第157回 秘湯を訪ねて…!

 肌寒くなると、じっくりと温泉に入りたくなる。 小国にある寺尾野温泉を思い出した。熱過ぎず冷た過ぎずいつまでも入っていられる。
 温泉旅館というわけではない。地域の人々が使う共同浴場だ。かけ流しの素朴な風呂だ。
 野原にぽつんと建っている。
 まさに私の中では秘湯という位置づけだ。
 私がその温泉を知ったのは、今はもうなくなってしまった登山用品のお店のご主人に教えてもらったからだ。
 くじゅう方面へ行く予定があり、ガスバーナーのボンベのガスが残り少なくなっていたので、店に買いに行った。そして店のご主人と雑談。くじゅうは冠雪の可能性があるからというアドバイスで、軽アイゼンも買った。
 くじゅうの山登りの話になり、午後3時頃には下山して温泉に入るつもりでいると話した。すると、ご主人が「私が一番好きな温泉は、そちら方面なら寺尾野温泉ですね」と。
 私が初耳だと告げると、目を大きく開き、信じられないという表情を浮かべた。
「そんなにいいんですか?」
「素晴らしいどころではありません。秘湯の極みですよ。一度訪れたら、もう、あちら方面では他所には行けませんよ」
 そこまで言うか。
「どの辺にあるんですか?」
「教えますね。小国は、わかりますね」
「はい、わかります」
「小国の町から木魂館を目指します。すると、その手前の右側に緩くカーブしたところがありますもんね。そこから右折して100mくらいで、まんせい小学校てあります。万に成るって書いて万成小学校。そこから左に曲がると坂があって、道なりにどんどん…どんどん…どんどん…」
 図に描いてくれるとわかりやすいのだが、描いてはくれない。「15分か20分くらい走ると、橋があって、渡って、また10分くらい行くと、そこに車を停めて歩いて右の方へ入っていくと、あるとですよ。そりゃあ、良か風呂ですけん。誰もいないので、料金箱に入場料を入れてください。感動ですよ。寺尾野温泉ですよ。万成小学校から曲がる。いいですね」
 次の日曜日、私はくじゅう山系の山を歩いた。幸いなことに雪は大したこともなく、軽アイゼンを使う場面もなかった。予定よりも早く下山できたほどだ。さあ、長者原の温泉にでも入って帰るか、と考えたとき、ふと先日の登山用品のご主人と話した温泉のことを思い出した。
寺尾野温泉と言ったっけ。小国まで車を走らせてみよう。
 小国の町に到着。
 万成小学校は、今は閉校になっているが、その頃は、まだあった。そう。20年程も前のことだ。当然私の自動車にはカーナビなどはついていなかった。
 小国の木魂館を目指す。その手前に確かに緩やかなカーブがあり、ここだ!と私はハンドルを右に切った。
 数百メートル行くと小学校が見えた。聞いていたとおりだ。そこから左折すると登り坂だった。道なりに進む。幾つかの分岐があるが、どうしよう。別に注意する場所は言われなかった。勘で行くしかない。
 幾つかの集落。しかし、橋はなかったような。
 誰かに聞いたほうがいいだろうか?
 しかし、集落なのに人の気配がない。こどもも遊んでいない。集落を通り過ぎる。誰にも位置を確認できないまま進む。まだかなぁ。通り過ぎてないよなぁ。
 あっ、小川が流れている。えっ、橋ってこれ?これ、橋のうちに入るの?渡って、細い道をひたすら進む。
 再び、集落。人がいない。また進む。高台に出た。景色は良いが、辺りに何もない。明らかに行き過ぎたようだ。引き返す。集落で自動車を停める。民家を訪ねる。最初の家は無人。鍵も掛かっていない。次の家。老人が一人。耳が遠くて会話にならない。家を出たらバイクの若者が。よかった。「もっと下だよ。杉林のところから入って、しばらく棚田を歩く」
 言われた通りに行って、着きました。無人で小さな鄙びた温泉。話通りの魅力的な秘湯。寺尾野温泉、来られて良かったあ。しかし、よく辿り着けたなあ。奇跡みたいなものだ。あれだけ迷った挙句に。
 それから数ヶ月後、またボンベを買うために、寺尾野温泉のことを教えてくれたお店へ。
 ご主人と雑談して温泉の感想など。良いところを教えてもらってありがとうございます。気に入りました、と。
 ご主人は喜んで、またしても雑談に花が咲いたのだ。そのうち、冬の、上福根山で遭難死された某政党の万年立候補者の噂話に。
「山が好きで、よくお見えになっていましたよ」と。そうだったのか。「あの前日も店に寄られたんですよ。初めて上福根山に登ろうと思うんだけどって。それで、私が懇切丁寧にルート取りとか教えてあげたんです。良い方だったんですけどね」
 私は息が止まりそうになった。遭難の原因は、そ・れ・だ!!!

