第186回 こんなお仕事

 バーのカウンターで同業者たちが口角泡を飛ばしながら何やら言いあっていたので耳を傾けた。どうも地方大手の施設業者に対しての苦情のようだ。資材担当の男が煮ても焼いても食えないひどい奴のようで同業者たちは不満たらたらだろう。
「値引き要求がエゲツない。見積りのときに値引きさせ、請求書を出しに行くと難癖をつけてまた値引き。支払ってもらいに行くと、端数は引くよ!とまた値引きされる。ひどいと思いませんか」
「そうだ。そうだ。あんなにひどい納品先はない!われわれを虫けらのように考えているんだ」
「皆そう思っているんだから、誰か文句を言ってやればいいのに。誰かいないか!」
 ところが誰も名乗り出ない。そんなものだ。やはり私の見込み客らしい。立ち上がって会話に加わる。
「お話、横でうかがっていました。私がお役に立てると思います」
「何だ、お前」と全員がうさん臭そうな視線を向けてくる。私は名刺を一枚渡す。
「はい。私は“文句代行業”です。本人からは文句や苦情が言えない方々のために、私が代わって文句を伝えに行きます」
 そう言ってポケットから鉢巻を出す。鉢巻には「文句代行」と書かれている。そしてモニター画面を見せた。
 会社に私が訪ねていって担当者に文句を言っている場面だ。それは、こんな具合。
「誰だ、お前は。勝手に入ってきやがって」
「ちわー、文句代行業です。お伝えにまいりました。あなたは無神経だそうです。皆が迷惑している、と伝えろ!ということです。少しは反省しろってことです。できたら、豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ!もございます。以上でーす。失礼します。じゃあ文句お届けの受領印をお願いします」
「誰の依頼だ。こんなことを言わせるのは」
「それが、私の仕事のツボでございます。依頼人の方のお名前は、絶対に明かすことはできません」
 モニター画面を見ていた皆が、 なるほどーっ!という表情で顔を見合わせる。
「これなら、いいかもしれない。誰が文句を言っているのかわからないし、皆の気持ちもちゃんと伝わるみたいだ」
 すると一人が聞いてきた。
「いやぁ、凄いお仕事と思います。納入先へはぜひ文句を言ってもらいたいけれど、他にもあるんです。うちの近所にヤクザの事務所が最近越してきているですよ。家内や子どもたちが怖がりましてね。警察は取り締まってくれているようなんですが、子どもたちが脅えていると文句言ってくれますか」
「はい。もちろん、文句代行はお請けしますよ。ただし、文句代行先によって割高料金適用になりますね。身体的に危険が伴う文句先かどうかは表にございますのでご覧ください」
 それで納得されたようだ。すると別の人がまた尋ねてきた。
「あのー。うちの家内に言ってもらいたいんですよ。夫に対しての態度が悪いぞ!夫に失礼だぞ!って。請けてもらえますか?」
「はい。もちろん、お仕事ですからご要望どおりに致しますが、奥さまに文句代行してもすぐにだれの依頼かおわかりになるのではありませんか。それでもよろしいですか。あとがより怖いことになりますよ。直接ご自分で仰ったほうが効率的と思いますが」
 そう答えると尋ねた男は胸に手を当ててしばらく考えていたが、恐怖に襲われたようにぶるぶると頬を震わせ、首を横に振った。
「わかりました。や、やっぱりいいです」
 結果的に、彼らは私に文句代行を依頼してくれることになった。
 私は早速相手先へ出向き、プロフェッショナルらしく仕事を完遂した。資材担当の男は私の文句トークをまともに受け取ることができず、七転八倒する。他人には厳しく言うが、自分への批判はうまく受け止めることができない人物のようだ。私から逃れるようにこけつまろびつ上司のもとへ。
 私もサービスのつもりで上司へも文句トークを。ひとりひとりの心からの恨みつらみを放ってやった。上司も私の語る文句には手も足も出ず、ぼろぼろと涙を流すのだった。
 二人とも会社の床で腰を抜かし、返す言葉もなく小便を垂れ流したほどだ。
 もちろん、誰が依頼したかは絶対に伝えない。それは私の職業観、倫理観、道徳観でもあるのだ。そして、最後にきっちりと付け加える。「誰が言ってるって?みーんな、そう言ってますよ。では、こちらに文句を言われたという認印をお願いします。あ、サインでもかまいません」
 依頼主たちのところで経過を話すと、皆が大喜び。さて、次の仕事だ。私は、鉢巻を裏返すと床に手をつき平伏した。つまり土下座だ。
「本当に申し訳ありませんー!」
 皆が仰天。「な、何をしてるんです」
 裏返した鉢巻には「土下座代行」と書かれている。
「向こうさんから依頼されました。私の名刺をよくご覧ください。“文句代行”の一番下の行です」
 そう。そこには土下座代行の表示も。最近は多角的に需要を掴んでいかないと食っていけない。
 世知辛い世の中なのだ。
「申し訳!ございません」と床に頭をつけた。

