第31回「恩を仇で返される」

数週間前のできごと。
夕方、煮詰まってしまった仕事。鼻と唇の間にシャープペンシルを挟み、ああでもない、こうでもないと沈思黙考状態。
そんなとき、通りを一台の車が走る。マイクで叫びながら。
広報車だ。
「血が不足しています。皆さまの献血のご協力をよろしくお願いします」と。
煮詰まっていてもしかたがない。気分転換に善行を施しに行くかと、指定の献血場所へ。
私は血管が細いらしい。
かわいいお姉さんが私の担当になったのだが、検査採血の段階で、うまくできないのだ。
かわいいお姉さんが「すみません。お願いします」と他に助けを求めて叫ぶ。
すると、意にそわないオバちゃんが採血してくれることに。
その後に血圧を測ってくれたのだが、「高くなってますね。でも、献血は大丈夫です」と言われる。
意にそわないオバちゃんでなく、かわいいお姉さんだったら、そんな血圧ではなかったろうにと思う。
話していて、その時期は血が不足すると聞かされる。
二〇〇CCと思ったら四〇〇CCをすすめられる。気が小さい私は断れない。
血を抜かれながら、おれの血は誰にいくのだろうと、夢想する。願わくば、難病にかかった、いたいけな美少女の女子高生の体内に入って頂ければと、強く思う。

月日は流れる。それからしばらく経ち、献血のことも忘れ去った、ある日。
仕事場から帰宅し、食卓について驚く。
まるで、病院食みたいな夕食が目の前にある。驚き、呆れる。
な・なんだ、今日の晩飯は‥‥。
その横に一枚の葉書が。献血のお礼の葉書だ。
開いてある。家人が勝手に開封したらしい。
「なんですか!このコレステロール値は?」
ギクッ。
反論できない。
その葉書には血液検査の結果も記してあるのだ。
チッ。余計な真似しやがって、と舌打ちする。
あわてて数値をチェックする。
たしかにコレステロール値が上がっている。だが、許容範囲内であることがわかる。
胸を撫でおろす。やっと口応えする余裕が生まれる。
「標準の範囲でしょう」
「コレステロール値が二〇〇超えたら、廃人一歩手前です」
竹槍を出したら、重爆撃で反撃された。
ひどい言われようだ。私が廃人なら知り合いはゾンビだらけだ。
なんで、おれだけに!!
しばらくは病院食みたいなのが続くらしい。
くそっ!献血車。恩を仇で返しやがって!
「あのー。お酒‥‥」
「今日のカロリーは、それで十分ですっ」
シュン。

