第178回 父のAI

日常では、あまり面と向かって父と話すことはなかった。ただ、私が子供の頃から父は何かあると呼びつけて口うるさく叱った。
私もいい年齢になり家族を持って両親宅の近所に住むようになったが、母から時々連絡があり説教されにいく。
内容は、孫がちっとも会いに来ないのは躾ができてないからだとか、言われなくてもときどきは庭の手入れに来たらどうだとか、よくもまあ重箱の隅をつつくような小言を繰り出してくる。母は元気が一番と、父のことは見て見ぬふりだ。
そんな父に変調が始まったのは、私を呼びつけて例によって文句を言っているときだった。ふと気がついた。私に小言を言うのだが、このとき何度も同じことを言う。「父さん、変だよ。さっきも同じことを言ったよ」と指摘すると怒り出した。帰り際に母にそのことを告げると、母は父を騙し騙し医者に連れて行ったようだ。母から電話がかかってきた。「初期の認知症だって。進行を遅らせる薬をもらってきて飲んではいるけど、進行を遅らせるだけで治ることはないんだって」
だからといって、私に説教をする習慣はなくならなかった。そして、症状はますますひどくなっていく。私を叱っている途中で、私の何に対して文句を言っているのか、自分でもわけがわからなくなり、それでまた癇癪を起こすという悪循環に陥ってしまいそうだった。
薬だけでは、とても解決できない。
父の主治医に母を連れて相談に出かけた。
「進行するともっとわけが分からなくなり、お父さんは自分自身にも腹を立てるようになると思います」「そうですか。いずれ、父は父でなくなるのですね」すると、主治医はある提案を持ちかけてきた。
「私の友人に人工知能の開発をやっているものがいるのですが、彼に聞いた話がお父さんに役立つのではないかと思います」
「どうするんです」
「お父さんの脳はどんどん萎縮していくと思います。そうなったときのためにAIつまり人工知能にお父さんの判断や思考を学習させ、お父さんが見聞きすることとお父さんの思考を論理を記憶させ、学習させます。お父さんの脳とAIを直結させるんです。そしてお父さんの思考をバックアップして保存します。すると、認知症が進行してもお父さんの脳に直結したAIがお父さんの思考を補佐するんです。いかがですか」
母親を見ると判断がつかないようだ。「手術は難しいですか?父とAIを直結するのは」
「いえ。簡単になってますよ。首のところに繋げるようにするだけのようですから。それで脳の働きをAIが読み取るのだと聞いています」
これ以上、ほっておいたら父の痴呆は進行し、壊れていくだけのように思えた。
「お願いします。それで話を進めてください」
その頃は父も足が不自由になり寝たきりの生活になっているのも幸いした。麻酔を与え、父が眠っている間に首筋にコードを取り付けてAIに繋ぐことになった。父が怒ることも想定したが「これは物忘れしないようにする機械だからね」と母が説明するとAIをおとなしく受け入れたようだた。
AIには前もって私や母が、父の行動や知識についてわかるだけ教え込んでいた。だから、父がなにか話そうとして、話に詰まるとAIが補佐して欠落した知識を埋めてやる。そして父の話がスムーズに修整される。それが父のストレスを緩和しているようだった。
父の痴呆状態が劇的に治癒しているように見えるのは、母にとっても私にとっても嬉しいことだった。そのせいだろうか。ストレスが減ったのか?父が小言を言う頻度も減ったように思えた。いや、認知症状態が治っているわけではなく、父が忘れている部分をAIが補っているだけなのだが。
そう。父は常に呆けているわけではなく、まだら模様のように頭がはっきりしたり、呆けたりを繰り返す。はっきりしたときの父からAIは情報として取り込んでいることもわかった。
一度、近くで落雷があり、わが家が停電したことがあった。真っ暗な中、母に呼ばれて駆けつけ、父が大丈夫か話しかけて父の本当の容態を知ったのだ。父は会話をするにもあらゆる面で認知症が進行していた。私の呼びかけに答えられないほど。
もちろん、AIが止まってしまっていたからわかったのだが。
その父が、心臓の急変であっけなくこの世を去ってしまった。母が気づいて救急車を呼んだときは、すでに手遅れの状態だった。
父を送るすべての行事が終わったあとに残されたものは、父の受け答えをずっと補助してきたAIだけだった。
人工知能を開発した父の主治医の友人に連絡をとると、すぐに引き取りに来てくれた。
「お父様の思考をかなりこのAIは学習しましたね。最後はお父様に代わってほとんどのことを答えていたようです。元気なときのお父様で最後までおられたでしょう」
そう言われてみればその通りだ。
「では、データすべて消去しておきますね」
「待ってください。その補助装置としてのAIはどうなるのですか?他の方に使われるのですか?」と母が真剣に尋ねる。

母に呼ばれて実家に行く。座敷にはロボットが座り、その頭には見慣れたAIがある。AIは聞き覚えのある口調で私に小言を言う。庭の手入れ、孫の躾……。
お茶を持ってきた母は、その様子を見て嬉しそうだった。「まるでまだお父様元気なようで」
私は肩をすくめる。これはこれで母にとっては幸福な結末かもしれないと。

第177回 年金を掴みとれ!

