私は幽霊やらUFOは信じない方だ。ということは、以前にも書いたけれど、それでも私の周りには、そんな不可思議なできごとを体験したという人が集まってくる傾向があるのですよ。
つい先日も、そんな体験をした!私は、見た!という人の話を聞いてしまい、あんまりおかしいので、再録することにしました。
「梶尾さん。僕は宇宙人を見たんです」
「ええっ?どこで見たんですか?」
そんな話を聞いたのは居酒屋のカウンターで、相手は五十代のサラリーマンの方。嘘をつくタイプでは、ありません。
「旅行中です。波照間島に行ったときです」
「波照間島?」
波照間島といえば、日本も南の果てです。
そこに宇宙人(エイリアン)の秘密基地があるというのでしょうか?
「ええ、そこの海岸近くの公衆トイレです。そこで宇宙人と会いました」
「えっ?ホントですか?用を足していて、横を見たら宇宙人も用を足していた‥‥。そんな状況ですか?」
「いえ、そんなんじゃない。トイレから出てきたんです。」
「どんな恰好していたんですか?機密服を着ていたとか‥‥?」
「うーん。作業服を着ていたなあ。カーキ色の」
「普通の人間じゃないですか?」
「いや、あれは宇宙人ですよ」
「どうしてわかるんですか?」
「いや、一目見ただけでわかります。だって鼻から上は、額まで、こーんな(と言って、両手の指で大きな輪を作って額にあててみせる)目玉をしているんですよ。他に何だというんです。宇宙人ですよ」
「ヘェ。で、後をつけたんですか?近くにUFOとか停まってなかったんですか?」
「いや、そのときは尿意が勝っていて、見逃しました」
「ふーーーーーーーーーーーーーーーん?」 それから、「それは、波照間原人かもしれないではありませんか?」とか突っこんだんですが、本人は、宇宙人です、と頑と言い張るのでした。
「あっ、あっ、あー。梶尾さん、信用していませんね。実は法華院温泉でも、でっかいUFOを見たんですよ!」
「ええええええっ」
法華院温泉は、くじゅう連山の中にある。
「昨年の連休ですよ。男三人で平治岳に登って、坊がツルに下ってきて法華院温泉に泊まったんですよ。予約を入れてないから、大広間で他の登山客と雑魚寝の状態なんですよ」
法華院温泉は、山小屋と呼んだ方がぴったりと来る。私も何度か、利用したことがあるから、すぐにイメージが湧きました。
まさか、そこにUFOが‥‥?今度もホントかよ‥。眉にツバをつけながら聞く。
「あまりにまわりが騒がしいんで、飯食ってから、一人で外に出てみました。そしたら、夜空の星がぱあーっと広がっていて、静かだし、とにかくきれいなんですよ。感激して、しばらくボーッと見ていたらUFOが低く降りてきたんです。それで大船山くらいの高さで止まって浮かんでるんですよ」
「驚いたのなんの。最初、なんだろ!って思ったくらいです。で、UFOだ!って。真っ白く輝いてて、でかいんです。窓があって、中で誰かが動いているのがわかるんですよ」
「ふうん。他に目撃者はいるんですか?」
「そう思って友だちを呼びに行ったんです。あわてて‥‥でもダメでした」
「どうして?」
「UFOが飛んでる!って言ったんですが、友だちは、それどころじゃない!って」
「ええつ」
「今、部屋の隅で、お客のお姉さんたちが、ネグリジェに着替えているところだ!って」
「‥‥‥‥‥‥」
「それで、しばらく一緒に眺めていて、その後、友だち連れて皆で外に出てみたのですが、もうUFOはいなくなってました」
皆さん。この人の話を信じますか?