第185回 伝説の食堂

 恋人の和子が行ってみたい食堂があるという。レストランでもなく、オープン仕立てのカフェでもない。
 食堂というのが不思議だったが、和子がごちそうしてくれるというならかまいはしない。
 出会って半年というところか。私好みの美人だった。知り合ったのはSNS上だ。和子の投稿に私がコメントしたのがきっかけだった。たがいにコメントをつけあうようになって、同じ地方都市に住んでいることがわかり、話題も盛り上がっていった。おたがいにダイレクトメールで顔写真を交換すると、和子は意外と美人ということがわかった。気に入った。
 それは和子も同じのようだった。
 私が和子に夢中になっていったのは当然のことだろう。だから、コメントをSNSで交わしあう内に、自分をカッコよく見せたい気持ちもあり、かなり脚色して書き込んだ部分もある。収入は現実の三割増しくらいで伝え、学歴も詐称してしまったのは反省してる。
 そして私は和子と実際に会った。SNSでは写真と実物が別人くらい食い違っているケースが多いのだが、和子は写真通りの美しさと可愛さだった。私の好意が愛情に変わった瞬間だった。
 それから私は和子に好意を持たれるように、自分のすべてを繕って彼女に接するようになった。出会う前に写真だけは私の日常のものを見せていたのだが、幸いなことにそうハンサムでもない容姿を和子に気に入ってもらえたことには、感謝してもしきれないのだ。
 私と和子は交際を続けることになった。そして、私は和子に結婚を申し込むことにした。
「大事な話をしたいのだけれど」と伝えると、店で食事をしながら聞く、という。それがこの“行ってみたい”食堂だったというわけだ。警察署の隣りにあるからすぐわかると和子は言った。
 店はすぐにわかった。
 小さくて古かった。昭和の初めからあったかのような食堂だった。すでに中で和子は待っていた。老夫婦でやっているようだ。和子が選ぶくらいだ。そんなに美味しい食堂ということなのか。
「日替わり定食でいいですか?」と和子が言う。それで構わない。お婆さんがすぐに持ってきた。変わったところもないアジのフライと豚汁、それにご飯と香の物。「いただきます」と箸をつけた。普通の味だ。出来立てということを除いては特別に美味しくはない。ただ、懐かしい味だった。
「話ってなんですか?」食べ終わると和子が尋ねる。もっと考えながら伝えようと思ったのに、素直に口から出て自分でも驚いた。「和子さん、結婚してください」
 彼女はすぐにはそれに答えず、私に尋ねてきた。
「経済的にやっていけるの?」
 そうだ。これまで私は彼女に見栄を張ってきた。「実は前に言ったのは嘘で、薄給なんだ」なんで正直に言ってしまうのだろう。
「そうですか。他に嘘を言ってたことはないんですか?」
「あ。学歴は高卒でした。国立大卒と言ったのは嘘で、和子さんに好かれようと」
 どうしたというのだろう。尋ねられると、これまでついていた嘘を白状してしまうのだ。まずいと思うが、止められない。
「趣味は読書と言ったけど、本なんてこれまで三冊しか読んだことない」
 言葉が下痢症状を起こしたかのようだ。
「でも、これだけは本当だ。和子さんのことが大好きだ。一生愛してる」
「私も本当のことを言うわ。私は四十二歳。あなたより一回り上よ。それでもいいの?」
「もちろんだ。和子さんのことが大好きだ」
 和子はじっと私の目を見て、プロポーズを受けると答えたのだ。私は大きくため息をついて安堵した。そして言った。「ありがとう」と。
「なんでこの店を選んだかわかる?」と和子が言った。わかるはずもない。
「ここは伝説の食堂なの。『正直屋食堂』といって、ここの料理を食べると本当のことを話さずにはいられなくなる…と言われてる。だから、大事な話と聞いたときに、ここで食べながら、ってお願いしたのはそういうことよ。そしてわかった。伝説は本当だった。あなたは本当のことを包み隠さず話してくれた。そして私も本当のことを話すことが出来た。自分の本当の年齢のことをこれまで誰にも話したことなかったのよ」
 それで、この店を…。私は和子の気持ちが少しだけわかったような気がした。彼女は二人の間に嘘がないことを願ったのだ。
「料理はどうでした?美味しかった?」と和子に尋ねられた。「ああ」と答えようとした私だが、口をついて出たのは「うーん。普通の味かな」
 それを聞いて和子は満足そうにうなずく。
 そのとき、奥で電話が鳴る。お客の注文のようだ。お婆さんがお爺さんに叫ぶ。
「出前が入ったよ。至急、隣の警察署にね。取調室にカツ丼一丁だって」

