第249回 防災訓練

 私の勤める会社は月に一度、防災訓練をやる。何の防災訓練になるかはわからない。その次期、社長が不安に感じていることがテーマになる。例えば、六月は水害対策の訓練だった。梅雨を迎えることからだろうと納得できる。近くの河川が氾濫したという想定で、重要な書類や機器類が濡れないように、より高い安全な場所に避難させる。水の侵入を防ぐために土嚢を準備する。他にも、火災時の訓練もやった。皆で消火器の使い方を確認したり、バケツリレーをやったり。おかげで火事のときにも、あわてずに対応できる自信がついた。これから秋を迎えようという頃には台風の直撃に備えようとの社長の提案で、避難時の心がまえ、そして地震災害から身を守るための訓練では、社内の倒れやすい備品、設備類の再確認をやり、津波に備えて避難経路を確認して、実際にその道をそれぞれの足でたどってみた。
 そんな防災訓練だが、来月は何をやるのか、まだ社長から聞いていない。私が総務の立場で社長の企画を聞いてから、具体的な訓練を決めるのだ。もう、いろんな災害を想定してやりつくしたと思うのだが。また一度もやったことのない訓練があるのだろうか?
 社長に次回の防災訓練の企画を尋ねにいった。「社長、次回の防災訓練は何をやりましょうか?」
 社長は窓の外を見ていた。
「うん。次回は、ゾンビに会社が襲われたときの訓練にしようと思っている」
 私は耳を疑った。
「は。ゾンビですか?歩く死体のゾンビですか?」
「そうだ。あの凶暴なゾンビに我が社が囲まれたときに、どうすれば被害を最小に抑えることができるか、考えておくべきではないかと思ったのだ」
 さすがに私は呆れ、社長に言った。
「あの。ゾンビというのは映画の中の作り話ですよ。現実にはゾンビなぞ存在しないんですよ。映画のゾンビはジョージ・A・ロメロがナイト・オブ・ザ・リビングデッドを撮ってから、人気が出て色んな映画に登場するようになったのです。
 すると社長からは意外な答が返ってきた。
「そのくらいわしも知っておるわ。だがな夢物語のはずのゾンビ話が映画の中でこれほど大流行しているのは何故か、考えたことはないのかね」
「お、おもしろいからではないのですか…?」
「ちがうね。わしは、ゾンビ映画がこれほどに流行する真理に気がついたのだ。人類は潜在意識下で人間がゾンビ化する運命を予知している。だからこそ、理由はわからないくせにゾンビ映画を作り、求めるのだよ。そこにわしは気がついた。だから、ゾンビが現実に現れる前に、ゾンビが出現し人間を襲うパニックをどのように防御するか、考える必要がある。
「どうだ。納得できたかね」
 私は喉元まで「ゾンビ映画を製作するのはゾンビのメイクするだけで一本映画が作れて、製作費がかからない。そういうことではありませんか?だから学生映画でも皆がゾンビ映画を作りたがる。それでゾンビ映画だらけになったのではありませんか?予知なんかじゃないと思いますよ」と出かかっていたのだが、遂に、そのことは言わなかった。何せ社長なのだから。社長の言うことには逆らえない。代わりに言ったのは「わかりました」だ。
「では、次回の防災訓練の準備に入ろうと思います。社長のイメージをお聞かせ下さい」
 社長は満足そうに大きく頷いた。
「うむ。今回の訓練は何人かゾンビ役が必要だな。集めることができるかな。もちろん総務の君とか、ゾンビのメイクをしてな」
 それは当然予想していた。
「はい。ご期待に応えるよう努力します」
「うん。ゾンビの特性を十分に勉強しておいてもらいたい。一般人がゾンビに傷付けられるとゾンビになってしまうことも教えておいてくれ。それからゾンビは走ってはいけない。ゆっくり歩いて来るように。ゾンビの急所は頭だ。頭を破壊すれば殺せる」
「本当にそんなことはしないように伝えます」
「ゾンビは大きな音を聞くと動きが止まる。ゾンビ役は覚えておくように」
 社長室から戻ると各部各課に次の防災訓練は「ゾンビ訓練」であることを伝えた。皆が信じられない表情であることは明らかだった。まさに私も営業が言った「本気でやるんですか」の気持ちだった。
 訓練当日、私は妻のメイク道具を借りて、ゾンビ姿に化けた。家族は私の顔を見て、腹をよじらせて笑っていた。会社へはマフラーを巻いて出勤した。
 予想通り、朝一番でゾンビの防災訓練が実施された。ゾンビ役は私とあと二名総務から。そしてゾンビに捕まると、その者もゾンビ役になる。最初は緊張して防災訓練をやっていたが、だんだん白熱化して私の頭めがけて石を投げてくる始末だ。ゾンビを殺すには頭を狙うんだと誰かが言いだしたらしい。念の為、ヘルメットを着けていてよかった。と心から思った。社長室を見ると、満足そうに社長は頷きながら訓練を眺めていた。訓練は無事に終わった。
 数日後、翌月の防災訓練の打合せのため、私は社長室にいた。「皆、ゾンビについて正しく認識できたようだね。君たちのおかげだ!」と社長。何よりの一言だった。「さて、来月の防災訓練だが……」
 手に持った新聞を私の目の前に置いた。そこには現在公開中でヒットしている巨大原子怪獣映画の写真が載っていた。
まさか…この原子怪獣が襲ってきたら、てことはないだろうな。まさか。
 しかし、社長は目を細めて嬉しそうにゆっくりと口を開いた。