第156回 ペットショップのお薦め

 私はSNSをやっているのだが、最近は書くことも思いつかない。繋がっている友人たちの幸福そうな記事を見ると、嫉妬に似た感情さえ湧き上がってきて腹立たしくなる。本当にこの人々はこんな幸福な毎日を過ごしているのだろうか?
 日々幸福な生活をしている人々のことを”リア充”と呼ぶのだと知った。私にとっては夢のような暮しだ。
 いっそSNSをやめようか、とも思った。しかし、このままやめてしまえば負け犬だと心の中で誰かが叫んだ。
 犬や猫を飼い、それをSNSで紹介する人々は少なからずいた。心はほっこりするし、嫉妬されることもない。そうだ、私もペットを飼って、SNSにあげていこうか。であれば、ネタに困ることもないだろう。
 とてもいい考えに思えて私はペットショップへ向かった。
 立派なペットショップに入り立派な犬や可愛い猫を見たが、値段を見て仰天した。こんな高いペットを飼ったら、私はペットと一緒に餓死してしまいそうだ。すごすごとペットショップを引き上げて裏通りを歩いていると小さな店があった。古びた店構えに古い看板。「ペットのお店」とある。こんなところにあったっけ。記憶にないなあ。しかし、こんなに小さくて古い店ならペットも安いかも。雑種でも良いし。がらりとガラス戸が開き、店主らしい痩せた老人が顔を出した。
「お望みのペットを紹介しますよ。もちろんお手頃な価格で」「本当ですか?」「ええ。犬でも猫でも小鳥でも、蛇でもトカゲでも亀でも」「実は、SNSをやっていて書くネタがないので、ペット日記でもと思ったのですが」と正直に伝えると、老人は、ぽんと手を叩いた。「それなら、とてもいいものが入荷しました」
 老人は虫かごを差し出した。「これがいいですぞ」
 中を覗き込むと、カゴの中を蝿が一匹飛んでいるだけだ。この蝿がペット?「2千円です」買える値段だが、なぜこの蝿が?
「放し飼いできるし、餌は自分で調達するので大丈夫。まさにSNS向きです」
 私にはただの銀蝿にしか見えなかった。こんな蝿をSNSに上げて、皆、気色悪がらないだろうか。老人が言った。
「この蝿には不思議な能力があるのですよ。飼い主をSNSに載せるのに良い場所に案内してくれる。この蝿は、新種で”インスタ蝿”というんですよ」
 よく意味がわからないまま、私はその蝿を購入した。家に帰り、カメラを持つと蝿を虫かごから出してやった。
 蝿はしばらく手足を動かしていたが、何かを感じたらしくフワフワと飛び上がった。部屋を出る前に宙で停止する。私がついていくと、蝿は安心したように部屋を出た。私を待ってくれたらしい。飼い主のことはちゃんと分かるようで、私の歩く速度に合わせて飛んでくれる。
 川沿いに来ると、土手の斜面を下った。恐る恐るついていくと、びっくりだ。
 川の中に何匹もの鯉がいるが、なんということだろう。頭の上に模様があり、すべて人間の顔のように見える。人面魚だ。それぞれ人相が違う。慌てて写真を撮る。
 帰るとすぐにSNSに写真を上げた。みるみる”いいね”が増えていく。無数のコメントも寄せられた。賞賛の嵐だ。
 しばらくして、蝿がまたしても外へ行こうと私を誘う。後ろをついていく。
 突然面前にいた蝿が上空に飛んで行く。上昇するのを目で追っていたら、銀色の飛翔体が空に浮かんでいた。というより、不思議な動きをする。UFOだ。慌てて撮影した。今度は動画で。
 UFOは次々に出現して上空で舞い踊り、そしてすぐに飛び去ってしまった。まわりに人々も集まり、アイフォンを出して撮影しようとしていたようだ。「ちぇっ。消えちゃったよ」「残念だなあ。凄かったのに」
 SNSに動画をあげると、またしても”いいね”が次々と。コメントも「本物ですか?フェイク映像ですよね」やら「いや本物です。私も近くで目撃しました」と。それだけではない。テレビ局から有料で映像を使わせてくれと申請が来たほどだ。
 インスタ蝿とはまさに言い得て妙な名の虫だな、と思った。
 そんな風にインスタ蝿の教える場所に行くと、珍しくて感動できる写真ばかりを撮影することが出来た。ときには、大丈夫かな?怖いな、という場所にインスタ蝿は案内する。細い板が一枚かかっている下は谷底で、その向こうへと蝿に連れて行かれる。と、そこは見たこともない花が咲き乱れた絶景だった。危険とは思ったが数万の”いいね”がつき、私のページに広告をつけたいと企業からいくつも申し出がある。仕事をする必要もない。インスタ蝿が教えるものをSNSに載せさえすればいいだけ。しかし日々ネタがなくなってきたのか、蝿が私を連れて行く場所の危険度が高くなる。その日は、インスタ蝿は切り立った崖の先に飛んでいく。風が強い。今にも私は吹き飛ばされそうだ。いったいどんな奇妙で素晴らしい光景が待っているのだろう。こんな危険な場所に”いいね”はいくつつくのだろう。
 足を滑らした。そのまま崖下へ真っ逆さま。しまったと思ったとき、全身を激しく打った。出血している。もう助からないと直感でわかる。するとバタバタと鳥の羽音がした。見ると屍肉を食う禿鷹そっくりの鳥が、倒れた私の近くの木の枝にとまる。人声が近づく。「やあ、死体があるぞ。なぜこんなところにと思ったら。これをSNSで発表したら”いいね”がどれだけつくやら」「写真!写真!よくこの鳥見つけたね」するともう一人が言った。
「ああ。”いいとこドリ”っていうんだ。奇妙なペット屋のお薦めで騙されたつもりで買ったんだけど、よかったよ」