私は、山登りの山小屋にネグリジェを持参する女性がいるというのが、どうしても信じられない。
UFOが存在するか、しないかは別として。
カテゴリー: カジシンエッセイ
第36回「アリンコ包囲網」
発端は、近所の蕎麦屋で昼飯を食べているときだった。
何やら首筋を這いまわっている気がする。いわゆる蟻走感というやつである。
何かがいる。虫のようなものが。
首に手を当ててみる。
手の中にいたのは、小さなアリンコだった。
もう秋である。それに、こんな街中の蕎麦屋に出現するなんて。
アリンコだったことで、とりあえずホッとする。ひょっとしたら、何かの禁断症状かと思ったから。更年期障害の症状の一つとしても蟻走感があるわけだし。ある種の知覚神経障害を起こしていたらと思ったのは事実。
それが、本当にアリンコだったこと。
よかった、よかった。何も薬物は使っていないからからナァ。
で、せっかく、この世に生を受けたのだから、と潰すにしのびず、テーブルの端にアリンコを放してやった。
そのまま仕事に戻って、執筆を続ける。
そして、夕方。左腕でまたしても蟻走感が。
あわてて、見る。
なんとアリンコがまたしても!
私の仕事場はマンションの三階にある。これまで蟻が現れたことはない。
何故だ?
アリンコを、よく観察する。さっき、蕎麦屋で首筋を這っていた蟻と同じように見えて仕方がない。
これは偶然だろうか?
私を慕って、蕎麦屋から私の服にくっついて仕事場までやってきたというのだろうか。
真実はわからなかったが、アリンコは潰さずに、ベランダへ放してやった
さっさと家へ帰れよ、と。
その翌日。
仕事をしていると、またしても首筋に蟻走感が!
手をあててみる。
なんと!
またしても同じアリンコ。形もサイズも、前日のアリンコとまったく同じ。
ということは、前日ベランダに放したアリンコ?
やはり、慕われている!
これほど執念深いとは。アリの深情けだ。
怖くなり、慌てて今度は隣の部屋のベランダに放してやる。その位置からは飛び越えてはこられない筈だ。
何故、ここ迄しつこくつきまとわれるのかが、わからない。
机に戻って、ふと思った。これまでのアリンコは、実在したのだろうか?
ひょっとして、蟻走感だけが本物で、逃してやったアリンコたちは幻覚ではなかったのだろうか?
そんな思いに駆られて、不安を抱えたまま自宅へ帰る。
これで、明日またあのアリンコが出てきたらどうしましょ。
夕食どきのことである。
「変なことがあるのよね」
家人が言う。
「何でしょうか?」と訊ねる。
「朝、掃除していたら、お父さんが寝ていた場所に、蟻がいっぱいいたんだよねぇ」
げえっ。
もちろん、アリンコの話は一言もしていない。何やらアリンコに呪われているのではないか‥‥。
ぞっと、寒気がしてきた。偶然ではなかったのだ。何故かわからないが、私はアリンコ包囲網の中にいたらしい。
ただ、これまで見ていたアリンコが幻覚でなかったことだけは確認できた。
ただ、正体のわからない何かの意志を感じつつ。
それ以来、アリンコにまつわる現象はぴたりと止んでいる。
何故かということはわからない。いろいろと、想像はするのだが。
たとえば、アリンコが喜ぶ“性フェロモン”を私は分泌するような体質になっていたのかもしれない、と。あるいは、糖尿病体質になって私の出す排出物(汗やら何やら)に惹かれて寄ってきたというのだろうか?(これは、厭な可能性である)
原因は謎のままである。それ以上、アリンコ現象が続いているわけではないから、よしとすることにしよう。
願わくば、逃してやったアリンコさんたちが、きれいな女の人になって戻ってきて「命を助けてくれた恩返しをさせてください」と言ってくれないかなあ、‥‥ってことだけである。