第30回「九州国立博物館へ行く」

だいたい、私は、熊本でいう「わさもん」である。新しいものがあれば、すぐ興味が湧く。「わさもん」というのは、好奇心が強い人と言えばよいのだろうか・穴があれば覗きたがる。紐があれば引っ張ってみたくなる。
だから、太宰府に九州国立博物館ができたと聞いて、一刻も早く行ってみたいという思いで、うずうずしていたのだ。
その機会がやっと巡ってきた。
わくわくである。太宰府天満宮に隣接した位置にあることも確認した。よし、帰りしなには、出来たて熱々の梅ヶ枝餅を食べるぞと、心に固く誓う。
行ったのは、平日である。土曜や日祭日では、混雑するのではないかと予想したからだ。ところがどっこい、平日でも相当な人出である。これが日曜だったら、どんなことになっているのかと想像すると恐くなる。
緑の中を抜けて正門に至る。どでかい。建物を目の前にしただけで迫力を感じる。サッカー場一つがすっぽり中に収まる広さだと知って、なるほどと思う。
入るとエントランスホール。広さもだが、天井まで吹き抜けの空間に圧倒される。しばらくエントランスで、ぼーっと佇む。
我に還ってチケットを買い、特別展示室へ。
こは、テーマ毎に五つのエリアに分かれていた。その五つのエリアそれぞれにの奥にも、関連した展示室が設けてある。それぞれに見応えがある。どのエリアから見てもいいように、順路は設けられていない。好き勝手に見なさいという感じである。
旧石器から縄文時代のエリアから見物を始めた。まず、話や写真のみでしか見たことのなかった火焔土器や遮光器土偶に初めて出会う。嬉しかった。これだけで、ご飯三杯いけるようなほど食い入るように眺める。これらの土器は東北の方だから、九州ではなかなか見る機会がないんだよなぁ。これが見れただけで、やって来た甲斐があるってものだ。トンデモ学説の連中が、遮光器土偶を見て「宇宙人は地球に来ていた!」と叫べたがるのも納得でありました。
すると、その横にシアターがある。中に入ると、全編CGの迫力映像が。
なんと、九万年前の阿蘇山大爆発を見せてくれるというんですよ。
現在の阿蘇は、外輪山だけを残して中央部は陥没したような地形になっている。それは、古代の大爆発のためで、本来は富士山に匹敵するほどの霊峰だったと、よく聞かされたものだった。
その霊峰、阿蘇山が消失するところを見せてくれるというから、興奮であります。
九州の中央の阿蘇山がアップになり、あっけなく大爆発。
それからが凄い。阿蘇山から噴き出した火砕流が、すさまじい勢いで四方に溢れ流れ出す。
私が住んでいる熊本市は、画面上では、次の瞬間、全滅しているにちがいないと思えます。ま、九万年前だからいいけれど。その火砕流は太宰府あたりも一呑み。想像がつかん。
一つのエリアを見るだけで四〇分以上もかけたことが判明。それでも、ゆっくりと見てまわって堪能しましたヨ。
でも、展示物を見ながら感じたことが一つ。
文字は不利だ!!
価値のある古文書も展示されているのだが、正直言って、私の目が奪われるのは、埴輪や石仏やら。
古文書にも貴重な情報が記されていることはわかるのだが、どうしても展示品の中では地味である!……しかも、読めない。
ううむ、もの書きの私が、これでいいのか……と、ちょっとショックでありました。

第29回「県民の敵」

タクシーに乗るたびに、運転手さんが言う。
「勝ちますかねぇ」
エッ、何が?
高校野球のことだとわかる。
さぁ?と答える。熊本からどこの高校が出場していたのかも、まったく知らないのに。
私は、スポーツはまったく興味がない。加えてスポーツ音痴である。
次のタクシーに乗る。
運転手さんが嬉々として言う。
「○○高校(地元)が××に勝ちましたヨ」
よく意味がわからずに、私は、「ハァ?」と答える。
すると、運転手さんは、不思議な生きものを見るような目で、バックミラーをのぞき、私を見る。
何がいけないんだよ。おれ、常識が欠けているのか?
高校野球の話題ができないと、県民の敵ということになるのだろうか?
これでは、いけないのではないか……。

その日も、熊本代表の試合があるらしいことを、朝からネットで知る。
よし、会話想定文をこさえよう。これで、県民の敵と後ろ指を指されることはないはずだ。
その日の夜は、編集さんとの打ち合わせだった。
深夜の帰宅です。
タクシーに乗る。
不思議にも、その運転手さん、高校野球の話題をふってこない。
どうしたのだろう?例外なく運転手さんは高校野球の話を始めるのに。
中には希に、私と同じようにスポーツにまったく興味のない運転手さんというのも存在するのだろうか?
あれほど、学習したのに。
運転手さんとの会話想定文も考えたのに。
熊本代表は△△高校である。まちがいないはずだ。
左門豊作の熊本農林高校とまちがえなければ、大丈夫のはずだが。
おかしいなぁ。黙っているぞ。
直感でわかる。このタイプの運転手さんは高校野球好きのはずなのだ。
間違いなく!
よせばいいのに、私から話をふってしまう。
「あっ、今日は熊本△△高校の試合はどうだったんでしょうね。たしか、今日勝てば、ベスト8進出のはずでしたよね」
しばらく沈黙。
その後、運転手さんが低い声で、
「負けましたよ」」
また、沈黙。
そんなことも知らないのかというように。
ひえええぇぇぇ。(自爆)