第248回 ごめん警察

雨あがりの日のことだった。
道を歩いていた。知らずにうっかり水溜りに足を入れてしまった。
びちゃ!
そんな音がして、ほぼ同時に「うわっ!」と声がする。あわてて顔を上げるとスーツの男がそこに立っていた。
私が水を跳ね飛ばして服にかけてしまったのだ。スーツは泥水だらけ。おまけにワイシャツまで泥汚れで汚らしくなってしまっていた。男は、怒りの表情で肩をいからせて私を睨んでいた。
「ごめんなさい。服の洗濯代を出します。どうか、許してください」
スーツの男は、怒りがおさまらない様子だった。今にも握った拳を私の顔面に炸裂させたいようだ。
「このスーツを着て、今日、就職のための面接を受けにいくところだったんだ。おかげですべての予定が狂ってしまった。あんたのせいだぞ。あやまって済むと思うな。ごめんで済むなら、警察はいらないんだ!」
なるほど、大変な怒り狂いようだ。ひたすら私は、謝るしかない。「ごめんなさい。ごめんなさい」しかし、怒りは鎮まらず許してくれる気配がない。
そのときだった。紺色の制服を着た男が現れ、私とスーツの男の間に割ってはいった。
「なんだお前は!」とスーツの男。「お前は関係ないだろ!」
すると制服の男が言った。
「私は、ごめん警察のものです」
「ごめん警察ぅ??」
「はい。世の中には、無数のトラブルが溢れています。そのトラブルは、あやまって済むものもあれば、警察沙汰にしなければならないものがあります。そして、どちらにもつかないトラブルがあります。いわゆる“ごめんで済むなら警察はいらない”と言われているトラブルです。これが実は一番多い。そこで誕生したのが“ごめん警察”です。私は、その“ごめん警察”として世の中の中途半端なトラブルの解釈に日々、取組んでいるものです。」
「どうしてここに現れたのですか?」
「はい、私の聴力は特殊な訓練を受けた結果“ごめんで済むなら警察はいらない”という声を聞くと、筋肉が反応する身体になっているのです。だから今も、ここで“ごめんで済むなら警察はいらない”の声が聞こえてきたので、早速に参上したのです。
そう言った“ごめん警察”は、えへんと咳ばらいして胸を張ってみせた。一見したところ頼もしそうにも見えるが、聞いたこともなかったし胡散臭そうな人にも見える。しかし、このごめん警察に今のところは頼るしかないようだ。このごめん警察に果たしてトラブルが終息できるものだろうか。とりあえず私は、トラブルの原因を順序だてて話した。スーツの男も耳をそばだて、自分がこれから面接に行く大切な場面だったことを主張した。
ごめん警察は即座に行動を起こした。何処かに特殊な通信機を使って連絡をとる。すると数分後にドローンが飛んできて何かの包みを落すと、飛び去ってしまった。
包みをごめん警察がスーツの男に渡す。
開くとスーツの男は思わず歓声を漏らした。
中から出てきたのは新品のスーツとワイシャツ。しかも着ているスーツよりお洒落だし高価そうだ。ごめん警察はスーツの男たちに言う。
「さあ、このスーツに着替えて、すぐに面接に行くのです。こちらの方は誠心誠意謝っておられる。新品のスーツであれば何も文句はない筈です。いかがですか?」
「もちろんです。これで何も文句も問題もありません」
そう言って新しいスーツに着替えた男は、そそくさと笑顔で立ち去っていった。
ほっとした私はへなへなと全身から力が抜けそうになった。ごめん警察のおかげで、私はやっとトラブルから解放された。
しかし、“ごめんで済むなら警察はいらない”と言っていた警察が実在したとは。「もちろんスーツ費用はあなたの口座から引落しですが」私は感激していた。どれだけお礼を言っても足りないほどだ。「それで済むのなら!」
すると、ごめん警察の男が私に言った。
「あなたは本当に真面目な人のようですね」
「はい。こんなごめん警察のような素晴らしい仕事が存在するとは知りませんでした。驚きました」
「そうですか。この仕事が生まれて、まだ新しいのです。ですから、まだ、人手が足りません。私ももっとやるべき仕事があるのですが。それが悩みです。どうですか?せっかくの機会です。あなたも、“ごめん警察”になりませんか?」
それは願ってもない話だ。そんな世のため人のための仕事につけるとは。
「なんと素晴らしい話でしょう。ありがとうございます。ぜひその仕事やらせて下さい」
こうして、私は“ごめん警察”になった。世の中にトラブルの種は尽きまじ。おかげで私の仕事は大忙しだ。方々で“ごめんで済むなら警察はいらない”の声が聞こえてくる。すると私は駆けつける。おたがいの誤解があったり、約束を守れなかったり、恋愛観の違いがあったり。まさに様々だ。そのひとつひとつを地味ながらも丁寧に解決していく。そして感謝されると仕事にやり甲斐を感じる。
ふと、“ごめん警察”の先輩のことを思いだした。手が足りないと言っていた先輩はどうしていることだろう。しかし、まさかすぐにテレビの画面で見かけることになろうとは。
戦闘状態にあったA国とB国が停戦交渉に入った。そして、二国の首脳の間に笑顔でいる人は彼だ!!
“ごめんで済むなら軍隊”を今はやっているのか。

