第21回「SF合宿で『待宵』」

私は、日本SF作家クラブなる団体に入っております。SF作家の仲良しクラブみたいな性格の会で、親睦が主たる目的。カルテルみたいな機能はありません。
年二回程度、東京で総会があるのですが、私は熊本在住。熊本で仕事をしている関係上、日本SF作家クラブの会には、ほとんど出たことがありませんでした。
ところが、今回、長野県の小諸市というところで、日本SF作家クラブの温泉合宿という企画があり、案内が届いたのです。ふだん失礼していることもあり「温泉か‥‥いいなぁ」と発作的に参加を表明してしまいました。でも、ちょっと怖い。ふだん参加していないので、どんなキャラクターの作家さんが来るのかわからないんでねぇ。小心者としては、おっかなびっくりでありますよ。おまけに、「合宿」とあるからには‥‥。

何やら、予期せぬサプライズが仕掛けられているのではないかという不安もありました。
夜中に叩き起こされて、マラソンさせられながらSFのアイデアを考えさせられたり、グループ毎に、それぞれ自著の自己批判をさせられたりするのではないかなぁと。
しかし、熊本から小諸は遠かった。羽田を経由して小諸へ。朝立ったのに、着いたのが夕方五時でしたから。
会場は「川棚荘」という島崎藤村ゆかりの鄙びた宿。到着しただけで疲れがどっと出てしまいました。
宴会が始まり、そのそうそうたる顔ぶれに仰天しました。小松左京、筒井康隆両御大が出席しておられる。
いや、熊本にいると、ほとんどナマ作家さんと縁がないので、私も単なるミーハーSFファンに戻ってしまい、嬉しくて浮かれてしまうのでありました。
谷甲州SF作家クラブ会長の挨拶も、両御大を前にして緊張気味です。小松御大は七月公開の「日本沈没」の大宣伝。続いて、筒井御大は自著「日本以外全部沈没」(秋公開だそうです。なんと一週間で撮り終えたらしい)の映画化エピソードで全員爆笑。
いやぁ、なごやかな笑いの絶えない宴会です。筒井御大は、持ち込んだ長さ50センチはあろうかという巨大葉巻に火を着け、喫煙者であろうがなかろうが回し吸い。まるで、ネィティブアメリカンが兄弟の契りを交わす儀式の体でありました。
そこで、皆、ビールからセカンドドリンクへ。注文は圧倒的に芋焼酎が多い。東京の人たちには、芋焼酎が浸透しているんですね。
私、持ち込んでいたものを取り出し、芋焼酎を注文した方々にお注ぎしました。
熊本空港で準備した「待宵」です。
ま、ほとんど無理強いしたわけです。銘柄言わずに「黙って飲んでみて下さい」って感じで。
SF作家クラブの男性、ほぼ全員が試飲。筒井御大が「うまいよ、これ!何というの?」「熊本の米焼酎です。まだ、熊本県外では、販売されていないんですよ」
そう説明すると、ホォーッとボトルをしげしげと眺めておられました。
これで、私、ポイント稼げたね!
その後、ほぼ全員が小松御大の部屋に潜り込んで馬鹿話。SF作家の話って、高尚かと思われるかもしれませんが、決してそんなことはないんです。
SFファンの中学生がやってるホラ話とほとんど差はなく、くだらない駄洒落から、文明論、マンガの話、映画の話と、午前二時まで盛り上がったのでした。
持ち込んだ「待宵」、全部空になっちゃった。

