映画が好きなので自分でもよく劇場で映画を観る。学生の頃は金がなかったから深夜テレビで放映される映画は貴重だった。一部がカットされていたり、吹き替えだったりはするのだが、放映されることでたくさんの名作映画の知識を得ることができた。この深夜テレビ劇場が当時の私にとってどれだけありがたい番組であったことか。今は映画専門チャンネルを持つ衛星放送局があるのだが、思えば地上波の深夜テレビ劇場は、なかなか味のある番組だ。どれだけ名作映画に触れたことになるのかな。おかげで私の映画知識をかなり広げることができた。友人や知り合いからもお薦め映画を尋ねられることが少なくない。映画のアマチュア・コンシェルジュというところか。これも深夜テレビ劇場に感謝するべきだろう。
でも、最近は夜更かしが苦手になったから、深夜テレビ劇場は見ていないなあ。
そんなとき、友人がわたしのところを尋ねてきた。それほど熱心に映画を観る奴じゃない印象がある。だが、このときの彼の話題は…。
「おまえ、昔からよく深夜テレビ劇場を見てたよなあ。ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「いや、最近は夜が早いからあまり見ていないんだ。でも、珍しいなあ。君が深夜テレビ劇場の話題を出すなんて」
「いや、人に話すほどじゃないが俺も映画は好きさ。で、このところ夜中によく目が覚めてね。テレビをつけると深夜テレビ劇場をやってる。先々週だったかな、何気に見始めたらモノクロのサスペンス映画でかなり古い。タイトルは良くわからない。途中から見たからね。ただ、出てる男優には見覚えがある。荒野の決闘とかに出演していたヘンリー・フォンダだった。で、あれはなんて映画だっけ?」
「それだけじゃわからない。もっと詳しく内容を教えてもらわないと」
「監督もわかるぞ。ヒッチコックだ。本人が傘をさしてヘンリー・フォンダの後ろに立っていたから」
「『見知らぬ男』はヘンリー・フォンダだけれど」と答えたが、ヒッチコックが映画の中でどんな登場の仕方をしたか覚えていない。ヒッチコックは必ず自作に顔を出す。
「いや、ちがう。『見知らぬ男』は俺も観ている。共演している女優はオードリーヘップバーンだった。間違いない」
もし、それが本当なら、世に知られていないヒッチコックの幻の映画というところだろうか?
「面白かったのかい?」
「ああ。むちゃくちゃ面白い。逆転に次ぐ逆転で、はらはらどきどきよ。最後にあっという仕掛けがあって、寝ぼけが吹っ飛んでしまったほどさ」
「で、タイトルはわからない?」
「わからない。ヒッチコックの作品リストを見ても載っていない」
「お手上げだ。すごい体験ができたんだなあ。なぜか世の中に知られていない名作が深夜に放送されていたということか。その事情も気になるなあ。ごめん、正直わからない」
「じゃ、もしかして、昨日の深夜テレビ劇場も観てないんだな。なんと昨夜は黒澤明をやったんだ。三船敏郎が滅法強い浪人で出てくるやつ。モノクロでね。観たことない作品。」
「それは三十郎シリーズだな。『用心棒』か『椿三十郎』じゃないのか?」
「いや、その二本は俺も観てる。あれは違う三十郎だよ。海辺の寒村に浪人が来るんだけど、網元と網子が争っている。そこで飯を馳走になり名を尋ねられて、浜辺の黒松を見て言うんだ。『名前は……黒松…三十郎だ。いや、そろそろ四十郎かな』って」
「敵役は、仲代達矢かい?」
「そう。波座士の銛使い役だよ。こいつがなかなかの策士でね」
知らない。そんな黒澤作品があったとは。
「仲代の彼女役が吉永小百合なんだ。最後に海の上での決闘になる。小舟同士でだんだん近づいていってね。バックでドンドコ太鼓が鳴ってて。こんな傑作を観てなかったんだなあって。しかしこっちもタイトルがわかないんだよ」
彼の話に背中が総毛立った。彼は黒澤明の知られざる作品を見たのだ。前にはヒッチコック、今度は黒澤明。映画通を自認する私を持ってしてもわからない未知の名作があったなんて。それも無名の監督たちではない。敬愛し、映像研究もしてきた著名作家の作品であればなおさら。
「いやあ、面白かった。悔やまれるのは、なぜ最初から観なかったかということだ。最初からあのパワーでやっているなら途方もない傑作に違いない。せめてタイトルだけでもわかったはずなんだ」「残念ながら役に立てそうにないよ。ヒッチコックや黒澤の映画で観ていない映画があったなんて。お恥ずかしい。折角、尋ねに来てくれたのにタイトルすら出てこないなんて」
私は手をついて自分を恥じて頭を下げた。すると、彼は慌てて手を振る。
「いやあタイトルなんて、どうでもいいんだ。おまえなら深夜テレビ劇場を観てたんじゃないかと思って。深夜テレビ劇場はラスト近くでコマーシャルが入るだろう。それが家の近くオープンする居酒屋のCMで、行きたいなと思ったんだけど、メモを書き忘れてるんだ。おまえなら店の名を覚えているかもしれないと思って。そうか、わからないんだな?深夜テレビ劇場、観てないのか」
ええっ?
よりによって私に尋ねたかったのは……?
それかよ!!!
カテゴリー: 更新
第160回 貧乏神警報
どうも先週あたりから調子がおかしい。運転していてマイカーを壁にぶつけてしまう。自損だから保険が効かない。知り合いの不幸やら結婚式が続き、財布からお金が羽が生えたように飛んでいく。友人の保証人になっていたら友人は失踪、借金取りが押し寄せてきた。借金取りから逃げて、あるビルに隠れようとすると、老人から声をかけられた。
「どうなさいましたか?」
どうか匿ってくださいと訳を話す。ついでに、これまで自分の身に起ってきた不幸な出来事の数々も。
それを頷きながら聞いていた老人は、じっと私の顔を覗き込んだ。
「こりゃあ、おかしい。どうか部屋にお入りなされ」
言われるままに老人の後をついていく。そこは研究所のような部屋だった。老人は白衣を身に着けており私に椅子をすすめた。
老人は医者?それとも科学者?
