第229回 守ろう、食文化

突然の異動辞令だった。赴任先は初めて聞く地名の地方都市だ。単身なので、何も調べることなく移動先の支社に向かった。
支社は支社長と二人だけ。本社が送り込んでくれたメンバーということで、大歓迎を受けた。聞けば、支社長は現地の方とのことだった。穏やかな雰囲気で安心した。しかし、街を歩いてみると、何か違う気がする。その正体がわからないのがもどかしいのだが。それを除けば平凡な日本の地方都市だと思う。この違和感はなんだろう。
支社長が声をかけてくれた。最初の日だし帰りに一杯やらないか!と。もちろん断るわけにはいかない。行きつけの店ということだった。やってきたのはいかにもサラリーマン居酒屋という雰囲気の店だ。「まっしぐら」という店名。いい匂いのたち込める店内。支社長が「ビールと、適当に焼いてね」と言うと、すぐに串が出てきた。コップを合わせて乾杯すると支社長が喉を鳴らす。「おー、まずコバンか。王道だな」と串を手にした。私も串を取り口に入れる。甘い醤油味のジューシーさだ。しかし、なぜ、コバンというんだ。焼き鳥にも呼び名はいろいろある。胎内のタマゴをチョウチンと呼ぶし、肛門をボンジリと呼ぶ。「次は、ババとカリマシタです」変な部位の名だなと思って齧る。独特の食感だ。うまい。夢中で食すと支社長が満足そうに頷いた。
「うまいだろう。ここの独特の食文化だからね。この美味しさがわかれば、立派なこの土地の人間だよ」
私も同意した。「ここだけの味かあ。この土地で仕事できるようになってよかったです。こんなに美味しい焼き鳥は初めてですよ」
支社長は大きく笑った。
「こりゃあ、傑作だ。この串は、焼き鳥なんかじゃないよ。外の看板見なかったのか?居酒屋焼きネコまっしぐら、とあったろう」
「焼きネコ?焼き鳥じゃなくて?」
支社長は得意そうだ。な、なんてことだ。猫は大好きなのに。まさか串になって食べさせられるなんて。信じられない。なんと残酷残虐な土地なんだ。それで、この土地に来て感じていた違和感の正体がわかった。
この土地は港町にも関わらず、猫を一匹も見かけないのだ。猫たちはどうしたのだ。食われてしまったのか。
「へぇ次の串は、またたび焼きです」
新しい串がさらに置かれた。なるほど、焼き鳥の串の名にしては変な名前の部位と思った。猫にちなんだ串のネーミングだったのか。コバンは猫に小判。ババはネコババ。カリマシタは“猫の手を借りたい“からか。呆れた。そして猫好きな私は吐き気‥‥、を催すかと思ったのだが‥‥、うまい‥‥なんということだ、私は焼き猫の美味しさの虜になってしまったようだ。目の前のまたたび焼きに口内でじゅるっと唾液が溢れてきた。串を手に取り咥える。やはり美味い。私の舌が素直に反応する。噛みごたえが‥‥。自分の残酷さに呆れた。
「ねっ!この土地は最高だ。よそでは焼きネコは食べられないからね」と支社長は得意そうだった。
すると居酒屋の店主の顔が曇った。「ありがとうございます。でも、この店もやめなくてはならないようなんです」
「なんでこんな美味しい焼きネコ屋を閉めるんだ。なんとか続けてくれ」
「へぇ。実はこの都市の猫はほぼ食い尽くされましてね。材料が手に入らないんです。仕事を続けようにも、このままでは焼き鳥屋に商売替えしなくっちゃならないかと悩んでいたところなんです」
「それはいかん。この土地の焼きネコ文化は守らねばならん。そうだ。新しい猫の肉が手に入れば焼きネコは存続できるんだね」
「そりゃあ、もちろんです。けど、誰が猫を調達するんですか」
「そりゃあ、私たちだ。近くの山に猫たちがいっぱい生息していると聞いたことがある。そこで捕獲してこよう。君も、一緒に今度の休日に」
と、支社長は私の肩をポンと叩いた。私は「あ、はあ」と生返事するしかなかった。「しかし‥‥」と心配そうな焼きネコ屋の店主。
で、次の休日に私は近くの山まで、支社長のお伴ということになった。そこで、山に住む猫たちを狩って店に提供しようというのだ。支社長はニッカポッカを履いて猟銃を持ちハンター帽をかぶって万全のスタイルで現れた。私はといえば猫を狩るなんて生理的に駄目なのだが、これも業務命令の一環だと自分に言い聞かせて渋々ついていく。
「猫を狩ったら焼きネコ屋の親父、喜ぶだろうな。なかなか客に出さない貴重な部位を食べさせてくれるかもしれないぞ」と上機嫌でいた。
さて、山には入ったものの、話とは大違い。肝心の猫の姿は、まったく見当たらなかった。このままでは獲物はゼロだ、と支社長は山の奥へ奥へと入っていく。すぐに猫果が得られるものと考えていたらしい。やがて頭上にあったお日様も傾き始めた。昼過ぎだ。
「腹空きましたね」と弱音を漏らす。すると樹々の向こうに古めかしい屋敷が。レストランと文字が見える。
「腹が減っては戦はできぬ。ここで食事だ」と支社長。
中へ入ると誰も出てこない。ただ貼り紙が。「ここで着ているものをすべて脱いでください」
二人とも変だと思いつつ素っ裸になって次の扉を開く。ここにも貼り紙が。「全身にこのツボの中のクリームを塗ってください」支社長は疑うことなく全身にクリームを塗っている。この話は聞いたことがある。知ってるぞ。宮沢賢治の‥‥。そうだ、ここは山猫軒だ‥‥。この土地は弱肉強食の食文化でもあるのか?周りを猫たちの鳴き声が迫ってくる。
ここでは捕食者の頂点を人と猫が競い合っているのか!
私たちの悲鳴は猫の鳴き声で消え去ってしまった。