田中源助とその妻トメは手続きのために夫婦揃って、老体に鞭打って会場へやってきた。
 この日をどれだけ待ったことか。
 若い頃は夫婦して一所懸命頑張った。仕事に打ち込み定年を迎えたら年金でささやかに暮らし、若い頃にはやれなかった趣味三昧で生きていこうかと。子供の成長で学費もかかり生活を切り詰めたが、老後のことを考えて年金だけは払い続けてきた。
「こんなに年金って天引きされるんだ」
 給与明細を見て溜息をついたことも、はっきり覚えている。
「昔は60歳から年金貰えたらしいよ」
 そんな事実を知る。夢のようだ、と思う。いつしか、年金を受け取る年齢は65歳からに変化していた。消費税が上がるたびに年金は安全、安心、と聞かされていたので、騙されたような気分だった。
 60歳を過ぎて定年を迎えた源助は、新たな職を探さねばならなかった。退職金は貰ったが雀の涙だ。すぐに使い果たしてしまう。再就職先の給与は安かった。いや、職を手にしただけでもマシだと思うしかない。65歳になったら年金で暮らす。妻も自分も時間がなくてやれなかった趣味を楽しもう。夫婦揃って同じ趣味なのは良かった。趣味に打ち込めなくても、それに関して話題も生まれる。趣味の方向が違っていたら、夫婦間の会話さえなくなっていたかもしれない。
 安い給与だが2人とも節約して過ごし、ギリギリの生活を送ることができた。
 そして、65歳を迎えた。なんと、年金基金が破綻しかけていて、貰える年金は減額されている。源助は目を疑った。この日のために2人とも我慢してきたのに。
 とても年金だけでは生活できない。生活保護を受けたほうがマシかも知れない。餓死しろということか。これまでの仕事を続けながら年金で暮らすか、と考えていたら、手続きの途中に言われたのが「他に仕事をやって給与を貰っていたら、年金は減額になります」
 源助は唖然となった。そうなったら、趣味どころか、食べていけない。
「それから、これは提案ですが、もし年金の受け取りを70歳からになされば、毎回の受取額は、これだけに増額になります。ただし、70歳までは自力で稼いでいただくことになりますが。見たところ、まだお元気そうですし、ご夫婦で頑張れるのではありませんか?」
 それから、担当者は70歳からの受給で毎回貰える額を提示した。なるほど、これなら苦労せずに毎月を暮らせる額だ。
 ただし、贅沢をしなければ。
 夫婦は顔を見合わせた。趣味だけで生きる生活はしばらくお預けだ。2人は頷き合い、手と手を重ねて言った。
「がんばろう」
 2人は70歳になって年金受給の手続きに行った。
 5年前の同じ担当者が机の前に待っていた。
「やあ、5年間よくやられましたね。ただ、ちょっと申し上げにくいことがあります。あれからの5年間でいろいろと状況も変化しています。5年前に提示した年金支給額ですが、少々減額されることになりました。いや、皆、同じ条件なんですよ全国民」
 受給額が下がっている。夫婦2人でも食っていくのが難しい。
「これは詐欺じゃないか。何のために5年間耐えてきたと思う。その間に消費税まで上げやがって。100年大丈夫です。面倒見ます。というのは大嘘だったのか!」
「まあ、まあ、怒らないでください。世界は常に変化しています。できないこと、どうしようもないことが世の中にはあるんですよ」
「どうやって我々は老後を暮らせというんだ。生きていても地獄なだけじゃないか」
「あの……、実は1つ提案があるのですが」
「まさか、受給を75歳にすれば、増額になりますというんじゃなかろうな。もう、足腰も衰えている。誰も使ってくれないし、働かせてくれないよ」
 担当者は首を横に振りニヤリと笑った。
「そんなことではありません。年金を自分の力で勝ちとっていただくんです」
「どういう意味だかわからんが」
「パーティで100円勝ち抜きゲームがあるのはご存知ですね」
「ああ知ってる。手に全員100円持って、隣の人とじゃんけんして勝ったら100円玉を受け取っていく。50人のパーティだと、最後の勝者は5000円を手にすることになる…という」
「そうです。それを年金でやるんです。この奥が年金バトル・ロワイヤルゲームの会場になっているんです。その部屋では罪に問われることなく殺し合いができるんです。負けたら”事故死”扱い。3人殺せば3倍の年金が受け取れます」
 なるほど年寄りが減れば社会保障費も節約になると考えたのか……。こいつ等!
「どうなさいます。お断りになるも自由です。ただしその場合の年金額ですが……」
 源助とトメは顔を見合わせて答えた。
「やるよ。武器は何が使えるんだ?ナイフでも拳銃でも構わないよ」
「ほほう。それは頼もしい。何人分の年金を望んでおられますか?」
 源助は驚いていた。彼とトメの趣味はサバイバル・ゲームなのだ。心いくまで武器を握り戦闘体験をしたいと思っていたのだが、これほど早くやれるなんて。しかも、実戦で。
 源助は漏らす。
「わし、ワクワクしてくるぞ」

第176回 盂蘭盆の子

 先祖の霊を敬い祀る行事が盆だ。盆には亡くなった家族が戻ってきて数日を過ごすのだと言い伝えられている。盆は新暦で迎える地方と、旧暦の七月十五日前後にやる地方とがある。私の本家は、七月の盂蘭盆(うらぼん)だ。子供の頃からどもその時期になると私は両親とともに本家を訪ね、数日を過ごした。他の親族たちも集まり、夜は宴会となった記憶がある。十三日の宴が始まる前には玄関先で迎え火を焚き祖先の霊を迎えた。この三日間は父は休みをとり本家でゆったりと過ごした。毎日宴会が続き、それは十五日の夜の送り火まで続いた。父の兄妹たちも家族連れで集っていたので、本家は祭りのような賑やかさだった。
 それが盂蘭盆に関する私の思い出だ。私は昼間は従兄弟たちと一緒にセミやカブトムシを探しに山に出かけたり、川へ鮒をすくいに行ったものだ。だから、本家に集まる全員を見知っていたはずなのだが。
 思い出すと、どうしても引っ掛かることがあった。
 謎の女の子のことだ。
 初めて気がついたのは小学生になって初めての盂蘭盆のとき。それ以前にも実家の盂蘭盆には行っていたのだが気がつかなかっただけなのかもしれない。
 玄関先に皆が集まっていた夕暮れ。迎え火を焚くために叔父の一人がマッチを擦ろうとしていた。私はその横にしゃがみこみ、点火されるのを待っている。
二つ歳上の従兄弟も腕組みをしてしゃがみこんでいた。その隣に、その子がいた。
 女の子だった。やっと歩けるようになったくらいの子だった。見知らぬ子だった。どこの子だろう。今までどうして気がつかなかったのだろう。あとで迎え火が終わったら確認してみなければ。そして、迎え火が終わり、家の中に入る。そのとき、あの女の子の姿はどこにもなかったのだ。私は女の子のことは誰にも尋ねなかった。ひょっとしたら自分の目の錯覚だったのではないかと思ったから。
 翌年、同じように親戚一同が盂蘭盆のとき本家へ集った。そして同じように迎え火を焚こうというとき。
 その女の子は現れた。一年経っているから、私は背が伸びていた。しかし現れた謎の女の子はよちよち歩きのまま、全く成長していなかった。一年前と同じ水玉の服と短パン姿のまま。一番背が伸びる時期なのに。女の子は私を見ていた。そして私と目が合うと嬉しそうに微笑んだのだ。私も思わず微笑みを返していた。女の子が誰なのか知りもしないのに。女の子が目の錯覚などではないことを確信できたからでもあったろう。だが、迎え火が終わり皆が家の中に戻ると、その年も嘘のようにその女の子の姿は消えていた。その年、母親に尋ねてみた。
「やっと歩けるくらいの女の子いたよね。どこに行ったの?」と。
 母親は不思議そうだった。「そんな小さな女の子は、いないよ。何か勘違いしているのかね」ショックだった。私は実在しない女の子を見ていたのだ。それから、私は迎え火を焚くときに会う女の子のことは、口にしなくなった。しかし、翌年も、その翌年も女の子は出現した。私を見るといつも笑いかけてきて。思わず私も笑顔を返したものだ。
 その次の年の迎え火の前に思いついたことことがあった。迎え火とは亡くなった家族を迎える行事ではないか。女の子が生者であるとは限らない。迎え火の前にすでに帰ってきている祖先の一人ではないのか?
 私は、祖父に尋ねてみた。「この家で生まれてすぐ亡くなった子って今までいなかったの?おじいちゃんの妹とか」
 祖父は不思議そうだった。それから、よく考えて答えてくれた。「おじいちゃんの代まで考えてみたが、幼い頃亡くなった子どものことなど聞いたことないよ。何故だね?」理由について、私は答えなかった。
 その年の迎え火のときに、初めて女の子は現れなかった。
 小学校を卒業すると、盂蘭盆に本家を訪れる習慣もなくなった。
 高校へ進み、大学へ行くために親元を離れた。大学を出ると故郷の会社を選び入った。やはり、育った土地で暮らすのが落ち着く。
 七月に入ると、ふと子どもの頃迎え火のときに見た、幼い女の子のことを思い出した。いったいあれは誰だったのか。
 勤めで知り合った女性と私は結婚した。もう立派な社会人だ。親はずっと私が結婚しないのではないか、と心配していたようだ。決まった女性と交際するような縁がなかったからだ。だが、妻とは仕事先で出会ってから嘘のようにとんとん拍子で話が進んだのだ。結婚して、挨拶に妻を本家に連れて行ったときのことだった。「ここに来たことあるわ」と本家の玄関前で妻は言った。「家で遊んでいたとき、気がつくといつもこの場所にいた。皆で火を焚いていた」まさか……あのときの女の子は……!「目の前にいた子が誰かはわからないけれど、あなたに会ったとき懐かしい気がして」彼女が初めて笑いかけた表情に惹かれた理由が私にはそのとき、はっきりとわかっていた。「そうよ。みるみる成長していなくなったけど、笑顔の素敵なあの男の子はあなただったのね!」