第184回 先輩がミャオ

 先輩の様子が変だった。
 電話で話した後で気になって先輩のマンションに寄ってみた。先輩はここで愛猫と一緒に暮らしている。家族はいない。しかし、飼っている猫が大好きなようだ。だから先輩は一人暮らしを続けていても苦にならないらしい。仕事は先進医療の研究とのことだが、その分野では先輩のような変人は少なくないのかもしれない。部屋の中に研究に必要なのかもしれぬ医療ロボットやらが何台もあるし、住まいが工場なのかもわからない。ワンフロアーを先輩が一人で借りている。内部はまるで町工場みたいだ、と言えばいいのか。心配が取り越し苦労であればいいが。
 先輩!元気ですか!と部屋に入り、驚いた。
 部屋中にソファーがあり、そして先輩の愛猫、三毛猫のミャオが鎮座していた。ミャオは、先輩がもう10年以上可愛がっていた。まさに家族以上のメス猫だった。ミャオと呼ぼうとして変化に気がついた。なんとミャオの頭が猫ではない。先輩だった。
「どうしたんですか先輩。変わり果てた姿になって」
「おお。どうして、ここに」
「電話で様子が変だったから来てみたんですよ。驚きました」
「ああ。俺が虚血性の心臓発作を起こしたとき医療ロボットがやってくれた。ミャオが数ヶ月前亡くなったときに遺体を保存しておいたから、医療ロボットが俺の組んだプログラム通りにな。早々に俺の頭にぴったりの肉体はない。しかしミャオは免疫反応はクリアしてた」
「だから、三毛猫の身体に頭を接着したのですか?これでは人前に出たら皆、大騒ぎしますよ」
「別に人前に出る必要はない。それに俺はミャオを何にも代えがたいほど可愛がっていた。だから、ミャオも生前は俺になついていたし、俺もミャオのことを愛していた。そんな俺がミャオと一緒になれたなんて素晴らしいことだとは思わんかね!」
  まさにマッドサイエンティストだ。
「なにも人間の身体であったときと変わることはない。ペンを握るのは不自由だが、キーボードなら自由に押せるし、今は音声入力も可能だ」
 そう言って、先輩は右前肢でキーボードを叩く。参考文書を検索していたようだ。そして〈注文する〉を押して得意そうに言った。
「な。こうしていれば外に出なくても必要なものはここに配達されるし、研究に不自由を感じることはない。」
「さぁ、この書の関連本は他にはないのか?」先輩がパソコンに叫ぶと画面にずらずらと関連本が並ぶ。音声入力の検索でも大丈夫だというのがよくわかる。
「必要なものはここに届くし、作業がいるものはロボットがやってくれる。俺とミャオは一心同体で何も困ることはない」
 なるほど、とも思う。まさに先輩にとってはこれは理想なのかもしれない。
 そう思ったときに外から先輩の名を呼ぶ声がした。「いるんでしょう。返事してくださいよ」それから、ドアの開く音。中年男がずかずかと部屋に入ってきた。しまった。ここへ来たときにうっかりロックするのを忘れたようだ。先輩が叫ぶ。
「何を勝手に入って来るんだよ。家賃なら来月分までネット振込を済ませているだろう!」
 そうか。入ってきた男は、この部屋の家主か。しかし、店子のところに家賃も溜まっていないというのに、何をしに来たんだろう。
 家主らしき男は血相を変えて叫び返した。
「うちのマンションでは、ペットを飼ってはいけないことになっている筈だ。ご存知でしょう。なのに、おたくはルールを破って猫を飼っているではありませんか!他の入居者の方にしめしがつかない。ペットを手放すか、ここを退去してください!」
 すると、先輩はしらっとした顔で「えっ。うちはペットなんか飼ってませんがね」と、猫の手で頬を掻きながら言う。家主はその態度にも神経を逆なでされたようだ。
「それは通りません。ほら、猫があんたの首の下におるでしょう。そりゃあペットだ。猫じゃないか」
 すると、先輩は高笑いして後肢で立ち上がり家主に言い放った。
「確かに首から下は猫に見えるかもしれないが、これは見た目だけだ。人格は俺自身だし、この身体の行動も俺が決定している。だから、猫やらペットやらは笑止!存在しない。何のルール違反もしてはおらんわ。勝手にプライベート空間に足を踏み込むお前こそ、警察に通報するぞ!」先輩にそう言われて家主は悔しそうに引き下がった。先輩はなんとずるい人なのだろう。屁理屈を屁理屈と思わせずに主張するとは。まんまと先輩は家主を追い返したのだ。これで猫に似た身体を持つ先輩の新しい人生が始まるのか!先輩の理性はすべてを解決するのか!そう感心したときだった。窓の外からキジの雄猫が長く誘うような声で鳴いた。キジはミャオの恋猫だったらしい。
 高笑いをしていた先輩の表情が変わった。それまで立ち上がっていたミャオの身体は尻を窓の方に向けているのだ。そして、気がついた。3月。猫たちは発情の季節なのだ。頭は天才の先輩でも、その身体は‥メス猫なのだ。
「なんと、なんと、理性を持ってしても逆らえないこの衝動。どう判断すればいいのだ」
 嫌悪の表情で抗いつつも先輩のミャオの身体はキジのいる窓際へ吸い寄せられていく。その結果を見るに忍びず、私は急いで部屋を出た。