第35回「説明できない出来事」
SFみたいな話を書いているから、UFOとか信じてますよね?と
言われたりするのだが、実はあまり信じていない。
訊ねられて、そう答えると意外そうな顔をされる。
UFOを見たこともないし、もちろん幽霊にも出会ったことがない。相手の方はつまらなさそうである。
仕方がないので「あ、カラスが横断歩道を歩いて渡るのを目撃しました」と言っても、あまりインパクトはなさそうである。
じゃ、何にも不思議な体験はないのですかと訊ねられて、よくよく考えてみたら、古い古い体験で一つだけある。
つまらないことかもしれないが、どうしてそのようなことが起こったのか、私の中で未だにうまく説明ができないのだ。
もう五十年ほど昔の話なのだが。
そのとき、私は小学校の四年生くらいだったかと思う。
場所は、わが家の台所。
わが家は、とにかく古い家屋である。その頃の台所は、改造前で土間があった。
土間に流しがあり、母は、そこで私を叱りながら、ラッキョウ漬けを作っていた。
土間の横に板部分があった。その板は、はずされていた。下は貯蔵庫になっていた。漬物用のかめやら、一升瓶やらが入っている。漬けたラッキョウを、そこに保管するために開けられていたいたのだ。
その横で、私は正座させられ、母の小言を延々と聞かされていた。
何で叱られていたのかは、記憶が定かではない。テストの成績が悪かったのか、あるいは、何かいたずらをしでかしたということなのか。いや、そういうことは、どーでもいい。要は、子供を長時間ぶつぶつ叱っても、何も効果はない。それだけは確実だ。
話それました。
いいかげん解放してくれよと、私は心ここにあらずの状態で、ひたすら耐えていた。
視線は、その貯蔵物をぼんやり眺めつつ。
そのとき、それが起こったのだ。
貯蔵庫には、一列に一升瓶が五、六本ならべられていたのだが、そのうちの数本は、空っぽの瓶であった。
そのうちの一本の空瓶が、突然にポンと音を立てた。かすかな音だ。
見ると、瓶の栓が二〇センチほども上の宙に弾き出されてくるくると舞っているのだ。
何故?
もう、目は釘付けである。
不思議は、それだけでは終わらなかった。
栓はくるくると回り続けた。それは二、三秒のことだったかもしれないが、私には長い長い空中滞在時間に思えた。
そして‥‥。
その栓は落下した。
何処へかというと、元の位置へ。再び、飛び出した一升瓶に、ぴたり!と納まったのだ。
「あっ」と思わず声をあげた。
その不思議さを我慢することができず、母に言った。興奮して。
「ねぇ、今、一升瓶の栓が飛んで、くるくる回って、また自分で栓しちゃったよ。何故、こんなことあるんだろう」
だが、母は、私の言うことを「何、馬鹿言ってるの」と信じなかったばかりか、自分の話を真剣に聞いていないと、火に油を注いだように怒り狂ってしまったのだった。
それから再び延々と小言が続くのだが、二度と、その怪奇現象は起こってくれなかった。
そのできごとは、五〇年経過しても忘れられない。
いろんな理由を考えてみる。
貯蔵庫のふたを取っていたから、気温が上昇し、瓶の中の空気が暖められて、栓をはじき飛ばした‥‥。一番、科学的な理由だ。しかし、その現象は一本の空瓶だけなのだ。そこまでは、可能性としてあり得るかもしれない。だが、栓が元の瓶に落下してピタとおさまる確率は、どのくらいだろう。
まず、あり得ない。
では、何故、こんな現象が起こったのか?
私が動かしたのだろうか?とも思う。子供は念力(テレキネシス)を使うことがあるともいうし。あるいは、ポルターガイストの一種?
