第97回 魔境を彷徨う。

ある日、突然にそんな悲劇は起こる。
 仕事場で頭を捻っていると、突然の電話。何事かと思ったら、古い家屋の我が家に白蟻が発生したという。場所は我が家の書庫から二階にかけて。
「じゃ、早く白蟻業者に駆除して貰いなさい」

 そう言ったら、すでに業者に見て貰ったという。そして、駆除に入る前に、作業できるよう片付けてくださいと言われた、と。
 その白蟻が巣食っているところの前に本が積まれている。本の山を取り除くこと。そして、書庫横の物置きまできれいにしておかないと作業に入れない。そうなのか。
 仕事を中断。慌てて帰宅する。そしてその作業量を確認。愕然とした。
 予想を遥かに超える物置きの荷物。本の量も半端じゃない。よもやこれほどあるとは。これだけの荷物をどこへ運べばいいというのだ!
 しばし、茫然自失。目の前が真っ暗。
 へたり込みそうになったが、それではいつまでも事態は進展しないと自分に言い聞かせ、作業を開始する。
 座敷の廊下にともかく荷持を積み上げる。本棚を運び、そこへ本を入れてしまう。そこまではいい。腰痛自覚し始めるものの、とりあえず、『順調だ』とつぶやくのだ。まぁ、ある種の“強がり”だけど。
 それで半日。そしていよいよ、物置きと言う名の魔界に足を踏み入れることになる。しかし、魔界が、そう簡単に侵入を許してくれる筈もない!
『うわっ』ちょいと触れただけで何やら崩壊してしまいそう。足の踏み場もない。
 まず、二十世紀の年賀状が出てきて不安が募ってくる。物置きの内部には数十年の時代を超えた怨念のようなものが詰まっている。瘴気とか妖気とかいうものが漂っている気配があるのだ。
 ほら、昔から言うじゃないですか。道具も使い続けて何年も経てば物の怪に(もののけ)に変化するとか。
この物置き自体も、まさに、そのような感じだ。一つずつ品物を運び出していく。マスクと手袋をしているからいいものの、埃が舞い上がる。
 老母は以前から頂きものがあったら、どんどんこの物置きに放り込んでいたらしい。その結果だ。
 長年のお歳暮やらお中元やらも。
 まさに魔境。鬼が出るやら、蛇が出るやら。おっかなびっくりである。
 出てくるわ、出てくるわ。
 結婚式で頂いた引き出物。皿やカップやら。まだ、名前が貼ってある。この人たちは、もう銅婚式過ぎてるんじゃないか?とか、ええっ!このカップルはすでに離婚しているよなぁ!とか。人生ドラマあり、と呟いて作業中断。ブランドものの食器や、結婚した夫婦の名が入ったアルバムとか。呆れて眺める。どうするべぇ。
 驚いたのは故人の写真が出てきたこと。葬儀の時に頂いたような。捨てるに捨てられず、とってあるようだけど、それほど親しかったわけじゃなく。どうしよう。
 ここで、最近の便利な言葉。
 断捨離!
 それから、魔除けの呪文として使い始める。
「断捨離!断捨離!」
 便利な言葉でありました。煩悩を捨てる!不要なものを残さない!
 母の世代は「もったいない」「まだ使える」なので、ものが捨てられないのだ。よし、天に代わって無駄を捨てる。残すか、残さないか迷ったら捨てる。
 ゴミ袋が大量に生産されました。
 おかげで、2日で白蟻撃退準備が完了した。
 あれほど邪気が溜まっていたというのに、もう気配さえも感じられない!
 いやあ、清々しい。
 ここでは、いくつも真理を学んだなあ。
 「物置きに保管されている9割は不要品である。」うちは持ち家だけど、「借家だったら、この空間にも家賃を払っていたことになるんだ」とか。考えると、もっと他に使い途あったよなあと反省されることでしょうぞ。
 さて、後日談。
 白蟻の駆除を済ませ、友人たちと山歩きに出かける。
 山頂で、先日の物置き魔境で発見した、頂きもののスープの缶詰を皆にふるまう。東京の某一流ホテル製のスープである。温めて分けると、皆、「これはうまい」と大好評だった。それで、調子に乗って、そのスープの缶詰がどういう経緯のものかを教えたのだった。美味しい筈だ。魔境から発掘したものだから、と。得意になって。
 すると、一人が、はっと気づいたような表情を見せて叫んだ。
「えっ!じゃあ、このスープの缶詰はもしや……。賞味期限の方は、どうなっているんですか?」
 すると別の一人が缶詰のそこを確認する。
「去年の3月で、賞味期限が切れている」
 すると、皆は…。
「う・ええええええ」
「う・ええええええ」
 仕方ないじゃないか。高級一流ホテルの缶詰スープだ。皆が喜ぶと善意で持参したのだから。皆、美味しいと言って食べていたではないか。缶詰に賞味期限なんて発想はなかったよ。
 誰もお腹を壊したとは聞いていないし。

第96回 スロベニアは竜だらけ

かつては、ユーゴスラビアだった国々ですが、面白いことに国境を越えるとガラリと雰囲気が変わるんです。
 ドヴロブニクからスプリット・トルギールを出てクルカ国立公園をまわってクロアチアを出ました。それからボスニアヘルツェゴビナに2泊したのですが、それまで見なかったモスクがあるんですネ。それから、自動車が古い。