第228回 新しい家族

 この日が来るとは覚悟していたものの、不治の病にかかり和江が亡くなって一週間が経つ。残された愛しい娘の悲しみは想像以上のものだった。私にしても妻の和江のいない喪失感から立ち直ることはできそうになかった。これからの日々をどう過ごせばいいのだろう。
 祭壇の前で娘と二人、うなだれていたときだった。玄関でチャイムが鳴った。来客か。重い足取りで玄関に向かう。ドアの向こうに立っていたのは、信じられないことに、妻だった。「和江!」そして娘も「ママ!」
 和江は、白い封筒を私に差し出し微笑んだ。手紙を読んで驚く。和江は自分の死期を知り、なんとか私や幼い娘を悲しませたくないと方法を模索したのだ。そしてたどり着いたのが、これ。自分そのものと言えるクローンを作り出すことだった。そして立ち振る舞いも自分そっくりの存在に教育して、死後に送り出すように準備していたようだ。亡くなった和江本人ではないかもしれないが、外見はまさに和江だ。「あなた、よろしくお願いします」とクローンの和江は頭を下げた。思いがけない母親の生還に娘は狂喜した。無理もない。私でさえ信じられないくらい嬉しいのだから。こんな奇跡があるだろうか?和江クローンに娘はよくなついた。和江からしっかり教えられていたのか、私の世話も雑務もすべてうまくやってくれる。妻の祭壇の世話もこなしてくれて、正直、奇妙な気持ちだ。だが、話していて、どこかが違うという違和感を拭えない。違和感の正体はわからないのだが。
 それから数日経ったある日。チャイムが鳴った。和江が出ていくと玄関でフリーズしている。どうしたのだろうと見ると、和江の向こうに、もう一人の和江がいた。その和江も、私を見つけて微笑んできた。新しい和江も白い封筒を差し出した。受け取って開封してみた。妻の見慣れた筆跡だ。生前、彼女が書いたものに間違いない。手紙には、こうあった。クローンを作って送り出した後、どうしても気になり始めた。先に送り出したクローンは自分に似てはいたがどこか不完全な気がしてならない、と。だから、より自分自身に近いクローンを作ることにした。娘のためにも私のためにも、それが最善の方法と信じているから、とあった。じゃあ最初の和江のクローンはどうすればいいんだよ。よく見れば、今回来てくれた和江の方が確かに世話がよく行き届くような気もする。さて、前の和江を追い出すわけにもいかないし。前の和江には娘の世話に専念してもらえばいいか。最初のクローン和江も、今度のクローン和江も、まるで懐かしい家族同士のように互いを受け入れて生活するようになった。娘も二人の母親に最初は戸惑ったものの、すぐに慣れて、楽しそうに過ごすようになった。妻が二人になったからには、これまで以上に頑張らなきゃいけないな、と自分に言い聞かせた。それにしても、科学はどこまで進歩するものなのか。同じ和江でも今度の和江は料理上手だ。
 我が家は和やかな日々が続くようになったある日。会社から帰宅して驚いた。なんと和江が三人に増えていたのだった。娘が言った。「新しいママが来たよ」新顔の和江も手紙を持参していた。それによると、前の二人の妻で不満はないのだが、心配なのは娘の教育のことだという。そういえば、小学校の娘の成績まで私の目は届いていなかった。新しい和江は子供の教育に特化して培養されているらしい。なるほど。娘は新しいママに勉強を習っている。「とても教え方がうまいの。わかりやすくて」しかし、三人女性が寄ればかしましい、とはよく言ったものものだ。同じ顔の三人がぺちゃくちゃしゃべっている。仲が良いのはいいことだが。娘はにこにこしながら三人の母親のおしゃべりを聞いている。しかし……。私一人の稼ぎで、これだけの人数を食べさせていけるだろうか?少し不安になった。
 数日後、また新しい和江がやってきた。もう、驚くことはなかった。いや半ば呆れたものだ。新しい和江が持ってきた手紙には、こうあった。専業主婦だった自分には夢があったのだ、と。それは実業家としての自分の夢。それをこのクローンに現実化してもらいたい。このクローンなら大家族を助けることができると信じている、と。手紙の通り、新しい和江は外に出ると事業を興し、すぐに大金を稼ぐようになった。和江には、そんな商才もあったのかと舌を巻いた。おかげで経済的な心配は消え去った。これなら余裕だなと思っていたら、またしても新しい和江がやってきた。金の余裕ができて我が家の土地を買い足したら、その新しい和江は土地を庭園にと作り替え、植物たちの世話を始め、庭は美しい花々で満たされた。
 五人の妻たちは我が家のさまざまなことをテキパキとこなしていく。娘も淋しがることもない。でも、はたしてこれでいいのだろうか?
 そんな私の背中を誰かが優しく撫でた。新しい和江がやって来たのだ。持って来た手紙にはこうあった。いつも、あなたのそばにいたい。そのための新しい私を行かせます、と。私はクローン和江を見つめた。私の中にさまざまな想いが溢れ出てくる。そのときの想いを実現化させることにした。私は尋ねた。「クローンが欲しい時はどこに行けばいいんだい?」そう。私も私のクローンを作ろうと考えていた。全部で五体。そして五人のクローン和江それぞれに一体づつ贈ろう、と。一家を支える主人であるクローン。私の趣味の釣り好きのクローン。娘の教育に熱心なクローン。家事にも能力を活かすクローン。そして、サラリーマンの私の代わりに会社に通勤するクローンだ。これで、すべてうまくいく。和江たちにも微妙に適性の違いがあるかもしれない。カップルとして最良の相性であることを祈ろう。
 私か?私はもちろん私のことを慕ってくれる和江に、これから寄り添い続けてやるつもりだ。それが正しいことかどうかはわからないが。

