第193回 無神教のお誘い

 師走の声を聞くと風も冷たく思える。そうか、師走かあ、と溜息が出る。大変な年だったなあ、と振り返って毎年思うのだが、今年は特に大変な年だったような気がする。師走は師も走るほど忙しいという意味だが、この“師”というのは学校の先生のことではなく坊さんのことだという。人の道を悟す坊さんでさえ走り回るのか。
 駅前へ来て思う。このような駅前広場では日頃から宗教に関わる人が出没するのだが、なるほど師走はいつもより出現率が高い気がする。大声で叫んでいる男が持つ旗には。
ーー目覚めなさい。神の最後の審判の日は近づいている。
 先を急ごうとすると女性が小冊子を手渡してきた。
ーー神はあなたの行いを常に見ている。
 目玉の絵と仔羊たちの絵。アンバランスだが、その目玉は神の目なのだろうか。
「おまちなさい」と呼び止められた。「なにごとですか」と訊ねると「あなたの心の中に住む邪悪なものが見えます。追いやってあげましょう。わたしの手の先に神が宿っていますから手かざしで浄化します」と
 実は、私は神という存在を信じていない。彼らはこの世界を、宇宙を、神が創造したのだという。神ではなく物理現象で宇宙は生れた。地球が誕生して生物が発生する。生物が進化を繰り返して人間になった。そして現在に至る、と思っている。
 そうではないか!神がどこに介在できるというのだ。
 すべての宗教で死後の世界には天国と地獄が待っている。行く先は生前の行いや信仰によって決まる、ということになっている。だから神が示したルールで生前を過ごすのが大事なのだと。
 神などいない。馬鹿げている。死後の世界など存在するわけがない。死後の世界を恐れる人間が作り出したのが、宗教の正体だと思う。だから、私は、神の存在を信じない。このような者を無神論者と呼ぶのだ。そんな人間は宗教には縁がない。
 それにしても、年末はよくもこんなに各宗派が信者を増やそうと、駅前に出現するものだ。少なくとも私には無駄だ。呼びかけても。
 すると「神はいない」と記されたポスターが貼ってある。これは意外だ。私と同じ考えだ。中年男が叫ぶ。「無神教へお入りください」ポスターには「天国も地獄もない」とある。そして「死後の世界もない」
 これが宗教として成立するのか?驚き呆れて足を止めた。ポスターの前の男が近づいて来て言った。
「顔を見ればわかります。あなたは無神論者ですね。どうです。無神教に入りませんか」
「そんな宗教に入らなくてもやっていける。無神教に入るとどんなメリットがあるというのです?」
 男はにっと笑った。「私は科学者です。快楽死酵素を発見したことを皆に知ってもらいたくて無神教を立ち上げました」
 快楽死酵素…初耳だ。男は話し始めた。
「死後の世界はありませんが、人は死ぬ瞬間に苦しさや痛みを味わいます。ところが、その苦痛をなくす酵素が存在することを私は私は発見しました。その酵素の中でも特別な酵素が存在します。苦痛がなくなるだけでなく、死ぬ瞬間に、生涯味わったことのないような至上の快感を全身にもたらしてくれる。そんな酵素です。これを快楽死酵素と名付けました。現存するどんな麻薬より素晴らしい快感です。入信した途端、この酵素は体内で自己生成されることがわかりました。どうです。そんな体質になりたくありませんか?」
 なるほど。私は神は信じないけれど、これまで味わったことのない快楽が人生の最後に味わえるのであれば信者になってみようかという気になった。しかし、待てよ。
「入信して教団員になっただけで快楽死酵素が得られるならば、いったん入団してすぐに教団をやめればいいとも思えますが」
「無神教に入ればすぐに快楽死酵素がフルに備わるのは確かですが、この酵素はすぐに分解してしまいます。ただ無神教の教義を実行していれば、分解は止められるのです。教義はむずかしくありません。八つの戒めを守るだけです」
 へぇ。簡単な八つの戒めとはなんだろう?
「本当に簡単なことですか?片足立ちで一日過ごせ、とか、お犬さまより早く食事をしてはいけない、とかむずかしいことなんじゃありませんか?」
「そんなことはありません。実はあなたがよくご存知の方も無神教の信者だったとわかっています。たとえばキリスト。彼はキリスト教を起こしてから世の中の真実に気づき、無意識のうちに無神教の法則を実行していたのです。だから十字架で磔にされたときも激痛の表情に見える絵画ばかりが残っているが快楽の極みの表情だったのです」
「ホントですか?」
「実は仏陀も無神教信者でした。仏教を開いた後だったのでいまさら無神教と言えなかった。ご存知かと。傲慢、強欲、嫉妬、色欲、憤怒、暴食、怠慢などを犯さねば快楽死酵素は減少しない。世の中も平和になる」
 なんだ、それは知っているぞ「簡単ですね。七つの大罪を犯すなということですね。それならやれる。私も、その無神教に入信します。ん?待てよ。今ので七つですね。確か、さっきは八つと。最後の戒めは何でしょうか?」
 男はにっと笑った「はい。八番目。汝、教団にお布施を欠かすことなかれ」