ムスリムの人たちをよく見かける。民家がなんだか薄汚れている気が。垢抜けない、というか。国民性も、通関でわかります。なんと、ボスニアのビバッチという街のホテルに泊まって他の国を観光するわけで、だから国境を朝と夕に通過する。つまり、1日2回バスを降りて、ナチスに並ばされるユダヤ人みたいにずらりと順番を待ち、パスポートを見せなければならない。ボスニアに入国するときの愛想が悪かったこと。
 それに、ホテルの部屋は狭いし料理はまずいし、クーラーはついていない、と最低・最悪の印象しかないので、はしょります。
 ただひとつ。ボスニアの田舎道の印象を記しておきますと、やたら上半身裸のおっさんが目立っておりましたなぁ。
 スロベニアに入国するときの審査官のお兄ちゃんが、やたら笑顔で愛想が良くて、この落差はいったいなんなの!ECの国に入るんだという気分になりましたよ。
 昼食で行ったレストランも味付けはちゃんとしているし、まともな国に来た気分でした。
 スロベニアのイメージは、一言で言えば“竜”でしょうか。どの観光地に行っても、竜に関連したエピソードがあるようでした。
 ボストイナ鍾乳洞の奥深くに入りました。ディズニーランドのトロッコみたいなもので地下へ行くのですが、地表より20度低い世界。石筍やらの岩の模様が独特で地獄巡り、胎内巡りの印象です。H・R・ギーガーの怪物画やガウディの建造物を連想します。とにかく、広い、でかい、の異世界でした。水槽の中に、この洞窟の名物である生物、ホライモリがいました。一年間餌なしで生きていけるという生命力を持っているらしいけれど、竜の末裔のようなイメージで語られていますね。
 ブレッド湖に行ったら、竜の組立人形が売ってあったし。
 そういえば、ブレッド湖の中央の小島に教会があった。手漕ぎボートで渡るんですが、島に渡って98段の階段を登った上に教会があるんです。で、言い伝え。結婚するとき、花婿が花嫁を抱っこして登りきれば二人とも幸福になるらしい。途中でへたばれば……不幸な末路ということでありました。
 へたばったら、どうするんだろ、と思いましたが、よくしたものです。この協会には170キロの重さの鐘があるんです。この鐘を3回鳴らせば願いが叶う、と、私も鳴らしてみましたが、たしかに重い。でも不可能じゃありません。だから、もし花嫁を階段の途中で落としても、この教会で鐘を3度鳴らして幸せを願えば、挫折は帳消しではありませんか。
 リュブリャナ市にも行きましたが、橋には欄干に竜が!座ってる!竜の橋です。
 その近くで、リュブリャナ市の日本語観光パンフレットを見つけました。それを読みました。
「リュブリャナ発の見最善方法」とある。あ、日本人が書いたものではないな。
「達人からの口コミ情報」とありました。「リュブリャナ川に沿って歩きながら数のカフェやパブをひやかす」
 数のカフェってなんだろう。見て回るのではなく「ひやかす」ですか。
「旧市街の石畳を歩きながら、遠き昔の空気を吸い込む」遠き昔に思いを馳せると言いたいのかな?遠き昔の空気を吸い込む様子を想像して脱力しました。
 リュブリャナ市の旗があったんですが、城の上に竜がいるというものでしたよ。ここにも竜が。
 そしてパンフレットの最後に、こう書かれていました。
「私たちは環境を大事にしているので、再生紙に印刷しています」
 たぶん、日本に留学していた方が作り、チェックを受けないままにパンフレットになってしまったという印象ですね。
 でも、雨宿りで寄った市内中央の観光センターではアンケートを頼まれたほど(もちろん日本語)ですから、かなり日本人観光客ターゲットに考えているのだな、と思いました。
 アジアの龍。そしてこちらの竜。やはり、なんだか共通点がありますね。架空の爬虫類というか、そんなイメージ。どれも人間出現以前に絶滅した恐竜のイメージとダブりますよね。そんなイメージが人間の潜在意識に刷り込まれているのかなと思いますよ。

第95回 旅に出ました。その2

クロアチアは、ザグレブではなく、ドブロヴニクに到着しました。
 未知の国に入る瞬間は、着陸前から気になるものです。下を見下ろしてびっくりしました。
 地方の空港だからかなあ。滑走路は一本しかない。しかも滑走路以外は草ぼうぼう。