第227回 特殊な人生?それとも…

  どのような選択基準かよく知らないが、私が選ばれたのには、それなりの理由があったのだろうと思う。志願したわけではないが、深宇宙探査訓練コースに在籍するものであれば、誰がいつ調査航宙指令を受けても不思議ではない。人類がまだ足を踏み入れたことのない星域への単独調査。数十光年の彼方へ赴き、調査完了次第、地球に帰還する。
 ミッション完了までにどれくらいの年月が必要になるかはわからない。命があるうちに地球に還りつけるものかどうかも。
 私が家族もなく天涯孤独の身であることも基準に入っていたのだろう。恋人がいないことも確認されていた。地球に思いを残す人がいないというのは重要なファクターだろうな。結婚も興味がなかった。あんな同じ日常生活を平々凡々と繰り返すくらいなら、宇宙での人生を選び波乱万丈に過ごすのだ。それで私が選ばれたのかもしれない。本当は機械だけで目的地まで飛び、調査後データやサンプルを携えて帰還させればいいのだが、生身の人間を送る必要があるらしい。その理由はよくわからないが。
 私が正式に指令を受けるということになり、さまざまなミッションに応じた教育が施された。私にとっては難しい内容ではなかった。目的の星系に到着して、いくつかの装置を動かすだけの“簡単なお仕事“なのだ。ただ、冷凍睡眠装置などSFのようなものはないから、たった一人で宇宙船内で過ごさなければならない。自分の生存に必要な食料も宇宙船内で育てる。宇宙船が正常に航宙しているかの機器類のメンテナンス。目的を果たすまでの膨大な時間。目的を果たし地球へ帰還する段になれば、それは私にとって“余生“ということになるのか。地球へ帰りついても先の人生は何もない。私の人生に意義があるとすれば“人類のまだ知らない真実を、人類の代表としての生身の人間が探究できたことの意義か。
 それはそれでよし、と考えてしまう私は正常なのだろうか?それでも変わり者に分類されるのだろうか?
 さまざまな追加訓練の合間に、想定外のプログラムが入れられていた。元々トラブル対処用に会話AIを乗せるという話は聞いていたが、深くは考えていなかった。箱に話しかけると答えてくれるようなものを想像していたら…。
 目の前に現れたのは自走式の新型AIだった。肌色の人の姿をしているが、顔はのっぺらぼうで男か女かの区別もない。違和感だけを受けた。「航宙期間ご一緒させていただきます。よろしくお願いします」とAIは言った。男の声でも女の声でもない。人間が話すような抑揚もなかった。関係者が言った。「この航宙期間、人間は誰とも対話せずに過ごすことはできません。タイムラグが生じるので地球の誰とも話せません。そんなとき、あなたのパートナーとして、このAIが相手をします。会話を進めると、このAIは学習してあなたにより寄り添える存在になっていきます」「航宙は私だけで十分です。どうしてもこの人型AIを乗せなければなりませんか?」「決定事項ですので」
 割り切ることにした。なに、使わなければいいんだ。乗せていくだけで。
 そして私が乗った宇宙船は出発した。私は船内で予定通りの業務をこなす。航宙記録を地球へ送信して一日終了となる。もっとも昼夜の区別はないのだが。誰とも会話せずとも、苦にはならない。人型AIの出番はなく送信室の隅に鎮座しているだけ。無用の長物だ。話しかけなければ、何も反応しないのだ。このまま目的の星域に到達できるだろう。そう考えていた。
 月を過ぎた頃に、それは起こった。農業用水製造機から水が出なくなった。確かに製造されているはずの水が農地に放出されないのだ。私が持つ知識の全てを動員しても解決策がない。最後の手段と人型AIに解決法を尋ねてみた。すると思いもよらぬ解決法を提案してきた。
 「壁に穴を開けてください」その通りにした。なぜか壁から用水が吹き出した。私は人型AIに礼を言うしなかなった。人型AIは言った。「あなたはよくやりましたよ。残りの可能性を提案しただけで」なかなか、AIもいい奴じゃないか。それから少しだけ人型AIに話しかけるようになった。AIの応答モードも学習して変化すると言っていたな。しばらくするとAIとの会話も以前のように面倒?になりAIに話しかけられても「ああ」とか「うん」とかしか答えなくなった。するとAIも「忙しいんですね」「すみません」としか言わなくなった。数十年経つと「俺の人生いったい何だったんだろうな」と無意識に呟いてしまっていた。「誰の人生も似たようなものです。悩まないでください」と珍しくAIは私を励まそうとしてくれた。しかし私は「AIの分際で何を知ったふうに言いやがる。引っ込んでろ」と思わず言ってしまった。それを最後に人型AIは口を閉ざして何も言わなくなった。こちらも、それで何の支障もない。目的の星域に到着し、私はすべての調査を終えた。航宙の目的を果たしたのだ。それは言いかえれば私の人生の目標を達成したということでもある。地球ではどうか知らないが、ここでは誰に評価されるわけでもない。
 人型AIでもいいから、このときだけは褒めてもらいたかった。「おい、AI」だが人型AIは一言も喋らない。壊れたのか。あまりにも永く話しかけていなかったので会話機能がイカれている。人間とは身勝手だ。私はAIの褒め言葉を一言でも聞きたかった。AIのプログラムを点検していると、突然話し始めた。ただし、今度はやたらお喋りになって。
「よう、やりましたな。すごいね。…」
 帰途の宇宙船の中で、AIはずっと喋り通しだ。私はAIのお喋りに相槌ばかり。こんなにAIってお喋りだったのか?「私の人生はいったい何だったんだろう?」と無意識に呟くと、それに人型AIが即座に「照合しました」と言った。
「AIとあなたの関係性は、人間の結婚生活に類似点が多いようです」
 それからというもの、相も変わらず再びAIはずっと喋り続けている。
 これが結婚生活ねえ。

第226回 今年の盆も蒸し暑い

「この蒸し暑さは夕立ち前ということでしょうか」縁側でタバコを喫っていると花江がそう言った。
「それからお父さん。用意はいいですか。もう、そろそろみんなやってくる頃ですよ」
腕時計を見ると、わが家の恒例の時間だ。今日は盆なのだ。この日は子供たちや孫たちまでわが家に集まってくる。いつもは静かなのだが、今日と正月だけはわが家は笑い声で包まれることになる。老妻の花江も楽しみなのだろう。心なしか声が弾んでいるように思える。
そうか、そういえばあれは昨年のお盆の時だったな。そう思うと感慨深い。
花江は実はすでに亡くなっていた。昨年が十七回忌だったのだが、それから私は一人暮らしだった。よほど淋しそうに見えたのだろう。昨年の盆前に長男の敏一夫妻が訪ねて来て提案した。「お父さん。実は科学が発達してお母さんそっくりの生体AIが作れるようになっているんだ。一緒に暮らしてみない?ほぼ見た目も言うこともお母さんそっくりにできるんだよ」
「母さんそっくりでも、母さんじゃないんだろ。そんな気持ちの悪いものとは暮らせないよ」
「お母さんの体細胞を使ってる最先端のクローンだよ。嫌なときは返品すればいいんだし」
そして断わる心の余裕もなく、花江が昨年の盆からわが家にやってきた。すべて子供たちの手配で。心配は無用だった。まるで花江は生き返ったかのようだ。ロボットでもない。受け応えも花江その人だった。息子の敏一から釘を刺された。
「お母さんそっくりだけれど、自分が死んだという記憶は持っていないんだ。だからお母さんが死んだということには触れないでね。お父さんと結婚して、ずっとそのまま一緒に暮らして来ているって刷り込まれた記憶だから」
「ああ。わかった。しかし、これ以上一緒に暮らせない。無理だと思ったら、そう伝えるから、すぐ返品してくれよ」
「もちろんだよ。お父さんのための生体AIなんだから」
それから生前の花江のような彼女との生活がスタートした。よくしたものだ。花江は十七年間いなかったわけだが、見た目も十七年の経過を感じるものだった。まったく不自然ではない。それまでの心の虚さを十分に埋めてくれるのだ。あまりに花江は自然すぎた。彼女が生体AIだと思いだせることは何もなかった。彼女は急な病で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだが、そのことさえ考えなければ、そのままの花江だった。そして彼女には、息子が言った通り病で倒れた記憶も存在しないようだった。
花江が亡くなってよく考えたことがあった。自分は生前の彼女にどう接していただろう。わがままも言った。思いやりもなかった。もっとやさしくしてやればよかった。彼女の喜ぶことをどうしてしてやれなかったのか。そんなことを庭を見渡せる椅子に座り、あてもなく想いを巡らせていたものだ。もっと、花江のことを考えて暮らしていけなかったのか。
だから、花江そっくりの彼女が家にやって来てから、違和感どころか、すぐに花江その人と思い込むようになっていた。そして、花江に対する言葉遣いも丁寧に変えたつもりだった。もう、二度と後悔しないように。「今夜の食事の片付けは私がやっておく。花江はゆっくりとしていなさい」すると「十分やさしくして頂いてますよ。これ以上あなたに気を遣わせてしまってはいけませんわ」「なんの、なんの」そんな接し方に変わっていた。
我に返った。居間で賑やかな声が弾みだした。孫の可愛い声も交じる。子供たちも揃ったようだ。それに花江の声も混っていた。花江が亡くなっていたときの話題は誰もする筈がない。なごやかだ。このような日々がいつまで続くのだろうか?
「お父さんの好きな水羊羹を買って来ました。あとで皆で食べましょう」
そう言ったのは次男の嫁だった。私なんかに、そんなに気を遣っていてくれるとは。涙もろくなった私は、手の甲で涙を拭いて部屋を出た。
洗面所で顔を洗って気持ちを落ち着かせた。
「あれ、お義父さん、姿が見えませんね。お出かけですか?」
「いや、さっきまで縁側で庭を眺めていたから、もうすぐ来ると思いますよ」
「そうですか。お義母さんのことを大事にされてますか?」
「いや。ほんとによくして貰っていて、ときどき手を合わせたくなるくらいですよ」と花江が言うのが聞こえた。思わず咳払いをしようかとしたが、止めた。すると、長男の敏一が声をひそめて小声で言った。それは、花江に向けられたもののようだ。
「で、父さんは前と変わりない?」
「前と同じですよ。でも、さっきも言ったけれど、ずいぶんやさしくなられたと思いますよ」
私は、そうだろう、と頷いた。
「父さんは母さんが死んでいたと思っているんだ。そしてそれは母さんには内緒だと思っている」
「はいはい。わかってますよ」
「父さんは生体AIだから母さんの記憶している父さんのこと以外は知らないんだ。忘れないでね」「はいはい」
何だって?花江ではなく、私が生体AIで生き返ったというのか?そして考えた。そういえば花江と結婚する前の記憶が私には全くないことに気がついた。私の気配に廊下に飛び出した敏一が言った。「父さん!」
私はどんな顔で何といえばいいのか?