第28回「これも取材だ!」

書いている話が、幻想的なもの、現実離れしたものが多いので、よく「取材しなくても、頭の中で話を組み立てて書いてしまうんでしょう?」と言われれますが、そうではありません。
メインになるアイデアが荒唐無稽な法螺話が多いものですから、読んでいてハナっから「嘘だろう。ありえねぇ」と言われないように、ディテールについては、できるだけ嘘のない描写をしたいと心がけています。
大きな嘘をつくためには、小さな部分はできるだけホントらしく。
以前のように徹頭徹尾、舞台が宇宙という設定であれば、図書館の調べものだけで済ませることができるのですが、今は傾向として時代設定を”現在”とすることが多いので、知らない環境や場所を描いたり、あまり縁のないお仕事を知りたいなと考えたら、こりゃ、もう、取材するしかないわけです。
「黄泉がえり」のときも、いろんな方に取材しまくりました。
新聞記者の方に会って、「このような状況だったら、どういう社会反応が考えられますか?」とお訊ねして、自分が考えている社会反応を話し、見解を頂いたり。市役所の職員の方にも、「死者が生き返ってきたとき、申請のやり方はどうなりますか?」と質問したり。
最初は、そんな質問に呆れかえられました。
「そんなことは、ありえないでしょう」
「もし、ありえたらと仮定してのお話なのですが」
「でも、ありえませんよねぇー」
それでも、いろいろと質問の形を変えたりしつつ、取材を進めます。たぶん、そんな戸惑いも、「使える!」と思ったら作品の中で活かしました。
三十代になったくらいの女性たちのモノの考え方が描写で必要になると、それも取材です。知り合いに、いろんな職業の、いろんなタイプの女性を集めて頂き、本音を聞かせてくださいと、用意した質問をぶつけます。
こんなときは、かなり楽しい。
自分の顔がヒヒ爺の笑いになっていないかだけが心配です。
お医者さんの取材も多いなぁ。登場人物の一人が難病という設定にすると、架空の病名であれ、治療法に嘘があってはいけないから。
で、こういうことで、取材費は、よくかかります。お話は、素面でうかがうよりも、一杯飲みながらだと、とんでもない方向にジャンプして、思いもよらぬ収穫が得られる確率が高くなります。本音も、ぽんぽん飛び出し始めますし。
でも、協力して頂いた方の中には、立場上協力して頂いたことを明かしてはならない方もいるんです。そういうときは、取材費の領収書には書き込めません。
で、一番最近の取材はパチンコ屋さん。
長編の登場人物の一人が、パチンコ依存症という設定で、パチンコ屋を訪れるとこを書こうとしたのですが……。
私は、パチンコをやらないので、店内の様子がよくわからない。よくわからないと、書けない。
こりゃあ、行ってみるしかないか。登場人物が入店するのと同じ時刻に入ってみました。
ひえぇぇぇ。すごい。凄まじい音量とタバコの煙。やはり、来てみないと雰囲気はわかりませんでした。
しかし、平日の昼間というのに、この人たちは!おばちゃんが、こんなに多いとは!
自分でも、パチンコをやってみないとわからない。しかし、玉の買い方がわからない。
台の横で販売機を見つけたのですが……えーと、これ取材なんだよ。お店の人に尋ねました。
「あのー、領収書を出して頂けますか」
お店の人、私の顔を見て、ホント不思議そうな顔で答えました。