 ただし、驚くことがありました。前回のエッセイにもちょいと書きましたが、入国管理官といい、空港スタッフといい、若い女性は美女揃いなのです。手足が長くて、顔が小さくて、プロポーションは抜群。日本のテレビに出ているタレントやモデルみたいな女性が、右にも左にも。確か、ミラ・ジョボビッチはクロアチア出身だったよな、という予備知識はありましたが、そんな美女たちだけの国ってあったんだぁ!
 だが、しかし。
 外に出てきて素朴な疑問が。若い美女は相変わらず多いのですが、中年以上の美女が見当たらない。
 ???疑問符が行列で並びました。中年以上の女性は、みなドラム缶かビール樽みたいな方ばかり。ひょっとして、あの美女たちが年月を経て妖怪化すると、こうなるの?でもその中間形態がないじゃない。そんなはずは。ミッシング・リングか。
 ホテルは海岸沿いでした。
 早朝の海岸沿いを歩くと、遊歩道が切れてごつごつした岩場でした。しかし、海の透明なブルー具合と言ったら……。この世のものとは思えない海の色でした。そう。アドレア海なのですね。
 ぼんやり海を眺めていて気がつきました。海から顔を突き出したような巨石に、なにかペンキで書いてある。野暮だな!と思って読んでみると「NO NUDEST」
 わわっ。どうもここは、ヌーディストが侵入して楽しむ場所らしい。待っていたら、またヌーディストがやってくるんだろうか?それともここで勝手にヌーディストになるんだろうか?どちらでも構いませんが、変な東洋人がうろついていたためか、ヌーディストは出現しませんでした。
 朝一番にスルジ山へロープーウェイで登りました。スルジ山は旧市街の背後にある山で、その山頂からは旧市街が一目で見渡せるので、人気のスポットだそうです。
 数分で山頂到着。あっけない。確かに眺望は素晴らしい。海に食い込むように広がった世界遺産の街です。独特の茜色の屋根が広がって、おとぎの国のような印象でした。その街を城壁がぐるりと取り囲んでいる。そう。旧市街は海上城塞都市なんですよ。この街を見ている頃から、暑くなって来ました。ここの夏の暑さは尋常なものではなく、ジリジリと首筋を焦がすような暑さです。ただ湿度が低いのが幸いです。だからといって暑さが和らぐわけじゃない。しかし、ここは低いとはいえ山の上。温度をロープーウェイ乗り場で確認。36度ある。ということは、100m高度差で0.6度違うから……まさか下界は38度。
 海岸に近いというのに。しかし、ロープーウェイで下ったところで、それが真実であったことを確認しました。
 正確には日陰で39度だから日向では……。つまりサウナ風呂に服を着て入っているようなものですよ。旅行社で聞いたときは現地は26度くらいですなんて抜かしやがって!
 旧市街は完全に観光地で、お土産物屋、飲食店がずらり。とにかく暑さを逃れるために、生ビールを飲みました。
 暑かったからか、それともこの地のビールがうまいのか。そのビールが極楽に連れて行ってくれました。とにかくこんなにうまい生ビールは、初めてでした。
 さて、旧市街を取り囲むような城壁の上は、歩いて回れるようになっていました。しかし、屋根があるわけじゃないから、直射日光があたって40度ははるかに超えているはず。しかも、有料です。(日本円で1,000円くらい)
 ドブロヴニクはかつてラグーサと呼ばれていたのですが、ラグーサとは“石”という意味。歩いてみて実感できました。ピレ門から城壁に登りました。下を見下ろすと、旧市街は観光客で大混雑していて、正直その人ごみにゾッといたしました。それから、迷ったのですがその人ごみに戻る気にならず、約一時間かけて旧市街を取り巻く城壁を一周しました。途中、海上からの侵略者に対抗するための古の大砲なども鎮座していて、スクリーンの世界に飛び込んだような錯覚がありました。歴史映画、あるいはその青い海を眺めると「紅の豚」のイメージ。このあたりは、要塞なんですね。ボーカル要塞から歩き続け南東の聖イヴァン要塞から見下ろすと……。
 あっ、これがドブロヴニクの観光写真を撮る場所なんだ!と判明。ガイドブックで散々見慣れていたから。
 クロアチアなんだ!ここは!と実感しました。
 それから城壁を下りた頃は、脱水症状の熱中症一歩手前。クロアチアにアイスクリーム屋がやたら多かったのも納得です。そのアイスクリームもうまかったぁ!
 今年の日本の夏は36度というのも体験しましたが、この貴重な灼熱地獄体験のお陰で、「クロアチアじゃ炎天直下40度。ぬるい湯加減ですよ!」とほざいて顰蹙(ひんしゅく)を買いつつも、それほど苦しまずに、日本の夏を乗り切れた気がするんです。

第94回 旅に出ました。そのⅠ

海外旅行に行って来ました。
 数年前に釜山に行きはしましたが、これは期間的にも感覚的にも国内旅行の延長のような感じ。フェリーで行って帰ってくる。壱岐か対馬よりちょっと遠いところへへ2日ほど出かけた感じでした。
 10日以上の日程で、しかも飛行機に乗って海外旅行をするというのは、本当に久しぶりです。

 そんな長距離の海外旅行をやらなかった一番の理由は、飛行機が苦手だということです。離陸時のあの浮揚感も嫌いだし、この床の数メートル下は何も存在しない宙空なのだ、と想像しただけで、「ありえない」と考えてしまいます。飛行機が飛ぶ原理は頭では理解しているつもりですが、想像力のほうが私を捉えて離さないのです。他にも理由はたくさんあります。機内でタバコが喫えないというのもありましたが、数年前に禁煙に成功。以来、この点は問題ないのですが。機内が乾燥して喉がからからになるのも嫌ですね。長時間身動きできないから、エコノミー症候群になるのではないかという恐怖もあります。しかし一番の理由は、やはり高所恐怖症だということですね。
 SFを書いたりする人は宇宙船の描写をやったりするわけだから、飛行機なんてなんでもないでしょう。そう言われますが…。
 先日亡くなったレイ・ブラッドベリさん。日本で国際SFセミナーがあって、お会いできるかなと楽しみにしていたのですが、来日はありませんでした。理由は「飛行機が嫌いだから」
 ブラッドベリさんが日本に来なかったのは残念ですが、理由を聞いて嬉しくも思いました。「あ。僕と一緒だ」きっと、想像力が旺盛すぎると、恐怖が際限なく増殖するのでしょう。何せ、離陸と同時にカラスが吸い込みから飛び込み、失速して地面に激突、炎上みたいなイメージが、パターンを変えていくつも生まれるのですから。
 そんな飛行機恐怖症を乗り越えて、「行ってみようかな」と考えたのは、「行けるうちに行って、見れるものは見ておくべきではないか?」という考えに振れたことであります。
 以前は「とても2時間もタバコを喫わずにはいられない」というのが自分に対して海外旅行に行かない言い訳ですが。関係なくなったし。
 離陸時の恐怖が和らいできたのは、この年齡になって、想像力が摩耗してきたからかなと思ってしまいます。
 それから、自分の想像力の中に新しい経験を注入しておくのも良いかなと思ったからです。
 まだ行ったことのない土地を舞台に話を組み立ててみようか。新鮮なプロットが生まれるかもしれない。つまり取材。つまり仕事である。
 勝手な理由をつけましたが、旅行先はクロアチア、スロベニア。それからボスニアも。
 なぜ旅行先がそこになったのかというと、「遠い国」というイメージがあったからです。直行便がなくて、必ずどこかの国で乗り換えなくてはならない。下手すれば、一日近くたどり着くまでかかってしまうと書かれていた国。ところが、そのとき、たまたま直行便ツアーというのがあった。それで、発作的に申し込んだのです。
 月の3分の1を不在にするのですから、お受けしていた仕事は、出発の前日までに、すべて納品しておきました。しばらくは連絡とれませんということも言い添えて。
 だから、旅行前日まで仕事を続けていたおかげで、旅行先に関する何の予習をすることもなく、飛行機に飛び乗ってしまったのです。
 ぼんやりと知っていたのは、第二次世界大戦後はユーゴスラビア連邦と言っていたよなあ、ということぐらい。チトー大統領の死後、スロベニアの独立に続いて、いくつも民族紛争があって現在に至っているんだよな、という浅い知識しかない。通過はユーロでいいのかな?とぼんやり考えていたほど。だから飛行機の中で訪れる国のガイド本を読んで予備知識を勉強しました。泥棒を捕まえて縄をなうような所業ですね。
 訪れる場所と、その名所の歴史的背景をページをめくりつつ確認するのでありました。
 で、そこで初めて知ったのですが、訪れる場所に、やたら“世界遺産”が多い。
 “世界遺産”ってのは、人類が後世に残すべき自然や遺跡を、ユネスコが認定したものですね。日本では屋久島とか宮島とか石見銀山とか。阿蘇山や富士山でさえ、まだ入っていないんだよなあ。日本全国で44カ所だと思いましたが。
 で、日程を見てみると、ほぼ毎日、異なる世界遺産を訪れることになっている。激しいな!と思わず呟いたのは、なんと一日に2ヶ所の世界遺産を訪ねる日もあるんですから。
 予習をやりながら、機内ではビールを何杯もおかわりしておりました。その予習も中途半端なまま居眠りしていると、直行便は早々に最初の目的地、クロアチアのドブロヴニクに到着したのであります。
 空港を機内から眺めて驚嘆。
 ドブロヴニク空港、熊本空港より小さい!
 そして、もう一つ。機内で予習した本にはまったく書いてなかったこと。
 空港に入って出会う若い女性が、皆、美人ばかりであるということ。すらりとしていて眉目秀麗です。入国審査官まで美人ですよ!
 初めは、「空港だけ?こんな美人を揃えているのは?」思ったのですが、そうじゃなかった。