第155回 おとぎ苑にて

 久しぶりにケアハウスに行く。いまだ顔を出していないので気になっていたのだ。
 施設の名は「おとぎ苑」。私の父がお世話になっている。父も年齢を重ね、だんだんと自分には介護が必要になってきたと思い始めたのか、自分から施設に入ると言いだしたのだ。
 この施設も父が指定したものだ。どこでもいいというわけではなかったなかったようだ。父は、こだわりだけは人一倍強かったから無理もない、とは思う。私は入所のときも付き添うことはできなかった。今回が初めての訪問なのだ。
 思えば、父の存在は私にとって大きすぎた。そして父はあまりに有名すぎた。それが私にはコンプレックスとして刷り込まれた。父と比較されるのが苦痛だった。だから、日頃から私は父との繋がりを隠し続けていた。父ほどの力はないし、剣術もだめだ。部下を統率する能力もない。自分の能力にあった仕事をこつこつとやっていくのが一番向いている。そんな自分だから、父のケアハウスへの面会も今になってしまった。
 父の名は桃太郎。
 おとぎ話に出てくるヒーローだ。若い頃、鬼ヶ島での鬼退治で超有名になってしまった。持ち帰った金銀財宝の大半は人々に分け与えてしまったが、ほんの一部だけは残し、貯蓄に回していたらしい。それでこのような高そうなケアハウスに入れたようだ。「おとぎ苑」という名を選んだ父に成程と思ったものだ。
 昼下がりの施設を訪ねると、父は陽当りのいいテラスにいて、車椅子に座っていた。ためらいつつ近づき父を見た。間違いない。老いてはいるが私の記憶にある父の姿だった。かつてのように額には日の丸の鉢巻をつけ、車椅子の横には”日本一”の旗が付けられていた。
「お父さん」と声をかけると、父は私を見て数秒考えてわかってくれたようだ。「おお。おお」と嬉しそうに目を細めた。私が「おみやげ。甘いもの」と豆大福を差し出すと「おお。きび団子か。きび団子か」と歓声を上げた。豆大福を見てもきび団子と信じている。あえて訂正もできなかった。
 父の隣の車椅子では、老婆が眠りこけている。「オーロラ。オーロラ。きび団子はどうだ」と父が起こそうとするが目を醒まさない。父は私に言った。「若い頃は美女だったそうだ。眠り姫だよ。いや今は眠れる森の婆さんだ」驚いた。オーロラ姫と言えばシンデレラ姫と並ぶ有名人だ。
 それで、初めて気づいた。このケアハウスが特殊だということに。
「おとぎ苑」とは、文字通りおとぎ話に登場した主人公たちだけが入ることのできる老人施設なのだった。おとぎ話の主人公たちは物語の中では大活躍して、めでたしめでたしと話は終わる。しかし、話は終わっても現実の社会では主人公たちの人生は続いている。そして老いる。そんな人たちを受け入れてくれるのが、ここなのだ。
「そういうことだったの?」と感心すると「そういうことじゃ」と父、桃太郎は扇子をかざした。ほかには、どんな入居者がいるのだろう。父の車椅子の横を木彫りの人形が歩いていった。生きている。「あれはひょっとしてピノキオ?」「そうだ」「でも、最後、人になったんじゃなかった?」「いや、あれから世俗にまみれて、女神に愛想を尽かされ人形に戻されたようだ。古びちまったが嘘をつくと鼻が伸びるし、すけべごころを出すと下半身が……」
「あそこにも、すごい年寄りがいるけど」「ああ、浦島太郎だ。歳とってボケが入ってここに来たんだが、乙姫様に開けるなと言われてたのもわからなくなって玉手箱を広げたんで、ダブルで年寄ったんだ」
 かなり壮絶な末路をおとぎ話の主人公たちは歩んでいるようだ。廊下で長い髪を車椅子の車輪に巻き込んで悲鳴を上げているのはラプンツェルだろう。そしてフロア中央のベンジャミンの樹に灰を投げつけ籠を取り上げられていた老人は花咲爺いさんの末路なのだろう。
 中庭には、動物たちが放し飼いにされていた。狸やウサギや亀、蛙、猫。どれもおとぎ話に出てきたものばかりだ。足どりもたどたどしい。やはりここで余生を過ごしているのか。その中に犬や猿やキジの姿もある。なつかしい。私が子供の頃、父のところに遊びに来ていた思い出がある。
「あの中に、お父さんの部下たちもいるの?」
「ああ」と寂しそうに言う。
「呼んでみたら。ぼくも久しぶりだし」
「いや、もう来てはくれない。私が現役の時だけだよ」
 しかし、猿だけは窓際に駆け寄ってきた。
「父さん。猿は来てくれたよ。キビ団子じゃない。豆大福やろうか」
「いや、あれは部下だった猿じゃない。猿蟹合戦の猿だ。あそこでも嫌われて群れに入れてもらえず救いを求めているんだよ」
 それから、職員の勧めで施設中央の大浴場温泉で私は、父を風呂に入れてやることにした。父の背中を流そうとして、そのあまりの小ささに涙が出てきた。
 かつては人々から桃太郎さんと慕われるヒーローだったかもしれない。だが今はただの老人でしかない。これからはもっと孝行しなくてはと自分に言い聞かせた。そのとき思った。なぜ、今まで自分は父にわだかまりを持っていたのか、と。誰もが同じ道をたどる。残るのは伝説だけだ。
 帰り道、私はふと呟いていることに気がついた。
「それから、いつまでもいつまでも幸福に暮しましたとさ」
 そうであることを私は心の底から願いつつ。

