第57回「ミルクセーキ」

子供の頃の夏のおもいで、というと、思い出されるのはミルクセーキ。
そう。今回も、「あれは美味しかったあ!」のいやしんぼシリーズです。
これだけ暑い日々だと、ふとミルクセーキ飲みたあいと思うわけです。
誤解しないで頂きたい。カフェで出されるエッグノック風のものではない。
また、ファーストフードで供されるアイスクリームと牛乳をシェークしたものでもない。
ミルクシェークではなく、あくまでもミルクセーキであります。
私が食べたいのはタマゴと牛乳、シロップにバニラエッセンスを加え、それにかき氷と茶筒に入れてシェークしたもの。
昔から熊本でミルクセーキといえば、これと決まっていた。
ところが最近はさっぱり見かけなくなった。喫茶店でミルクセーキとあって喜び注文すると、エッグノックに氷を浮かべたものを出されて何度がっかりしたことか。
倉敷の美術館横の喫茶店で数年前に口にしたのが最後だったかなあ、と。
そう昨年の夏はミルクセーキ食べたいよ熱に侵されていたのであった。会う人ごとに「ミルクセーキ食べさせてくれるとこ知らない?」と訊ねまわる。

一度など下関の荒戸市場近くのうどん屋でミルクセーキの昔ながらのやつを食べさせてくれるそうです」という情報を頂き、JRに飛び乗りました。門司港に到着後、船で下関に渡り、下船すると一目散。
期待に胸を膨らませて、炎天下、そのうどん屋を目指す。もうすぐ。あの角を曲がって。
着いた!
と思ったらシャッターが。
その日は日曜日だったのですが。
日曜は店休日。
聞いてないよお。トホホだよ。全身から力が抜けてしまいました。はるばる熊本から、下関まで訪れて。
これで終われば、何とも救いようのない私は、とんだ間抜けであります。ところが、ベラ夫君の私はミルクセーキを飲みたいよ!と会う人ごとに言いまくっていたので、奇跡の逆転が待っていたのです。
甲佐町で「おひさまコーヒー」をやっている若旦那から連絡が。
自分なりにミルクセーキの作り方を試行錯誤の上に極めたから試して欲しい、と。
それを聞いた私は仕事をうっちゃらかしにして駆けつけましたよ。
ええ、私、いやしいですとも。
若旦那、待っていてくれてすぐに作りかかってくれました。聞くところによると、何度も試作された挙げ句らしい。
グリーンコープの牛乳を凍結させ、それに練乳を加える。
タマゴは某無農薬野菜を作る農家の放し飼いの鶏の黄味。それにバニラシロップ。
砂糖は使いません、と。
それをスムージーに入れると……できました。
究極のミルクセーキ。
濃厚だが甘すぎず上品で氷のきめが細かい。
「うまい」
思わず叫びました。子供の頃の美味しかったミルクセーキの記憶を超えているよ!
「これ、商売にしたら、絶対に大人気になる。保証します」
しかし、若旦那は肩をすくめました。
「いや、熊本の昔のミルクセーキの再現で採算を度外視してこさえてみたんで、実際に、お客さまに提供しようとしたら、とんでもない金額になってしまうから無理ですよ」と。
だから、今でも若旦那がこさえたミルクセーキの味は思い出すんですが、あれは私にとっては、真夏の夜の夢のようなできごとに思えてならんのです。あれは甲佐町の田園で狐狸に欺されたのではなかったろうかと。
しかし、うまかった。
さて、話は、普通ならここでめでたしめでたしのエンディングを迎えるわけですが、そうはならない。大逆転が、その後待っていました。
あまりに、皆にミルクセーキ飲みたい。誰か知らない?と吹きまくっていたので、行きつけのお蕎麦屋さんで「長崎風ミルクセーキ」を作ってもらいました。
味は非常に近いが、氷のキメが熊本のそれよりやや荒い印象かなあ。
娘は、和三盆糖のアイスキャンデーでミルクセーキをこさえてくれました。これはこれでなかなか美味しい。
そして、なんたるシンクロニシティ。家族で雲仙に旅行したとき(しかも冬の12月。雲仙は雪が積んでいました)、茶屋にミルクセーキが。全身を凍えさせながら、食べましたよ!確かに、懐かしのミルクセーキの味。
知り合いからも続々と情報が!
人吉のお店にもミルクセーキがある?広島のチェーンのカフェにも?
ああ。そんな季節か。今年もまた、ミルクセーキを飲みたくなってきましたなぁ。

第56回「孫の心配性」

「人食いバクテリア」ってのがいるって話を、最近、久しぶりに聞きました。
いったい、どんなものを皆さんは想像しますか?
私だったら、何となく1950年代末のアメリカのモノクロのモンスター映画であります。
形の定まらない何やらぐねぐねしたものが突然現れて、人間に襲いかかる。人間は全身が血の色をした半透明バクテリアに覆われて、悲鳴をあげながら溶かされていく。
そんな光景。
誰が、このような恐怖のバクテリアの存在を思い出させてくれたか、というと、小学2年生になったばかりの孫であります。
かなり特殊な子供で、飛行機がダメ。私と同じ高所恐怖症。だから、東京ディズニーランドには行きたいものの、飛行機には乗りたくないというジレンマに悩んでいるような子です。
何故、人食いバクテリアの話が出たかというと……。