第93回 何が怖い?

 八月のコラムということであれば、やはり怪談噺とかが日本では定番のようですね。外国では、いわゆるホラーとか幻想譚は冬場のクリスマス前後に、暖炉の周りで語られることが多いです。やはり、日本では納涼という目的がはっきりしているということでしょう。ただ、個人的に怖い話を聞いたり読んだりしても、暑さを忘れるようなことはありません。どこかの時代で、夏場は納涼怪談噺というイベントがあって、それが定着した結果ということではありますまいか。

 一応、そんな日本古来の伝統に従って私の身の回りで起こった怖い話はないか、と考えてみたのですが、超自然的な怖い話はほとんど、というより、全くない。
 二十歳の頃、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた時、暴走車が飛び込んできて、計量器に激突。その横にいた私は、おしっこチビリそうになった……というのはありますが、人に話しても、あまり怖がってもらえません。
 やはり、幽霊や化けものが登場しないと、怖いと思えないのでしょうか?
 化けもの、というより妖怪に縁のある場所には行ったことがあります。
 天草に巨石群を見に行った時のことなのですが、天草市の栖本町を車で走っていると道沿いに看板が。
〈油すましどんの墓〉
 一瞬、どんな意味なのか戸惑いました。それから思い出したのは、水木しげるさんの妖怪画に出てきた姿です。『油すまし』って、平べったい石のような頭に全身を蓑で覆った妖怪だったよなあ。杖をついていたのではなかったっけ。
 墓があるということは、その妖怪はこの地で死んだということなのかな?
 好奇心の強いのが自分だ!と思って車を止めました。県道から、まだ奥に入らなきゃならんみたい。県道沿いの空き地に車を置いて歩いて行くと、細い道の端に「油すましどん」と方向が書かれていました。あれれ?さっきは墓と書かれていたのに、墓じゃないのかな?
〈伝説 油すましどん〉
〈油すまし 駐車場〉
 なんだか、県道で見た時より看板も段々チープになっていきます。不安です。本当にここに油すましどんがいるんだろうか。(どん、というのはここいらの~さんといった敬称なんだろうな。もう敬称は省略されている。)
 で、細くなった道を歩くと……。
 まだかよ~、と言いたくなる頃、道の右手に看板がまたしても。そこには、
〈ようこそ〉
 なんだか、「注文の多い料理店」て感じですね。なにが〈ようこそ〉だよ。油すましが歓迎しているのかな?どんどん不安になってくるではありませんか。
 トホホ感を我慢すると、またしても細い道から右へ降らなきゃならん。
 そこが、そうだったのです。物干し場みたいな板場があります。三畳くらいかな。そして書かれていました。
〈「油すまし」伝説 発祥地〉
 仏像が三つと、立派な杖が一本。はぁ?これだけ?墓じゃないではありませんか。
 帰ってから腑に落ちないので調べてみました。ある郷土史家の方が書かれた『天草島民俗誌』に〈油すまし〉が紹介されています。
 例の場所を老婆が孫を連れて通るとき「ここにゃ昔、油瓶さげたん出よらいたちゅうぞ」と孫に教えてやったら「今も出るぞー」と声がして……。
 そんな昔のことが記されているんですが、妖怪とも物の怪とも書かれていない。油すましがどのような姿かもわからない。どんな悪さをしたのかもわからない。「油瓶さげたん出よらいた」というのは、「油瓶をさげたのが現れていた」ということで妖怪とは限らないのでは?
 姿は完全に水木しげるさんの創作ですね。
 この「油すましどんの墓」は栖本のかっぱ街道にあります。
 全然、涼しくなれない妖怪です。というより意味不明といったほうがいいか。
 そんな妖怪レッテルがついてなくても、ぞっとした話を。
 しばらく前に、阿蘇のことを書くために取材でまわったことがありました。Yさんという地域の伝説や歴史に詳しい方で、年輩ですがとてもお元気でおもしろい方でした。そのYさんに案内して頂き、熊野座神社の巨岩にでっかい穴が開いた穿戸の穴やら、清栄山近くの高森殿の杉などを見てまわったのです。そこに、Yさんに携帯電話が入りました。で、話をされている声が嫌でも聞こえます。「ああ、その日は駄目駄目。山に入れないよ。予定はないけど、その日は山に入っちゃいかん」
 電話を切ったYさんに尋ねました。
「今、◯◯日は山に入れん。予定があってもなくても入らん…そう言ってましたね。なぜですか?」
 それまでニコニコ顔だったYさんの表情が変わりました。眉を寄せて私を睨んで。「そりゃ山に入っちゃいかん日だから、ですが」
「なぜですか?」私は禁忌の理由を知りたかっただけです。で、Yさんは…、何か言おうとしたのですが、結局黙したまま、何も言わなかった。
 この時のほうが、ぞっとしましたね。言わないほうが、言うより何十倍も恐怖が増幅するんだと思い知りました。
 で、ぼんやり考えるんです。その日に山へ行くと何があるんだろうって。
 あっ。そんな感じで阿蘇を舞台にした不思議長編「アラミタマ綺譚」(祥伝社)を出します。どうぞ、読んでくださいますよう。伏してお願い申しあげます。