第175回 サタンの下請け

 サタン様が上空を仰ぎ気配を感じたようなので、あわてて出掛ける用意をすると同時に、出勤となった。次元の裂け目を飛び越えると薄暗い部屋だ。部屋の中には床に五芒星が描かれ、その中央に男がひとり立っている。サタン様が男の前に立つ。男は恐怖と戦っているように見える。俺たちは物陰に隠れて様子をうかがう。男は悪魔の契約を望んだのだ。
「私を呼び出したのは、何やら願いがあるのだな。何でもかなえてやるぞ。ただし、お前が死んだら魂はいただくぞ」
 サタン様はいつもと同じセリフを伝える。
「はい。魂は自由にしてかまいません」
「そうか。では、願いを言ってみろ。金か?女か?権力か?」
 俺たち小悪魔はサタン様の下請けをしているのだ。サタン様を呼び出してどんな願いを言うのか見当もつかないが、その願いをいちいちサタン様がかなえて回っていたら身が持たないではないか。だから、サタン様は俺たち小悪魔の下請けに課題を消化させるのだ。
 これから、サタン様を呼んだ男がどんな願いを口にするのだろうか。
 大金持ちにして欲しい!といったシンプルな願いであれば楽勝だ。男の銀行口座の数字をちょちょいと書き換えてやればいい。現金でなければ駄目というのであれば、俺たちは急いで”本物のお札”を刷る。偽札をつくるんじゃあ、ない。本物のお札だ。誤解しないように。それで、願った本人は満足するだろうか?一時的には満足するだろうが、その後虚しさを感じても知ったことではない。
 絶世の美女を好きになってしまった。愛を告白したが、一発でフラレてしまった。彼女も自分のことを愛するようにして欲しい。
 そんなのも簡単なものだ。惚れ薬を作って美女にかけてやる。願った男のDNAをブレンドした惚れ薬だ。効果は抜群だ。
 そんなことを願って大丈夫ななのだろうかと思う。美女もいずれは老いさらばえる。体型も変化するだろう。男が愛想を尽かしても、かつての美女からつきまとわれるだろう。それでも、いい。そう男は言う。
 あとは知ったことではない。
 権力が欲しいという抽象的な願いをする者もいた。某国の大統領にしてやったのだが、本人は嬉しいのだろうか?某国の国民たちからは蛇や毒虫並みに嫌われていることもわかりそうなものだが、それでも権力にしがみつきたいのだろうか?
 サタン様は願いをかなえた代償の魂だけ貰えばいいのだ。願った男が後悔しても、契約は契約だ。約束を守ったのだから契約の報酬は頂くことになっている。
 魂をサタン様が、どうされるのかというと……喰ってしまうのだ。魂を手に入れたサタン様は、魂を軽く炙る。それから特製のタレを塗って、細くちぎって獄乱酒のアテにするのだ。大半はサタン様が喰ってしまうのだが、焦げすぎたところや、あまり好まれない部位のおこぼれは俺たちにまわってくる。それがサタン様の下請けの報酬というわけだ。一番美味しいところは、サタン様が味わうわけだが、それでもお裾分けの魂の屑は途方もなく美味い。恍惚となるほどの味だ。だから、サタン様の下請け仕事はやめられない。しかし、人間たちは魂がこれほどの珍味、美味とは知らないのだろうな。悪魔が契約で代償に死後の魂を求めていると聞いて、変なものを欲しがるのだな、くらいにしか思わないのだろう。
 それに、嫌われる者や、欲深な者ほど、魂の味がいいということもあるのだから、文句はない。だから強欲で反吐の出そうな人格の人は願いのかなえ甲斐があるというものだ。
 おや、サタン様のお出かけだ。俺たちも、また、ひと働きしないとな。今度も、強欲で、簡単な願いであることを祈ろう。
 あれ、サタン様が腕組みをして、眉間に皺を寄せているぞ。いったいなにごとだ?
 こんなことは、今までなかったというのに。
 いったい、どんな奴だ。サタン様を呼び出して困らせるような願いをしている奴とは。
 よほどの強欲の者たちだろうな。では、とびっきり珍味の魂なのだろうて。
 どれどれ。
 ありゃあ、サタン様の影に隠れて見えなかったが、呼び出したのはまだ幼い子どもではないか。何を願ったんだ?サンタクロースに本当に来て欲しいとか、オモチャとお菓子が欲しいときに、いくつも、とかいう願いなのか?
 しかし、なんと清々しい澄んだ目をした子どもなのだ。
 で、サタン様への願いは「地球上のすべての人たちを幸福にして、穏やかで平和な日々を送れるようにして下さい」
 それがお前の望みだって?
 地球上の、すべての人!確かにそりゃあ手が足りないよ。サタン様と俺たちだけでその願いをかなえるには、どれくらい時間がかかるんだよ!
 この子が元気なうちに願いをかなえられればいいのだが。こんな難題とは……!!できるんだろうか。

第174回 今日は何の日?

