第107回 今年も来るぞ、キノコの季節

 昔からホラー時代劇に定番として登場するものに、「妖刀」という存在があります。妖気を帯びた魔剣のことで、村雨丸とかありますよね。八犬伝などに登場するやつです。他にもさまざまな力を持つ呪われた刀を描いた小説とかありますね。「妖刀人斬り丸」とかいったら、いかにもな刀のようですね。あまりに多くの人を斬り続けてきたか、あるいは呪われた刀鍛冶が作り上げたかわからないけれど、手に入れた侍が鞘から抜くと「水も滴る氷の刃」で、「血が欲しい~血が欲しい~」と啜り泣く。侍は魅入られたように夜毎に辻に立ち、罪なき人々を試し斬りする……といった話。
 こうなると、悪いのはその呪われた力を持つ妖刀で、夜毎に人を斬り続ける侍は刀に操られているに過ぎない存在なのです。だから、人が刀を選ぶのではなく、刀が人を誘い寄せるというイメージかな。
 なぜ、最初にそんなことから書き始めたかというと、梅雨時にちょっとした出会いがありまして。
 出会いといっても人ではない。所用で人吉に泊まりがけで出かけました。用事は夕方だったのでそれまでの時間潰しに旅館を出て散歩に出かけました。あてもなく青井神社から人吉城址をまわり商店街へ。それから駅の近くへ戻るというルート。
 そこで、鎌や包丁を売ってある店の前に来てしまいました。古い店構えでしたが、気になるものを感じて足を止めました。
 そのとき、何を感じていたか。
 そういえば去年キノコを採るときに悔しい思いをしたよなぁ。ふと、そんな記憶がよぎったのです。
 ここで、誤解がないよう記しておきますが、私の趣味はキノコ採りです。おいしいキノコを求めて、どこまでも出かけます。世の中は金本位制で動いておりますが、私の頭の中はキノコ本位制で活動しているようなのです。だから、生活の中で行動を決めるときは、「それはキノコ採りに行く障害にならないか?」「キノコ採りの時期に仕事を入れていないか?」と考えながら決めていることが多い。山歩きのコースを提案するときも、「よりキノコに出会える可能性が高いコース」を選ぶことにしています。まぁ、年中キノコに恵まれるわけではないので、このように偏った判断は秋口になされることが多いですね。春先や、夏、冬にはあまりございません。
 そんなキノコ本位制脳ですから、このときも、キノコに結びつけた思考をしていたわけです。昨年の五家荘の山中でのできごと。
 キノコは土から生えていたり、倒木から姿を見せていたりというイメージが多いのですが、必ずしもそうではありません。立ち木から発生することもけっこうあるのです。
 それもおいしいキノコ。ヌメリスギタケモドキとか、ムキタケ、ヒラタケ、ナメコ。
 閃光のように記憶が蘇ります。五家荘の山中で這いずるようにして斜面を登ります。キノコがあるのは、登山道とは限らないのです。むしろ、人目が届かないような場所にひっそりと生えていたりするのです。
 残念な思い出はナメコ。それがブナの立ち木に鈴なりに発生していたのです。ところが手を伸ばして届く高さは限られています。仲間と行っていれば肩車をし合ってでもできるのですが、一人だとなんともならない。ジャンプをしても届かないし、登れるような樹でもない。
 それから半年、そのときの悔しさが頭から離れません。なんとか、あの手の届かなかったナメコたちを取る方法があるはずなのだが、と。あの採れなかったナメコたちはあれからどうなったのだろう。朽ち果てたのだろうなぁ。なんと口惜しい。
 よもや、この店でにそんな道具があれば……。
 中に入ると店内は人の気配なし。鎌や鋸や包丁専門のお店のようだが。
「何か、お探しですか?」とおじさんが出てきました。実は山でキノコを採るときに、高いところにあって届かないキノコを採りたくて、よさそうなのがないかなぁって探しにきました、と。
「作りましょうか」
ええーっ。おじさんは小さな刃を持ってきました。「これを、柄につける。山歩きの杖にもなるように、反対側には底に金具をつけましょう」
 想像すると、なかなか良さそうだなぁ。なんと、この店は刃物鍛冶のお店だったのです。
 注文して一週間すると我が家に、その特製のマイ・キノコ鎌が届きました。
 細い柄なので杖になる。鎌の部分は鞘がつけられています。いかにも達人が使いそうな逸品でした。
 鞘をそっと外してみると、研がれたばかりの鎌がギラギラと冷たく光っているのですよ。「キノコを採りたい。キノコを採りたい」と囁きかけてくるようです。まるで妖刀のように。
 早く、このキノコ鎌に活躍してもらいたいと、胸をときめかせているわけです。あ、二度ほど試し斬りは済ませました。最初は、熊本城野鳥園の巨木に生えていたヤナギマツタケの群生。いい切れ味でした。
 二度目は我が家の柿の木の高いところにへばりついていたヘクソカズラの蔓。こちらはマイ・キノコ鎌には不憫な使い方でしたが。しかし、恐ろしいほど切れました。
 いよいよキノコの季節です。妖刀ならぬ妖キノコ鎌。充分に活躍していただきましょう。今年の収穫は30%増だ!

第106回 サイン会、怖い!