「少し検査を致します。あなたの顔を見て非常に可能性が高いと思えましたので」
「何の検査ですか?」
「あなたが、借金取りに追われたり、やることなすこと金欠につながる理由を調べる検査ですよ。苦しんでいませんか?」
「苦しんでますよ。なぜ私だけが、と思います。真面目に生きている私はこんなに不幸なのに、知り合いのロクデナシたちはまともに働きもせず、人を苦しめて金持ちになったりしています。不公平な気持ちでいっぱいです」
「そうですか!では、顔を上に向けて」
言われた通りに顔を天井に向けると、素早く老人は鼻の穴に細い棒を突っ込んできた。
「ふあーっ。ふあーっ」と驚き叫ぶと老人は、
「すぐに済む。我慢じゃ」
老人は細い棒を鼻から抜くと台の上へ運び、試薬らしいものに浸したり、顕微鏡で観察したり。
「わかりました。間違いなかった。あなたは貧乏神に憑かれておりましたぞ」
「貧乏神に?」
「さよう。貧乏神に憑かれていたから、借金取りに追われたり、自損事故を起こしたりが続いていたのです」
「それが今の検査でわかったのですか?」
「そのとおり。貧乏神は何パターンもあるのですが、そのうちの一種ですな。貧乏神はウィルスでして、人のミームという思考の遺伝子に影響を与えるのですよ」
「そういうあなたは?」
「わしは人生の半分を貧乏神研究に捧げてきた。そして、ここは貧乏神研究所なのですよ。この世にはどんなに頑張っても貧乏から抜け出せない人々が山ほどいる。そんな人々を救い、何とか幸せになってもらう方法はないかと考え、この研究にいそしんできたのですよ。あなたがここに逃げ込んだのも何かの縁じゃったなあ」
それを聞いて目から鱗が落ちたような気分だった。貧乏神ウィルスに侵されていたとは。
「そうだったのですね。最近急に金運がなくなり、変だ、おかしい、と思っておりました」
「そうですなあ。実はあなたの貧乏神はA型で感染力が強い」
「えっ?貧乏神は感染するのですか?」
「もちろん。ここ最近、株価は下落するわ、仮想通貨も問題になるわ、何かおかしいと思いませんでしたかな?」なるほど。そう言われてみれば。
「貧乏神が大流行の兆しを見せているのですよ。しかも、流行っている貧乏神はA型だけではない。B型、C型も確認されている。A型を脱してもB型貧乏神、C型貧乏神が襲ってきますぞ。今や貧乏神警報を出すレベルだ」
なんと恐ろしいことを言い出すのだろう。
「貧乏神の感染爆発、これを世の中では不況と呼ぶのです。そして感染の規模が大きければ大恐慌になる」
「どうすれば貧乏神は退散してくれますかねえ。それよりもあなたは、感染しないのですか?」
「わしは大丈夫。あなたには特効薬をあげよう。そして他の型の貧乏神が感染らないように、ワクチンも射とう」
「じゃあ、あなたも」
「ああ、ワクチンを射てば感染しなくなる。なぜなら貧乏神はわしの体内で福の神に変わるからだ。だから、このビルも拾った宝くじが一等に当たり建てたほどだ。これも福の神のご利益」
「じゃあ、私もその特効薬をいただけて、ワクチンも射ってもらえるんですね。お高いんでしょうか?」
「いいや。支払いは幸運が舞い込んできて大金持ちになったときで結構だ。さあ、すぐに特効薬とワクチンを試すかね?」
「お願いします」と言いかけて、ちょっと考えた。これはなによりもいい機会じゃないか?
「悪いことばかりしてるのに大金持ちの奴がいっぱいいます。そいつらに貧乏神を感染してきますから、その後でワクチンと特効薬をお願いします」
前の記事
第159回 バレンタインの獣!
もうすぐバレンタインデーだな。女が好きな男を振り向かせるためにチョコレートを贈るんだっけ。なぜチョコレートを贈るのか知ってるかって?知ってるよ。
なぜかって?そんなに知りたいの?話してやらないこともない。そうか。じゃあ話してやろう。うん。昔はバレンタインデーなんかなくて、もちろんチョコレートを贈る習慣もなかったさ。
あるところに一人の少女がいた。きれいな少女というわけではなく、男とつきあってるわけでもなかった。好きな男はいた。でも、告白してもどうせ自分なぞ相手にしてもらえないと思い込んでいた。だから、好きな男の前でも知らんぷり。男はけっこうモテている様子だから、自分には縁のない人だな、と。でも、一度くらいはデートしてもらえたら、と思っていた程度のこと。
ある夕方、少女が家に帰っている途中、空から何かが落ちてくる光が見えた。その光はくるくる回りながら、少女の目の前の地面に激突。慌てて駆け寄ると地面には穴が空いていて、そこで鳥にも獣にも虫にも見える奇妙な黒く小さな生き物が動いていた。そして、かすかな声で助けを求めるように鳴いていた。このまま放っておけば死んでしまう。そう思った少女はそっと両掌で包むようにして家に運び、丁寧に介抱してやった。水を飲ませ、餌も与えた。なにを食べさせればいいかわからなかったから、自分が食べるのと同じものを与えた。それでもガタガタ震えていたので、寝るときは少女のベッドで一緒に休ませてやった。やがて元気になり、だんだん成長すると、黒い羽を持つ角の生えた人型の獣になった。そして、獣は人の言葉を覚え話し始めたのだった。
「いつも親切にしてくれてありがとう」と獣に言われて、少女は腰を抜かすほど驚いた。
「あなたは誰?獣なのに話せるの?」
「ええ。聞いて言葉を覚えました。私は空のずっと上、ヴァン・アレン帯に住んでいる生き物なのですが墜落してしまいました。助かったのはあなたのおかげです。もう大丈夫です。あなたに恩返しをしたいのですが、なにか望みはありませんか?」「わたしには別に望みなんてないわ」「でも好きな男がいるでしょう!私はあなたの心の中までわかるんです」
ずばり獣に心の中を見透かされてしまい、どぎまぎ。すると獣は、「その男にこれをプレゼントしなさい」
獣は大きく口を開き、喉の奥まで手を入れて、そこから小さな黒い粒を一粒づつ取り出す。そして一粒取り出すたびに、獣はうえええぇ、と漏らすのだ。八個ほどの黒く小さな塊を箱に並べると、なんとなくお洒落そうにも見えてくる。「チョコレートみたい!」と少女が言うと、獣は「そう。魔法のチョコですよ。好きな人に必ずあなたの目の前で食べてもらうこと」「汚くないの?」「きれいなものです」「でも渡せるかしら。渡せても目の前で食べてなんて言えないわ」「ほんとうに彼のことが好きでたまらないのなら、一度だけのことです。無理にでもお願いしなさい」
そして少女は男に、獣に言われたとおり勇気を出してチョコを差し出した。「ぜひ今、ここで食べてみてください」
不思議そうに男が一粒食べてみた。少女が男の様子を見ていると、みるみる男の目が潤んできて少女を見つめ始めた。それから「ああ、大好きだ。我慢できない!」と少女を抱きしめた。
それから……めくるめく愛の時間が流れ、男は少女の恋人になった。次の粒を食べさせると、男の愛はより深くなり……。
「ほんとに効果があったわ。あなた凄い」と少女は獣に礼を言う。
「天にいたときはキューピットという愛の天使だったんですよ。エヘン」と獣は胸を張る。
さて、その様子を見ていた隣の美女。美女なのに意中の男には振り向いてもらえない。なぜなら性格が悪いから。しかし、自分ではそのことに気づいていない。美女は隣の少女に頼んだ。「ねえ、あなたのバレンタインの獣(既にここで間違っている)を貸してよ。チョコを作らせるからさ」少女は、こんな性格の悪い美女に獣を貸したら獣がかわいそうと断った。
しかし、美女は少女の部屋に忍びこんで獣の首根っこをひっつかみ誘拐してきた。そして獣を小突いて「さあ、男をメロメロにするチョコを作れ。作れるんだろ。作らないと酷い目に遭わせるわよ。わかったか、バレンタイン!」
これ以上酷い目に遭いたくなかった獣は、「わかりました。ちょっと待ってください」獣は大股開きになり肛門の中に手を入れると、奥からけっこうなサイズの黒い粒を一個づつ取り出す。そして取り出すたびに獣は、うううう・ん、と呻くのだ。八粒の黒い塊はけっこう硬い。箱に並べるとなんとなくお洒落そうに見えてくる。「ほんと、チョコレートみたい!」と美女が言うと獣は、「これで勘弁してくださいよ」
さて、美女は意中の男性のところへこのチョコを持っていって言ったのだという。「これ、バレンタインのチョコよ。食べてみてね」それが二月十四日のことだったそうな。
それ以来、バレンタインデーには女から男へチョコレートが贈られるようになったそうだ。天から墜ちた天使は”悪魔”だということを知らないまま。はたして美女が贈ったチョコに効果があったかどうかは……。
知ったことかね。
第158回 Show guts!