といったことなのですが、これが唯一私にあった不思議な体験です。
あまり、地味なので面白くもないと思いますが、真実はどこにあるのでしょうか。
第34回「台風カレー」
最近は、地球温暖化の影響だろうか?台風の威力が以前より増している。予報では風速四十メートルなぞあたりまえ。最大瞬間風速六十メートルとか報じられると、いったいどうなることやらと恐怖に震える。
まったく、そんな風速は、想像もつかない。
ネットなどの書き込みを読んでいると、何故か、台風が接近すると「エッ。進路が、こちらに向かってるって?急いでコロッケを買っておかなくては。コロッケ、コロッケ」というのが、増えてくる。
台風襲来に備えて、停電しても食べられるコロッケが、食糧備蓄の代名詞になっているらしい。
ところで、私だが、台風のときは、飛ばされそうなものを補強したり、片付けたり。
そんな作業が終わったら、やることがなくなる。台風が来たら外に出ることもかなわなくなるなぁ、とレンタルDVDを借りに行ったり。借りてきた後で、あ、停電になったらDVDも見られないよなぁ、と気付く。
それで、恒例になりつつある、台風前の行事。
身を持てあまして、自分でカレーを作るんです。
市販のルーを一切使わない、わがまま、我流の男の料理。
おいしくて、自分で納得のいくカレーを食べたい。時間をかけて作りたい。コロッケなんて、どうでもいい。うまいカレーを食べたい。
ご飯さえあれば、たとえ停電になっても、山歩き用のガスバーナーでカレーをあっためれば、いつでも食べられる。しかも、時間を置いた方が、味が落ち着いてくる。
そんな勝手な理由付けをしてカレーを作ります。
台風迎撃準備を始める前に、スーパーに行って牛スジやら馬スジやらの安い肉をたんと買ってきます。ホルモン用の肉でもOK。そして、鍋の中に固い牛スジ肉を放りこんで、ひたすら炊き続けます。その間は、補強や片付けに集中するのです。
終了したら、厨房に再び立つ。
玉ネギを三個ほどスライスして、バターでひたすら炒める。この工程がとにかくつらい。しゃもじで、延々と掻きまぜながら炒めるのだけれど、すべての玉ネギが焦げ茶色になるまで。
もう、ここで暑さで涙と汗だらけです。汗が鍋の中にしたたり落ちますが「塩気だ、塩気だ」と一向に気にしません。途方もなく長い時間に感じます。それにトマトの熟したのを一個分。さらにカレーパウダーを入れてほどよく炒めて、朝から煮込んだスジ肉の汁をドウッと入れる。それから後は、ガラムマサラを入れる。リンゴを擦ったものや、ヨーグルトや、味噌や、お好み焼きソースやら、とにかく、味見を続けながら、冷蔵庫内の肥やしと化していたものは、何でも入れる。
それから後‥と書いたがフェイクジャズの演奏に似ているような気分。だが、そのあたりから、家族が厨房に入ってこないように。
一度なぞ、カレーにプルーンジャムを入れているのを娘に目撃されて、非難されて以来。
だが、カレーって何を入れても、それなりの味になってくれるのが嬉しい。唯一、入れないのが、小麦粉だけ。あとは、何でもあり。
煮込んだスジ肉もとろとろになり、絶妙カレーだと、自画自賛する。
あとは、台風がうまく逸れてくれることを祈るばかりなのだが。
今年は、何回カレーを作らなければならないのだろうか?
それだけが心配だ。
第33回「あなどれんぞ、カラス」
人間以外で、知能が高いのはサルやイルカというのが定説だが、いつも私が驚かされるのは、カラスの頭の良さである。
コマーシャルで、カラスが殻を割るためにクルミを道路に置く、という描写がある。
まさか、そんなこと、と思っていたら、どうも本当らしい。
自分の目で、いくつかのケースを確認するに至って、カラスって頭がいいんだと、感嘆すること、しきりである。
くじゅうの山の中を歩いていたときのこと。中岳の最後の登りの手前の岩場。リュックが三個置かれていた。
山頂までガレた登山道を数十メートル登るだけだから、リュックの持主たちは、身軽にして山頂を極めようとしたのだろうな、と思った。
そこに、飛んできたのが、一羽のカラス。リュックに近付く。
どうするつもりなのか、と私は立ち止まって様子を見ていた。
ところが‥‥。
カラスは近付くや、二つ付いているバックルを嘴で開け始めた。
無駄な努力をして‥‥。と思って、せせら笑いながら私は見ていたのだが、なんと、二つとも、あっという間にはずしてしまった。
ええっ?
カラスは、おもむろにリュックを開き、中に嘴を突っ込んでビニール袋を引っ張り出す。
あ・わ・わ・わ。
リュックの持主が、今、山頂から下ってきて、カラスが飛び立ってしまえば、リュックを荒らしたのは私だと思われてしまうではないか!