第183回 父を知る

 父が元気な頃は、ほとんど言葉を交わさなかった。相性が悪かったといえばいいのか。何故あんなに嫌っていたのだろう。父も私に話しかけてくることはあまりなかったし。何が趣味というわけではなく、夕方私が学校から帰ると父も仕事先から帰宅し、座敷でひとり本を読んでいた。扶養してもらっている恩義はあったが、それ以上の感謝ではなかった。親の義務という甘えもあった。母が心配してもっとお父さんと話したら、というが、そんな気にならなかった。
 だから、結果的に私は父の職業さえ知らないまま独立するように家を出た。それからはアルバイトで学費を稼ぎ自力で大学を出た。それで、実家とは縁が切れたように感じていた。そして母の訃報が届いた。母は自転車に乗っていてトラックにはねられ、あっけなくこの世を去ったのだ。葬儀でも父とは最低限の言葉しか交わさなかった。
 再び私は自分の仕事に戻った。母があの世に去ってからまもなく、突然警察から父の死が伝えられた。何の驚きもなかった。いつか誰かからそんな知らせが来ることもあるのではないかと思っていたからだ。父は心臓の病だった。自宅にひとりでいたらしい。倒れているところを町内会長に発見された。すでに事切れていて警察の検死も受けたということだった。
 火葬が終わり骨壷に入った父の前で、私は遺品の整理を始めた。どれ一つ見たことのない品々。太く長い木箱は押し入れの奥にあった。開けると黒いトゲトゲの鉄棒が入っていた。何に使うものだろう。私の背丈ほどの長さだ。どこかで見たことがある。しかし、思い出せない。というより、こんな重いものを何故持っていたのか?
 近くに黒い文箱のようなものが置かれていた。この部屋は父の部屋だったので、何が置かれているかなぞ興味もなかったのだ。無意識に文箱を開けた。何だかモフモフした手触りのものが入っている。毛皮の衣類のようなもの?縞模様がある。下着?
 ブリーフだった。これは……虎の毛皮た。そしてもう一つ木製の箱が。中に入っていたのは見たことはないが懐かしいイメージの木製のハンマー。いや、確か木槌というのでは?何かのおとぎ話に出てきたような。一寸法師だ。鬼が落としていったのは打出の小槌といったっけ。何故こんなものが、ここに。
 まさか?
 その木箱の下には、分厚い赤い表紙のノートが。そのノートを恐る恐る開いた。
 見覚えのある父の文字だった。それは父の日記だった。何が書いてあるのか?
 あるページが目に飛び込んできた。
「今日は節分だ。早くから仕事に没頭した。洗っておいた虎皮のパンツに着替えて、本部指定の場所をまわる。飲めば12時間肌が赤く変化する鬼ドリンクを服用して。金棒の重さが最近はこたえる。もう歳なのだろうか」
 そう言えば、節分の豆まきをする日は父は家にいたことがない。母は当直だと言っていたが、あれは……。
 この日記が本当だとすれば、父の職業は……“鬼“だったのか。
 信じられない。“鬼“という仕事で生活が成り立つのか?母は知っていたのだろうか?
 知っていたに違いない。父が不在の時にはいつも洗濯していたではないか。あれは鬼の居ぬ間の……。
 日記の他のページを開く。
「今日は家内の紹介のママ友会で講習。タイトルは“賢い鬼嫁になるには“で。皆、役に立てただろうか?」父は鬼の講師もつとめていたのか!そして、自分は最後まで本当の父を知らなかった。他のページの日記。
「息子が私の正体を知ったら、どのような反応をするだろう?だから本当のことを伝えられない。考えると涙が……鬼の目にも涙というのは本当だなあ」
 すると私の身体にも鬼の血が流れているのだろうか?まさか。来年の計画について後輩に聞かれたとき、何故か大声で笑ってしまったのは……自分でも不思議だった。
 あれは…来年のことを言うと鬼が笑うという身体に先天的に備わった条件反射なのか。
 しかし、しかし。父は普通の中年男にしか見えなかった。
 鬼ならば頭に角が二本生えていたはず。そんなものは父の頭にはなかったが。
 仏壇に置かれた骨壺に手を伸ばす。
 確認するには、この方法しかない。
 壺を開けると、白い骨が見えた。そして二本の三角錐のような磨かれた骨がある。
 これはまさしく鬼の骨だ。やはり父は正真正銘の鬼だったのだ。
 そのとき、私の頭に違和感が!体内で鬼が発動しようとしている。耳が尖っていく。額から角が生えてくる。やはり私も父の血を引く鬼だったのだ。しかし、この状況をどうすればいい?父は知っていたはずだ。
  その隣の木箱を開くと透明な頭巾が入っていた。本能的にそれを被り鏡を見た。何ということか。角が消えていた。私は、ほっと胸を撫で下ろす。そして呟いた。「父さんのこと何も知らなかった。僕もお父さんの後を継ぐよ。やれるかどうかはわからないけれど。立派な鬼を目指して」
 私は透明な頭巾の入った小箱を見た。
 その表面にはこう書かれていた。
「角隠し」

第182回 福を迎えに

 穏やかなお正月だ。家族全員揃ってお節料理をいただく。テレビでは振袖を着た女優たちが笑っている。こたつに入った娘は年賀状をチェックしている。無事に一年を過ごせたという思いだ。
「では、初詣に神社に幸運を願いに行こうか」と私が言う。すると妻が「そうね。平和な一年を送れたことのお礼にね。でも、去年私が初詣で神様に願ったことは、何一つ叶わなかった」
「何を願ったんだ?」
「たいしたことじゃないわ。宝くじで1等が当たりますようにとか、あなたが出世しますようにとか」すると、娘も言う。
「私も何も叶わなかった。素敵なボーイフレンドができますようにとか、成績がめきめきあがりますように、とか」
 何と虫のいいことばかり考えるんだと、諭す。「初詣には何万人も人が訪れるんだぞ。神様にいろいろお願い事をして叶えてもらおうなんて無理だ。神様は、どこの誰に何を頼まれたのか憶えているはずがない。お詣りのとき、ちゃんと住所氏名を言ったのか?去年無事だったお礼を言うのが先だろう」
「そんなこと言ったって、後ろもつかえているし慌てるわよ」と妻は口を尖らせた。
「あっ!これがいいわ」と年賀状を見ていた娘が声を上げてハガキを振っている。「ねぇ、我が家にも福の神に来て頂かない?」
 そのハガキにはこうあった。
 福の神/2万円割引券 あなたの家にもぜひ福の神を/福の神ショップで招福万来
「へぇ?ホントかなあ。福の神を売る時代になったのかなあ」
「行ってみようよ。うちにも福の神さまに居てもらいましょうよ。あら、ショップは近くのショッピングセンターにあるよ。こちらのほうが神社で大勢とお詣りするより、霊験あらたかじゃないの?」
 妻もそう言い出したので2万円割引券ハガキをもってショッピングセンターの福の神ショップに出かけたのだった。
 ショップは三階にあった。福の神を扱う店は他に何軒もあり、店頭では店の人たちが元気よく客寄せしている。どの店もさまざまな縁起の良い神さまを販売しているようだ。
 店の前で乙姫さまのようなきれいな女性がチラシ配りをしているので、ふらふらとそちらに行こうとしたら、妻に袖をつままれ止められた。娘が言うには「まあ、弁天さまがチラシ配りしてるなんて」思わず「厳しそうな業界なんだなあ」とつぶやいた。
 一瞬どの店に入るか迷ったが、ハガキをくれたショップに入る。担当者に言われるまま席に座った。席の向こうで福よかなおじさんが担当者に紹介されているが、あれが福の神なのだろうか?ということは、家に福の神が来たら食費もかかるのだろうか?
「どのタイプの福の神を選ばれるか決めておられますか?」と担当者。どのタイプ?目を白黒させた。妻が尋ねた。「福の神ってお客さんのニーズに合わせて何人もいるんですか?」
「ええ。今は福の神の大量生産も可能になっていますから。どんな効用がお望みですか?」
 私が「家内安全…」と言いかけると妻と娘は「宝くじ当てて大金持ちになりたくて」「成績が良くなって素敵なボーイフレンドがほしい」
「わかりました。では七福神セットコースか、あるいはパーソナルコースでお一人づつ神さまを選ぶか。神さまに、オプションを付けることもできますが」「あのう。福の神のお部屋とかお食事とか用意しなくてはなりませんか?奥の方は大黒さんでしょう?」「いえ、購入いただくと普段は姿は見えないので、食事も部屋もいりません。あれは店頭プロモーション用に実体化させているだけです」
 見積もりを見て驚く。けっこう高い。「基本を福の神だけにして、宝くじ、異性運のオプションを付けることもよろしいかと。かなり安くできます。月々の料金はこれほどになります」と見せられると、なるほど安くなっている。「ただし、途中で他社に変更なさると、この金額をお支払いいただくことになります」
 いつの間にか姿が見えなくなっていた娘が戻っていた。お手洗いにでも行っていたのだろうか。ショップの担当者が、「では内容を了承いただけたら、そろそろご契約をお願いしたいのです」疑い深いので、もう一度尋ねた
「ひょっとして、我が家に迎えた福の神が変質して貧乏神や死神になるなんてことはないんでしょうね!」
 担当者は大きく首を横に振った。「いえ、弊社の福の神に限ってそのようなことはございません」
「そうですか!それでは」と契約のペンを取りかけたとき、娘が、お父さん、お父さんと袖を引いた。「ちょっと家で考え直そうよ」
 それで、ショップを出て娘に訊ねた。
「急にどうしたんだ」
「いや、あの業界、競争厳しそうでしょ。あの店の隣の隣は閉店セールをやってたの。その隣の店は“驚異の大効果福の神”と貼り紙があったけど、潰れてシャッターが下りてたよ。そんな業界が扱う福の神って効果あるのかなぁと思って」
 それもそうだ。「じゃあ、神社に詣って今年の運をお願いして帰るか」
「そうしよう。それがいいかも」私はこんな新年が来年も迎えられればそれでいいのだ。とりあえずの招福万来で。