第192回 ショート・ショートの主題と構造

 定期的にショート・ショートを書いていると迷いも生まれる。
 かつては、思いついたアイデアをそのままの勢いで原稿用紙に書き進めていれば、ちゃんと仕上がっていたし、面白いものになったと自己満足もできていた。
 そんな日々を送っていても、自分の作品に疑問を感じるようになる。壁に突き当たる。
 書いている途中で、このアイデアは一度書いたような気がしてならない。読者の方に陳腐と思われはしないか?誰もが驚くような斬新な話を書きたいのに。これは誰かがすでに書いたアイデアではないか?このオチでいいのだろうか?意外性は?ひとりよがりではないのか?
 そう思い始めると限りがない。思考が空回りを始める。それでも、無慈悲に締切は迫ってくる。だが、出てくるアイデアはどれも気に入らない。どうしよう。焦る。どうすればいい?
 そうだ。このようなときは初心に還るべきではないのか?ショート・ショートのどこに自分は感激したのか?幼い頃は、星新一ショート・ショート集を次々に読んでいたなぁ。変な事件が起こり読み進めていくと、結末では予想もしなかったオチが待っていた。ぞっとさせられたり、笑いが止まらなかったり。ときにはそれまで感じたことのない奇妙な気持ちにさせられたり。
 謎の薬を発明したり、見知らぬ部屋にいると外からノックの音がしたり。悪魔や魔人が出現して願いを叶えてくれる話もよく読んだ気がするなあ。そうだ。悪魔や魔人をどうやって呼び出していたのかを調べてみよう。
 私は、それから何冊もの古書を読み耽った。すると、その中に表紙が取れて中のページもずいぶん抜け落ちた一冊があった。読める部分にはこうある。
「ーを呼び出すには、こう唱える。“ハザラ・カマ・カマ・エキュイタス・ナヌーシ・ハヌーシ………”」
 何を呼び出すか前後がないからわからないが、大声で書かれた呪文を言ってみた。
 すると……。信じられない。何もない空間から中年男が突然現れたではないか。
「呼び出したのはお前か?何か頼み事があるのか?」
 悪魔にしてはうだつのあがらない風体。表情もどことなくぼんやりしている。
「いえ。今、面白いショート・ショートを書きたくて調べていたんです。そしたら間違えてあなたを出してしまった。いや、ショート・ショートを書く法則みたいなものがわかればいいなと思って」
 男は、わかったというように頷く。「ふん。お前の願いは、ショート・ショートを書くコツを知りたい、ということか」
「ま、早い話がそうです」
「ショート・ショートは6000字を超えずに一つの物語を完結させるのがいい。短く。数行でも大傑作が書けるのも特徴だ。短いのならこういうのもある。
“Boy meets girl.
Boy lost girl.”
Boy made girl.
三行ショート・ショートだな。これも最後に意外性を持ってきておる。」
「登場人物は少ないほうがいい。ショート・ショートで群像劇を書いても話が盛り上がらないし、ストーリーが語れない。それから、宇宙人や幽霊を出すと、読者を引き込みやすい。だが、叙述トリックのオチが多くてマンネリになりやすいから注意だな。ー私は3本目の手を素早く動かし驚いて倒れそうになる地球人を支えた~とか~うっかり、もう私には足がないことを忘れていた。もう私は死んでいるのだ~といったものだ。こんなオチでは呆れられるのが関の山だ。」
「それから、避けたいのは夢オチだな。さまざまな異変で、どうなるのだと読者をワクワクさせておいて、これまでの出来事はすべて夢でした、という結末にするのは読者に対する裏切りでしかない。読者から馬鹿にされても仕方ない。避けるべきだろうな。」
「悪魔との取引きや、不思議なものを売ってくれる店の話もよくあるぞ。これは便利だと思っても何か欠陥がある。魔法使い見習いの話がいい例か。魔法使い見習いがほうきに魔法をかけて水をくんで運ばせる。しかしうまく魔法が解けずにあたりを水浸しにしてしまう。技術の暴走というSFのテーマにも通じる。ドラえもんでもよくあるテーマだよ。」
「これからは、非現実的な設定で語り始めるのも、いい方法だと思う。とても存在しない職業が、現実にあったらどんなことが起こるだろう、というこれもIFの話づくりだな。架空の生物が出現したら、とか、どんなものでもIFを思いついたら。それが突飛であるほど面白い話になる気がするね。」
「ショート・ショートを書く理論は存在しないよ。よりたくさんの作品を読むことだね。そうすれば視野は広がる。そして、迷うより先にたくさんの作品を書いてみる。それがいちばんのショート・ショートを書くコツだよ」
 なるほどぉ。話を聞いていると、この謎の男のいう通りがんばれば傑作を書けそうな気がしてきた。いったいこの人は何者?
「ありがとうございます。あなたはショート・ショートの神様ですか?」
「そんなもんじゃないよ」
「悪魔や魔人について調べていたときに出てこられた。じゃぁ、あなたは悪魔?」
「冗談じゃない。悪魔じゃないよ」
「教えてください。魔人ですか?」
 男は宙を見上げ困ったように言った。
「魔人でもないなあ。魔人に非ずだよ。なんて言ったらいいかなぁ?」
「そうか!ひょっとして」
 魔人に非ず、非・魔人…ひ・ま・じ・ん