第27回「軟弱山歩き」

ホント、子供の頃から病弱で、幼稚園に入るころまでは、週のうち五日は布団の中にいるという有様だった。だからかもしれないが、運動神経が未発達のまま就学してしまい、小学校の体育の通信簿は、いつもアヒル。つまり「2」。
ドッジボールを投げても数メートルしか飛ばず、敵にボールを与えてしまい、味方のブーイングを浴びる。ルールも知らないから、野球で左利きはなぜ三塁に走らないのかと疑問が解けない。逆上がりは足も上がらない。これで、よくイジメにあわなかったものだと不思議に思う。
球を使った競技は、精神衛生上よろしくない、と今でも興味がない。ほとんどの球技は、野球やらテニスやらピンポンやら、相手がとれない球を放つことが基本である。そんな競技をやっていたら、素直になれない。根性が意地悪くなってくる、イヤな性格になるとしか思えないのだ。そんな競技は、絶対にやらない。

そう自分に言い聞かせているが…。
だから、運動らしき運動は何もできない。で、かろうじてやるのは……歩くこと。
これは、できる。だから、できることをやる。
でも、町の中を歩いていても楽しくないので、山を歩く。
ただ、ひたすらマイペースで歩く。
人と競わなくていいから、楽である。何時までに目標を達成しなきゃと、自分を奮い立たせる必要はないから、のんびりぷらぷら「今日は、このくらいで引き返すか」」という気分で歩き続ける。気が向いたときに、気が向いた場所まで歩くのだ。
山頂を必ずや制覇しなければならないといった強迫観念もまったくない。
山では歩いていての寄り道が、楽しい。
名もわからない、小さくてもきれいな花をじっと見ていたり、山道で思わぬ山菜類を発見して、それからの行程を中止したり。
あまり気持ちのいい気候なら、木陰でのお昼寝で時間を潰すのも十分にアリである。
同じオイルサーディンの缶詰でも、下界の部屋の中で食べるのと、山の上で採ったばかりのキノコとごったに炒めて食べるのでは、味にも雲泥の差がある。
だから、山とは私にとっては「気持ちよくなるための場所」なのである。
つまり言い替えるなら、気持ちよくなれそうもないコンディションのときは、山を歩かない、そしてさっさと下る、が信条である。
急に雨が降り出したときのために、防水着を持ってはいるが、これは、あくまで緊急避難用。
降り出したら、さっさと下山するね。
スタートも、登山口に着いた途端に雨が降り出したら、登るのをやめる。車の中から、防水着を付けて登っていく人を見ると、「ホォ。物好きな!」という感想しか出てこない。雨の山頂で食べる食事ほど惨めなものはない、と知っているからである。
根性がないと言われるかもしれないが、そんな根性はなくてケッコーである。こちらは、“軟弱山歩き宣言”をしているのであるからして。
山頂で日なたぼっこ。のんびりしていると、若者が早足で駆け登ってくる。
山頂で声高に叫ぶ。「おー。一時間十分で登頂したぞ!」と。
それを聞いて、山にはいろんな楽しみ方があるのだと思う。どうもこの若者は、山頂までの時間を短縮することが山の楽しみと心得ているらしい。でも、私からすれば、バーカという楽しみ方かなと思う。そんなに速く登って、楽しむべきところを見逃しているに違いない。
雪山?
ええ、登りますよ。きれいだから。でも、膝より深くなったら、下山しますが、何か?