結婚前の妻がそんな話題ばかり持ち出してきても、何も気にならなかった。惚れた弱みと言えばいいのか。何を言っても、それは彼女を魅力的に思わせることでしかなかった。
 そして妻になった彼女が問いかけてくる。
「明日は何の日か知ってる?」何の日だったろう?
「私が、あなたと初めて話をした日よ」少し驚いた。結婚記念日とかは覚えているが、妻と初めて話をした日なんて覚えている筈がない。昔はそんなことをちゃんと記憶しておいてくれる妻が愛おしく思えたものだった。彼女は紙袋を差し出した。中には菓子を詰め合わせたものが。聞けば、私はそのときキャンディを一個、隣の席にいた彼女にあげたのだそうだ。それから話すようになった、と。私はよく覚えていない。好意があったから、そんなことをしたのだろう。
 別のある日の朝、「今日は何の日?」と尋ねられる。初デートの日だったろうか?いやちがう。わからない。そう答える。
「初めて、あなたと手をつないで歩いた日よ」今はもう手をつないで歩いたりはしない。遠い昔、そんなことがあったかもしれない。彼女は日記でもつけているのだろうか。新しい手袋をプレゼントしてくれた。「あの日、私は手袋をプレゼントした。覚えていないでしょう。あなたの手が冷たかったから」
 少しづつ、そんな妻の性癖が気になり始めていた。
 いつもの夕食とは違うメニューが出てきたこともある。いつもは酒と刺し身の晩酌メニューなのに、その日はオムライス。
「なんで、こんなメニューを?」
「あなたに、昔、大好物は何?と尋ねたとき、オムライスかな、って答えたの。それが今日だったの。だから喜んでもらえるように記念のオムライス」と得意そうに言った。
 確かに昔は、オムライスが好きだった時期もある。しかし、舌も嗜好も昔とは違うのだ。しかたなくオムライスを食べたが、うまいものではなかった。
 変わったのは私だけではない。
 妻も変わった。一番変わったのは見かけだろうか。昔はほっそりタイプの清楚な美人だった気もするのだが、今は、陸に上がったトドだ。しかも、毎日「今日は何の日?」と尋ねてくる。
 何の日でもいいじゃないか。
 今の私の願いは妻に話しかけられることなく、静かに日々を送りたいだけなのだ。一人っきりで干渉されることなく。しかし、今のままでは、とても無理かな。
 そう考えている私に、妻は尋ねてくるのだ。
「今日は何の日か覚えてる?」と。
 私の静かな時を邪魔しないでくれ。ただ、 ただ、安寧のときが欲しいのだ。
 本来なら、黙ってろ!と叫べば黙ったのかもしれない。しかし、今は静かになっても明日になれば、今までと同じように懲りもせずに、私に尋ねるのだ。
「今日は何の日か知ってる?」
 毎日が何かの記念日なのだろう。もう沢山だ。世の中だって記念日が多すぎる。わが家の記念日まで加えたら……。
 勘弁してくれ。
 そのときの私は、この世界を、もう少し平和で人類が仲良く過ごせるようにする方法について考えていた。そして、その真理へあと一歩のところへ辿り着こうとしていた。
「ねえ、ねえ。今日が何の日か知ってる?」
 私の脳内で、全世界が平和に至る方法がガラガラと音を立てて崩れていった。
 見ると、妻が私の左袖を引っ張っているのだった。
 瞬間的に私は妻に強烈な殺意を抱いていた。
 反射的に妻に飛びかかると、彼女の太い首を力いっぱい締め上げていた。もう少しで世界平和の方法にたどり着けるのを邪魔しやがって。
 はっと我に返ると妻は動かなくなっていた。生者らしい反応は何もなかった。
 私は妻を殺してしまったのだ。
 後悔はしなかった。いつか、こうなるだろうという予感があった。だが、このまま捕まる訳にはいかない。それに、妻が死んだ今、私には自由の日々が待っているのだから。
 そうだ。死体を隠そう。もうすぐ夕暮れだ。庭に穴を掘り埋めてしまおう。誰かに尋ねられたら、妻は今、旅行中だと言えばいい。誰にもばれる筈がない。夜明けまでに穴を掘れば、埋めてしまうことができる筈だ。階下に死体を運び、リビングから庭に出て作業を済ませよう。
 妻の死体は予想以上に重かった。シャベルはテラスにあった筈だ。階段を脂汗を垂らしながら下りていく。妻を引きずりつつ。
 やっとリビングに下りたときだった。
「おめでとう!」と声がかかり、クラッカーが鳴り、煌々と部屋に明かりがつく。何ごとだ。知人・親戚たちが、私と妻の死体を囲んでいた。………今日は何の日?
「ハッピー・バースディ!!」と叫びかけた声が途中で途切れる。
 思いだした。私の誕生日だったのだ。そして、妻はサプライスを仕掛けていたのだ。
 皆の笑顔が凍りついたままになっていた。