第92回 夢のマルティニーク島

実は、今、ラフカディオ・ハーンが登場する小説を書いている。エマノンシリーズの初長編になる「うたかたエマノン」で、『読楽』という雑誌に連載させて頂いているのだが、その中で彼に重要なキャラクターを演じてもらっている。
 もちろん、日本を訪れる前の時代の話だから、小泉八雲とは名乗っていない。不思議なものと、エキゾチックなものが大好きな、少々偏屈で変わり者の物書きおじさんとして描いている。時代は十九世紀の末だ。
 

その時代の、ラフカディオ・ハーンの著作『仏領西インドの二年間』をモチーフに書いている。
 ハーンの『怪談』は高校生の頃に、よく読んだ。怪談には違いないのだが、ユーモアがあるものもあれば、切ない気持ちになるものもある。それに奇妙な味の短編もあった。ハーンの怪談の、読めるものは全て読み漁った時期がある。その経過の中でたどり着いたのが『仏領西インドの二年間』だった。
 ハーンは日本を訪れる前に仏領マルティニーク島に滞在しているのだが、そこでも奇妙な話や恐い話を収集していたのだ。そしてその本の中に、マルティニーク島に伝わるさまざまな怪異が描かれている。私がゾンビという超自然的存在のことを初めて知ったのは、実は高校生の時ハーンによってだった。もちろんこの本の中で。ただし、ジョージ・A・ロメロの映画によって定着したゾンビのイメージとは大きく違うのだが。
 私は、日本を舞台にした作品とはまた異なるテイストに魅力を感じ、その時代のハーンのことを調べたりもした。アメリカで新聞記者をやっていた頃から、少しづつマルティニーク島に興味を抱き始めていたことも知った。そして調べていくうちに、マルティニーク島にハーンが滞在していたのと同時期に、タヒチに行く前の画家ポール・ゴーギャンもここにいたことを知ったのだ。
それから私の中で」、ずっと妄想が燻り続けている。
 もし、ラフカディオ・ハーンとポール・ゴーギャンが会っていたとすれば。
 しばらくしてエマノンシリーズを書くことになるが、エマノンは太古から生命の発生と進化の記憶を四十数億年に渡って持っている少女の話だ。不老不死ではなく、記憶だけが世代を超えて引き継がれていく。ただしその少女に名前はなく、便宜上エマノンと名乗っているのだ。
 ならばエマノンもその時期マルティニーク島を訪れていたならば。
 そんな長編をずっと書こうと思っていた。だが、書けなかった。
 マルティニーク島の土地の感覚が、全くわからない。描写しようとしても、具体的な風景が頭の中に浮かべられない。いや、ぼんやりとは浮かぶのだが、それが正しい光景かどうかもわからない。そんなんじゃ、描写も出来ない。
 結論としては「一度、マルティーニク島へ行ってみよう。そして自分の肌で島を感じて来よう。執筆するのは、その後だ」
 それから時は流れ、他の執筆にかかっているときも、魚の小骨が喉に引っかかっているように、マルティニーク島のハーンとエマノンの話が気になっていたのだ。
 だからオープニングはこう。プロットや登場人物のキャラはこう。エンディングは、こう。そんな妄想だけは膨れあがってくる。マルティニーク島に関する小説や映画、テレビ、料理、音楽、アンテナに引っかかってくる情報は、全てチェックした。マルティニーク島の名物のホワイトラム酒の存在を知れば、知り合いにお取り寄せいただき、味見して宿酔いになったことも。それでも筆を執る勇気が湧かなかったのだが。
 さて、熊本市内にも、ハーンが熊大に勤務していた頃の住まい跡が何軒かある。そこに足を運ぶ。最初に足を向けたのは安政町の公園の片隅。ここでハーンは何を見たのだろう。公園、デパート。全く想像がつかない。次に壷井の住居跡に。そこは……社宅になって集合住宅があるばかり。
 そこで、気がついた。きっとマルティニーク島を訪ねても、熊本と同じように百年前の光景は見ることが出来ないのだと。
 それから呪縛が取れたような気がする。宇宙に行ったことのないSF作家が他の惑星を描写するつもりで、十九世紀末のマルティニーク島を描写すればいいのだ。
 そう自分に結論づけると、ストンと憑いていたものが落ちたような気がする。
 だから登場人物は、私のハーン、私のゴーギャンだ。舞台も私の妄想の中にある、私の百年前のマルティニーク島なのだ。
 私が描く何十光年も離れた惑星メフィスと同じなのだ。
 それから、いいペースで滞ることなく書き進めている。今では、ホワイトラムで宿酔いになることもない。

第91回 生人形を訪ねる

東京に住んでいる叔母が帰郷しました。
 今年八十歳なのですが、やたら元気のいいメリー・ウィドウです。
 私がモノごころつき始めた幼い日。叔母は女子高生。私を方々連れ回したそうで。だから、私はあまり頭が上がりません。

