第41回「性同一性執筆」

「アイスマン。ゆれる」(光文社刊)という本を出しました。
私にとっては、珍しいタイプの長編小説ということになります。
実は、女性週刊誌で掲載したものですから、当然、主人公は女性なのです。それだけではありません。主要搭乗人物である主人公の友人たちも女性です。
プロットを考えているときは、ああでもない、こうでもないと、チェスの駒を動かすように考えていたのですが、さて、いざ書き出すとなると、自分の思考を女性として切り替えなければいけないと思いあたり、はたとペンが止まってしまったことを思い出します。
もう老境に入ろうとしているオヤジが、30代頭の女性の行動を思い描こうとすると、溜息が出るばかりなのです。自分の知らない世界ですから。

自分の知らない世界といえば、未来の宇宙の果てのよその惑星を舞台にして書いたりもするのですが、このときは頭の中ででっちあげて無理矢理に書き上げてしまいます。書き上げたところで、誰も見たことのない世界ですから、誰にも文句がつけられようがないわけ。
だったら、想像だけで同じ知らない世界を描くんだからと、ちゃかちゃか書いてしまえば、女性の読者たちから「作者は、ナーンにもわかっちゃいない。嘘ばっかり」と非難が集中するのは、目に見えてます。
最終的な着地点は見えているのに、途中の描写に自信がない。しかも、主要登場人物の三人の女性は、それぞれ性格が異なる、考え方も異なる設定です。でっかい壁が目の前にそびえているようなものでした。登場人物の言葉遣いを変えてみたところで、埒があかんかもしれない‥‥。小手先勝負になるものなぁ。仕方ないと考え、新たな方法を考えます。
登場人物の経歴と、それまでどのような人生を送ってきて、現在のキャラクターがあるのかという表を作成しました。自分なりの下手なイラストを添えてみたりします。
それでも、まだ動き出さない。会話が始まらない。
よし、次の手段。
同年齢の女性たちに知り合いを通じて集まってもらい、どんな風に会話のやりとりがあるのか。生の声を聞いてみる。
集まっていただきました。
「どんな話なんですか?」
一応、粗筋を話すと、参加した女性たちは面白がってくれている様子。
「どのようなことを聞きたいんですか?」
「あ。あの~」女性とあまり話す機会がないので、こちらもヘドモドです。
「仕事とか結婚に対しての考え方とか、おたがいに話して頂ければ。こちらで傍聴しますので」
「‥‥‥‥‥‥‥」
視線が痛かったです。あきらかに、その時私は変な奴でした。でも、皆さん、さすが、よくそれぞれ喋ってくれました。私は透明人間と化して、会話のリズムやら、考え方やらを、じっと聞いておりました。
ああ、なんとなく空気が掴めた。そんな気になりました。キャラクターを自分なりに、作っておいたのが役立ったというか。あの登場人物に今の科白を喋らせよう、とか考えつつ。オンナ言葉で思考しつつ。
これで書けるかしら。そう思い始めることができたので、執筆開始。とにかく、迷っている段階は筆は進まない。自分に納得させることができるかが、一番だと思いますの‥‥。
そーゆーことです。
で、連載開始までに、原稿を書き上げました。でないと、不安だったのです。幸い、担当編集さんも女性です。書き上げてから編集さんの目の洗礼を受けることで、事前に「こりゃ変ですよ。女性はこんなこと考えませんよ」は修正できると思ったのです。
書き上げて、恐れていた校正の時。
「女性が読んでも、変だ、というところは、少なくともありません。とても自然です」
嬉しかった。
「ありがとうございます。30代の女性になりきって書きました」お調子者の私は、そう答えました。
さて、その本が、いよいよ世に出たわけですが‥‥。
これまで女性誌で女性の読者だけだったのですが、本の形になったら男性の読者の目にも触れることになるわけで。すると、今度はまた違った評価が生まれるんだろうなぁ、と心配しております。
あ、物語の方は、これ迄通り、少し(S)不思議(F)系を目指していますので。
よろしくお願いします。

