こちらではお知らせしておりませんでしたが、四月に新刊が出ました。
「たゆたいエマノン」です。今回は長編ではなく五つの短編から成ります。ご存知とは思いますが、エマノンという美少女が主人公のシリーズです。三〇億年という地球生物の先端にいて、その記憶だけを代々引き継いでいる存在ですが、本書には、新しい趣向を取り入れました。
「おもいでエマノン」(新装版)に収録されている「あしびきディドリーム」に登場するヒカリというキャラクターです。エマノンと同じく美少女ですが、エマノンとは異なった特殊能力を持っています。
ヒカリはアトランダムに時間を跳躍できるのです。
実は「あしびきディドリーム」を書いていたら、ヒカリのことを考えるようになりました。エマノンも彼女ならではの苦悩を抱えているように、ヒカリもさまざまな疑問を持っているに違いないと。そして、エマノンとヒカリが実は親友だと設定した時点で、二人はこれまでどのように関わってきたか、と。すると、いくつものエピソードがするすると浮かび上がってきたのです。不思議なほど容易でした。
エマノンは過去から未来へ悠久の時を旅していて、ヒカリはアトランダムに時をジャンプする。エマノンが縦糸ならヒカリは横糸になり、物語が一枚の布として織りあがっていくと言えばいいのかな。
このヒカリが、五編中三篇に登場し、それぞれの作品を微妙にリンクさせています。
ひょっとして、これからのエマノンにも登場するかなぁ、とぼんやり思ったりもします。
そして今月も、新刊が出る予定です。
キノ・ブックスから長編で「ディ・トリッパー」というタイトルなのですが。
タイトルを聞かれて、おや?聞き覚えがあると思われた方。
正解です。
私も若い頃はビートルズが大好きだったのですよ。この曲も彼らが歌っていました。確か「恋を抱きしめよう」の裏面に入っていたはずです。曲も結構気に入ってました。
その曲のタイトルを拝借いたしました。
<ぼく>が夢中になった女の子は<ぼく>をその気にさせただけの日帰り旅行者で片道切符の女の子だった。彼女が相手してくれたのは一晩だけ。
みたいな歌詞ですね。記憶に間違いがなければ、ジョン・レノンの発言では、ドラッグでいっちゃってるのもディ・トリッパーの解釈でアリだということでしたよ。ヒッピー全盛期の時代だから。
で、私の小説の中ではディ=時間をトリップ=旅行する機械というコジツケです。つまり、タイムマシンですね。
ただ、これまでの小説に出てくるタイムマシンとは少し違います。私の小説の中には、クロノス・ジョウンターなるタイムマシンが登場します。過去の悲劇的な出来事を防ぐために跳んだりするのですが、よく考えると、過去の自分と飛んで行く自分と二重存在になるのです。これは大きな矛盾になるのですよね。
しかし、ディ・トリッパーでは、この矛盾は解消されています。ヒッピーがグラスを喫ってトリップしたように、この小説の主人公の女性も過去にトリップします。ただし、彼女の心だけ。
過去の自分の肉体に精神だけが飛び込むのです。それであれば、二重存在の心配がなくなるのでタイムパラドックスが発生する率も少ないというわけです。
なぜ、彼女は過去にいきたいのかというと、彼女の夫の突然病死で、心が折れてしまっていたのです。
夫を愛していた彼女は、もう一度、夫に会いたと願うのです。
もう一度、夫と話したい。側にいたい。その願いを叶えるにはディ・トリッパーを使うしかない。
しかし、ディ・トリッパーを使うには、守らねばならない約束がある……。
そんな話です。
ふっ、と思いついたタイトルなのですが、そう言えばビートルズの曲名をタイトルにした本はベストセラーが多いなあ、と気がつきました。
偶然かな?すぐに、いくつかの本が頭に浮かびました。
いいぞ。そういうジンクスがあるのなら、乗っかってみようじゃありませんか。うまくいけば……。
いや、ひょっとしたらビートルズの曲名をつけてベストセラーにならなかった初めての本になったらいやだなあ。
祈るしかありません。神さま、仏さま、ジョン・レノンさま。
皆さま、よろしくお願いします。
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第150回 きな子の顛末
きな子というのは、わが家のメス猫。それが突然の失踪。二月二十八日のこと。
「きな子が昼過ぎからいないよ」と娘から夕食のときに聞いたのですが、そのときは深く考えませんでした。これまでも朝帰りすることはときどきありましたからね。
「そのうち帰ってくるんじゃないか?」と私は言っておりました。
翌日、翌々日。孫まで「変だ!こんなに姿を見せなかったことないよ」と。そう言えば姿を見ない時間が長すぎる。きな子は不妊手術をしているから発情して駆け落ちしたわけでもないだろうし。心当たりの近所を捜しましたがやはりいません。
「近所の変質者がきな子を部屋に閉じ込めているんじゃないか?」「保健所と警察に届けておくべきだよ」
それで失踪した日のことを家族で必死で思い出しました。わが家は今、建替え中で業者さんが入れ替わりにやってきます。そんな業者さんの軽トラックに乗っていて移動してしまったんじゃないか説が浮上。
「あの朝までは、いたんだから」きな子は好奇心の強い猫で、前にもトラックに飛び乗ったところを慌てて下ろしたことがあります。その日、午前中工事をしていた電気配線のトラックかも、と。娘が業者さんに連絡をとりました。西まわりバイパスから三号線で南下。そして次の工事現場の宇土へ。
娘はパソコンで「きな子手配書」を作成。コピーして近くのコンビニや電柱、スーパーなどを回りました。
それが失踪後一週間目ですか。私もツイッターとフェースブックで情報提供をお願いしました。皆さんに心配していただき、アドバイスをいただきました。全国津々浦々まで情報は拡散し、三千二百リツィートされています。それでも手がかりがなかったので、娘は地方新聞に猫捜しの広告を出したほどです。
広告が有効だったのかどうかわかりませんが、電話は数件かかってきました。宇土の方から「うちの裏で、きな子~、きな子~って叫びよったのはおたくだろ?見つかるとよかな~」というお爺さん。娘は宇土まで捜しに行ったらしい。「西まわりバイパスで一昨日、よう似た猫ば見ましたばい」
三月十日を過ぎると、さすがにもう駄目かも……と弱気になりましたが、「うちの猫は一年後に帰ってきました」というツイッターの励ましの書き込みを見ると、諦めちゃいけない、と。
そして三月十三日の午前四時半。近くの花岡山に散歩に出かけました。私にとって花岡山へ行くのは日課のようなものです。最近は山頂にポケモンのジムがあるので、毎朝私のポケモンを散歩がてらに乗っけに行くのです。すると、山頂近くで、何かが走る。まさか、と思いました。ひょっとして。
「きな子!」と叫ぶと、影は立ち止まりました。続けて何度も叫ぶと走り寄ってくるじゃありませんか!!