第191回 宇宙船降臨

 未知の飛行物体が地球に接近しているという報道に世界は騒然とした。その物体は、光沢を放つシャープな流線型の金属だった。どうみてもこのUFOは宇宙船だった。
 どこに着陸するのか?この物体に何のためにエイリアンが乗っているのか?侵略?友好?
 なんと飛行物体は日本は阿蘇の草千里の上から降下、着陸した。すぐにそれを各国の政府関係、国際機関、報道陣があっという間に十重二十重に取り囲んだ。状況は中継され、テレビやネットで全人類が見守った。
 物体の下部が音もなく開き、中から何かが姿を現した。全人類が固唾をのんだ。それはイカのようでもなく、昆虫のようでもなかった。
 出てきたのは、冴えない感じの五十歳前後の中年男だった。そこいらで普通に見かけるような。
 取り囲んだ群衆を見回し、困ったように頭をバリバリ掻くとフケがパラパラ落ちてきた。しかもゴルフ用のポロシャツを着ている。これが宇宙人か?知的エイリアンなのか?
 宇宙人の前の空間にマイクのようなものが出現した。宇宙人は口を開き申し訳なさそうに言った。「どーもでーす」
 どこの国の言葉だ?宇宙言語か?「これは日本語のようです」宇宙人は着陸地に配慮して日本語を使っているのではないか?
 いずれにしても人類が初めて接する宇宙知性とのファースト・コンタクト。人類も宇宙からの訪問者に日本語で質問した。
ーあなたは、どこから来られたのですか?
「んーとですね。どこのあたりかねぇ。そういうても、どう言えばいいですかねぇ。わかりますかねぇ」
ーこの宇宙船はあなた一人で操縦してこられたのですか?どういう原理で翔ぶのですか?
「宇宙船?ああ、これ。乗ってるのは私だけみたいだねぇ。どういう原理いうてもねぇ。なんか押すと、動きますなあ。それ以上わからんねぇ」
ーあなたの地球へ来られた目的はなんですか?
「え……ちょっと待ってください。目的ですか?目的…目的…あー、ふっと気が向いてとか、いかんですかぁ?」
 全人類は思う。なんか変だ。こんな奴が超宇宙船を作ったなんて。
 宇宙人はをポケットから何かをぽろりと落とした!ボタンのついた装置!爆弾か!あの装置一つで地球を粉々にできるのでは。中継を見ていた全世界で悲鳴があがった。宇宙人は慌てて装置を拾いポケットに入れた。そして。
「ああ、気にしないで。なんでもないですからぁぁ。いや、なんでもないと思いますから」と手を振る。
 ある中小企業の、事務所で中継を見ていた社員たち。一人の事務員が宇宙人を指差して言う。「この宇宙人!変だなと思いませんか?」すると他の社員も「ぼくもそう思ってた。宇宙人ってこんなにダサいかなあ」ふと別の事務員が「この宇宙人、吉田さんに似ていませんか?総務の吉田さん」
 皆がおおっ!と驚き困惑する。「そういえば、あの煮ても焼いても食えない話し方もそっくりだ」「そうだ。吉田さんよ。うわっ。加齢臭まで臭って来る気がする」「吉田さん、どこにいる?」「さっきまで、そこらに」「いえ。今日は出社してませんよ」「だから、宇宙船にいるのか?」「そんな馬鹿な。吉田さんに連絡取ってみろ」「電話出られません!」
「見ろ!」社長がテレビを指差すと、宇宙人は「もう、ええですかねぇ」と言い残し、宇宙船の中へ戻ろうとしているところだった。
 宇宙人が船内に消える。地球の人々が「待ってください。もう少しお話を」と呼びかけるが、宇宙船からは二度と誰も現れることはなかった。
 未知の金属でできているらしい宇宙船は謎の動力でふわりと浮かび上がり、次の瞬間には光を超える速度で遥か上空へ飛び去ってしまった。あっけにとられているのは残された各国政府、報道陣だけではない。中継を見ていた全人類だろう。「あの宇宙船はどこの星から来たのかも、どのような原理で動くのかも、何の目的だったのかも不明のまま、突然に地球に来て、また突然に地球を去ってしまいました。だた、これだけは言えます。宇宙には地球人だけではなかった。他にも知的生命体が存在したのです」と興奮するアナウンサーの背後には、あんぐりと口を開いた各国政府要人たちが写っていた。
 それから、数刻の後、ある中小企業の事務所に男が駆け込んできた。その中年男に社員たちが「どうしたんですか。吉田さん」
「いやあ、目が覚めたらこんな時間でしょー。慌てちゃってぇ」
 吉田さんはテレビに写っていた宇宙人と同じく、ゴルフ着のポロシャツを着ている。
「さっきの宇宙人は吉田くんじゃないのかね。顔形も同じだし、体型もずんぐりで、話し方も吉田くんそのものだった」と興奮して社長が尋ねた。吉田さんは、社長が何をいっているのかわからない様子で小さな目をきょとんとさせた。
「社長の言ってる意味がよくわからないんですが。とにかく変な夢を立て続けに見て目が覚めないんす。宇宙を飛んでいるような夢だったり、なんか大勢に囲まれて、訳のわからんことを尋ねられたりねぇ。脈絡ないすよねぇ。目ぇ覚めたけど、まだ眠くて眠くて、でも、会社行かなきゃとやっと出社しましたぁ」と肩を落としてみせた。
「やはり、宇宙人と吉田さんが似ているのは偶然だよなぁ。吉田さんがあの宇宙人なら宇宙船は誰が作ったってことになるよねぇ」と誰かが言うと皆もうなずく。
「そうなんすかぁ」と吉田さんがポケットから手を出すと、ボタンの付いた変な装置が転がり落ちた。吉田さんもその装置が何かわからない様子で首をひねりながら拾う。
「このボタン何でしょう?」「その装置はさっきの!」と周りが叫んだ。吉田さんがボタンを押すのを皆は慌てて止めようとしたのだが。
 間に合わなかった。

第190回 運命の朝

 ぼくは平凡な高校生だ。
 父親の転勤で新しい高校に行かなくてはならない。新しい住まいから眠い目をこすりながら登校だ。どんな高校だろう。少し不安だ。
 家を出て学校へ続く曲がり角の手前でニャアと鳴き声がする。見ると生後まもない仔猫がこちらを見ている。ぼくは仔猫を手招きしたが、用心したようで隣の塀の中に逃げこんでしまった。仕方ないので立ち去ろうとすると、曲がり角の道から女子高生が飛び出してきた。その娘は口にパンを咥えて「遅刻!遅刻!」と叫んでいた。よく見えなかったが美少女だったかもしれないな、と思う。すんでのところでぶつかるところだった。
 腕時計を見たら、女子高生が言っていたとおりだ。ぼくも遅刻するかもしれない。急がなくては。すると、目の前に突然、白い着物姿の小さな老婆が現れた。「たわけものめが!」
 なぜ老婆に怒られねばならないのかかよくわからない。「どうして怒るんです。あなたは誰ですか?」「わしは運命の女神だがや。お前は運命を勝手に狂わせたから、出てきたんだが」運命の女神……きれいな若い女性じゃないのか。こんな婆さんが。「お前はその曲がり角で遅刻しそうな女子高生とぶつかる運命だったのだ。そして罵りあいつつ別れるも後に再会を果たし、ラブラブになる。その予定をぶち壊しおって、どうするつもりだ。たいへんなことだぞ」
 どうもよくわからないが、ぼくはたいへんなことをしでかしてしまったらしい。運命の女神が言うのだから。運命に逆らってしまったということか。
「どうするつもりだ、って。もう過ぎたことじゃないですか。どうしようもないですよ」
 ところが運命の婆さん…いや女神はぼくを睨むと真剣な表情で言い放った。
「いや、ある。最後のチャンスだ。時を巻き戻して運命をやり直す。やらん、とは言わせんぞ」
 ぼくが返事をしようとすると、運命の婆さんが消えた。いや、玄関の前だ。後ろで「いってらっしゃい」と母の声。時間がさかのぼってる。学校へ続く曲がり角を歩いている。そうだ、これからぼくは曲がり角で、パンを咥えた女子高生とぶつからなければならないのだ。
 それが女神の言うぼくの運命なのだから。
 ニャアと鳴き声がした。それを無視して歩き続ける。仔猫で時間を取られたのだから。
 もうすぐだ。その角を過ぎたところで、ぼくはパンを咥えた美人女子高生とぶつかることになるのだ。
「うわっ」そのときぼくは足を滑らせ尻餅をついてしまった。バナナの皮を踏んだのだ。
 そして、ぼくの目の前をパンを咥えた女子高生が「遅刻!遅刻!」と叫びながら走り去っていく。
 しまった。今度も間に合わなかった。
「この間抜け!役立たず!」と声がする。ぼくの目の前に、あの運命の女神が顔をしかめて怒っていた。「お前は本当にあほうだな。せっかくリベンジさせたのに」
「いいですよ。あの子と友達になれないくらい、ぼくにはなんでもありませんから」
「しかし、お前とあの娘がぶつからないというのは運命に逆らうことになる。それでいいと思うのか!」とすごい迫力で攻め立ててくる。ぼくもなんだか悪い気がして「もう一回チャンスがあれば、うまくやれる気がします」といってしまった。すると運命の女神は「本当だな?よし、最後の一回やりなおしチャンスが残っている」
 そう呟いて運命の女神は消えてしまった。と、同時に、ぼくはまたしても玄関を出たところに。時間が巻き戻されている。
 今度はうまくやれる。あの女子高生と曲がり角でぶつかるんだ。
 猫の鳴き声がしたが無視して歩き続ける。バナナの皮が落ちている。これも避ける。完璧だ。もう曲がり角まで1メートル。
 べチョリ。鼻に何かがかかる。臭い。手で拭くと何かの糞だ。頭上をカラスがカァと飛んでゆく。
 あいつだ!
 思わず足を止めたときだった。目の前をパンを咥えた女子高生が「遅刻!遅刻!」と叫んで走り去っていった。
 間に合わなかった。
「三度も運命に逆らうとは」呆れと絶望の入り交ざった表情で運命の女神が現れた。「何とも救いようのない男だ」そういわれてぼくはムッとした。「どれも思わぬ出来事に邪魔されたんですよ。不可抗力ではありませんか。もしやぼくは女子高生とぶつからない運命なのでは?」運命の女神はまたしても怒り狂った。「ぶつかるのが運命じゃ。だから二度もリトライさせたのだ。もうやり直せん。すべてお前のせいだからな」「女子高生とぶつからなかったことくらいで、なぜそんなに怒るんです?」
 消えてしまった運命の女神は答えてはくれない。だから何だと言うんだ。ぼくには何も責任はない。
 凄いスピードで坂の下にむかって走っていた女子高生が、外国人の男にぶつかったという話を学校で聞いた。転げたトランクから奇妙な機械が現れたとのことだ。その機械が赤く点滅を始めて、大慌てで外国人は逃げ去ったと。それは、ぼくには何にも関係ないことだ。午後から世界中でミサイル戦争が起こったことを知った。何が理由かはわからないが、もちろん、ぼくには関係ない。
 ぼくにとって一番大事なのは、新しい学校に早く慣れることではないか。

