第101回 恵方巻きの惨劇

私は季節感のあるものが大好きな人間であります。夏至の日にはカボチャを食べ柚子風呂に入ります。
 正月は三ヶ日の内に必ずとろろ汁を食べます。皆さんのトコでは三ヶ日の内にとろろ汁を食べると中風にならないと言いませんか?七日には七草粥が定番ですよね。

 さて、最近は恵方巻きなるものを耳にする様になりました。節分の日にその年の縁起のいい方向を向いて巻き寿司を食べるというイベントです。子どもの頃は聞かなかったから、バレンタインのチョコレートと同じ様に、最近流行し始めたものでしょうね。
 恵方巻きを食べると、縁起がいい。恵方巻きを食べると、いいことがある。そんな感じです。
 さて、今年の節分は、日曜日でありました。そこで、私が考えたのが〈山へ登り、頂上で恵方を向いて恵方巻きを食べる〉でありました。
 仲間はすぐに決定。そして、せっかく山頂で食べるんだからと、おいしいお寿司屋さんに恵方巻きを注文。山は熊本県北部の山頂から四方が見渡せる八方岳に決定しました。
 早朝からスタート。風もない好天。晴れ男集団の登山か!というくらい恵まれた条件でした。約二時間で山頂へ。いつも地面がぬかるんでいる印象がある山頂近くでも、登山道が乾いて歩きやすいのなんの。まさに、天の高みにいる誰かに祝福されての山歩きでありました。
 山頂へ到着すると、お昼前。今年の恵方は南南東ということで、コンパスで正確に方位を計測。そして、恵方巻きを黙々といただきました。恵方を向いて食べながら下界を見下ろすと、何とものどかな気持ちでしたね。日常で心の中に溜まっていたストレスが、ゆるゆると融けて流れて行くのがわかりました。
 これで、この一年は幸運に恵まれる。そう確信しましたね。
 さて、その帰りのことです。
 ああ楽しかった。最高の山行だったと登山口までたどり着きました。そして駐車の場所まで移動するときのこと。
 舗装道路です。なぜか足を滑らせ転びました。思わず右手で身体をかばったのですが。
 痛ッ!!
 見ると右手の小指が、人間に指では絶対にあり得ない方向に曲がっているではありませんか!我ながら、ぞっとしました。
 慌てて、左手で無理に右手の小指をあるべき位置に戻しました。痛かったけど。これで見かけは普通。
 ただし、帰ってから夜中に痛んで痛んで。
 翌日は朝っぱらからお医者さまのところへ。
 お医者さまはレントゲンも撮らずに一目見ただけで「こりゃあ、骨折してる。一目瞭然」
 ギブスをつけられました。
「いつ、取れますかねえ」
「三週間。最低ね」
 私は原稿は手書きなのです。でも、折れているのは小指だけだから字を書くのに不都合はないかな、と思ったのですが……。
 大きな間違い。いつもペンを握って書くペン先の位置が違う。ギブスに入っているのに、無理した指の形になり、痛い!痛い!
 数行書くのが、やっと。仕事にならない!
 それが三週間続いたのですよ。
 仕事は進まない。風呂に入っても身体を洗えない。夜中に痛みで目が覚める。
 山道でもないところで何故転ぶんだ!!あそこに魔が潜んでいて足を引っ掛けたのかよ!
 ふと、思い出しました。
 山頂での恵方巻きの結果がこれかよ!
 一年間、幸せなことになる筈じゃなかったのかよ!
 ひょっとして、コンパスが狂っていて悪しき方向を向いて食べてしまったのではなかろうか?
 いや、食べ終わるまでに無意識に喋って悪いものが私の体内に一気に入り込んで来たのでは?
 三週間が経過してやっとギブスが取れました。ところが、その間、小指を全く使っていなかったので麻痺して小指が曲がりません。激痛が走るわ、涙がでるわ。
 ギブスが取れたら原稿が渉る予定でした。何のそのです。ギブスが保護してくれたのですね。痛む痛む。数行づつしか書けません。
 日数がクスリとはよく言ったものです。それから日が過ぎ、やっと、この状態にまで回復しました。
 そして教訓!
 恵方巻きを信じるな。
 この話を会う人ごとにやっているところです。ギブスが取れないときも山登りには出かけていました。福寿草を見に登ったときは、右手に手袋をつけられないので、鍋掴みを付けて行きましたけどね。
「恵方巻きを食べて良かったんじゃありませんか?ほんとうは、もっととんでもない目に遭う筈だったかもですよ」
 なるほど、いろんな考え方があるものですね。
 で、今、完全回復した訳ではありません。やっとここまで回復したものの、数行書けば痛んでいたのが、数十行は続けて書けるようになったというものですが。
 もし、恵方巻きに効果があるのなら、今年の残りは幸運の連続にしていただきたいものですよ。
 頼むよ!

第100回 私の書棚ですか?

先日、あるところからご依頼を受けました。
 ご依頼の内容は「書棚を撮影させてください」というもの。
 シリーズの企画のようで、いろんな方の書庫を紹介していくというものらしいのです。