第26回「つらもたず」

ブログの紹介でおわかりのとおり、私の首から上の写真がありません。
どーして、顔を出さないのですかと、よく訊ねられるんです。
「えー、顔を撮られると、魂を吸いとられてしまうのですよ」
そう答えることもあります。
「実は、私の信仰している宗教で、写真で顔を晒すことは、深く禁じられているのですよ。どんな宗教かって?それは聞かないでください」
しらじらしい顔で、そう答えたり。
ま、そのときの気分で、答えることはコロコロ変わります。
基本的に、自分の顔が好きではありません。
自分が嫌いなものを人前に晒すことは、犯罪だと思っています。
誰が、ノートルダム寺院のカジモドみたいな顔を喜んでみてくれるでしょう。
乱杭歯で皺だらけの卑しい笑いを浮かべる男を見せても、著書の売り上げに結びつかないはずです。
ましてや、ある作風で小説を書くときには、リリシズム溢れる印象を与えるように思いめぐらせています。
ところが、私は、リリカルとは縁遠い顔をしているのです。
読者が作者に抱くイメージを破壊してはいけない!真剣にそう思います。だったら顔を見せるべきでない!
おかげで、テレビにも出演しません。カジシンCINEMEMAでは、人形たちに代わりに出演して頂いています。
結果的に、私のところへ回ってきたかもしれない仕事(割と、エッセイ系の場合)が、キャンセルになってしまうことも多いですね。顔写真とセットという注文だったりすると、てきめんです。
「えっ。このシリーズは、筆者の顔を文と一緒に大きく写真で出すんです。そうなんですか?困りましたねぇ。どうしても駄目なんです?今回だけ特別というわけにはいきませんか?」
一つのところだけOKを出してしまうと、その後、頼まれたときに断れなくなってしまいます。
「なんで、あそこだけ写真がよくて、ウチの方は駄目なんですかねぇ」
そう言われるのが、目に見えています。だから仕事が消えても、写真お断りで通すことにしています。
「どうしても写真だめなんですか?」
「ええ。代わりに百鬼丸に描いてもらってる似顔絵を出していただくことにしていますが。それではいけませんか?」
さわりがないように、そのような代替案もちゃんと呈示します。
百鬼丸はイラストレーターの薬剤師さんで、もうかれこれ二十数年コンビを組んでいます。私のイメージは百鬼丸の二等身の似顔絵だという方もたくさんいらっしゃいます。
で、相手の注文先の担当さんは、そこで、
「では内部で、もう一度検討してご連絡することにいたします」ということになります。
これで八割方、次の連絡は入ってきません。それは、それで、かまいません。
熊本弁で「つらもたず」という表現があります。私が、そうなのだろうなぁと思います。標準語に直訳すれば、「シャイ」とか「恥ずかしがりや」にニュアンスに近いが、完全に同じというわけではありません。「ひきこもり」のニュアンスもちょっぴり入っているかなぁ。
分析してみました。
一番の恐怖は、これでしょう。
自分の顔写真を公表したとき。
「自分は相手のことを知らないのに、相手は自分のことを知っている」
これは怖い。芸能人やらテレビに顔を出しておられる方は、日常茶飯事で何とも思っておられないかもしれないが…すごいなぁ、と尊敬してしまいます。
私には、そんな度胸はありません。
「あっ、車が来ないから、赤信号でも走って渡っちまおう」
なんてこと、やってたら「ああ、作家の梶尾さんが、信号無視して渡ってるワ!」と後ろ指を指されるのも厭だなぁと、思うのです。
自意識過剰なのかもしれませんが、そんなわけで、顔を見せませんので、勝手にご想像いただければ幸いです。
あ、もう一つ言い訳を思いついた。
「誘拐されたくはありませーん!」

第25回「楽しいことランキング」

原稿を、ちまちま書いているというのは、ストレスが溜まるものなのです。
ゴールはずいぶんと先で、しかも、自分で書いていることが読者の方から見て面白いのかどうかもよくわからない。迷いに迷いながら原稿の枡目を埋めていく。
これが、歌手や演奏家や演劇の方だったら、目の前で観客の方々から即、反応を得られるのに……エエなぁ……と思ったり。
書き上げても読者の方から反応がすぐにあるわけではなし。ウツウツと仕事をします。
で、極限まで、ウツウツが来ちまったら、楽しいことを考えようとするわけです。
だから、この仕事をやっていての楽しいランキングを書いておこうかな。
では、
「モノ書きやっていて、楽しいことランキング」