 その叔母が、帰ってくるなりリクエストしたのは、「松本喜三郎の生人形を見に連れて行ってくれ!」
 さて、ここで松本喜三郎について、説明をしておきましょう。
 松本喜三郎は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した活人形師です。熊本に生まれて人形を作り続けたのですが、その人形は生きているかのようだったので「生人形」と呼ばれたほどです。大阪で制作を続け、難波新地で「活人形元祖松本喜三郎一座」として喝采を受けたそうで、その後上京。「大蔵生人形」や「西国三十三所霊見記」で不動の地位と名声を築いたとのこと。
 どのくらいの腕かというと、あまりにリアルすぎる仕上がりというか。世に評判を轟かせる前に、熊本でモデルを使って寸分違わぬ等身大人形を作り、どちらが人形でどちらがモデルか当てさせるほどだったそうです。それほど自信があったということでしょう。皮膚の質感や色までも含めてですからね。
 他にも依頼を受けて日本初の義足を作ったり、東大医学部(大学東校)のために、やはり日本初の人体内蔵模型を製作したりしているんです。
 でも、現代では松本喜三郎の生人形の作品に触れる機会ってないのですよね。
 私は数年前に、熊本現代美術館で松本喜三郎展に行って驚愕したのです。そのときに彼の作品由来について詳しく知ることができたというわけですが。彼の作品の多くが海外に行ってしまったり、行方知れずになっているわけで、残念に思います。
 喜三郎展には、谷汲観音像と聖観音菩薩像も展示されていましたが「熊本のお寺にあるのか」と記憶しました。
 その後、私はタイムトラベルものの長編「つばき時跳び」を書いたのですが、幕末から現代へヒロインのつばきがメッセージを送る手段として、この松本喜三郎の人形のモデルになるという設定を入れておきました。   
 それを叔母は、きっちり読んでいたのです。叔母がそれほど私の本を読み込んでいたのは、光栄でもあり、お尻がこそばゆくもあり。
 そして叔母は自分なりに、熊本で松本喜三郎の生人形を見れるということをネットで調べていたのです。慌てて私も確認しました。
 なるほど、二体の生人形はいつでも拝観することができる。
「西国三十三所霊見記」の三十三番目の谷汲観音は熊本市高平の浄国寺さんで。そして聖観音像は春日の来迎院さんで。
 電話で連絡を致しました。どちらも快諾して頂きました。無料では申し訳ないので、二人分の拝観料を封筒に包んで行ったのですが。
 叔母はかなり好奇心が強い人で、どのような反応を見せるか、こちらの方も興味津々でありました。
 浄国寺さんの本堂で拝観!
「へぇ。なんてきれいな。まさに生きているみたいだねぇ」
 正面から見たり、横に回ったり。叔母は予想以上に興奮したようでした。私も現代美術館で見ていたのですが、そのような展示場所で見るのとは違った独特の雰囲気がありました。観音様が人の姿にに化けて旅人を導くという設定で製作されていたので巡礼の姿をしているのですが、表情まで艶かしい。
 本作は松本喜三郎自身も自分の代表作と思っていたらしく、この作品だけは、手放さずに熊本に持ち帰ったそうです。
「すごいものだねぇ。どれだけ見ていても飽きないねぇ」
 それから、万日山は熊本駅新幹線口近くの来迎院へ移動。
 ここには、聖観音像が喜三郎によって納められていますが、こちらの生人形の場合、最初から見世物としてではなく、観音像として奉られることを前提に製作されたものなので、表情もポーズも明らかに異なっているのです。
 そしてこちらのお寺でも、大変手厚く迎えて頂き恐縮致しました。
 帰りの車内で「素晴らしかった」を連発していた叔母は、とんでもないことを言い出しました。
「あれは熊本の観光資源だよ。なんで誰も見に行かないんだろう。もっと積極的にPRすべきだよ。お寺さんも京都みたいに堂々と拝観料を取っていいのに。真治も、ことあるごとにPRしなさい!」
 確かに、それだけの価値はある作品だと思います。だからこの場でも早速!
 皆さんも熊本を訪れる機会があったら、そんな松本喜三郎の生人形をご覧になってはいかがでしょう。驚かれること、確実です!
 叔母は東京に帰るまでずっと会う人ごとに松本喜三郎の話をしていたほどですから。

第90回 白鳥山のヤマシャクヤク

凄まじく運動音痴なくせに、山歩きだけは好きですね。
 なぜ山歩きが好きかって言うと、3月のこちらのコラムにも書きましたが、山菜を採るのが大好き。それにキノコやらを採るのも。
 食い意地が張っていて卑しいんです。お店では売っていないグルメな食材を集めに行くのが、ほんとに好き。
 あ、もちろん体を鍛える効果も期待しています。若い頃は気にならなかったのですが、この年齢になると、
「血圧が少々高いようです」