 正直感心しました。読んできた本でその方の精神形成やら好みの方向がわかるのではないか、という発想で組まれた企画なのかな、と。
 ただ、書棚を、ハイご自由に撮ってくださいと即答しかねるのです。
 そのことを今回は書いておこうかな。
 幼い頃から、本大好き人間でした。というのも、その頃の私は病弱で、すぐに発熱してしまうわ、腹を下してしまうわで、小学校に入るまではそんな状態が続きました。だから、外で遊んだ記憶はほとんどありませんし、友だちなんてもってのほかでした。
 そのときの反動で今はアウトドアが好きなのかなあ、と思うのですが、それはまた別の話。
 そんな状態で今の私に大きな影響をもたらしたことが二つあると思います。
 一つは、食に対しての渇望。毎日が、絶食あるいはお粥と鰹節だけの食生活。その頃の治療法はそれしかなかったのかな、と今では思います。飢餓感だけはあったので、病気が治ったら何を食べたいというリスト作りをせっせとやったのです。「ステーキ」とか「カステラ」「アイスクリーム」「オムライス」「たまごやき」と書いていたのを覚えています。
 今でも、珍しい食べものに目がないというか、いやしいというか。そのせいですね。欠食児童の残像現象みたいなもので、決してグルメではありません。
 さて、二番目。こちらが今回の主題です。
 病気で動けなかったから本を読むことしか楽しみがなかった。テレビもない時代のこと。ひたすら本を読んでもらい、字を無意識に覚え、小学校に入るときは、無差別に本を読み漁る状態でした。本を読む楽しさに開眼したわけです。その頃には絵本は卒業。ひたすら読み続ける。しかし、無制限に本が買い与えられるわけではないので、買ってもらった本は何度も暗唱するほど読むわけです。そして、大人の本だろうがなんだろうが家にあった本も次々に読みました。お気に入りの本は何度も読みましたね。それから読んだ本は、またいつか読むかもしれないと思いこんだ気がします。
 本棚が、どんどん増えていきました。読んだ本が処分できないから。また、いつか読むときに見つけられなかったらどうしようという不安。それに加えて読みたい本を探して買ってくる。その頃、コレクターと呼ばれたこともありましたが、実は、「読みたい本を買ってきて、読んだ本を捨てなかった」だけに過ぎないのです。
 我が家は古い家ですが、オンボロな代わりに貯蔵スペースには事欠きませんでした。だから、物心ついてから買った本は、山のように残っていたのです。
 処分すべきかどうか迷いつつ。いつかまた読みたくなるかもしれない。そんな気持ちで。
 さて、20年前に熊本を台風19号が直撃しました。そのときは、我が家も大きな被害を受けました。あばら屋と化し、雨月物語の世界みたいな家になって。そして、幼い日から溜まりに溜まった本たちも雨に濡れ、膨れ上がって……。
 そのとき、やっと決心がつきました。助かった本たちは熊本市の図書館に寄贈したのです。何千冊あったかな?
 すると……。
 本に対する執着が嘘のように消えていたことに気がつきました。読んだ本が処分できなかったのは、妖怪「本とっとけ」の呪縛にかかっていたのだと気づきました。長年本を溜め込み、その本たちが妖力を持ち、私に本を集めさせていたのです。
 以来、年末になると、その年読んだ本は古本屋に売り払うことになりました。
 すると、これまで気がつかなかった物の見方ができるようになりました。
 本というのは心を豊かにするために読むものだ。だから、心のご飯だと。
 で、読み終えた本というのは、もう必要ない、心が養分を吸い取ってしまった心のウンコみたいなもんだよな、と考えるのです。
 つまり、書棚を見せてくれというのは、心のトイレを見せてくれというのに等しいのではないか、と。(暴言であることは承知しております)
 だから、最初に書いた「書棚を撮影させてください」というご依頼。
 一応、その通りに申し上げるつもりであります。どう判断なさるんでしょうか。
 ちなみに、昨年の読書本は処分したばかりなんですが。

第99回 山ごはん・浜ごはん。

アウトドアが好きです。
 それも山歩きだけでなく、山菜採りやキノコ採り。
 で、なにが楽しくてアウトドアなんだよ、と思われるかもしれない。
 

そりゃあ、日常生活では絶対に味わうことができない景観を堪能することができる、というのは、あります。知り合いには「山へ行く。ピークハントすれば一瞬にストレスが解消できる」と宣言しておられる方もいます。確かに、そうでしょう。
 僕の場合は、プラス・アルファがあります。
〈アウトドアで、いかにうまいものを食べるか!〉
 そこに執着があるんですね。
 人間の寿命が決まっているとすれば、食事の回数も決まっている。
 つまり一生のうちに食べる料理も有限なのです。
 だからといって食べる回数や量を無計画に増やせば、寿命は短くなってしまう。カロリーの摂り過ぎは病気の元。インプットとアウトプットのバランスは大事です。カロリーの摂取と消費が釣り合っていること。
 だから、アウトドアで歩きまわった後に、消費したカロリーに見合うごちそうを食べるというのは、理にかなった楽しさであるわけです。おまけにストレスが完全に取れていくのが実感できます。
 僕が昔、山歩きを始めた頃は、カップ麺が多かったな。後は、バナナやら、パンやら。バーナーでお湯を沸かしてラーメンやインスタントスープ、焼きそば等。
 あるとき、壁にぶつかったことを感じました。
 これは、いかん!
 せっかく、こんな素敵な環境の中で、日常食べているものを食ってはいけない!
 こんな非日常の世界では、非日常のものを食すべきである!と。
「学生時代、キャンプの晩飯にカレーを食べて、途方もなく美味に感じたことがあるよ。いつも学生下宿の四畳半で作る即席カレーと同じ品なのに。だから、環境によって美味くなることってあるんだよ」
 そんな意見ももちろんあるのは承知の助。
 ぼくは、ぼくの信念で取り組み始めましたね。
 最初に作ってみたメニューは今でも思い出せます。
 雑炊です。ただ、特殊なアレンジのラーメン雑炊。コンビニでラーメンとおにぎりを買って行きました。で、鍋の中にラーメンを作り、家から持っていったキムチを混ぜる。それにおにぎりを入れてグツグツさせて、生卵を落とす。食べるときに、おにぎりの海苔を千切ってふりかける。
 おっかな!食す。結果は……美味かった。
 これは、小岱山は観音岳頂上で作りました。忘れもしません。だが、周囲の人たちは明らかに引いてましたね。
 次に、羽田空港で買った「もんじゃ焼きの素」を山の上で食べましたなぁ。これもバーナーとフライパンで。これは久住大船山の山頂で。
 そのあたりから「より美味なものを、より美味に食べられる場所で」とエスカレートしていきます。
 卓上ガスコンロと鉄鍋を担ぎ、九重星生山から白口岳に回り鍋割峠で食事をしたときは、松阪牛と松茸の「魯山人風すき焼き」でありました。登山者から「何を食べてるんです?」と問われて「松阪牛と松茸のすき焼きです」と答えたら大笑いして立ち去られました。信用されてなかったなぁ。罰当たりすぎるもんなぁ。
 だんだんエスカレートして制御が効かなくなるのは、その頃からですね。で、どのような傾向かというと……。山や野で、んまいもんを採って、その場で料理にしてしまうという何とも贅沢な食べ方。
 特殊な例だと天草の山に登った時に、魚屋で活き魚を買っていって、山頂で海鮮鍋をやって、刺身まで食べたことも。車海老が鍋から飛び出して困りました。
 春は山菜の天ぷらですが、行きつけのお蕎麦屋さんに山を降りてすぐ持ち込んで揚げてもらったり。
 秋はキノコですが、ポトフにとれたキノコを放り込むと、これが美味い。ホイルに包んでホイル焼き。また、すき焼きにキノコ鍋ということになります。
 去年の年末は浜の松林で採ったシモコシをオムレツにして食したら、これも、んまかった。
 しかも山仲間も心得たもので、皆、調味料や食材やら道具類やらの充実ぶりに舌を巻いてしまいます。これからも、まだまだエスカレートを続けそうな予感が。しかも凄いのは、料理が無国籍化、創作料理化していることなのですよね。
 ふと思います。
 例のカレーの話じゃないけれど、こんな創作料理を一人部屋の中で、ぼそぼそ食ったらどんな味なのだろう。やはり感動的なのかなあ。