第20回「カジシンCINEMA」

今月から、コンテンツ変更で、こんな形になります。よろしくお願いします。

映画大好きな人なのです。子供の頃から。昨年、数えてみたら、二百三十本観た計算になります。もちろん劇場で。
私は熊本に住んでいるのですが、シネコンが増えたとはいえ、まだ公開される映画は、中央に比較して圧倒的に少ない。そんな熊本で、公開されない映画、あるいは中央でも公開されない傑作を観るには、ビデオやDVDを待つしかありません。
今、私は、高橋酒造さんの提供で、「カジシンCINEMA」(毎週金曜、夜十時五十四分から十一時まで)なる番組を、熊本県民テレビ(KKT)でやらせて頂いております。これは、映画情報番組なのですが、他には全く無かった映画情報を提供しようという野望を持ってスタートさせました。
いくつかコンセプトを設けました。
月一回は、劇場公開される映画の紹介。ただし、宣伝が行き届いている映画は無視。ひっそりと公開されようとしていても、私が佳作と認め、かつ私好みの作品であること。必ず、自分の目でその作品を確認したもの以外は紹介しません。
残りの回は、熊本で公開されなかった傑作、珍作、怪作で、ビデオ化・DVD化されたものの紹介。しかも、私のフィーリングにぴったり合わないと駄目。そのため、レンタルビデオ屋に日参して劇場と同じくらいソフトを観まくります。正直、ビデオスルーの七割方は箸にも棒にもかからないクズ映画であることが多いのですが、二割くらいは、ハッとするような傑作や、一場面くらいは「やるじゃない!」と叫びたくなるような作品があったりするものです。SF作家のシオドア・スタージョンが言い始めた法則があります。
「すべての小説の九十パーセントはクズである」(そうか!じゃあ、これまで書いた小説の十倍愚作を書いても許されるのか!と思った私は脳天気なのでしょうか?)
スタージョンの法則というのですが、それからすると、三割ほどのソフトに、価値を見いだせるというのはラッキーかもしれません。
とにかく観続けないことには、傑作には当たらない。ひどい映画のときは、苦行のような気持ちです。こんな小説は書かないようにという反面教師のつもりで観ます。だからこそ、これだという作品に当たったときの嬉しいこと。
でも、あといくつか、難関があります。たとえば、トレイ・パーカーの「チームアメリカ」を紹介しようとしたら、「十八禁」なのですね。地上波放送では、さすがにまずいだろう、いくらおもしろくても。という判断で泣く泣く見送られました。
あと、放送前にはソフトの発売元の了解をとらなくてはなりません。
番組スタート時点では、その承認がなかなかとれませんでした。
カジシンCINEMA?何だよ、わけわかんねぇこと、地方局がやって。
そんな感じだったんですが、放送開始から一年を経過した今、承認をたいへん気持ちよくやって頂けるような状況になってきました。でも、「アレ」とか「アレ」とか、まだ承認が下りなくて紹介できない、もったいない傑作があるんですよねぇ。そんな「アレ」をいずれはと、闘志を燃やしています。決して諦めたわけではなりません。
これまで紹介した作品のリストはKKTのホームページにあるのですが、そのリストをご覧になると、梶尾真治の映画の好みが見えてくるような気がするとともに、私の人となりが読み解かれそうな気もして、ちょっと怖いのですよ。
皆さんも、未公開で、こんな傑作を見たぞという映画があれば、ぜひ教えていただきたいのですが。
これからは、私も答えられる範囲でコメントに参加していこうと思っていますので、どうぞよろしく。

第19回「山江村のヤマメおじさん!」

友人数人と、山江村に山菜を採りに出かけたときのこと。
もう、数年前のことになるか…。
あるキャンプ場をベースにして、皆で手分けして山菜を採ってくることになった。
採れた山菜は、お昼にキャンプ場で天ぷらにして宴を繰り広げようという計画。
全員が八方に散り、野辺の山菜を探す。
集合時間だけを決めておく。その時間に集合して、どの程度の獲物が集まるかで、料理の内容が決まるというアバウトなもの。

私も、ふらふらとあたりを見ながら畦道を歩く。山藤の花くらいを集めるのが関の山。イタドリとかはあるが酸っぱいし、ヨモギくらいか……と溜息が出る。
ヤマメの養殖場があるが、その近くから山道に入ってみた。
やはり、この時期の山菜の王様はタラの芽だよな。
そう考えながら。
だが、歩きはじめてわかった。
甘いもんじゃない。タラの木は山道沿いに点々とあるのだが、なんと、その先端に芽は付いていない。
先客が、早々とタラの芽をゲットした後のようだった。
ゲッソリした。藪の奥まで入ってみたが、同様に、タラの芽は、キレイに採られたものばかりだった。
数日の差だったのだろう。私は先客に考えつく限りの呪いの言葉を吐きかけて、キャンプ場へ戻った。
他の仲間たちも〝坊主〟である。
山藤とヨモギと、少々コシアブラとワラビ。それが、全収穫であった。
「これじゃ、酒の肴にならないよ」
と、いうことになった。
「そう言えば、ヤマメの養殖場があったから、買ってきて食べようか!」
私が言い出し、そうしようと三人で買い出しに出かける。
ヤマメ養殖場に到着。
だが、誰もいないのだ。ヤマメを勝手に持って行くわけにはいかないなと、途方に暮れていたら、道の向こうからトラックが走ってきた。
眼鏡のおじいさんが一人乗っている。手を振ると止まってくれた。
「あのー。ヤマメを買いたいんですが、ここの人いないんで、どうすれば買えるでしょう」
するとおじいさんが、「あーうちも、この向こうでヤマメやってるから分けてやってええよ」
軽トラックの荷台に乗って十分ほど走り、斜面を登ったところに養魚場があった。
「何匹ね?」
「五人だから五匹ほど」
おじいさんが、水槽のヤマメをすくい始める。
「おい!」
友人が水槽横の斜面を指差す。
そこにタラの木が……。立派な芽が付いた。
「あの!あの!おじいさん」
「何ね!すぐすくうけん待っときなっせ」
「あのタラの芽……採っていいですか?」
おじいさんは、作業をやめて「あ……五人分持っていきなっせ。まだ、あるばってん、少しは残しとかなんけん」
「はいっ!はいっ!」
おじいさんのヤマメすくいの横で、私たちは肩車でタラの芽を集める。大喜びだ。
大逆転の山菜採り。タラの芽があるとなしでは、かくも豪華さが変わるものか。ヤマメも信じられないほど格安にして、何と、軽トラックでおじいさん、キャンプ場まで送ってくれたのだ。
おじいさんのおかげで忘れられない山菜採りになりました。
でも、今でもおじいさんのヤマメすくいと斜面の肩車でタラの芽採りのイメージがセットで出てくると、すごく楽しい気分になるんだよなぁ。