第181回 サンタの真実

赤鼻のトナカイたちのソリに乗って空中を飛んでいたのは、赤い服を着て髭をはやした肥った老人に見える。
サンタクロースと思うかもしれないが、実はちがう。
北欧にはオーガという、妖怪というか化け物がいる。ノルウェーやデンマーク、アイスランドにもいるが微妙に大きさや性格が違う。そして、サンタクロースの故郷であるフィンランドにもオーガがいた。毛むくじゃらで大男で、人間の子供の肉が大好きなオーガだった。
で、そのオーガが森に迷い込んだ人間の子どもを襲って食べようとしたときのこと。
逃げる子どもを追っていたとき崖から足を踏み外し、下へ真っ逆さま。気がつくとベッドの上に。
なんと、助けられて介抱されていたのだ。
命の恩人はサンタクロースだった。「やあ、気がついたか。心配したぞ」と。
オーガは感謝し、お礼を言い、なにか自分にできることはないかと。
だがサンタは首をふった。
「その気持だけで十分だよ。でも、もう子どもを襲ったりしちゃいけないよ。子どもは宝だからね」
その言葉で、助けてくれたのが、かの有名なサンタクロースだとオーガはやっと気がついたのだった。
サンタの教え通り、オーガはそれから子どもを襲わない日々を送っていた。すると、ある日、オーガの家のドアをノックする者がいる。サンタ工場の妖精だった。
実はサンタが急に倒れたとのことだ。クリスマス前の多忙期で無理がたたったらしい。
オーガが駈けつけると、サンタクロースは虫の息だった。オーガがサンタの手をとるとやっとサンタはやっとのことで目を開いた。
「おお。オーガか。頼みがある。クリスマスに私の仕事を代わりにやってくれんか。一夜だけのことだ。世界の子どもたちに私のふりをしてクリスマスプレゼント配ってくれ」
「そりゃ、だめだ。子どもを見たらオラぁ喰わずにはおれんだよ」
「そこをなんとか頼む。私はお前の命を助けたろう。子どもたちは皆、眠っている。そっとプレゼントを置いてくるだけだから」
それがサンタの最後の言葉となった。亡くなってしまったのだ。仕方なくオーガはサンタの赤い服を来て大袋にクリスマスプレゼントを詰め込む。
仲間のオーガたちは、それを見て大笑い。「似合わぬことをしないほうがいいぜ」と。
空飛ぶトナカイに乗り込み、オーガはクリスマスの夜空に飛び出したのだった。子どもを見なきゃ大丈夫だ。と、自分に言い聞かせて。
数万軒の家を訪ね、プレゼントを置くと、少しづつ自信もついていった。よし!使命を完遂できる!と。
そして明け方も近くなった頃に訪れた家でのこと。部屋に忍びこみベッドの横にプレゼントを置こうとした瞬間、明かりがついた。
「やあ、サンタのおじさん。本当にいたんだ」
オーガは仰天。見ると目を輝かせ、まるまると太った、なんとも美味しそうな子どもがオーガを見ている。
まさか、こんな事態は予想外だった。
子どもははしゃぎ声をあげ、ベッドを飛び出しオーガに抱きついてきた。そして、「サンタのおじさん毛深いんだね。牙まであるんだ。、これで友だちにサンタのおじさんは本当にいるって威張れるよ。みんな信じなかったから」とオーガの肩に這い登ってきた。その子の腕がオーガの口元に来たとき思わずペロリと舐める。美味しそうな匂いがオーガの鼻腔をついた。自然とよだれが出てくる。
もうたまらん、とオーガが子どもの腕に牙をたてようとするとサンタのいまわの際の言葉が蘇る。
「サンタのイメージを守っておくれよ(ガクッ)」
もうたまらん。我慢できぬとオーガは外に飛び出した。そして、ソリに飛び乗りフィンランドへ。
オーガはサンタの墓前で邪念を抱いたことを懺悔し報告する。と、サンタの幻が出現した。
「愚か者。まだ心の修行が足りん。クリスマスは来年もその次もずっとあるのだ。心を磨いて真のサンタに近づいてくれ」
 オーガはサンタの叱責に深く反省した。心がまだ未熟なのか。まだ一年ある。誘惑に負けぬ自分になってサンタの恩に応えなくては。
それからのオーガは日々座禅を組み、滝に打たれて、真のサンタになるべく修行に励んだ。そして次のクリスマス。
「これで子どもを食べたいという欲求を抑えられるぞ!」とオーガは拳を握る。オーガの精神は精神は新たな高みにたっしたのだった。
すると、何と赤鼻の空飛ぶトナカイたちがいない。どうしたのだ。
周りにいた仲間のオーガたちはデヘデヘと笑いを浮かべて言った。「うまそうなんで俺たちが喰っちまったよ」と。
だから、その年から空飛ぶソリがなくなった。この世の子どもたちにサンタのプレゼントは届けたくとも届かなくなったのである。本当に残念。
これが、サンタの真実。