第154回 こり鍋

“こり鍋”という奇妙な料理のことを知った。ネットで検索をかけていると、あるブログに偶然にたどり着いたのだ。
 タイトルは〈最高の珍味でしたーこり鍋の魔力〉
 今となっては、誰のブログか解らない。
 そのページが出た瞬間に、画面がフリーズしてしまった。二枚の写真が載っていた。一枚は古い民家の囲炉裏で鍋を囲み、つつきあっている家族の写真。老婆が木杓子で鍋から料理を椀に注ごうとしている。皆が、本当に嬉しそうに食べていた。もう一枚は鍋のアップ。汁が黄色いようでもあり、白濁しているようでもある。縁は赤みがかっている。味噌風味か、醤油だしか判別がつかない。汁から骨のようなものや魚の頭、蟹の一部らしきものも見えた。
 そのブログには、こうあった。
ーーこれはびっくり。こんなおいしい鍋があると初めて知りました。スープが独特です。醤油とも味噌とも違います。このスープだけ永遠に飲みたいほど。何という料理ですか、と尋ねると、”こり鍋”とのこと(漢字はどうなのかわかりません)このあたりでは、どの家庭も普通に作っている鍋の定番だそうですが、すり身ボールが入っていて、この食感が絶妙。
 私が生まれてこの方食べた料理の中ではベストです。
 肉は最初の一口だけ臭みがありましたがそれはジビエの宿命でしょう。二口目からは、全く気にならない。むしろ臭みは旨味に変わりました。地酒といっしょにいただきましたが、こり鍋は酒のアテにも最適。なぜ、人生今まで、こんな美味しい鍋を知らずに過ごして来てしまったのだろうと悔しい気持ちになりました。こり鍋を食べると笑いが……まるで悪魔が作ったような美味さ…
 そこで途絶え、次に進めない。この前もあるような気がする。仕方なくホームに戻り、検索をやり直した。
 ところが……。
 そのページが出てこない。何度やっても駄目。大丈夫だと言い聞かせる。”こり鍋”という料理の名はわかっているのだから。
 ”こり鍋”で検索をかけてみたが出てこない。出てくるのは関係のないワードばかり。「ほっこりする鍋」「鍋料理はこりき」などなど。
 ブログで書かれていた「生涯ベスト料理」やら「すり身ボールが絶妙」というフレーズや写真が脳裏に浮かんで離れない。
 誰のブログだったのか?
 そのときから私は”こり鍋”の呪いにかかったのだ。
 日本の料理であることに間違いない。しかし、どこの郷土料理なのか。魚らしいもの、ジビエの肉らしいものが入っている。
 さまざまな思いつく限りのワードで鍋を検索しても、全く出てこないのだ。
 どこかの古民家で招かれて食したのだろうか。海のものか川のものか?それさえもわからない。ブログの著者があれほど絶賛する料理とは?……。
 ぜひ、食べてみたくなった。日本のどこかにあるという”こり鍋”
 ”こり鍋”で検索して出てこないのは、漢字で正式な表示があるからなのではないかと思った。凝り鍋だろうか?あるいは狐狸鍋という可能性もある。ジビエの臭みなら、この表記も正しい気がするのだが。しかし、どれも該当はない。
 あれから、何年が経過しただろうか。
 いろんなグルメの知人に尋ねてもみた。誰も知らなかった。私は趣味であるグルメ行脚を続けて、全国津々浦々まで旅してまわった。そこそこ美味しいものは食べてきたのだが、しかし、ふと思うのだ。”こり鍋”を食べずして美食を極めたとは言えないのではないか、と。だから、グルメ行脚で訪れた先で必ず「この地域に”こり鍋”という料理は伝わってないか?」と尋ねまわることにしていた。だが、誰も首を横に振るだけ。しかしいつかは”こり鍋”に遭う日が訪れるにちがいないと信じて。いや、心の中では、ひょうっとして”こり鍋”なる料理は実在しないのではないか、ブログの著者の創作ではないか?との疑いが生まれることがあったが、その考えを押し隠していた。無意識に。
 私のグルメ行脚の旅も終わりを告げるときがきた。路銀がいよいよ底をついたからだ。まだ、”こり鍋”に巡り逢えていないというのに。そして、無銭宿泊した山宿の主人に警察に突き出されようとして、私は仕方なく山宿の主人一家を皆殺しにしてしまった。山狩りに来た警官を殺し、逃亡先で逃げ込んだ一家を惨殺し、私は捕まった。そして私は死刑の判決を受けた。
 なんと愚かな。これも”こり鍋”の呪いなのか。今の私は、毎日、自分が犯した罪を悔いている。そして、死刑執行を待っている身だ。
 看守から、近々、死刑が執行されるらしいことを内密に伝えられた。私は覚悟している。
 そして、私は尋ねられた。「刑の執行前に、何か望むこと、思い残したことはないか?」と。わがままの限りを尽くした私には、望みを言う資格などないと思った。しかし、思い残しと言えば。
「世の中に”こり鍋”という鍋料理があるそうです。あの世の土産に”こり鍋”を食べてから罰を受けられたらと思います」
「わかった。最後の食事として希望に沿えるよう手配しよう」
 そして、私はまだ刑の執行もなくここにこうして生きている。
 彼らは”こり鍋”を私に代わって探してくれているに違いない。しかし、見つからないだろう。
 果たして”こり鍋”は存在するのか?
 もし”こり鍋”が食べられたら、私は心置きなく罪を償い、喜んでこの世に別れを告げるつもりでいるのだが。

第153回 8月は山の日

 7月に「海の日」ができて数年後に8月は「山の日」ができました。
 私は山歩きが好きなので、「山の日」とかでしたら、迷いなく山へ行きたいな、と思います。
 私が小説書いてると知っている人たちに、「山歩きをしていて不思議な出来事にあったり、奇妙な体験をしたりということはありませんか?あったら教えてください」と言われます。でもね。奇妙な体験をしていたら、教える前に原稿に書いていますよね。
 私自身も、そんな話は大好きだし。しかし、UFOも見たことがないし、火の玉も見たことない。(私の母は3度ほど火の玉を見ています。火の玉を見た!と腰を抜かした母のところにあわてて見に行きましたが、もう姿はありませんでした。)興味はあるので小説に書いたことは何度かありますが、嘘っぱちです。
 私も山の上で知り合った方々に山に関する不思議な体験を聞いたりします。本人の体験でなくても構いませんと頼むと、思い出しつつ教えてくれます。
 山歩きの好きな方が酒席で聞いた話。
 五家荘の川でヤマメを釣った帰りのこと。その川から辿道をたどっていると薄暗くなった。大金峰、小金峰がシルエットで見えるようになった時間。あれっ?と思ったそうです。山中をライトが走るのが見えた。こんな時間から山頂方向を目指すなんて。人家はあるんだろうか?と。ライトがジグザグに進んでいくのが、その方には気になったそうです。そして、ある位置から、明らかにおかしい、と。そんな位置に人家はないし、自動車が走れる道路もない、と気がついたそうです。山頂まで続いているのは歩いて行ける登山道だけ。なのに、そんな場所に自動車のライトが見えるなんて。そう思った数刻後、光は山肌から飛び出して空中へ。そしてそのまま木々の向こうに去ってしまったのだと。
「あれは狐が騙そうとしたんでしょうなあ。いや、ひょっとしてUFOだったのかもしれない。火の玉と言ってもいい。何か、わけのわからんもんだと思いますよ。しかし、何のために最初は自動車のふりをして山を登っていったんですかねぇ。私をからかいよったんでしょうか?」
 その話を聞いてすぐ思い出したのが、ラフカディオ・ハーンの「仏領西インドの二年間」に載っていた「悪火」です。ハーンは、マルティニーク島でも怪談や伝説を集めているのですが、そこのペレー火山でも人も住まない高地で火が見えることがある。それを地元民たちは「ゾンビの火」あるいは「悪火」と呼んでいたらしいですが、共通しているな、と。だから、その方の話は信じてます。
 それから久住のぼうがつるで体験したという話。ぼうがつるは、キャンプができるような久住の山々に囲まれた盆地です。どちらの山にも登りやすい。近くに法華院温泉もある。その方は、一人でぼうがつるにテントを張って、法華院で風呂に浸かり、テントに戻りウィスキーを飲んで寝たそうですが、夜中土砂降りに襲われました。大丈夫と思っていたらテントに穴が空いていたのか、水がぽたぽた。
 慌てて鉄筋の避難小屋に駆け込みました。で、そこでしばらくうとうとして、目を開いたら、まだ暗く夜は明けていない。と、何か気配がするので見たら、なんと。
 坊主頭の小人たちが行列して草の上を歩いていたんだそうです。
 黙々と。
 自分の目が信じられず、かといって動けずにいたら、しずしずと草の中に消えてしまったのだそうです。
 たぶん幻覚で、その方の脳内の何かがその映像を見せたのだろうと思います。他に目撃者はいなかったようだし。
 私も何度か、ぼうがつるで野宿したことがあるけれど、そんな体験ないものなあ。
 それから、数年前に熊本県内のパワースポットを方々取材してまわったときのこと。
 高森町で、案内してくださった方と話していたらその方に電話が入りました。何か、山に入る打ち合わせのようでしたが。
「11日は晴れだからその日にしようか。ダメね、12日はアレだから13日ね」と。「12日はアレたい!入っちゃいかんよ。山には」
 へぇ。アレって何だろう。工事かな。尋ねました。「12日は山に入ってはいかんて言うとられましたが、なぜですか」
 その方は驚いたように「えーっ」と。
「12日は山に入っちゃいかんよ」
「なぜですか」
「昔から、いかんと決まっとるとよ」
 それ以上、聞いたらダメだという感じ。
「タブーですか?」
「……(沈黙)」
 なんだか、そう決まっていて山には入らないらしい。山の神さまが、入ってきたら罰を与えるからだとか、山の木の本数を数える日だからとか、後で調べると、山の信仰に関わることらしい。けれど、今でもそんなルールが守られているのですねぇ。
 こんなことを記していると、まだまだあって語り尽くせないなあ。また、機会があれば続きをやりましょうかね。
 あ、8月11日「山の日」に山に行けなかったから翌12日に行こうとしたら、アレの日になってるから知りませんよ。もしどうしても12日にしか行けなくてという方、何かあったら教えてくださいな。