第189回 奇妙な写真

 怖い話が好きだと思われているようで、皆が私のところに怖い話を聞きにくる。
 特に夏は怪談の委節だから、リクエストが多い。先日も数人の集まりで、やった。
 そのときは心霊写真の話だった。
 撮影したときは気がつかないけれど、あとで写真を見ると、何かが写っていたり、写っ ている筈のものが消えていたり。集合写真の顔と顔の間に見知らぬ顔があったりする。あるいは背後には誰もいない人物の肩あたりに腕が伸びていたり。
 その解説をする。悪戯好きだったり、人がたくさん集まると喜こぶ地縛霊がいたりするんです。そんな霊だったら問題ない。でも、中には悪い霊がいて、そんなのが写っていたら大変なことになるんだよ。呪いの写真だね。でも、滅多にそういう写真はないんだよ、と。
 怖い話を聞かせた数ヶ月後、そのとき参加していた一人が電話してきた。私の話が信じられないらしくシラケて聞いていた奴だ。用件を尋ねる。「ぼくの写真を見てもらえませんか? 撮るときは何もなかったのが現像したら変なものが写ってるんですよ」「じゃ、ぼくのスマホに送ってもらえませんか」「いや、使い捨てカメラで撮ってたものを現像したので」「何が写っているんですか?変なものって」
 しばらく黙って彼は言った。「最初その写真を見たときには何にも写っていなかったはずですが、朝、見たら、写真の端っこにぼやぁっと小さい黒っぽいものがあって、写真汚したかなと思ったんです。で、今見たら、汚れじゃない。何か写ってる。黒いぼんやりとしたものが大きくなっている。よく見ると手足みたいなものがついている。すぐ、そちらに行っていいですか?」
 すぐに彼は写真を持ってやってきた。でも、怖がらせる話はするが、私も心霊写真のホントのところはよく知らない。
「これです。これです」と写真を取り出しかけて、わっと叫ぶ。また大きくなってる」
 彼が出した写真はひまわり畑の写真だった。崖沿いにひまわりが咲き乱れている。その左横にお堂がある。彼は、そのお堂の横のあたりを指した、なるほど、二センチくらいの黒い人型の塊のようなものが見える。目を凝らすと、手足らしきものが。
 人間だということはわかる。
「悪い霊ですか?」私にわかる筈がない。そのとき……。黒い人影が膨張した。本当だ。見の錯覚ではない。両手を上げていた。
「これは近づいている」「どうすればいいですかね?」「写真をお焚き上げしたほうがいいですかね?やってもらえませんか?」
 私には、そんな霊能力者のような力はない。
 この写真の謎を解くとすれば…。
「この写真はどこで撮ったんだ?」「車で15分くらいの田舎道沿いのひまわり畑ですが」「これからその場所へ連れて行ってくれないか?」「いいですよ。すぐに行きましょう」その場所なら何かわかるかも。
 確かに写真の場所は近かった。お堂がひまわり畑の横にあった。ひまわり畑は崖沿いに向こうまで続いている。
 彼は自動車を駐める。確かにこの光景だ。あたりを見回す。別に影は見えない。
「あっ!」彼が叫んだ。写真を手にしている。きっと、また写真が変化したのだろう。
 見ると、影は大きくなって、はっきりと人だとわかる。そして両手を上げている。怒っているのか?まだぼんやりとしているが、それは、老婆らしいことがわかる。手を上げて、口を開いて!ん?何を怒っているというのだ。彼が写真を撮ったこと?
 この写真を撮影した同じ場所に立ってみる。ここだ!
 崖に沿ったお堂、そしてひまわり。間違いない。「この場所で撮ったのですね」彼はそうだ、と頷く。写真を見る。
 驚いて叫ぶ。「はっきりわかる。顔も表情も。手を上げている」見ると、さっきまではぼんやりとしていた影がはっきりと人の形に。やはり老婆だった。大きく口を開けている。何かこちらに叫んでいる。誰だ、この老婆は?彼も知らないと首をひねった。
 わからない。謎は解けない。そこに、近所に住んでいるらしい老人が通りかかり「どうしたのかね?」と声をかけてきた。ひょっとしたら、この老人なら何か知っているのでは?この老婆がどのような魔女なのか。
「実は、ここで撮ったこの写真ですが、写っている筈のないお婆さんが写ってるんです。心当たりありませんか?」老人はどれどれと写真を手に取り見つめると、あっ!と声をあげた。心配になって尋ねる。
「呪いをかける魔女ではありませんか?」
 いやいや。老人は首を横に振った。「悪さをするようなもんじゃない」
 それを聞いて私たちは、ほっと胸をなでおろした。「じゃあ、いったいこのお婆さんは何者なんですか?」
「ああ、このあたりに昔から出る有名な“お知らせ婆ァ”だ。知らせてくれるんだ。危険が迫っているから注意しろとな」
「何が迫っているんですか?」
「ほら、婆ァが手を上げとるだろう。指差しとるだろう」
 なるほど老婆は単に手を上げてこちらを脅しているわけではなかった。何かを指差しているのだった。お堂の上の崖の方を。
 写真から顔を上げ、お堂の上の崖を見上げると……。
 崖の上部が崩れ、無数の巨石がこちらに向かって転げ落ちてくる、「うわああああ」
 これを知らせてくれていたのか。 