第180回 松茸大作戦

私はキノコが大好きだ。形といい味といい、相性がいいというか、非の打ちどころがない。おまけに、日本人としての私に季節の移ろいを感じさせてくれる。春にはハルシメジ、夏にはヤナギマツタケやタマゴタケ、涼しい夜明けを迎えるようになるとハタケシメジが顔を見せるようになる。そして、いよいよ季節は秋。キノコ本格的シーズンを迎えようとしていた。
ムキタケやクリタケ、そしてナメコなど秋の美味しいキノコは枚挙にいとまがない。もう何年、秋のキノコ狩りを続けてきたのだろう。おかげで、どの山の渓谷のどの辺りに、湿度がどのくらいで気温がどの程度かというところで出かけると、お目当てのキノコが発生しているはず、ということもわかるようになった。
だが、やはりそれだけの経験を積んでも、採れないキノコがある。
松茸だ。
松茸だけは別格のキノコだと思う。芳ばしさもだが、ホイル焼きして日本酒に浸してもうまいし、松茸ご飯は極上だ。そして松茸の佃煮を茶漬にする。これはまさに日本に生まれてよかったと感謝する瞬間だ。松茸の天ぷらは贅沢極まりないと思うが、美味優先であれば挙げな
いわけにはいかない。
ただし、高価だ。
なかなか採れないということもあるし、人工的に栽培できない、ということもある。海外産松茸もあるが、香りがまったくなかったり、色も白っぽくて、とても同じ品種とは思えない。松茸とは別のキノコではないかと疑ってしまう。
時期も限られているのはもちろんだが、発生する松林の環境も関係するらしい。ある成長期の松林に発生しやすく、松林が一定の成長レベルを超えると、もう松茸は出なくなると聞いた。知人に松茸の発生する林を案内すると言われ連れて行ってもらった。急斜面の松林だった。そのあたりに松茸は毎年出るのだという。だが、私の目は節穴だったようだ。「ほら、ここに」と知人は私の目の前の地面に手を伸ばすと、ひょいと何かをつまみあげる。それは松茸。私には見えなかった。そんな捜しづらいキノコでもある。
ある日、キノコ犬の話を聞いた。フランスでは昔は豚を放ち、トリュフという地下のキノコを探させたようだが、今は訓練した犬にトリュフを探させるらしい。トリュフだけでなく、松茸も探すとい
う。これだ!
私は犬を買い、松茸の香料を嗅がせて日々訓練した。立派なキノコ犬だ。これで高価で珍味の松茸が食べ放題!だ。「さぁ、キノコの時期だ。これまでの訓練の成果を見せるのだ。」
ワンと、自信に満ちた声で鳴くと猛スピードで走り出す。その後を必死で追う。キノコ犬が一目散に駆け込んだ先は……。
全国チェーンの弁当屋の店先だった。その弁当屋の店頭では“秋の松茸ご飯キャンペーン”の旗がはためいてた。
へなへなと全身から力が抜けてしまった。
そんな話をすると、友人の生物学者が「いい案がある。松茸にも、ひょっとして使えるかもしれんな」
どうするんだ?と尋ねると友人は言った。「キノコは生物学上は真菌類という分類になる。で、私の研究は生命共鳴現象というものだ。遺伝子的に近縁の生命のDNAを組み合わせると互いを呼び合うようになる。高等生物ではだめだが、カビや菌の実験では成功している。で、キノコは真菌類だが実は人間にも関係のある真菌類があるんだ」「それはなんだい?」「タムシや水虫などの疥癬菌も真菌類なんだ。松茸のDNAを疥癬菌DNAと融合させ、君の足や股間に塗る。すると、
共鳴現象を起こし、松茸が探しやすくなるはずだ」「なるほど。でも痒いんじゃないか?」「いや、松茸を選ぶか、インキンタムシを選ぶかの問題だ。後でタムシチンキを塗ればいい。どうする?」
なるほど。「松茸を採りたい」
そして友人の生物学者は私に松茸DNAの疥癬菌を塗った。
何も起こらなかった。
そして秋。「凄い!」奇跡が起こった。生命共鳴現象だ。
もうどこにも松茸を探しに行く必要などなかった。
我が家の周りに、ぼこぼこと松茸が生え始めたのだ。
共鳴現象とはそういうことだ。松茸疥癬菌が松茸を呼び寄せている。これほど凄まじいい効果があったとは。
家の周りに密生する松茸をすべて採れば、どれだけの末端価格になるだろう。数十万円……いや数百万円。近所の連中が生えた松茸を採ろうとする。私は慌てて裸足で外に駆け出した。「皆、採るな!これは、すべて私の松茸だ」
これほどの強烈な生命共鳴現象が起こるとは、と思ったときは遅かった。
予想を遥かに超えた疥癬菌が、私の股間と足の先で爆発的に活動を開始した。
最初の一本の松茸を握ったときは、すでに私はその痒さに悶絶していた。