第18回「大畑(おこば)梅園のハルシメジ」

大畑梅園をご存じだろうか?
人吉のはずれ。国道二二一号線をえびの市方面に南下すると大畑梅園の表示がある。
なんと、そこには五千本の梅の木が植えられている。
二月下旬から三月上旬は多数の観光客が訪れるそうである。

で、なぜ、大畑梅園かというと、私は大のキノコ好きなのである。
あっ、話が見えないと思うのでもっと詳細に語ります。

私は熊本市内に住んでいるが、春になると、このハルシメジを探し回る。
で、ハルシメジがどこに発生するかというと、果樹園や野バラが生えた土中からなのだ。梨や桃やリンゴなどの果樹園で発生するそうだが、一番確率高く見つけることができるのは、……そう……。
梅園!
梅の木の下である!!
だが、梅園を探し出して数十本の木の下から採れるのは、うまくいって二十本そこらのハルシメジ。
このハルシメジ。とにかく歯ごたえが良くてシャキシャキしている。天ぷらはついでに採ってきたタラの芽と一緒に。お塩をぱらりと振りかけると、酒に合う。油と炒めて相性がいいので、スペイン料理のパエリアにも、オリーブオイルで炒めて混ぜ込むと、見事な調和を発揮する。味噌汁にも……と欲深に考えていると、この程度のハルシメジじゃ足りないよなぁということになる。
もっと大量のハルシメジをゲットしたい!
そのためには、でっかーい梅園に行く必要がある。そうすれば心置きなくハルシメジ料理をフルコースで堪能できるのだぁ。
そんな、でっかーい梅園はないものかと探していたときに、ひょんなことから人吉大畑梅園の存在を知った。
まず、聞いたのは五千本の梅の木が高台に植えられているということだ。それが本当だとすれば、そこはハルシメジの山だということになる。
その名も人吉大畑梅園。
もし、その情報が真実ならば、どれくらいのハルシメジが採れるものだろうか。
籠いっぱい!
いや、そんな生やさしいものではないはずだ。ひょっとすれば、車のトランクからキノコが溢れる状態になるほど採れるかもしれない。そしたら天ぷらだろうが炒めものだろうが食べ放題ではないか!
その状況を想像して高笑いがでた。
行かずになるものか。
その年、桜満開の時期を迎えた頃、はやる心をなだめすかして、高速で人吉へ向かう。もちろん、前日に熊本市内の小さな梅園で数本のハルシメジを確認している。
時期に間違いはないはずだった。
高速を降りて、えびの方面へ向かう。標識に従って右折し、しばらく坂を登ると……。
震えがきた。視界一面、梅の木だ。
もちろん、すでに花々は散り終えているが、目的は、あの木々の下で私に採ってもらうのを待っている、いたいけなハルシメジたちなのだから。
広い駐車場は、がらーんと空いている。他に人の気配はない。キノコ籠とはさみを持つと、私は梅林に向かって駆け上っていった。
下草はあまりない。いいコンディションだと歩道から梅林に飛び込んだ。
歩く。歩く。歩く。
歩けども…歩けども…おかしい。ここには、一本のハルシメジもないのだ。生えてきた形跡もない。おかしい。これだけ梅の木があるのだ。斜面によって違うのか?
他の向きの斜面に登る。
そこにもない。……そんなはずは……。せめて…一本でも。
数時間、しつこく歩き回ったが、大畑梅園では、一本のハルシメジも見つけることができなかった。はるばる遠征してきたのに…。
これは、何かの陰謀なのか?これだけの梅林に一本も存在しないなんて……。
トホホだよ。それでも、しばらく探索を続けるが徒労。
諦めて、人吉を去る。これほど落ちこんだ時も、私のキノコ人生では無い。このままでは、不幸すぎる……。
大畑梅園のバカヤロー!!

