七の段と九の段の掛け算を彼女は一緒に唱えてくれた。不思議なことに一人では決してスムーズには言えなかったのに、彼女と一緒に唱えると完璧に覚えこんでしまっていた。そして振り返った瞬間、彼女の姿はなくなっていた。
一つ疑問が湧いた。あのお姉さんは幼稚園のときに会ったときからまったく歳をとっていなかった。名前もわからない。でも会っているとなぜか懐かしい。
中学生になった私は学校の帰り道に公園の前を通った。いつもと少し違う風景。彼女だった。足がすくんでしまった。彼女が笑い手招きをした。最後に会ってから、彼女と会うのを何度夢見たことか。彼女は言った。「ずっと待っていたのよ」私は彼女が持っていたスケッチブックを見た。公園の風景があった。公園の樹々の間を歩いている私らしい少年が小さく描かれていた。彼女はスケッチをしていたのだった。彼女は変わっていなかった。初めて会った幼稚園のときと同じ。私は言った。「会いたかったよ」彼女は言った「私もよ」
「忘れな草」思わす私は呟いた。彼女はこのとき濃紺のダンガリーシャツを着ていたが、胸にはあの忘れな草がつけられていた。彼女に名前を尋ねようとしてためらった。女性に気安く名前を聞いていいのか?失礼なことではないのか?「とってもかわいい」と彼女は私に言った。私が口を開きかけたとき彼女は立ち上がった。「ごめんなさい。時間がないの」そして立ち去った。もちろん私は後を追った。だが、ある大樹の陰に走り込んだ彼女を追うと…彼女の姿はなかった。
それから私はいつも周囲に注意を払うようになった。いつ、忘れな草のお姉さんが現れるかわからないからだ。だが、なかなか現れてはくれなかった。
時が経ち、私は高校生になっていた。成長してあのお姉さんの年齢にずいぶん近づいたと思っていた。だが、会える機会はなかなか巡ってこなかった。
運動会の日。高校の運動会は見に来る父兄も少ない。私の出る種目は200メートル走と男子舞踏。男子舞踏とは空手の型に組み体操とダンスを組み込んだものだ。男子演舞の途中で私は彼女を見つけた。手を振り拍手をする彼女。その笑顔ははっきりと私を見ていた。演技が終わり私は彼女のいた場所へと馳けた。しかし……彼女はいなかった。あたりを走って捜した。代わりにあれは彼女だったという証拠が落ちているのを見つけた。忘れな草のブローチ。確かの彼女がここに。その頃から彼女に恋心を感じるようになった。
それが忘れな草のお姉さんと会った最後だ。彼女が誰なのかはわからないまま。大学に入り、就職してサラリーマンになったが、再び会うことはなかった。忘れな草のお姉さんの正体は誰だったのだろう。ひょっとしたら、あの懐かしい感じは親しい人なのではないか?いや、思いあたらない。やがて私はある女性と知り合い結婚した。結婚相手があのお姉さんではないかと夢想したこともあるが、似たようなところもないではないが、お姉さんとは違っていた。私はなにごともなく人生を過ごしていったが、脳裏からお姉さんの面影がなくなることはなかった。私に娘が生まれた。成長していく過程でふと、あのお姉さんは娘だったのではないかとも思った。だが違う。私のことを毛嫌いし、ろくろく話もしないまま誰かと恋愛し、嫁いでしまった。
それから何年か経って娘夫婦は近所に引っ越してきた。スープの冷めない距離だ。
そして孫娘が生まれた。孫娘は不思議に私になついた。彼女は成長するにつれて、私の若い頃のことをしきりに聞きたがるようになった。その頃だった。私の身体に死病が見つかったのは。この先あまり長くはないようだった。私を慕ってくれる孫には、そのことを包み隠さず話した。孫はそれを聞いて号泣したが顔を上げて言った。「私、テレビのアニメでタイムマシンのことを知ったの。私、発明する。そしたら、昔のおじいちゃんに会いに行っていい?」私は大きく頷いた。そしてまだ幼い歳の孫に、忘れな草のブローチを渡した。
人吉球磨アンバサダーズインタビュー第7弾|火の国サラマンダーズ様のインタビューを公開!

人吉球磨にゆかりのあるプロフェッショナルたちが語り尽くす「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」。
7回目となる今回は、2020年に熊本県初のプロ野球チームとして誕生した火の国サラマンダーズの石本裕大選手と河添博司選手が登場します!
人吉市出身で、小さい頃は同じ少年野球クラブにも所属していた両選手。
幼少期から球磨川で遊びまわり、高校時代には人吉城の石段でトレーニングするなど、地元・人吉で野球選手としての礎を作り上げてきた熊本を代表するアスリートです。
インタビューでは地元人吉が被災した当時の率直な思いや火の国サラマンダーズを通じて行ったボランティア活動や野球教室活動、そして熊本で野球選手としてプレーできる喜びについて、存分に語って頂いております。
地元・人吉で生まれ育ち、熊本を元気づけようと懸命にプレーする両選手だからこそ語ることができる素朴ながらも熱のこもったインタビューとなりました。
ぜひ、サイトでご覧ください!
人吉球磨アンバサダーズ インタビュー::火の国サラマンダーズ
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◇「人吉球磨アンバサダーズインタビュー」について
人吉球磨に所縁がある表現者たちのインタビューを掲載したwebコンテンツです。
各界で活躍する表現者の方々を、「アンバサダー(大使)」に任命し、インタビューを通じて人吉球磨がもつ価値や魅力を再発見していきます。