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第179回 背後で響くもの

背後から「もしもし」と声をかけられた。振り返ると、男が立っていて私を見ていた。
「なんですか?」
「ご機嫌よさそうですね。鼻唄を口ずさんでおられる」
そう言われて、自分が鼻唄をうなっていたことに気が付いた。指摘されなければわからない。「あなたは?」と尋ねると男は微笑んだ。名刺をくれた。
それには〈人生に深みと感動を/企画〉の肩書。
変な名前の会社だなあ。そう思いつつ名刺を眺めていたら、男が言った。
「あなたにピッタリの商品をわたしどもの会社で用意しました。その商品のモニターになって頂けませんか。もちろん、無料です。耳で聞くだけ。人生に深みが生まれ、より深い感動を日々味わうことができます」
人生に深みと、感動……そして無料。断る理由は何もない。心の底で無料より高いものはないとかすかに感じたが。「では、お願いしましょうか」
「きっと満足されますよ」
男はイヤホンと腕に巻くベルトをくれた。
「お楽しみください。ベルトが感情を測定し、イヤホンに伝えてくれます。では、感想はまた」
男は去ってしまった。どんな音がイヤホンから流れるのかも教えてくれずに。ベルトを腕に巻いてイヤホンを聞けばいいのか?
イヤホンを耳に着けたが何も変化がない。ベルトを巻いた腕を振ってみる。こちらも変わらない。
歩き始めた。軽やかな行進曲が聞こえてきた。どこで鳴っているんだ?イヤホンだ。なるほど、歩くステップも軽やかだ。朝らしく気持ちいい。
いつもこのあたりで通勤に向かうきれいな女性と会うんだよな。毎朝のお楽しみだ。すると予想通りだった。いつもの可愛い女性が歩いて来る。私の心臓は少しときめいている。
すると、イヤホンのメロディが変わった。これは……この曲は知っている。ダスティ・スプリングフィールドの「この胸のときめき」だ。彼女はそんな私に注意を向けることもなく信号機を渡って見えなくなった。
もうすぐ、私の会社だ。いやだなあ。また課長に嫌味を言われるんだろうな。ノルマ果たしてないし。すると耳からメロディが。違う曲だ。今の気分そのものだ。何という曲だろう。
腕に目をやる。ベルトに文字が流れていた。「暗い日曜日」あ。ベルトに出てくるのは曲名なのか。ほんとに、暗い。足が重くなってしまった。会社に足を踏み入れようとするときまた曲が変わる。ベルトの表示は「亡き王女のためのパバーヌ」鎮魂曲じゃないか。
男がモニターとして私にくれたのは、バック・グラウンド・ミュージック装置なのだ。私の感情を腕のベルトが読み取り、その気持に一番適した音楽を再生するのだ。生活しつつBGMが流れてくる。
生の映画音楽と思えばいいか。映画も音楽が流れていないときいないときはあまり感じないが、楽しい場面で明るい曲が流れるとウキウキするし、怖い場面ではおどろおどろしい曲が流れてドキドキさせられる。
それを実生活でやる装置が開発されたとは。
それにしても気が滅入る。
そうか。このベルトを外せばいいんだ。と思って腕から取ろうとすると、ピタリと喰い付いて取れない!イヤホンも耳から外れない。
とほほだよ。どうしよう……。途方に暮れているとまたしてもメロディが。
森田童子の曲で「僕たちの失敗」が聞こえ始めていた。まさにぴったりではないか。
どうしよう。このまま会社に行くとどうなるのか。
突然曲が変わる。不安を煽るようなメロディだ。これは……「スター・ウォーズ」のダース・ベィダーのテーマではないか。
遠くから課長が歩いてくるのが見えた。だから、こんなメロディが聞こえるのか!ということは、この状態で仕事を始めたら、どんなBGMが流れてくるのだろう。
葬送行進曲?鎮魂曲?いや、ジョーズのテーマかもしれない。
これは緊急事態だと自分に言い聞かせた。こんな状態では仕事になったものではない。
今日は仕事をさぼろう。
慌てて木陰に身を隠し、課長をやり過ごすと一目散に、その場から走り去った。
会社から遠ざかるにつれて、聞こえるメロディも軽やかなうきうきしたものになる。ベルトの曲名はクライスラーの「朝の歓び」だった。そうだよ、これでいい。
これまでは気がつかなかったがBGMではっきりわかった。私にとって会社は大きなストレスなのだ。どうすればいい?
結論は一つだ。今までBGMなしでなんとかやってこれたのだ。このイヤホンとベルトさえなければ元の生活のリズムに。
「いかがですか?人生に深みと感動が感じられたのではありませんか?」
と突然現れたのはあの男だった。
「モニターはやめだ。元の人生に戻してくれ」
すると男は申し訳なさそうな顔をした。
「すいません。一度装着すると、まる一年はそのベルトとイヤホン、はずせないんです」
「えっ。じゃ、これから私の生活はどうなるんだ」
「実は新製品があるんです。この眼鏡を掛けて生活して見られませんか?世の中の真実が見えて、生活が楽しくなりますよ」
と、男は有無を言わせず眼鏡を私の顔に押しつけた。これも……取れない!!なんだこれは」
近くの自動車の窓ガラスを見る。おかしな眼鏡の私が写っていた。でも変だ。私の目の大きさが「点」になっている。ここ、れ、は!と思うと顔から幾つもの縦線が伸びた。さらに、頭の上に漫画文字が「ガビーン!」と浮かんだ。
「はい。BGMに加えて見るものにコミック表現効果を加えるんです。これでいっそう、あなたの日々の暮らしは奥深いものに」
男の頭上には「ニタ。ニタ」というコミック文字が浮かんでいた。