 

第247回 新しいお店

仕事帰りに気がついた。住まいからそれほど遠くない場所に、お店が出来ている。前は、一般住宅だったイメージがある。建物は壊さずに内部だけを改装して客を受け入れるようにしたのだろうか。かつては目立たない地味な住宅だった外観なのに、気がついた時には、おいしそうな料理を出す雰囲気を醸し出していた。
どんな料理を出す店なのだろう。
まだ営業はしていなかった。夕方、前を通ると、着々と改装準備が進んでいることはわかるのだが。
そして遂にお店がオープンした。店の前に開店祝の華やかな花輪がならんで、“営業中”のプレートも輝いていた。
私は新らしい店がオープンすると、いても立ってもおられなくなる。どんな料理を提供する店なのだろうか?どんな味だろう?メニューはどうなっている?料金はどうだろう?他のお店と比べてコストパフォーマンスは良いのだろうか?そして、接客はどうだろう?どんなにおいしくても接客が最悪であれば、二度と行かない店もあるからなぁ。そして、内部はどうなっているのか?店内がお洒落であれば、心がわくわくするものだ。
店内へ次々と人が入っていく。すぐにでも入店したかったが、今、店に入れば、かなり待たされる気がした。きっと私と同じようにお店が開店するのを待っていた人がそれだけ多いということかな。
数日、我慢して待つ。開店してすぐの様な混雑はないだろう、と確信して店を訪問した。数名の客がいるだけだ。食べているのは麺類が多いようだ。そういえば店のカラーも赤を基調としているから……ここは中華料理を出すお店だったのか。
カウンターに腰を下ろした。中では店の主人が黙々と料理を作っていた。主人は厨房で被る白い帽子と白マスクを着けているので若いのか年輩なのかよくわからない。
女性が水を持ってきてくれた。落ち着いた、感じのいい女性だった。
「注文はおきまりでしょうか」
右隣の男は麺を食べていた。中華そばか。ラーメンだろうか。初めての店で注文に迷ったときは、中華料理店ならラーメンを食べてみれば、その店のレベルがわかると聞いたことがある。
「ラーメンをお願いします」
「はあい、ラーメン一丁」女性店員が復唱した。
「以上でよろしいですか?」
そう言われると腹がへっているから他にも何か食べたくなるかもなあ、と思いだした。するとテーブルの客が、何かをぼりぼりと噛んでいるのが見える。おいしそうだ。焼き豚足だろうか?よそではあまり見ない料理だ。食べてみたい。
「あれと同じものをお願いします」
「おいしそうでしょう。うちの名物なんですよ」
「豚足ですか?」
「ちがいます。食べてからのお楽しみです」
そう言われたら期待しかない。やがて、ラーメンが運ばれてきた。一口スープを啜る。魚介系と鰹節の混ざった上品な出汁。「うまあい!」と思わず口に出た。厨房の主人が嬉しそうに「ありがとうございます」と頭を下げた。そして、味を確かめようとラーメンを見ると小さく切った緑色の葉がかかっている。「これは青ノリですか?」「いいえ。企業秘密ですが…イチジクの葉を干して特殊加工したものです。私たち夫婦のおもいでで使っているんですよ」なあ、と女性店員に言う。恥ずかしそうに女性店員は小首を傾けた。そうか。この二人、夫婦だったのか!
次に出てきた焼きもの。さっきの料理だ。かぶりついたら、その歯応えと舌ざわり。絶妙だ。豚足じゃあない。「何ですか?これ。絶妙なうまさ。どこで修行されたんですか?」
店主はてへへと笑って遠いところを見る目になった。「本当はあっしたち、昔は仕事もせずのんびりとした生活してたんですがね。ある日、こいつが変な奴の話に乗ってね。変なもの食っちまって」「覚醒剤ですか?」「それよりたちが悪い。あ、それサービスでつまんでください」プラ容器に惣菜が入っている。だが、これはリンゴの甘煮じゃないか。
「それですよ。蛇に美味しいからって言われて食べてしまいました。」それが不幸の始まり。それ迄素っ裸で暮らしていたのが恥ずかしくなってね。恥ずかしいとこをイチジクの葉で隠したりしたんですが、神さまの怒りを買いましてね。住んでいたところを追い出されたんですよ。それから住まいを転々と替えましてね。やっとここにたどり着いて店を開いたのですよ」
まさか、と思い壁を見ると、保健所の許可証がある。申請者名は「仇無太郎」あだむたろう。女性が胸に付けている名札は「いぶ」になっていた。
「それは豚の足じゃない。神の怒りで地を這うしかできなくなった蛇の足でこさえたもので、蛇足の揚げ物ですよ」
「というと、あなた方は、アダムとイブですか。旧約聖書に載っている!」
「そうなんです。九三〇歳まで生きたと言われていますが、まだまだこの先長いようです。これから、こちらで商いをやらせて頂きますんで、末永くおつきあいして頂ければ幸いですよ」
そう言って帽子をとって店主のアダムは深々と頭を下げた。茶色い髪はふさふさとしている。
「また来ますよ。こんなにおいしい店だとは。他のメニューも楽しみです」
私は勘定を払って店を出た。また来よう。何という名前の店だったっけ。看板を見る。
――中華料理 失楽園
こんな名前あるんかい!あってもおかしくないよ。でも、あるんだよね。