世の中に奇蹟があるなら、まさにこれだと思いました。足にまとわりつくきな子を抱き上げて、慌てて娘に電話して鳴き声を聞かせましたよ。
急いで連れ帰ると家族は皆、外まで出迎えに!そして記念撮影。SNSでの報告。
娘は捜索依頼書を、見つかりましたの報告書に差し替えました。「猫見つかりました!三月十三日午前四時半、花岡山にて発見しました!!父がたまたま早朝にポケモンGOをしに花岡山に行き、奇蹟の遭遇を果たしました!!協力していただいた皆さま、祈っていただいた皆さま、本当にありがとうございました!!」
すると、ツィッターのリツィート、及び”いいね”は、なんと一万を突破。
目を疑いました。その日の午後あたりから、仕事場の近くで声をかけられるようになりました。「猫ちゃんよかったですね」「きな子ちゃん、よかったですね。元気ですか?」「ラジオできな子ちゃんのことを言ってましたよ」知り合いだけではなく、見知らぬ人たちからも声をかけられて。
それだけじゃない。遠くに住む親類から、「YAHOOニュースで見ました」「ねとらぼに真治おじさんの猫が出てる!」「MIXIニュースで知りました」
もう何がなんだかわかりません。
翌日、東京の編集の方とゲラのやり取りがあったのですが、「きな子ちゃんが見つかったそうですね。安心しました」とファックスに。
日曜に花岡山山頂のポケモンジムを攻めていたら、見知らぬ方から突然声をかけられました。「ひょっとしたらカジオシンジさんですか?」なぜわかるんだあ!
やっと落ち着いたかな、と思ったら極めつけが。
中国のSF雑誌「科幻世界」さんから成城で開催されるSFイベントへのお招きが。そしてその招待状の末尾に「きな子、見つかって本当によかったですね」と。
きな子!お前は世界的に有名になっているぞ!!!
で、きな子は今どうしているかというと、いつものソファーの上で目を半ば閉じて眠そうに、騒ぎなどどこ吹く風といった表情です。
ある日、突然にNASAから連絡が。
「太陽系外の、未知の超知性と覚しき存在から謎のメッセージが着信しました。解読分析を続けておりましたが、やっと判明しました。あなた宛のメッセージのようです。《キナコ・ノ・ハッケン・ヲ・シュクフクスル》おわかりでしょうか」と。
んなこと、ないか。
第149回 あれから一年
四月十六日で、あの熊本地震から一年を迎えるのですねぇ。
あっという間だったような気もするし、永い永い時間を耐えてきたような気もするし。
パニック映画ではよく目にしてきたような光景を実際に自分で体験してみると、これほど大変なことだとは思いませんでした。数ヶ月は極端に執筆量も減りました。今年度の確定申告をやろうとして、収入減に愕然としましたものね。我が家は半壊して仮住まいを。そして解体。
周囲を見ていると、我が家の解体は早くやっていただいた方でしょうね。まだ、解体待ちのお宅がたくさんあるような気がします。私の仕事場は、熊本市の古町界隈にあるのですが、このあたりは戦災を免れた地域で古い町家も多い。だから、耐震性はまずありません。地震後、行政の調査があり建物の判定が行われました。緑色の紙が貼られれば安全ですが、古町はほとんど黄色と赤色。黄色は注意を要するもの、赤は危険。赤も「建物が傾き、全壊の恐れがあります」「屋根が落下する恐れがあります」でした。そんな建物が、今は殆ど消え去っています。次の建設にかかれず空き地のままになっているので、歩いてみると凄いです。あちらこちら歯が抜けたように空き地。
あれっ。ここに建っていたのは黄色紙の家だったのに無くなっている、と思っていたらその家の方とばったり。「解体されたのですねぇ」と尋ねると「市役所の判定は半壊だったんです。でもね、修理の効く半壊と、とても住みようのない半壊があると思うんですよ。我が家は外見はそれほど酷いようには見えていなかったから半壊判定でしたが、内部はとても住めるものじゃなかったから。うちは住めない半壊」
更地にはなったものの、次の家を建てる目処がつかないという方も多いことを知りました。
「地震保険に入っていたことは入っていたのですが、調査で半壊判定だと全額は出ない。半額しか出ない。火災保険の半額の半額。住めないんだから全額出してくれればいいのに。復興なんて夢の夢。若けりゃ返済能力あるからなんとか、と思うこともあるだろうけれど、この年齢だとねぇ」