「夏は、おじいちゃんが海水浴に連れていってやろうか?」
そう言ったところ、孫は「いやだ。海に行かなくていいよ」
その理由が、「人食いバクテリアが海にいるから」というものだったのです。だから、私は同時に脳裏に「怪獣ウラン」やら「ブロブ」やら「人喰いアメーバーの惑星」の映像が思い浮かんだわけです。
孫によると、その人食いバクテリアにやられると、みるみる足が腐れてしまい、死んでしまう、ということで。
「なんで、人食いバクテリアのことを知ったの?」
「テレビでやっていた。海にいたりするんだよ」
あわてて、パソコンで検索をかけてみました。あ、ホントにいるんだ。人食いバクテリアは。人食いバクテリアは、そう呼ばれるだけの急激な症状の進行があるという。
劇症A群レンサ球菌感染症。
それに、熊本でも最近、発病例があったらしい。
「だから、海水浴はしない」
そう言い切ったのであります。
それに、どうも、自分の思考内で孫はいろんなケースを想像している。
「え。船はいやだ。沈んだら、泳げないから」
自分の子供の頃は、どうだったっけ。そこまで想像していたのか、はなはだ、疑問だけれど。
気がついたことがあります。
それは、孫が喜んで見ているテレビ番組の傾向であります。
ドキュメンタリーの科学もの。そして食い入るように「ホントは怖い家庭の医学」を見ているのであります。
つまり、テレビに感化されて、孫はけっこう心配性になっているのでは、と思ったりしています。
仕事を終えて帰宅すると、孫と一緒に家庭菜園に水をやります。
それから、孫の横に座り、宿題をやるのを見届けます。
先日も、そうしていたわけですが。
その日も宿題は終盤にさしかかり、最後のプリントの漢字をやっているので、私は安心して、孫の宿題の進行を眺めながら、焼酎のロックを作り、チビチビと舐めておりました。
それを孫はチラチラと横目で見てはいたのですが。
突然、漢字プリントの一番下の空欄に何やらを走り書きしている。
何をそんなとこに書いているのだ……と見守っていると。
こう書いてありました。

 “おさけののみすぎです。
  からだを休目ましょう” 

私は眉をひそめて訊ねました。
「これはジィのことか?」
そう訪ねると孫は大きくうなずきました。
「また病気するよ。おじいちゃん」
実は2月に入院したという経過があるのですが、孫はしっかりと、そのことを憶えているらしい。
私は、しっかりと孫に言いました。
「“からだを休目ましょう”じゃありません。“体を休めましょう。”めの漢字の使い方が間違っています。書きなおし」
孫の心配性は、なおってくれるでしょうか。心配であります。

第55回「夢のはなし」

不思議な夢を見たりすると、どうしてこんな夢を見るのだろうと、その理由を考えたりしませんか?
その脈絡のなさ具合が、目を醒ましたときに、ああ、やはり「夢」だったのだと納得できてしまう由縁ではあるのですが。
突然に歯がすべて抜けてしまう夢やら。糞尿まみれになっている夢やら。見知らぬ場所をさまよっている夢やら。
それが何を意味するのか?知りたくてフロイトやらを学生時代に読んだりもしましたが、どうも違う気がしてならない。性的願望がいつも深層心理に抑圧されているようで、「人間、みなスケベかよ。それだけかよ」と思ってしまいます。
他の夢分析やらでは、歯が抜けると体力の低下を表す、と書いてあったり、必要なものが手に入ると書いてあったりで、正反対です。だから、最終的に夢を見た人の解釈に委ねられるようだなあ。あまり、あてにならないかな。それから、必ずプラスのイメージ解釈とマイナスのイメージ解釈が書いてある。そりゃあ、どちらかは当たるでしょ。だから、夢判断は信用できない気がするのです。

なんだか、夢というのは、巷でいう夢分析やら夢診断とは異なる”凄い情報”をひょっとしたら伴っているのではないかな、とも思うのですが。でも、残念ながら……真実は、”そこ”にあるのでしょうが。
けっこう有名なショートストーリーで、こんな話があります。
ある老女が、毎夜、同じ夢を見るのです。それは、どこか知らない見覚えのない丘の上に建っている屋敷にいる夢です。その屋敷の中を見てまわっても、誰も住んでいる気配がないのです。
なぜ、毎夜、同じ屋敷の夢を見るのかを考えてもわかりません。その夢のことがずっと、頭に引っかかっていました。
その老女が旅に出たときのことです。ある田舎道を通りかかったとき、馬車の窓から衝撃的な光景を見てしまいました。
丘の上に建っている屋敷です。いつも夢の中に出てきた……。間違いありません。
老女は、御者に命じて馬車をその屋敷に寄らせました。近づくにつれてその屋敷が夢の中に出てくるそれと同じであるという確信はつのります。屋敷の前で馬車を降りた老女は、近くにいた農夫に声をかけました。
「この屋敷には、どなたが住んでいるのですか?」
「誰も住んでいませんよ。おまけに、夜には幽霊が出ますから」
「えっ?幽霊が?」
すると農夫は、老女をじっと見てい言いました。
「あなたですよ」
こんな話に登場する夢の方が、私にとっては、真実味があるような気がするのです。
で、私が一番好きな夢は、空を飛ぶ夢。現実には高所恐怖症で飛行機は大の苦手なのですが、「これは夢だ」と認識できているので大丈夫なのです。寝入りばなに、空を飛ぶ夢を見ようとコントロールできるほどです。滑走路を走って飛び立ち、徐々に高度を上げていくほどにリアルです。
嫌な夢で、心臓に悪いな、と思う夢。
なぜか、私が大学生で、試験に遅れる夢を見るのです。朝、目を醒ますと目覚ましが鳴っていない。完全に遅刻ということに気がつきます。その日は、卒業試験か何か、大事な日なのです。あわてて飛び起き、服を着て走ります。ところが、なぜか、身体が上手く動かない。着いても、試験場の教室へ入れてくれるかどうかわかりません。しかし、何とか大学にたどり着く。腕時計を見ると、何とか試験場に入れてくれそうだ。
やれ嬉しやと、試験場の教室へひた走り。
すると、ゼミの友人がなぜかキャンパスの向こうからやってきて、私に言うのです。
「あれっ。カジオくんは昨日の試験、休んでいたよね」
どうも、一日まるまる眠っていたらしい。
そこで、目が覚めるのです。
なぜか、繰り返し、この夢を見るなあ。
夢の話を書いてみようかと思った理由ですが……。
最近、三人の方に言われました。
「夢の中にカジオさんが、出てきたんですよ」って。
私には、まったく心当たりがないのですが、そう言われると私としてもけっこう不安になってしまうのですよ。