そのことを聞いたのは大晦日の朝のことだ。同じ集落のケンジに呼ばれて島の神社に行くとタカヒロとユウタが待っていた。これで小学校の同級生は全員揃ったことになる。
「ゴロウ。急だけどさ、今夜”正月”を捕まえに行くぞ」すると後の二人も頷いた。
「正月って、明日になれば正月だろう?捕まえるってどういう意味だよ」
ケンジが言う。「なんにも知らないんだな。”正月”ってのは初日の出の前にやってくるものなんだ。正月神とか歳徳神とか言うんだが、そいつが来ないと正月にならないんだよ。去年兄ちゃんから教わったのさ」
「父さん、そんなこと言ってないぞ」
「ああ、大人は誰も何も言わない。兄ちゃんが言っていた。大人になると忘れてしまうんだってさ。昨日、兄ちゃんに尋ねたら、兄ちゃんはもう、言ったこと忘れてた。兄ちゃんは徳山さんところの大七さんから聞いたって言ってた」
「”正月”って捕まえられるのかい?」
「ああ、相性が合えば捕まえられるってさ」
「捕まえたらどうすんだよ」
「食うんだってさ。すると肝の座った本物の漢(おとこ)になれるんだってさあ」
「で、ケンジの兄ちゃんは捕まえたのか?」
ケンジは口ごもり、その後答えた。
「捕まえそこねたのかな。だから話さないのかもしれない。兄ちゃんは恥ずかしいのかも。逃しちゃって」
「初めて聞くよ。そんな話」
「小さい子には無理だって。ぼくらくらいの年齢でないと。危ない場所だし、もっと大人になれば忘れてしまうから」そうケンジは説明した。
「ユウタ、ゴロウ、どうする?」
「どこへ行けば”正月”を捕まえられるんだよ?」
「東の岬の右の方だってさ」
「東の岬の先端は奥の院だから、集落のみんなはあそこに初日の出を拝みに来るぞ。えらい人出だ」
「あそこじゃない。真東の石棚になってる場所。そこが”正月”が来るとこだって」
その石棚にたどり着くには獣道を辿らなくてはならないし、急坂になっていて危険だ。だから、普通、人は近づかない。なるほど、とゴロウは思った。昼でも行くのに勇気がいる。
「どうする。”正月”を捕まえに行くか?」
「みんなで捕まえるんだよね。行くよ」「根性見せるよ」「何時に”正月”は現れるんだ?」「日の出前だよ」「じゃあ、朝6時前には石棚で待機だな」「どうやって捕まえる?”正月”の大きさはどれくらいだ?」「知らないよ」「大きめの網を持っていけばいいよ。大は小を兼ねるって」
4人は初日の出を拝みに行くと言って、東の岬近くのバス停に集合した。バス道路から細い道を下る。下見をしていたケンジが先頭を歩いた。ゴロウは首に魚釣り用の竹籠を吊るしていた。それに”正月”を入れるつもりだ。
岬の方から大人たちの話し声が聞こえる。子どもたちは気配を消して下っていく。「着いた」
岩棚だった。3畳ほどの広さだった。下から潮騒が響く。海の果ては暗かった。夜明けは遠い。4人は腰を下ろし、ぼんやりと待つ。
「ほんとうにここでいいんだな!」「兄ちゃんはここだと言ってた。間違いない」「”正月”ってどんな姿してんだよ」「わかんないよ。見りゃ、これが”正月”だ!ってすぐにわかるってさ」「日本中が正月になるのに、どうしてここだけに見える”正月”が現れるんだ?」「知らないよ」
それからしばらく待つが”正月”の気配もない。
「ほんとうに”正月”っているのか?いないからケンジの兄ちゃん言わなくなったんじゃ?」
「いるよ。絶対にいるって。だから弟のタクミにも来年”正月”を見つけに来ればいいと教えたんだ」
岬の方では大人たちは酒盛りを始めたようだ。歌声も聞こえた。「やっぱりケンジは騙されたんじゃ?」とユウタが言いかけたとき、ゴロウは崖下から何かが登ってくる気配を感じた。
「来た!」
岩棚の周りの草が揺れ、黒い塊が飛び出した。ゴロウは両手でそれを捕まえた。しかし、ふわふわとしたものがゴロウの手から飛び出す。ゴロウにはわかった。「こいつが”正月”だ」タカヒロが大きな網をそいつにかぶせた。
「捕まえた!」「”正月”だ!”正月”を捕まえた!」網から飛び出そうと”正月”は暴れていた。残りの3人も加わってみんなで網を押さえた。ふわっとして、膨張したり縮んだり。「鳴いたぞ」「聞こえない」「”正月”か?」「間違いない。”正月”だ!」「ぼくもそう思う」「どうする?」「食うんだよ!漢になれるから」「生で?」「当たり前だ」
そうは言ったものの、4人は網を押さえたままじっとしているだけだ。海の果てが赤く染まっていた。しかし太陽は昇らない。明るくなれば”正月”がどんな姿かわかる。それから食べればいいのに!とゴロウは思った。しかし、太陽が姿は見せない。
岬の上では大人たちが騒ぎ始めていた。「どうした。初日が昇らないぞ」「正月にならないじゃないか!」
子どもたちは顔を見合わせていた。何がどうなってる。
ズン!と音がして、岩棚に誰か転がり落ちてきた。「ジイちゃん!」ケンジの祖父だった。4人の様子を見てジイちゃんは「やはりそうか」と。「”正月”を捕まえとりゃあ、初日は昇らんよなあ。ふと子供の頃を思い出して、そういうことかもと見に来たんじゃ。”正月”を離してやれ。もうお前たちは十分に漢だから。ええだろう。世界中を、正月にしてやらんと」
網から手を離すと、動いていたものは甲高い声を出して消えてしまった。
「さあ、岬に上がれ。いっしょに初日の出を見ようかね」そう言って子どもたちの頭を撫でる。
ケンジのジイちゃんは「なつかしいのう。子どもの頃のことを思い出せた」と岬へ上っていった。ゴロウたちが振り向くと、まさに初日が登ろうとしていた。
「”正月”を放してやったからだ。ぼくたち”正月”を捕まえたよな」
「ああ、捕まえた。逃してやったから、世の中に”正月”が戻ったんだ」