熊本に帰り、家の近くの梅林をのぞいた。
なんと、私を不憫に思ったのか、昨日はなかったハルシメジが三十本ほど待っていてくれたのだ。

第17回 仰鳥帽子山(のけぼしやま)の福寿草の監視人

もう、二年ほど前のことだが、三月初旬に五木村と山江村の境にある仰烏帽子山に登った。
私は、熊本市からクルマを使って行くので、東陽村から五木村に入った。
目的は、福寿草を見ようと思い立ったからだ。二月下旬から咲いているという話だが、雪を用心して時期をできるだけ遅らせた。
元井谷の側から愛車で山道を登り続ける。
あと数百メートルで登山口に到着するという頃には、びっくり。

なんと、まだ、朝の八時前というのに、道路脇に、びっしりと登山客のクルマが駐車されていた。とにかく、駐車場所をやっとのことで確保。
それから、登山口まで歩く。
登山口は、人で溢れかえっていた。まるで、どこかの商店街の夕暮れのようにジジババの……いや先輩方だらけである。
日が射していた。ジジババたち……いや先輩方が、「あら、お天道さんが…。福寿草も早く開いてくれるね」と言いあっていた。日が射すと花が開くのだ。否が応にも期待が高まる。
山に登ろうとしたときだった。
「ちょっと。ちょっと」
誰かが私に声をかける。振り向くと、カーキ色の作業着を着てキャップをかぶったおじさんが、立っていた。見ると、腕に腕章のようなものをはめている。
「はい。何でしょうか」
立ち止まって私は答えた。
「あなた、スパッツは?」
スパッツは、登山靴やズボンの下の方につける泥よけのことである。靴の中に登山中、小石が入ったりするのも防いでくれる。
あいにく、私はスパッツをつけたりして、山を歩くことはしない。
「つけませんが、どうかしましたか?」
男は、大きく頭を振った。
「そ、それはいけない。山を歩くときの常識です。ズボンも泥だらけになる。スパッツ持っていたら、つけて登りなさい」
「持っていません。汚れてもいいんです」
男は、仕方ないなあというように、眉をひそめた。
「スパッツをつけないなんて、いけないなあ」
そのとき、腕章を見てわかった。この男の人は、福寿草の盗掘を監視するために、ボランティアで登山口にがんばっているらしい。しかし、なぜ、スパッツに固執するのだろうか。これほどまでに。
私が登りはじめてわかった。次の人にも、その次の登山者にも「スパッツは?スパッツは?」と訊いているのだ。「ちゃんとスパッツつけていますね。よろしい」という声も聞こえた。「安全のためですから!」
しばらくの登りの後、ついに福寿草と出会う。感激した。残雪の間から可憐に小さく黄色い花弁を必死で広げて。
そして山頂を目指す。
仏石の分岐まで来た頃だった。雪が舞い始めた。
一時的かなと思ったら、ちがう。見る見る山全体が白くなっていくのだ。どうしようかと迷い、下山を決意した。それまで登山道そのものには雪はなかったのだが、信じられないことに数センチもあっという間に積もってしまったのだから。
あれほどいたジジババ……いや先輩方の姿も、何かに掻き消されたように見えなくなっていた。登山者がいない!
それから下山。
雪は降り続き、軽アイゼンをクルマに置いてきた私は、何度となく、足を滑らせた。
–スパッツなんて、どうでもいいことじゃないか!冬山だから、軽アイゼンを持っていきなさい。山をなめないで。そう、すすめるべきじゃないのか。
転ぶたびに、監視人の男のことを思いだして、そう毒づいた。
登山口に着いたら、あの男にそう文句を言ってやる。その思いだけで、必死に下山を続けた。
登山口に戻る。
登るときは、あんなにごった返していたのに、今は誰一人、姿は見えない。あれほど駐車されていた自動車も、数台しか残っていない。
もちろん、あのピント外れのお節介監視人の姿もなかった。雪が降り始めて、さっさと引き上げたらしい。するとまた無性に腹が立ってきた。登山者が残っているのなら、ちゃんと下山を見届けてから帰るのが監視人だろう。バカヤローと心の中で叫ぶ。
あのズレた監視人は、まだいるのだろうか?