第225回 憑くもの

高校の二年上の先輩の話だ。実は在学中にはあまり話をしたことはなかったが、生徒数が少ない学校なので先輩の名前は知っていた。先輩はがっちりした体つきだった。校内で柔道着でいるのをよく見かけた。柔道部員だったという記憶だ。仮にU先輩ということにしておく。
私はというと、部活は文芸部で、暇があればひたすら本を読んでいた。読んでいたのは文学作品などではなく、SFやミステリー、そしてホラー。他にもよく怪奇現象ものを読んだりしていた。それが周囲には奇異に映ったらしく、オカルト野郎というニックネームまで頂いたほどだ。だから体育会系のU先輩と私は高校時代何の接点もなく過ごしていたわけだ。そして、一生ずっと、U先輩とは言葉も交わさないままだったかもしれない。
そのU先輩から突然連絡が来た。会いたいとのこと。何故?にと思うが誰かが私の名前を口にしたとのこと。U先輩の言葉に切迫詰まったものがあり、断ってはいけない気がした。「いいですよ」と答え、会うことになった。
再会したU先輩は相変わらずデカく、迫力に満ちていた。だが心なしか顔色が蒼い。何があったのだろうか?「急に私なんぞにどんな用なんですか?」と尋ねる。「どうすればいいか、方法を教えてくれよ」とU先輩は話し始めた。「やたらの人間に相談してもまともに話を聞いてくれないと思ったんだ。で、そっち系の本をよく読んでるのがいるから、と友人に紹介してもらった。
実は数日前に俺も友人から相談を受けたんだ。それが変な相談でな。助けてくれと訪ねてきた。どうした?と尋ねると、何かわかんないものに憑かれちゃった!というんだ。わかんないものって何だよ。外からは何も見えないぞ。気のせいじゃないのか?すると友人が、何かうまく言えないけれど、見知らんお宮があって、お詣りしたら、急にどーんと来たんだ。そいつが憑いたまんま離れない。わけわからないから、離れろ!離れろ!って念じたり叫んだりしたんだけれど、全く効果なし。で、疲れてしまって途方に暮れてお前に相談に来たんだよ。どうしたらいいんよ。と、そいつが、あまりに情けない顔をする。こいつは何を言ってるんだ。自己暗示にかかっているんだな、と取り憑いていると信じている奴に向かって言ってやった。おい、こんなやつに取り憑いて可哀想じゃないか。こいつにじゃなくて俺に憑いてみりゃあ!
そいつの気がおさまればいいと思って言ってやったんだ。そしたら、次の瞬間、信じられないことが起こった
何かわけのわからないものが、“どーん“と俺にのしかかってきたんだ。
肩はすくむし、全身が重い感じになって、うまく動けなくなった。すると目の前の友人の表情が急に明るくなって、笑顔を浮かべて叫んだんだ“とれたあ!“ってね。両腕をあげて、すごい!相談してよかった!憑いてたのがいなくなった。あいつがいないとこんなに世の中が清々しくなるなんてねぇ。本当にありがとう。うまく話ができなくなった俺にお礼を言うと、友人は俺を残してさっさと帰ってしまった。残った俺が憑かれてしまったんだよ。どうすればいい?」
どうすればいいと言われても困る。U先輩に憑いているものが何か見えないし、わからない。本当に憑いているのかどうかもわからない。悪霊みたいなものだろうか?U先輩は苦しそうに呻くように続けた。
「やっと、ここまで喋れるようになったが、正体のわからないものは離れない。まだ、憑いているのがわかるんだ。相談するなら、お前しかいない、と皆が声を揃えたんだ。何とかしてくれ。除霊できるんか?」
もし、霊が憑いていたとすれば‥‥。どうアドバイスすればいいのか?
「あのう。除霊というのをやってもらっても、すぐにその霊は戻ってくると思うんですよ。だからお祓いや除霊ではダメ。浄霊のできる人を探して霊を消してもらったほうがいいと思います」
「そんな人はどこにいるんだ?」「わかりませんが‥‥」そう言うとU先輩は腕組みした。U先輩みたいに「ぼくに憑いてみろ!」と言えばいいのかもしれないが、危険だ。
「自分で探せと言うことだな。浄霊できる人を」うなづいた。「探してみるよ」
あれから何年経つのだろう。今日は高校の同窓会だ。ふと、そのU先輩のことを思い出していた。無事にU先輩は浄霊できる人を探し当てたのだろうか?そして元気に過ごしているのだろうか?そんな思いが去来していた。思い出すと後ろめたい気になる。と、何やらざわざわと気配が。
その方を見ると、忘れもしないU先輩だった。高級なブランド服で身を包み、U先輩は輝いていた。そして絶世の美女を従えていた。U先輩は私に目を止めたようで嬉しそうに近づいてきた。よかった。憑いていたものは浄霊できたのか!安堵する。
「憑きもの落ちたんですね。U先輩」するとU先輩は首を横に振る。
「いや、そのままだ。あれから最高の霊能力者とめぐり合って浄霊を頼んだ。それが彼女だ。すると彼女は言った。あなたに取り憑いているのは最高位の福の神ですよ。慣れないときは少々体が強張るかもしれませんが、最高の幸運をもたらしてくれます!私もあやかりたい!って言ってな。それからやることなすこと幸運の連続でなあ」美女はU先輩の奥さん、しかも霊能師とは。
あのとき、私も先輩を救うために「私に憑いてみろ」と口先まで出かかったが言えなかった。そんなものか、運命の分かれ道というのは。
美人妻に支えられ、私から笑顔で去るU先輩の背中が神々しく輝いて見えた。
溜息をついた。よほど私は幸運に縁がないようだ。