一度昇り始めた初日の速度は遅れを取り戻そうかという勢いだった。しばらく4人は立ちつくし、初日に目が釘付けになっていた。思い出したようにケンジが言う。
「お前たち”正月”を食ったのか?ぼくは一口だけ食ったぞ。網の中にいたときにな。だからぼくは漢だぞ。うまかった。お前たちも一口ずつ食えばよかったのに。肝(ガッツ)が座ったのに」
私にはそれが本当のことだというのはわかっていた。しばらくケンジの口から初日と同じ光が漏れていたからだ。しかし光はすぐに消えてしまい、いつの間にか気配もなくなってしまった。しかしあれが本物の”正月”だったのだ。
あれから4十年経った正月に4人は島に帰り酒を飲んだ。”正月”を捕まえたことを覚えているのは私だけのようだった。いや、私もずっと忘れていたのをさっき急に思い出した。なぜ思い出せたのだろう?ひょっとして”正月”を捕まえることのできる子どもの心に、思考が逆戻りしつつある、ということなのか?そう考えた一瞬後、その思いは彼方へ飛んでいってしまっていた。
第157回 秘湯を訪ねて…!
肌寒くなると、じっくりと温泉に入りたくなる。 小国にある寺尾野温泉を思い出した。熱過ぎず冷た過ぎずいつまでも入っていられる。
温泉旅館というわけではない。地域の人々が使う共同浴場だ。かけ流しの素朴な風呂だ。
野原にぽつんと建っている。
まさに私の中では秘湯という位置づけだ。
私がその温泉を知ったのは、今はもうなくなってしまった登山用品のお店のご主人に教えてもらったからだ。
くじゅう方面へ行く予定があり、ガスバーナーのボンベのガスが残り少なくなっていたので、店に買いに行った。そして店のご主人と雑談。くじゅうは冠雪の可能性があるからというアドバイスで、軽アイゼンも買った。
くじゅうの山登りの話になり、午後3時頃には下山して温泉に入るつもりでいると話した。すると、ご主人が「私が一番好きな温泉は、そちら方面なら寺尾野温泉ですね」と。
私が初耳だと告げると、目を大きく開き、信じられないという表情を浮かべた。
「そんなにいいんですか?」
「素晴らしいどころではありません。秘湯の極みですよ。一度訪れたら、もう、あちら方面では他所には行けませんよ」
そこまで言うか。
「どの辺にあるんですか?」
「教えますね。小国は、わかりますね」
「はい、わかります」
「小国の町から木魂館を目指します。すると、その手前の右側に緩くカーブしたところがありますもんね。そこから右折して100mくらいで、まんせい小学校てあります。万に成るって書いて万成小学校。そこから左に曲がると坂があって、道なりにどんどん…どんどん…どんどん…」
図に描いてくれるとわかりやすいのだが、描いてはくれない。「15分か20分くらい走ると、橋があって、渡って、また10分くらい行くと、そこに車を停めて歩いて右の方へ入っていくと、あるとですよ。そりゃあ、良か風呂ですけん。誰もいないので、料金箱に入場料を入れてください。感動ですよ。寺尾野温泉ですよ。万成小学校から曲がる。いいですね」
次の日曜日、私はくじゅう山系の山を歩いた。幸いなことに雪は大したこともなく、軽アイゼンを使う場面もなかった。予定よりも早く下山できたほどだ。さあ、長者原の温泉にでも入って帰るか、と考えたとき、ふと先日の登山用品のご主人と話した温泉のことを思い出した。
寺尾野温泉と言ったっけ。小国まで車を走らせてみよう。
小国の町に到着。
万成小学校は、今は閉校になっているが、その頃は、まだあった。そう。20年程も前のことだ。当然私の自動車にはカーナビなどはついていなかった。
小国の木魂館を目指す。その手前に確かに緩やかなカーブがあり、ここだ!と私はハンドルを右に切った。
数百メートル行くと小学校が見えた。聞いていたとおりだ。そこから左折すると登り坂だった。道なりに進む。幾つかの分岐があるが、どうしよう。別に注意する場所は言われなかった。勘で行くしかない。
幾つかの集落。しかし、橋はなかったような。
誰かに聞いたほうがいいだろうか?
しかし、集落なのに人の気配がない。こどもも遊んでいない。集落を通り過ぎる。誰にも位置を確認できないまま進む。まだかなぁ。通り過ぎてないよなぁ。
あっ、小川が流れている。えっ、橋ってこれ?これ、橋のうちに入るの?渡って、細い道をひたすら進む。
再び、集落。人がいない。また進む。高台に出た。景色は良いが、辺りに何もない。明らかに行き過ぎたようだ。引き返す。集落で自動車を停める。民家を訪ねる。最初の家は無人。鍵も掛かっていない。次の家。老人が一人。耳が遠くて会話にならない。家を出たらバイクの若者が。よかった。「もっと下だよ。杉林のところから入って、しばらく棚田を歩く」
言われた通りに行って、着きました。無人で小さな鄙びた温泉。話通りの魅力的な秘湯。寺尾野温泉、来られて良かったあ。しかし、よく辿り着けたなあ。奇跡みたいなものだ。あれだけ迷った挙句に。
それから数ヶ月後、またボンベを買うために、寺尾野温泉のことを教えてくれたお店へ。
ご主人と雑談して温泉の感想など。良いところを教えてもらってありがとうございます。気に入りました、と。
ご主人は喜んで、またしても雑談に花が咲いたのだ。そのうち、冬の、上福根山で遭難死された某政党の万年立候補者の噂話に。
「山が好きで、よくお見えになっていましたよ」と。そうだったのか。「あの前日も店に寄られたんですよ。初めて上福根山に登ろうと思うんだけどって。それで、私が懇切丁寧にルート取りとか教えてあげたんです。良い方だったんですけどね」
私は息が止まりそうになった。遭難の原因は、そ・れ・だ!!!