第246回 おでんが消える

春だなぁ。暖かくなったなぁ。そう思うと、ふと、おでんが食べたくなった。
冬の日々の楽しみだ。もう一回くらい、今シーズン最後のおでんを食べておきたい。
こんにゃく、大根、タマゴ、厚揚げ、とりあえず、そんなものでいいか。
近くのコンビニへ歩いていく。あれっ?おでんケースがない。どんなに探してもない。
「おでん。終わったんですか?」
店員は新人らしく「おでん…?うちにはありません」変だなぁ。もう終わったのかな。いや、近くに、もう一軒コンビニがあった筈だ。足を伸ばしてみよう。とぼとぼと次のコンビニまで歩く。歩いていると、おでんの妄想が膨れあがっていく。そうだシラタキとお餅も食べておきたいなぁ。
「おでん、ありませんか?」
「おでん…何ですか?それ」
店員は浅黒い肌の色。日本人ではないのか。おでんのこと知らなくても仕方ないな。もう一軒行ってみよう。ここ迄くると、意地になっているかもしれない。おでんを食べたくて頭がはちきれそうだ。
次のコンビニ。ない!
「おでん、終わったのですか?」
「おでん…?何ですか、それ」
「ほら、出汁で色んな具が煮込まれている冬の…」
店員が不思議そうな顔をするので馬鹿馬鹿しくなって説明をやめた。
それで、おでんを食べたい欲望が鎮まるどころか、かえって火がついた。どこへ行けば、おでんが食べれる?居酒屋の前に旗が立っている。その旗のうち一本には必ず、おでんと書いてあったぞ。
行きつけの居酒屋に到着。なんと。ない!ない!焼きとり、生ビール、焼酎はあっても、おでんがないなんて。
頭の中で疑問符が渦巻き、やれたまらずに店内に飛び込んだ。そして尋ねた。
「こちらのお店に、おでんはありましたよね!」
出てきた店主は首をひねって言った。
「おでん…?そりゃぁ、何ですか?聞いたことありませんが」
あいた口が閉じなくなった。居酒屋の店主がおでんを知らないなんて。信じられない。おかげで世の中に、おでんが昔から存在しないような気分になるではないか。そんな筈はない。必死で思い出す。最後に店でおでんを食べたのはいつのことだったろう?どこで食べたっけ?
思い出した。お好み焼屋だ。モダン焼を食べに寄ったとき“おでん はじめました”の旗が吊るされていたから、折角だから、と、こんにゃくと大根、牛スジ串を食べたよな。
早速、その店へ。表の黒板にメニューが。お好み焼、モダン焼、焼そば、と書かれていた筈。そうだ。焼そばの隣におでんと書かれていた。あ…!
なんと、焼そばの隣の行は空白になっていた。その隣に、生ビール、焼酎と書かれている。
おでんの行だけが消えている。そんな筈はない。店の戸を開こうとしたが、堅く閉じられていた。もちろん“おでん はじめました”の旗もない。
世の中で何か異変が起こっている。存在している筈の“おでん”が世の中から消滅し始めている。そんな馬鹿なことがあってたまるものか。
友人に電話をかけた。
「おい、おでんを売っている店を知らないか?どこにもおでんを売っていないんだ!」
ところが、友人の答は……。
「おでん?それは、いったい何だ?」
意外な言葉に開いた口がふさがらない。
おでんとはどういう食べものか説明しようとして、むなしくてやめた。
もう、おでんを食べるのは無理のようだ。
部屋で何度もため息をつく。すると、突然背中で気配がする。振り返ると見知らぬ白い髪の老人がいた。
「あなたは誰ですか?」
「わしは万物のグルメの神だ。美味しいものを愛する者の願いをかなえておる。お前も、美味しいものが大好きと見た。おでんか、最近はおでんを望むものがおらんで、消失させたのじゃ。まだ、おでんを愛する者がおったとはのう。もう誰もおでんを覚えておらんと思ったが、おぬし、よほどおでん好きなんじゃのう。お前の頭の中を覗いたら、ようわかった。悪いことしたのう。おわびに地図をやろう。ここに行けば願いがかなうぞ」
その地図に×印が書かれている。「ありがとうございます」
「おお、よかった。次の者のグルメの願いをかなえてやらんとな」
グルメの神は、次の瞬間消えてしまった。
早速、お告げに従い、地図の×印を目指すことにした。
山の奥の×印の場所。なんとそこに広い池があった。いや、ちがうぞ、これは温泉だ。あたかも入れと招いているような。服を脱ぎ、どぼんと飛び込む。これは…ただの温泉じゃない。湯を口に含む。おでん出汁だ!ぷかりと、何か浮かぶ。見て驚く、巨大な大根だった。かぶりつくと、これこそ理想のおでん。うまい!次にぷかり!糸こんにゃくだ。全身絡めとられつつ、至福の気分だ。超巨大なちくわぶ、タマゴが浮かんでくる。こんな理想郷があったとは!これはおでん天国だ。嬉しさに天を仰いだときだった。巨大な箸が天空から迫り、私を挟んで持ち上げる。箸の上には巨大な目が。その目は美味しいものを求める目だ。
グルメの神が願いを次にかなえたのは……こいつか。そしてその異形のグルメが求めるものは……!
私は絶叫をあげた。