第152回 “黄泉がえりagain(アゲイン)”始まるよ

 タイトルを記しただけで何とも懐かしい気持ちになってしまいます。
 前の「黄泉がえり」を熊本日日新聞の夕刊に連載したのが、1999年の4月から、2000年の4月1日まで。
 おや。ということは、書いたのは20世紀ということになるのか。
 熊本の新聞に連載するので、地元愛に溢れた内容にしようと思って書いたことを覚えています。
 ご存じない方のために、簡単に物語を説明します。
 ある日を境に熊本市を中心とするエリアで、死者が蘇り、帰宅するという現象が多発します。ゾンビのような状態ではなく、生前のままの姿で。亡くなった年齢で蘇るので、若くして世を去った父親より子どものほうが年齢が上ということもあり得ます。また、病死していても蘇ってきたときには健康な状態です。
 で、この現象が発生するのは熊本市を中心とした限定したエリアです。蘇った人々は、この地域から出ることができません。出た瞬間に消失し、再びエリア内のどこかに出現します。
 やっと行政が対応に乗り出す頃、巷では帰ってきた人たちのことを「黄泉がえり」と呼び始めるのです。
 「黄泉がえり」には、いくつかの条件があることがわかってきます。誰もが黄泉がえってこれるわけではありません。その死者のことを慕っていた人、愛していた人が存在すること。どうも人間の想いが死者を黄泉がえらせるようなのです。
 亡くなった人の形代(かたしろ)、遺髪、爪、へその緒、骨など体の一部も必要です。これらは、エリアの外から持ち込んでも大丈夫。
 黄泉がえった人たちは未知の宇宙生命体の触手にあたるのではないか、という仮説を唱える人たちが現れます。熊本市エリアの地下に溜まっていた地震エネルギーを餌にするために飛来した宇宙生命体が、人間の”想い”に反応した結果、この現象が起こったようなのです。
 そんな中、行政はどう対応したか。社会は、どのように反応したか。そして「黄泉がえり」を迎えた熊本の人々は、この事態をどう感じたか。いろいろな状況をシュミレートしてみた小説です。ですから、作者としては”泣けるホラー”はあまり意図していませんでした。
 映画化もされたので認知が広がりましたが、夕刊に連載されていたときから「黄泉がえり」は話題にされることが多かったと思います。空想ホラ話ですので、よりリアルに読んでいただこうと、新聞読者の方がよく知っている市役所やホテル、町名や施設名をそのまま出しています。それがうまくはまったのかな、と思います。
 最後、黄泉がえった人々は、地震災害から熊本を守るために自分たちを犠牲にして、皆消えてしまいました。ただ一人を除いて。
 さて、「黄泉がえり」の続編ですが、熊本日日新聞夕刊の紙面が刷新されることになり、そのタイミングに合わせて連載がスタートします。7月1日の土曜夕刊が第一回。
 17年ぶりです。
 「黄泉がえり」の続編を書くよと言ったら、皆、「また最後は黄泉がえった人たちがいなくなって終わりかよ」と。
 内緒です。
 17年という時間のの経過で熊本も変化しました。大きな地震も体験しています。当然、そんな背景で新しいエピソードを展開させるつもりです。
 同じパターンで展開するのなら続編を書く意味はありません。
 今回の「黄泉がえりagain(アゲイン)」では、黄泉がえりのレベルをパワーアップさせるつもりでいます。既に前作で行政は「黄泉がえり」の洗礼を受けていますし、震災対応も、危機管理学習もできているので、対応に右往左往する行政の描写は少なくなるでしょう。
 その分、エピソードごとの密度を高めていこうかなと考えています。
 また、再度、黄泉がえり現象が熊本で起こる必然性ですが、これが一番考えました。そして、なるほど納得できると思えるものが見つかったのです。これで、いける!漫画などで頭の上で電球が輝く場面がありますが、思いついたときの私は、きっとそんな気分だったのでしょうね。
 物語の中で黄泉がえりが発生し始めるのは、7月中旬過ぎあたりからと考えています。熊本市内は7月盂蘭盆をやる家が多いんですよ。黄泉がえり現象が始まるのはご先祖の霊が戻ってくる日というのが、一番スムーズかなあ、と思うのです。
 他にも、えっ、そんな「黄泉がえり」もアリなの?と驚かれるような現象も考えています。
 どうぞ、よろしくお願いします。
 そして、県外の方は、一冊にまとまる日をお楽しみに。