第188回 やみつき

 夫が私以外のことに熱中するタイプだとは結婚前には思わなかった。しかし思い違いだったかもしれない。あれほど熱心に私にプロポーズした彼が給料を入れてくれなくなった。突然に。暴力を奮ったりはしないのだが。家計が苦しいと頼むと「わかっているよ。でも、どうしても欲しいものがあるから」と答える。ギャンブルをやっているわけでもないようだ。家に遅く帰ってくるわけでもない。
 なぜ給与を入れてくれなくなったのかが、ある日突然わかる。ネット通販の会社から夫に包みが届くようになったからだ。二つ三つではない。いくつもの包みだ。
 夫には悪いと思ったが包みを開けてみた。
 中から出てきたのはアニメの美少女キャラの人形だった。それだけではない。動画サイトで唄っている緑色の髪のヴァーチャル美少女の人形もある。価格もわかった。どれもこれも安いものではない。こんなに買い込めば給与を家計に入れる余裕がなくなるのも当然だろう。
 いわゆる美少女アニメフィギュアというやつだ。笑顔だったり、すまし顔だったり。セーラー服のスカートがめくれていたり、水着だったり。
 ヘナヘナと腰から力が抜け、へたり込んだほどだ。
 帰ってきた夫に問うた。「お金はあんな人形を買うために足りなくなったの?」すると悪びれもせず、夫は答える。
「そうだよ。包みを開けたのか?」
「あんな人形を集めて、どうするの?」
「だって、あんなに可愛いものはないよ。わかるだろう。もっと素敵なフィギュアも届くよ」夫の顔は嬉しそうに笑み崩れた。
 街を歩いていると呼び止められた。道端の占いの老婆だった。「ちょっと。あんた。どうしたんだい。不安な気配を漂わせて。何か怪しいことがあったね!」
 ずばりと言い当てられ、老婆にことの経過を包み隠さず話したのだった。
 最初は平凡な夫だったのだが、ある日を境に美少女フィギュアに金を注ぎ込み家に1円も入れなくなったこと。
 占いの老婆は何度もうなずいた。「ご主人の名前を書いてくれんかね」
「どうしたのですか?」「いや、ちょっと」
 名前をメモ用紙に書いた。それを老婆に見せると。
「やはりそうか!」「どうしたのです?」
 老婆はじっと私の目を凝視して言う。
「ただごとではないと思ったが、やはりそうか。主人はやみつきだ。」「やみつきですか」「いろんなものに依存する状態のことを、やみつき、と言う。“やみ”は“闇”とも”病み”、とも書く。“やみ”にもいろんなものがあるが、“やみ”が憑くと、激しい依存状態になってまともな生き方ができんようになる。これを治す方法は一つだけ。“やみ”を祓うんだよ」
「やみつき……いったい夫に憑いている“やみ”ってどんなのですか?」
「見たら、とてもまともではおられん邪悪な姿だよ。“やみ”は憑いている身体を離れるときに見えることがある。セーラー服の正体がわかるのはそのときだけだ。とにかく、ご主人を私のところへ連れてくることだ。激しい戦いになるかもしれん。どんな“やみ”かもわからん。しかし、避けられんことじゃ。連れてこれるかの!」
 できます!と言うしかなかった。フィギュアが手に入るお祓いをしてくれるところがあるからと夫を言いくるめて、老婆のところへ連れてきた。
「お願いします」「では、“やみ”を祓いますぞ」占いの老婆が、夫の前で奇妙な飾りのついた棒をかざし、振る。すると夫の身体のまわりを霧状のものがもやもやと噴き出して実体化する。「ご主人に憑いた“やみ”じゃあ」なるほどフィギュアの少女が凶々しい姿で呻きながら、夫の身体から苦しんで出ていく。これが“やみ”だったのか。これが夫を……。それも一体ではない。何体ものフィギュア姿の“やみ”が逃げていく。だが、逃げる“やみ”の顔は、以前どこかで見たような。すべての“やみ”が去り、夫は気が抜けた表情で立っていた。これで夫は正常に。
 しかし気になる。どこかで見たような“やみ”の顔。あの顔は誰……?
「“やみ”は全部追い出した。これでご主人は安心だ。しかし、“やみ”の顔が、皆奥さんそっくりとは。よほど苦しんでご主人はご主人は奥さんを慕っておるんだの」
「えっ?“やみ”が私の顔ですって。なぜ?」
 すると、老婆は再び夫に向きなおる。
「まだだ。もう一体、憑きものがご主人に残っておる。これを祓わねば」
「お願いします」
 またしても老婆は奇妙な棒を振り、夫に「退散!退散!」と叫んだ。すると夫の身体からずんぐりとした岩のような物体が滲み出してきた。この物体にも顔がある。
 今度は私にもすぐわかる。これも私の顔だった。これは……。
「すべての“やみ”が奥さんそっくりだった理由ですよ。これが憑いていたからだ」
「なんですか?この私そっくりの顔の憑きものは」
 すると老婆は大きく頷いて言った。
「奥さんそっくりの顔は、当然。ご主人にはこの“もの”が憑いておったから。だからご主人が執着するのは奥さんそっくりのものというわけ」「なんです。このあやかしは」
「これは、もの憑き!というんじゃ」
 私が大好きという夫は、“やみ憑”以前にものずき……いやあ“もの憑き”だったというわけか……。