 普段は仕事はひとり部屋に籠って、ひたすら頭を捻り、一字一字陣痛こそないものの、唸りそうになりながら書いています。
 で、その間は誰とも会うことがないのです。自分の妄想というか、空想の中の人物に喋らせてカギカッコしているときに、思わず登場人物の科白を喋ってるくらいかなぁ。
 今日この頃、用件のやり取りは、メールか、あるいはファックスだけで、事足りるのですよね。だから、外線の電話で見知らぬナンバーのときは出ないことにしている私は、一日誰とも言葉を交わさないことがあったりするんですね。
 完全に“ヒッキー”に分類されるタイプだな。
 喋るのは昼飯どきに定食屋で注文する品を言うときくらいです。あとは黙したまま。
 だから職場の人間関係の悩みなぞは存在しません。しかし、昔はけっこう人との交際の仕方とか頭を悩ませていたから、今の方が気楽だろうなと思えるのです。
 十人の人がいたら、十のキャラクターが存在するわけですから、一人ずつどのように接したらいいのかを考えなけりゃいかんわけですよ。そして、付き合いやすい方は、ほんのひとつまみで、何を考えているかわからない方やら、気難しい方やらに出会うと途方に暮れていたものです。そんな苦労からは解放されているから、今の環境には感謝するべきかもしれませんね。
 そんなときに、ときどきとんでもない依頼があったりするわけです。
 たとえばサイン会。
 七月は、なんと三件のサイン会をやってしまいました。
 自分の本の営業活動なのだから、依頼があったらありがたく二つ返事で引き受けなければならないことは重々承知しております。
 理屈ではわかっているのですが、承諾の返事をした後に、だんだん心がおもーくなっていくのがわかるのです。
 かつて、専業作家になる以前は一日平均十人以上と会話をしていました。しかし、パーティなどの催しに出ると短時間で数十人と言葉を交わさなければならないことも。そのときどういう状況になったかというと、「人酔い」を起こしてました。パーティ会場を見回しただけで気持ち悪くなる。宴が始まって次々に話さねばならぬ相手の前に立ち、この人は誰?名前は何?どこのどんな人だった?と頭の中を必死でフル回転させなければならない。何か話題にしてはいけないタブーあったっけ。そんなことを考えて思い出せないうちに次の相手が目の前に立つ。違う相手と勘違いして話していて会話が噛み合ず、別れた後で気がついたことも一度や二度ではありません。ほとんど頭の中が真っ白でパーティ終了を迎えたものです。そのときの疲労感たるや半端なものではありません。
 ぼんやりと、その頃から自分なりに気がついている法則があります。それは「一日に十人以上の方と言葉を交わすと疲労する」ということです。
 一日に二会場でサイン会をやるという事態も七月には予定されていました。
 そんなに人が集まるわけないじゃないか!
 そんな脅えもあります。
 誰もいないサイン会場で頬杖をついて時間を潰している姿を想像してしまいました。何やってるんだ!誰も集まってないじゃないか、という視線で嘲笑っていく買い物客の視線。そこまで、想像が膨らみます。
 そして逆のパターンも考えてしまいます。
 サインしてもサインしても列がなかなか終わらない。しかも中には変なお客さんがいるのではないかという妄想。「梶尾さんの小説はちっとも面白くないですよ。今日は文句を言ってやろうと並びました!金返せ!」と、紙袋の中からアーミー・ナイフを取り出して……。なんて事態も想像します。脂汗が出てきます。
 他にも様々な妄想が拡散していき、サイン会の当日の予定時間前には立ち上がりたくもないほどの状態になるのです。加えて、腹が痛くなり何度もトイレに通いたくなる……。極度の緊張状態になります。
 ただ、数十年の間、サービス業に従事していたので、おかしくなくても作り笑いだけは出来るようになっています。それが唯一の武器ですが。
 先日は、何人のお客様にサインさせていただいたかなぁ。
 幸いなことに会が始まると、視野が狭くなって、ひたすら終わりまでがんばりました。この短時間で何ヶ月分の会話をしたことになるのかなあ、と。ミネラルウォーターが用意してあるわけもわかりました。喉がカラカラになるのです。サインしながらおいでいただいた方と話しているのですが、何を話したか、全く記憶していません。
 無事に会が終わって帰宅したら爆睡しました。全く夢も見ない。そう。数ヶ月にわたって話す会話量を一日でこなしたのですから臨界超過だったのかもしれません。
 今回は、一日に二カ所。それもあってか、今でも一人で仕事場で書いているときフラッシュのように、そのときの光景が見えたりするのです。何度やっても慣れないなあ。
 せめて、忙しいところ時間を作りサイン会に足を運んで頂いた方が喜んで頂けることを願うばかりです。