第224回 名前に迷う

私は独身だ。結婚する気満々なのだが、なかなか縁に恵まれない。その理由を自分なりに考えてみたりもするのだが、一つはメンクイだというのもある気がする。メンクイというのは美人好きということ。美人でないと、心がときめかないから。それも私のフィーリングに合わないと駄目だ。私にも容貌の好みがある。美人がいると聞き、見に行っても、美人は美人なのだが、私の好みではないと思うことはよくあること。でも、いつかは私の好みドンピシャの女性に巡り会えるだろうと信じている。しかし、街で私の好みぴったりという人に偶然出会っても、すでに決まった相手がいる人だったり、ということもあるのだが。
そんなときは、次の出会いを求めるしかない。いつの日か、自分のタイプぴったりが現れると信じて。
そんな私のところにも奇特な方から見合いの話があった。
「三人姉妹の長女さんなんだが、とんでもない美人にも関わらず、まだ結婚が決まらない。二人の妹さんたちはさっさと結婚されたそうなのだが、二人の妹さんたちより、この方は凄い美人なんだ」
私は眉に唾をつけたくなった。とてもいい女性!あなたにピッタリ。そう言われる女性に限ってこれまでも幾度となく裏切られてきたからだ。
「そりゃあ、本当ですか?」と疑いの目で尋ね返すと、一枚の写真を見せられた。三人の女性が写っていた。三人とも美人だが、一人が際立って美しい。スタイルも抜群。私の好みの女性だ。「これは‥‥」「今、話した姉妹の写真です。好みの女性はいる?」私は目が釘付けになった美人の女性を指差した。
「そう。その女性が噂の長女さん。見合いのお相手です。どうします。お見合い?」
やります!と即答したが、なぜ、こんな美人のお姉さんが今まで独身だったのか?何か特殊な事情がありそうな。
そして、お見合いの当日。向こうは乗り気ではなかったらしく、結果的に何の予備知識もないまま、私と二人っきりで会うというのが条件となった。彼女も結婚を嫌がっているのではないようだが、何か思うところがあるらしい。それは何なのだろう。
その日、約束の場所に現れた彼女に驚いた。写真で見た彼女よりも数段美人ではないか。私は、はやる心を抑えた。そういえば、お互い名前を告げていなかった。とりあえず挨拶しなくては。
「はじめまして、吉田と申します。妹さんたちと三人で写真に写っておられるのを拝見しました」そう言うと、彼女は頷いた。
「あの写真ですね。上の妹は三月末の生まれで“桜“と言います。下の妹が十月生まれで“菊“と言います。私も名乗らなければいけませんか?」
「お願いします。教えてください」
すると「彼女は紙をペンを取り出しペンで書いた。
「これが私の名前です」
紙に達筆な字で“躑躅“と書いてある。
まじまじと、その字を眺める、読めない。おろおろと迷う。思い切って言ってみた。
「ど‥“どくろ“さん?」
「ちがいます」しまったと舌打ちしたくなった。どくろなんて名前をつけられたら私でも人に言いたくない。じゃあ、何という名前だろう。ああ、軽蔑されても仕方がないな。
「あ、すいません。“とかげ“さんと読めばいいんですかね?」
彼女は小さなため息をついた。そして眉を寄せて絶望的な表情になった。僕に言った。
「両親が子供が生まれたときに咲いていた花の名をつけたがったんです。だから三月末生まれの妹は桜、十月生まれの妹は菊。そして私は五月生まれだったのでこんな漢字の花の名を。だから私の名をちゃんと読める人と結婚しようと。だけど、誰も私の名をすぐ読めなかった」
そこで、やっとわかった。
「つつじさんというんですね」
彼女はこっくり頷いた。「なんで、両親は仮名の名前をつけなかったのでしょう」
「つつじさん。いい名ではありませんか!私の好きな花です。私と結婚しましょう」
すると、彼女はペンと紙を私に渡して言った。
「では、私の名前を正確に書いてください。私は心に決めていました。私の夫になる人は私の名を間違えずに書ける人だと」
ペンを握ったものの頭の中は真っ白だ。もちろんさっき彼女が書いた漢字の名前は、彼女が隠してしまった。ぼんやり浮かぶ気もするのだが。書けない。悔しい。そこで紙に書いたのは私の名前だ。
「吉田鶺鴒」
彼女は、驚き後づさった。
「何ですか?その文字は」
「公平にしましょう。これが私の本名です。名前を読んでください」と私が言うと彼女は緊張して声を震わせる。「よ、読めません」
「私も同じ悩みを抱えているのです。変な名でしょう。ヨシダセキレイというのです。でも、私はわかりました。あなたこそ、誰も名を読めない私の名前の苦しさを理解できる人だと。私と結婚してください。躑躅さん!」彼女は感動し私に共感していた。
「わかりました。鶺鴒さん。お受けします」
私は彼女と手を握り合い将来を誓いあった。

そして、私と彼女は役所の住民課に婚姻届を出しにきたのだが、証人も直筆でなくてはならない。証人を頼んだのは当然、私に彼女を紹介してくれた奇特な人だ。ただし彼の名も珍しく、本当にこの名の人がいたとは驚きである。その名とは‥
「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末雲来末風来末、‥‥」窓口でまだ書いている。