「これは、カラスの仕業ですよ」と主張しても、バックルを二つともカラスがはずしたなんて信用してもらえる筈がない。
それからカラスがどのような行動をとったのか確認しないまま‥‥。
私は脱兎の如くその場を遁走したのです。
あれ以来、朝ゴミを散らかすカラスを防御する方法は存在しないのではないかと考えるようになりました。どんな方法を使っても、それを無効化する方法を編み出すにちがいないと思える。
最近遭遇した、もう一つの例。
熊本市のはずれの田園地帯を走っていたときのこと。
前方に信号があり、黄色に変わったので、運転していた自動車を停止させた。
歩道の手前に人の姿は、まったくない。
代わりに‥‥。
目を疑った。
カラスが、一匹立っているのだ。
信号待ちをしていたのである。
で、歩行者信号が青になると、そのカラス、すたすたと私の車の前の横断歩道を歩きはじめた。
それから、渡り終えたカラスは、どうもそれで気が済んだようで、ばたばたと、いずこへか飛んでいったのだった。
飛べるのに、なんで信号待ちなんだよ!
理由は一つしか考えられません。カラスは馬鹿な人間の真似をして“遊んでいた”のではないだろうか?
やはりカラスは途方もない知恵を持っているとしか考えられない。
自分たちを攻撃する特定の人間を、カラスは見かけて仕返しをするという話も、最近聞いたばかり。
その特定の人だけを狙って、糞をかけたり、嘴で襲ったりするらしい。
ということは、カラスは人を一人づつ識別できるんですね!
カラスの知能の限界は、どこにあるんだろう。
ひょっとして、今の人間たちが滅んだら、次の地球の征服者は、カラスなのではなかろうかと、考えてしまう。
第32回「ホラー映画の法則」
熊本では、お盆は七月ですが、昔から七月盆あたりから怪談映画が増えてきますねぇ。納涼怪談というか、ぞっとして暑さを忘れさせるという発想なのでしょうか。
欧米では、日本と違ってクリスマス前後が、ゴーストストーリーが多いってことを聞きますが、どうなのでしょう。私は、根っから、怪談、ホラー、SFといったものが好きなので、この手の映画は、年中のべつ観ています。特にB級C級ホラー。
すると、いくつかの約束ごとが見えてきました。ホラー映画の法則というか‥‥。
それを書いてみることにします。思いついた順番に。
●断崖絶壁沿いの細道を進む描写があったら、一行の誰かが、必ず谷底へ落ちる。
●怪物、怪人、ゾンビなどに追われて、逃げようと飛び乗った車は、キィを回してもエンジン
がかからない。
●ヌードになると、おっぱいの形が今ひとつだったり、貧乳だったりという女性が怪物や殺
人鬼の犠牲になる傾向がある。
●エッチなカップルから順に、怪物や殺人鬼に殺される傾向がある。
● だいたい不気味な音楽が流れ始め、登場人物が、怪物がいないかと、カーテンの後ろや物陰
を覗き込む。しかし、そこには、いないことが多い。やあ、安全だ、と登場人物がホッとし
た瞬間に、怪物は突然襲ってくる。
●パーティーシーンがあれば、その会場は必ず、阿鼻叫喚のパニック状態になる。
●途中で怪物や殺人鬼を退治するために発明されたり、考案される解決策は、だいたい役に立
たず効果がない。逆に、一層、悲惨な結果を招く。
●上映時間30分を過ぎないと、怪物、怪人は姿を見せない。。
●B級C級ホラーの登場人物は、だいたい全員アホである。