第105回 夏だから、こんな話も

みなさんもご承知の通り、私はUFOやら超能力やら、全く信じない人間なのですが、なぜか、論理的に説明のつかない出来事に遭遇することがあるようなのです。 以前にも、このコラムに書きましたよね。小学生の頃、一升瓶の蓋が宙をクルクル舞った後に、元の一升瓶にピタリと収まったこととか。
 劇的ではないけれど、自分で体験しておきながら、どうしても説明のできないことが、日々の生活の些細な場面であるのです。
 夏の暑苦しい時期だし、怖い話ではありませんが、ご紹介しておこうと思います。
 まず、花岡山の話。
 私が住んでいるのは、熊本市は西寄りの熊本駅の近く。「つばき時跳び」の主な舞台となった花岡山の中腹です。そこから毎朝5時前後に山頂まで散歩するのが日課になっています。
 日によって、コースを変えます。車道を歩いたり、直登で石段を昇ったり。山頂に着いたら、花を眺めたり、下界を見下ろしたりしてのんびり時間を過ごします。
 この一日をどう過ごそう。書きかけているあれの描写はこんな感じにしよう。こんなエピソードも挟んでおいたほうが後で活きるんじゃないか。山頂へ歩いている時間は、イメージトレーニングの時間でもあるわけです。
 いろんなコースで、その日の気まぐれで足を延ばすところも変えたりします。
 で、花岡山の西斜面には巨大な赤鳥居があります。この下に八枚石と呼ばれる巨石があり、その下にお稲荷さんが祀られています。
 そのお稲荷さんの由来も一応記します。
 400年前に大阪で住まいを失くした兄弟狐が近江の長浜へ来た時に侍が決闘している場面に出くわしました。そこで2人の仲裁に入り、仲直りさせた加藤清正を目撃します。狐たちは清正の行動に感銘を受け、清正の跡をつけて肥後の国までついて来たんです。2匹は八枚石が大阪の石山城に似ていたので、花岡山を住処にしました。そこへ、清正が熊本城を築城するために石を切り出しに来ました。切り出し作業の途中、清正がうたた寝をしていると、この兄弟が夢に現れ「清正公を慕って肥後までやってきた兄弟狐です。ここには我々が住んでおりますので、八枚石の切り出しだけはご勘弁を」と。清正が八枚石は見逃すと約束すると、兄弟狐は喜び願い出ました。「では弟を熊本城の守りにしましょう」と。兄は清藤大明神として花岡山に残り、弟は緋衣大明神として熊本城に移ったという伝説があります。緋衣大明神は、熊本城稲荷神社に祀られております。
 兄さんの清藤大明神のところへも八枚石の横の鉄階段を伝って、時々下ります。しかし、木の葉が散っていたり蜘蛛の巣が張っていたり。初午の頃はきれいに清掃されていますが、それ以外は……。
 どうしても見るに見かねて、箒で、社のまわりを清掃。それから帰ろうとした時のこと。
 まだ、夜明けだから周囲に人の気配はありません。犬や猫がいないこともわかっていました。
 帰ろうと鉄階段に近づいた時、何かが背後からやって来る気配。背中がゾッとして慌てて振り向いたけれど、何もいない。また、鉄階段を昇り始めたとき、はっきりと聞こえました。私のすぐ後ろに何かがいるんです。そして……。何か喉を鳴らしながら……。
 はあっ。はあっ。はあっ。はあっ。
 私は、猛スピードで階段を駆け昇りました。そのまま仏舎利塔近くまで走り、息を整えましたが、その頃には、正体の分からない気配は消えていました。
 あの時の気配がいったい何だったのか、未だにわかりません。それから懲りもせずに何度か清藤大明神のところまで行ったり、掃除したりもしたのですが、以後はそんな体験は全くないんです。あの、はあっ、はあっ、はあっ、という声とも荒い息ともつかぬものの正体はなんだったのか。清藤大明神とも違う気がしてならないのですが……。
 それから、もう一つ。
 これも、真っ暗な朝の時間帯の話。
 私は、我が家の仏間で一人寝起きしています。ちなみに、仏間は仏壇のある壁以外は、全て奥張りになっています。外に面している襖はありません。襖を閉じてしまえば、外部の光は全く入らない。
 そんな部屋に、朝の散歩から帰ってくると……。真っ黒な仏間の壁面の天井近くに……直径30センチほどの円形状の光体がいるのです。初め、外の光が何かに反射して壁に映っているのだと考えました。しかし、外はまだ暗い。差し込む光はないし、仏間の四方は閉じています。反射光じゃない。試しに光体の上に手をかざします。光源が別にあるなら光体に影ができるはず。ところが……影は……できない。一見ただの反射光が実は全く性質の異なる光体と知り、手で光体に触れようとしたら……。
 光体は慌てて天井裏に逃げていった!!
 家族に話しましたが、誰も信用しない。眼底検査をしろという奴まで……。
 光体は、その後、同じ時間帯に3度出現しています。最後の時は家人を慌てて呼びに行き、なんとか間に合って目撃させました。ご先祖様、という説やら、私がどこからか低級霊を連れてきているという説まで飛び交いましたが、オチを期待された方は、残念。未だに説明はつかないままです。ひょっとしたら?とのご意見を待ってます。

第104回 ハリーハウゼンの事

私が大好きだった映画人の一人が、レイ・ハリーハウゼンでした。今回は彼について。
 子どもの頃、私が衝撃を受けた映画が数本あります。いずれも小学校に入る前に、観て、心に深く刻み込まれました。その一本が「原子怪獣現わる」です。北極の氷の底で眠っていた恐竜タイプの怪獣が原爆実験によって目覚め、ニューヨークを襲う。