第40回「私は、見た!!!!!の逆襲」

前に、このブログで書いた「私は見た!!!」が予想外の反響で、驚いてしまいましたよ。
コメントをお寄せ頂いた方以外にも、ちゃんとブログを読まれたらしい方が「あれ、ほんとなんですかネェ?」と訪ねてこられる。
50代のサラリーマンの方が、波照間島で宇宙人に会ったり、くじゅう連山の坊がつる近くの山小屋でUFOを目撃した、という話の真偽についてです。
ほんとなんですかネェと、私に訊ねられても困ってしまいますよ。私が目撃したわけじゃないんだから。
「いやぁ。話を聞いて、あんまりおかしかったので、晒してやろうと思っただけであります。真実?どうでもいいじゃありませんか。世の中には、おもしろければそれでいい!ということも、存在するのです。信じようと信じまいと」
そうお答えしておりました。
さて、今回は、その続編です。
また例の、宇宙人遭遇の50代サラリーマン氏と酒を飲む機会がありましたよ!
私も、エチケットと思い、このブログで紹介した話をいたしました。
しかし、私は自分の感情を押し殺して話すのが、非常に下手っぴーな人間なのです。ブログで紹介したと話す私の表情は、笑いを噛み殺したようなヘラヘラ顔になっていたらしい。
その50代サラリーマン氏は、むきになりました。
「あっ。私の話を信用してませんね!」
慌てて「してます。してます」と答えて、あっ、しまった、まるで白岳のコマーシャルではないかと。
「でも、もっと凄い話があるんですよ!」
そう50代サラリーマン氏は切り出したのです。ちなみに、彼は、某広告代理店勤務であります。その仕事関係の友だちの女性が、不思議なできごとに出会ったらしい。
それは聞かないわけには、いかない。
「ぼくの知り合いの福岡の女性の体験ですけどね。これは凄いですよ」
「えっ、どんなんですか?教えてください」
「聞きたいですか?」
「聞きたい、聞きたい」
そこで、彼は一瞬ためてから言いました。

「広告代理店に勤めている知り合いなんですが。
福岡の油山を歩いていて、宇宙人に拉致されたそうです」

私は耳を疑いました。まさか!そんなことが、現実に起こっていたなんて。
「エエエエエッ。アプダクションですか?で、その方は、どうなったんですか?」

「無事に解放されたんですが、心に深い傷を受けてしまったそうなんです。ショックで立ち直れなくなるほどに」

「えっ。というと、宇宙人たちに何かされたんですか?」

私の想像世界では、その女性の身体に装置をインプラントされたり、洗脳実験をされたりという光景が浮かんでました。

「そう‥‥。宇宙人に身体検査をされたそうです。
そのとき、宇宙人に言われたそうです。
あなた、毛濃いですね!って。
それで、凄く心が傷ついたみたいなんです。もう立ち直れないって、言ってました。」

申し訳ないが、またしても、私は大笑いしてしまいました。
腹の皮が、よじれて、痛い、痛い。この話が本当なら、宇宙人は確かに高等な心理戦術を駆使していることになりますね。
もちろん、その五〇代サラリーマン氏は、
今回も、いたって真面目顔でありましたよ。

第39回「クロノス・ジョウンターの伝説クロニクル」

クロノス・ジョウンターというのは、私なりに考えた不完全なタイムマシンのことです。
過去の目的の時間へ搭乗者を跳ばすはずなのですが、過去に滞在できる時間が限られていて、一定時間を経過すると過去から弾き飛ばされてしまいます。それも、出発した時間ではなく、未来へ跳ばされてしまうのです。
この第一作(吹原和彦の軌跡)を「グリフォン」という雑誌に書いたときは、クロノス・ジョウンターを使った話をこれからも書こうなぞ、考えもしませんでした。
すると、編集さんが「クロノスで一冊、本にしようと思うんです。でもこの一篇だけでは本になりませんから書き下ろしをお願いしますよ」
そうか。クロノス・ジョウンターだけで一冊の本になるのもいいなぁ。そう考えて、安易に「いいですよ」と引き受けました。前回の作品は、切ないがハッピー・エンドの話とは言いづらいなぁ、と考えていたので、「愛は時を超える」というコンセプトだけ共通で、ハッピー・エンドの話(布川輝良の軌跡)を書いて、めでたく一冊になったのです。
それが一九九四年のこと。