「血糖値が糖尿病の境界型に入っていますねぇ」
「もっと血液をさらさらにしないと」
「腹回りはあと6センチ、体重もあと5キロは落とさないと、メタボリック症候群ですよ」
などと言われ続ける始末。そんな病気予備軍の私に渡されるパンフレットを熟読すると、必ずこう書いてある。
「運動しなさい!」
 運動は嫌いなんです。スポーツって必ず競い合うじゃありませんか。どちらかが勝ってどちらかが負けなければなりません。
 それが嫌なんですよ。
 しばらく、テニスやらバドミントンやらやったこともありますけどね。でも、あんな競技って、相手が打てそうにない場所を狙ってタマを打つじゃありませんか。
 意地が悪いと思いませんか?相手がミスしたら勝ちだなんて寂しいです。
 だから、スポーツが嫌なんですよ。心がねじ曲がってくるような気がして。(あっ。悪意はありません。あくまでも個人の感想です。お許しを)
 で、その中で唯一自分に向いていると思った運動がこれ。山歩きでした。
 自分のペースを守るだけでいいんですよ。誰かと勝負を決することもない。頂上を極めなくてはならないということもない。自分で想定したコースを歩くだけ。そして、山の恵みの、美味しいものに出会える。素晴らしい眺望も満喫できる。
 そして、も一つ。季節が味わえるんですね。
 いつ行っても同じ光景が広がっているわけではありません。四季によって異なる表情を山は見せてくれます。
 中でも、今回タイトルに使った白鳥山。数ある山の中で一番好きな山です。
 あ、誤解がないように。日本中に白鳥山という名前の山はいくつかあります。九州にも韓国岳の隣にひとつありますが、私の大好きな白鳥山は、熊本は五家荘の山なのです。自然林が広がり、岩は苔むしています。樹々はブナやイチイが目立ちます。昔、源氏の追手を逃れて平清経が潜んでいた山中の住居跡、そして石灰岩の巨石群、ドリーネ、御池と呼ばれる湿地帯。そんな見所がいっぱいなのです。霧が出てくると、幽玄な世界に変化します。鹿の鳴き声を遠くで聞くと、まるで異次元に迷い込んだみたいな気分になるのです。あまりメジャーな山ではないので、登山口から登り始めて帰り着くまで、一人も他の登山者と出会わないこともよくあります。
 あまりに好きな山過ぎて、自分の小説の舞台にしたほどです。一作は「未来の想い出」。もう一作は「インターネットの香保里」というジュブナイル小説。よろしかったら読んでみてくださいませ。
 さて、白鳥山を5月に紹介しておりますが、私は毎年中旬に必ず登ります。
 何故かというと、中腹に何ヶ所もヤマシャクヤクの群落を見ることができるのですよ。
 ゴールデンウィークまでは、花には縁のない光景なのですが、中旬に入ったらヤマシャクヤクが次々に開花するんです。ドリーネ近くに咲くのが一番早いかな。1時間近く登山口からぜいぜい登りつめ、目的の斜面に視界いっぱいのヤマシャクヤクの群落を見た時の感動は、伝えるのが難しい。百聞は一見にしかず、と言いますが、まさにそのとおり。ヤマシャクヤクの花は直径が7、8センチの大きなもの。色は純白です。それが一面びっしりと咲いていると、ここが山の中ということが信じられない。お花畑にいるのか…と思えてきます。
 そんな群落が、あちらにも、こちらにも。
 そこまで来れば、頂上はすぐなのですが、正直なところ頂上にはあまり興味はありません。景観も得られないし、ただ狭いだけ。
 で、頂上を抜けて隣の時雨岳に向かうルートがあるのですが、この道沿いにも群落があるのです。
 ヤマシャクヤクの色は白と相場が決まっていますが、この辺りに稀にピンクのヤマシャクヤクの花が咲くことがあるらしい。今年こそ目撃したいと、いつも狙っているのですが、まだ出会えたことはありません。
 さあ、今年も、ヤマシャクヤクの季節が近づいて来ました。出会えるのは十日程しかありません。わくわくして、ならないのです。
 さらに、今年はもうひとつ、大きな野望を抱いています。
 今年の5月21日は、金環触が観測できるのですが、私の住む熊本市は部分触でしかないようです。
 ところが……。白鳥山では、金環触が見れそうなんですね。
 よしっ。
 ヤマシャクヤクの群落の上の金環触。
 なんてロマンチックなんだろう、と思いませんか?
 そのつもりで、いるんです。

第89回 舞台は熊本

初めてお会いして、私の本を「読んでいます」とおっしゃるありがたい方から、質問を受けたりすることがあります。その質問には、不思議と共通点があることに気がついていました。
 皆さん、私の本を読んで考えられることって一緒なんですねぇ。
「なぜ、小説の舞台は、熊本が多いんですか?熊本が描きやすいからですか?でも、カジオさんが主に描こうとなさるのは、現実世界ではあり得ないSFですよね。であれば、架空の都市や、宇宙でも構わないんではありませんか?」

 よく、そんな趣旨の質問を受けます。
 確かにSFでは、舞台は現在ではなく未来に設定されることが多いようですね。そういう私も、創作を始めた頃は50枚から100枚くらいの短編を書いていたのですが、その中で、未来の事件を語るとき「いつまでも読んで頂ける小説」ということを考えていた気がします。現在を舞台にすれば、現在の風俗を描写の中に入れることになります。流行語や服装などは、数年経過すれば全く通用しないし、下手すれば読む方にとって意味不明ということになる。
 それを防ぎたかった。
 だとすれば、現実社会と全く異なる舞台を設定すれば、時代の変化に伴う作品の風化は少なくなるのではないか、と。
 だから、舞台を宇宙船の中にしたり、閉鎖された空間で宇宙人とコミュニケーションをとる話にしたり。どうしても現実社会に近い描写をしなければならなくなったら、架空の町名を登場させることにしました。『横嶋市』という都市を、かつてよく出していましたが、これは地方都市ですよ、という記号のようなもので現実には存在しません。(横島町というところが、たまたま熊本県北部に存在しますが、これは全くの偶然です。実は『ドグマ・マ=グロ』というナンセンスホラーを書いたとき、邪悪な人々ばかり住んでいる都市名を考えていたときに思いついた名前です。邪な人たちが住んでいる市、つまり横嶋市であります。その流れで、『クロノス・ジョウンターの伝説』でも舞台は横嶋市になっていますが。)
 初期に現実の熊本を舞台にした話を一作だけ書いています。これは『清太郎出初式』という短編で、明治33年に、ウェルズの『宇宙戦争』の火星人が熊本にも侵略してきたという設定の話でした。しかし、これは一世紀過去を描くのだから風化しないかなと思ったのです。
 で、小説家として商業誌に載るようになってから40年が経過しようとしています。その途中で気がついたことがいくつか。
 いくら宇宙や未来を舞台にしても、架空の場所であっても、数十年経って読み返してみると、その当時は気がつかなくとも妙に古臭く感じることがあります。たとえば、現代なら、ここは携帯で連絡を取り合うよな、と思ったり。パソコンで検索すればすぐわかることじゃないか、と溜め息をついたり。
 技術が予測できていなかったから、やはり、風化しているんですよ。
 そこに気がついてからでしょう。熊本を意識的に出すようになったのは。
 私の小説は、正直あり得ない話ばかりです。そんなあり得ない話にリアリティを持たせるにはどうしたらいいのか?
 たとえば、死者が生き返ったり、時を超えたり。
 そんなホラ話を読んでもらってバカバカしいと思われないためにはどうするのか。
 ストーリーのメインにある大ボラを信じてもらうために、それ以外の部分では、出来るだけ真実を積み重ねる必要があります。そうすることで大ボラもひょっとしてあり得るかも、というリアリティを感じてもらう……。
 この手法を既にやっていたのがスティーブン・キングです。この作家は傑作ホラーをいくつもモノにしておられるのですが、舞台になるのが、彼が住んでいるメイン州が多いですね。そして、小説の中に登場する固有名詞も現実に存在するものばかりです。車の名も洗剤も、お菓子もテレビ番組も。
 そんなふうに、これでもかというほど現実に存在するものを自分の架空世界に取り込むことで、起こりうる恐さにリアリティを醸し出しているのです。生きている屍体や、吸血鬼や悪魔たちと共存させるために。
 私も、自分の大ボラなSF話にリアリティを持たせるなら、私が生まれ、私が育った、私の大好きな熊本を舞台にすることが、いいのではないかと考えました。
 時間の経過で、作品が風化することは仕方ないと割り切って。それより、今読んで、より面白く感じて頂けるならと、リアリティを選んだわけです。
 だから私が、小説の舞台を熊本にしたがるのは、そのように想像の羽を広げやすいからでもあるんです。そうすれば必ずホラがホントっぽく吹けると信じているわけです。
 また、そんな小説を読んだ方が、舞台になった熊本を訪れて見ようと思われる方がいればいいなあ、といつも願っているんです。そして熊本を訪ねて、もっと違った熊本の魅力を発見して頂けたらとも思います。
 まぁ、今回はかなり真面目語りをしてしまいましたねぇ。