「だから、いつまでも更地」と肩をすくめられました。そんなことを書いている私の仕事場の横でも解体が進行中。重機の音の中で仕事をしている気がします。
歩いていると、震源地から遠く離れているのに更地が延々と続くことに気づきます。そこまでは何ら地震の影響を受けていないようなエリアが続いていたのに。何故か、突然に。つまり、そこを断層が走っていたということなのかな。被災の状況がひどいのは、震源地に近い位置だけに限ってはいないのです。
それでも、震災から一ヶ月のインフラ壊滅からすれば、社会が正常なリズムを刻み始めたということは、よくわかります。震災地で生活する私たちも、世の中が元のリズムに戻っていくニュースを心待ちにしています。映画館が再開したと聞けば喜び、商業施設が販売を始めると知れば歓声を上げました。そして、熊本城の被害の甚大さには、泣きそうになってニュースを聞きました。
JRも動かなかったし、すべての店が閉まっていた。道路も塞がれたし、橋も渡れなかった。水が出ない。電気も来ない。そして何よりも、闇の中で何度も襲ってきた余震。
そんな話題は、最近は思い出したようにしか出なくなったみたい。そして、あのときの時間の経過は信じられぬほど速かった、と今になったら思えるのです。というよりむしろ、あれは現実のことだったのだろうかと思ってしまうのですねぇ。
さて、私は熊本市の中央区と西区の境に住んでいるのですが、今でも熊本は不定期に地震が続いています。しかし、最近は一年前の益城や南阿蘇の震源ではなく、熊本市西区というのが多いのです。
これは、私にとって不安なことではあります。地下の歪みは今、我が家の下あたりに移動してきているのではなかしら、と。
一年を迎えて、ほっと出来ている方は熊本には皆無だと思いますよ。誰もが大きい小さいはあるでしょうが、心的外傷後ストレス障害を受けてしまっているのですから。余震は、これからも数年起こり続ける可能性が言われていますし。だから、こんな不安は当然でしょう。しかし、私は熊本が好きだから、何が起こっても受け入れるんだろうな、と思います。
よく大絶滅のことを考えます。
地球は生命が発生してから五回の大絶滅を体験しているのです。ほぼ二六〇〇万年毎に。そして一掴みの種が生き残り、繁栄し進化するということを繰り返している。
もし、次の大絶滅があれば原因は何であれ人間はいなくなるでしょう。
受け入れるしかないではありませんか。その前にも、いくつもの人間という種の破滅の機会はあるでしょう。
そんなことを考えたら、余震の不安よりも、今何が出来るかを考えて生きたいものですよ。
次の一年で、より復興が進むように。
第148回 桜三月夢見月
早いものですね。あっという間に三月を迎えます。
三月と聞くと、昔から私は「夢見月かぁ」と思ってしまいます。三月は弥生というんですが、別の呼び方で花見月とか夢見月とも言います。三月には桜も咲き始めるのですが、桜のことを夢見草とも言っていたので、夢見月という言い方が生まれたのだそうです。
夢見月という名はわたし的には大好きです。ロマンを感じますよね。三月というと、慌ただしそうだなぁ、と焦立ちさえ感じるのですが、夢見月というとホンワカした長閑な気分になってくる。
春眠暁を覚えず、とも言うではありませんか。春になると、どれだけ眠っても寝足りない気分になりますよね。夢見月って、てっきりそんなところから来た言い方なのかなとボンヤリ思っていましたが違っていました。
四月は日本では新年度ということで、新入学、新入社、はたまた異動で新しい赴任地へ、という節目の月だと思います。そんな時期に入る前の月として、誰もが新しい環境に希望を膨らませ、理想を夢見る時期だからとも解釈したことがあったのですが、それも違うだろうという気分。
単純に、夢を見る月だから夢見がいい月で、夢見月と考えたほうが楽しいな。
といっても、夢にも、見たい夢と見たくない悪夢があったりします。できたら楽しい夢やら、会いたかった人と一緒に過ごせる夢がいいですよね。
最近、スマートフォンのアプリで「見たい夢が見れる」というものがあることを知りました。どうやるかというと、アプリに見たい夢のメニューがあり、そこから自分の見たい夢を選んで起床時間を指定し、スマートフォンを枕元に置いて寝るんだそうです。するとスマートフォンが睡眠状態を検知して、選んだ夢にちなんだ音声を流すとのこと。
本当に見れるんだろうか?