時が流れます。一九九八年になり、クロノス・ジョウンターのことなんかすっかり忘れていた私のところに、またしても編集さんから電話が。
「今度、クロノスを文庫にしようと思うんですよ。けっこうクロノス・ファンが多いんですよ」
「ああ、嬉しいですね」
「で、文庫にしてページが薄くなるんです。ここで、もう一篇、書き下ろしを入れると、ファンは喜びます。売れ行きも違います。ぜひお願いします」
「でも、もうアイデアありませんよ」
「いや、大丈夫です。梶尾さんなら、アイデアは湧いてきますから」
「そ、そうですか?」
私は褒めに弱い人間なのです。「じゃあ」と口を滑らせたばかりに第三作(鈴谷樹里の軌跡)を書く破目になりました。
編集さんは、その言質をとった翌日からターミネーター編集さんに変わりました。
ひいひい呻きながらアイデアを捻り、やっと完成しました。原稿を渡すとき、編集さんに言い添えました。
「もうこれが最後です。もう叩いても押しても頭は空っぽです。クロノスは、もう書けません」
すると編集さんは不気味な科白を残して電話を切りました。「いゃあ、クロノスは進化する話ですから」
それから、月日は流れ、クロノス・ジョウンターを原作とする「この胸いっぱいの愛を」が映画となり、演劇集団キャラメルボックスで「クロノス」というタイトルで舞台化もされました。二〇〇五年のこと。
この舞台化に便乗しようとしたのでしょう。またしてもターミネーター編集さんは、私に連絡をとってきたのです。
「で、そろそろクロノスの新作を書いて頂いて、タイムトラベル作品集を出そうと思うのですが」
「もうクロノス・ジョウンターの話は思いつきません」
「そこを何とか。時間ものなら何か出てくるでしょう」
食い下がってきます。「二、三日考えさせて下さい」その場しのぎの答えをして電話を切りました。確実にターミネーター編集さんは、T?1000編集さんになっていました。三日後、債権の取り立て屋のように電話が。
「いかがでしょう。アイデアの方は」
「あの。クロノス・ジョウンター方式は浮かびません」
「じゃ、他の方式ではいかがですか?」
「か・考えてみます」
それで考えたのが時間は螺旋状であるという理論。
書きました。それが、「君がいた時間ぼくのいく時間」です。
嬉しいことに、この作品も演劇集団キャラメルボックスで二月から舞台化されることになりました。しかも主演はイメージしていた上川隆也さんがやることに。
楽しみだなぁ、とぼんやり考えていたら、またしても、T?1000編集さんから鬼のような電話が。
「せっかくの舞台化です。クロノスを新書で出しましょう。そして目玉は、新作の書き下ろし」
あんぐりと口を開き返事もできません。もう、ネタがないと、さんざん言い続けてきたのを知っている筈‥‥。
「まだ、過去へ跳んでいない人がいます。野方耕市とか」
この編集さんはT?1000どころではない。地獄で亡者を苦しめる獄卒の化身です。
野方耕市はシリーズに必ず登場するクロノスの開発者です。
書きました。そして、もうすぐ発売です。
「クロノス・ジョウンターの伝説∞インフィニティ」(朝日新聞社)「野方耕市の軌跡」に加えて、短編「栗塚哲夫の軌跡」も。
ええ。血を吐く思いで書きましたとも。
「やっと、クロノス・ジョウンターの伝説が完結しました。もう書けません」
原稿を渡す際に、そう言い添えました。十四年にわたってのシリーズかぁ、と感慨もひとしおです。
獄卒編集さんが、空々しい相槌しか打ってくれなかったのが不安です。
それから「クロノスはインフィニティですから」と。

第38回「カジシン寄席」

あけまして、おめでとうございます。
このところ熊本では恒例になりましたが、初笑いということで、第四回カジシン寄席・立川笑志独演会を開かせていただきます。
笑志さんとは、奇妙な縁でつながっています。笑志さんは福岡出身ですが、私の大学の後輩になるんです。大学時代は落研だったそうですが、卒業後サラリーマン生活を経て、立川談志師匠の一門に入り、研鑽を積まれて昨年、めでたく真打ちに。
初めて笑志さんの名前を知ったのは、同窓会でもなく、私の机に届けられた一枚の名刺からでした。
その頃は、私は油屋をやっていて、モノ書きは裏家業といった生活をしていたのですが、
そんな私の店から、この立川笑志さんの名刺が。

「社長の小説をいつも読んでいる、と伝えて欲しいそうです。大学も後輩だって」
そう聞きました。名前も顔も浮かびません。
名刺入れに収めて数年が経ち、ある日のこと、出版社から新聞の切り抜きが送られてきました。「黄泉がえり」の書評でした。誰が書いているんだろう、と名前を見たら、立川笑志さん。
慌てて、笑志さんの名刺を探し出し、お礼のハガキを書いたのです。それに笑志さんが返事をくれて、文通らしきものが始まりました。
いや、文通といっても年賀状やりとりのようなものです。
年賀状に私が「一度、笑志さんの落語を聞いてみたいものです」と出すと、翌年の笑志さんの年賀状に「ぜひ、聞かせたいです」と書いてある。
そんなやりとりが数年続いて、笑志さんがパーソナリティを受け持つラジオ番組に電話出演という話が。それで初めて笑志さんとは、ナマのお声のご対面ということになりました。
それがきっかけになったのか、熊本でも笑志さんの噺を聞く会を開こうということになりました。
それが「カジシン寄席」の第一回。そして初めて笑志さんの講座を聴きました。

うまい!