第178回 父のAI

日常では、あまり面と向かって父と話すことはなかった。ただ、私が子供の頃から父は何かあると呼びつけて口うるさく叱った。
私もいい年齢になり家族を持って両親宅の近所に住むようになったが、母から時々連絡があり説教されにいく。
内容は、孫がちっとも会いに来ないのは躾ができてないからだとか、言われなくてもときどきは庭の手入れに来たらどうだとか、よくもまあ重箱の隅をつつくような小言を繰り出してくる。母は元気が一番と、父のことは見て見ぬふりだ。
そんな父に変調が始まったのは、私を呼びつけて例によって文句を言っているときだった。ふと気がついた。私に小言を言うのだが、このとき何度も同じことを言う。「父さん、変だよ。さっきも同じことを言ったよ」と指摘すると怒り出した。帰り際に母にそのことを告げると、母は父を騙し騙し医者に連れて行ったようだ。母から電話がかかってきた。「初期の認知症だって。進行を遅らせる薬をもらってきて飲んではいるけど、進行を遅らせるだけで治ることはないんだって」
だからといって、私に説教をする習慣はなくならなかった。そして、症状はますますひどくなっていく。私を叱っている途中で、私の何に対して文句を言っているのか、自分でもわけがわからなくなり、それでまた癇癪を起こすという悪循環に陥ってしまいそうだった。
薬だけでは、とても解決できない。
父の主治医に母を連れて相談に出かけた。
「進行するともっとわけが分からなくなり、お父さんは自分自身にも腹を立てるようになると思います」「そうですか。いずれ、父は父でなくなるのですね」すると、主治医はある提案を持ちかけてきた。
「私の友人に人工知能の開発をやっているものがいるのですが、彼に聞いた話がお父さんに役立つのではないかと思います」
「どうするんです」
「お父さんの脳はどんどん萎縮していくと思います。そうなったときのためにAIつまり人工知能にお父さんの判断や思考を学習させ、お父さんが見聞きすることとお父さんの思考を論理を記憶させ、学習させます。お父さんの脳とAIを直結させるんです。そしてお父さんの思考をバックアップして保存します。すると、認知症が進行してもお父さんの脳に直結したAIがお父さんの思考を補佐するんです。いかがですか」
母親を見ると判断がつかないようだ。「手術は難しいですか?父とAIを直結するのは」
「いえ。簡単になってますよ。首のところに繋げるようにするだけのようですから。それで脳の働きをAIが読み取るのだと聞いています」
これ以上、ほっておいたら父の痴呆は進行し、壊れていくだけのように思えた。
「お願いします。それで話を進めてください」
その頃は父も足が不自由になり寝たきりの生活になっているのも幸いした。麻酔を与え、父が眠っている間に首筋にコードを取り付けてAIに繋ぐことになった。父が怒ることも想定したが「これは物忘れしないようにする機械だからね」と母が説明するとAIをおとなしく受け入れたようだた。
AIには前もって私や母が、父の行動や知識についてわかるだけ教え込んでいた。だから、父がなにか話そうとして、話に詰まるとAIが補佐して欠落した知識を埋めてやる。そして父の話がスムーズに修整される。それが父のストレスを緩和しているようだった。
父の痴呆状態が劇的に治癒しているように見えるのは、母にとっても私にとっても嬉しいことだった。そのせいだろうか。ストレスが減ったのか?父が小言を言う頻度も減ったように思えた。いや、認知症状態が治っているわけではなく、父が忘れている部分をAIが補っているだけなのだが。
そう。父は常に呆けているわけではなく、まだら模様のように頭がはっきりしたり、呆けたりを繰り返す。はっきりしたときの父からAIは情報として取り込んでいることもわかった。
一度、近くで落雷があり、わが家が停電したことがあった。真っ暗な中、母に呼ばれて駆けつけ、父が大丈夫か話しかけて父の本当の容態を知ったのだ。父は会話をするにもあらゆる面で認知症が進行していた。私の呼びかけに答えられないほど。
もちろん、AIが止まってしまっていたからわかったのだが。
その父が、心臓の急変であっけなくこの世を去ってしまった。母が気づいて救急車を呼んだときは、すでに手遅れの状態だった。
父を送るすべての行事が終わったあとに残されたものは、父の受け答えをずっと補助してきたAIだけだった。
人工知能を開発した父の主治医の友人に連絡をとると、すぐに引き取りに来てくれた。
「お父様の思考をかなりこのAIは学習しましたね。最後はお父様に代わってほとんどのことを答えていたようです。元気なときのお父様で最後までおられたでしょう」
そう言われてみればその通りだ。
「では、データすべて消去しておきますね」
「待ってください。その補助装置としてのAIはどうなるのですか?他の方に使われるのですか?」と母が真剣に尋ねる。

母に呼ばれて実家に行く。座敷にはロボットが座り、その頭には見慣れたAIがある。AIは聞き覚えのある口調で私に小言を言う。庭の手入れ、孫の躾……。
お茶を持ってきた母は、その様子を見て嬉しそうだった。「まるでまだお父様元気なようで」
私は肩をすくめる。これはこれで母にとっては幸福な結末かもしれないと。