第245回 宇宙の果て

仕事から帰ると玄関の前に見知らぬ人々が待っていた。黒い服を着た屈強そうな人々ばかり見える。私に用があるのだろうか?こちらは何も思いあたらない。自分でも気づかないうちに何か悪いことでもしでかしたのだろうか?わからない。
皆は私が帰宅したことで、色めきたった。間違いない。やはり彼等の目的は私のようだ。
逃げるべきか?どうするべきか?おろおろしていると、黒服の男たちの間から白い研究者服の老人がおずおずと姿を現した。そして私の名前を叫んだ。「はい」と答える。
老人は「おお」と叫び喜びを隠しきれぬように駆け寄ってきた。
「やはり、実在したのか!全世界の情報ネットワークを駆使して、やっとあなたにたどりついた。そしてあなたは、ここにいる。まさに、これこそ宇宙の神秘ではないか!」
私は疑問をそのまま口にした。「いったい、あなたは誰なのです?私がいったい何をしたというのです?」
それもそうだと白衣の老人は頷き言った。
「私は、天才天文学者じゃ。日々、宇宙の果てがどうなっているのか?その謎を解くために研究を重ねておるのじゃ」
自分のことを天才天文学者と名乗るとは。
「そんな科学者が何故、私を訪ねてこられたのです」
彼は大きく頷き、そして答えてくれた。
「実は、これまでは宇宙の果てを観察することのできる精度の高い観測機器はなかったのじゃ。電波や宇宙の銀河が離れる速度や、星の明るさや色の関係を考えて算出したりしておった。だが、現実には、宇宙の果てを目視して観察することは、できなんだ。しかし、人類の科学技術の進歩はとどまるところを知らない。遂に私の天文研究所では、銀河のはずれの遠いところまで自分の目で観察できる、目視による装置を完成させたのだ!」
それは、天体望遠鏡のようなものなのだろうか?そんな報道は聞いたこともなかったのだが。
まてまて。だからといって、この自分を天才と名乗る天文学者はなぜ私の前に現れたのだろうか?私といえば、宇宙も銀河も、縁のない人間なのだ。もっと言えば夜空の星さえ見たことがない。そんな私には何の関係もないことではないか。
何故、天才天文学者がそんな私の前に?白衣の老人は話を続ける。
「早速、私は全宇宙の真理を知るために、その観測装置を始動させ、さまざまな観測を始めたのじゃ。そして宇宙の果ての映像が、刻々と私のもとに届き始めた。これは、もう神秘の連続としか、言いようがなかった。
何もない宇宙空間の果てで、装置が捉えたものは想像を遥かに超えたものだった。まさに、それは謎!そのものだった。」
「宇宙の果てはどうなっていたのですか?」
さすがに私もそこ迄聞かされては、興味が湧いてくる。白衣の老人は私を指差した。
「これは宇宙の果てを撮ったものじゃ。さて、あなたには、この宇宙の果ての写真は何に見えるであろうかな?」
そして老人は数十枚の写真を私に渡す。宇宙の果ての写真……?予想とまったくちがう。最初の写真には誰かの鼻が写っている。次の写真は胸だ。男のようだ。次は、これはどう見えても…お尻。これが、宇宙の果ての写真?
見知らぬ男の身体の一部じゃないか。これは誰だ?
「すべて、宇宙の果てを撮った写真なのじゃ。しかも、すべて人の姿の一部に見えませんかのお?トリック写真などではもちろんない。そして、すべての写真をつなぎ合わせると、なんと、一人の人物になる、とAIは教えてくれた。それが誰なのか?どこにでもいそうな人物に見える。不思議なことじゃ。宇宙の果てで生まれた謎は解かれなければならん。この写真群のデータを分析して、この宇宙の果てに存在している、人のような何かが何者なのか!ついにつきとめた。
それが……あなたなのだ!」
びっくりした。宇宙の果ての写真に写っているのは、すべて、私ということなのか……!そう…私の鼻や胸やお尻。
よく理解できない。いや、どう理解すればいいのだろう?
なんとなくわかった気もする。私自身は一人の人間だが見方を変えれば、私が、この宇宙のすべてを包みこんだ状態で生き、そして暮らしているのだ。とすれば私も宇宙の果てにいるという見方もできるのではないか。いや、地球に何十億という数の人間がいるということは、何十億という宇宙に包みこまれているという考え方もけっしておかしくないのではないか?
こんがらがってきた。
私の身体が裏返しになって宇宙を包みこんだ姿を考えれば……まさしく宇宙の果てで、宇宙を包みこんでいるのは、私ということで間違いないということになる。
それが、私が存在する、この宇宙の真理ということだ。
「待ってください。たしかに宇宙の果ての写真に撮られたのが、すべての私なら、私の宇宙でしょうね。同時に、天才天文学者のあなたが取囲む宇宙も、黒服の男たちが取囲んだ宇宙も、当然、存在しますよね。それでいいんですか?不思議ではないのですか?」
白衣の老人は、それもそうだという風に考えこむ。そう考えれば、この世に存在する人々や生物の数だけ宇宙は存在することになるということになる。
黒服の男の一人が「今、新たな宇宙の果てのデータが届きました」と駆けよってきて、写真を白衣の老人に見せる。
老人は「おお」と叫ぶ。「何と新たな宇宙の果てが」
「データを分析しています。宇宙の果てのこの近くに住む女性のようです」と黒服の男。
「何と!こんなことをしておる暇はない!新たな宇宙の果てを確認しなくては。しかも、今度の宇宙の果ては、若く美しい女性ではないか!」と白衣の老人は新しい天体を発見した興奮で叫ぶ。そして、私を尻目に新たな宇宙の果てへ走っていった。ぽかんと私は老人たちを見送る。
呆れ果てたものの、ようよう気をとりなおした。
やれやれ、やはり、この世は宇宙の謎だらけだ。