舌を巻きました。初めて聞いたのは「元犬」です。SFや奇妙な話好きの私に目配せしていただいたのかと嬉しくなりました。それからも「元結文七」や「紺屋高尾」など人情系落語も、脂が乗りきっていて風格が漂っていましたねぇ。いっぺんに笑志さんの話芸のファンになりました。
その時期は、まだ笑志さんは二つ目だったのですが、すでに真打ちの実力だと認識した次第。
三回目カジシン寄席では、私の短編「月下の決闘」を新作落語として語っていただきました。いや、自分が作った話を落語として聞くのは何だか照れくさいものです。
そして今年のお正月十四日の夜に、真打ちになった笑志さんがカジシン寄席に還ってきます。今回は、私が前からリクエストしていた「芝浜」をやっていただく予定です。
それから、それから。
笑志さんから、ご相談の電話がありました。
三題噺をやりましょうか、という話でした。
ああ、私が題を出せばいいのか、と軽く考えていたら、それがちがう。
お客さまからお題を三ついただき、それを私が話にして、笑志さんに演じていただくという恐怖の企画であることが判明。
だから、私としては楽しみと同時に、とっっても心配なのであります。

第37回「私は、見た!!」

私は幽霊やらUFOは信じない方だ。ということは、以前にも書いたけれど、それでも私の周りには、そんな不可思議なできごとを体験したという人が集まってくる傾向があるのですよ。
つい先日も、そんな体験をした!私は、見た!という人の話を聞いてしまい、あんまりおかしいので、再録することにしました。
「梶尾さん。僕は宇宙人を見たんです」
「ええっ?どこで見たんですか?」
そんな話を聞いたのは居酒屋のカウンターで、相手は五十代のサラリーマンの方。嘘をつくタイプでは、ありません。
「旅行中です。波照間島に行ったときです」
「波照間島?」
波照間島といえば、日本も南の果てです。
そこに宇宙人(エイリアン)の秘密基地があるというのでしょうか?
「ええ、そこの海岸近くの公衆トイレです。そこで宇宙人と会いました」
「えっ?ホントですか?用を足していて、横を見たら宇宙人も用を足していた‥‥。そんな状況ですか?」
「いえ、そんなんじゃない。トイレから出てきたんです。」
「どんな恰好していたんですか?機密服を着ていたとか‥‥?」
「うーん。作業服を着ていたなあ。カーキ色の」
「普通の人間じゃないですか?」
「いや、あれは宇宙人ですよ」
「どうしてわかるんですか?」
「いや、一目見ただけでわかります。だって鼻から上は、額まで、こーんな(と言って、両手の指で大きな輪を作って額にあててみせる)目玉をしているんですよ。他に何だというんです。宇宙人ですよ」
「ヘェ。で、後をつけたんですか?近くにUFOとか停まってなかったんですか?」
「いや、そのときは尿意が勝っていて、見逃しました」
「ふーーーーーーーーーーーーーーーん?」 それから、「それは、波照間原人かもしれないではありませんか?」とか突っこんだんですが、本人は、宇宙人です、と頑と言い張るのでした。
「あっ、あっ、あー。梶尾さん、信用していませんね。実は法華院温泉でも、でっかいUFOを見たんですよ!」
「ええええええっ」
法華院温泉は、くじゅう連山の中にある。
「昨年の連休ですよ。男三人で平治岳に登って、坊がツルに下ってきて法華院温泉に泊まったんですよ。予約を入れてないから、大広間で他の登山客と雑魚寝の状態なんですよ」
法華院温泉は、山小屋と呼んだ方がぴったりと来る。私も何度か、利用したことがあるから、すぐにイメージが湧きました。
まさか、そこにUFOが‥‥?今度もホントかよ‥。眉にツバをつけながら聞く。
「あまりにまわりが騒がしいんで、飯食ってから、一人で外に出てみました。そしたら、夜空の星がぱあーっと広がっていて、静かだし、とにかくきれいなんですよ。感激して、しばらくボーッと見ていたらUFOが低く降りてきたんです。それで大船山くらいの高さで止まって浮かんでるんですよ」
「驚いたのなんの。最初、なんだろ!って思ったくらいです。で、UFOだ!って。真っ白く輝いてて、でかいんです。窓があって、中で誰かが動いているのがわかるんですよ」
「ふうん。他に目撃者はいるんですか?」
「そう思って友だちを呼びに行ったんです。あわてて‥‥でもダメでした」
「どうして?」
「UFOが飛んでる!って言ったんですが、友だちは、それどころじゃない!って」
「ええつ」
「今、部屋の隅で、お客のお姉さんたちが、ネグリジェに着替えているところだ!って」
「‥‥‥‥‥‥」
「それで、しばらく一緒に眺めていて、その後、友だち連れて皆で外に出てみたのですが、もうUFOはいなくなってました」
皆さん。この人の話を信じますか?
私は、山登りの山小屋にネグリジェを持参する女性がいるというのが、どうしても信じられない。
UFOが存在するか、しないかは別として。