第16回「水上村のぼた木小屋」

ほだ木とは、椎茸を栽培するための丸太のことである。
このほだ木に、椎茸の苗を「コマ打ち」して、椎茸を成長させる。
この「コマ打ち」前の丸太を保管する小屋がある。それが「ほだ木小屋」である。

隣村に住む老夫婦が、水上村の温泉の帰りに、その「ほだ木小屋」に通りかかった。
「おじいさん、覚えていますか?このほだ木小屋」

ほだ木とは、椎茸を栽培するための丸太のことである。このほだ木に、椎茸の苗を「コマ打ち」して、椎茸を成長させる。
この「コマ打ち」前の丸太を保管する小屋がある。それが「ほだ木小屋」である。

隣村に住む老夫婦が、水上村の温泉の帰りに、その「ほだ木小屋」に通りかかった。
「おじいさん、覚えていますか?このほだ木小屋」
おじいさんも忘れているはずがなかった。
「ああ、おぼえているよ。水上村にまだおばあさんがいた頃…。結婚する前だわなぁ。人目を忍んで会うデート・スポットがここいらにはなかったからなあ」
おばあさんは、ポッと顔を赤らめた。
「なつかしいわ。おじいさん。ほだ木小屋って昔とちがうのかしら?」
「さぁ、もう何十年も入っていないからなぁ」
「ねぇ、おじいさん。入ってみましょうよ」
おばあさんが突然、そんなことを言いだしたので、おじいさんは戸惑ってしまった。しかし断る理由が思いつかない。
「でも、小屋の持ち主に怒られないかねぇ」
「大丈夫ですよ。若い頃、使わせてもらったときも、誰にも何にも言われなかったし」
二人は、そういうことで、ほだ木小屋へ入ってみた。生木の臭いが、ぷんと鼻をつく。
通気をよくするため、小屋の上部に窓があり、そこから、外の光がかすかに入ってきている。
内部はたくさんの丸太がならべられていた。
「うわぁ、全然変わっていませんね。昔のままじゃないですか」
おばあさんは嬉しそうに、はしゃぎ声をあげた。おじいさんも、昔の記憶がぼんやりと蘇ってくる。
昔は、今のようにドライブインも喫茶店もカラオケもなかった。彼女と愛を囁きあおうとすれば、このほだ木小屋が唯一の逢いびき場所だったのだ。
おばあさんは目を潤ませておじいさんを見る。
「若い頃を思いだして、なんだか熱くなってきましたわ」
「おい、おい。もう、わしはトシだぞ」とおじいさんは、おばあさんの熱気に後ずさりする。
そのときだった。小屋の外で、人の気配がする。誰かが小屋の中に入って来ようとしているのだ。
「だ、誰かが入ってくるぞ。小屋の持主かな」
あわてて、老夫婦はほだ木の陰に隠れた。
「ほら、ここは、こんなに静かだ」
若者の声がした。若い男女が小屋の中に入ってきた。老夫婦は、息をひそめる。
おばあさんが、小さく、アッと言った。
「どうも聞きおぼえのある声と思ったら、孫の吉太郎ですよ」
外からさし込む光で、かすかに若者の顔が見えた。おじいさんは思う。まちがいないと。
「本当だ。吉太郎だ。何故こんなところに」
「血は争えませんからねぇ。おじいさんと同じように、ほだ木小屋で。他にいいところもあろうに」
「ど……どうする」
「私たち、出ていくわけにはいかないでしょ。隠れて見てるしかできませんよ」
若いカップルは、老夫婦には気がつかないようだった。だんだん熱いムードに盛りあがっていく。
「いいですよねぇ、若いってことは。羨ましいじゃありませんか。ねぇ、おじいさん」
おばあさんが、おじいさんの手を握ってきた。「吉太郎さん、大好きよ」
女の声がした。
「球磨子、ぼくも愛しているよ」
球磨子……球磨子……どこかで聞いたような……とおじいさんは思う。そこでハッと思いあたった。昔の彼女が産んだ子……その子を認知したときに付けられていた名前……たしか……球磨子だったのではないか。
若い女の顔が、外からの光で浮かんで見えた。昔の彼女そっくりの……。とすれば、あれは自分の娘……。
孫と娘が……。
「やはり、血は争えませんよねぇ」
おばあさんは、おじいさんの手を握りしめ声をうわずらせる。
「あ……ああ」
おじいさんは、そう答えながら気が遠くなりそうな自分と必死に闘っているのだった。
(了)

水上村出身の方の「昔は、ほだ木小屋が、デート場所だったたい」の一言をもとに、でっちあげたお話であります。あしからず。
(作者)