イラスト

第244回 呪いのショートショート

定期的にショートショートを書いている。ショートショートというのは、枚数の制限はないものの、できるだけ少ない文字数で不思議で奇妙なストーリーを語る…と言えばよいのだろうか。加えて、予想できない驚きの結末であれば理想的だ。
定期的に書いていれば慣れたもので、机に向かえばスルスルと面白いものを書いて担当編集者に渡しているのだろうと思われるかもしれない。確かに、調子がいいときは、何の苦労もなくアイデァが湧いてくるし、展開も浮かんでくる。それに、結末も天から降ってきたみたいな冴えたオチになる。
念のため、もう一度言っておく。これはあくまで調子のいいときに限られる。
調子の悪いときは、七転八倒の苦しみだ。締切りの時間が迫るというのに何も思い浮かばない。きつく絞った乾き雑巾のようなものだ。一滴もアイデァが湧いてこない。
いくつかのショートショートの書き方のノウハウを紹介したものを目にしたことはある。頭に浮かんだ単語を手当たり次第に紙に書き、関係なさそうな二つの単語を結びつけてみて、そのイメージを拡大させてみなさいというもの。連想に連想を重ねると、そこからお話が予想外の動きを見せてくれることがある…とある。その通りにやってみた。本当のことかどうか。
出来なかった。いや、連想することは出来るし、ショートショートに似たものが生まれてきそうにはなるのだが。
何かちがう。面白くない。
自分でショートショートを人よりたくさん書いているのでわかるのだが、そこから生まれそうになるものは、私の好みとは、まったくちがう。そんな自分でも気にいらない発想のものを作品化したくはない。筆も動かない。望むのは書き上げた瞬間にガッツポーズをしたくなるような作品だ。
このままじゃいけない、と相談することにした。相談するのは、読書好きの友人だ。ショートショートに限らず、本であれば絨毯爆撃みたいに何でも読む。ビブリオマニアと言えばよいか。本に関して相談すれば、必ず、いい考えを出してくれた。
「何か、ショートショートのアイデァはないかなあ。面白くて斬新な…エッジの効いたの」
「俺は読む方だから、期待しないでよ」
「だけど、それだけ色々読んでるなら何かあるんじゃない」
彼は、真面目だから、考え込んでしまった。
「呪いのショートショートというのを聞いたことはないか?」
「ない。そんなのあるのか?どんな話だ?」
「いや、噂で聞いたんだけど、どんな話か実はよく知らないんだ。俺も読んでいない」
「なんか呪いのビデオテープを見ると呪われるホラー映画があったなあ。そのショートショートも読めば呪われるのか?」
「わからない。だが、ショートショートだから、あっという間に読めるそうだ。しかし、読み終えたという者に会ったことがない」
「それは読み終えた途端に呪われてしまったということかもしれないな。どこで、その呪いのショートショートを読むことができるんだ?」
「どこで読めるのか知っているなら、とっくに俺も読んでいる。呪いのショートショートを読めば、その呪いがどんな呪いか、わかるじゃないか。実在するかどうかわからない」
「ということは、都市伝説みたいなフェイクかもしれないな。どう思う?で、何が言いたい?そう言えば、最高に怖いホラーで、“牛の首”というのがあるが、怖いだけで誰も内容を知らないのだから、実在するホラー話かもわからない。その呪いのショートショートをどうやって探せというんだ?」
友人は悪戯っぽく顔を歪めて笑った。
「探すんじゃなくて、書いてみろよ」と言った。「え゛ーっ!!!」
「読んだら必ず呪われるショートショートなんて、そんなものがあるとわかればSNSでバズるに決まっているだろう。どんな風に呪われるのか?その呪いからどうすれば逃げられるのか?抜け道はないのか?そんな興味もある。そして、何より呪いのショートショートの内容がどんなものなのか知りたいだろ。実在するとなれば。実在するかどうかわからなければ書いてみればいい!そうすれば、出来上がったら実在することになるんだから」
「そりゃあ、どんなショートショートを書けばいいんだよ。言われっ放しで書けと言われたところで、何を書いていいか、わからないじゃないか!」
彼は無責任にも、こう言い放つ。
「そりゃあ、作者がでっちあげればいい。どんな内容かなんて、俺には関係ないことだ。ただ呪いのショートショートが実在したという事実がすごいことなんだから。善は……いや、呪いは急げ!すぐ書け。俺の目の前で」
仕方なく、目の前に原稿用紙を置き、タイトルを書いた。
「呪いのショートショート」
何も書きようがないが、何とか文字を埋めなければならない。仕方がないから、ここに至った経緯を、ありのままを書きつらねることにした。もうすぐ書上げる。そして筆が止まる。ショートショートで一番大事なオチ。
思いつかない。
筆が止まってしまう。書上げたと思った友人が原稿に手を伸ばしたのだ。
「いや、まだだ。書いてる最中だから」と叫んだが、遅かった。
ショートショートを読み始めた。そして……友人は呪われた。
「なんと、寒い結末」と叫び、倒れ込み亡くなってしまった。
あまりにも寒い結末で全身カチカチに凍死してしまったのだ。
完成していたのか。
読み返してみるか…いや、書いた本人まで呪われてしまう……。
これを読んでいるあなたも、寒気がするのではないか?それは……きっとこのショートショートの呪い。