第36回「アリンコ包囲網」

発端は、近所の蕎麦屋で昼飯を食べているときだった。
何やら首筋を這いまわっている気がする。いわゆる蟻走感というやつである。
何かがいる。虫のようなものが。
首に手を当ててみる。
手の中にいたのは、小さなアリンコだった。
もう秋である。それに、こんな街中の蕎麦屋に出現するなんて。
アリンコだったことで、とりあえずホッとする。ひょっとしたら、何かの禁断症状かと思ったから。更年期障害の症状の一つとしても蟻走感があるわけだし。ある種の知覚神経障害を起こしていたらと思ったのは事実。
それが、本当にアリンコだったこと。
よかった、よかった。何も薬物は使っていないからからナァ。
で、せっかく、この世に生を受けたのだから、と潰すにしのびず、テーブルの端にアリンコを放してやった。
そのまま仕事に戻って、執筆を続ける。
そして、夕方。左腕でまたしても蟻走感が。
あわてて、見る。
なんとアリンコがまたしても!
私の仕事場はマンションの三階にある。これまで蟻が現れたことはない。
何故だ?
アリンコを、よく観察する。さっき、蕎麦屋で首筋を這っていた蟻と同じように見えて仕方がない。
これは偶然だろうか?
私を慕って、蕎麦屋から私の服にくっついて仕事場までやってきたというのだろうか。
真実はわからなかったが、アリンコは潰さずに、ベランダへ放してやった
さっさと家へ帰れよ、と。
その翌日。
仕事をしていると、またしても首筋に蟻走感が!
手をあててみる。
なんと!
またしても同じアリンコ。形もサイズも、前日のアリンコとまったく同じ。
ということは、前日ベランダに放したアリンコ?
やはり、慕われている!
これほど執念深いとは。アリの深情けだ。
怖くなり、慌てて今度は隣の部屋のベランダに放してやる。その位置からは飛び越えてはこられない筈だ。
何故、ここ迄しつこくつきまとわれるのかが、わからない。
机に戻って、ふと思った。これまでのアリンコは、実在したのだろうか?
ひょっとして、蟻走感だけが本物で、逃してやったアリンコたちは幻覚ではなかったのだろうか?
そんな思いに駆られて、不安を抱えたまま自宅へ帰る。
これで、明日またあのアリンコが出てきたらどうしましょ。
夕食どきのことである。
「変なことがあるのよね」
家人が言う。
「何でしょうか?」と訊ねる。
「朝、掃除していたら、お父さんが寝ていた場所に、蟻がいっぱいいたんだよねぇ」
げえっ。
もちろん、アリンコの話は一言もしていない。何やらアリンコに呪われているのではないか‥‥。
ぞっと、寒気がしてきた。偶然ではなかったのだ。何故かわからないが、私はアリンコ包囲網の中にいたらしい。
ただ、これまで見ていたアリンコが幻覚でなかったことだけは確認できた。
ただ、正体のわからない何かの意志を感じつつ。
それ以来、アリンコにまつわる現象はぴたりと止んでいる。
何故かということはわからない。いろいろと、想像はするのだが。
たとえば、アリンコが喜ぶ“性フェロモン”を私は分泌するような体質になっていたのかもしれない、と。あるいは、糖尿病体質になって私の出す排出物(汗やら何やら)に惹かれて寄ってきたというのだろうか?(これは、厭な可能性である)
原因は謎のままである。それ以上、アリンコ現象が続いているわけではないから、よしとすることにしよう。
願わくば、逃してやったアリンコさんたちが、きれいな女の人になって戻ってきて「命を助けてくれた恩返しをさせてください」と言ってくれないかなあ、‥‥ってことだけである。