第98回 夢のことなど。

あけましておめでとうございます。
 この一年が皆さまにとって充実した時間になりますように。
 

さて、お正月の話題となると、おめでたいものでなくてはならない、という気がします。
 一年の計を占うのは、初詣に行って神社で引くおみくじでしょうか。それから、初夢で何を見たかで、その年がどんな年になるかを予想したり。
 夢については前にも書いた気がしますが、実は人間の心って、こんな変なものを想像してしまうのだ、という典型的な例として夢のことを思い出してしまうから仕方ありません。
 夢って何だ?といえば、睡眠中に見る幻覚のことなのですが。
 心理学者たちにも夢は研究の宝庫にも見えているようで、夢が何を意味するのか、さまざまな解釈が存在します。フロイトだと性的な願望に意味づけられたり、ユングだと宗教的現象に。他にもいろいろですね。そして、心理学的解釈と同時に、夢は昔から超自然的なお告げとして考えられてきたらしい。それが変形していって、夢占いということになるんですかね。
 私が、いろんな方から受ける質問で多いのは「どうやればアイデアが湧くんですか?」というもの。
 あるときにふっ、とアイデアは下りてくるんです。すると「どんな時に下りてくるんですか?夢のなかですか?」
 なるほど。夢の中だと変なアイデアがいっぱい生まれてくるような気がするのですね。
 しかし、夢の中で面白い話に出会って、慌てて目を醒まし、夢で見た粗筋を枕元のノートに書き込みます。
 確かに、その時はこんなに面白いワクワクがする話があったのだ、と興奮しています。しかし、翌日目が覚めて仕事の寸前にそのメモに目を通すと……。
 何が書いてあるか全く意味不明。何を言いたかったのかもわからん始末です。
 その時に、夢は創作の手助けにはならないのだ、と確信した次第。
 そして、小説を書く際にタブーとなっているのが“夢おち”なのです。
 奇天烈な事件が起こり、不思議な事が次々と連続していく。さて、どうなるのだろう。この不思議な出来事の真相は?そして、絶体絶命の危機に陥った主人公は、どうやって逃げることができるのか?
 そんなハラハラの状況で真相が明かされる。
「そこで主人公は、はっと目が醒めたのだった。ああ、よかった。あれは夢だったのか。そうとわかれば、あとひと寝入りするか」
 どうです。これをやれば、脱力させること必至ですよね。
 つまり、ラストも夢は使われないほうがよろしい、ということになる。
 ただ、皆無ということではありません。私の作品の中でも、唯一ですが夢にヒントを頂いた小説はあります。「干し若」という短編です。夢で見たのは、吸血鬼から血を吸った蚊が馬や犬の血を吸うと、その動物たちも吸血鬼になってしまうというもので、夢を見ながら、変な話だなあ。何という話なんだろうと考えていると、どこからか声が聞こえてきて、「この話は、干し若というんだ」と。もう例外中の例外ですね。
 だから、夢が小説を書く手助けになるとは、あまり考えていません。
 ただ日常生活の影の部分を、夢は連想しながら見せてくれているのだろうな、という気はしています。あるいは夢ならではの願望とか。
 実は私は高所恐怖症で、飛行機に乗るのが大嫌いです。しかし、夢の中では空を飛ぶのが大好きなのであります。ということは、これは夢だとわかっているのかもしれません。これから眠りの中に入ろうという時、私は、両手を広げ離陸しようと全力で走っています。うまく行けばテイクオフで飛び上がり、夢の中で飛行を続けることがよくあるのです。そのとき、空中を飛びながら、「夢はいいなあ」と考えて下界を見下ろしているのを覚えていますから、奇妙な気がします。
 だから、夢のお告げや予告やらはあまリ気にしないように。縁起が悪い夢だって、逆夢と考えて下さい、と終わればいいのでしょうが、最後に、夢でこういうこともあるのだ、ということを書き添えておきます。
 学生時代の友人の体験談で、彼自身から聞いた話。
 夢に女性が出てきて、その女性と楽しく話していたそうです。その女性はクラスは同じだったけれど、全然意識していなかった。特別美人でも好きなタイプでもない。なぜ、その女性が夢に出てきたのか不思議でならなかったそうです。その女性が夢に出てきた理由をいろいろ考えたが思いつかない、と言っていました。
 それから、しばらく後のこと、私は彼がその女性と付き合いだしたことを知ったのです。
 予知夢だったのか?夢を見たことで意識下に女性のことが刷り込まれたのか?あるいは、女性が彼の夢の中に潜り込むまじないでもやったのか?
 この不思議な話を後年、酒の肴に話していたとき、ある男の言ったことが忘れられません。
「そりゃぁ、生霊が夢に入ったんだよ」
 さあ、皆さまの初夢が楽しいものになりますように。一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭と祈りつつ。