第173回 嘘つき村のエイプリル・フール

太郎が花子から聞かさせたこと。「明日はエイプリル・フールよ。太郎は嘘ついたことある?」
「いいや。ない」と正直者の太郎は答えた。花子は馬鹿にしたように笑った。
「じゃあ、せいぜい嘘をつく練習をすることね」
 太郎はエイプリル・フールとはどんな日なのか調べた。年に一度だけ嘘をついても許される日のことだった。嘘をつくのは悪いことだと思う。花子はいつも嘘をついていることを思いだした。太郎の隣村に住んでいるのだが、その花子の住む村は嘘つき村といって住民全員が嘘つきなのだ。
 太郎が住んでいるのは正直村なので、嘘などついたことはない。 
 よく村はずれに行くと旅人に尋ねられることがある。「この村は嘘つき村ですか?」と。太郎は「いいえ、ちがいます」と答える。すると旅人は納得して頷いている。そこに花子がやってくると彼女にも尋ねている。「この村は嘘つき村ですか?」「はい、そうです」と花子は平気で嘘をつく。
 どうも太郎の村と花子の村が嘘つき村かそうでないかはクイズの問題にもなっているようだ。
 夜が明けて翌日になった。太郎はわくわくして村の外に出てみる。旅人に「この村は嘘つき村ですか?」と尋ねられたら「そうですよ」と答えてやろうと。なにせ、エイプリル・フールなのだから。嘘をついても誰に叱られることがない。しかし、誰もやって来ない。
 花子が嘘つき村から、にたにた笑いながらやってきた。そして太郎に声をかける。
「私をだます話を思いついたの?」
う・う・う…そう言われると太郎は何も出てこない。嘘をつき慣れないから嘘がが出てこない。しかも花子は嘘つきの達人である。そんな花子から、早く嘘をつきなさいと言われても、直ぐにバレてしまいそうではないか。
 おまけに太郎はいつも花子に騙され続けているのだ。嘘つきのキャリアが違いすぎる。花子が嘘をつくとわかっていても、巧妙すぎて嘘が見抜けず騙されてしまう。
「今日は、狼が出没しているんだって。もうすぐ襲いに来るって話よ。私もちらっと狼の姿を見たから」と太郎を脅してくる。まさに”狼が来る”でそんな嘘をついてると誰も信用しなくなる、という典型的なやつだ。そう思って太郎は花子に言う。
「そんなの嘘だとすぐにわかる。下手な嘘はやめろよ」
 すると、花子はしらばっくれることなく嘘を認める。
「さすが太郎君ね。すぐに嘘を見抜いて頭いいのね。噂どおりだわ」
 そう続けられるとさすがに太郎も悪い気はしない。「そんな気がしただけだ。噂どおりって何だよ」
「いや、太郎君は頭よくって素敵って皆、村の女の子が噂してるわ。一番きれいな少女いるでしょ。あの子も頭のいい太郎くんが大好きだって。声かけたらきっと大喜びよ」「そうだったのかあ!あの子が!!」
 太郎が少女にその気になって声をかけたら、頬を叩かれて凄い剣幕で罵られて、初めて騙されていたと気づく。
 また騙されたと太郎は悔しがる。どこに花子の騙しのポイントがあるか、見破らなければならないと思ってはいるのだが、花子のほうが一枚上手のようだ。
 今日も太郎は考えたが、嘘が思いつけなかった。悔しくて、太郎は花子に言った。
「今日みたいなエイプリル・フールは嘘つきの花子はとんでもない嘘をつこうとしているんだろう?」花子は首を横に振る。
「とんでもないわ。実は今朝、長老が言ったの。世の中はエイプリル・フールは嘘をついてもいい日だが、我々の村では本当のことしか言わない日にする。嘘をついちゃなんねえぞ、って」
「じゃあ、今日は嘘つき村は嘘をつけないのか!」と太郎は驚く。花子は頷く。すると、太郎は嘘つき村のきれいな少女のことを思い出した。あの子も今日は嘘をつかないんだなあ。ふと、花子は言う。「あの美少女のこと好きでしょ」「いいや」と太郎は平気で嘘をつく。「ふうん。まあ、いいわ。でも、あの子は内心は太郎君のこと好きみたいよ。で、あの娘は険ヶ岳の中腹の泉にいる銀色イモリの黒焼きが食べたいと寝言のようにいつも言ってる。太郎君がプレゼントしたら、あの娘は太郎君に首ったけになるわ」「ほんとか?」「ほんとよ」
 険ヶ岳をよじ登り、七難八苦の目に遭って太郎は銀色イモリを捕まえて黒焼きにした。元は銀色だったかわからなくなったが、それでも喜んでくれればと、やっと持ち帰り、嘘つき村の美少女に黒焼きイモリを差し出すと、美少女はまたしても怒り狂い、棒で太郎をひっぱたいた。「私がイモリ大嫌いなの承知でこんな嫌がらせをしたのね!」
 ほうほうの体で逃げ帰った太郎は花子に文句を言う。「よくも、騙したな。今日は、嘘をついちゃいけないと長老に言われているだろ」
 すると花子はペロリと舌を出して言う。
「あー、あれは嘘よ。だって、本当のエイプリル・フールよ4月1日。明日なのよ。騙される太郎君が悪いのよ」
 太郎はもう何がなんだかわからない。