■第十位 長編の書き出し二十枚目
やっと、物語が始まるかなというところ。書きたいことが、書き出せるあたりです。
別に楽しくはありません
■第九位 電話で執筆依頼が入る
ま、これからの苦労の前奏なのですが、私は脳天気なので、注文を受けているときは、
いかにも天才が大傑作を書きます!といった応対をしています
■第八位 クライマックスを執筆しているとき
ああ、これで解放される!という思いと、脳内にエンドルフィンが分泌されたような多幸状態で
あります。ま、これくらいの勢いでないと、おかしくって書き上げられません
■第七位 原稿料・印税が振り込まれたとき
これは、言わずもがなでしょう。嬉しくないやつが、どこにいる
■第六位 増刷のお知らせ
こんなに嬉しいお知らせがあるでしょうか?だって、働かなくても入ってくるんですよ。
不肖の息子が旅に出て仕送りしてくれたような気分になります
■第五位 自分の原稿が一冊の本になったとき
これは、初めて本を出したときから、ずっと私にとって変わらない嬉しいことです。
しばらくは、自分の本を仏壇にあげておくほどです
■第四位 長編を脱稿したとき
このときのお酒は本当においしい。町内を駆け回りたくなるほどです。ただし、虚脱感に
襲われて、しばらく何もできない状態になることも、しばしばですが
■第三位 完成して、担当編集さんと打ち上げ!
このときは、売れるか売れないかは未知数ですが、とにかく発売日を前に、気分が高揚
しています。あまり、後ろ向きな考えをしない性格なので、とことん楽しみます
■第二位 ファンの方から、お褒めの言葉を頂いたとき
編集部気付でそんなお手紙を貰ったりすると、やはり喜んでしまいます。何よりも、ファンの
方の「おもしろかった」の一言は、心の支えです
■第一位 ノーベル賞を貰って、出す本ことごとくベストセラー!
地中海で美女を侍らせて、うまい酒を飲む
これは、まだ実現しておりませんが……。まぁ、例によってたわけの妄想という風にお考え頂けれ
ばと思います

と、読み直してみたら、何となく自分で情けなくなってしまったぞ。
次は嫌なことランキングかと考えたら……これはベスト30でも書き尽くせないのですよ。
こちらは、書いていたら、どん底まで落ち込んでしまうな!

第24回「時を超える話」

10月に新刊「つばき、時跳び」(平凡社)を出しました。私が今まで書いたタイムトラベルものでは、一番長い物語です。
現代の若者のところへ、幕末に生きる女性つばきが突然現れます。それから二人は恋に落ちるのですが、彼女は元の幕末の時代に引き戻されてしまいます。何とか彼女に会いたい若者は、つばきが現代に現れた法則を探って過去への旅行を試みる・・・。
そんな物語で、この後いろんな出来事が待ち受けるという仕掛けになっています。
この物語は、二年と少しをかけて書いた話ですが、十分に楽しんで書けたなぁと考えています。
舞台が想像しやすいように、熊本を選びました。だから、幕末を熊本で生きた生き人形師の松本喜三郎や、思想家横井小楠などもエピソードで使いました。
楽しんで書けたというのには、理由があります。
私は、時間を超える話が大好きなのです。それも、過去に旅する話が。
人には、絶対に克服できないものがいくつか存在しますが、その一つが「時間」です。時は過去から未来へと大きな川の流れのように進んでいきます。決して逆流することはありません。
だから、時の流れの中で生きる人々は、過去を後悔し、過去のおもいでに浸りながら生きていくのです。
もし、時を超える方法があれば、やり直したいこと、心の中でわだかまっていることを修正するために旅立つかも知れません。
ただ、因果の問題があります。過去の出来事を変化させれば、その変化がさまざまな出来事に影響を与え、現在が変化してしまう可能性が出てきます。これをタイムパラドクスというのですが、上手くかいくぐらないと、大変なことが起こるわけで、そこで、新たな物語が生まれてくるわけです。
これまでも、私は「クロノス・ジョウンターの伝説」のシリーズや「未来のおもいで」などの時間ものを書いてきましたが、物語を語る原稿枚数の関係で、プロット先行の語りになっていたという反省をしていました。
今度、時間ものを書くときは、過去の女性と現代の男性が、ゆったりと心を触れあわせるような描写をやって、まったり話を進めていきたい。
タイムパラドックスの問題はとりあえず置いといて。そんなことを、考えていました。
ヒントを与えてくれたのは、私が住んでいる古い家です。
幕末からあるという、我が家「百椿庵」に私が住み始めたのは、幼稚園の頃からです細川家の家来の家だったものを祖父が買い取って住むようになったのです。
子供の頃は、その古い家は不気味に感じられました。祖母や母は、女の幽霊を目撃したことを日常のように語っていました。
もし、この古い日本家屋が「時を超える装置」だったら。その目撃される女の幽霊が、過去の女性だったら。
それが、今回の長編を書いてみようという動機づけになったわけです。
現在は、台風十九号の後、家を大改修してからは、女の幽霊が目撃されることはなくなりましたが、結果的には、私に(遭ったことはありませんが)モチーフを与えてくれたことになります。
ですから、書き上がったお話に出てくる家屋の構造は、全く我が家と同じ構造で描いています。その点で言えば小説に登場する「百椿庵」には、全く嘘がないなと、考えてしまいます。
もし、皆さんが、「つばき、時跳び」を手に取られることがあれば、そのような点にも注意して読んで頂ければ、著者としては嬉しいのですが。