私の見たい夢は恥ずかしい夢だから、メニューには載っていない気がするなあ。もご、もご。
どこまで覚醒していて、どこから眠っているのか、境のわからないことがよくあります。若い頃は、身体が疲れていて夢も見ないで熟睡していたということもありましたが、最近は、「眠れないようなぁ」と自分では目を覚ましているつもりで、どうしてこうも眠れないんだろうなぁと愚痴っていると、突然に目覚まし時計が鳴り出して、「ハッ!」起きていると思っていたのに夢だったのか、と愕然とすることがあります。もっといい夢ならいいのに。
眠れない、と苦しんでいる夢なんて、凄く損した気になりますよね。これは境の分からない夢の例。
逆に、何やら吉報が次々に舞い込んで来る夢とか、松茸の大群生を見つけて狂喜乱舞する夢とか。オードリー・ヘップバーンが若いまま会いに来てくれて、流暢な日本語で話しかけてくれるとか。目が覚めたとき、なんだ夢かよとわかって悔しですが、こんな夢は「なんだ夢かよ」だったとしても、いつまでも覚えています。夢でもいい。体験した記憶は残るから。
で、ときどき、ああ夢を見ている、これは夢なんだ。今自分は眠っているんだなぁ、とわかることがあります。
夢には色がない。天然色の夢を見る人間は狂っていると、親類の精神科医に言われたことがあるのですが、こんなときは夢の色はモノクロではなくカラーですね。
明晰夢(めいせきむ)と言うのだそうです。この夢を見ているとき、これは夢なんだから、せっかく夢に出てきたんだから、夢の中の出来事は誰にも咎められない、と考えている自分がいる事に気づきます。
実は私は禁煙して十年近くになりますが、今でもタバコを吸おうとしている夢を見ます。これは夢なんだが、きっと潜在意識下ではタバコを吸いたがっているからこんな夢を見るんだろうな、と。で、夢なんだから吸ってもいいんじゃないか。そう考えていると、誰かが火の着いたタバコを手渡してくれる。それを口許に持っていくとタバコの匂いがはっきりする。夢なのに。
そして、咥えようとした瞬間。
目が覚めるのです。
夢であろうと、タバコを吸ってはいけない、と自己規制が働くのでしょうね。よほど私は本質がクソ真面目にできているというか。
明晰夢を見る方法を掘り下げていくと、もっとバリエーションに富んだ自由な夢を体験させてくれる技術が開発されるような気がします。そしたら、夢オチも、もっと複雑な話でアリ、ということになる気もしますし、夢見屋という職業ができたらやってみたいものです。
夢見月ですから夢みたいなことでご勘弁を。
第147回 節分道指南
「ただいま~」
ドアが開きハク夫が入ってくる。
「お帰んなさい。パパ、買ってきてくれた?」
迎えに出た妻のタケ子が言った。
「ああ、節分用の豆と鬼の面だよ」
「早く豆撒きやろうよ」と息子のシロ夫がはしゃぐ。するとハク夫の後ろに見知らぬ老人がいた。痩せて白い髭が生えている。
「あら。あなたお客さんを連れてきたの?」
老人は履物を脱ぎ、づかづかと上がりこむ。
「こほん。失礼する。私は節分道指南をやっておるもの。こちらの主人を商店街でお見かけしてのう。どうも節分の用意をしておられるご様子。これは捨て置けぬと、無理を言ってご一緒させて頂きました。私がぜひ正しい節分豆まき作法を伝授いたします。節分道の真髄を指南させてくだされ」
タケ子が呆れてハク夫を見ると「お断りしたが無理についてこられた」と肩をすくめた。
「じゃあ、急いで豆撒きしてお引き取り頂きましょう」とタケ子。
「もちろんですとも。正しい豆撒きを伝授したら、すぐに引きあげます。まだたくさんのご家庭が私の指導を待っておられるから」と、老人。コートを脱ぐと中からカミシモ姿が現れた。
「これが正装でしてな。いや、皆さまにここまでは要求しません。さて、豆を枡に入れなされ。なぜ豆を撒くか解るかの?魔を滅する!これが縮んで豆になったのじゃ」
老人が枡を出す。息子のシロ夫が、買ってきた殻入りピーナッツを出すと、老人は大きく目を剥いた。
「豆撒きに落花生とな。これは地下に出る実じゃ。豆じゃない」
「しかし、これしかないのです。撒いても剥いて食べられるから汚くないし」
情けないという様子で老人は首を振る。
「仕方ない。さあ、撒きましょうぞ」
ハク夫が鬼の面をかぶろうとすると、「何をなさる」と老人。
「はい。鬼の役ですから、面をかぶり逃げ回ります」
「邪気を払うが豆撒きの真髄。一家の家長が邪気を演じれば、鬼は喜ぶばかり。ご主人が豆を撒きなされ。鬼役は、お子や奥さんがなさればよろし。さあ、皆、鬼の面をかぶって」
仕方なくタケ子とシロ夫は鬼の面をつける。
老人は玄関の扉を大きく開け放つ。寒気が室内に流れ込む。寒いよぉ、とシロオが震えあがった。
「何をするんです」
「節分は立春の前日です。立春とは二十四節で一番寒い頃。これから寒さが反転して日々暖かくなっていくのです。邪気すなわち鬼がそこを狙って入ってくる。寒いのは、当然。邪気を追い出すのは玄関からと決まっておる。ましてや子どもは風の子です。心配はいらん。そして家の中に福を呼び寄せねばならん」
そう言って奥の部屋まで扉を開け放つと、寒風が玄関から吹き抜けていく。
「さあ、ご主人。豆を撒かれよ。掛け声は腹の底から、邪気を退散させる気持ちを込めて。あいや、鬼は外~と」
「鬼は外~」
「だめ、だめ、声に精気がありませんぞ。それじゃ、邪気を呼び寄せとる。そして、豆を放つ腕の位置。それでは邪気がヘラヘラ笑いをするでしょうぞ。言力を込めて唱え、豆を集中して放つ。それでこそ邪気にダメージを与える。この家にはおられない!そう邪気に思わせる気迫で。腕は水平に突き出すように。よろしいですか」
「は、はい」
「福を呼び込むときは愛しさを込めて。福の神は恥ずかしがり屋です。身をくねらせ、迷いつつ入ってくる。笑顔で優しく迎えるのです。その役は奥さんがよろしいかと」