第187回 妖怪スカウト

 特命が下り、私は妖怪を探すという妖怪スカウト班に配属された。うまく妖怪をスカウトして人気が出ればゆるキャラ以上の経済効果をもたらすと、会社の顧問経営コンサルタントが提言したらしい。
 それで私が貧乏くじを引くことになり、妖怪スカウトの任務に就いたというわけだ。
 妖怪を探せといっても雲を掴むような話だ。どこを探せばいいのやら。しかも、有名な妖怪ではなく、あまり知られていないマイナーな妖怪がいいという。だから業務報告書も「今日も妖怪の目ぼしい情報には出会えなかった」といったページばかりが続くのだ。
 妖怪なぞ存在しない。空想の存在だ。と心の底で思っていることも原因かもしれない。妖怪スカウト班は営業企画室の下にあるから企画室長からは「まだ妖怪は見つからないのか!」と無能扱いされ始める。最初は馬鹿馬鹿しい仕事と思っていたが、室長から急かされるたびに少しづつ焦り始めた。図書館や古書店を巡り、古文書を調べてみる。実際に出会わなくても、まだ知られていない妖怪の記述には縁があるかもしれない。だが、古文書に載っている妖怪は、すでに妖怪マンガや小説の中に登場しているものばかりだった。社には報告したものの、無視されてしまった。
 このままでは、私は立つ瀬がない。今日もしょんぼりして古書店で妖怪古文書探しをしていると。
「あの。妖怪探してるんですか?」店員に声をかけられてた。「あまり知られていない妖怪を見つけようとしているのですが。難しいもので、なかなか探し出せない」
「あのう。妖怪さんがいるんですよ。ねえ」と近くにいた男に声をかけた。すると男は振り返って「ああ。そうだ。教えて差し上げたら」「ど、どこに妖怪がいるんですか?」と声を上ずらせた。「ええ、“ちん”て妖怪さん。住所書きますね」そんな名前の妖怪は知らない。古書店のお得意さまらしい。いったいそんな妖怪なのか?自称妖怪とのこと。
 メモを渡されて行ってみることにした。そこはどこにもある木造アパートだった。二階の一室だ。もちろん表札はない。ドアの前に立ちノックする。「こんにちはー。古本屋さんの紹介で参りました」返事はない。
 どうしよう。迷ったがドアノブを回してみた。すると何の抵抗もなくドアは開いた。昼間というのに中は薄暗い。誰かが部屋の中央に座っているのがわかった。雰囲気からして普通ではない。目を凝らすとずんぐりとした半裸中年男が背を向けて座っている。ざんばら髪が床まで伸びていた。まさに妖怪だ。まわりには古本が散乱していた。古書店から配達された本だろう。「あなた、妖怪ですか?“ちん”さんですか?」
「何かはわからん。気がついてここにおる。本の、“もののけ”や“妖怪”というもののようだ。自分が“ちん”とはわかる。わしに用か?お前は何だ」
「はい。私は妖怪スカウトです。まだ知られていない妖怪を世に売り出そうとしているのですが。実は疫病が世に流行したときに、病封じの存在としてアマビエという妖怪がブレイクして経済効果を上げました。そんな未知の妖怪が他にもいるはずだ、と探してまわっています。ちんさんが妖怪なら、どんな妖怪なのですか?なぜ、ここにいるんですか?」
 部屋の中には男の生活を感じさせるものは何もない。キッチンもないし、電化製品も家具もない。本が何十冊も散乱しているだけだ。やはり人間離れしている。ひょっとしたら「何か用かい!」くらいのギャグ程度を考えてもいたが本物かもしれない。ちん、という名にヒントがあるのだろうか。“珍”な存在ということだろうか。妖怪はなぜ自分が妖怪になったか知らなくて当然だろう。妖怪がどんな能力を持っているかは、後で調べればいいことではないか。とにかく、この妖怪を社に連れていき、どうプロモーションかけて経済効果を出させるかだ。それは私の役割ではない。私の仕事は彼を企画室に連れて行くまでだ。
「あなたを有名にしてあげられます。すべての人々がちんさんのことを知るようになるんですよ。世界一有名になるかもしれない」
 ちんは私の言葉に少し心を動かされたようだ。散乱してページが開いた古書には“妖怪”の文字が見えた。ちんが、妖怪を知らないはずはない。そしてさまざまな妖怪の弱点を記してある。そのすべてを超える妖怪を目指そうとしたのか。
「あなたは、こんな暗い部屋にこもっている存在ではない。世界のスポットライトを浴びるべきだ。行きましょう」私が“ちん”を部屋の外に連れ出そうとしたときだ。アパートが激しく揺れ始めた。「地震だ!」と私がしゃがむ目の前に、“ちん”が座っていたあたりから巨大な邪悪な闇が出現した。「何だこいつは?」
「これが、妖怪だよ。手を変え品を変えこの世に出ようとしていたから古書の記述どおり抑え込んでいた。それがわしの役割だからの」
 暗黒の妖怪は巨大化すると凶暴な叫びとともに周囲を破壊しながら飛び去っていく。私はほんとうの妖怪を見誤っていたらしい。“ちん”がため息をつきながら言った。
「“ちん”とは、妖怪を鎮めるの“鎮”だが。それがわしの役目だが。もう何ともならんのう」へなへなと妖怪スカウトの私の腰が抜ける。