 この映画は、日本のゴジラにも影響を与えたと思えてならないのです。ただし、ゴジラは着ぐるみで、中に人が入って怪獣を演じるのですが、原子怪獣はまさにトカゲあるいは恐竜の動きが忠実に再現されていました。その中で強烈なシーン。
 原子怪獣がニューヨークの街に上陸してすぐのこと。暴れるのを阻止せんと警官が怪獣を拳銃で撃つのですが、怒った怪獣は、その警官を・・・喰ってしまう。
 子どもの私は恐怖で泣き出してしまいました。
 数年後、私が強烈な映画だなと思える作品が、ある共通項を持っていることにぼんやりと気がついていました。巨大タコがサンフランシスコを襲う「水爆と深海の怪物」や、空飛ぶ円盤やロボットが侵略する「空飛ぶ円盤地球を襲撃す」なども小学校低学年の頃に観ることが出来ました。そして、映画館で貰う映画チラシを読んで、これらの映画がハリーハウゼンによって作られたものだということを知ったのです。
 私がいかにハリーハウゼンが好きかというと、彼の作品はDVDで全て集めたほどです。それから、熊本大学で映画に関する講義をやっているのですが、その一コマで必ずハリーハウゼンの作品について話すことにしています。奇しくも、今年も講義の中でハリーハウゼンの話をしようと準備していた5月7日、彼の訃報が飛び込んで来ました。
 残念でなりません。しばらく放心状態に陥ったほどです。
 幼い日に、なぜあれほどハリーハウゼン映画に心酔したのかというと、異形のもの(怪物や宇宙人やら)が他の俳優たちと一緒に写っていたからです。それが不自然ではなく、現実の一場面として。
 今でこそCGによるSFXで、どんな映像でもアリ!の時代になりましたが、当時、非現実的なビジュアルを作り出すのが、いかに困難で手間がかかることであったか。その時代、ハリーハウゼンは人形アニメの手法で怪獣を動かしていたのですね。そして人物の映像と合成する。これをダイナメーションと呼んでいたのです。
 映画フィルムは1秒に24コマが必要。だから、人形を24回動かしてやっと1秒のフィルムになる。それも怪物が数体だったり手足の多い怪物だったら、その手間は……。
 ハリーハウゼンは、それでもこの面倒くさい作業が好きで好きでたまらなかった。
 彼は1920年生まれですが、13才の時に「キングコング」を映画館で観て、映画マジックの虜になったようです。それで「キングコング」を作ったオブライエンを訪ねて、自分の作った怪物人形などを見てもらっていた、という……今でいうおたくの先祖ですね。それからオブライエンに声をかけて貰い最初に作ったのが「猿人ジョーヤング」だそうです。この映画もキングコングっぽい。
 もう一人、レイという同じ名前を持つ人物がいます。SF作家のレイ・ブラッドベリです。2人は高校時代からの大親友。
 2人の関係が私は大好きです。2人は“恐竜大好き”同士で知り合ったらしい。だから「俺たちは大人になっても、恐竜大好きなまんまでいような」なんて約束を交わしていたらしい。だからブラッドベリはSF作家になったので2人の約束は、ともに守られたことになる。
 で、「原子怪獣現わる」は、原作がブラッドベリの「霧笛」という短編なのです。生き残りの恐竜が、霧の中に浮かぶ灯台を仲間と思い込み、抱きつこうとして壊してしまう……といった話が怪獣映画になったんですが、お互い、この映画が完成するまでそのことを知らなかったそうです。完成の時に、それを知ってどんなに喜び合ったことか。
 それからも2人のレイは親友同士。ブラッドベリも、ハリーハウゼンの新作を楽しみにしていたそうです。
 ただ、その後はあまりSF映画は撮っていません。どちらかと言えば、ファンタジーっぽいのが多いかな。「シンドバット7回目の航海」や「アルゴ探検隊」などが大好きです。でも嬉しいことに必ず、怪物を出してくれるのです。その頃の作品で印象に残っているには「アルゴ探検隊」での骸骨集団と主人公のチャンバラ戦と、「シンドバット7回目の航海」での一つ目巨人とドラゴンの死闘シーンですね。
 これらの映像を思い出すと、どんなにCGの特殊効果が進歩しても、その基盤は、ハリーハウゼンの功績の上にあるんだと信じます。
 そうそう。ハリーハウゼンがアカデミー賞で功労賞を受けた時、プレゼンターはブラッドベリだったなぁ。昨年ブラッドベリが亡くなった時、まずそのことを思い出しました。そして残ったハリーハウゼン、淋しいだろうなぁ、と。
 だから虹の向こうで、今頃は2人が抱き合って喜んでいて欲しいと願っているのです。

第103回 制作現場でお邪魔ムシ!

三年ぶりに上京して参りました。
 いくつか仕事の打ち合わせもあり、また、美味しいものを食べるというお楽しみもあるのですが、今回の目的は、テレビドラマの制作現場を訪れるというものです。
 お知らせしておくと、私の長編「ダブルトーン(平凡社)」が放映されることになりました。6月29日のスタートで毎週土曜日23時15分から。NHK-BSプレミアムの連ドラです。

 二人の女性が同じ記憶を共有するという設定なので、主人公は二人いるわけです。
 そのあたりが、混乱しないかな?
 映像的に表現できるのだろうか?と案じたのですが、山本あかりさんの脚本を読ませて頂き、「なるほど」と感心しました。「うまく書き分けてある!」これなら、いいかも。
 小説の中では舞台は全編熊本市なのですが、制作上の都合で、東京都及び近郊の都市で撮るんだそうです、と担当の編集さんに知らされました。
 それを聞いて、「制作現場を見たい」という欲望がムラムラと沸き立ってきたわけです。
「あのー。ぼくもドラマの制作現場を見学に行っていいですかね?」
 なにせ、私は生まれついての映像好き。年間に二百五十本以上の映画を、まるで呼吸するように観る人間なのです。だから、自分の小説が視覚的に表現される現場には、何が何でも行っておきたいと願うのは、当然でしょう。
 担当の編集さんは、「あー。じゃあ、作者がそういう意向だということを伝えてみますね」
 すると、ドラマ制作の香盤表(なんと言えばいいのか、建築関係で呼ぶところの工程表と言うか。誰が何日に出演しているかも一目で分かりますし、いつが制作作業が休みなのかもわかる表)が送られてきましたよ。
 仕事の段取りをいろいろとこねくり回して、いざ上京ということになりましたが、すでに製作期間に入っているので、見学に行けたのは、終わりがけでありました。
 ロケ現場は町田市の住宅街。
 主人公の一人が、熊本では水前寺界隈で生活しているのですが、その住宅街をイメージしているようです。
 現場にたどり着くのが、大変。なるほど、その住宅街の雰囲気は、熊本市の住宅街でありました。
 町田は、初めて行くところではありますが、やたら遠い。都内から一時間半はかかったのではありますまいか。しかし……確かに地方都市の匂いがある街でした。そこに感心。
 プロデューサーの方もシナリオライターの方も、私を待っていてくれました。感激。
 そして驚いたこと。プロデューサーの志岐さんは佐世保出身。シナリオライターの山本あかりさんは長崎の離島出身。主演の中越典子さんは佐賀出身。私は熊本出身。
 おお、九州出身者が勢揃いではありませんか。いやあ、主演の中越典子さんのきれいなこと。顔が小さくて、お人形さんみたいで、とても私と同じ人間とは信じられませんでした。
「原作も読みました。後半はずっとはらはらどきどきしました。すごく面白かったですよ」
 そう中越典子さんに言って頂き、舞い上がりました。いったいなんて答えたのか?
 頭が真っ白になってしまい、その部分だけは、爺は、記憶喪失じゃぞ。
 カメラの後ろに行ったり、モニターを覗き込んだり。クルーの方々には邪魔だったろうなあ。そして、「あれ、お上りの原作者だから、邪魔になっても我慢してね」とプロデューサーから釘を刺されていたのではありますまいか。
 休憩に入って、シナリオライターの山本あかりさんともお話しするタイミングがありました。私が、シナリオを読んで感心した旨をお伝えする。台詞も原作から変更が加わっている。わかりやすい、というか。
「女性のシナリオライターを探されたようですね」と、山本さん。
 なるほどと、膝を叩きました。主人公たちは女性で、作者は男。で、どんな気持ちで女性の心を描いたのかというと、これは想像です。火星の表面や宇宙空間を描いたりするのも、想像ですが、女性心理を描くのと同じレベルの心理実験です。
 だから、女性のシナリオになったのは、描写に嘘がないようにという配慮でしょう。
 さて、いくつか原作とドラマは異なる点があるようですが、それは本を読んでドラマを見て確かめて頂くことをお勧めします。
 いやぁ、楽しい現場でした。どのような作品に仕上がっているのか?
 今からわくわく。楽しみでなりません。

第102回 飛行機、恐い!