第35回「説明できない出来事」

SFみたいな話を書いているから、UFOとか信じてますよね?と
言われたりするのだが、実はあまり信じていない。
訊ねられて、そう答えると意外そうな顔をされる。
UFOを見たこともないし、もちろん幽霊にも出会ったことがない。相手の方はつまらなさそうである。
仕方がないので「あ、カラスが横断歩道を歩いて渡るのを目撃しました」と言っても、あまりインパクトはなさそうである。
じゃ、何にも不思議な体験はないのですかと訊ねられて、よくよく考えてみたら、古い古い体験で一つだけある。
つまらないことかもしれないが、どうしてそのようなことが起こったのか、私の中で未だにうまく説明ができないのだ。
もう五十年ほど昔の話なのだが。
そのとき、私は小学校の四年生くらいだったかと思う。
場所は、わが家の台所。
わが家は、とにかく古い家屋である。その頃の台所は、改造前で土間があった。
土間に流しがあり、母は、そこで私を叱りながら、ラッキョウ漬けを作っていた。
土間の横に板部分があった。その板は、はずされていた。下は貯蔵庫になっていた。漬物用のかめやら、一升瓶やらが入っている。漬けたラッキョウを、そこに保管するために開けられていたいたのだ。
その横で、私は正座させられ、母の小言を延々と聞かされていた。
何で叱られていたのかは、記憶が定かではない。テストの成績が悪かったのか、あるいは、何かいたずらをしでかしたということなのか。いや、そういうことは、どーでもいい。要は、子供を長時間ぶつぶつ叱っても、何も効果はない。それだけは確実だ。
話それました。
いいかげん解放してくれよと、私は心ここにあらずの状態で、ひたすら耐えていた。
視線は、その貯蔵物をぼんやり眺めつつ。
そのとき、それが起こったのだ。
貯蔵庫には、一列に一升瓶が五、六本ならべられていたのだが、そのうちの数本は、空っぽの瓶であった。
そのうちの一本の空瓶が、突然にポンと音を立てた。かすかな音だ。
見ると、瓶の栓が二〇センチほども上の宙に弾き出されてくるくると舞っているのだ。
何故?
もう、目は釘付けである。
不思議は、それだけでは終わらなかった。
栓はくるくると回り続けた。それは二、三秒のことだったかもしれないが、私には長い長い空中滞在時間に思えた。
そして‥‥。
その栓は落下した。
何処へかというと、元の位置へ。再び、飛び出した一升瓶に、ぴたり!と納まったのだ。
「あっ」と思わず声をあげた。
その不思議さを我慢することができず、母に言った。興奮して。
「ねぇ、今、一升瓶の栓が飛んで、くるくる回って、また自分で栓しちゃったよ。何故、こんなことあるんだろう」
だが、母は、私の言うことを「何、馬鹿言ってるの」と信じなかったばかりか、自分の話を真剣に聞いていないと、火に油を注いだように怒り狂ってしまったのだった。
それから再び延々と小言が続くのだが、二度と、その怪奇現象は起こってくれなかった。
そのできごとは、五〇年経過しても忘れられない。
いろんな理由を考えてみる。
貯蔵庫のふたを取っていたから、気温が上昇し、瓶の中の空気が暖められて、栓をはじき飛ばした‥‥。一番、科学的な理由だ。しかし、その現象は一本の空瓶だけなのだ。そこまでは、可能性としてあり得るかもしれない。だが、栓が元の瓶に落下してピタとおさまる確率は、どのくらいだろう。
まず、あり得ない。
では、何故、こんな現象が起こったのか?
私が動かしたのだろうか?とも思う。子供は念力(テレキネシス)を使うことがあるともいうし。あるいは、ポルターガイストの一種?
といったことなのですが、これが唯一私にあった不思議な体験です。
あまり、地味なので面白くもないと思いますが、真実はどこにあるのでしょうか。