第186回 こんなお仕事

 バーのカウンターで同業者たちが口角泡を飛ばしながら何やら言いあっていたので耳を傾けた。どうも地方大手の施設業者に対しての苦情のようだ。資材担当の男が煮ても焼いても食えないひどい奴のようで同業者たちは不満たらたらだろう。
「値引き要求がエゲツない。見積りのときに値引きさせ、請求書を出しに行くと難癖をつけてまた値引き。支払ってもらいに行くと、端数は引くよ!とまた値引きされる。ひどいと思いませんか」
「そうだ。そうだ。あんなにひどい納品先はない!われわれを虫けらのように考えているんだ」
「皆そう思っているんだから、誰か文句を言ってやればいいのに。誰かいないか!」
 ところが誰も名乗り出ない。そんなものだ。やはり私の見込み客らしい。立ち上がって会話に加わる。
「お話、横でうかがっていました。私がお役に立てると思います」
「何だ、お前」と全員がうさん臭そうな視線を向けてくる。私は名刺を一枚渡す。
「はい。私は“文句代行業”です。本人からは文句や苦情が言えない方々のために、私が代わって文句を伝えに行きます」
 そう言ってポケットから鉢巻を出す。鉢巻には「文句代行」と書かれている。そしてモニター画面を見せた。
 会社に私が訪ねていって担当者に文句を言っている場面だ。それは、こんな具合。
「誰だ、お前は。勝手に入ってきやがって」
「ちわー、文句代行業です。お伝えにまいりました。あなたは無神経だそうです。皆が迷惑している、と伝えろ!ということです。少しは反省しろってことです。できたら、豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ!もございます。以上でーす。失礼します。じゃあ文句お届けの受領印をお願いします」
「誰の依頼だ。こんなことを言わせるのは」
「それが、私の仕事のツボでございます。依頼人の方のお名前は、絶対に明かすことはできません」
 モニター画面を見ていた皆が、 なるほどーっ!という表情で顔を見合わせる。
「これなら、いいかもしれない。誰が文句を言っているのかわからないし、皆の気持ちもちゃんと伝わるみたいだ」
 すると一人が聞いてきた。
「いやぁ、凄いお仕事と思います。納入先へはぜひ文句を言ってもらいたいけれど、他にもあるんです。うちの近所にヤクザの事務所が最近越してきているですよ。家内や子どもたちが怖がりましてね。警察は取り締まってくれているようなんですが、子どもたちが脅えていると文句言ってくれますか」
「はい。もちろん、文句代行はお請けしますよ。ただし、文句代行先によって割高料金適用になりますね。身体的に危険が伴う文句先かどうかは表にございますのでご覧ください」
 それで納得されたようだ。すると別の人がまた尋ねてきた。
「あのー。うちの家内に言ってもらいたいんですよ。夫に対しての態度が悪いぞ!夫に失礼だぞ!って。請けてもらえますか?」
「はい。もちろん、お仕事ですからご要望どおりに致しますが、奥さまに文句代行してもすぐにだれの依頼かおわかりになるのではありませんか。それでもよろしいですか。あとがより怖いことになりますよ。直接ご自分で仰ったほうが効率的と思いますが」
 そう答えると尋ねた男は胸に手を当ててしばらく考えていたが、恐怖に襲われたようにぶるぶると頬を震わせ、首を横に振った。
「わかりました。や、やっぱりいいです」
 結果的に、彼らは私に文句代行を依頼してくれることになった。
 私は早速相手先へ出向き、プロフェッショナルらしく仕事を完遂した。資材担当の男は私の文句トークをまともに受け取ることができず、七転八倒する。他人には厳しく言うが、自分への批判はうまく受け止めることができない人物のようだ。私から逃れるようにこけつまろびつ上司のもとへ。
 私もサービスのつもりで上司へも文句トークを。ひとりひとりの心からの恨みつらみを放ってやった。上司も私の語る文句には手も足も出ず、ぼろぼろと涙を流すのだった。
 二人とも会社の床で腰を抜かし、返す言葉もなく小便を垂れ流したほどだ。
 もちろん、誰が依頼したかは絶対に伝えない。それは私の職業観、倫理観、道徳観でもあるのだ。そして、最後にきっちりと付け加える。「誰が言ってるって?みーんな、そう言ってますよ。では、こちらに文句を言われたという認印をお願いします。あ、サインでもかまいません」
 依頼主たちのところで経過を話すと、皆が大喜び。さて、次の仕事だ。私は、鉢巻を裏返すと床に手をつき平伏した。つまり土下座だ。
「本当に申し訳ありませんー!」
 皆が仰天。「な、何をしてるんです」
 裏返した鉢巻には「土下座代行」と書かれている。
「向こうさんから依頼されました。私の名刺をよくご覧ください。“文句代行”の一番下の行です」
 そう。そこには土下座代行の表示も。最近は多角的に需要を掴んでいかないと食っていけない。
 世知辛い世の中なのだ。
「申し訳!ございません」と床に頭をつけた。

第185回 伝説の食堂

 恋人の和子が行ってみたい食堂があるという。レストランでもなく、オープン仕立てのカフェでもない。
 食堂というのが不思議だったが、和子がごちそうしてくれるというならかまいはしない。
 出会って半年というところか。私好みの美人だった。知り合ったのはSNS上だ。和子の投稿に私がコメントしたのがきっかけだった。たがいにコメントをつけあうようになって、同じ地方都市に住んでいることがわかり、話題も盛り上がっていった。おたがいにダイレクトメールで顔写真を交換すると、和子は意外と美人ということがわかった。気に入った。
 それは和子も同じのようだった。
 私が和子に夢中になっていったのは当然のことだろう。だから、コメントをSNSで交わしあう内に、自分をカッコよく見せたい気持ちもあり、かなり脚色して書き込んだ部分もある。収入は現実の三割増しくらいで伝え、学歴も詐称してしまったのは反省してる。
 そして私は和子と実際に会った。SNSでは写真と実物が別人くらい食い違っているケースが多いのだが、和子は写真通りの美しさと可愛さだった。私の好意が愛情に変わった瞬間だった。
 それから私は和子に好意を持たれるように、自分のすべてを繕って彼女に接するようになった。出会う前に写真だけは私の日常のものを見せていたのだが、幸いなことにそうハンサムでもない容姿を和子に気に入ってもらえたことには、感謝してもしきれないのだ。
 私と和子は交際を続けることになった。そして、私は和子に結婚を申し込むことにした。
「大事な話をしたいのだけれど」と伝えると、店で食事をしながら聞く、という。それがこの“行ってみたい”食堂だったというわけだ。警察署の隣りにあるからすぐわかると和子は言った。
 店はすぐにわかった。
 小さくて古かった。昭和の初めからあったかのような食堂だった。すでに中で和子は待っていた。老夫婦でやっているようだ。和子が選ぶくらいだ。そんなに美味しい食堂ということなのか。
「日替わり定食でいいですか?」と和子が言う。それで構わない。お婆さんがすぐに持ってきた。変わったところもないアジのフライと豚汁、それにご飯と香の物。「いただきます」と箸をつけた。普通の味だ。出来立てということを除いては特別に美味しくはない。ただ、懐かしい味だった。
「話ってなんですか?」食べ終わると和子が尋ねる。もっと考えながら伝えようと思ったのに、素直に口から出て自分でも驚いた。「和子さん、結婚してください」
 彼女はすぐにはそれに答えず、私に尋ねてきた。
「経済的にやっていけるの?」
 そうだ。これまで私は彼女に見栄を張ってきた。「実は前に言ったのは嘘で、薄給なんだ」なんで正直に言ってしまうのだろう。
「そうですか。他に嘘を言ってたことはないんですか?」
「あ。学歴は高卒でした。国立大卒と言ったのは嘘で、和子さんに好かれようと」
 どうしたというのだろう。尋ねられると、これまでついていた嘘を白状してしまうのだ。まずいと思うが、止められない。
「趣味は読書と言ったけど、本なんてこれまで三冊しか読んだことない」
 言葉が下痢症状を起こしたかのようだ。
「でも、これだけは本当だ。和子さんのことが大好きだ。一生愛してる」
「私も本当のことを言うわ。私は四十二歳。あなたより一回り上よ。それでもいいの?」
「もちろんだ。和子さんのことが大好きだ」
 和子はじっと私の目を見て、プロポーズを受けると答えたのだ。私は大きくため息をついて安堵した。そして言った。「ありがとう」と。
「なんでこの店を選んだかわかる?」と和子が言った。わかるはずもない。
「ここは伝説の食堂なの。『正直屋食堂』といって、ここの料理を食べると本当のことを話さずにはいられなくなる…と言われてる。だから、大事な話と聞いたときに、ここで食べながら、ってお願いしたのはそういうことよ。そしてわかった。伝説は本当だった。あなたは本当のことを包み隠さず話してくれた。そして私も本当のことを話すことが出来た。自分の本当の年齢のことをこれまで誰にも話したことなかったのよ」
 それで、この店を…。私は和子の気持ちが少しだけわかったような気がした。彼女は二人の間に嘘がないことを願ったのだ。
「料理はどうでした?美味しかった?」と和子に尋ねられた。「ああ」と答えようとした私だが、口をついて出たのは「うーん。普通の味かな」
 それを聞いて和子は満足そうにうなずく。
 そのとき、奥で電話が鳴る。お客の注文のようだ。お婆さんがお爺さんに叫ぶ。
「出前が入ったよ。至急、隣の警察署にね。取調室にカツ丼一丁だって」