ときおり眠れないことがあります。余程楽しいことがあったり、妙な不安感につきまとわれたり、あるいは誤って濃いコーヒーを飲んでしまったりというケースかな。
 そんなときは、布団の中でまんじりともせず過ごすのですが、翌日の予定を考えると何とか睡眠を取っておいた方がいい。で、どうやって眠るか。いわゆる就眠儀式というもの。

 羊を一匹二匹と数えるのは有名ですが、私にはあまり効果がない。声を出さずに頭の中で「あー」と叫び続けるといいと聞き、試してみたのですが、私には効果がなかったな。でも、大丈夫。私には、とっておきの方法があります。
 それは、空想飛行です。
 まず、頭の中で自分が今、草原に立っているのだと想像します。それから、これも想像ですが両手を広げて全速力で走り始めます。滑走をしばらく続けると身体が離陸。そのまま上昇を続けながら、時には旋回しつつ下界を見下ろしていると、いつの間にか、眠りの中に入っている。
 これが、今、一番、効果あるかな。
 こう書けば、私のことを皆さん飛行機が大好きな人間だと思われるんじゃないかな?
 ところが、さにあらず。いつの頃からか、飛行機が大嫌い!という人になっていました。できるだけ乗りたくない。幼い頃はチラシ撒きのセスナに同乗したことがあったし、楽しかった記憶があるのですが。
 高校から大学に入る頃にかけて飛行機に乗れなくなったのではないかな。
 まず、あんな金属の塊が空中を飛ぶというのは万物の法則に反しているのではありませんか。翼を持ち、一定の速度があれば飛行するのかもしれませんが、それは全ての機器類が正常に作動していての話です。いつ、トラブルで止まってもおかしくない。とすれば落ちる他ないじゃないですか。そんな危ないものには乗れません。
 ところが就眠儀式の空想飛行は、ちっとも怖くないのです。映画でもテーマパークでも飛行場面は大好き。実際に飛んでいる訳じゃない、と自分に言い聞かせているから。想像世界の飛行は、「これは夢だから」と自分に言い聞かせている自分がいます。
 さて、現実の飛行機に乗る時。一番怖いのは離陸の時。叫び出したくなります。そのとき、一瞬にして、自分の乗っている機が空中分解を起こして墜落する場面が、微に入り細にわたって脳裏に浮かぶのです。そして、過去に見た映画の無数の墜落シーンがパノラマのように蘇ります。この飛行機から、もし無事に降りれたときには白髪になってるにちがいない、と考えていたりします。
 だから、できるだけ飛行機には乗りません。熊本から移動するのに、名古屋辺りまでは新幹線を使っています。でも、東京まで旅するときは、時間の都合で、やはり飛行機。
 一つだけ、方法はあります。空港で、ぐでんぐでんに酔っぱらって飛行機に乗れば、恐怖から逃れることができます。しかし、その後、仕事が待っていることを考えると飲めないから、やはり恐怖と戦うしかないか。
 それでもいろいろと試してはみました。ヘッドフォンをつけて音楽を大音響でがんがん鳴らして聴く。やはり気流の変化で揺れるあの怖さは克服できませんでした。ダイ・ハードという映画でブルース・ウィリスは高所恐怖症という設定のスーパーヒーローでした。で、飛行機嫌いで、仕方なく乗るときは、「靴を脱ぐ」
 効果あるんだろうか?と試してみたのですが、結果は“?”でした。よく意味がわからない。
「何度も乗っていれば、そのうちに慣れて、何とも思わなくなりますよ!」と言われたけど、何度乗っても怖いものは怖い。人は歩行する以上の速度で移動することを続けていたら、いつか感覚が異常になるというのが持論ですが、これは恐怖症が生み出した理論ですね。
 一つだけ恐れを緩和する方法がある様な気がします。まだ試していないのですが。
 離陸の時に、キャビンアテンダントのお姉さんが私の手を握っていいてくれるというサービスをやってくれたら、「今なら墜落してもいい」と思えるのではないかと。
 そう思いませんか?飛行機恐怖症克服!
 ただ、どうやって試せばいいか、検討もつきません。
 このような恐怖症は、私だけなのかなあ。
 そう考えていたら、結構たくさんいらっしゃる。
 海外旅行には行かない、という方の理由が、「飛行機が怖いから」
 あ、私と同じだ!と膝を叩きました。その割には、どこそこの国を巡りましたという方が多いなあ。
 ブラッドベリという作家さんは、とうとう来日されませんでしたが、理由はやはり飛行機嫌い。「火星年代記」やら「ウは宇宙船のウ」やら名作ばかりのSF作家さんと私も同じだ!!とうれしくなります。
 さて、もうすぐ上京の予定があるので、今からおろおろしているのですが、他に飛行機恐怖症を克服できる方法をご存知ありませんか?