第97回 魔境を彷徨う。

ある日、突然にそんな悲劇は起こる。
 仕事場で頭を捻っていると、突然の電話。何事かと思ったら、古い家屋の我が家に白蟻が発生したという。場所は我が家の書庫から二階にかけて。
「じゃ、早く白蟻業者に駆除して貰いなさい」

 そう言ったら、すでに業者に見て貰ったという。そして、駆除に入る前に、作業できるよう片付けてくださいと言われた、と。
 その白蟻が巣食っているところの前に本が積まれている。本の山を取り除くこと。そして、書庫横の物置きまできれいにしておかないと作業に入れない。そうなのか。
 仕事を中断。慌てて帰宅する。そしてその作業量を確認。愕然とした。
 予想を遥かに超える物置きの荷物。本の量も半端じゃない。よもやこれほどあるとは。これだけの荷物をどこへ運べばいいというのだ!
 しばし、茫然自失。目の前が真っ暗。
 へたり込みそうになったが、それではいつまでも事態は進展しないと自分に言い聞かせ、作業を開始する。
 座敷の廊下にともかく荷持を積み上げる。本棚を運び、そこへ本を入れてしまう。そこまではいい。腰痛自覚し始めるものの、とりあえず、『順調だ』とつぶやくのだ。まぁ、ある種の“強がり”だけど。
 それで半日。そしていよいよ、物置きと言う名の魔界に足を踏み入れることになる。しかし、魔界が、そう簡単に侵入を許してくれる筈もない!
『うわっ』ちょいと触れただけで何やら崩壊してしまいそう。足の踏み場もない。
 まず、二十世紀の年賀状が出てきて不安が募ってくる。物置きの内部には数十年の時代を超えた怨念のようなものが詰まっている。瘴気とか妖気とかいうものが漂っている気配があるのだ。
 ほら、昔から言うじゃないですか。道具も使い続けて何年も経てば物の怪に(もののけ)に変化するとか。
この物置き自体も、まさに、そのような感じだ。一つずつ品物を運び出していく。マスクと手袋をしているからいいものの、埃が舞い上がる。
 老母は以前から頂きものがあったら、どんどんこの物置きに放り込んでいたらしい。その結果だ。
 長年のお歳暮やらお中元やらも。
 まさに魔境。鬼が出るやら、蛇が出るやら。おっかなびっくりである。
 出てくるわ、出てくるわ。
 結婚式で頂いた引き出物。皿やカップやら。まだ、名前が貼ってある。この人たちは、もう銅婚式過ぎてるんじゃないか?とか、ええっ!このカップルはすでに離婚しているよなぁ!とか。人生ドラマあり、と呟いて作業中断。ブランドものの食器や、結婚した夫婦の名が入ったアルバムとか。呆れて眺める。どうするべぇ。
 驚いたのは故人の写真が出てきたこと。葬儀の時に頂いたような。捨てるに捨てられず、とってあるようだけど、それほど親しかったわけじゃなく。どうしよう。
 ここで、最近の便利な言葉。
 断捨離!
 それから、魔除けの呪文として使い始める。
「断捨離!断捨離!」
 便利な言葉でありました。煩悩を捨てる!不要なものを残さない!
 母の世代は「もったいない」「まだ使える」なので、ものが捨てられないのだ。よし、天に代わって無駄を捨てる。残すか、残さないか迷ったら捨てる。
 ゴミ袋が大量に生産されました。
 おかげで、2日で白蟻撃退準備が完了した。
 あれほど邪気が溜まっていたというのに、もう気配さえも感じられない!
 いやあ、清々しい。
 ここでは、いくつも真理を学んだなあ。
 「物置きに保管されている9割は不要品である。」うちは持ち家だけど、「借家だったら、この空間にも家賃を払っていたことになるんだ」とか。考えると、もっと他に使い途あったよなあと反省されることでしょうぞ。
 さて、後日談。
 白蟻の駆除を済ませ、友人たちと山歩きに出かける。
 山頂で、先日の物置き魔境で発見した、頂きもののスープの缶詰を皆にふるまう。東京の某一流ホテル製のスープである。温めて分けると、皆、「これはうまい」と大好評だった。それで、調子に乗って、そのスープの缶詰がどういう経緯のものかを教えたのだった。美味しい筈だ。魔境から発掘したものだから、と。得意になって。
 すると、一人が、はっと気づいたような表情を見せて叫んだ。
「えっ!じゃあ、このスープの缶詰はもしや……。賞味期限の方は、どうなっているんですか?」
 すると別の一人が缶詰のそこを確認する。
「去年の3月で、賞味期限が切れている」
 すると、皆は…。
「う・ええええええ」
「う・ええええええ」
 仕方ないじゃないか。高級一流ホテルの缶詰スープだ。皆が喜ぶと善意で持参したのだから。皆、美味しいと言って食べていたではないか。缶詰に賞味期限なんて発想はなかったよ。
 誰もお腹を壊したとは聞いていないし。

第96回 スロベニアは竜だらけ

かつては、ユーゴスラビアだった国々ですが、面白いことに国境を越えるとガラリと雰囲気が変わるんです。
 ドヴロブニクからスプリット・トルギールを出てクルカ国立公園をまわってクロアチアを出ました。それからボスニアヘルツェゴビナに2泊したのですが、それまで見なかったモスクがあるんですネ。それから、自動車が古い。