第243回 ああ 煉獄!

正月二日の朝だった。一人暮らしの私は、暮れに買っておいた餅を焼いた。これが正月らしい今年初めての食事だ。レンジでこんがり焼いて砂糖醬油をつけて頬張る。香ばしい。美味しい。飲みこんだところで、意識が途絶えた。
何やらふわふわと浮かんでいる気がする。誰かが私の手を握って空の高い所へと飛んでいく。
「あ、あなたは誰です?私をどこに連れていこうとしているのですか?」
「おや、気がついたのですね。私は天使です」
なるほど、背中に翼がある。人間ではないようだ。上品な若い男性のように見える。だが人間ばなれしているような。ということは。
「そうです。お察しのとおり、あなたは正月のお餅を喉に詰まらせ、お亡くなりになりました。それで、天使の私があなたを天国にお連れしようとしているところでした」
なるほど、それで謎がすべて解けた。そうか。天国は高いところにあるんだなあ。
「まあ、ぼちぼちまいりましょう」
「わかりました。急ぐ旅でもないようだし」
私と天使は世間話をしながら上空へ上っていく。
「人生を終えて、いかがでしたか?私もいろんな方の人生を見ていたのですが、くわしく見ているわけではないもので」
「そうだなあ。思い返せばいろいろあったな」それは本音だ。しかし、誰でも人生はいろいろあるのではなかろうか?
「それは、それは。どんなお仕事をしておられたのですか?」と天使は尋ねてきた。
「私の仕事か。なんと言えばいいのか。人を欺く仕事と言えばいいかな…うわっ」
私の腕を握っていた天使の手がはずされた。おかげで真っ逆さまに落ちていきそうになった。あわてて私は天使の腕を握り、墜落をまぬがれた。
「危ないじゃないか。急に手を離したら、下に落ちてしまうところだった」
「あなたは人を欺す仕事をしていたのですね。それは詐欺師ということではありませんか。そんな人物を天国に連れていくわけにはいきません。地獄行きが当然です」
「うわっ」私の足が重くなる。下を見ると、私の足を黒っぽい角をはやしたものがつかまり、引っ張っている。「くひひひ…悪人は地獄がお似合いさ」と、うそぶく。こいつは…「地獄からお迎えに来たよ」こいつは悪魔だ。
あわてて言う。
「誤解しないでくれ。人を欺す仕事と言って、けっして悪いことはしていない。私が生きているときの仕事は“奇術師”なんだよ。人は私の術に欺されて大喜びをする。これが、悪いことか?」
天使が、しっかりと私の手を握りなおした。
「なるほど。それは悪人とは言えませんね。もう少しで手を離して地獄へ落とすところでしたよ」
ふーっ。私は安心して溜息をつく。危い。危い。なんとか助かったようだ。すると、足の方でちぇっ!という舌打ちが聞こえた。地獄の悪魔だ。「何を善人気取りでいるんだ。俺が目星をつけた奴は、必ず何か悪いことをやっている。いや、ほとんどの人間は黙っているが悪いことをやっているのが普通なんだよ。俺がこちょこちょすれば嘘がつけなくて本当のことを言うんだよ。そしたら地獄行きだ。さあ、言ってみろ、こうだ。こちょこちょ」と悪魔は私の足の裏をくすぐる。苦しい。なんと、本当のことを言いたくなってくる。助けてくれ。こちょ、こちょ。たまらん。
「言う。私がやった悪いことだ。満員のエレベーターの中でおならを出してしまったことがある。鼻がもげそうな臭気だったが知らんふりをした。おならしたのは誰だ!と皆が怒っても口を割らなかった。今となっては、なんと悪いことをしたのだと反省している」
悪魔が嬉しそうに笑った。「なんと、大悪人ではないか。さあ、俺と地獄へ行こう」天使も「もっと正直な人と信じていたのですが」と手を離しそうになる。私はあわてて叫んだ。「そのことは反省しているよ。だから私はその罪滅ぼしに善行を重ねた。横断歩道を渡れないお年寄りの手を引いてやったし、貧しい子のいる家庭にランドセルを贈った。それでもエレベーターのおならの罪は消えないのですか」
天使と悪魔の動きが止まった。私の生前の行いについて、判定がうまくできないで、フリーズしてしまったようだ。
地獄に行かないのはいい。しかし、このままだと、宙ぶらりんのまま。これが煉獄という状態というわけか。それは困る。どちらかに行くべきだろうが。すると上で声がした。「まだ連れてこないの?」また天使だ。女の声だ。見上げると魅力のない女性天使が舌打ちしていた。
「いや、判断に迷ってね」「さっさと連れてくればいいのよ!」と私の手を引っ張る。すると下でも声が。なんとなまめかしい、私好みの女性悪魔が「あら、なかなか連れてこないと思ったら。でも素敵な彼ね。私も手伝う」と足を引っ張り始める。上からと下から。力が拮抗する。全身が引きちぎられそうだ。
エーイ!!と天使たち。
ソーレ!!と悪魔たち。
その拍子に喉の奥から何かがぴょんと飛び出した。
喉に詰まらせていた餅だった。
気がつくと自分の部屋にいた。
おかげで無事に生き返ったものの。
これからは、もっと悪い人間になろうと考えてしまうのだ。何故かって?
あの、艶っぽい私好みの女性悪魔のことを思い出すと、どうやったら地獄へ行って女性悪魔に逢えるのかと考える日々なのだ。