第156回 ペットショップのお薦め
私はSNSをやっているのだが、最近は書くことも思いつかない。繋がっている友人たちの幸福そうな記事を見ると、嫉妬に似た感情さえ湧き上がってきて腹立たしくなる。本当にこの人々はこんな幸福な毎日を過ごしているのだろうか?
日々幸福な生活をしている人々のことを”リア充”と呼ぶのだと知った。私にとっては夢のような暮しだ。
いっそSNSをやめようか、とも思った。しかし、このままやめてしまえば負け犬だと心の中で誰かが叫んだ。
犬や猫を飼い、それをSNSで紹介する人々は少なからずいた。心はほっこりするし、嫉妬されることもない。そうだ、私もペットを飼って、SNSにあげていこうか。であれば、ネタに困ることもないだろう。
とてもいい考えに思えて私はペットショップへ向かった。
立派なペットショップに入り立派な犬や可愛い猫を見たが、値段を見て仰天した。こんな高いペットを飼ったら、私はペットと一緒に餓死してしまいそうだ。すごすごとペットショップを引き上げて裏通りを歩いていると小さな店があった。古びた店構えに古い看板。「ペットのお店」とある。こんなところにあったっけ。記憶にないなあ。しかし、こんなに小さくて古い店ならペットも安いかも。雑種でも良いし。がらりとガラス戸が開き、店主らしい痩せた老人が顔を出した。
「お望みのペットを紹介しますよ。もちろんお手頃な価格で」「本当ですか?」「ええ。犬でも猫でも小鳥でも、蛇でもトカゲでも亀でも」「実は、SNSをやっていて書くネタがないので、ペット日記でもと思ったのですが」と正直に伝えると、老人は、ぽんと手を叩いた。「それなら、とてもいいものが入荷しました」
老人は虫かごを差し出した。「これがいいですぞ」
中を覗き込むと、カゴの中を蝿が一匹飛んでいるだけだ。この蝿がペット?「2千円です」買える値段だが、なぜこの蝿が?
「放し飼いできるし、餌は自分で調達するので大丈夫。まさにSNS向きです」
私にはただの銀蝿にしか見えなかった。こんな蝿をSNSに上げて、皆、気色悪がらないだろうか。老人が言った。
「この蝿には不思議な能力があるのですよ。飼い主をSNSに載せるのに良い場所に案内してくれる。この蝿は、新種で”インスタ蝿”というんですよ」
よく意味がわからないまま、私はその蝿を購入した。家に帰り、カメラを持つと蝿を虫かごから出してやった。
蝿はしばらく手足を動かしていたが、何かを感じたらしくフワフワと飛び上がった。部屋を出る前に宙で停止する。私がついていくと、蝿は安心したように部屋を出た。私を待ってくれたらしい。飼い主のことはちゃんと分かるようで、私の歩く速度に合わせて飛んでくれる。
川沿いに来ると、土手の斜面を下った。恐る恐るついていくと、びっくりだ。
川の中に何匹もの鯉がいるが、なんということだろう。頭の上に模様があり、すべて人間の顔のように見える。人面魚だ。それぞれ人相が違う。慌てて写真を撮る。
帰るとすぐにSNSに写真を上げた。みるみる”いいね”が増えていく。無数のコメントも寄せられた。賞賛の嵐だ。
しばらくして、蝿がまたしても外へ行こうと私を誘う。後ろをついていく。
突然面前にいた蝿が上空に飛んで行く。上昇するのを目で追っていたら、銀色の飛翔体が空に浮かんでいた。というより、不思議な動きをする。UFOだ。慌てて撮影した。今度は動画で。
UFOは次々に出現して上空で舞い踊り、そしてすぐに飛び去ってしまった。まわりに人々も集まり、アイフォンを出して撮影しようとしていたようだ。「ちぇっ。消えちゃったよ」「残念だなあ。凄かったのに」
SNSに動画をあげると、またしても”いいね”が次々と。コメントも「本物ですか?フェイク映像ですよね」やら「いや本物です。私も近くで目撃しました」と。それだけではない。テレビ局から有料で映像を使わせてくれと申請が来たほどだ。
インスタ蝿とはまさに言い得て妙な名の虫だな、と思った。
そんな風にインスタ蝿の教える場所に行くと、珍しくて感動できる写真ばかりを撮影することが出来た。ときには、大丈夫かな?怖いな、という場所にインスタ蝿は案内する。細い板が一枚かかっている下は谷底で、その向こうへと蝿に連れて行かれる。と、そこは見たこともない花が咲き乱れた絶景だった。危険とは思ったが数万の”いいね”がつき、私のページに広告をつけたいと企業からいくつも申し出がある。仕事をする必要もない。インスタ蝿が教えるものをSNSに載せさえすればいいだけ。しかし日々ネタがなくなってきたのか、蝿が私を連れて行く場所の危険度が高くなる。その日は、インスタ蝿は切り立った崖の先に飛んでいく。風が強い。今にも私は吹き飛ばされそうだ。いったいどんな奇妙で素晴らしい光景が待っているのだろう。こんな危険な場所に”いいね”はいくつつくのだろう。
足を滑らした。そのまま崖下へ真っ逆さま。しまったと思ったとき、全身を激しく打った。出血している。もう助からないと直感でわかる。するとバタバタと鳥の羽音がした。見ると屍肉を食う禿鷹そっくりの鳥が、倒れた私の近くの木の枝にとまる。人声が近づく。「やあ、死体があるぞ。なぜこんなところにと思ったら。これをSNSで発表したら”いいね”がどれだけつくやら」「写真!写真!よくこの鳥見つけたね」するともう一人が言った。
「ああ。”いいとこドリ”っていうんだ。奇妙なペット屋のお薦めで騙されたつもりで買ったんだけど、よかったよ」
第155回 おとぎ苑にて
久しぶりにケアハウスに行く。いまだ顔を出していないので気になっていたのだ。
施設の名は「おとぎ苑」。私の父がお世話になっている。父も年齢を重ね、だんだんと自分には介護が必要になってきたと思い始めたのか、自分から施設に入ると言いだしたのだ。
この施設も父が指定したものだ。どこでもいいというわけではなかったなかったようだ。父は、こだわりだけは人一倍強かったから無理もない、とは思う。私は入所のときも付き添うことはできなかった。今回が初めての訪問なのだ。
思えば、父の存在は私にとって大きすぎた。そして父はあまりに有名すぎた。それが私にはコンプレックスとして刷り込まれた。父と比較されるのが苦痛だった。だから、日頃から私は父との繋がりを隠し続けていた。父ほどの力はないし、剣術もだめだ。部下を統率する能力もない。自分の能力にあった仕事をこつこつとやっていくのが一番向いている。そんな自分だから、父のケアハウスへの面会も今になってしまった。