第23回「たわけの食卓」

これは珍味!という食べ物で何を連想しますか?
フォアグラ、トリュフ、からすみ、フカヒレ、熊の手、‥‥といろいろ思いつくのですが、私的に真っ先に思いつくのが、‥‥キャビアです。
初めて食べたのは、飛行機の中。で、エコノミークラスでヨーロッパへ飛んでいこうというとき、なぜか私の席に先客が。ダブルブッキングだったのです。それで、スッチーに案内されたのが、“ファーストクラス”。そこでは、さまざまな無料サービスが受けられて王様気分になれるのですが、食前に出されたのが、キャビアだったのです。
真っ黒で小さな粒々。薄切りパンの上に微塵切りした茹で卵とオニオンを乗せ、キャビアをこってりと盛り、レモンをちょいとかけていただきました。飲み物はシャンパンです。いやぁ、うまかった。
こうしてキャビアは、私の好ましいおもいでの一つとして脳裏にしまい込まれました。

その後、高級食材店などで販売されているキャビアを見たりもしたのですが、あまりの高額な値札に圧倒されて、とても手が出なかったのです。一瓶が一万円!!
でも、キャビアに関する知識は、それから徐々に私の中で蓄積されていきました。キャビアはチョウザメの卵であること。カスピ海が産地であること‥‥ああ、もう一度心ゆくまでキャビアを食べてみたい。
さて、数十年が経過して、奇跡が起こりました。
モンゴルから帰国された方が、キャビアを持ち帰ったから、食べてくださいと。なんでもモンゴルではキャビアが安価で手にはいるらしい。だから、ドカーンと購入されて!
行きつけの店で何人かで食してみました。うわぁ、とにかく食べきれないほどのキャビアです。
まず、スプーンですくって食べる。うまい。この味、この味。なんと数十年前のファーストクラスの頃にタイムトリップ。正統なキャビアの味わい方です。
よく見ると、黒に近い濃緑色。しかも粒が大きい。上物なのであります。
誰かが「キャビアで茶漬けをやってみよう。本で読んだことあるから」と言い出しました。
「こんなときじゃないと、やれない」
炊きたてのご飯の上に、キャビアをてんこ盛りしてお茶をかけます。「もっとキャビアを足さないと淋しいかな」キャビアを足します。
うまい!キャビアの茶漬けがうまいというのは真実だった。黙々とかきこみました。
でも‥‥、箸を置いて思いました。これって値段をつけるとすれば、いくらかかるのだろう。一万円の茶漬け?
ところが、まだ、キャビアがあるんです。
「オムレツにしよう」
半熟状のプレーンオムレツの中に、またしてもキャビアをてんこ盛り。うわぁ、絶品だぁ、珍味だぁ。ベロがバチあたり。
皆、会話もなくホムホム食べました。こんなオムレツ、これから一生食えないだろうなと考えながら。
それでも、まだ、あるんです。
「よし、もっと、たわけた食べ方をしよう」
まだ、炊きたてのご飯があります。それでおにぎりを作る!しかも中味はたっぷりのキャビア。贅沢この上なしです。
これも。珍味。でした!!!
「いくらのおにぎりよりウマイ」と誰かが。
とにかく、キャビアだけで満腹した初めての体験でした。まさに、バチあたりのたわけの宴です。真剣に、終末が来そうな気がしたほどです。至福。