第88回 春のおたのしみ

三月と聞いたら、皆さん何を連想されるでしょうか?
 雛祭り?
 九州の方だったら、下旬からの春休みにタイミングを合わせて咲き乱れる桜、そして、その下でお花見というイベントでしょうか?
 私ですか?

 秋は、山に入ってキノコを探す日々を続けておりました。年が明けてモノクロームの冬の時間は、部屋の中に籠ってアウトドアの楽しみに縁のない時間を過ごしています。春になると、春の楽しみがちゃんと巡ってくるのです。
 木の芽どき、という言い方があります。奇妙な行動をしでかす人々が増加する時期でもあるようです。そんなときは「木の芽どきだからなぁ。気をつけなさいよ」と諦めたように口にします。つまり、新芽が芽吹く頃は、その陽気が精神に影響を与えるということですね。
 私も多大な影響を受ける一人であります。もっと直接的な理由で。
 山菜採りが、春の楽しみなのですよ。一般的に、ホワイトデーが過ぎた頃にベニヤマタケが阿蘇外輪山に現れ始めます。それからが山菜採りの開幕ですね。ワラビ採り、タケノコ掘り、そんな山菜採りが有名ですが、私が一番好きな山菜採りは、タラの芽でしょう。
 これもキノコ採りと同様で、山の奥に分け入っていきます。
 こちらも、一番いい時期に採りにいくタイミングを見計らっているわけです。最近は栽培もののタラの芽も出回っているのですが、天然物は全く違う。そのサイズといい、歯ごたえといい、食感も、味の奥深さも、早い話が、別の食べものなのです。しかも、春になったからと言って、ずっと食用に適した木の芽状態でいてくれるわけではありません。数日タイミングを外しただけで、タラの芽はタラの葉っぱと化してしまうわけであります。(ま、食えないことはない。悔しさ紛れにタラの葉を採って帰って天ぷらにして食った奴もいますが、彼は芽よりこっちが美味いと言い張っていたなぁ)
 だからホワイトデーが過ぎたら、物置から鎌を取り出して、砥石で研いで手入れしておきます。この鎌は特製です。自分でこしらえたもの。ポリ塩化ビニール管のパイプを150センチくらいに切ったものに小型の鎌をはめ込み、釘を打ち付けて固定したものです。
 これが重宝するんです。
 一緒に物置から引っ張りだすのは山菜籠。蒸れませんからね。
 で、闇雲に出かけるわけではありません。
 タイミングが大事と申しましたが、そのタイミングをどうやって知るのか。その年によって、早い、遅い、が当然あるのです。
 で、我が家の隅にタラの木を植えている。  
 つまり、このタラの木に芽が出てきたら、間違いなし。タラの芽採り標準木であります。
 そして、この標準木に芽がでたら、第一弾の出撃。
 いつもの、自分のタラの芽畑と名付けている場所へ。えーと、念のためですが、登山靴です。山の中の道とは言えない斜面を移動しますからね。必ず長袖を着用すること。ズボンも厚いものを。山歩きではジーンズは膝が曲がらないから良くないですが、山菜採りでは良いようです。そして帽子と厚い手袋。
 とにかくタラの木は刺が凄いんです。しかも数メートルの高さの幹の先端にタラの芽が付いている。だから、一人で行くよりは二人で行くことをお奨めします。
 一人が刺だらけの枝の先に鎌を引っ掛けてたわませ、もう一人が先端に付いたタラの芽を採取する。一人でやろうとすると、タラの木の枝が折れてしまうリスクが増加する。
 で、若い芽は必ず残すこと。全ての芽がなくならないように。タラの芽は、それからも二番芽、三番芽まで出ますから、後の芽も残しておく。これが、自分に課したルールです。タラの芽を採っていると、同時にハリギリやコシアブラの新芽を探し出したりもします。これも天ぷらにすると美味しいんです。
 必要量確保する頃には、結構斜面を歩き回って、泥だらけ。指を防護したつもりでも、チクチク刺が刺さっている状態ですが、大漁のときは、高揚感でそんなこと、何でもありません。
 で、ここを引きあげ、もう一カ所。梅林にハルシメジを探しにいくんです。そこで、春のキノコを確保したら、行きつけのおそば屋さんに。そこの大将に我がままを言って、採れたてを天ぷらにして頂くんです。その揚げたてをパクッ。
 これを至福と言わずして、何が至福。
 ああ。想像しただけで、堪りません。
 タラの芽の採れる場所ですか?
 もちろん秘密ですが。