第34回「台風カレー」

最近は、地球温暖化の影響だろうか?台風の威力が以前より増している。予報では風速四十メートルなぞあたりまえ。最大瞬間風速六十メートルとか報じられると、いったいどうなることやらと恐怖に震える。
まったく、そんな風速は、想像もつかない。
ネットなどの書き込みを読んでいると、何故か、台風が接近すると「エッ。進路が、こちらに向かってるって?急いでコロッケを買っておかなくては。コロッケ、コロッケ」というのが、増えてくる。
台風襲来に備えて、停電しても食べられるコロッケが、食糧備蓄の代名詞になっているらしい。
ところで、私だが、台風のときは、飛ばされそうなものを補強したり、片付けたり。
そんな作業が終わったら、やることがなくなる。台風が来たら外に出ることもかなわなくなるなぁ、とレンタルDVDを借りに行ったり。借りてきた後で、あ、停電になったらDVDも見られないよなぁ、と気付く。
それで、恒例になりつつある、台風前の行事。
身を持てあまして、自分でカレーを作るんです。
市販のルーを一切使わない、わがまま、我流の男の料理。
おいしくて、自分で納得のいくカレーを食べたい。時間をかけて作りたい。コロッケなんて、どうでもいい。うまいカレーを食べたい。
ご飯さえあれば、たとえ停電になっても、山歩き用のガスバーナーでカレーをあっためれば、いつでも食べられる。しかも、時間を置いた方が、味が落ち着いてくる。
そんな勝手な理由付けをしてカレーを作ります。
台風迎撃準備を始める前に、スーパーに行って牛スジやら馬スジやらの安い肉をたんと買ってきます。ホルモン用の肉でもOK。そして、鍋の中に固い牛スジ肉を放りこんで、ひたすら炊き続けます。その間は、補強や片付けに集中するのです。
終了したら、厨房に再び立つ。
玉ネギを三個ほどスライスして、バターでひたすら炒める。この工程がとにかくつらい。しゃもじで、延々と掻きまぜながら炒めるのだけれど、すべての玉ネギが焦げ茶色になるまで。
もう、ここで暑さで涙と汗だらけです。汗が鍋の中にしたたり落ちますが「塩気だ、塩気だ」と一向に気にしません。途方もなく長い時間に感じます。それにトマトの熟したのを一個分。さらにカレーパウダーを入れてほどよく炒めて、朝から煮込んだスジ肉の汁をドウッと入れる。それから後は、ガラムマサラを入れる。リンゴを擦ったものや、ヨーグルトや、味噌や、お好み焼きソースやら、とにかく、味見を続けながら、冷蔵庫内の肥やしと化していたものは、何でも入れる。
それから後‥と書いたがフェイクジャズの演奏に似ているような気分。だが、そのあたりから、家族が厨房に入ってこないように。
一度なぞ、カレーにプルーンジャムを入れているのを娘に目撃されて、非難されて以来。
だが、カレーって何を入れても、それなりの味になってくれるのが嬉しい。唯一、入れないのが、小麦粉だけ。あとは、何でもあり。
煮込んだスジ肉もとろとろになり、絶妙カレーだと、自画自賛する。
あとは、台風がうまく逸れてくれることを祈るばかりなのだが。
今年は、何回カレーを作らなければならないのだろうか?
それだけが心配だ。

第33回「あなどれんぞ、カラス」

人間以外で、知能が高いのはサルやイルカというのが定説だが、いつも私が驚かされるのは、カラスの頭の良さである。
コマーシャルで、カラスが殻を割るためにクルミを道路に置く、という描写がある。
まさか、そんなこと、と思っていたら、どうも本当らしい。
自分の目で、いくつかのケースを確認するに至って、カラスって頭がいいんだと、感嘆すること、しきりである。
くじゅうの山の中を歩いていたときのこと。中岳の最後の登りの手前の岩場。リュックが三個置かれていた。
山頂までガレた登山道を数十メートル登るだけだから、リュックの持主たちは、身軽にして山頂を極めようとしたのだろうな、と思った。
そこに、飛んできたのが、一羽のカラス。リュックに近付く。
どうするつもりなのか、と私は立ち止まって様子を見ていた。
ところが‥‥。