第54回「白鳥山のヤマシャクヤク」

山の中をうろうろするのが好きであります。高い山の頂上を極めようというのではなく、自然林の中をあてもなくうろついているわけです。九州には、それほど高い山はなく、久重連山の中岳が九州本土では一番高いのですが、それでも1791メートルほどです。
だから、私が歩き回る山は山頂近くまで自然林が連なり、文字通り森林浴をしているようなもの。すごくのんびりできるわけです。気の向いた場所まで行って気の向いた時間まで過ごすという遊びかた。
で、山をどのように選択するかといえば、
—-この時期は、あの山に行けば、タラの芽とコシアブラの若芽に出会えるなあ。
—-昨年の日記を見ると、同じ時期、あの山の登山道でタマゴダケに遭遇しているぞ。足を伸ばしてみるか。
といったものです。
初夏に久重連山のどこかに行ってみようかと出かけて、瀬の本高原のドライブインでトイレに入ったとき、隣の会話を盗み聞きします。

「スキー場の上のオオヤマレンゲが見事でしたよ」
それで、ためらうことなく目的地を変更してオオヤマレンゲを愛でる山歩きに変更するというアバウトぶりなのです。
あ、オオヤマレンゲは、初夏の深山に咲く“高山の貴婦人”の異名を持つほどの艶やかな花です。樹木に無数の大粒の花が咲き乱れている姿は、息が止まらんばかりでした。
それから、毎年、その時期になると、オオヤマレンゲを眺める山歩きが、スケジュールに加わることになったのです。
さて、今回の白鳥山ですが、最初に登ったのは、もう数十年前になりますね。
熊本と宮崎の県境にあるブナの原生林が豊かな山で、しかも紅葉は素晴らしいということを知り、行ってみたわけです。
噂どおり、秋の白鳥山は、しっとりとして素晴らしい場所でした。平家の落人の屋敷跡や、まるで自然の能舞台のようなドリーネなど、目を見張りました。たまたま、そのときは雨上がりだったのですが、霧が一面にかかり、湿地である御池あたりは、幻妖ささえ漂い、まるで泉鏡花の小説に登場する幻想的な場面を思い出しました。
なにより凄いのは、その手つかずの原始林で、そのとき誰も他の登山者と出会わなかったことでしょう。
さて、数年後の5月の連休明けのある日、この白鳥山を再び訪れました。秋の風景もあれほどよかったから、初夏などはどれほどのものだろう。また違った貌を見せてくれるのではないか、と。
で、登ってみて仰天したのです。まったく予想していなかった風景が拡がっていました。
ヤマシャクヤクの群生が、山の斜面一面に!それも、開花して間もない、純白のボンボリのような花弁で。
そのときの感動といったら言葉に表せません。自然が贈ってくれた、まるで奇跡のようなお花畑の光景でしたから。
それが、まったく予備知識なしに飛び込んできたのです。
それから、毎年、5月のゴールデンウィークが終わった10日後に白鳥山詣りをするようになりました。もちろんヤマシャクヤクの奇跡の光景に会うために。
何度会っても、感動が薄れることはありません。その光景を仕事の中で活かしたくて、「未来のおもいで」という作品の中で白鳥山のヤマシャクヤクを、主人公たちが登場する背景描写に使ったほどです。
さて、その「未来のおもいで」という小説は、光文社文庫で書き下ろしたのですが、今年の2月から3月にかけて、演劇集団キャラメルボックスによって「すべての風景の中にあなたがいます」のタイトルで舞台化されました。
その影響かもしれません。最近、白鳥山のルートと、ヤマシャクヤクの咲いている正確なスポット、そして咲く時期を訊ねられるようになりました。
もう、そろそろ満開の時期が近づいています。ここ数年、崩壊していたはずの林道も、無事に復旧しているようです。
皆さんも、その奇跡の光景を目にしてみては、いかがですか?
きっと感動されると思いますよ。