第101回 恵方巻きの惨劇

私は季節感のあるものが大好きな人間であります。夏至の日にはカボチャを食べ柚子風呂に入ります。
 正月は三ヶ日の内に必ずとろろ汁を食べます。皆さんのトコでは三ヶ日の内にとろろ汁を食べると中風にならないと言いませんか?七日には七草粥が定番ですよね。

 さて、最近は恵方巻きなるものを耳にする様になりました。節分の日にその年の縁起のいい方向を向いて巻き寿司を食べるというイベントです。子どもの頃は聞かなかったから、バレンタインのチョコレートと同じ様に、最近流行し始めたものでしょうね。
 恵方巻きを食べると、縁起がいい。恵方巻きを食べると、いいことがある。そんな感じです。
 さて、今年の節分は、日曜日でありました。そこで、私が考えたのが〈山へ登り、頂上で恵方を向いて恵方巻きを食べる〉でありました。
 仲間はすぐに決定。そして、せっかく山頂で食べるんだからと、おいしいお寿司屋さんに恵方巻きを注文。山は熊本県北部の山頂から四方が見渡せる八方岳に決定しました。
 早朝からスタート。風もない好天。晴れ男集団の登山か!というくらい恵まれた条件でした。約二時間で山頂へ。いつも地面がぬかるんでいる印象がある山頂近くでも、登山道が乾いて歩きやすいのなんの。まさに、天の高みにいる誰かに祝福されての山歩きでありました。
 山頂へ到着すると、お昼前。今年の恵方は南南東ということで、コンパスで正確に方位を計測。そして、恵方巻きを黙々といただきました。恵方を向いて食べながら下界を見下ろすと、何とものどかな気持ちでしたね。日常で心の中に溜まっていたストレスが、ゆるゆると融けて流れて行くのがわかりました。
 これで、この一年は幸運に恵まれる。そう確信しましたね。
 さて、その帰りのことです。
 ああ楽しかった。最高の山行だったと登山口までたどり着きました。そして駐車の場所まで移動するときのこと。
 舗装道路です。なぜか足を滑らせ転びました。思わず右手で身体をかばったのですが。
 痛ッ!!
 見ると右手の小指が、人間に指では絶対にあり得ない方向に曲がっているではありませんか!我ながら、ぞっとしました。
 慌てて、左手で無理に右手の小指をあるべき位置に戻しました。痛かったけど。これで見かけは普通。
 ただし、帰ってから夜中に痛んで痛んで。
 翌日は朝っぱらからお医者さまのところへ。
 お医者さまはレントゲンも撮らずに一目見ただけで「こりゃあ、骨折してる。一目瞭然」
 ギブスをつけられました。
「いつ、取れますかねえ」
「三週間。最低ね」
 私は原稿は手書きなのです。でも、折れているのは小指だけだから字を書くのに不都合はないかな、と思ったのですが……。
 大きな間違い。いつもペンを握って書くペン先の位置が違う。ギブスに入っているのに、無理した指の形になり、痛い!痛い!
 数行書くのが、やっと。仕事にならない!
 それが三週間続いたのですよ。
 仕事は進まない。風呂に入っても身体を洗えない。夜中に痛みで目が覚める。
 山道でもないところで何故転ぶんだ!!あそこに魔が潜んでいて足を引っ掛けたのかよ!
 ふと、思い出しました。
 山頂での恵方巻きの結果がこれかよ!
 一年間、幸せなことになる筈じゃなかったのかよ!
 ひょっとして、コンパスが狂っていて悪しき方向を向いて食べてしまったのではなかろうか?
 いや、食べ終わるまでに無意識に喋って悪いものが私の体内に一気に入り込んで来たのでは?
 三週間が経過してやっとギブスが取れました。ところが、その間、小指を全く使っていなかったので麻痺して小指が曲がりません。激痛が走るわ、涙がでるわ。
 ギブスが取れたら原稿が渉る予定でした。何のそのです。ギブスが保護してくれたのですね。痛む痛む。数行づつしか書けません。
 日数がクスリとはよく言ったものです。それから日が過ぎ、やっと、この状態にまで回復しました。
 そして教訓!
 恵方巻きを信じるな。
 この話を会う人ごとにやっているところです。ギブスが取れないときも山登りには出かけていました。福寿草を見に登ったときは、右手に手袋をつけられないので、鍋掴みを付けて行きましたけどね。
「恵方巻きを食べて良かったんじゃありませんか?ほんとうは、もっととんでもない目に遭う筈だったかもですよ」
 なるほど、いろんな考え方があるものですね。
 で、今、完全回復した訳ではありません。やっとここまで回復したものの、数行書けば痛んでいたのが、数十行は続けて書けるようになったというものですが。
 もし、恵方巻きに効果があるのなら、今年の残りは幸運の連続にしていただきたいものですよ。
 頼むよ!

第100回 私の書棚ですか?

先日、あるところからご依頼を受けました。
 ご依頼の内容は「書棚を撮影させてください」というもの。
 シリーズの企画のようで、いろんな方の書庫を紹介していくというものらしいのです。