「いえ、家内はそんな繊細なものではないので、鬼のほうが適役かと」
「あなた!!!何言っとるんじゃい」
「ほら、ほら、ほら」
「むう。では奥さんもお子さんも鬼の役で。福な役は、なしと」
「いそいでやりましょう」
「続けなされ」
「鬼は外~、鬼は外~」
「寒いよー、パパ、痛いよ」
「もう、いい加減にして。いつまでこんな訳のわからん爺ぃの言うことを聞いてるの?シロ夫が風邪をひいたらどうするの」
ついに怒り心頭に達したタケ子が老人の首根っこを掴んで外へ放り出す。
息子のシロ夫が老人に豆を投げつけて「鬼!」
タケ子も枡を投げつけて「鬼!」
老人は感極まったように「そう。その迫力ですぞ。極意をご家族掴まれましたぁ!」
ハク夫はオロオロするばかり。
第146回 年男のモノローグ
私のことを知りたいのかい?もの好きだね。
仕事かい?”年男”ってやつをやってるんだが。
同僚は私の他に十一人いて、大昔からこの職に就いているんだ。といっても別に働いているわけではない。当番制だ。自分の番が廻ってきたときだけやればいいから気楽なものだ。
あ。ありがとう。飲まないんだ。
ふだんは、人間社会に紛れ込んでいる。人の姿に見えたり、姿そのものが周りから見えてなかったりと色々だ。姿が見えていても、あまり目立たないかもしれない。公園や家のベンチに座っているとあまり平凡すぎて誰も私に注意を向けることはない。
そんなとき何をしているかというと、まあ、何もやることがないからぼんやりしている。たまに気がつく人がいても、どこかのホームレスが世の中を悲観してしょげているんだろう。まあ、自分には関係ないことだと、そそくさ立ち去ってしまうのがオチだ。
実は、それが、”年男”の私。
ぼんやり見える私だが、同僚の仕事ぶりはうまくやっているか注意深く観察させてもらっている。しかしよく私のこと気がついたね。
私はトリ年の”年男”。
年男は当番の年になると大忙しだ。その年の正月は目がまわる程だ。年男がその一年の世の中のイメージを決定づけるのだから。
ネズミ年の年男は、子孫繁栄のイメージを世の中に撒き散らす。繁殖率が高いことで、そんな連想が働くのだろうね。ちょこまかと動くので行動力を示しているようでもあるし。
ウサギ年の年男は、見るからに優しそうだが、声をかけると言う言葉も穏やかだ。この男の担当年はそういう風に何事もなく過ぎていくのだろうなと思えたのだが、臆病な面は海外からわかるらしい。ウサギが優しいムードをつくろうとしている年は、海外が挑発してくることもよくわかるよ。
よくしたもので、翌年の年男はタツが引き受ける。タツになると、国には国防に積極的なムードが広がっていくからね。
だからといって、その年の年男のイメージで完全に一年の流れが決定づけられるということではないよ。ムードには染まるものの、気象条件や地殻条件で大きな変化が生じることだってある。
サル年だった去年がそうだ。サル年はシンボルカラーの赤ですべての運気を上向かせるということだったろう?確かに、そのような年明けで経済的に世の中は上向いていくムードに包まれていた。
だが、各地の天変地異までは予測がつかなかったはずだ。
サル年の年男は、「まあ、俺なりに盛り上げたつもりでいるよ。ただ、俺たちが世の中を動かしているわけじゃないからな。俺たち年男の役割ってムードメーカーなんだ、と思うよ。囃し立て屋というか。宮廷のハーレクインのようなものだよ」
そうかもしれない、と私も思ってるさ。
あくまで、年男の役割は人々の前に姿を表すことではない。世の中の人々は私のような年男のアバターの獣をイメージして一年を過ごすことになる。
実際の年男は、私みたいに冴えない貧相な中年男の姿をしているのだが、人々は年賀状に私たちの毎年のアバターを喜んで載せている。
もうわかるだろう。年男がどんな働きをするのかは。
今年も年明けと同時にすべての神社仏閣を駆け巡った。すべてのテレビやネット画面の中で目にも留まらぬ速さで動き回った。
そのような動きから連想するに、私に一番近いのはサンタクロースかもしれないな、と思ったりする。人々はサンタクロースを見たこともないのにイメージを作り上げている。いるのかいないのか?でも確かに幼い子供たちにとって、サンタクロースは存在してその役割を果たしているのさ。
年男の私もそんなものだろうと自分に言い聞かせている。
おっと、隣の席に座った縁だけで十分だ。
盃は気持ちだけ頂くよ。酒はご法度なんだ。
昔はよく飲んだよ。トリ年って酒年と書いていた程だからな。おかげで非番の年に飲んだくれて自分の番が巡ってきたとき、年男の役が果たせない泥酔状態だったというわけだ。
私の上司は怒りまくってな、私に禁酒命令を出しやがった。
で、それまでトリ年は酒年と書いていたのを、サンズイヘンを取り上げて、酉年にしちまった。
だから酉年は酒に縁のない、早起きの規則正しいイメージになってしまったというわけ。
少しはトリ年の年男の私のことをわかってもらえただろうか。
隣は水ばかり飲むやつだと不思議に思っただろうな。いや、どうでもいいよ。そんな冴えない親父がいたことを時々思い出してくれればね。おやおや注意して帰んなよ。あんたこそ酒年にふさわしい、立派な千鳥足になっているじゃないか。
第145回 復興城主になりました
さて、熊本地震から半年が過ぎました。夢を見たような気もしますが、解体されて更地になった我が家跡に立つと、夢じゃないよ、現実だったんだよ、と思い知らされます。
二回の震度七という烈震に見舞われた後は、しばらくアドレナリンの分泌が凄くて震災躁病状態が続きました。異様に早く依頼原稿を上げたり、変貌した街の様子を見に足が棒になるまで彷徨したり。