第53回「おでん文化」

子供の頃から、おでんという食べものの存在は知っていた。だが、、好んで食べるものではない、というイメージ。
それは、私が育った熊本では、それほどおでんという食べものに強烈なイメージがなかったから。
居酒屋のメニューの片隅に「おでん」と書かれている。通学の帰りに高校生たちが寄るお好み焼き屋の柱に「おでん有り□」と記されていた。いずれにしても熊本では、「おお。おでん食いに来たんか!まあ、座れや」と主張するメインの食べものではない。かき氷が欲しくなる時期になると、柱には「おでん」のおの字も見えなくなるんだから。
私だって、「おでんってどんな食べもの?」と思ったのは、やはり赤塚不二夫さんのマンガ「おそ松くん」に出てくるチビ太の大好物として登場したのを見てからだろう。チビ太くんは、常に串に刺したおでん(たぶん、コンニャク、大根、厚揚げじゃないかと思うのだが)を肌身離さず、けけっと笑って持ち歩いていた。で、食べてみたけど、特別においしいものだ、とは思わなかった。

熊本で食べるおでんのネタは、以下のものである。スジ肉、タマゴ、厚揚げ、コンニャク、大根、キンチャク(野菜、あるいは餅)、ゴボウ天、くらいかなあ。ダシも、特別にうまいとは思わない。
おでんとは、そんな食べものだと思って成長したわけだが、社会に出て大阪に出張したときに、驚きを体験した。
「おでんを食べに行きましょう」と言われて、私は内心ええっ!と舌打ちし
た。大阪まで来て、おでん食べなくても、と。
連れて行かれたのは、法善寺近くの路地を入って細い階段を昇った二階。カウンターだけのこじんまりとしたお店。靴を脱いであがる。
そこが、おでん屋らしいのだが、シックな店内だ。一品づつ皿に盛って出てくるのだが、「えっ?おでん?」と首をひねった。なんとまるで懐石料理みたい。工夫を凝らした一品づつが、食べ終わる頃合を測るように出されるのだ。ダシの濃さも、品によって微妙に調整されている。薬味も、もちろんそのネタによって異なる。和辛子だったり、山椒だったり、七味だったり。
おでんに対してのイメージが百八〇度、変化した。熊本で食べていたおでんは何だったのだあ!
そして、上京したとき、おでん専門店へ入ってみる。大阪とまた文化圏がちがうから、と。
予感は当たり、熊本とも大阪とも異なるおでん世界が待っていましたあ。
ダシが、こちらは少し辛目のような気がするなあ。そして、何より見慣れないものが入っている。
白い巨大なふわふわとした具はなんだ?
それが、ハンペンというものだと、初めて知る。ハンペンって名前を聞いたことはあったけれど口にしたことはなかった。
そして、白いチクワのようなもの。 チクワブというもの。これも熊本では見たことがない。
そこで初めて気がつく。それまで、旅行先では、その地の寿司屋に行けば、その土地の味を知ることができると信じていた。
寿司屋だけじゃないんだ。おでん屋でも、その土地というか、風土を知ることができるんだ。
熊本へ帰ると、またおでんを食べてみる。あまり、驚きのない、おでんの味だなあ、と溜息をつく。
そういえば、東京のおでん屋では、ネタによって、おでんの汁に浸す時間が、ちがっていたなあ。目の前で浸して、すぐに皿に盛るものとか。熊本の場合は、ずっとグツグツ煮込みっぱなしで、食べるときに引き上げるという愛情のなさだものなあ。
どこか、熊本だったら、この店のおでんを食べないと、おでんは語れないぞ!というお店をご存じの方。教えて頂ければ幸いであります。すぐ、駆けつけますから。
そして、名古屋で食べた味噌おでん!これもカルチャーショックでした。
ここでは、おでんのダシが甘い八丁味噌なのであります。すると、もう、おでんというジャンルではとらえられない。東京と大阪の間の突然変異地帯であります。す。しかも、串カツをおでんの味噌ダシにくぐらせたりという、新しい世界!
ここにも、おでん文化があったのだぁ! つい最近、またしても、大阪を訪れた際におでん屋に足を伸ばす。
法善寺近くのおでん屋は見つけられなかったので、今度は、心斎橋のおでん屋へ行ってみた。
ここでも驚いたなあ。
なんと、鯨のパーツが、おでんの具として使われているのだ。サエズリとか、コロってなんだよ!と思ったら、サエズリって鯨の舌なんだね。コロって皮の舌の脂身から脂を抜いたものだって。
関西でも、おでんの具が店によって異なるという新事実を体感。ネギマとか、生麺とかにも出会いましたものね。
地域だけではなく、店毎のおでん文化も存在するんだ、と。
皆さんの地方の、おでんの特徴も教えて頂くと嬉しいのですが。