第15回「球磨の朝霧」

複数の町村が合併して、あさぎり町という町が誕生したのが平成十五年。その町名は公募によって選ばれたということだ。
何故、「くまがわ町」でもなく、「あさぎり町」という町名になったのか、ぴんと来なかった。
先日、人吉市出身という方と話をする機会があった。
球磨焼酎「待宵」を飲みながら訊ねる。

複数の町村が合併して、あさぎり町という町が誕生したのが平成十五年。その町名は公募によって選ばれたということだ。
何故、「くまがわ町」でもなく、「あさぎり町」という町名になったのか、ぴんと来なかった。
先日、人吉市出身という方と話をする機会があった。
球磨焼酎「待宵」を飲みながら訊ねる。
「人吉に住んでいて、ココがヨソとちがう!ってもの、何かありませんか?」
「そうですねぇ。あさぎりですかねぇ」
「あさぎりですか?あさぎり町は人吉市の隣になるんでしょ?」
「いや、町の名ではなくって、冬はホントにあさぎりですよ」
そう断言された。
あさぎりは「朝霧」のようである。
「学校に通っている頃は、町中を歩いていくんですけれど、朝、家を出ると、もう世の中全部が、真っ白。それが、朝霧のせいなんですよ。天気予報が晴れになっていようが関係なく、学校まで、それがずーっと続くんですよ。で、歩いていると髪の毛が、どんどん湿ってきて、ぽたぽた滴が落ちるくらいくらいになるんです」
何故だろう。人吉温泉のせいかなと、素人考えで、そんな発想が浮かぶ。
「じゃ、あさぎり町って町名は、人吉盆地全体でそんなに朝霧が多いから、採用されたってことなんですかね?人吉市だけじゃなく」
「だと思いますよ」
それで、調べてみると、人吉盆地は内陸型気候で、昼夜の寒暖の差が激しいそうだ。だから盆地全体が、すっぽりと霧に覆われてしまうということ。晩秋を中心に、なんと年に百日も朝霧が発生するらしい。
そういえば、市房山に登るために、早朝に九州自動車道から、人吉インターへ降りたとき、あまりの霧の濃さに驚いたことを思いだした。
あまり、霧の中の運転に経験がないので、びびっちまったよなぁ。ライトは点けてみるし、ゆるゆると走らないと不安だし。
あまりの非日常感に、スティーブン・キングの中編「霧」を思いだしてしまった。
突如、発生した霧に町が覆われてしまうのだが、この正体不明の霧の内部は、異次元と通じているようなのだ。そして虫とも獣ともつかない異次元からの怪物が人々を襲い始める。
小説で読んだとき、けっこう怖かった記憶はあったが、すっかり、そのストーリーの細部については忘れていた。高速でも、霧だなぁと感じていたのだが、一般道に入ったら、これが濃い。霧の中から巨大なハエに似た生物が襲ってこないか・・・とか、ヌルヌル軟体状の細長い化け物がクルマに巻きついてこないかとか、「霧」の怪物たちが、次々と脳裏で甦ってくるのだ。
それも国道を離れたあたりで。こら、そんなの妄想だぞと自分に言い聞かせるが、持ち前の想像力は膨らむばかり。
その霧が、ある時点を境に、みりみる消え去ってしまったことを思い出す。
それで、そのときは、すぐに霧のことなぞ忘れ去ってしまっていたのだ。人吉球磨特有の気象現象だなぞとは考えもせずに。
あの日の霧は、人吉球磨地方の年百日の一日に過ぎなかったのだ。
朝霧の多い地形では、いいお茶が採れるらしい。それから、朝霧の貯まりやすい場所は大好きなキノコも発生しやすい。
ま、それは置いといて。
その日登った市房山は、素晴らしい好天に恵まれたのです。こんな日本晴れアリかよってくらいに。

そのことを思いだして、なんとなく、「あさぎり町」の町名の由来が、わかった気分です。あさぎりが出た後は、きっと快晴に恵まれる。

そんな町って意味?

という連想ですが、当たっていますか?