いやぁ、これほど様子が変わるとは。倒壊した家屋が道を塞いで通行不可能になっていたり。橋の外れてしまった川に、自動車が落ちないように黄色のテープが張り巡らされていたり。大渋滞の自動車の列を横目で見ながら歩きまわりました。歩いていても、道路が盛り上がっているのがわかるほどでしたからねぇ。
最初の地震のときは、なんとか頑張ろうと自分に言い聞かせて、しゃかりきになって作業に励んだのですが、二度目の地震で心が折れました。
もう、熊本は駄目かもしれない。本当、そう思いました。
そして足を向けたのが熊本城。
やはり、熊本城直下の商業施設、城彩苑(じょうさいえん)から上は入れませんでした。方々で石垣が崩壊しているのがわかりました。よもや……。
熊本城が見えました。満身創痍。
屋根瓦が落ち、土埃をまだ舞わせてはいるものの、熊本城はなんとか立っていました。
よかった。
心から、そう思ったものです。
熊本は、まだ、いける。
熊本城から、そんなメッセージを貰ったような気がしました。
もちろん、今だに城内には入れませんし、城の周囲を歩けば、崩落した石垣の山を方々に見ることができます。
熊本城が元通りの姿を取り戻せば、真に熊本が復興したと心から思える。皆が、そう思ったはずです。
そして、半年が経過した十一月一日から、熊本城の復興城主制度がスタートしました。これまでも、熊本城一口城主制度はあったのですが、今回は熊本城の再建に絞り込まれています。一人一口一万円以上。
もちろん、私は大喜び。
別にどんな特典があるというわけではありません。城主手形と熊本城ブックレットがもらえるくらいのことです。あ、それから書いてはありませんが、熊本城再建という「希望」を貰えます。
朝九時から城彩苑の湧々座にて受付するということで、初日に、朝から出かけました。九時前に到着というイメージで。ところが……仰天しました。九時前なのにもう数十人の列が出来ていました。九時五分にはもう手続きを終えて仕事場へ戻れると思っていたのに、大きな誤算です。なかなか列は進まない。テレビカメラが来ていて隠れるのに苦労しました。
待っている時間が長くなり、前後の人たちと世間話が始まりました。その話題は、「自分はあの時」という「我が家の被災自慢」。二度目の揺れのときに夫婦喧嘩をしていたのが、おかげで仲直りできたとか、揺れで土間まで飛ばされたとか、倒れてきた箪笥が、身を伏せた眼の前の壁で止まって潰されずに済んだ。もう、そんな話ばかり。我が家のぐうたら娘が避難所でテキパキ皆のために動いていて感動した、といった心温まるエピソードまで。水が不足して、インスタントラーメンをポリポリ齧ったとか、皆で笑いながら。おもしろおかしく。これが今の見知らぬ熊本人同士の話題なんだなあ。
みなさん、我が家が被災してのっぴきならない状況なのに、熊本城の復興城主にならんと我先に寄付の列に並ぶ。
熊本の新しいもの好きを「わさもん」といいます。わさもん、そして熊本城好きは熊本人の気質なのかなあ。あ、私も同じか。そんな熊本の人たち、私は大好きですよ。
と、振り返ると列はぐんぐん伸びて長蛇に。係の人に尋ねたら、なんと四百人は並んでいたとのこと。凄いぜ!
熊本城は、熊本のランドマークだ!と私は思っています。熊本城が復旧したときに、熊本が復興を完全に果たせたと実感できるだろうな、と思っています。
それが何年後になろうとも、必ず復元されて素晴らしい勇姿を取り戻すと信じつつ。
第144回 ポケモンGOで行こう
熊本地震復興シリーズ。今回は書くことはありません。わが家の解体が終わり地鎮祭も終了。猫たちと裏の借家で新居完成まで仮住まい。まあ、エピソードが諸々たまりましたら、次回書くことにしましょう。
それで、今回は目下の私の嵌まりものについて書きましょう。
今、ポケモンGOに入れ込んでいます。
ポケモンはポケットモンスターの略で子供向けのアニメ。正直、私はこのアニメには何の興味もありません。ピカチュウなるポケモンが人気があるなという程度の認識でした。
ある日、海外のトピックでポケモンGOなる携帯ゲームが発表され大評判になっていることが紹介されていました。大人たちがスマホを手に街中をうろつきまわる様子をテレビで見て、異様な感じを受けました。どうも画面の中には現実の風景とともに日本アニメのキャラクターがいるようなのです。
頭の中をいくつもの「?」が行列しました。
スマホゲームだろう?大の大人が揃いも揃って何をやっているんだ。嘆かわしい。
そのポケモンGOは海外で先に配信されたのですが、やがて日本でもスタートすることになりました。当然国内のフィーバーぶりもニュースになりました。スマホを覗き込んでいる大人たちが、一斉に同方向へ走り出す様は集団催眠のようでした。もう日本は終わりかな、と思いました。世も末だと。
そんなことは自分には無縁な話だと思っていたのですが。
山の仲間が登山口でポケモンGOをやり始めたときは、驚いて顎が外れるかと思いましたよ。スマホ握って「おっつ。新しいポケモンがいる!」と探し回る姿を見て、思いました。ポケモンどころか、こいつらは呆けもんだ!と。まさか、彼らまで汚染されるとは。わしは絶対にやらないぞ!心に決めました。
すると、東京から来た編集さんまで。
「やり始めたばかりですが、今、レベル3です。編集長はレベル7になったと言ってました。社内でもポケモン捕まえますよ」
私は、毎朝5時に起きて近くの花岡山という里山の頂上まで散歩します。そして、いつものように花岡山へ出かけたある朝のこと。
魔が差しました。ポケモンGOのアプリをインストールしてしまったのです。