第52回「ロールケーキ」

先月は恵方巻で、今月はロールケーキですよ。巻きものシリーズみたいですねぇ。
で、私は子供の頃から頃からタマゴを使った料理が好きなのです。それも温泉タマゴに代表される黄味が半熟系。黄味は、やや赤みを帯びるほど黄色いのがいいなあ。
だから、二軒のラーメン屋が並んでいて、どちらに入ろうかと迷ったときは、ためらわずに、トッピングに半熟とろとろの煮タマゴちゃんが乗っている方であります。
タマゴ飯なんて、うるさいヨ。
どんなタマゴ飯にするかは、毎日変えてみたりします。黄味におかかを混ぜたり、新鮮なウニが手に入ったら、ウニ・タマゴご飯。醤油も、最初にご飯を醤油ですべて絡めてからタマゴを混ぜたり、白味と醤油を混ぜたご飯に混ぜ込んで黄味を落としてみたり。
だから、タマゴご飯も奥が深いんですよぉ。
親子丼も、もちろん大好きだけど、かかっているタマゴはプルプルの半熟状態でなければいけない。オムライスは、乗ってるオムレットが、ふんわり切ったらトローリ系でなくては、いけません。そんなオムライスの美味しいところがあったら、教えてください。
寿司屋へ行ったら必ずホカホカの玉子焼きを頼みますし、蕎麦屋で酒を飲むあても玉子焼き。寿司屋は寿司屋の玉子焼きの味だし、蕎麦屋はちゃんと蕎麦屋の玉子焼きの味になっているのが、“棲みわけ”を感じるなぁ。
そんな延長で、スイーツ系もタマゴを使ったものに惹かれてしまうんであります。
昨年の夏は、「ミルクセーキが食べたい」と思い込みが突然湧きあがり、かき氷で作ったミルクセーキをどれほど探し回ったことか。結局、娘に、和三盆アイスキャンデーと練乳、バニラエッセンス、タマゴでスペシャルミルクセーキを作ってもらいましたよ。
これだけ書くと、ロールケーキも好きなのは、すぐに想像がつくと思います。しかも、ロールケーキほど深みのあるケーキも少ないのでは。とにかく、色んな土地に立ち寄ると、その土地のロールケーキを衝動買いするほど。
どこのロールケーキがベストなんて思いません。でも、いつか私にとって究極のロールケーキとの出会いがあるのでは、と願っています。余分なフルーツはいらない。クリームをスポンジで巻いただけのシンプルなもの。天草で買ったのも、忘れられないなぁ。門司港で食べたのも。何故か、最近のは名前が「地名+ロール」になってますよね。
先日のことですが、熊本の某デパートで「全国うまいもの展」という催しがありました。その新聞チラシを娘が見ながら言いました。
「Hデパートで明日午後二時から大阪のDロール限定二百個販売だって。パパは、これは見逃せないでしょ」
私は、鼻でフンと答えたものの、私のロールケーキ好きが見透かされていることに愕然としました。
で、どうしたかというと、翌日午後一時半に仕事場を抜け出しHデパートの催しもの会場へ。
ほう、誰もならんでいない!じゃあ、二本買えるかな。
Dロールと書かれた売場に、ほくそ笑みながら近づきました。ところが、こう書かれた貼紙が。
「本日のDロールの整理券配布は終了しました。次回の配布は○日の午前十時になります」
頭に血が上りました。折角、仕事を中断してきたというのに。
娘はチラシの一番大事なことを読みとばしている。午後二時販売は、午前十時整理券配布の前提があってのことなのです。
どんなに美味いロールケーキなのか。
帰宅後、娘に苦情を言いましたが、フンと鼻であしらわれました。
酷い娘です。
そして、その日の朝が来ました。その日はDロール二回目の限定販売の日なのです。自分で、それをちゃんと覚えているのが凄い。よせばいいのに賤しい私は午前九時五十分にHデパートに出かけたのです。整理券さえもらっとけばいいんだろ、と。
メインの入り口に来て仰天。百人ほども並んでいます。皆Dロール目当てらしいのです。エレベーターはこのデパートに二台あります。一度に三十人くらいしか運べません。もう一つ入り口がありますが、そちらはエレベーターから離れています。会場は八階。どうすれば、並んだおばちゃんたちを出し抜ける?
唯一、思いついたのは、エスカレーターを全力で八階まで駆け登る。体力では負けないはず。十時の開店と同時に、並んでいない入り口から飛び込みました。エスカレーターへ走ると、同じ考えのおばちゃんたちが前方を二十人くらいばたばたと駆けていきます。
走る。走る。
最初は駆け登っていたおばちゃんたちも一人また一人と息切れを起こしエスカレーターで立ち止まる。
それを、ざっ・ざっ・ざっ・ざっと牛蒡抜き。五階を駆け登る頃には、私がトップでした。六階に駆け登ると必死の形相の私を見て、知り合いの本屋さんが呆れ笑い。しかし、目的を果たすためには恥も外聞もかなぐり捨てたのだぁー。
おお、八階じゃと安堵すると、エレベーターから一塊の人々が。わらわらと。
焦る。場所はわかっています。まろびそうになりつつ、整理券ゲット。二十一番!
さて、その苦難の末のDロール……。正直なところ、それほどのものかなぁ……という感想でした。
でも、いつか理想のロールケーキに……。

第51回「恵方巻」

この数年で定着した行事らしい。
子どもの頃は、節分といったら親が鬼の面をかぶって逃げまわるのを、豆をぶっつけて走りまわっていたくらいのおもいで。
ところが、最近数年は、巷ではその時期になると「恵方巻」なるポスターや旗をコンビニで見かけるようになった。節分の日に、恵方巻を食べると、何やらいいことがあるらしい。土曜丑だって鰻を食べるでしょう。だったらゲンを担ぐのがお好きな国民であるから、節分には、恵方巻を食べるべきでしょう、ということらしい。これ、やっとかないと、バレンタイン・デーも控えているんだから、みたいな。
私の住む熊本では、そんな習慣はまったくなかった。だから、恵方巻というのは、余程特殊な食べものなんだろうな、と初めて耳にした頃は、思いこんでいた。
コンビニで目にして、これが恵方巻かあ!
ただの海苔巻きじゃないかあ。
丸かぶりしなければならないらしい。それも、その年の歳神さまがいる吉方角を向いて。
歳神さまは、仰天するだろうな、と思った。