ムスリムの人たちをよく見かける。民家がなんだか薄汚れている気が。垢抜けない、というか。国民性も、通関でわかります。なんと、ボスニアのビバッチという街のホテルに泊まって他の国を観光するわけで、だから国境を朝と夕に通過する。つまり、1日2回バスを降りて、ナチスに並ばされるユダヤ人みたいにずらりと順番を待ち、パスポートを見せなければならない。ボスニアに入国するときの愛想が悪かったこと。
 それに、ホテルの部屋は狭いし料理はまずいし、クーラーはついていない、と最低・最悪の印象しかないので、はしょります。
 ただひとつ。ボスニアの田舎道の印象を記しておきますと、やたら上半身裸のおっさんが目立っておりましたなぁ。
 スロベニアに入国するときの審査官のお兄ちゃんが、やたら笑顔で愛想が良くて、この落差はいったいなんなの!ECの国に入るんだという気分になりましたよ。
 昼食で行ったレストランも味付けはちゃんとしているし、まともな国に来た気分でした。
 スロベニアのイメージは、一言で言えば“竜”でしょうか。どの観光地に行っても、竜に関連したエピソードがあるようでした。
 ボストイナ鍾乳洞の奥深くに入りました。ディズニーランドのトロッコみたいなもので地下へ行くのですが、地表より20度低い世界。石筍やらの岩の模様が独特で地獄巡り、胎内巡りの印象です。H・R・ギーガーの怪物画やガウディの建造物を連想します。とにかく、広い、でかい、の異世界でした。水槽の中に、この洞窟の名物である生物、ホライモリがいました。一年間餌なしで生きていけるという生命力を持っているらしいけれど、竜の末裔のようなイメージで語られていますね。
 ブレッド湖に行ったら、竜の組立人形が売ってあったし。
 そういえば、ブレッド湖の中央の小島に教会があった。手漕ぎボートで渡るんですが、島に渡って98段の階段を登った上に教会があるんです。で、言い伝え。結婚するとき、花婿が花嫁を抱っこして登りきれば二人とも幸福になるらしい。途中でへたばれば……不幸な末路ということでありました。
 へたばったら、どうするんだろ、と思いましたが、よくしたものです。この協会には170キロの重さの鐘があるんです。この鐘を3回鳴らせば願いが叶う、と、私も鳴らしてみましたが、たしかに重い。でも不可能じゃありません。だから、もし花嫁を階段の途中で落としても、この教会で鐘を3度鳴らして幸せを願えば、挫折は帳消しではありませんか。
 リュブリャナ市にも行きましたが、橋には欄干に竜が!座ってる!竜の橋です。
 その近くで、リュブリャナ市の日本語観光パンフレットを見つけました。それを読みました。
「リュブリャナ発の見最善方法」とある。あ、日本人が書いたものではないな。
「達人からの口コミ情報」とありました。「リュブリャナ川に沿って歩きながら数のカフェやパブをひやかす」
 数のカフェってなんだろう。見て回るのではなく「ひやかす」ですか。
「旧市街の石畳を歩きながら、遠き昔の空気を吸い込む」遠き昔に思いを馳せると言いたいのかな?遠き昔の空気を吸い込む様子を想像して脱力しました。
 リュブリャナ市の旗があったんですが、城の上に竜がいるというものでしたよ。ここにも竜が。
 そしてパンフレットの最後に、こう書かれていました。
「私たちは環境を大事にしているので、再生紙に印刷しています」
 たぶん、日本に留学していた方が作り、チェックを受けないままにパンフレットになってしまったという印象ですね。
 でも、雨宿りで寄った市内中央の観光センターではアンケートを頼まれたほど(もちろん日本語)ですから、かなり日本人観光客ターゲットに考えているのだな、と思いました。
 アジアの龍。そしてこちらの竜。やはり、なんだか共通点がありますね。架空の爬虫類というか、そんなイメージ。どれも人間出現以前に絶滅した恐竜のイメージとダブりますよね。そんなイメージが人間の潜在意識に刷り込まれているのかなと思いますよ。

第95回 旅に出ました。その2

クロアチアは、ザグレブではなく、ドブロヴニクに到着しました。
 未知の国に入る瞬間は、着陸前から気になるものです。下を見下ろしてびっくりしました。
 地方の空港だからかなあ。滑走路は一本しかない。しかも滑走路以外は草ぼうぼう。