第151回 「ディ・トリッパー」出るよ

 こちらではお知らせしておりませんでしたが、四月に新刊が出ました。
「たゆたいエマノン」です。今回は長編ではなく五つの短編から成ります。ご存知とは思いますが、エマノンという美少女が主人公のシリーズです。三〇億年という地球生物の先端にいて、その記憶だけを代々引き継いでいる存在ですが、本書には、新しい趣向を取り入れました。
「おもいでエマノン」(新装版)に収録されている「あしびきディドリーム」に登場するヒカリというキャラクターです。エマノンと同じく美少女ですが、エマノンとは異なった特殊能力を持っています。
 ヒカリはアトランダムに時間を跳躍できるのです。
 実は「あしびきディドリーム」を書いていたら、ヒカリのことを考えるようになりました。エマノンも彼女ならではの苦悩を抱えているように、ヒカリもさまざまな疑問を持っているに違いないと。そして、エマノンとヒカリが実は親友だと設定した時点で、二人はこれまでどのように関わってきたか、と。すると、いくつものエピソードがするすると浮かび上がってきたのです。不思議なほど容易でした。
 エマノンは過去から未来へ悠久の時を旅していて、ヒカリはアトランダムに時をジャンプする。エマノンが縦糸ならヒカリは横糸になり、物語が一枚の布として織りあがっていくと言えばいいのかな。
 このヒカリが、五編中三篇に登場し、それぞれの作品を微妙にリンクさせています。
 ひょっとして、これからのエマノンにも登場するかなぁ、とぼんやり思ったりもします。
 そして今月も、新刊が出る予定です。
 キノ・ブックスから長編で「ディ・トリッパー」というタイトルなのですが。
 タイトルを聞かれて、おや?聞き覚えがあると思われた方。
 正解です。
 私も若い頃はビートルズが大好きだったのですよ。この曲も彼らが歌っていました。確か「恋を抱きしめよう」の裏面に入っていたはずです。曲も結構気に入ってました。
 その曲のタイトルを拝借いたしました。
<ぼく>が夢中になった女の子は<ぼく>をその気にさせただけの日帰り旅行者で片道切符の女の子だった。彼女が相手してくれたのは一晩だけ。
 みたいな歌詞ですね。記憶に間違いがなければ、ジョン・レノンの発言では、ドラッグでいっちゃってるのもディ・トリッパーの解釈でアリだということでしたよ。ヒッピー全盛期の時代だから。
 で、私の小説の中ではディ=時間をトリップ=旅行する機械というコジツケです。つまり、タイムマシンですね。
 ただ、これまでの小説に出てくるタイムマシンとは少し違います。私の小説の中には、クロノス・ジョウンターなるタイムマシンが登場します。過去の悲劇的な出来事を防ぐために跳んだりするのですが、よく考えると、過去の自分と飛んで行く自分と二重存在になるのです。これは大きな矛盾になるのですよね。
 しかし、ディ・トリッパーでは、この矛盾は解消されています。ヒッピーがグラスを喫ってトリップしたように、この小説の主人公の女性も過去にトリップします。ただし、彼女の心だけ。
 過去の自分の肉体に精神だけが飛び込むのです。それであれば、二重存在の心配がなくなるのでタイムパラドックスが発生する率も少ないというわけです。
 なぜ、彼女は過去にいきたいのかというと、彼女の夫の突然病死で、心が折れてしまっていたのです。
 夫を愛していた彼女は、もう一度、夫に会いたと願うのです。
 もう一度、夫と話したい。側にいたい。その願いを叶えるにはディ・トリッパーを使うしかない。
 しかし、ディ・トリッパーを使うには、守らねばならない約束がある……。
 そんな話です。
 ふっ、と思いついたタイトルなのですが、そう言えばビートルズの曲名をタイトルにした本はベストセラーが多いなあ、と気がつきました。
 偶然かな?すぐに、いくつかの本が頭に浮かびました。
 いいぞ。そういうジンクスがあるのなら、乗っかってみようじゃありませんか。うまくいけば……。
 いや、ひょっとしたらビートルズの曲名をつけてベストセラーにならなかった初めての本になったらいやだなあ。
 祈るしかありません。神さま、仏さま、ジョン・レノンさま。
 皆さま、よろしくお願いします。