観客が観ていて、やるんじゃない!ということをやる。
一人になるんじゃない!という場所で、仲間とはぐれたり、単独行動をとりたがる。
音がしても見に行くな!というとき、アホだから、すぐに見に行き、殺される。
●登場人物の中で一番の美女が、最後まで生き残る。
●死んだはずの怪人、怪物、殺人鬼は、エンドマーク前に、実は生きているということを匂わ
せる。ちっとも意外じゃない。
●一番最初の犠牲者は、金持ちか、意地悪な中年か、ルールを無視する生意気な若者のいづれ
かである。
●主人公と敵対するキャラクターは、かなり最後まで生き残る率は高いが、必ず残虐な殺され
方をする。
●怪物や怪人に追われるヒロインは、もう少しで助かるという場所まで来て、必ずコケる。
だが、危ないタイミングで助かる。
このパターンを、すべてはずしたホラー映画であれば、その映画はすさまじい傑作であるか、箸にも棒にもかからない駄作であるかのいずれかだと思うのですが。
ホラー映画を観るときに思い出していただければ、ニヤリとできますよ。
第31回「恩を仇で返される」
数週間前のできごと。
夕方、煮詰まってしまった仕事。鼻と唇の間にシャープペンシルを挟み、ああでもない、こうでもないと沈思黙考状態。
そんなとき、通りを一台の車が走る。マイクで叫びながら。
広報車だ。
「血が不足しています。皆さまの献血のご協力をよろしくお願いします」と。
煮詰まっていてもしかたがない。気分転換に善行を施しに行くかと、指定の献血場所へ。
私は血管が細いらしい。
かわいいお姉さんが私の担当になったのだが、検査採血の段階で、うまくできないのだ。
かわいいお姉さんが「すみません。お願いします」と他に助けを求めて叫ぶ。
すると、意にそわないオバちゃんが採血してくれることに。
その後に血圧を測ってくれたのだが、「高くなってますね。でも、献血は大丈夫です」と言われる。
意にそわないオバちゃんでなく、かわいいお姉さんだったら、そんな血圧ではなかったろうにと思う。
話していて、その時期は血が不足すると聞かされる。
二〇〇CCと思ったら四〇〇CCをすすめられる。気が小さい私は断れない。
血を抜かれながら、おれの血は誰にいくのだろうと、夢想する。願わくば、難病にかかった、いたいけな美少女の女子高生の体内に入って頂ければと、強く思う。
月日は流れる。それからしばらく経ち、献血のことも忘れ去った、ある日。
仕事場から帰宅し、食卓について驚く。
まるで、病院食みたいな夕食が目の前にある。驚き、呆れる。
な・なんだ、今日の晩飯は‥‥。
その横に一枚の葉書が。献血のお礼の葉書だ。
開いてある。家人が勝手に開封したらしい。
「なんですか!このコレステロール値は?」
ギクッ。
反論できない。
その葉書には血液検査の結果も記してあるのだ。
チッ。余計な真似しやがって、と舌打ちする。
あわてて数値をチェックする。
たしかにコレステロール値が上がっている。だが、許容範囲内であることがわかる。
胸を撫でおろす。やっと口応えする余裕が生まれる。
「標準の範囲でしょう」
「コレステロール値が二〇〇超えたら、廃人一歩手前です」
竹槍を出したら、重爆撃で反撃された。
ひどい言われようだ。私が廃人なら知り合いはゾンビだらけだ。
なんで、おれだけに!!
しばらくは病院食みたいなのが続くらしい。
くそっ!献血車。恩を仇で返しやがって!