 ただし、驚くことがありました。前回のエッセイにもちょいと書きましたが、入国管理官といい、空港スタッフといい、若い女性は美女揃いなのです。手足が長くて、顔が小さくて、プロポーションは抜群。日本のテレビに出ているタレントやモデルみたいな女性が、右にも左にも。確か、ミラ・ジョボビッチはクロアチア出身だったよな、という予備知識はありましたが、そんな美女たちだけの国ってあったんだぁ!
 だが、しかし。
 外に出てきて素朴な疑問が。若い美女は相変わらず多いのですが、中年以上の美女が見当たらない。
 ???疑問符が行列で並びました。中年以上の女性は、みなドラム缶かビール樽みたいな方ばかり。ひょっとして、あの美女たちが年月を経て妖怪化すると、こうなるの?でもその中間形態がないじゃない。そんなはずは。ミッシング・リングか。
 ホテルは海岸沿いでした。
 早朝の海岸沿いを歩くと、遊歩道が切れてごつごつした岩場でした。しかし、海の透明なブルー具合と言ったら……。この世のものとは思えない海の色でした。そう。アドレア海なのですね。
 ぼんやり海を眺めていて気がつきました。海から顔を突き出したような巨石に、なにかペンキで書いてある。野暮だな!と思って読んでみると「NO NUDEST」
 わわっ。どうもここは、ヌーディストが侵入して楽しむ場所らしい。待っていたら、またヌーディストがやってくるんだろうか?それともここで勝手にヌーディストになるんだろうか?どちらでも構いませんが、変な東洋人がうろついていたためか、ヌーディストは出現しませんでした。
 朝一番にスルジ山へロープーウェイで登りました。スルジ山は旧市街の背後にある山で、その山頂からは旧市街が一目で見渡せるので、人気のスポットだそうです。
 数分で山頂到着。あっけない。確かに眺望は素晴らしい。海に食い込むように広がった世界遺産の街です。独特の茜色の屋根が広がって、おとぎの国のような印象でした。その街を城壁がぐるりと取り囲んでいる。そう。旧市街は海上城塞都市なんですよ。この街を見ている頃から、暑くなって来ました。ここの夏の暑さは尋常なものではなく、ジリジリと首筋を焦がすような暑さです。ただ湿度が低いのが幸いです。だからといって暑さが和らぐわけじゃない。しかし、ここは低いとはいえ山の上。温度をロープーウェイ乗り場で確認。36度ある。ということは、100m高度差で0.6度違うから……まさか下界は38度。
 海岸に近いというのに。しかし、ロープーウェイで下ったところで、それが真実であったことを確認しました。
 正確には日陰で39度だから日向では……。つまりサウナ風呂に服を着て入っているようなものですよ。旅行社で聞いたときは現地は26度くらいですなんて抜かしやがって!
 旧市街は完全に観光地で、お土産物屋、飲食店がずらり。とにかく暑さを逃れるために、生ビールを飲みました。
 暑かったからか、それともこの地のビールがうまいのか。そのビールが極楽に連れて行ってくれました。とにかくこんなにうまい生ビールは、初めてでした。
 さて、旧市街を取り囲むような城壁の上は、歩いて回れるようになっていました。しかし、屋根があるわけじゃないから、直射日光があたって40度ははるかに超えているはず。しかも、有料です。(日本円で1,000円くらい)
 ドブロヴニクはかつてラグーサと呼ばれていたのですが、ラグーサとは“石”という意味。歩いてみて実感できました。ピレ門から城壁に登りました。下を見下ろすと、旧市街は観光客で大混雑していて、正直その人ごみにゾッといたしました。それから、迷ったのですがその人ごみに戻る気にならず、約一時間かけて旧市街を取り巻く城壁を一周しました。途中、海上からの侵略者に対抗するための古の大砲なども鎮座していて、スクリーンの世界に飛び込んだような錯覚がありました。歴史映画、あるいはその青い海を眺めると「紅の豚」のイメージ。このあたりは、要塞なんですね。ボーカル要塞から歩き続け南東の聖イヴァン要塞から見下ろすと……。
 あっ、これがドブロヴニクの観光写真を撮る場所なんだ!と判明。ガイドブックで散々見慣れていたから。
 クロアチアなんだ!ここは!と実感しました。
 それから城壁を下りた頃は、脱水症状の熱中症一歩手前。クロアチアにアイスクリーム屋がやたら多かったのも納得です。そのアイスクリームもうまかったぁ!
 今年の日本の夏は36度というのも体験しましたが、この貴重な灼熱地獄体験のお陰で、「クロアチアじゃ炎天直下40度。ぬるい湯加減ですよ!」とほざいて顰蹙(ひんしゅく)を買いつつも、それほど苦しまずに、日本の夏を乗り切れた気がするんです。

第94回 旅に出ました。そのⅠ

海外旅行に行って来ました。
 数年前に釜山に行きはしましたが、これは期間的にも感覚的にも国内旅行の延長のような感じ。フェリーで行って帰ってくる。壱岐か対馬よりちょっと遠いところへへ2日ほど出かけた感じでした。
 10日以上の日程で、しかも飛行機に乗って海外旅行をするというのは、本当に久しぶりです。

 そんな長距離の海外旅行をやらなかった一番の理由は、飛行機が苦手だということです。離陸時のあの浮揚感も嫌いだし、この床の数メートル下は何も存在しない宙空なのだ、と想像しただけで、「ありえない」と考えてしまいます。飛行機が飛ぶ原理は頭では理解しているつもりですが、想像力のほうが私を捉えて離さないのです。他にも理由はたくさんあります。機内でタバコが喫えないというのもありましたが、数年前に禁煙に成功。以来、この点は問題ないのですが。機内が乾燥して喉がからからになるのも嫌ですね。長時間身動きできないから、エコノミー症候群になるのではないかという恐怖もあります。しかし一番の理由は、やはり高所恐怖症だということですね。
 SFを書いたりする人は宇宙船の描写をやったりするわけだから、飛行機なんてなんでもないでしょう。そう言われますが…。
 先日亡くなったレイ・ブラッドベリさん。日本で国際SFセミナーがあって、お会いできるかなと楽しみにしていたのですが、来日はありませんでした。理由は「飛行機が嫌いだから」
 ブラッドベリさんが日本に来なかったのは残念ですが、理由を聞いて嬉しくも思いました。「あ。僕と一緒だ」きっと、想像力が旺盛すぎると、恐怖が際限なく増殖するのでしょう。何せ、離陸と同時にカラスが吸い込みから飛び込み、失速して地面に激突、炎上みたいなイメージが、パターンを変えていくつも生まれるのですから。
 そんな飛行機恐怖症を乗り越えて、「行ってみようかな」と考えたのは、「行けるうちに行って、見れるものは見ておくべきではないか?」という考えに振れたことであります。
 以前は「とても2時間もタバコを喫わずにはいられない」というのが自分に対して海外旅行に行かない言い訳ですが。関係なくなったし。
 離陸時の恐怖が和らいできたのは、この年齡になって、想像力が摩耗してきたからかなと思ってしまいます。
 それから、自分の想像力の中に新しい経験を注入しておくのも良いかなと思ったからです。
 まだ行ったことのない土地を舞台に話を組み立ててみようか。新鮮なプロットが生まれるかもしれない。つまり取材。つまり仕事である。
 勝手な理由をつけましたが、旅行先はクロアチア、スロベニア。それからボスニアも。
 なぜ旅行先がそこになったのかというと、「遠い国」というイメージがあったからです。直行便がなくて、必ずどこかの国で乗り換えなくてはならない。下手すれば、一日近くたどり着くまでかかってしまうと書かれていた国。ところが、そのとき、たまたま直行便ツアーというのがあった。それで、発作的に申し込んだのです。
 月の3分の1を不在にするのですから、お受けしていた仕事は、出発の前日までに、すべて納品しておきました。しばらくは連絡とれませんということも言い添えて。
 だから、旅行前日まで仕事を続けていたおかげで、旅行先に関する何の予習をすることもなく、飛行機に飛び乗ってしまったのです。
 ぼんやりと知っていたのは、第二次世界大戦後はユーゴスラビア連邦と言っていたよなあ、ということぐらい。チトー大統領の死後、スロベニアの独立に続いて、いくつも民族紛争があって現在に至っているんだよな、という浅い知識しかない。通過はユーロでいいのかな?とぼんやり考えていたほど。だから飛行機の中で訪れる国のガイド本を読んで予備知識を勉強しました。泥棒を捕まえて縄をなうような所業ですね。
 訪れる場所と、その名所の歴史的背景をページをめくりつつ確認するのでありました。
 で、そこで初めて知ったのですが、訪れる場所に、やたら“世界遺産”が多い。
 “世界遺産”ってのは、人類が後世に残すべき自然や遺跡を、ユネスコが認定したものですね。日本では屋久島とか宮島とか石見銀山とか。阿蘇山や富士山でさえ、まだ入っていないんだよなあ。日本全国で44カ所だと思いましたが。
 で、日程を見てみると、ほぼ毎日、異なる世界遺産を訪れることになっている。激しいな!と思わず呟いたのは、なんと一日に2ヶ所の世界遺産を訪ねる日もあるんですから。
 予習をやりながら、機内ではビールを何杯もおかわりしておりました。その予習も中途半端なまま居眠りしていると、直行便は早々に最初の目的地、クロアチアのドブロヴニクに到着したのであります。
 空港を機内から眺めて驚嘆。
 ドブロヴニク空港、熊本空港より小さい!
 そして、もう一つ。機内で予習した本にはまったく書いてなかったこと。
 空港に入って出会う若い女性が、皆、美人ばかりであるということ。すらりとしていて眉目秀麗です。入国審査官まで美人ですよ!
 初めは、「空港だけ?こんな美人を揃えているのは?」思ったのですが、そうじゃなかった。