父の名は桃太郎。
おとぎ話に出てくるヒーローだ。若い頃、鬼ヶ島での鬼退治で超有名になってしまった。持ち帰った金銀財宝の大半は人々に分け与えてしまったが、ほんの一部だけは残し、貯蓄に回していたらしい。それでこのような高そうなケアハウスに入れたようだ。「おとぎ苑」という名を選んだ父に成程と思ったものだ。
昼下がりの施設を訪ねると、父は陽当りのいいテラスにいて、車椅子に座っていた。ためらいつつ近づき父を見た。間違いない。老いてはいるが私の記憶にある父の姿だった。かつてのように額には日の丸の鉢巻をつけ、車椅子の横には”日本一”の旗が付けられていた。
「お父さん」と声をかけると、父は私を見て数秒考えてわかってくれたようだ。「おお。おお」と嬉しそうに目を細めた。私が「おみやげ。甘いもの」と豆大福を差し出すと「おお。きび団子か。きび団子か」と歓声を上げた。豆大福を見てもきび団子と信じている。あえて訂正もできなかった。
父の隣の車椅子では、老婆が眠りこけている。「オーロラ。オーロラ。きび団子はどうだ」と父が起こそうとするが目を醒まさない。父は私に言った。「若い頃は美女だったそうだ。眠り姫だよ。いや今は眠れる森の婆さんだ」驚いた。オーロラ姫と言えばシンデレラ姫と並ぶ有名人だ。
それで、初めて気づいた。このケアハウスが特殊だということに。
「おとぎ苑」とは、文字通りおとぎ話に登場した主人公たちだけが入ることのできる老人施設なのだった。おとぎ話の主人公たちは物語の中では大活躍して、めでたしめでたしと話は終わる。しかし、話は終わっても現実の社会では主人公たちの人生は続いている。そして老いる。そんな人たちを受け入れてくれるのが、ここなのだ。
「そういうことだったの?」と感心すると「そういうことじゃ」と父、桃太郎は扇子をかざした。ほかには、どんな入居者がいるのだろう。父の車椅子の横を木彫りの人形が歩いていった。生きている。「あれはひょっとしてピノキオ?」「そうだ」「でも、最後、人になったんじゃなかった?」「いや、あれから世俗にまみれて、女神に愛想を尽かされ人形に戻されたようだ。古びちまったが嘘をつくと鼻が伸びるし、すけべごころを出すと下半身が……」
「あそこにも、すごい年寄りがいるけど」「ああ、浦島太郎だ。歳とってボケが入ってここに来たんだが、乙姫様に開けるなと言われてたのもわからなくなって玉手箱を広げたんで、ダブルで年寄ったんだ」
かなり壮絶な末路をおとぎ話の主人公たちは歩んでいるようだ。廊下で長い髪を車椅子の車輪に巻き込んで悲鳴を上げているのはラプンツェルだろう。そしてフロア中央のベンジャミンの樹に灰を投げつけ籠を取り上げられていた老人は花咲爺いさんの末路なのだろう。
中庭には、動物たちが放し飼いにされていた。狸やウサギや亀、蛙、猫。どれもおとぎ話に出てきたものばかりだ。足どりもたどたどしい。やはりここで余生を過ごしているのか。その中に犬や猿やキジの姿もある。なつかしい。私が子供の頃、父のところに遊びに来ていた思い出がある。
「あの中に、お父さんの部下たちもいるの?」
「ああ」と寂しそうに言う。
「呼んでみたら。ぼくも久しぶりだし」
「いや、もう来てはくれない。私が現役の時だけだよ」
しかし、猿だけは窓際に駆け寄ってきた。
「父さん。猿は来てくれたよ。キビ団子じゃない。豆大福やろうか」
「いや、あれは部下だった猿じゃない。猿蟹合戦の猿だ。あそこでも嫌われて群れに入れてもらえず救いを求めているんだよ」
それから、職員の勧めで施設中央の大浴場温泉で私は、父を風呂に入れてやることにした。父の背中を流そうとして、そのあまりの小ささに涙が出てきた。
かつては人々から桃太郎さんと慕われるヒーローだったかもしれない。だが今はただの老人でしかない。これからはもっと孝行しなくてはと自分に言い聞かせた。そのとき思った。なぜ、今まで自分は父にわだかまりを持っていたのか、と。誰もが同じ道をたどる。残るのは伝説だけだ。
帰り道、私はふと呟いていることに気がついた。
「それから、いつまでもいつまでも幸福に暮しましたとさ」
そうであることを私は心の底から願いつつ。
第154回 こり鍋
“こり鍋”という奇妙な料理のことを知った。ネットで検索をかけていると、あるブログに偶然にたどり着いたのだ。
タイトルは〈最高の珍味でしたーこり鍋の魔力〉
今となっては、誰のブログか解らない。
そのページが出た瞬間に、画面がフリーズしてしまった。二枚の写真が載っていた。一枚は古い民家の囲炉裏で鍋を囲み、つつきあっている家族の写真。老婆が木杓子で鍋から料理を椀に注ごうとしている。皆が、本当に嬉しそうに食べていた。もう一枚は鍋のアップ。汁が黄色いようでもあり、白濁しているようでもある。縁は赤みがかっている。味噌風味か、醤油だしか判別がつかない。汁から骨のようなものや魚の頭、蟹の一部らしきものも見えた。
そのブログには、こうあった。
ーーこれはびっくり。こんなおいしい鍋があると初めて知りました。スープが独特です。醤油とも味噌とも違います。このスープだけ永遠に飲みたいほど。何という料理ですか、と尋ねると、”こり鍋”とのこと(漢字はどうなのかわかりません)このあたりでは、どの家庭も普通に作っている鍋の定番だそうですが、すり身ボールが入っていて、この食感が絶妙。
私が生まれてこの方食べた料理の中ではベストです。
肉は最初の一口だけ臭みがありましたがそれはジビエの宿命でしょう。二口目からは、全く気にならない。むしろ臭みは旨味に変わりました。地酒といっしょにいただきましたが、こり鍋は酒のアテにも最適。なぜ、人生今まで、こんな美味しい鍋を知らずに過ごして来てしまったのだろうと悔しい気持ちになりました。こり鍋を食べると笑いが……まるで悪魔が作ったような美味さ…
そこで途絶え、次に進めない。この前もあるような気がする。仕方なくホームに戻り、検索をやり直した。
ところが……。
そのページが出てこない。何度やっても駄目。大丈夫だと言い聞かせる。”こり鍋”という料理の名はわかっているのだから。
”こり鍋”で検索をかけてみたが出てこない。出てくるのは関係のないワードばかり。「ほっこりする鍋」「鍋料理はこりき」などなど。
ブログで書かれていた「生涯ベスト料理」やら「すり身ボールが絶妙」というフレーズや写真が脳裏に浮かんで離れない。
誰のブログだったのか?