見下ろしたら、全国民が自分の方を見て、黒い筒のようなものを口に咥えている。異様な光景の筈だ。何事だと思うだろう。事情を知らない歳神さまは、皆で自分のことを馬鹿にしてるんじゃないか、と考えないだろうか。
ちなみに今年は、東北東だそうです。どうでもいいけど、念のため。
ある方に由来を教えて貰った。
「関西の商家で、節分の日に海苔巻き作って、使用人に一本づつ配ってたんですよ」
「へぇ。どうして丸のまま食べるんですか?」
「もらった丁稚が、切るものないんで仕方なく、ですよ」
「そこへ、番頭が出てきて、おまえたち、そんな店先で食べていたら見苦しいよ。あっち向いて食べなさい。向こうが今年の恵方だからね。そう言われた丁稚たちは、アイ・アーイと食ってた」
「ふむむむ」
「そんな由来を、縁起ものだって関西の海苔業者がPRした。で、それを拡大キャンペーンしたのがコンビニ。一月二月って売り上げが落ちるから、バレンタイン前のイベントで、海苔巻販売拡大で恵方巻を強力にプッシュし始めたんですよ」
嘘かマコトか知らないけれど、そんな経緯を料理人の方に教えてもらう。後、由緒正しい恵方巻とは、七種類の具材が中に入っているのだということも知る。かんぴょうやら、でんぶやら玉子焼きやら。何故、七種類入れるかというと、七福神にちなんでいるらしい。そういえばカレーのお供の福神漬というのも、七種類入っていたなあ。
じゃあ、大黒天は何だろう?カンピョウかなあ?七福神の中では弁財天のファンの私ですが、とんと見当がつかないよ。誰か知っていたら教えてください。
でも、それほど厳密なルールは関係ないのかもしれない。見かける広告には、長い食べものなら何でもいいだろ、というように、ロールケーキを恵方ロールと称していたり、メキシコのトルティヤを恵方トルティアと売っていたり。
恵方巻の浸透と拡散で、だんだんわけのわからない世界になりつつあるなあ。
味?
一番問題は、そこだよなあ。
二年ほど前に、天草の山に登った日が、ちょうど節分。で、コンビニではなく、途中のお寿司屋さんで恵方巻を作ってもらった。
「次郎丸岳の山頂で食べるんです」
そのときは、エビやら穴子やらが入った贅沢な太い恵方巻が。
それが恵方巻初体験。
山頂でコンパスを見ながら、今年の恵方を確認……しようとしたら、その年の恵方がどっちだったか、忘れてしまった。西がついていたよなあ。西北西だっけ。北北西だっけえ。寿司屋の巻きものだから「今年の恵方」がついていない。
仕方ないから、西方向を向いて立ち、ゆっくり身体を旋回させながら食べたよ。ま、西方向をだいたい網羅しておけば大丈夫だろうって。て、我ながら、いい加減。
味?
うん、確かに、そのときの恵方巻は絶品の美味しさだったなあ。

第50回「2012年の恐怖」

あけましておめでとうございます。
一年が経過するのって、速いですね。年齢を重ねる度に実感します。お花見をしたのが、つい先日のような気がするのに、もうお正月ですからね。子どもの頃は、なかなかお正月が来てくれない気がしたのに、今は、もう光陰矢の如しって、このことだなって思えるほどです。時の流れる速度って年齢に比例して速くなるのかなぁ。あるいは身長に比例したりして。低い場所で時がゆっくり。背が伸びると、高い場所では時は坂を転ぶ石のように、とか。
あるいは、年齢を重ねて、思考速度がゆっくりになって、時の速度に追いついていないのかもしれない。
でも、この年齢になると、あまりめでたいとも感じなくなります。テレビの正月番組で着物姿の出演者の空騒ぎを見ていると虚しさしかありません。
一休和尚が、乞食坊主の姿で手に髑髏を持ち、正月を祝っている家をまわって「正月は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし」と唱える意地悪じーさんぶりも、理解できるようになってきたような気がします。
さて、そんな時期に思い出すのが、2012年の何ちゃらであります。

よほど、人は終末論が好きと見えます。世紀末には1999年7の月にノストラダムスの大予言で人類は滅びる予定だったのを潜り抜け、ファティマの予言も何ごともなく、そして今、クローズアップされているのが、2012年の12月終末論であります。
“宇宙人を見た!”の回で紹介したおじさんですが、その後も、私にユダヤ陰謀論を熱く語ったりして、株が暴落すると大損しては「ユダヤのプログラム通りだ」とか、「新型インフルエンザは、某組織による人口調節です。地球人口は、彼らにとって十億人くらいが、ちょうどいいらしいんです」と酔眼で警告を流し続けておられます。
そのおじさんが、最近言いだしているのがこの2012年クライシスなのであります。「カジオさん、知ってますか?2012年の12月に人類はとんでもないことになっちゃうそうなんですよ」
彼は、最近、そのような話を聞き及んだらしいのです。私は、職業上、そんな情報は、よく入ってくるから驚かない。とんでも超大作を撮るローランド・エメリッヒも、そんな、まんま「2012」というタイトルの映画を作っているという話もあるし。
「知ってますよ。ユカタン半島にある古代マヤ文明の万年時計が、2012年の12月23日で切れているってのが、スタートになっているんですよね」
「そうそう。よく知ってますね」
「だって私の誕生日は、12月24日だから、誕生日の前日に世界が滅ぶってことでしょう。
そのカレンダーには、マヤ文明が滅亡する日は書いてないんですよね。そっちの方が、彼らには重要じゃなかったのかなぁ。予言するなら、そっちでしょ。それと、ホピ族の予言をからませて流布してる」
「あと、フォトン・ベルトがちょうどそのとき地球を包んでしまうという、何の根拠もない疑似科学の説がありますよね。それで、人間の遺伝子構造が変化して、進化する奴と淘汰される奴が出るというけど、フォトンを浴びてどんなことが起こるか、誰にもわからない」
そのくらいが、私が理解していることだが、フォトン・ベルトなるものが実在しているかどうかも証明されているわけじゃないし。
「その通りですよ。皆、勉強してないんですよ」
「勉強したって仕方ないでしょう。嘘か真かもわからないし。それで大衆が攪乱されてパニックになる方が余程怖い。そうなったら、それは予言の罪ですよね」
「でも」、大変なことですよ。これは……。あと四年経ったら」
「だったら、あと四年経ったらお金なんて紙屑になってしまうんだから、今のうちに全部使ってしまいましょうって広報した方がいいんじゃなかなぁ。預金されているだけで流通していないお金が、すべての市場で動き始めたら、不況はあっという間に解決して、経済が活性化する気がしますねぇ。人類が四年後に滅びなかったら、その後は知らないけれど」
まだまだ、このおじさんは面白いネタを持ってきてくれそうであります。