第184回 先輩がミャオ

 先輩の様子が変だった。
 電話で話した後で気になって先輩のマンションに寄ってみた。先輩はここで愛猫と一緒に暮らしている。家族はいない。しかし、飼っている猫が大好きなようだ。だから先輩は一人暮らしを続けていても苦にならないらしい。仕事は先進医療の研究とのことだが、その分野では先輩のような変人は少なくないのかもしれない。部屋の中に研究に必要なのかもしれぬ医療ロボットやらが何台もあるし、住まいが工場なのかもわからない。ワンフロアーを先輩が一人で借りている。内部はまるで町工場みたいだ、と言えばいいのか。心配が取り越し苦労であればいいが。
 先輩!元気ですか!と部屋に入り、驚いた。
 部屋中にソファーがあり、そして先輩の愛猫、三毛猫のミャオが鎮座していた。ミャオは、先輩がもう10年以上可愛がっていた。まさに家族以上のメス猫だった。ミャオと呼ぼうとして変化に気がついた。なんとミャオの頭が猫ではない。先輩だった。
「どうしたんですか先輩。変わり果てた姿になって」
「おお。どうして、ここに」
「電話で様子が変だったから来てみたんですよ。驚きました」
「ああ。俺が虚血性の心臓発作を起こしたとき医療ロボットがやってくれた。ミャオが数ヶ月前亡くなったときに遺体を保存しておいたから、医療ロボットが俺の組んだプログラム通りにな。早々に俺の頭にぴったりの肉体はない。しかしミャオは免疫反応はクリアしてた」
「だから、三毛猫の身体に頭を接着したのですか?これでは人前に出たら皆、大騒ぎしますよ」
「別に人前に出る必要はない。それに俺はミャオを何にも代えがたいほど可愛がっていた。だから、ミャオも生前は俺になついていたし、俺もミャオのことを愛していた。そんな俺がミャオと一緒になれたなんて素晴らしいことだとは思わんかね!」
  まさにマッドサイエンティストだ。
「なにも人間の身体であったときと変わることはない。ペンを握るのは不自由だが、キーボードなら自由に押せるし、今は音声入力も可能だ」
 そう言って、先輩は右前肢でキーボードを叩く。参考文書を検索していたようだ。そして〈注文する〉を押して得意そうに言った。
「な。こうしていれば外に出なくても必要なものはここに配達されるし、研究に不自由を感じることはない。」
「さぁ、この書の関連本は他にはないのか?」先輩がパソコンに叫ぶと画面にずらずらと関連本が並ぶ。音声入力の検索でも大丈夫だというのがよくわかる。
「必要なものはここに届くし、作業がいるものはロボットがやってくれる。俺とミャオは一心同体で何も困ることはない」
 なるほど、とも思う。まさに先輩にとってはこれは理想なのかもしれない。
 そう思ったときに外から先輩の名を呼ぶ声がした。「いるんでしょう。返事してくださいよ」それから、ドアの開く音。中年男がずかずかと部屋に入ってきた。しまった。ここへ来たときにうっかりロックするのを忘れたようだ。先輩が叫ぶ。
「何を勝手に入って来るんだよ。家賃なら来月分までネット振込を済ませているだろう!」
 そうか。入ってきた男は、この部屋の家主か。しかし、店子のところに家賃も溜まっていないというのに、何をしに来たんだろう。
 家主らしき男は血相を変えて叫び返した。
「うちのマンションでは、ペットを飼ってはいけないことになっている筈だ。ご存知でしょう。なのに、おたくはルールを破って猫を飼っているではありませんか!他の入居者の方にしめしがつかない。ペットを手放すか、ここを退去してください!」
 すると、先輩はしらっとした顔で「えっ。うちはペットなんか飼ってませんがね」と、猫の手で頬を掻きながら言う。家主はその態度にも神経を逆なでされたようだ。
「それは通りません。ほら、猫があんたの首の下におるでしょう。そりゃあペットだ。猫じゃないか」
 すると、先輩は高笑いして後肢で立ち上がり家主に言い放った。
「確かに首から下は猫に見えるかもしれないが、これは見た目だけだ。人格は俺自身だし、この身体の行動も俺が決定している。だから、猫やらペットやらは笑止!存在しない。何のルール違反もしてはおらんわ。勝手にプライベート空間に足を踏み込むお前こそ、警察に通報するぞ!」先輩にそう言われて家主は悔しそうに引き下がった。先輩はなんとずるい人なのだろう。屁理屈を屁理屈と思わせずに主張するとは。まんまと先輩は家主を追い返したのだ。これで猫に似た身体を持つ先輩の新しい人生が始まるのか!先輩の理性はすべてを解決するのか!そう感心したときだった。窓の外からキジの雄猫が長く誘うような声で鳴いた。キジはミャオの恋猫だったらしい。
 高笑いをしていた先輩の表情が変わった。それまで立ち上がっていたミャオの身体は尻を窓の方に向けているのだ。そして、気がついた。3月。猫たちは発情の季節なのだ。頭は天才の先輩でも、その身体は‥メス猫なのだ。
「なんと、なんと、理性を持ってしても逆らえないこの衝動。どう判断すればいいのだ」
 嫌悪の表情で抗いつつも先輩のミャオの身体はキジのいる窓際へ吸い寄せられていく。その結果を見るに忍びず、私は急いで部屋を出た。