「あのー。お酒‥‥」
「今日のカロリーは、それで十分ですっ」
シュン。
第30回「九州国立博物館へ行く」
だいたい、私は、熊本でいう「わさもん」である。新しいものがあれば、すぐ興味が湧く。「わさもん」というのは、好奇心が強い人と言えばよいのだろうか・穴があれば覗きたがる。紐があれば引っ張ってみたくなる。
だから、太宰府に九州国立博物館ができたと聞いて、一刻も早く行ってみたいという思いで、うずうずしていたのだ。
その機会がやっと巡ってきた。
わくわくである。太宰府天満宮に隣接した位置にあることも確認した。よし、帰りしなには、出来たて熱々の梅ヶ枝餅を食べるぞと、心に固く誓う。
行ったのは、平日である。土曜や日祭日では、混雑するのではないかと予想したからだ。ところがどっこい、平日でも相当な人出である。これが日曜だったら、どんなことになっているのかと想像すると恐くなる。
緑の中を抜けて正門に至る。どでかい。建物を目の前にしただけで迫力を感じる。サッカー場一つがすっぽり中に収まる広さだと知って、なるほどと思う。
入るとエントランスホール。広さもだが、天井まで吹き抜けの空間に圧倒される。しばらくエントランスで、ぼーっと佇む。
我に還ってチケットを買い、特別展示室へ。
こは、テーマ毎に五つのエリアに分かれていた。その五つのエリアそれぞれにの奥にも、関連した展示室が設けてある。それぞれに見応えがある。どのエリアから見てもいいように、順路は設けられていない。好き勝手に見なさいという感じである。
旧石器から縄文時代のエリアから見物を始めた。まず、話や写真のみでしか見たことのなかった火焔土器や遮光器土偶に初めて出会う。嬉しかった。これだけで、ご飯三杯いけるようなほど食い入るように眺める。これらの土器は東北の方だから、九州ではなかなか見る機会がないんだよなぁ。これが見れただけで、やって来た甲斐があるってものだ。トンデモ学説の連中が、遮光器土偶を見て「宇宙人は地球に来ていた!」と叫べたがるのも納得でありました。
すると、その横にシアターがある。中に入ると、全編CGの迫力映像が。
なんと、九万年前の阿蘇山大爆発を見せてくれるというんですよ。
現在の阿蘇は、外輪山だけを残して中央部は陥没したような地形になっている。それは、古代の大爆発のためで、本来は富士山に匹敵するほどの霊峰だったと、よく聞かされたものだった。
その霊峰、阿蘇山が消失するところを見せてくれるというから、興奮であります。
九州の中央の阿蘇山がアップになり、あっけなく大爆発。
それからが凄い。阿蘇山から噴き出した火砕流が、すさまじい勢いで四方に溢れ流れ出す。
私が住んでいる熊本市は、画面上では、次の瞬間、全滅しているにちがいないと思えます。ま、九万年前だからいいけれど。その火砕流は太宰府あたりも一呑み。想像がつかん。
一つのエリアを見るだけで四〇分以上もかけたことが判明。それでも、ゆっくりと見てまわって堪能しましたヨ。
でも、展示物を見ながら感じたことが一つ。
文字は不利だ!!
価値のある古文書も展示されているのだが、正直言って、私の目が奪われるのは、埴輪や石仏やら。
古文書にも貴重な情報が記されていることはわかるのだが、どうしても展示品の中では地味である!……しかも、読めない。
ううむ、もの書きの私が、これでいいのか……と、ちょっとショックでありました。
第29回「県民の敵」
タクシーに乗るたびに、運転手さんが言う。
「勝ちますかねぇ」
エッ、何が?
高校野球のことだとわかる。
さぁ?と答える。熊本からどこの高校が出場していたのかも、まったく知らないのに。
私は、スポーツはまったく興味がない。加えてスポーツ音痴である。
次のタクシーに乗る。
運転手さんが嬉々として言う。
「○○高校(地元)が××に勝ちましたヨ」
よく意味がわからずに、私は、「ハァ?」と答える。
すると、運転手さんは、不思議な生きものを見るような目で、バックミラーをのぞき、私を見る。
何がいけないんだよ。おれ、常識が欠けているのか?
高校野球の話題ができないと、県民の敵ということになるのだろうか?
これでは、いけないのではないか……。
その日も、熊本代表の試合があるらしいことを、朝からネットで知る。
よし、会話想定文をこさえよう。これで、県民の敵と後ろ指を指されることはないはずだ。
その日の夜は、編集さんとの打ち合わせだった。
深夜の帰宅です。
タクシーに乗る。
不思議にも、その運転手さん、高校野球の話題をふってこない。
どうしたのだろう?例外なく運転手さんは高校野球の話を始めるのに。
中には希に、私と同じようにスポーツにまったく興味のない運転手さんというのも存在するのだろうか?