第49回「苦手ないきもの」

私のまわりにムシが駄目だという人が山ほどいるんです。例えば……。
妹はチョウが駄目。
何故、駄目なんだと訊ねたら、子どもの頃に読んだマンガがトラウマになったと。
それは楳図かずおさんの恐怖マンガで、主人公の女の子が学校の食事の時間の描写だそうな。
女の子が、お弁当を開くと、ご飯の上に羽を開いたあげは蝶が!半ページの大きさで。それを見て以来駄目になったと。
聞いて想像しただけで、私も、うっぷ。 現実に、そのマンガを私が見ていたらと思うと、ぞっとします。
クモが嫌いだという人も沢山いますねぇ。これは、わかりますよね。姿、形からして嫌だというんです。
私の孫も、クモが大嫌いでクモの姿を見かけただけで逃げまわります。そのくせに、私がパソコンを覗いていると、寄ってきて「おじいちゃん。世界のクモを見たいよ」
で、さまざまなクモの写真を眺めながら、孫は歯をむき出し、しかめっ面で「う・う・う・う・う」と呻きながら、マウスを操作したりします。
どういう心境なのか、よくわかりません。怖いもの見たさ、なのか、単なるマゾなのか。

他にも知り合いで、その嫌いなクモが愛車の中に出現して、恐怖のあまりロードサービスを呼んだ人もいます。
どんな状況だったのか、想像するしかありません。ロードサービスの方にもクモだけは駄目だという人がいるかもしれない。
「どうされたんです」
「車内にクモが…クモがいます。追っ払ってください」
「ええっ。私はエンジンもなおすし、ブレーキも調整します。しかし…クモ…クモだけは駄目なんです。なんで私が…」
「でも、クルマがこのままじゃ運転できません。そのためのロードサービスでしょう?」
「わ・わかりました。や・やります」
「その座席の下あたりですぅ」
「は・はい。あ。いた。いました!は。跳ねた。ひ・ひえーっ」
「ひえーっ」
そんな修羅場が展開されたのではないでしょうか?
私も苦手なものがあります。
ナメクジです。
「ナメクジなんて、別に刺すわけでもなし、どこが怖いんです。ホームレスのかたつむりじゃないですか?」
そう言われたりしますが、苦手なものは苦手。説明してもわかって貰えない。
子どもの頃、夜市に出かけるとき、庭先に置いていた下駄を履いたとき、ぬるりとした感触が。
何だろうと思って、電灯の下まで来たら、それは……ナメクジ。
ぎゃあ!
それ以来、生理的にナメクジが駄目になってしまいました。
ちら、と見ただけでもう駄目。
もう生理的に受けつけず、その後、長編「サラマンダー殲滅」で気色悪い生物を考えるとき、空飛ぶナメクジ「飛びナメ」を創造してしまったほどです。
他にヘビが嫌いだという人。ゴキブリが駄目、ネズミが厭、そしてヤモリ、ヒル。
娘は、夜中に首をムカデに咬まれて救急病院に担ぎ込まれ、それ以来、ムカデが苦手らしいのです。
ムカデも怖い人が沢山いるようですね。
山歩きの帰りに、田舎の古民家を改造したお洒落なカフェというか喫茶店に立ち寄ったときのこと。私は窓際の席に座り、コーヒーを注文しました。
昼下がりのカフェの客は他に二組。四人組の若い女性ばかりと、老夫婦。
そこで静かでのどかな時間を楽しみました。
すると、突然、若い女性の悲鳴が。びっくりです。見ると、四人組の若い女性がテーブルから立ち上がり、きゃあきゃあ騒いでいる。何事?
「壁がもぞもぞ動いていたから何だろと思って」
「きゃあ、何?このムシ、何なの?」
「ムカデよ。ムカデ」
「刺されたらひどいわよ」
「すみませーん。来てくださーい。壁にいます。あ、柱に行った。きゃあ。落ちた」
そのとき、正体が見えました。床を這いずって。赤くて黒くて、8センチほどの大きさの紛うことなきムカデです。
老夫婦の男性も立ち上がり、店の女性に「ハサミを持ってきなさい」と叫んでいます。店内はパニック状態です。
すると年の頃二十歳くらいの店の女性がホウキを持って奥から登場しました。
「すみません。すみません」と客たちに謝りながら、か弱そうな女性はムカデを掃き始めました。
男性は「そんなんじゃ手ぬるい。蝿打ちで叩き殺さんと!蝿打ち!」と叫びます。
女性は「はい!はい!」と申し訳なさそうに応えつつ、そのまま表に掃き出すために出てしまい、店から姿を消しました。
店内が鎮まり、やっと客たちも落ち着きを取り戻しました。女性の誰かが言いました。
「やさしいわね。いきものだから逃してやったのよ。生類あわれみの令ね!」
私が、窓から外を見たら……。
さっきの店のか弱そうな女性が、表で何度も足でムカデを踏み潰していたのです。凄い迫力で!
店内に戻った女性は皆に「申し訳ありません」と告げ、何もなかったかのように奥に消えました!
なんかすごいもの見たなあ。