第93回 何が怖い?

 八月のコラムということであれば、やはり怪談噺とかが日本では定番のようですね。外国では、いわゆるホラーとか幻想譚は冬場のクリスマス前後に、暖炉の周りで語られることが多いです。やはり、日本では納涼という目的がはっきりしているということでしょう。ただ、個人的に怖い話を聞いたり読んだりしても、暑さを忘れるようなことはありません。どこかの時代で、夏場は納涼怪談噺というイベントがあって、それが定着した結果ということではありますまいか。

 一応、そんな日本古来の伝統に従って私の身の回りで起こった怖い話はないか、と考えてみたのですが、超自然的な怖い話はほとんど、というより、全くない。
 二十歳の頃、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた時、暴走車が飛び込んできて、計量器に激突。その横にいた私は、おしっこチビリそうになった……というのはありますが、人に話しても、あまり怖がってもらえません。
 やはり、幽霊や化けものが登場しないと、怖いと思えないのでしょうか?
 化けもの、というより妖怪に縁のある場所には行ったことがあります。
 天草に巨石群を見に行った時のことなのですが、天草市の栖本町を車で走っていると道沿いに看板が。
〈油すましどんの墓〉
 一瞬、どんな意味なのか戸惑いました。それから思い出したのは、水木しげるさんの妖怪画に出てきた姿です。『油すまし』って、平べったい石のような頭に全身を蓑で覆った妖怪だったよなあ。杖をついていたのではなかったっけ。
 墓があるということは、その妖怪はこの地で死んだということなのかな?
 好奇心の強いのが自分だ!と思って車を止めました。県道から、まだ奥に入らなきゃならんみたい。県道沿いの空き地に車を置いて歩いて行くと、細い道の端に「油すましどん」と方向が書かれていました。あれれ?さっきは墓と書かれていたのに、墓じゃないのかな?
〈伝説 油すましどん〉
〈油すまし 駐車場〉
 なんだか、県道で見た時より看板も段々チープになっていきます。不安です。本当にここに油すましどんがいるんだろうか。(どん、というのはここいらの~さんといった敬称なんだろうな。もう敬称は省略されている。)
 で、細くなった道を歩くと……。
 まだかよ~、と言いたくなる頃、道の右手に看板がまたしても。そこには、
〈ようこそ〉
 なんだか、「注文の多い料理店」て感じですね。なにが〈ようこそ〉だよ。油すましが歓迎しているのかな?どんどん不安になってくるではありませんか。
 トホホ感を我慢すると、またしても細い道から右へ降らなきゃならん。
 そこが、そうだったのです。物干し場みたいな板場があります。三畳くらいかな。そして書かれていました。
〈「油すまし」伝説 発祥地〉
 仏像が三つと、立派な杖が一本。はぁ?これだけ?墓じゃないではありませんか。
 帰ってから腑に落ちないので調べてみました。ある郷土史家の方が書かれた『天草島民俗誌』に〈油すまし〉が紹介されています。
 例の場所を老婆が孫を連れて通るとき「ここにゃ昔、油瓶さげたん出よらいたちゅうぞ」と孫に教えてやったら「今も出るぞー」と声がして……。
 そんな昔のことが記されているんですが、妖怪とも物の怪とも書かれていない。油すましがどのような姿かもわからない。どんな悪さをしたのかもわからない。「油瓶さげたん出よらいた」というのは、「油瓶をさげたのが現れていた」ということで妖怪とは限らないのでは?
 姿は完全に水木しげるさんの創作ですね。
 この「油すましどんの墓」は栖本のかっぱ街道にあります。
 全然、涼しくなれない妖怪です。というより意味不明といったほうがいいか。
 そんな妖怪レッテルがついてなくても、ぞっとした話を。
 しばらく前に、阿蘇のことを書くために取材でまわったことがありました。Yさんという地域の伝説や歴史に詳しい方で、年輩ですがとてもお元気でおもしろい方でした。そのYさんに案内して頂き、熊野座神社の巨岩にでっかい穴が開いた穿戸の穴やら、清栄山近くの高森殿の杉などを見てまわったのです。そこに、Yさんに携帯電話が入りました。で、話をされている声が嫌でも聞こえます。「ああ、その日は駄目駄目。山に入れないよ。予定はないけど、その日は山に入っちゃいかん」
 電話を切ったYさんに尋ねました。
「今、◯◯日は山に入れん。予定があってもなくても入らん…そう言ってましたね。なぜですか?」
 それまでニコニコ顔だったYさんの表情が変わりました。眉を寄せて私を睨んで。「そりゃ山に入っちゃいかん日だから、ですが」
「なぜですか?」私は禁忌の理由を知りたかっただけです。で、Yさんは…、何か言おうとしたのですが、結局黙したまま、何も言わなかった。
 この時のほうが、ぞっとしましたね。言わないほうが、言うより何十倍も恐怖が増幅するんだと思い知りました。
 で、ぼんやり考えるんです。その日に山へ行くと何があるんだろうって。
 あっ。そんな感じで阿蘇を舞台にした不思議長編「アラミタマ綺譚」(祥伝社)を出します。どうぞ、読んでくださいますよう。伏してお願い申しあげます。