第223回 ナンバリング・シンドローム

新しい患者さんには予診票を記入して出してもらう。「次の患者さん!えーっと」予診票を見て驚いた。名前が『884164』となっている。入ってきた患者に友人らしき人物が付き添っている。付き添いは認めていないのだが。
「すみません。彼を診てください。よく喋れないので」それでは仕方がない。
「彼は、林浩司くんといいます」すると、患者という男が「ヨ・ロ・シ・ク」とたどたどしく言った。そして付き添いの彼が言う。
「その予診票でおわかりのことと思いますが、彼の名前は数字で記入してあります。884164。はやしひろし、と書いてあるのです。これが、彼の心の病です。それで、私が付き添ってきました。今、林くんはヨロシクと言いましたが、これは4649だから話せたのです。彼は数字しか話せなくなってしまっているのです。だからコミュニケーションは無理だと私が一緒に連れてきたんです」
「そんなに悪いんですか」と言うと林という男は「ヨ・ク・ナ・イ」と答えた。4971か。なるほど。「ヨ・ロ・シ・ク・ヨ」
すると付き添いの男が言った。「私は林くんの友人のカジオと言います。彼の症状は私が説明しないと分かりづらいと思い付き添って来ました。昔は林くんはこれほどひどくはなかったんです。ただ、兆候はありました」
「どんな具合ですか?」
「普通に林くんと話していて、急に言うんですよ。ご苦労さんって数字で言えるかって。どういう意味?と確認すると、ご苦労さんを数字で言うと5963だろ?って。そうだねって答えたら、彼はうなずいて、すごく嬉しそうなんですよ。で、林くんが言うには、このことに気づいてから、気持ちがよくて、食事がうまくなったらしいんですね。そのことに気づいた夜はなぜか熟睡できたとのこと」
「ほう。それはよかったではありませんか」
「はい。よかったのはそこまで。それから林くんは、その気持ちよかった経験が心に滲みつき、人と会話するときは数字で伝えなければならない、という観念に取り憑かれてしまったのです。最初はそれでも話ができたのですが、だんだん症状が進行していく。何か言いたいのだが、数字の言葉が思いつかず、夜も眠れない。食事も喉を通らなくなったのです。なあ、辛いだろ。林くん」
林という男は喉をさすりながら、辛そうにいう。
「ナニシロ、クロー」
7246-96か、なるほどと思った。「ハヤク、ヨクシロ」889-4946と言われてもねえ。
「林さんは重度の強迫観念に囚われていると思います。数字で言わなければならないと自分で自分に暗示をかけているのが問題です。似た症状として家の鍵をかけたか気になって頭から離れなくなってしまう。胃が痛くなったり、吐き気がする人もいる。数字が気になることも、その症状の一つの例かもしれません。数字に固執するのが林さんの場合なので、仮に病名をナンバリング症候群としたのですが」
林という男とカジオが顔を見合わせたので、続けた。「似た症状に先日私が出会ったダジャレ症候群というのがあるのですよ」
「なんですか?そのダジャレなんとかというのは?」
「ええ。話をするとき、会話の中に必ずダジャレを入れなければ、会話ができなくなるという症状の人たちです」
「そんな人たちがいるんですか?」
「はい。ダジャレを言わないと心が落ち着かないらしい。話すたびにダジャレを入れてくる。この症状はオヤジと呼ばれる世代に多いですね。周りから振り向かれなくなり、承認欲求の発露として症状が顕在化したようです。これがまずいのは、伝染性があるということですね。私も『そんなひどいギャグをいうオヤジはダジャレ』とか『奥さん、そんなひどいダジャレを言って、恋人もダジャレ好きですか?ダジャレ夫人の恋人』とか言い始めて感染したかと思いました。カンセンしませんよね。こんな話」
二人は呆れている。
「ヨクヨククロナ、イシャサン」
林という男が私に同情に満ちた表情で言った。4949967-1483。よくよく苦労な医者さんと言っているのか。うん。ちゃんと数字で言えている。しかし、患者からまで同情されるとは。思わずうなづく。
「ナクナヨ、イシャサン」
7974-1483。泣くなよ、医者さん。いや、別に泣いてはいない。
で、カジオが尋ねてきた。
「そのような症状はどうやって治すのですか?いい治療法はあるのでしょうか?」
私は答えた。
「それでは、お薬を出しましょう。しばらく続けられると効果が出ると思います」
カジオと林は顔を見合わせていた。
「そんなに簡単に薬で治せるものですか?」
「ええ、薬物治療で効果を見ます。それから認知行動治療をやっていこうと思います」
林という男は嬉しそうに何度も頷いていた。
「ヨロシク、イシャサン」
私はSSRIを主にして薬を処方することにした。すると、付き添いのカジオが、熱心に言う。
「お願いします。私にも薬を処方してください。私ショートショートを書いているのですが、ショートショートの最後は必ず意外なオチをつけないといけないと思っているのです。だから意外なオチを思いつかないと、眠れない。息が苦しい。動悸がする。不安で仕方がない。だから、私も先生の処方をお願いします!」
そんな人もいるのか。
ではこれを「オチをつけないと落ち着かないシンドローム」と名付けよう。