そのときから私は”こり鍋”の呪いにかかったのだ。
日本の料理であることに間違いない。しかし、どこの郷土料理なのか。魚らしいもの、ジビエの肉らしいものが入っている。
さまざまな思いつく限りのワードで鍋を検索しても、全く出てこないのだ。
どこかの古民家で招かれて食したのだろうか。海のものか川のものか?それさえもわからない。ブログの著者があれほど絶賛する料理とは?……。
ぜひ、食べてみたくなった。日本のどこかにあるという”こり鍋”
”こり鍋”で検索して出てこないのは、漢字で正式な表示があるからなのではないかと思った。凝り鍋だろうか?あるいは狐狸鍋という可能性もある。ジビエの臭みなら、この表記も正しい気がするのだが。しかし、どれも該当はない。
あれから、何年が経過しただろうか。
いろんなグルメの知人に尋ねてもみた。誰も知らなかった。私は趣味であるグルメ行脚を続けて、全国津々浦々まで旅してまわった。そこそこ美味しいものは食べてきたのだが、しかし、ふと思うのだ。”こり鍋”を食べずして美食を極めたとは言えないのではないか、と。だから、グルメ行脚で訪れた先で必ず「この地域に”こり鍋”という料理は伝わってないか?」と尋ねまわることにしていた。だが、誰も首を横に振るだけ。しかしいつかは”こり鍋”に遭う日が訪れるにちがいないと信じて。いや、心の中では、ひょうっとして”こり鍋”なる料理は実在しないのではないか、ブログの著者の創作ではないか?との疑いが生まれることがあったが、その考えを押し隠していた。無意識に。
私のグルメ行脚の旅も終わりを告げるときがきた。路銀がいよいよ底をついたからだ。まだ、”こり鍋”に巡り逢えていないというのに。そして、無銭宿泊した山宿の主人に警察に突き出されようとして、私は仕方なく山宿の主人一家を皆殺しにしてしまった。山狩りに来た警官を殺し、逃亡先で逃げ込んだ一家を惨殺し、私は捕まった。そして私は死刑の判決を受けた。
なんと愚かな。これも”こり鍋”の呪いなのか。今の私は、毎日、自分が犯した罪を悔いている。そして、死刑執行を待っている身だ。
看守から、近々、死刑が執行されるらしいことを内密に伝えられた。私は覚悟している。
そして、私は尋ねられた。「刑の執行前に、何か望むこと、思い残したことはないか?」と。わがままの限りを尽くした私には、望みを言う資格などないと思った。しかし、思い残しと言えば。
「世の中に”こり鍋”という鍋料理があるそうです。あの世の土産に”こり鍋”を食べてから罰を受けられたらと思います」
「わかった。最後の食事として希望に沿えるよう手配しよう」
そして、私はまだ刑の執行もなくここにこうして生きている。
彼らは”こり鍋”を私に代わって探してくれているに違いない。しかし、見つからないだろう。
果たして”こり鍋”は存在するのか?
もし”こり鍋”が食べられたら、私は心置きなく罪を償い、喜んでこの世に別れを告げるつもりでいるのだが。
第153回 8月は山の日
7月に「海の日」ができて数年後に8月は「山の日」ができました。
私は山歩きが好きなので、「山の日」とかでしたら、迷いなく山へ行きたいな、と思います。
私が小説書いてると知っている人たちに、「山歩きをしていて不思議な出来事にあったり、奇妙な体験をしたりということはありませんか?あったら教えてください」と言われます。でもね。奇妙な体験をしていたら、教える前に原稿に書いていますよね。
私自身も、そんな話は大好きだし。しかし、UFOも見たことがないし、火の玉も見たことない。(私の母は3度ほど火の玉を見ています。火の玉を見た!と腰を抜かした母のところにあわてて見に行きましたが、もう姿はありませんでした。)興味はあるので小説に書いたことは何度かありますが、嘘っぱちです。
私も山の上で知り合った方々に山に関する不思議な体験を聞いたりします。本人の体験でなくても構いませんと頼むと、思い出しつつ教えてくれます。
山歩きの好きな方が酒席で聞いた話。
五家荘の川でヤマメを釣った帰りのこと。その川から辿道をたどっていると薄暗くなった。大金峰、小金峰がシルエットで見えるようになった時間。あれっ?と思ったそうです。山中をライトが走るのが見えた。こんな時間から山頂方向を目指すなんて。人家はあるんだろうか?と。ライトがジグザグに進んでいくのが、その方には気になったそうです。そして、ある位置から、明らかにおかしい、と。そんな位置に人家はないし、自動車が走れる道路もない、と気がついたそうです。山頂まで続いているのは歩いて行ける登山道だけ。なのに、そんな場所に自動車のライトが見えるなんて。そう思った数刻後、光は山肌から飛び出して空中へ。そしてそのまま木々の向こうに去ってしまったのだと。
「あれは狐が騙そうとしたんでしょうなあ。いや、ひょっとしてUFOだったのかもしれない。火の玉と言ってもいい。何か、わけのわからんもんだと思いますよ。しかし、何のために最初は自動車のふりをして山を登っていったんですかねぇ。私をからかいよったんでしょうか?」
その話を聞いてすぐ思い出したのが、ラフカディオ・ハーンの「仏領西インドの二年間」に載っていた「悪火」です。ハーンは、マルティニーク島でも怪談や伝説を集めているのですが、そこのペレー火山でも人も住まない高地で火が見えることがある。それを地元民たちは「ゾンビの火」あるいは「悪火」と呼んでいたらしいですが、共通しているな、と。だから、その方の話は信じてます。
それから久住のぼうがつるで体験したという話。ぼうがつるは、キャンプができるような久住の山々に囲まれた盆地です。どちらの山にも登りやすい。近くに法華院温泉もある。その方は、一人でぼうがつるにテントを張って、法華院で風呂に浸かり、テントに戻りウィスキーを飲んで寝たそうですが、夜中土砂降りに襲われました。大丈夫と思っていたらテントに穴が空いていたのか、水がぽたぽた。
慌てて鉄筋の避難小屋に駆け込みました。で、そこでしばらくうとうとして、目を開いたら、まだ暗く夜は明けていない。と、何か気配がするので見たら、なんと。