画面の中で、私はポケモントレーナーになり、百数十種類に及ぶポケモンたちをコレクションする任務を与えられたのです。ゲームの中で、私は短パン金髪のうら若い女性となりました。町にポケストップという場所があり画面に表示されるので、そこでポケモン狩りに必要なボールや、ポケモンを逃しにくくする木の実、ポケモンの傷を癒やすキズぐすりを集めて準備を整えます。歩いていると近くにポケモンがいることをスマホが教えてくれるので、周辺を探し回らねばなりません。見たことのないポケモンは「近くにいるポケモン」欄にシルエットで表示されます。
ポケモンGOを始めた日の朝の散歩の歩数は1万歩を突破しました。いつもは6千歩くらいなのに。新たなポケモンを図鑑に入れると嬉しくてたまりません。
嵌まりました。
世の中では「もうポケモンGO飽きちゃいましたよ」という人続出ですが、私は病膏肓です。新たなポケモンを探して1日何キロもうろつきまわります。あまりに歩きすぎて夜中に足が攣る始末。
ポケモンを捕獲するボールをゲットするためにポケストップ巡りも欠かせません。このポケストップの場所も規則性があるのかないのか。お地蔵さんやらモニュメントやら看板やら。「こちらの部屋はポケストップみたいなんで失礼します」と、私の仕事場にスマホを手にした若い女性が次々に訪ねてくるという妄想まで。
近場では同じようなポケモンしかいないのでツイッターで検索する。すると、どこそこがポケモンの巣だ!いろいろ出るぞというつぶやきが。じっとしておれず、噂の公園や港へと出かけます。噂になるスポットだけあって、スマホを持ってうろついている人の多いこと。性別も年齢層もばらばら。そういえば、ポケモン呼び寄せ効果があるモジュールというアイテムをポケストップに仕掛けると、ポケモンよりもスマホを持ったむさ苦しいオヤジたちがワラワラと集まってきて、気色の悪い思いをしましたよ。
私のような年齢のものがやっていると、同類と思うわれるのかな?熊本港ではジャージ姿の無精髭男に「ラプラス出ますよ」と話しかけられました。嬉しいのか、やたら話しかけてくる。聞けば熊本市の反対側の公園と港の間を、毎日歩いてて往復している、と。無職ですか?食っていけるんですか?とは、とても聞けません。でも、風体の怪しいプレーヤーが多いなあ。
ツイッターでポケモンに関するつぶやきが増えたから、私の周辺の皆さんの話題にも出ますね。先日、長崎県立大で学術講演会をやりましたが、担当の教授さんから「キャンパスのポケストップによくカモネギが出るんですよ」と画面を見せられました。タハハ。
図鑑は110種類埋まりましたが、末永くやっていくつもりです。完璧な図鑑になるまで。
子供の頃から昆虫採集やキノコ採り、山菜採りが大好きだったから、その延長ですかね。
いや、男の子の心を持ったまま成長した人だったら、誰も没頭してしまう要素があると思いますよ。
歩きスマホだけは注意して。
第143回 震災ハイが鎮まって
震災直後に出たパワーは何だったのでしょう。あのような状態を、どうも震災ハイと呼ぶようです。とにかく、こんなときにへこたれてはいけないと、水を求め物資を探して駆けまわったことを思い出すと、まるで嘘のような気さえする今日この頃です。
ほとんど眠らずに片付けをやり、仕事場で書きまくりました。水か使えるようになってシャワーを浴びたとき、身体の方々に青あざができていたのに気づき、なぜこれで痛みを感じなかっただろうと不思議でした。
ハードボイルド小説を読んでいて、やたら血走った人物が出てくると、アドレナリンが匂うような気がする!と表現されたりします。どうも、震災当時の私もアドレナリンの分泌が増えていたようです。ほら、『アドレナリン』という映画があったではありませんか。アドレナリンを抑制して死に至らしめる毒を盛られた主人公のジェイソン・ステイサムは、助かるために興奮状態になって体内にアドレナリンを出しまくらなくてはならなくなるって話。
あれですよ。
アドレナリンは副腎皮質から分泌されるんですが、ストレスに晒されたときに出る。たとえば、戦争時とか、凄まじい恐怖に遭った時とか。もちろん、命の危険を感じる震災とかは、アドレナリンが出るには理想的な状況。
アドレナリンの影響を受けると、のべつ覚醒している状態で、瞳孔は開きっぱなし。戦場では大怪我をしても痛みをあまり感じなかったりするのもアドレナリン効果。火事場の馬鹿力もそう。瞬間的にふつうではとても持てない重いものが抱えられたりとか。火事場のアドレナリンですね。副作用としては消化管運動低下がありますが、これも思い当たります。4月24日の深夜のこと。熊本地震からちょうど一週間過ぎたくらいかな。突然きりきりと胃が痛み始めたのです。もう何とも辛抱たまらん状態で、どの病院に行くんのがいいか迷って、地域医療センターの救急外来に飛び込みました。それが午前3時。地震の後、まだ救急外来は対応していないと受付で言われたのですが、悶絶状態で苦しんでいるのを見かねて、救急外来の担当ではないお医者さんが診てくれたのです。
「胃癌か十二指腸癌ではないでしょうか?」
「とりあえず薬を出しておきます。家の被害はどうでしたか?」
「壊れています。娘の住まいで暮らしています」
「そうですか。痛みはそのストレスからかもしれません」
つまり、アドレナリンの典型的な効果が私に現れたようです。
震災から日が経つにつれて、あれほど復旧作業の合間に書けていた原稿の量が下がっていきました。それに比例して胃の痛みも鎮まっているのですが。
今は我が家は解体寸前で、しゃかりきに後片付けをやってるつもりです。
ゴミを分別し、運び出し、再利用できるものはそのように。
新居の建設中に仮住まいするところにも生活のための荷物を毎日、蟻さんのように運ばなければなりません。そこで不思議なこと。
なぜでしょう。
午前中4~5時間荷運びをすると、全く身体が動かなくなるのです。
午後は仕事をしなくては、と心の焦りはあるのですが、だめだなあ、ちっとも字数がこなせない。
震災ハイ効果がなくなったのでしょうか?