第222回 かつて地球があった場所

磁渦宇宙船は、かつて太陽系第三惑星が存在した場所で静止した。その横にはすでに形状も推進機関も異なる数隻の宇宙船が空間係留されている。中央には、宇宙船の者たちにとっては未知の文明装置が浮かんでいた。そして、そこに、装置を囲むように巨大なリング状観察所が設けられていた。
磁渦宇宙船からリング状観察所にパイプが伸びる。接続が終了すると、宇宙船内部から数名の乗務員が無重力の中を遊泳して観測所へと移動していく。4本の腕を器用に動かすと宇宙空間でも容易に活動できるようだ。観測所に辿り着くと、すでにそこには先客がいた。他の宇宙船の者たちだった。まるで昆虫のような複眼を持つ宇宙人や、液体酸素のシールド服で全身を覆っている宇宙人、全身から粘液を出し続けるスライム状の宇宙人。他にもいろんな宇宙人たちが。4本腕の宇宙人が皆に挨拶をすると、他の宇宙人たちもそれぞれの風習や流儀で挨拶を返してくれた。万能翻訳機のおかげで、全ての宇宙人たちが自由に会話できるようだ。4本腕の宇宙人が言った。
「あれが、この空間で発見された装置ですか。ということは、あれはかつてここに存在した地球の奇蹟的に残った遺物ですか?他に、残っている遺跡とかはないのですか?」
彼らは汎宇宙知性連盟の星々のメンバーだった。姿形こそ醜かったりいろいろだが、それぞれの生命とも高度に知的なものばかりだ。
装置の近くにいた羽を持つ宇宙人が一同のリーダー的立場のようだ。
「そうです。ここは地球と呼ばれていた惑星が存在していましたが、ある時、突然に爆発・消滅してしまいました。なぜ爆発を起こしたのか、原因も爆発に至る過程も不明のままです。完璧な消滅で、その原因は想像することしかできません。発信されていた電波の痕跡から地球には生命が存在していたらしいということは想像できますが、その発信元も存在していないので不明のままとなりました。超兵器の爆発、あるいは地球内での絶望的な戦争による消滅という可能性もありますが、今となっては知る術もありません。ただ、高度な科学技術を有していたと推測することはできるのです。なぜなら」と右の羽根を背後の装置に向けた。「今回、この宙域で発見されたこの装置は、そんな謎を解き明かしてくれるかもしれないのです。これは、その太陽系第三惑星“地球“に関する情報を蓄積した装置であると推測されます。このような装置を使いこなしていたのであれば、当然そうでしょう」と答える。
「その装置にはどんな情報が入っていたのでしょう」そんな疑問が発せられた。
「残念ながらまだわかりません。それがわかるのは今からです。皆さんに集まっていただいたのは、それをともに確認するためです。この装置には時限ロックが掛かっています。無理に解除すれば消滅するもののようです。その時限ロックがもうすぐはずれようとしていることがわかりました。地球消滅の謎も明らかになるかもしれないのです」
宇宙人たちは歓声をあげた。鳥型宇宙人の言う通り、地球製らしき装置の時限ロックが解除される音が響いた。表面の光の点滅が赤から青に変化した。
「こ、これは‥‥」
装置から宇宙空間に光が放たれ、鮮明な映像となった。誰の目にも見える巨大なものだ。これを見れば地球が消滅に至った経過がつまびらかになるのだろうか?そして、これがかつて存在した第三惑星“地球“の姿だというのか。
全宇宙人が固唾を飲んで映像を見守った。
まず、広大な水面。“海“という表示が出た。地球の表面はこのような風景だったのか。その海の中へ視点が移る。無数の生物たちが動きまわる。“魚“と表示される。そして海の表面を視点は移動する。陸地が見える。陸地は緑の植物で覆われている。植物は樹々そして草。生きものたちがいるのがわかる。無数の種類の生きものたち。それぞれが植物の根や果実を分け合い食している。そして、2本足で歩く知的存在も確認できた。これが、“地球“の文明を担っていた存在のようだ。二つの性は仲良く助け合い過ごしていた。人間というもののようだ。彼らはいくつもの種族があるようだ。表面が白いもの黒いもの赤いもの。それぞれの種族がいたわり合い、助け合っていた。おたがいが困ったときは持っているものを与え合う。人間たちはたがいに抱擁し合い、助け合う。他の種族だけとではなく、他の生きものたちをもかばい、尊重している。人々も生きものも、すべてが幸福そうに助け合って生きている様子が見てとれた。それを見ている宇宙人たちの心まで癒やされていくような気がする。全ての生きものたちが穏やかに平和にいつまでも過ごしている。
「なんとすばらしい。これほどにすべての生命たちがおたがいを尊重しあっている星は見たことがない」と称賛される。
「なのに地球は消滅したというのか?これは本当の地球の映像記録なのか?映像技術などはどんなものも作れるではないか?」
「では、なぜ、この映像を秘めた装置が時限ロックをかけられて保存されたのだろう。現実には今の映像に反して消滅し、地球の生きものたちが滅亡したんだろう?」
「確かに自らの手で地球が滅亡したことは間違いありません。この映像は、こうありたかったという虚像かもしれません。自虐的というか。その謎は時限ロックが解除された時間がヒントになるような気もします。解除日は地球では4月1日にあたるのです。それがなんの日時なのか」「そうですね。4月1日にロックが解けるというのはなんだか意味のあることに思えてならないのですが、それがなんなのか‥‥?」宇宙人たちは首をひねった。

第221回 巨大宇宙船の災厄

巨大宇宙船は使命に燃えて未知の惑星に着陸しようとしていた。
「この惑星は文明は発達していませんが、確かに知性を備えた生物が生息しています」
「おお。では我々の技術を伝授してやろう。彼らは飛躍的に文明を発達させることになるだろう」
「我々に感謝することになるでしょうね。神が知恵を授けてくれたと思うかもしれませんね」
「どう思われてもいいさ。さあ、着陸だ。どのような生物たちだろう」
銀色の紡錘体の宇宙船は、ゆっくりとその惑星に着陸した。直後に激しい振動が。

「こりゃあ、なんだべぇ」と銀色の物体をつまんで男は頭をひねった。見たこともないものだ。男は、その物体を、周りの連中に尋ねてまわる。「不思議なもんだね」と女も目を見張った。「植えてみりゃあ、わかるで。なんかの種子だと思うが芽を出さなきゃ正体がわからんが」「そうかぁ、なんかの種子か。そりゃ楽しみだね。うまく育ちゃあええが」
畑の真ん中に、その種子は植えられた、もちろん、それは異星からこの星を訪れた巨大宇宙船なのだが。土中に埋められて肥やしをかけられ土は踏み固められた。

巨大宇宙船の内部はパニックだった。その惑星に到着するやいなや、惑星の生命体に掴みあげられたのだから。
「我々がこの宇宙船に乗っていることを伝えろ」「送信していますが、彼らは受信できる技術をまだ持っていません」「音だ。大音量で話しかけろ」「やりましたが、彼らの耳には音が小さすぎるようです」「うわっ!彼らは何をするつもりだ。この宇宙船を埋めるつもりなのか!」「埋めてどうしようというのでしょう。あっ。翻訳機が‥‥彼ら、この宇宙船をなにかの種子だと思っているようです」「光らせろ。あるいは熱を」「間に合いません。埋められてしまいました」「なんとか脱出する方法を考えるんだ」
時はすでに遅く、巨大宇宙船は土中深く埋められてしまっていた。
「とにかく、この宇宙船を脱出させる方法を考えよう、彼らの知性を向上させて宇宙船を救出させるというのはどうだ」
「幸い、これは世代宇宙船ですから。何世代もかければいつの日か」
そして宇宙船内部でさまざまな技術が開発される。初代の乗組員はいなくなり、その孫の代も過ぎる。そして、一つの可能性に辿り着く。宇宙船の表面を有機性に変え成長させる。そうして地上に出て、この星の生命体に助けを求めるのだ。自力での宇宙船脱出には限界がある。それが最善の方法と思われた。宇宙船の表面は有機生命化し、そして成長し始めた。その先端は、やがて地上に到達した。

「あんれまあ。この間の奇跡の種子から芽が生えただよ」と男は声を上げた。
「ほんとねぇ。でも芽も不思議ねぇ。銀色の芽だわ」女も驚いたようだった。
「もっと成長すればあれがなんの種子だったかわかるだよ。それまで近づいちゃなんねえ」宇宙船からのびた蔦状の先端を見て、この星の知的生命体はおっかなびっくりの様子だった。

その様子は、地上にでた宇宙船先端から本体の乗務員たちに伝わる。
「問題はこの惑星の住人の知性が圧倒的に低いことだと思われます。ここに宇宙船があるなぞ彼らの概念では想像もできないことでしょう」
「方法は一つだな。彼らに知性促進剤を与える。そうすれば我々の存在も認知できるようになるのではないか」
「そうですね。すぐ実行に移します。有機化した宇宙船先端に、知能促進剤を送ります」

銀色の芽はどんどん成長を続け、銀色の枝のように変化した。そして、そこに、まるで果実のような形の知性促進剤が出現した。
「あれぇ、実がなったわ。おいしそう」
「食っちゃなんねぇ。こんな銀色のもの。そうだ。こりゃあ、禁断の樹だ。そして、これは禁断の実だ。こんなもの喰ったら、神様のバチが当たるぞ」
「そうなの。ほーくわばらくわばら」