カラスは近付くや、二つ付いているバックルを嘴で開け始めた。
無駄な努力をして‥‥。と思って、せせら笑いながら私は見ていたのだが、なんと、二つとも、あっという間にはずしてしまった。
ええっ?
カラスは、おもむろにリュックを開き、中に嘴を突っ込んでビニール袋を引っ張り出す。
あ・わ・わ・わ。
リュックの持主が、今、山頂から下ってきて、カラスが飛び立ってしまえば、リュックを荒らしたのは私だと思われてしまうではないか!
「これは、カラスの仕業ですよ」と主張しても、バックルを二つともカラスがはずしたなんて信用してもらえる筈がない。
それからカラスがどのような行動をとったのか確認しないまま‥‥。
私は脱兎の如くその場を遁走したのです。
あれ以来、朝ゴミを散らかすカラスを防御する方法は存在しないのではないかと考えるようになりました。どんな方法を使っても、それを無効化する方法を編み出すにちがいないと思える。
最近遭遇した、もう一つの例。
熊本市のはずれの田園地帯を走っていたときのこと。
前方に信号があり、黄色に変わったので、運転していた自動車を停止させた。
歩道の手前に人の姿は、まったくない。
代わりに‥‥。
目を疑った。
カラスが、一匹立っているのだ。
信号待ちをしていたのである。
で、歩行者信号が青になると、そのカラス、すたすたと私の車の前の横断歩道を歩きはじめた。
それから、渡り終えたカラスは、どうもそれで気が済んだようで、ばたばたと、いずこへか飛んでいったのだった。
飛べるのに、なんで信号待ちなんだよ!
理由は一つしか考えられません。カラスは馬鹿な人間の真似をして“遊んでいた”のではないだろうか?
やはりカラスは途方もない知恵を持っているとしか考えられない。
自分たちを攻撃する特定の人間を、カラスは見かけて仕返しをするという話も、最近聞いたばかり。
その特定の人だけを狙って、糞をかけたり、嘴で襲ったりするらしい。
ということは、カラスは人を一人づつ識別できるんですね!
カラスの知能の限界は、どこにあるんだろう。
ひょっとして、今の人間たちが滅んだら、次の地球の征服者は、カラスなのではなかろうかと、考えてしまう。

第32回「ホラー映画の法則」

熊本では、お盆は七月ですが、昔から七月盆あたりから怪談映画が増えてきますねぇ。納涼怪談というか、ぞっとして暑さを忘れさせるという発想なのでしょうか。
欧米では、日本と違ってクリスマス前後が、ゴーストストーリーが多いってことを聞きますが、どうなのでしょう。私は、根っから、怪談、ホラー、SFといったものが好きなので、この手の映画は、年中のべつ観ています。特にB級C級ホラー。
すると、いくつかの約束ごとが見えてきました。ホラー映画の法則というか‥‥。
それを書いてみることにします。思いついた順番に。

●断崖絶壁沿いの細道を進む描写があったら、一行の誰かが、必ず谷底へ落ちる。

●怪物、怪人、ゾンビなどに追われて、逃げようと飛び乗った車は、キィを回してもエンジン
 がかからない。

●ヌードになると、おっぱいの形が今ひとつだったり、貧乳だったりという女性が怪物や殺
 人鬼の犠牲になる傾向がある。

●エッチなカップルから順に、怪物や殺人鬼に殺される傾向がある。

● だいたい不気味な音楽が流れ始め、登場人物が、怪物がいないかと、カーテンの後ろや物陰
 を覗き込む。しかし、そこには、いないことが多い。やあ、安全だ、と登場人物がホッとし
 た瞬間に、怪物は突然襲ってくる。

●パーティーシーンがあれば、その会場は必ず、阿鼻叫喚のパニック状態になる。

●途中で怪物や殺人鬼を退治するために発明されたり、考案される解決策は、だいたい役に立
 たず効果がない。逆に、一層、悲惨な結果を招く。

●上映時間30分を過ぎないと、怪物、怪人は姿を見せない。。

●B級C級ホラーの登場人物は、だいたい全員アホである。
 観客が観ていて、やるんじゃない!ということをやる。
 一人になるんじゃない!という場所で、仲間とはぐれたり、単独行動をとりたがる。
 音がしても見に行くな!というとき、アホだから、すぐに見に行き、殺される。

●登場人物の中で一番の美女が、最後まで生き残る。

●死んだはずの怪人、怪物、殺人鬼は、エンドマーク前に、実は生きているということを匂わ
 せる。ちっとも意外じゃない。

●一番最初の犠牲者は、金持ちか、意地悪な中年か、ルールを無視する生意気な若者のいづれ
 かである。

●主人公と敵対するキャラクターは、かなり最後まで生き残る率は高いが、必ず残虐な殺され
 方をする。

●怪物や怪人に追われるヒロインは、もう少しで助かるという場所まで来て、必ずコケる。
 だが、危ないタイミングで助かる。

このパターンを、すべてはずしたホラー映画であれば、その映画はすさまじい傑作であるか、箸にも棒にもかからない駄作であるかのいずれかだと思うのですが。
ホラー映画を観るときに思い出していただければ、ニヤリとできますよ。