 正直感心しました。読んできた本でその方の精神形成やら好みの方向がわかるのではないか、という発想で組まれた企画なのかな、と。
 ただ、書棚を、ハイご自由に撮ってくださいと即答しかねるのです。
 そのことを今回は書いておこうかな。
 幼い頃から、本大好き人間でした。というのも、その頃の私は病弱で、すぐに発熱してしまうわ、腹を下してしまうわで、小学校に入るまではそんな状態が続きました。だから、外で遊んだ記憶はほとんどありませんし、友だちなんてもってのほかでした。
 そのときの反動で今はアウトドアが好きなのかなあ、と思うのですが、それはまた別の話。
 そんな状態で今の私に大きな影響をもたらしたことが二つあると思います。
 一つは、食に対しての渇望。毎日が、絶食あるいはお粥と鰹節だけの食生活。その頃の治療法はそれしかなかったのかな、と今では思います。飢餓感だけはあったので、病気が治ったら何を食べたいというリスト作りをせっせとやったのです。「ステーキ」とか「カステラ」「アイスクリーム」「オムライス」「たまごやき」と書いていたのを覚えています。
 今でも、珍しい食べものに目がないというか、いやしいというか。そのせいですね。欠食児童の残像現象みたいなもので、決してグルメではありません。
 さて、二番目。こちらが今回の主題です。
 病気で動けなかったから本を読むことしか楽しみがなかった。テレビもない時代のこと。ひたすら本を読んでもらい、字を無意識に覚え、小学校に入るときは、無差別に本を読み漁る状態でした。本を読む楽しさに開眼したわけです。その頃には絵本は卒業。ひたすら読み続ける。しかし、無制限に本が買い与えられるわけではないので、買ってもらった本は何度も暗唱するほど読むわけです。そして、大人の本だろうがなんだろうが家にあった本も次々に読みました。お気に入りの本は何度も読みましたね。それから読んだ本は、またいつか読むかもしれないと思いこんだ気がします。
 本棚が、どんどん増えていきました。読んだ本が処分できないから。また、いつか読むときに見つけられなかったらどうしようという不安。それに加えて読みたい本を探して買ってくる。その頃、コレクターと呼ばれたこともありましたが、実は、「読みたい本を買ってきて、読んだ本を捨てなかった」だけに過ぎないのです。
 我が家は古い家ですが、オンボロな代わりに貯蔵スペースには事欠きませんでした。だから、物心ついてから買った本は、山のように残っていたのです。
 処分すべきかどうか迷いつつ。いつかまた読みたくなるかもしれない。そんな気持ちで。
 さて、20年前に熊本を台風19号が直撃しました。そのときは、我が家も大きな被害を受けました。あばら屋と化し、雨月物語の世界みたいな家になって。そして、幼い日から溜まりに溜まった本たちも雨に濡れ、膨れ上がって……。
 そのとき、やっと決心がつきました。助かった本たちは熊本市の図書館に寄贈したのです。何千冊あったかな?
 すると……。
 本に対する執着が嘘のように消えていたことに気がつきました。読んだ本が処分できなかったのは、妖怪「本とっとけ」の呪縛にかかっていたのだと気づきました。長年本を溜め込み、その本たちが妖力を持ち、私に本を集めさせていたのです。
 以来、年末になると、その年読んだ本は古本屋に売り払うことになりました。
 すると、これまで気がつかなかった物の見方ができるようになりました。
 本というのは心を豊かにするために読むものだ。だから、心のご飯だと。
 で、読み終えた本というのは、もう必要ない、心が養分を吸い取ってしまった心のウンコみたいなもんだよな、と考えるのです。
 つまり、書棚を見せてくれというのは、心のトイレを見せてくれというのに等しいのではないか、と。(暴言であることは承知しております)
 だから、最初に書いた「書棚を撮影させてください」というご依頼。
 一応、その通りに申し上げるつもりであります。どう判断なさるんでしょうか。
 ちなみに、昨年の読書本は処分したばかりなんですが。

第99回 山ごはん・浜ごはん。

アウトドアが好きです。
 それも山歩きだけでなく、山菜採りやキノコ採り。
 で、なにが楽しくてアウトドアなんだよ、と思われるかもしれない。
 

そりゃあ、日常生活では絶対に味わうことができない景観を堪能することができる、というのは、あります。知り合いには「山へ行く。ピークハントすれば一瞬にストレスが解消できる」と宣言しておられる方もいます。確かに、そうでしょう。
 僕の場合は、プラス・アルファがあります。
〈アウトドアで、いかにうまいものを食べるか!〉
 そこに執着があるんですね。
 人間の寿命が決まっているとすれば、食事の回数も決まっている。
 つまり一生のうちに食べる料理も有限なのです。
 だからといって食べる回数や量を無計画に増やせば、寿命は短くなってしまう。カロリーの摂り過ぎは病気の元。インプットとアウトプットのバランスは大事です。カロリーの摂取と消費が釣り合っていること。
 だから、アウトドアで歩きまわった後に、消費したカロリーに見合うごちそうを食べるというのは、理にかなった楽しさであるわけです。おまけにストレスが完全に取れていくのが実感できます。
 僕が昔、山歩きを始めた頃は、カップ麺が多かったな。後は、バナナやら、パンやら。バーナーでお湯を沸かしてラーメンやインスタントスープ、焼きそば等。
 あるとき、壁にぶつかったことを感じました。
 これは、いかん!
 せっかく、こんな素敵な環境の中で、日常食べているものを食ってはいけない!
 こんな非日常の世界では、非日常のものを食すべきである!と。
「学生時代、キャンプの晩飯にカレーを食べて、途方もなく美味に感じたことがあるよ。いつも学生下宿の四畳半で作る即席カレーと同じ品なのに。だから、環境によって美味くなることってあるんだよ」
 そんな意見ももちろんあるのは承知の助。
 ぼくは、ぼくの信念で取り組み始めましたね。
 最初に作ってみたメニューは今でも思い出せます。
 雑炊です。ただ、特殊なアレンジのラーメン雑炊。コンビニでラーメンとおにぎりを買って行きました。で、鍋の中にラーメンを作り、家から持っていったキムチを混ぜる。それにおにぎりを入れてグツグツさせて、生卵を落とす。食べるときに、おにぎりの海苔を千切ってふりかける。
 おっかな!食す。結果は……美味かった。
 これは、小岱山は観音岳頂上で作りました。忘れもしません。だが、周囲の人たちは明らかに引いてましたね。
 次に、羽田空港で買った「もんじゃ焼きの素」を山の上で食べましたなぁ。これもバーナーとフライパンで。これは久住大船山の山頂で。
 そのあたりから「より美味なものを、より美味に食べられる場所で」とエスカレートしていきます。
 卓上ガスコンロと鉄鍋を担ぎ、九重星生山から白口岳に回り鍋割峠で食事をしたときは、松阪牛と松茸の「魯山人風すき焼き」でありました。登山者から「何を食べてるんです?」と問われて「松阪牛と松茸のすき焼きです」と答えたら大笑いして立ち去られました。信用されてなかったなぁ。罰当たりすぎるもんなぁ。
 だんだんエスカレートして制御が効かなくなるのは、その頃からですね。で、どのような傾向かというと……。山や野で、んまいもんを採って、その場で料理にしてしまうという何とも贅沢な食べ方。
 特殊な例だと天草の山に登った時に、魚屋で活き魚を買っていって、山頂で海鮮鍋をやって、刺身まで食べたことも。車海老が鍋から飛び出して困りました。
 春は山菜の天ぷらですが、行きつけのお蕎麦屋さんに山を降りてすぐ持ち込んで揚げてもらったり。
 秋はキノコですが、ポトフにとれたキノコを放り込むと、これが美味い。ホイルに包んでホイル焼き。また、すき焼きにキノコ鍋ということになります。
 去年の年末は浜の松林で採ったシモコシをオムレツにして食したら、これも、んまかった。
 しかも山仲間も心得たもので、皆、調味料や食材やら道具類やらの充実ぶりに舌を巻いてしまいます。これからも、まだまだエスカレートを続けそうな予感が。しかも凄いのは、料理が無国籍化、創作料理化していることなのですよね。
 ふと思います。
 例のカレーの話じゃないけれど、こんな創作料理を一人部屋の中で、ぼそぼそ食ったらどんな味なのだろう。やはり感動的なのかなあ。