第172回 本当は怖い桃の節句

 2LDKの賃貸マンションに住んでいるから家族三人で暮らすための家具は最小限だ。だから娘のために桃の節句の雛人形を買って飾るなんて問題外だった。娘が幼い頃は良かった。そんな雛人形なんか家庭では話題にも出なかったから。しかし娘のミクが幼稚園に通うようになってからのこと。
「うちには、おひなさまはないの?」と言い出した。娘の幼稚園のお友だちは、皆、わが家に雛人形が飾られているらしい。折り紙や絵に描いたお雛さまではだめなのか、と尋ねるが、娘は納得しないようだ。お友だちの家のお座敷に飾られていた雛飾りが強烈に心に焼き付けられたらしい。
「お内裏さまがいてね。その下に三人官女がいるの。その下が五人囃子……。凄いのよ」飾るスペースどころか、買う余裕もない。どうするべきなのかなあ。
「ミクは雛人形の意味を知ってるかい?」
「ううん。よく知らないけれど、お祭りで飾るんでしょ?」
「そう、しかし、本当の意味を知っておいたほうがいい。それを話しておこう。あの一番上の男は誰か知っているかい?」
「お雛さまのご主人でしょ」
「ところが違うんだ。あれは不思議な力を持っている。で、親の言うことを聞かない悪い女の子がいる家では雛人形を買うんだ。で、その女の子は誰もいないときに、五人囃子の人形たちに捕まってお雛さまの人形の中に閉じ込められてしまうんだよ。だから、お内裏さまは、捕まえた女の子が雛人形から逃げ出さないように見張っているんだ。いったん閉じ込められた女の子は不思議な力で決して逃げ出せないからね」
「五人囃子はどうやって女の子を捕まえて人形に閉じ込めるの?」
「それぞれ手に楽器みたいな持っているだろう。あれは楽器なんかじゃない。悪い女の子をお雛さまに変えてしまうための秘密の道具なんだ。動けなくして、小さく縮めて、声を出せなくして、閉じ込めてしまう」
 ミクは一瞬震えたように見えた。
「三人官女は助けてくれないの?」
「なんのために三人官女がいると思う?真夜中に人の気配がなくなったら三人官女たちは悪い女の子がいかに罪深かったかと責め立ててくるのさ。よってたかってね。何と可哀想なことだと思わないか?」
 ミクは、すでに泣きそうな顔でいる。
「だから、一年に一度くらいは人形にされた悪い女の子を箱から出して飾ってやるんだよ。年中、暗いところだと可哀想だろう。でも、昼間は黙って静かにしているけれど、夜になって家の人々が寝静まると、三人官女はお雛さまを罵り、五人囃子はいたぶり、お内裏さまはそれをせせら笑って見ているいるというぞ」
 ミクは首を振り、泣きながら顔を伏せていた。
「これでも雛人形は欲しいかい。いつまでもミクがいい子でいれば、大丈夫だけれど。でも、悪い子と思われたら、五人囃子が夜中にミクに飛びかかってきて……」
 きゃあ、と悲鳴をあげて娘は泣き出した。
「それでも、雛人形ほしい?」と尋ねると、ミクは激しく首を横に振った。
 そこへ妻が帰ってきて、部屋の隅に置かれていた荷物を出してきた。
「おい、おい。これはいったい何だよ」
「さあ知らない。義母さんからミク宛に今日届いた荷物なの」
「へぇ。ミク、開けてごらん」
 皆で開けてみると中は人形のようなものが二体入っている。まさか。きゃっとミクが悲鳴をあげた。入っていたのは、雛人形のセットだった。男雛と女雛だけの簡易版のようだ。母のミクへのプレゼントだ。気持ちはありがたいが、なんとタイミングの悪いときに贈ってくれたものだろう。
 それが何の人形か、薄々ミクにもわかったようだ。「私、これは、いらない。怖いし、人形になりたくないもの」
 これまでの経過を知らない妻が娘に言った。
「せっかくおばあちゃんがミクに贈ってくれたのよ。おや、説明書がある。最新ハイテク雛人形セットだって。スイッチを入れてみようか。どんなのかしら?」
 雛人形を置く。何だか私のほうが嫌な予感がする。妻は驚いていた。雛人形がすっくと立ち上がったのだ。「これAI内蔵雛だって。義母さんとの会話を学習して、このお雛さまはお義母さんそっくりの性格になっているみたいよ」
 お雛さまは、すたすたと私に歩み寄ってきて言った。
「こら。お前は箱の中で黙って聞いていれば幼い自分の娘に嘘八百吹き込んで、あんなことを信じ込ませて可哀想と思わんのか!」
 口調は母そっくりだ。まさか、聞かれていたとは。
「この馬鹿息子!せっかんじゃあ!」
「ひえーっ」
 雛人形は、すごい勢いで私に飛び蹴りキックを喰らわせた。眼の前で星がきらめいた。

第171回 理想の伴侶

 私は自分に足りないのは伴侶だと思っていた。そこそこの収入を得ている。うまいものを食べ、スポーツを楽しむ。それなりの家も持つことができた。だが、この年齢になるまで独身のままだった。しかし縁がない。いや、モテないわけではない。言い寄ってくる女性も少なくはない。ここで思いあたった。私はどうも理想が高かったようだ。自分にぴったりだとピンとくる女性に出会えなかったようだ。
 だが、私の好みの女性が突然現れた。あれは運命だったのかもしれない。
 初めて彼女に出会ったのは、友人の開いたクリスマス・パーティだった。そこで見かけた美しい女性が彼女だった。しかし、美しくても厭な性格だったり相性が悪かったり、というのはよくある。惹かれたのは、彼女がパーティで一足早く帰ろうとしたときだった。
「どうして早く帰るの?これから盛り上がるのに!」と男性たちは呼びかけたが彼女は「だって早く帰らないと、今夜はサンタさんがくるから」と。ひょっとしたら冗談かとも思ったが、興味を持った私は彼女を送っていくことにした。そして彼女が本当にサンタクロースを信じていることがわかったのだ。小学生以上でサンタクロースを信じているのは今どき珍しいのに。しかも彼女は二十歳を過ぎた大人なのだ。いつもサンタに会おうと起きているが、気がつくと眠り込み、朝にはプレゼントがおいてあるの、と悔しがる。現代に彼女のような女性が存在するのが驚きだった。話し方、答え方、どこをとっても彼女は私の好みだった。すぐに私は彼女をデートに誘った。
「お正月に一緒に神社に初詣に行きませんか」
 彼女は信じられないという表情で空を見上げた。
「どうしたのです?」と尋ねると、彼女は「聞かれなかったかしら?」と私を見て眉をひそめた。「どうしたんです?」「鬼が聞いていたら、何をされるか」「鬼ですか?」「はい。鬼がどこからか見ていて、来年のことを言うと鬼が笑って……」と真剣な顔になったから、慌てて彼女をデートに誘うのを止め、携帯の番号を聞くにとどめた。彼女は素直に教えてくれた。
 そして年が明け、初詣に誘うと彼女は来てくれた。夢のようだ。「ひょっとしたら電話番号は嘘を教えられたんじゃないかと心配したんだよ」
「嘘なんか言いません。嘘をつくと、死んだら地獄に行くことになるし、閻魔さまが舌を抜くんですよ。知りませんか?」
 そんなの迷信だ、と言いかけて口を閉じる。
 すべてが、そうだ。彼女は特殊なのだ。どのような育ち方をしたのかわからないが。
 神社に参りに行くときも「歳神さまは、おいでになられました?」と尋ねてきた。正月に来る神で、主に農業に欠かせない神さまらしいが、八百万おられるらしい。私にはあまりよくわからず頷くだけだった。それでも彼女は私の心を捉えて離さない。数回のデートの後、私は彼女にプロポーズした。すると、何ということか、すぐにOK。信じられない。
「どうして、すんなりとプロポーズを受け入れてくれたの?」
「耳たぶが大きい人はお金持ちになるって聞いたわ。あなたはそうだから。それにプロポーズのときに私の手を握ったあなたの手は冷たかった。そんな人は心が温かいって。だから」
 それは私にとってラッキーと喜ぶべきだろう。
「私は幼い頃しゃもじを舐めていたそうです。そんな私の結婚式は必ず雨になると思いますが、いいんですか?」
「そんなのいいですよ!」理想の女性を妻にできる喜びに、私は答える。
 彼女が言ったとおり、私たちの結婚式は土砂降りの大雨になった。
 初夜を迎え、私は正直に自分の気持を彼女に伝えた。
「早く、僕たちの赤ちゃんが欲しいね」
「ダーリン。私もよ」と彼女が言う。感激だ。彼女は私のことを”ダーリン”と言ってくれた。そして一緒に寝室に入ろうとすると、彼女は烈火のごとく怒り始めた。ええっ!?
「なぜ寝室についてくるんです。女性が眠る部屋についてくるとは、なんていやらしい!そんな変態を夫にした覚えはありません。妻を幻滅させないで!」
「しかし……しかし……赤ちゃんを君も欲しいだろ?」
「ええ。だから早く赤ちゃんを授かるように、コウノトリさんにお願いしているわ」「コウノトリ!赤ちゃんを連れてきてくれるわけない」
「そうね。キャベツ畑だったわね。今度の満月の夜に二人でキャベツ畑に赤ちゃんを探しに行けばいい。眠いの!ゆっくり休ませて」
 眼の前で妻はバタンと寝室のドアを閉め、中から鍵をかけてしまった。
 しばらく失意のあまり呆然とした私は、家を出て夜道をふらふら彷徨い歩いた。頭の中をさまざまな思いが去来する。あんなふうに夢を見ている女性を好きになる私も私だが、世間の真実を知らせるべきだろうか?サンタはいないことも。しかし、それは私にとって彼女の魅力がなくなること意味する。どうすればいい?
 土橋を通りかかったときだ。橋の下から赤ん坊の泣き声がする。まさか!
橋の下に赤ん坊が棄てられていた。そのとき、私は突然思い出した。幼い頃悪いことをしたときに両親から言われたことを。
「お前は橋の下で拾ってきた子だ」あれは本当だったのか。そして、この赤ん坊はまさに私なのだ!!私は赤子を抱き上げ、家へ足を向けた。妻に「赤ちゃん授かったよ」と伝えようと。