第48回「信州マツタケ征伐」

ふだん、キノコが好きで、キノコ採りにばかり出かけている。しかし、生まれてこのかた松茸だけは採ったことがなかった。
松茸が出るという噂の山にも何度か行って見たが、出会えた試しがない。
松林に分け入り、確かに松茸の匂いがするヨ!というあたりを鼻面を地面にくっつけんばかりに探しまわったのだが、見つけるには至らなかった。
私の中では、幻のキノコだったのだ。
だから、「松茸ぇ?あんなの金出せば買えるじゃないか。そんなのキノコじゃないヨ」と常々言っていたが、それは、もちろん負け惜しみだったのである。
本当は、一目でいいから松林の中に生えている松茸を自分の手で採ってみたいのヨ、という願いを持ち続けていた。
その松茸が採れる山を一日だけ解放して頂けるそうだ!!という話が私のところに持ち込まれた。

場所は長野県。信州である。
私がキノコ好きだということを知っているSFファンたちからの甘いお誘いである。十月七日に一報が入り、最盛期は十四日前後とのこと。その誘惑に心は千々に乱れた。どうしよう。行くべきか、行かざるべきか。ハムレットの心境。

だって締切のまっただ中なんだもん。

結論を出した。この機を逃せば一生松茸なんか採れないかもしれない。
一週間前だから飛行機の割引もない。それでも「行きたい!」
そのときは世界の果てでも行くつもりだった。信州まつもと空港へは福岡からは週に三便しか飛んでいない。それでも行くんだ!
何と締切前の十三日には原稿を書き上げていた。私は目の前の人参を見て走るタイプのようである。以降の仕事は、うっちゃらかして熊本を飛び出したのだ。
リュックの中には竹籠一つ。それも小さめ。私も紳士だからして、それ以上は採らないつもりだった。もう、熊本から博多へ走るJRの中から、わくわくであった。
上物が採れたら、ズボンのチャックの間からのぞかせて記念写真を撮るんだ、という決意。待ってろ、信州。マツタケ征伐だあっ、と。はしゃぐ心を抑え抑え。
信州まつもと空港は九州とはうって変わってしとしと雨の肌寒い陰気な天候。
そして翌日、晴男くんの私のせいか、秋晴れの朝がやってきました。天は我に味方せり、と快哉を叫び、案内して頂き中央自動車道をひた走り。
そして、そちらの山へ到着。ご主人、奥さん、お母上の三方の案内で急斜面の松山へ。ご自宅のすぐ裏が、松茸山とのこと。こりゃ、文字通り、裏山し過ぎ。
八十二歳のお母上は、実にお達者。「そこいらが、マツタケのシロ(生える場所)だあ」と言われて這いつくばるように探す。

あったぁ!ありましたぁ!

松葉に隠れて巨大な松茸がぁ。そして、そのまわりにも、こちらに一本。そこにも一本。
視界は真っ白。まるで夢のようだぞ。松茸の先端はほんの少しのぞいているだけ。指をそえて引き抜くと、長さ七、八センチもの上物が。
ああ、生きてきてよかった。
思い切って来てよかった。
自分のキノコ人生は、この瞬間のためだけにあったんだぁ。
マツタケと記念撮影。もう、胸のどきどきが治まらない。
上物が全部で七本も!
他にも、九州なら必死で採るアミタケ、ハツタケ、ハナイグチ、九州では珍しいショウゲンジやらキシメジ、シモフリシメジまで。
まるでキノコ天国なのだが、マツタケの存在感の前では色褪せてしまうのだ。
こんな貴重な体験を、と腰が抜けんばかり。
私は大量虐殺をやる趣味はない。
松茸に焦点を絞り、持ち帰ることにした。
とにかく、キノコは採ったら早めに食べるが鉄則。そして食べるまでは保存法がイノチ。
松茸が蒸れないように。
竹籠に入れた松茸を手に持って帰った。飛行機の機内では、その匂いで衆目集めちゃったよ。まわりの乗客が怪訝そうに私を見るのだ。申し訳ない。
我が家の食卓は、その日、松茸の匂いが充満した。何とバチあたりで豪気な宴となったことか。信じようと信じまいと、家の外まで松茸が匂ったほどだ。
ご近所も、夕食時だったろうに。ご近所迷惑、申し訳ない。

数日後、お礼の品を贈るために地元某百貨店へ出かける。そこの地下食料品売り場。
そこで見たものは……。
私が採ったサイズの松茸だ。ええっ!
一本が、一万三千二百円。

腰が抜けそうになった。