第92回 夢のマルティニーク島

実は、今、ラフカディオ・ハーンが登場する小説を書いている。エマノンシリーズの初長編になる「うたかたエマノン」で、『読楽』という雑誌に連載させて頂いているのだが、その中で彼に重要なキャラクターを演じてもらっている。
 もちろん、日本を訪れる前の時代の話だから、小泉八雲とは名乗っていない。不思議なものと、エキゾチックなものが大好きな、少々偏屈で変わり者の物書きおじさんとして描いている。時代は十九世紀の末だ。
 

その時代の、ラフカディオ・ハーンの著作『仏領西インドの二年間』をモチーフに書いている。
 ハーンの『怪談』は高校生の頃に、よく読んだ。怪談には違いないのだが、ユーモアがあるものもあれば、切ない気持ちになるものもある。それに奇妙な味の短編もあった。ハーンの怪談の、読めるものは全て読み漁った時期がある。その経過の中でたどり着いたのが『仏領西インドの二年間』だった。
 ハーンは日本を訪れる前に仏領マルティニーク島に滞在しているのだが、そこでも奇妙な話や恐い話を収集していたのだ。そしてその本の中に、マルティニーク島に伝わるさまざまな怪異が描かれている。私がゾンビという超自然的存在のことを初めて知ったのは、実は高校生の時ハーンによってだった。もちろんこの本の中で。ただし、ジョージ・A・ロメロの映画によって定着したゾンビのイメージとは大きく違うのだが。
 私は、日本を舞台にした作品とはまた異なるテイストに魅力を感じ、その時代のハーンのことを調べたりもした。アメリカで新聞記者をやっていた頃から、少しづつマルティニーク島に興味を抱き始めていたことも知った。そして調べていくうちに、マルティニーク島にハーンが滞在していたのと同時期に、タヒチに行く前の画家ポール・ゴーギャンもここにいたことを知ったのだ。
それから私の中で」、ずっと妄想が燻り続けている。
 もし、ラフカディオ・ハーンとポール・ゴーギャンが会っていたとすれば。
 しばらくしてエマノンシリーズを書くことになるが、エマノンは太古から生命の発生と進化の記憶を四十数億年に渡って持っている少女の話だ。不老不死ではなく、記憶だけが世代を超えて引き継がれていく。ただしその少女に名前はなく、便宜上エマノンと名乗っているのだ。
 ならばエマノンもその時期マルティニーク島を訪れていたならば。
 そんな長編をずっと書こうと思っていた。だが、書けなかった。
 マルティニーク島の土地の感覚が、全くわからない。描写しようとしても、具体的な風景が頭の中に浮かべられない。いや、ぼんやりとは浮かぶのだが、それが正しい光景かどうかもわからない。そんなんじゃ、描写も出来ない。
 結論としては「一度、マルティーニク島へ行ってみよう。そして自分の肌で島を感じて来よう。執筆するのは、その後だ」
 それから時は流れ、他の執筆にかかっているときも、魚の小骨が喉に引っかかっているように、マルティニーク島のハーンとエマノンの話が気になっていたのだ。
 だからオープニングはこう。プロットや登場人物のキャラはこう。エンディングは、こう。そんな妄想だけは膨れあがってくる。マルティニーク島に関する小説や映画、テレビ、料理、音楽、アンテナに引っかかってくる情報は、全てチェックした。マルティニーク島の名物のホワイトラム酒の存在を知れば、知り合いにお取り寄せいただき、味見して宿酔いになったことも。それでも筆を執る勇気が湧かなかったのだが。
 さて、熊本市内にも、ハーンが熊大に勤務していた頃の住まい跡が何軒かある。そこに足を運ぶ。最初に足を向けたのは安政町の公園の片隅。ここでハーンは何を見たのだろう。公園、デパート。全く想像がつかない。次に壷井の住居跡に。そこは……社宅になって集合住宅があるばかり。
 そこで、気がついた。きっとマルティニーク島を訪ねても、熊本と同じように百年前の光景は見ることが出来ないのだと。
 それから呪縛が取れたような気がする。宇宙に行ったことのないSF作家が他の惑星を描写するつもりで、十九世紀末のマルティニーク島を描写すればいいのだ。
 そう自分に結論づけると、ストンと憑いていたものが落ちたような気がする。
 だから登場人物は、私のハーン、私のゴーギャンだ。舞台も私の妄想の中にある、私の百年前のマルティニーク島なのだ。
 私が描く何十光年も離れた惑星メフィスと同じなのだ。
 それから、いいペースで滞ることなく書き進めている。今では、ホワイトラムで宿酔いになることもない。