第170回 ナマハゲ・サミット

 私は北国の会場へ到着した。私が勤務する村役場に招待状が届いたのだ。開幕はなんと元旦の夜。
 その招待状には、こうあった。
 第一回ナマハゲ・サミットのご案内、と。
 実は、あまり有名ではないが、私の村にもナマハゲに似た来訪神行事がある。
 由来はわからないが、デコハゲという行事だ。ナマハゲに似た来訪神だが見た目は違う。蓑を着けているのは同じだが髪の毛が生えておらず、おでこが大きい。村中の家を旧正月に巡るのが習わしとなっている。見るとちょっと間が抜けている感じだ。左手に金串、右手にトングを持ち玄関に入り、「悪い子はお仕置き!悪い子は折檻!」と叫ぶ。すると、その家の子どもたちは震えあがり泣き叫ぶのだ。
 それなりに楽しいし効果もある。このデコハゲをやることにより、子どもたちは、日頃”いい子”でいなければならないと学習する。それが、年一回の行事で、地域のイベントとして根づいてしまった。それほど昔からあった行事ではないと思う。想像だが十数年前に、地域の誰ということなしに言い出して、ナマハゲの真似ということで始まった行事ではないのだろうか。それが定着して今回のサミットにも呼ばれるほどに、世間にその名は浸透したようだ。
 来訪神が地域の家を回る行事は、大晦日、あるいは節分、旧正月と、節目になる日が多いようで、その中で、ナマハゲの行事が比較的少ない日ということで元旦の夜が選ばれたのだろう。
 会場には全国のさまざまな地域の来訪神たちが、それぞれ個性的な姿で集まっていた。来訪神は普通の人々が演じているのだが、コスチュームで身を包むと”らしく”見えるから不思議だ。本当はその地域の商店主だったり、公務員だったりなのだが。しかし、なぜこのようなナマハゲ・サミットが始まったのか?
 世界文化遺産に認定されたのがきっかけになったのだろうか?来訪神をもっと広く認知してもらい、それぞれの観光資源になればという意図があるような気がした。
 気になったのは、このサミット開催団体が公的な団体ではなく、聞いたこともない研究団体名であったことだ。確か、ナマハゲ復活振興会と言ったか。
 民俗学関係の団体だろうか?
 広い会場では、さまざまなナマハゲもどきが行ったり来たり。これほど世の中にはナマハゲ風習が多いのだろうか、と驚く。パンフレットをぱらぱらめくると、北は北海道どころか、ロシアの聞いたこともない村の名前もある。南は沖縄の離島どころか、東南アジア諸国の写真もあった。椰子の葉で身体を覆い、椰子の実を割って牙をつけていたのがそうか。
 パンフレットには来訪神の名前が書かれていた。ナマハゲはもちろん、私のデコハゲもある。コガリ、オニドリ、アカバシリ、オノドン、スネモンとネーミングもさまざまだ。だが、どれも子どもたちには怖れられそうな姿だ。
 会場が薄暗くなる。何やらサミットのメインイベントが始まるようだ。
 中央の高台に主催者らしいナマハゲが登壇した。でかい包丁を振り回し、マイクで叫んだ。「さて、津々浦々の来訪神の皆さん。本日はこのナマハゲ・サミットによくお集まり頂きました。さて、全国どころか、世界にはナマハゲに代表される来訪神行事が多数存在します。これは決して偶然ではなく、古代にナマハゲが実在し、それを目撃した人々がどこかへ去っていった来訪神を偲び、彼らを模倣したのが行事として残り、変化していったのではないでしょうか。そして行事は風化して、今の世界各地で見られる来訪神行事になったと思われます。」
「さて、子どもたちは今、ナマハゲを怖がってくれるでしょうか?乳飲み児はともかく、すれた子どもたちには馬鹿にされ、ゆるキャラ扱いされるのが関の山であります。」
「今こそ、子どもたちに来訪神の怖さを認めさせる時期ではないでしょうか!そのためには今一度、本物のナマハゲを蘇らせて召喚し、その怖さを学ぶべきではありませんか!今このサミットでそれを実現させたいと思います。全国のナマハゲの末裔たちが意識を集中させれば、必ず本物のナマハゲは現れます!」
 誰かが叫ぶ。「そんなことで本物のナマハゲが呼べるのか?」
「実は古文書からナマハゲ召喚の秘文を手に入れております。この呪詞を唱え、ナマハゲを演じる方々と念じれば必ず降臨され、ナマハゲの真髄を伝授されるはず」
「暴れだして襲ってきたりはしないのか?」
「大丈夫です。大昔からナマハゲが懲らしめるのは”悪い子”だけに決まっています」
 会場内に意味不明の不気味な呪文が大音響で流れ、参加しているナマハゲたちも、それに反応するように半狂乱で踊り始めた。
 どれほど続いたか。遠くから会場に地響きが近付いてくる。本物のナマハゲが降臨したと私は確信した。そして、腹にこたえるような響きの不気味な声。
「悪い子は、いねぇがー。悪い子は~」
 本当だ。悪い子どもたちが処罰の対象らしい。会場の天井がめりめりと裂け、巨大な鬼のような化物の充血した巨大な眼が覗く。これがナマハゲか!
 なんということか。ナマハゲの腕が伸び、何人かのナマハゲに化けた参加者を掴むと包丁で首を叩き切った。
 私は予想外のできごとに仰天した。なぜだ!子供だけだろう。
 そして、本物のナマハゲが数万年前の古代の生まれと思いだす。そんなナマハゲの目からすれば我々は皆、子ども同然なのだ。しかも何も悪いことをしていない者なぞこの世に存在しない。
 古代の巨大ナマハゲの手が目の前に伸びて私を握りしめた。最後に見えたのは巨大な包丁の刃。