このように心理的、肉体的に、思いもかけなぬ影響を震災は与えたようです。
他にもいろいろな影響を聞きました。
本震直後に私たちは自家用車の中で寝泊まりしたのですが、同じ姿勢で長時間過ごし、足の血管の詰まりからエコノミー症候群になってしまった人も。おかげさまで私たちの車内生活は短期間だったので、あまり影響はありませんでした。
後々に知ったことですが、震災後は認知症が進行するということがわかったそうです。
急激な環境の変化。地震のときのショック。いろんな要素が絡み合ってのことのようでした。
私の母も百歳近くで、今はケアハウスにお世話になっています。母がいるのは仕事場の近くなので、ほぼ毎日、休み時間を取って会いに行くようにしています。ですから、その震災後の認知症進行の報道を見た日は、いつもより注意深く観察しました。
「調子はどう?」と尋ねると、母は言いました。
「最近は餡ものを食べてないから、食べたいよ」と。ほう、これだけはっきりしていれば、認知症は大丈夫かな。
「この間、伊勢から赤福買ってきてあげたでしょう」と言うと、母はすかさず「そうだったかなあ。歳とってボケたから、よう覚えとらん」と。
うん、うん。大丈夫。
第142回 年金生活者、家を建てる
まだ、我が家は解体に至っておりません。解体業者さんの順番がまわってこないもので。
仕事場の近くに駐車場を借りているのですが、その駐車場に附属の建物がありまして。地震の後は「ヤバいよ!これぇ」状態になり、近々取り壊しますの貼紙があったのですが、なかなか取り壊し作業が始まりません。やっと7月末から解体が始まったほど。事情を訊ねると、解体件数が多すぎて、なかなか順番が回ってこなかったと。
熊本市の状況はどこも似たようなものです。
地震後、市内のビルは方々で表面に足場が組まれ、カバーで覆われています。蛹が孵化する前の状態のように見えるので、私はこんなビルを繭ビルと呼んでいます。繭ビルが孵化したときが復興したときかな、というイメージでおりました。
それが、ちっとも減らない。
我が家までなかなか順番回ってこないはずだなあ。
中央のマスコミではあまり熊本地震について触れられなくなりましたが、実は復興はあまり進んでいないのですよね。ある一定の比率で、復興を目指していたお店が閉店の結論に至ったことを知って哀しい思いをしたりしています。かなり努力された挙句、諦められたと知ると残念でなりません。
公園に行ってもわかります。仕事場近くの公園は自動車の駐車が禁じられているのですが、自動車がびっしり。車中泊をしておられるのですね。「半壊ですが、人が生活できる家ではもうありません。半壊と大規模半壊で扱いがなぜこうも違うのでしょう」と、支援の格差を嘆いておられました。そこいらは、他でも感じています。避難所で他の避難者のプライバシーのことや気遣いでノイローゼになりそうだという話はたくさん聞きました。だからといって、自宅の軒先にビニールシートで生活空間を作って過ごしておられる方が良いのかいうと、そうではありません。避難所暮らしの方は、避難者リストに名前があるので支援物資の配給が受けらますが、自宅軒先避難ではリストに名前がないので全く物資に縁がない、ということになります。
地震直後は”少し傾いているな”程度に見えた家屋も、大雨のためか余震による衝撃の蓄積のためか、”うわぁ、もう倒れそうだよ”となっている場面も。
我が家は高台にあるのですが、住宅会社の方は、解体のための重機が家に近づくときに「崩れた石垣が道を阻んでいて近寄れません。道を通してもらうか、小さな重機で少しずつ解体するかですね」とおっしゃる。
公的なところに道を通して欲しいとお願いしたのですが、今だに崩れた石垣のところは片道に「通行止め」の立て看板が立っていますから。どっちにしても、解体遅れの事情はいろんなことが輻輳しての結果ですね。
今年の地震の結果は年内にリセットして、新しい年には、新しい家で家族揃って迎えることになればいいなあ、とぼんやり思っていましたが、この様子で行けば、まだ完成までに二転三転ありそうです。今は、来年の節分は新しい家で「鬼は外、福は内」とやれることを願っています。
震災の後の仕事量を振り返ると、よくあれだけこなしたものだと自分でも感心します。その勢いが、今、猛スピードで低下しつつあります。
きっと、震災などのデザスター状況には人間を躁状態に持ち込む何かがあるのかもしれません。
“震災ハイ”というべきか。
きっと脳内に天然の覚せい剤のようなものが分泌されていたのではないでしょうか。
だから、震災直後は、さまざまな決断が震災ハイの状態でなされたのではありますまいか。
半壊ながら、とても住めない我が家ですが、これを何とか修理して住もうではなくて、二階の傾きや、大黒柱に走った無数の亀裂を見て、もう新築しちゃう!と即断したのは、震災ハイの心理状態以外の何ものでもないでしょうなあ。
建築工事契約書を交わして、今、眺めると、はあ!と溜息が出ます。
昔からの言い伝えで、こんなのがあります。
一日だけ幸福になりたいなら髪を切りなさい。
一週間だけ幸福になりたいなら結婚しなさい。
一年間幸福になりたいなら家を建てなさい。
新しい家を建てても、幸福なのは一年ということですか。
仕事を減らして、ぼちぼち余生を過ごそうか、と考えていたのですが、どうもそういう訳にはいかなくなったなあ。天はまだ、私をゆっくりさせてはくれないようです。まだまだ働かなくてはいけません。よろしくお願いします。
あ、ちなみに、さっきの続き。
一生幸せになりたかったら釣りを覚えなさい、と続くのでした。
私は、山歩きとキノコ採りで十分幸せです。