第150回 きな子の顛末

 きな子というのは、わが家のメス猫。それが突然の失踪。二月二十八日のこと。
「きな子が昼過ぎからいないよ」と娘から夕食のときに聞いたのですが、そのときは深く考えませんでした。これまでも朝帰りすることはときどきありましたからね。
「そのうち帰ってくるんじゃないか?」と私は言っておりました。
 翌日、翌々日。孫まで「変だ!こんなに姿を見せなかったことないよ」と。そう言えば姿を見ない時間が長すぎる。きな子は不妊手術をしているから発情して駆け落ちしたわけでもないだろうし。心当たりの近所を捜しましたがやはりいません。
「近所の変質者がきな子を部屋に閉じ込めているんじゃないか?」「保健所と警察に届けておくべきだよ」
 それで失踪した日のことを家族で必死で思い出しました。わが家は今、建替え中で業者さんが入れ替わりにやってきます。そんな業者さんの軽トラックに乗っていて移動してしまったんじゃないか説が浮上。
「あの朝までは、いたんだから」きな子は好奇心の強い猫で、前にもトラックに飛び乗ったところを慌てて下ろしたことがあります。その日、午前中工事をしていた電気配線のトラックかも、と。娘が業者さんに連絡をとりました。西まわりバイパスから三号線で南下。そして次の工事現場の宇土へ。
 娘はパソコンで「きな子手配書」を作成。コピーして近くのコンビニや電柱、スーパーなどを回りました。
 それが失踪後一週間目ですか。私もツイッターとフェースブックで情報提供をお願いしました。皆さんに心配していただき、アドバイスをいただきました。全国津々浦々まで情報は拡散し、三千二百リツィートされています。それでも手がかりがなかったので、娘は地方新聞に猫捜しの広告を出したほどです。
 広告が有効だったのかどうかわかりませんが、電話は数件かかってきました。宇土の方から「うちの裏で、きな子~、きな子~って叫びよったのはおたくだろ?見つかるとよかな~」というお爺さん。娘は宇土まで捜しに行ったらしい。「西まわりバイパスで一昨日、よう似た猫ば見ましたばい」
 三月十日を過ぎると、さすがにもう駄目かも……と弱気になりましたが、「うちの猫は一年後に帰ってきました」というツイッターの励ましの書き込みを見ると、諦めちゃいけない、と。
 そして三月十三日の午前四時半。近くの花岡山に散歩に出かけました。私にとって花岡山へ行くのは日課のようなものです。最近は山頂にポケモンのジムがあるので、毎朝私のポケモンを散歩がてらに乗っけに行くのです。すると、山頂近くで、何かが走る。まさか、と思いました。ひょっとして。
「きな子!」と叫ぶと、影は立ち止まりました。続けて何度も叫ぶと走り寄ってくるじゃありませんか!!
 世の中に奇蹟があるなら、まさにこれだと思いました。足にまとわりつくきな子を抱き上げて、慌てて娘に電話して鳴き声を聞かせましたよ。
 急いで連れ帰ると家族は皆、外まで出迎えに!そして記念撮影。SNSでの報告。
 娘は捜索依頼書を、見つかりましたの報告書に差し替えました。「猫見つかりました!三月十三日午前四時半、花岡山にて発見しました!!父がたまたま早朝にポケモンGOをしに花岡山に行き、奇蹟の遭遇を果たしました!!協力していただいた皆さま、祈っていただいた皆さま、本当にありがとうございました!!」
 すると、ツィッターのリツィート、及び”いいね”は、なんと一万を突破。
 目を疑いました。その日の午後あたりから、仕事場の近くで声をかけられるようになりました。「猫ちゃんよかったですね」「きな子ちゃん、よかったですね。元気ですか?」「ラジオできな子ちゃんのことを言ってましたよ」知り合いだけではなく、見知らぬ人たちからも声をかけられて。
 それだけじゃない。遠くに住む親類から、「YAHOOニュースで見ました」「ねとらぼに真治おじさんの猫が出てる!」「MIXIニュースで知りました」
 もう何がなんだかわかりません。
 翌日、東京の編集の方とゲラのやり取りがあったのですが、「きな子ちゃんが見つかったそうですね。安心しました」とファックスに。
 日曜に花岡山山頂のポケモンジムを攻めていたら、見知らぬ方から突然声をかけられました。「ひょっとしたらカジオシンジさんですか?」なぜわかるんだあ!
 やっと落ち着いたかな、と思ったら極めつけが。
 中国のSF雑誌「科幻世界」さんから成城で開催されるSFイベントへのお招きが。そしてその招待状の末尾に「きな子、見つかって本当によかったですね」と。
 きな子!お前は世界的に有名になっているぞ!!!
 で、きな子は今どうしているかというと、いつものソファーの上で目を半ば閉じて眠そうに、騒ぎなどどこ吹く風といった表情です。
 ある日、突然にNASAから連絡が。
「太陽系外の、未知の超知性と覚しき存在から謎のメッセージが着信しました。解読分析を続けておりましたが、やっと判明しました。あなた宛のメッセージのようです。《キナコ・ノ・ハッケン・ヲ・シュクフクスル》おわかりでしょうか」と。
 んなこと、ないか。

第149回 あれから一年

 四月十六日で、あの熊本地震から一年を迎えるのですねぇ。
 あっという間だったような気もするし、永い永い時間を耐えてきたような気もするし。
 パニック映画ではよく目にしてきたような光景を実際に自分で体験してみると、これほど大変なことだとは思いませんでした。数ヶ月は極端に執筆量も減りました。今年度の確定申告をやろうとして、収入減に愕然としましたものね。我が家は半壊して仮住まいを。そして解体。
 周囲を見ていると、我が家の解体は早くやっていただいた方でしょうね。まだ、解体待ちのお宅がたくさんあるような気がします。私の仕事場は、熊本市の古町界隈にあるのですが、このあたりは戦災を免れた地域で古い町家も多い。だから、耐震性はまずありません。地震後、行政の調査があり建物の判定が行われました。緑色の紙が貼られれば安全ですが、古町はほとんど黄色と赤色。黄色は注意を要するもの、赤は危険。赤も「建物が傾き、全壊の恐れがあります」「屋根が落下する恐れがあります」でした。そんな建物が、今は殆ど消え去っています。次の建設にかかれず空き地のままになっているので、歩いてみると凄いです。あちらこちら歯が抜けたように空き地。
 あれっ。ここに建っていたのは黄色紙の家だったのに無くなっている、と思っていたらその家の方とばったり。「解体されたのですねぇ」と尋ねると「市役所の判定は半壊だったんです。でもね、修理の効く半壊と、とても住みようのない半壊があると思うんですよ。我が家は外見はそれほど酷いようには見えていなかったから半壊判定でしたが、内部はとても住めるものじゃなかったから。うちは住めない半壊」
 更地にはなったものの、次の家を建てる目処がつかないという方も多いことを知りました。
「地震保険に入っていたことは入っていたのですが、調査で半壊判定だと全額は出ない。半額しか出ない。火災保険の半額の半額。住めないんだから全額出してくれればいいのに。復興なんて夢の夢。若けりゃ返済能力あるからなんとか、と思うこともあるだろうけれど、この年齢だとねぇ」
「だから、いつまでも更地」と肩をすくめられました。そんなことを書いている私の仕事場の横でも解体が進行中。重機の音の中で仕事をしている気がします。
 歩いていると、震源地から遠く離れているのに更地が延々と続くことに気づきます。そこまでは何ら地震の影響を受けていないようなエリアが続いていたのに。何故か、突然に。つまり、そこを断層が走っていたということなのかな。被災の状況がひどいのは、震源地に近い位置だけに限ってはいないのです。
 それでも、震災から一ヶ月のインフラ壊滅からすれば、社会が正常なリズムを刻み始めたということは、よくわかります。震災地で生活する私たちも、世の中が元のリズムに戻っていくニュースを心待ちにしています。映画館が再開したと聞けば喜び、商業施設が販売を始めると知れば歓声を上げました。そして、熊本城の被害の甚大さには、泣きそうになってニュースを聞きました。
 JRも動かなかったし、すべての店が閉まっていた。道路も塞がれたし、橋も渡れなかった。水が出ない。電気も来ない。そして何よりも、闇の中で何度も襲ってきた余震。
 そんな話題は、最近は思い出したようにしか出なくなったみたい。そして、あのときの時間の経過は信じられぬほど速かった、と今になったら思えるのです。というよりむしろ、あれは現実のことだったのだろうかと思ってしまうのですねぇ。
 さて、私は熊本市の中央区と西区の境に住んでいるのですが、今でも熊本は不定期に地震が続いています。しかし、最近は一年前の益城や南阿蘇の震源ではなく、熊本市西区というのが多いのです。
 これは、私にとって不安なことではあります。地下の歪みは今、我が家の下あたりに移動してきているのではなかしら、と。
 一年を迎えて、ほっと出来ている方は熊本には皆無だと思いますよ。誰もが大きい小さいはあるでしょうが、心的外傷後ストレス障害を受けてしまっているのですから。余震は、これからも数年起こり続ける可能性が言われていますし。だから、こんな不安は当然でしょう。しかし、私は熊本が好きだから、何が起こっても受け入れるんだろうな、と思います。
 よく大絶滅のことを考えます。
 地球は生命が発生してから五回の大絶滅を体験しているのです。ほぼ二六〇〇万年毎に。そして一掴みの種が生き残り、繁栄し進化するということを繰り返している。
 もし、次の大絶滅があれば原因は何であれ人間はいなくなるでしょう。
 受け入れるしかないではありませんか。その前にも、いくつもの人間という種の破滅の機会はあるでしょう。
 そんなことを考えたら、余震の不安よりも、今何が出来るかを考えて生きたいものですよ。
 次の一年で、より復興が進むように。