第169回 根子島の呪われた月

 天草と島原に挟まれた小島の名を根子島という。人口は千人に満たない。そして、人口より猫の数が多い。そしてこの島に住む人々は十二月を呪われた月として、絶対に夜は出歩いてはならないと言い伝えてきた。今でも、その風習は残っている。
 この島で生まれた末吉は、その風習が不思議でならなかった。世の中がこれから変化しようとする明治末期のことだ。
 末吉はお爺に尋ねた。「なあ。なんで今月は、夜、外にでちゃあなんねえのか?」
「昔から、そういうことになっとるからな」
「昔からは、わかってる。なぜか、ということを知りたいんだよ」
 爺は、皆を見回して仕方なさそうに言った。
「お前の親父も兄貴たちも、そんな疑問は持たなかったぞ。当たり前と思っとったから」
「でも、なぜかは知りたいよ」
「玄関にしめ縄が飾ってあるのは知っとるか」
「ああ知ってる。あれがどうしたの?」
「他の土地では玄関にしめ縄を飾るのは正月だけだ。ここでは年中飾ってる。それは、この家が切支丹伴天連ではないと皆に知らせるためだ」
「それは聞いたことある」
「昔々、このあたりには切支丹がいっぱいおってな。でうすを信仰しとったんぞ。毛唐の宣教師がおって、皆に伴天連になるよう謀りおった。だが、お上からそんな信仰は駄目だ、と禁止されたんだよ」
 それも、末吉は話に聞いたことがあった。だが、隠れ切支丹は捕らわれ処刑されたということは聞いていても、十二月になったら夜に外に出ちゃならない理由は聞いたことがなかった。
「だから、うちは切支丹じゃないんだろう。よく知ってるよ」と末吉は声を荒げた。「でも、切支丹と師走の夜は関係あるの?」
「ああ……ある」とお爺は口を濁す。
「なぜ?それを教えてよ」
「わしの爺のお爺のずーっと爺が言っていたことなんで、どこまで本当かは知らないが……聞きたいか?」
「聞きたい!聞きたい!」
 お爺は遠くを見る目になり、思い出そうとしながらボツボツと話し始めた。
「切支丹が禁止された頃な、転んだ神父がおった。転んだというのは切支丹であることをやめたということだ。昔、お上はその神父を連れ回って、皆に切支丹がどんなに恐ろしい宗教であるかを広めておった。」
「そんな一行が、この島にも来たのだという。そして島中の者が集められて、神父が話をしたのだそうな」
「その折に転び神父は切支丹のとんでもなさと、十二月の夜は外に出るなという話をしたのだと」
「え。なぜ十二月は夜出ちゃいけないの?」
「うむ。十二月の下旬には、アレがあるということだ。口にもしたくない。”苦しみまーす”という日々のことだな」
 末吉はゴクリと生唾を飲み込んだ。”苦しみまーす”という忌まわしい日々。いかにも恐ろしそうではないか。いったいどのような日々?拷問にあう?
「どうなるの?なぜ苦しむことになるの?」
「よくわからん。が、転び神父が顔をしかめて言うたらしい」
「なんでもな、”苦しみまーす”の夜に出現する呪われた化物がおるそーだ。あまり転び神父は話したがらんようだったが、役人に小突かれてしかたなく話したのだが」
「その化物はな”さんざ、苦労する”という奴だそうだ。とにかく、十二月の夜にうろついとると、この”さんざ、苦労する”が襲いかかってきて、とんでもない目にあわされるとのことだ」
 末吉の頭の中は、目玉のでかい、口が耳まで裂けた巨大な化物が島の中をうろついている姿で溢れかえったのだった。
 それ以上、末吉はお爺に尋ねなかった。そして、数年が経った師走の夜のこと。成人した末吉は皆に言う。すでにお爺はこの世にいない。
「聞いてくれ。子供の頃、お爺に師走は”さんざ、苦労する”という化物が徘徊し悪さをするから”苦しみまーす”の日々になると聞いた。俺は、そんなの迷信だろうと思う。”さんざ、苦労する”なんて大人が考えただけの存在だ。この”苦しみまーす”の夜、それを皆で確認しようじゃないか」
「本当にその化物が襲ってきたらどうする」
と兄貴の一人が言う。
「これだけ島の衆がいれば、怖いものなしだ」末吉たちは景気づけに酒を飲み、化け物退治をすることになった。

「この東洋の小島に下りるのは初めてだな。いい子たちはいるかのぉ。オッホッホー」
 空飛ぶソリに乗り赤鼻のトナカイを操って、サンタクロースは初めて根子島を訪れたのだ。そこでサンタクロースが目にしたものは……。
 サンタは言う。「この島に良い子たちはおらんかねー。オッホッホー」
 すると、末吉が叫ぶ。「やっぱ本当にいやがった。”さんざ、苦労する”の化物が。やっちまえ」
 末吉たちは皆で一斉に飛びかかっていった。
 遠くで、猫がミャーと哀しそうに鳴くのだった。