あれほど、学習したのに。
運転手さんとの会話想定文も考えたのに。
熊本代表は△△高校である。まちがいないはずだ。
左門豊作の熊本農林高校とまちがえなければ、大丈夫のはずだが。
おかしいなぁ。黙っているぞ。
直感でわかる。このタイプの運転手さんは高校野球好きのはずなのだ。
間違いなく!
よせばいいのに、私から話をふってしまう。
「あっ、今日は熊本△△高校の試合はどうだったんでしょうね。たしか、今日勝てば、ベスト8進出のはずでしたよね」
しばらく沈黙。
その後、運転手さんが低い声で、
「負けましたよ」」
また、沈黙。
そんなことも知らないのかというように。
ひえええぇぇぇ。(自爆)
第28回「これも取材だ!」
書いている話が、幻想的なもの、現実離れしたものが多いので、よく「取材しなくても、頭の中で話を組み立てて書いてしまうんでしょう?」と言われれますが、そうではありません。
メインになるアイデアが荒唐無稽な法螺話が多いものですから、読んでいてハナっから「嘘だろう。ありえねぇ」と言われないように、ディテールについては、できるだけ嘘のない描写をしたいと心がけています。
大きな嘘をつくためには、小さな部分はできるだけホントらしく。
以前のように徹頭徹尾、舞台が宇宙という設定であれば、図書館の調べものだけで済ませることができるのですが、今は傾向として時代設定を”現在”とすることが多いので、知らない環境や場所を描いたり、あまり縁のないお仕事を知りたいなと考えたら、こりゃ、もう、取材するしかないわけです。
「黄泉がえり」のときも、いろんな方に取材しまくりました。
新聞記者の方に会って、「このような状況だったら、どういう社会反応が考えられますか?」とお訊ねして、自分が考えている社会反応を話し、見解を頂いたり。市役所の職員の方にも、「死者が生き返ってきたとき、申請のやり方はどうなりますか?」と質問したり。
最初は、そんな質問に呆れかえられました。
「そんなことは、ありえないでしょう」
「もし、ありえたらと仮定してのお話なのですが」
「でも、ありえませんよねぇー」
それでも、いろいろと質問の形を変えたりしつつ、取材を進めます。たぶん、そんな戸惑いも、「使える!」と思ったら作品の中で活かしました。
三十代になったくらいの女性たちのモノの考え方が描写で必要になると、それも取材です。知り合いに、いろんな職業の、いろんなタイプの女性を集めて頂き、本音を聞かせてくださいと、用意した質問をぶつけます。
こんなときは、かなり楽しい。
自分の顔がヒヒ爺の笑いになっていないかだけが心配です。
お医者さんの取材も多いなぁ。登場人物の一人が難病という設定にすると、架空の病名であれ、治療法に嘘があってはいけないから。
で、こういうことで、取材費は、よくかかります。お話は、素面でうかがうよりも、一杯飲みながらだと、とんでもない方向にジャンプして、思いもよらぬ収穫が得られる確率が高くなります。本音も、ぽんぽん飛び出し始めますし。
でも、協力して頂いた方の中には、立場上協力して頂いたことを明かしてはならない方もいるんです。そういうときは、取材費の領収書には書き込めません。
で、一番最近の取材はパチンコ屋さん。
長編の登場人物の一人が、パチンコ依存症という設定で、パチンコ屋を訪れるとこを書こうとしたのですが……。
私は、パチンコをやらないので、店内の様子がよくわからない。よくわからないと、書けない。
こりゃあ、行ってみるしかないか。登場人物が入店するのと同じ時刻に入ってみました。
ひえぇぇぇ。すごい。凄まじい音量とタバコの煙。やはり、来てみないと雰囲気はわかりませんでした。
しかし、平日の昼間というのに、この人たちは!おばちゃんが、こんなに多いとは!
自分でも、パチンコをやってみないとわからない。しかし、玉の買い方がわからない。
台の横で販売機を見つけたのですが……えーと、これ取材なんだよ。お店の人に尋ねました。
「あのー、領収書を出して頂けますか」
お店の人、私の顔を見て、ホント不思議そうな顔で答えました。