第14回「うんすんカルタ」

球磨郡あさぎり町免田に住む友人と、電話で話した。
「球磨・人吉で、よそにはなくて、ここ特有って胸を張れるもの、お正月で何かあるか?」 答えが返ってきた。
「酢ダコ」
「それは、もう書いちゃったよ。他にないのか。猪で闘牛みたいなことをするとか、人間凧揚げとか」
しばし、友人は、電話の先で考えていた。何も、返事がないので、眠り込んでしまったのではないかと心配した。
「おい、起きてるか?」
「ああ、考えていた。うんすんカルタというのがある」
「カルタ・・・たしかに正月だな。その何とかカルタって人吉地区しかないのか?」
「ない!」
そう断言した。
「球磨拳は、焼酎飲むときならいつもやってるけど、うんすんカルタは正月だな」
「どんなカルタなんだ。犬も歩けば棒に当たるみたいな?」
「いや、全然ちがう。花札みたいなイメージかなぁ」
「どんなルールなんだ?」
「カードゲームの一種かなぁ。全国的にも、ここしか残ってないんだ。ルールは・・・俺やったことないから、わかんないよ。見た限りでは、難しそうだ」
ヒントだけもらって調べてみた。
確かに、人吉地区だけに残ったカードゲームのようだ。十六世紀半ばに、ポルトガルから持ち込まれた南蛮カルタが、国内では天正カルタやうんすんカルタとして流行し始めたようだ。
驚いたのは、「うんともすんとも」という表現の語源は、このうんすんカルタから来ているということ。
うんすんカルタは十五枚のカードが五種類あるトランプのようなものらしい。ハートやスペードの代わりに、剣や、花こん棒、貨幣、巴紋、コップがある。数字は書いてなく、そのマークの剣や、巴紋がひとつづつ増えていく。絵札も、それぞれの種類にあり、唐人や福の神、馬に乗った侍、女性、竜が描かれている。竜の絵も女性も、下手ウマな画風で愛着が湧く。とても女性とは思えないし、竜なぞ、一目見て、ウツボかと思ってしまった。
それで、一番強いカードが、唐人を描いたカードで、これをスンと呼ぶ。その次ぎに強いのが福の神カードで、ウンと呼ぶ。ポルトガル語でウンは一番という意味、スンは最高という意味らしい。それで、自分の手に、いいものが揃っていない場合「うんともすんとも言ってこない」という形に発展したらしい。
このうんすんカルタ、全国的に流行していたらしいのだが、ある時点で消滅している。どうもギャンブルとして遊ばれていたようで、寛政の改革で全国的に禁止されたそうだ。
それ以降、うんすんカルタは遊ばれなくなって、唯一、伝わっているのが、人吉地域だけ。
なぜ、人吉にだけ、うんすんカルタが残ったのかは、よくわからない。
相良藩は、よほど幕府の目の届かない僻地だったということなのだろうか?
今でも、人吉には、うんすんカルタを振興させる会が存在しているようだ。
友人に再び電話する。
「うんすんカルタが、人吉方面だけに残った理由って、わかる?」
そう訊ねた。
「なーん、相良藩な、米の石高をごまかして申告して、余った米で焼酎造りよったくらいだけん、そーんくらいすっどぉ」
「ホント?」
「じゃっど、じゃっど」
という答えが返ってきた。おおらかだなぁ。

※じゃっどー球磨弁で、「そう!」の意味らしい。

第13回「柴立姫神社の謎」

今回は、ちょっと顔を赤らめつつ書き出さなければならないなァ。

一番近いのは、JRの一勝地駅だろうか。そこから数キロ離れた淋(そよぎ)という地区の球磨川沿いに、こぢんまりとした神社があります。静かなところですねぇ。
赤い鳥居。そして・・・。でっかい木のおちんちんがドゥーン。と。あまりに見事なのでそれを目撃すると「う」っと呻いて、二、三歩後ずさりしてしまいます。

「な、なんだ。この神社は?」
それが柴立姫神社であります。
本堂を覗くと、いくつものおちんちんのコピーが飾ってあるのです。尋常じゃない・・・。
柴立姫というから、女性の神さまでしょう。
そんなにおちんちんが、好物であったのか?
立看板がありました。由来が書いてあるようです。原文のママ、記しましょう。