第98回 夢のことなど。

あけましておめでとうございます。
 この一年が皆さまにとって充実した時間になりますように。
 

さて、お正月の話題となると、おめでたいものでなくてはならない、という気がします。
 一年の計を占うのは、初詣に行って神社で引くおみくじでしょうか。それから、初夢で何を見たかで、その年がどんな年になるかを予想したり。
 夢については前にも書いた気がしますが、実は人間の心って、こんな変なものを想像してしまうのだ、という典型的な例として夢のことを思い出してしまうから仕方ありません。
 夢って何だ?といえば、睡眠中に見る幻覚のことなのですが。
 心理学者たちにも夢は研究の宝庫にも見えているようで、夢が何を意味するのか、さまざまな解釈が存在します。フロイトだと性的な願望に意味づけられたり、ユングだと宗教的現象に。他にもいろいろですね。そして、心理学的解釈と同時に、夢は昔から超自然的なお告げとして考えられてきたらしい。それが変形していって、夢占いということになるんですかね。
 私が、いろんな方から受ける質問で多いのは「どうやればアイデアが湧くんですか?」というもの。
 あるときにふっ、とアイデアは下りてくるんです。すると「どんな時に下りてくるんですか?夢のなかですか?」
 なるほど。夢の中だと変なアイデアがいっぱい生まれてくるような気がするのですね。
 しかし、夢の中で面白い話に出会って、慌てて目を醒まし、夢で見た粗筋を枕元のノートに書き込みます。
 確かに、その時はこんなに面白いワクワクがする話があったのだ、と興奮しています。しかし、翌日目が覚めて仕事の寸前にそのメモに目を通すと……。
 何が書いてあるか全く意味不明。何を言いたかったのかもわからん始末です。
 その時に、夢は創作の手助けにはならないのだ、と確信した次第。
 そして、小説を書く際にタブーとなっているのが“夢おち”なのです。
 奇天烈な事件が起こり、不思議な事が次々と連続していく。さて、どうなるのだろう。この不思議な出来事の真相は?そして、絶体絶命の危機に陥った主人公は、どうやって逃げることができるのか?
 そんなハラハラの状況で真相が明かされる。
「そこで主人公は、はっと目が醒めたのだった。ああ、よかった。あれは夢だったのか。そうとわかれば、あとひと寝入りするか」
 どうです。これをやれば、脱力させること必至ですよね。
 つまり、ラストも夢は使われないほうがよろしい、ということになる。
 ただ、皆無ということではありません。私の作品の中でも、唯一ですが夢にヒントを頂いた小説はあります。「干し若」という短編です。夢で見たのは、吸血鬼から血を吸った蚊が馬や犬の血を吸うと、その動物たちも吸血鬼になってしまうというもので、夢を見ながら、変な話だなあ。何という話なんだろうと考えていると、どこからか声が聞こえてきて、「この話は、干し若というんだ」と。もう例外中の例外ですね。
 だから、夢が小説を書く手助けになるとは、あまり考えていません。
 ただ日常生活の影の部分を、夢は連想しながら見せてくれているのだろうな、という気はしています。あるいは夢ならではの願望とか。
 実は私は高所恐怖症で、飛行機に乗るのが大嫌いです。しかし、夢の中では空を飛ぶのが大好きなのであります。ということは、これは夢だとわかっているのかもしれません。これから眠りの中に入ろうという時、私は、両手を広げ離陸しようと全力で走っています。うまく行けばテイクオフで飛び上がり、夢の中で飛行を続けることがよくあるのです。そのとき、空中を飛びながら、「夢はいいなあ」と考えて下界を見下ろしているのを覚えていますから、奇妙な気がします。
 だから、夢のお告げや予告やらはあまリ気にしないように。縁起が悪い夢だって、逆夢と考えて下さい、と終わればいいのでしょうが、最後に、夢でこういうこともあるのだ、ということを書き添えておきます。
 学生時代の友人の体験談で、彼自身から聞いた話。
 夢に女性が出てきて、その女性と楽しく話していたそうです。その女性はクラスは同じだったけれど、全然意識していなかった。特別美人でも好きなタイプでもない。なぜ、その女性が夢に出てきたのか不思議でならなかったそうです。その女性が夢に出てきた理由をいろいろ考えたが思いつかない、と言っていました。
 それから、しばらく後のこと、私は彼がその女性と付き合いだしたことを知ったのです。
 予知夢だったのか?夢を見たことで意識下に女性のことが刷り込まれたのか?あるいは、女性が彼の夢の中に潜り込むまじないでもやったのか?
 この不思議な話を後年、酒の肴に話していたとき、ある男の言ったことが忘れられません。
「そりゃぁ、生霊が夢に入ったんだよ」
 さあ、皆さまの初夢が楽しいものになりますように。一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭と祈りつつ。