坊主頭の小人たちが行列して草の上を歩いていたんだそうです。
黙々と。
自分の目が信じられず、かといって動けずにいたら、しずしずと草の中に消えてしまったのだそうです。
たぶん幻覚で、その方の脳内の何かがその映像を見せたのだろうと思います。他に目撃者はいなかったようだし。
私も何度か、ぼうがつるで野宿したことがあるけれど、そんな体験ないものなあ。
それから、数年前に熊本県内のパワースポットを方々取材してまわったときのこと。
高森町で、案内してくださった方と話していたらその方に電話が入りました。何か、山に入る打ち合わせのようでしたが。
「11日は晴れだからその日にしようか。ダメね、12日はアレだから13日ね」と。「12日はアレたい!入っちゃいかんよ。山には」
へぇ。アレって何だろう。工事かな。尋ねました。「12日は山に入ってはいかんて言うとられましたが、なぜですか」
その方は驚いたように「えーっ」と。
「12日は山に入っちゃいかんよ」
「なぜですか」
「昔から、いかんと決まっとるとよ」
それ以上、聞いたらダメだという感じ。
「タブーですか?」
「……(沈黙)」
なんだか、そう決まっていて山には入らないらしい。山の神さまが、入ってきたら罰を与えるからだとか、山の木の本数を数える日だからとか、後で調べると、山の信仰に関わることらしい。けれど、今でもそんなルールが守られているのですねぇ。
こんなことを記していると、まだまだあって語り尽くせないなあ。また、機会があれば続きをやりましょうかね。
あ、8月11日「山の日」に山に行けなかったから翌12日に行こうとしたら、アレの日になってるから知りませんよ。もしどうしても12日にしか行けなくてという方、何かあったら教えてくださいな。
第152回 “黄泉がえりagain(アゲイン)”始まるよ
タイトルを記しただけで何とも懐かしい気持ちになってしまいます。
前の「黄泉がえり」を熊本日日新聞の夕刊に連載したのが、1999年の4月から、2000年の4月1日まで。
おや。ということは、書いたのは20世紀ということになるのか。
熊本の新聞に連載するので、地元愛に溢れた内容にしようと思って書いたことを覚えています。
ご存じない方のために、簡単に物語を説明します。
ある日を境に熊本市を中心とするエリアで、死者が蘇り、帰宅するという現象が多発します。ゾンビのような状態ではなく、生前のままの姿で。亡くなった年齢で蘇るので、若くして世を去った父親より子どものほうが年齢が上ということもあり得ます。また、病死していても蘇ってきたときには健康な状態です。
で、この現象が発生するのは熊本市を中心とした限定したエリアです。蘇った人々は、この地域から出ることができません。出た瞬間に消失し、再びエリア内のどこかに出現します。
やっと行政が対応に乗り出す頃、巷では帰ってきた人たちのことを「黄泉がえり」と呼び始めるのです。
「黄泉がえり」には、いくつかの条件があることがわかってきます。誰もが黄泉がえってこれるわけではありません。その死者のことを慕っていた人、愛していた人が存在すること。どうも人間の想いが死者を黄泉がえらせるようなのです。
亡くなった人の形代(かたしろ)、遺髪、爪、へその緒、骨など体の一部も必要です。これらは、エリアの外から持ち込んでも大丈夫。
黄泉がえった人たちは未知の宇宙生命体の触手にあたるのではないか、という仮説を唱える人たちが現れます。熊本市エリアの地下に溜まっていた地震エネルギーを餌にするために飛来した宇宙生命体が、人間の”想い”に反応した結果、この現象が起こったようなのです。
そんな中、行政はどう対応したか。社会は、どのように反応したか。そして「黄泉がえり」を迎えた熊本の人々は、この事態をどう感じたか。いろいろな状況をシュミレートしてみた小説です。ですから、作者としては”泣けるホラー”はあまり意図していませんでした。
映画化もされたので認知が広がりましたが、夕刊に連載されていたときから「黄泉がえり」は話題にされることが多かったと思います。空想ホラ話ですので、よりリアルに読んでいただこうと、新聞読者の方がよく知っている市役所やホテル、町名や施設名をそのまま出しています。それがうまくはまったのかな、と思います。
最後、黄泉がえった人々は、地震災害から熊本を守るために自分たちを犠牲にして、皆消えてしまいました。ただ一人を除いて。
さて、「黄泉がえり」の続編ですが、熊本日日新聞夕刊の紙面が刷新されることになり、そのタイミングに合わせて連載がスタートします。7月1日の土曜夕刊が第一回。
17年ぶりです。
「黄泉がえり」の続編を書くよと言ったら、皆、「また最後は黄泉がえった人たちがいなくなって終わりかよ」と。
内緒です。
17年という時間のの経過で熊本も変化しました。大きな地震も体験しています。当然、そんな背景で新しいエピソードを展開させるつもりです。
同じパターンで展開するのなら続編を書く意味はありません。
今回の「黄泉がえりagain(アゲイン)」では、黄泉がえりのレベルをパワーアップさせるつもりでいます。既に前作で行政は「黄泉がえり」の洗礼を受けていますし、震災対応も、危機管理学習もできているので、対応に右往左往する行政の描写は少なくなるでしょう。
その分、エピソードごとの密度を高めていこうかなと考えています。
また、再度、黄泉がえり現象が熊本で起こる必然性ですが、これが一番考えました。そして、なるほど納得できると思えるものが見つかったのです。これで、いける!漫画などで頭の上で電球が輝く場面がありますが、思いついたときの私は、きっとそんな気分だったのでしょうね。
物語の中で黄泉がえりが発生し始めるのは、7月中旬過ぎあたりからと考えています。熊本市内は7月盂蘭盆をやる家が多いんですよ。黄泉がえり現象が始まるのはご先祖の霊が戻ってくる日というのが、一番スムーズかなあ、と思うのです。
他にも、えっ、そんな「黄泉がえり」もアリなの?と驚かれるような現象も考えています。
どうぞ、よろしくお願いします。
そして、県外の方は、一冊にまとまる日をお楽しみに。