13image.gif

ハァ・・・・・・。
読んでもよく意味がわからない。
「父は旅につかれ人の道にはずれた娘を斬り」
この文章のどこに句読点が入るべきなのでしょう。
「父は、旅につかれ人の道にはずれた娘を斬り」か、「父は旅につかれ人道にはずれた。娘を斬り」なのかもしれません。
ひょっとして“旅”という妖怪が父に憑いて乱心させ、人通りの少ない、はずれたところで娘を斬ったのか。
あるいは「ずれた」娘を斬ったということなのか。
考えるほど、わからなくなる。
同行した人が、見かねて解説してくれた。
「親子で旅をしていて疲れ果てたときに、男女の仲になってしまったんですよ。ところが、どういうわけか、娘の疲れがとれて、みるみる元気になったということで、その翌日も旅を続けていて疲れ果ててしまったそうですね。それで娘は父に無邪気に、また疲れたので、あれをお願いしますとせがんだそうです。そこで父は、娘を斬ってしまった」
「あ」
私は二の句が告げられない。
「だから、柴立姫というのは娘の名ではなく、父親が立つとき、娘を埋めたところに柴を立てて去ったから・・・仮の名ですね」
何と勝手な父親だろう。いっしょに自分も腹かっさばいて果てたというなら話もわかるが。そういうものは合意の上だったのではないか。自分だけ、さっさと立去るとは。
まだ疑問がある。男女の仲になると女は疲れが取れるものなのだろうか。
わからない。
娘が、あれをお願いしますとせがんだとき、父は、人の道にはずれたというより、わしの方が疲労困憊になるのではないかと、カッとしたのではないか。
いかん、いかん。
あれとは何か、別に考えればいいのだ。
キンゼイ博士が「人間の身体の一部で、一番、膨張率の高い部分はどこでしょう」と質問したら、皆、顔を真っ赤にした。
で、答えは「瞳孔」です。
それと同じ過ちを犯しているのでは。
あれは「指圧」のことであった・・・とか。
弱いな。
この地に足を踏み入れて「球磨焼酎」を初めて覚えた、とか。適度な量なら疲れもとれそうだ。会話も弾んで、男女の話とか出たろうし。「もう無い」と父は言いながら、密かに翌日も隠し持っていいたのではないか。それを娘が見つけ出し、「あれをお願い」となった。見ると焼酎がいつの間にか少なくなっている。娘が盗み飲みしたに違いない。人の道にはずれた奴め・・・・・・と。
これなら、わかる。
しかし、おちんちんアイテムが無数にあること。これが、解せんですよ。

第12回「五木の子守唄」

人吉の北に五木村がある。
山歩きで仰烏帽子(のけぼし)山に登ったりするのだが、他に何を五木村で連想するかというと、五木の子守り唄である。全国の子守唄の中でもかなりポピュラーなものではないだろうか。
昔、五木村の農民たちは貧しく、小作の家では人吉の商家に娘たちを出稼ぎに出すしかなかったらしい。だから、五木村には子どもたちと別れた子別峠という地名も残っている。

哀愁をおびた子守唄だなぁと、昔は単純に考えていた。最近じっくり聞いてみた。
な、なんとこれは黒人が抑圧下で生み出したブルースと変わりないのだ。悲惨な唄である。
自虐の詩でもある。
そんなふうにしか聞こえないのである。
本来、働き先の赤ん坊をあやす唄だが、ほぼ内容は、やけっぱちである、何の夢もない女の子たちの労働歌である。
では、五木の子守唄の歌詞を紹介してみよう。

♪おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんど
盆が早よ来りゃ、早よもどる
おどんがうっ死んじゅうて誰が泣いてくりょかい
うらの松山 蝉が鳴く

おどんがうっ死んだら、道端ゃ埋けろ
通る人ごち はなあぐる
はなは何のはな ツンツンつばき
水は天からもらい水

おどんがお父っあんな、あん山おらす
おらすと思えば行こごたる

まだバリエーションはあるが、代表的なものだ。
では訳します。私の耳に聞こえた意味で。

『お父さんは奉公に出すとき、盆まで勤めてくれと言っていた。だから私は、ここには盆までしかいないからね。長居はしないよ。盆が早く来れば、早く戻るんだから。
でも、それも本当か嘘かわからない。父さんもその場しのぎで人買いの前でそう言ったのかもしれない。だったら私が死んでも、誰も泣いてくれる人はいないってことか。
まぁ、裏の松山のうるさい蝉の鳴き声くらいかなぁ。

そんなことだから、私が死んだときは道路の端にでも埋めといてくださいよ。それが私にはお似合いかな。まぁ、通る人がハナをあげるでしょうから。
ハナって・・・鼻押さえてチーンとする洟くらいかな。
あ。ハナって・、他にもあるって?そう。ツン、ツン、つばき。椿じゃないんだよ。通行人が私が埋められているところに唾棄しながら行くってことなんだよ。水は雨水で野晒しってことだからね。ホント救いがないねぇ。悲惨だねぇ。

でも、私の父さんがいる山は、あそこに見えているんだよね。山のあなたの空遠く、幸い住むと人が言うくらいだから、背中の子をここに置き去りにしてでも行きたいなぁ』

超意訳ではありますが、五木の子守唄は、私の耳には、そうとしか聞こえてこないのだ。
十歳前後の女の子が、親元から引き離されて子守りをするというのは、今なら完全に人権問題かなと思うのだが。
ほんとに、昔って想像を絶する悲惨なことがあったんだなぁ。