第148回 桜三月夢見月

 早いものですね。あっという間に三月を迎えます。
 三月と聞くと、昔から私は「夢見月かぁ」と思ってしまいます。三月は弥生というんですが、別の呼び方で花見月とか夢見月とも言います。三月には桜も咲き始めるのですが、桜のことを夢見草とも言っていたので、夢見月という言い方が生まれたのだそうです。
 夢見月という名はわたし的には大好きです。ロマンを感じますよね。三月というと、慌ただしそうだなぁ、と焦立ちさえ感じるのですが、夢見月というとホンワカした長閑な気分になってくる。
 春眠暁を覚えず、とも言うではありませんか。春になると、どれだけ眠っても寝足りない気分になりますよね。夢見月って、てっきりそんなところから来た言い方なのかなとボンヤリ思っていましたが違っていました。
 四月は日本では新年度ということで、新入学、新入社、はたまた異動で新しい赴任地へ、という節目の月だと思います。そんな時期に入る前の月として、誰もが新しい環境に希望を膨らませ、理想を夢見る時期だからとも解釈したことがあったのですが、それも違うだろうという気分。
 単純に、夢を見る月だから夢見がいい月で、夢見月と考えたほうが楽しいな。
 といっても、夢にも、見たい夢と見たくない悪夢があったりします。できたら楽しい夢やら、会いたかった人と一緒に過ごせる夢がいいですよね。
 最近、スマートフォンのアプリで「見たい夢が見れる」というものがあることを知りました。どうやるかというと、アプリに見たい夢のメニューがあり、そこから自分の見たい夢を選んで起床時間を指定し、スマートフォンを枕元に置いて寝るんだそうです。するとスマートフォンが睡眠状態を検知して、選んだ夢にちなんだ音声を流すとのこと。
 本当に見れるんだろうか?
 私の見たい夢は恥ずかしい夢だから、メニューには載っていない気がするなあ。もご、もご。
 どこまで覚醒していて、どこから眠っているのか、境のわからないことがよくあります。若い頃は、身体が疲れていて夢も見ないで熟睡していたということもありましたが、最近は、「眠れないようなぁ」と自分では目を覚ましているつもりで、どうしてこうも眠れないんだろうなぁと愚痴っていると、突然に目覚まし時計が鳴り出して、「ハッ!」起きていると思っていたのに夢だったのか、と愕然とすることがあります。もっといい夢ならいいのに。
 眠れない、と苦しんでいる夢なんて、凄く損した気になりますよね。これは境の分からない夢の例。
 逆に、何やら吉報が次々に舞い込んで来る夢とか、松茸の大群生を見つけて狂喜乱舞する夢とか。オードリー・ヘップバーンが若いまま会いに来てくれて、流暢な日本語で話しかけてくれるとか。目が覚めたとき、なんだ夢かよとわかって悔しですが、こんな夢は「なんだ夢かよ」だったとしても、いつまでも覚えています。夢でもいい。体験した記憶は残るから。
 で、ときどき、ああ夢を見ている、これは夢なんだ。今自分は眠っているんだなぁ、とわかることがあります。
 夢には色がない。天然色の夢を見る人間は狂っていると、親類の精神科医に言われたことがあるのですが、こんなときは夢の色はモノクロではなくカラーですね。
 明晰夢(めいせきむ)と言うのだそうです。この夢を見ているとき、これは夢なんだから、せっかく夢に出てきたんだから、夢の中の出来事は誰にも咎められない、と考えている自分がいる事に気づきます。
 実は私は禁煙して十年近くになりますが、今でもタバコを吸おうとしている夢を見ます。これは夢なんだが、きっと潜在意識下ではタバコを吸いたがっているからこんな夢を見るんだろうな、と。で、夢なんだから吸ってもいいんじゃないか。そう考えていると、誰かが火の着いたタバコを手渡してくれる。それを口許に持っていくとタバコの匂いがはっきりする。夢なのに。
 そして、咥えようとした瞬間。
 目が覚めるのです。
 夢であろうと、タバコを吸ってはいけない、と自己規制が働くのでしょうね。よほど私は本質がクソ真面目にできているというか。
 明晰夢を見る方法を掘り下げていくと、もっとバリエーションに富んだ自由な夢を体験させてくれる技術が開発されるような気がします。そしたら、夢オチも、もっと複雑な話でアリ、ということになる気もしますし、夢見屋という職業ができたらやってみたいものです。
 夢見月ですから夢みたいなことでご勘弁を。