「なんだ。用心して、知能促進剤を喰ってくれないぞ。どうしたもんかねえ」
「彼らの思考部分に私が呼びかけてみます。そうすれば安心してくれると思います。幸い私たちの姿はこの星にいる生きものにも似ていますし。上半身にものを握る突起もない、立って歩く突起もない生きものに。彼らは“ヘビ“と呼んでいるようですが、親しみやすいかと」

この星の女の思考に宇宙船乗組員の一人が呼びかけた。「あの知能向上剤を齧りなさい。目が眩むほどおいしいですよ。頭も良くなりますよ」
女はその呼びかけに応じた。そんなにおいしいなら。一口ガブリ。ほんとうだ!おいしい!女は男に教えた。「これ、おいしいべ。食べてみたらえぇ」男は、前は禁断の実と言って拒んだくせに、やはりパクリ。しばらくして知能が向上した女が「まあ、私たち、裸じゃない。なんて破廉恥なの」「お、俺も破廉恥だべか。イブの言うこと聞いたら、とんでもねぇ」「アダムも一緒だべ!」
それ以上、彼らの知能は向上しなかったので、地下に埋もれた巨大宇宙船は、そのまま朽ち果ててしもうたと。

第220回 立春の前日に

 鬼ヶ島にしか鬼がいなかったのは、地獄と通じている現世との出入口がそこにしかなかったからです。普段はやってきた亡者を閻魔大王殿の前へ案内したり、刑の決まった亡者の執行を手伝ったり、針山や血の池のメンテナンスをやったり。決して楽しい環境で仕事をやっているわけではないです。で、たまには明るい現世へも行ってみたいのですが、繋がっている現世の場所は鬼ヶ島だけ。四方は荒海に囲まれている。島といっても岩だらけの緑もない殺風景なところ。太陽の光こそあるものの、五分で退屈してしまう。昔は、この鬼ヶ島から船を出して旅行を楽しんでいたそうです。ところがそれがこの世界に住む人間にとっては迷惑に思われ始めました。鬼の侵略行為だと。そしてある日鬼ヶ島へ、桃太郎と名乗る一党がやって来て抵抗する術もない鬼たちを完膚なきまでに叩きのめし、降伏させました。鬼たちは何が何やらわけがわからなかったのですが、そのときいくつもの条件を呑まされました。鬼にとっては考える余裕もありません。
 鬼は人間にとって恐怖の対象であり悪の化身であるから、原則として人間の前に姿を現さないように。それから、鬼ヶ島を一歩も出ないこと。そんなことが条件内容に謳われていました。
 それから長い年月が流れまして、鬼の若者がある噂を耳にします。それによると一年に一度、人間公認で鬼ヶ島の外へ出ることができるらしい、と。子どものころから地獄や鬼ヶ島以外の世界に憧れていた若者は、行けるものならぜひ行ってみたいと思いました。外の人間の世界は、夢のようなところだというし。人間というのは肌の色も赤くないし青くもないのだと。地獄へアルバイトに行ったときに見た、かつて人間だった亡者はすでに影が薄くなっていてあまり印象に残っていないのでした。亡者たちの話では、生きている人間はこんなものではないというし。体の向こう側が透けて見えたりしないという。“全然違う!“そう聞かされると若者は一層好奇心を掻き立てられるのです。
 人間社会へ行ける日程は決まっているし、そこでやるべき仕事をこなすというのが条件です。それに適性も必要とのこと。人間世界訪問のための申請書類を役所で書かされ、三時審査まで受けねばならない。けっこう厳しいものです。でも数も限られているとのことなので仕方ない。しかし、行ける倍率が数百倍と聞き、行けたらラッキーと思うしかないか、と。審査員が「人が思う鬼にしてはハンサムだから」と小声で自分のことを話していたのを耳にしたこともあったからです。そして人間社会訪問のチャンスが訪れました。難関を突破できたのです。
 立春の前日の早朝、高速船で鬼ヶ島を発つツアーでした。若者は小躍りして喜びました。船はまだ暗い海上を若者たちを乗せて出発。船内で到着後の行動予定が知らされます。若者は初の人間社会なのでおしゃれなジャケットを着ていたのに、なんとイベントでは虎皮パンツ以外は裸同然で職務を遂行するのだと。何をやらされるのか。活動は人間のコーディネーターに従うことになるとのこと。
 その日は節分。子どもたちが鬼を退治するために豆を撒く。若者はその豆を身体に受け逃げ回る役なのですと。ため息をつきました。そこまで鬼は情けない存在なのか。
 若者のコーディネーターは、人間の若い女性でした。いいこともあります。夜の豆撒き本番まで、彼女が人間社会を案内してくれたのですから。その女性は、鬼の目から見ても魅力的でしたし、彼が鬼であることで偏見を持って接することもありません。もちろん豆撒きまでは彼はお洒落なジャケットで過ごすことができました。彼女は人間社会で目立たないようにと、角を隠すためのハンティング帽を被せてくれたり、赤い肌を目立たなくするファンディーションを塗ってくれたりと気遣ってくれました。おかげで心地よく人間の世界を楽しむことができました。
 その夜は、鬼としての役割を十分に果たすことができました。その施設は恵まれない子どもたちがたくさんいるとのこと。鬼の怖さを十分に見せつけ、子どもたちが恐怖に打ち克ち、鬼を成敗する大事さを学習させるとのことでした。だから、鬼の若者は自分の役割をどのように演じるかを真剣に考えました。「あなたな ら立派にできますよ」と彼女は不安になる若者の肩を叩いて勇気づけました。
 結果、鬼の若者は素晴らしい恐怖の鬼を演じきりました、登場した鬼の若者が低く唸り声を発すると失禁してしまう子もいたほどです。子どもたちが全身をガタガタと震わせながら勇気を振り絞って豆を若者に投げつけると、若者はうら悲しい叫びをあげてみせます。すると子どもたちはここを先途と激しく豆を投げつけ若者を追い始めます。若者は、これでいい、これでいいと呟きながら退場しました。別の部屋でコーディネーターの女性が「完璧でしたよ」と拍手で待ってくれました。
 鬼ヶ島へ帰る高速船に乗る前に、若者は、コーディネーターの女性に恋をしている自分に気がついていました。彼女と一緒に暮らしたい。勇気を出して彼女に想いを告白しました。
「結婚してくれませんか?もし鬼の私でよければ」恥ずかしそうに彼女も答えました。
「私でいいんですか?女は結婚すると鬼嫁に変身する人もいると言いますよ」
 彼は首を横に振りました。「それはそれでいいのではありませんか?あなたは鬼嫁に変わり、私は人間らしい愛される鬼を目指したいと思います」それが、鬼と人間との多様性社会に繋がる一歩であることに、このときはまだ誰も気づいていなかったのでした。