第22回「エマノンのこと」

昔は、短編SFばかり書いていました。というのも、他にも仕事を持っていて執筆時間が限定されていたから、そうせざるを得なかったのです。早朝5時くらいから6時半まで毎日、3枚前後を書いて出社するという繰り返しです。仕事で夜が遅くなると、当然、翌日の執筆にも影響が出ます。そういうことで月に60枚くらいの執筆量でした。私もせっかちで移り気なので、月に1作生産で、翌月には、全く印象の異なる話を書きたくなるのです。
そんな執筆ペースの中で、あるとき思いついたのが、<地球に生命が発生して以来の記憶を全て受け継いでいく人>というアイデアです。それで書いたのが「おもいでエマノン」という50枚ほどの短編です。生まれた女性に世代の記憶が次々に積み増やされていきます。だから、40数億年分の原生動物だった世代からの進化の流れを全て体験し、記憶している女性という設定です。これは、書いていてかなり辛い設定だなと、感じてしまいました。エマノンという女性の名前は、ノーネームの逆さ綴りからとりました。

この作品はSFアドベンチャーという雑誌に掲載されましたが、編集さんからめちゃくちゃ気に入って頂いたのです。あんなキャラクターは、絶対読者の共感を得るから、シリーズになりませんか?と。
私は、おだてに弱い人間なので、いい気になって「ああ、いいですよ。やってみましょう」と安請け合いをしてしまいました。
それから、エマノンシリーズがスタートしたというわけです。
シリーズというとマンネリとすぐ連想してしまう自分がいるので、物語のフォーマットは、決めない、‥‥というより、毎回変えてしまおうとだけは決意しました。でも、第1作で描写したエマノンのイメージだけは踏襲していこうと。
長く伸びた黒髪。異国風の顔立ちで、少々そばかすあり。口には両切りのタバコを咥えている。洗いざらしのジーンズと粗編みの白っぽいセーターを身につけている。荷物は、でっかいE・Nのイニシャルのついたナップサックをひとつだけ。
評判が良かったので、その時期10作以上を書いたのかな。その作品は連作集「おもいでエマノン」「さすらいエマノン」となりました。それで、一応、私の中ではエマノンはピリオドを打ったつもりでいたのですが。
それから、10数年の時が流れて、21世紀に入ろうかという年に、またしても。
「エマノンの新作を書いてくださいませんか」
もう、何もエマノンに関してはアイデアはありませんとお断りしましたが、結局、おだてられて木に登って‥‥エマノンの新作を書いてしまいました。その作品が星雲賞を頂き、いい気になって「かりそめエマノン」「まろうどエマノン」という中編を出してしまうことに。
さて、エマノンの縁は、まだ続きます。
最近のイラストは、鶴田謙二さんが描いておられます。この方、エマノンにすごい惚れ込んで頂き、とても魅力的に描いて頂くのです。
そんな鶴田さんの画で、9月にエマノンがコミック化されます。コミック雑誌「RYU」(徳間書店)に掲載予定です。
そして、そして、またしても「エマノン」を私自身が書いてしまうことに。
梅雨半ばのこと。異形コレクションの編集から依頼。今度のアンソロジー「進化論」(光文社文庫)にエマノン新作を書いてくださいと。書いちゃいました。もうアイデアはないと思っていたのに。まだエマノンと縁は切れそうにありません。