第242回 息子にサンタがやってくる

 クリスマスと言えば、子ども達にとってはサンタクロース。夜空を駆けて全世界の良い子のためクリスマスプレゼントを届けにくる。そう、私も子どもの頃は信じていた。
 実はサンタクロースなんて存在しないということを知ったのは、何歳のときからだっただろう。プレゼントは父親や母親が夜中に、そっと置いてくれるものだと友達の誰かから教えられたためだ。
 そのときは衝撃だった。会ったことがなくてもサンタクロースは太ったお爺さんで白髭ふさふさの真っ赤な服を着ている人だと思っていた。
 しかし、大人になった今でも、自分が子どもの頃にサンタクロースを信じていたことは厭ではない。それどころか、自分が、サンタクロースが大好きだったと考えると心地よくなる。
 あの頃の自分は、どんな少年だったのだろう。そう考えると、何だか甘酸っぱいものを感じてしまう。
 そんな私も、今では人の親である。やっと息子は言葉を話し始めた。そして、もうすぐクリスマスだ。
 息子に私はとっておきの話だ!と語ってやった。
「良い子にはクリスマス・イブにサンタクロースが素敵なプレゼントを持ってきて、靴下の中に入れてくれるんだよ。すごいだろう!楽しみだろう!でも、良い子にしていないとサンタクロースは来てくれないんだ。さあ、ぼくは何が欲しい?パパがサンタクロースにリクエストの品を伝えておいてあげるから」
 私はサンタクロースの画も見せた。ソリに乗ってやってくる真っ赤な服のサンタクロース。大きな袋からあふれんばかりのプレゼントがのぞいていた。
 ところが……やっと喋れるようになった息子の口から出たのは…。
「ばぶ……サンタクロース?パパは、そんなものを大人のくせに、信じているんでしゅか?笑わせちゃいけませんでしゅよ~そんな子どもだましを信じちゃうなんて~。サンタクロースなんて、ホントはいないんでしゅよ~。ばぶ」
 私は愕然とした。こんな幼い子が夢もなく、育とうとしていることに。サンタクロースが来てくれるように、良い子になろうと努力するようになってほしかった。息子は新聞で株式急騰銘柄にペンでチェックを入れながら「ばぶ。投資は早くからやった方がリターンも多いんでしゅ」と言ったりする。何と夢のない子なのだろう。色々と考えてしまう。
 そうだ。息子に本当のサンタクロースを見せてやれば、普通の子らしく、サンタクロースを信じるようになるのではなかろうか?しかし、本物のサンタクロースは存在しないということは私も知っているし……。困った。
 誰かにサンタクロースに化けてもらうしかないか。色々、考えた。でっぷり太ったふくよかなお年寄りで、大きな袋を持っている人。
 何人か、候補を思いついたので頼みに行く。
『七福神神材派遣会社』だ。
「あのー、派遣して頂きたい神さまがいるんですが」
「誰がよろしいでしょう」
「十二月二十四日の夜に。大黒さまか布袋さまをお願いしたいのです。体型も同じだし。大きな袋をお持ちなのでサンタクロースになって頂きたくて」
 担当者はスケジュール表を見た。「大黒さんはその日、因幡の白ウサギの所へ出掛けて無理ですね。布袋さんは空いてます。大丈夫ですよ。いいですか?」
「はい。では布袋さまを派遣してください」
 そして、クリスマス・イブ。わが家に布袋さまがやってきた。でっぷりした彼に赤い服を着せて髭をつけたら、立派なサンタクロースのできあがり。
「では息子さんの前で、私がサンタクロースを演じればいいんだね。お安い御用だよ」と布袋さまは嬉しそう。
「で、こちらでプレゼントを用意しているので、これを渡してください」
「はい。わかった」と布袋さまは私が用意したプレゼントを左手に持つ。右手には布袋さまの大きな袋が。どこから見ても布袋さまは立派なサンタクロースだ。
 夜も更けた頃、布袋さまは息子の部屋に入っていった。私もドアの隙間から様子をうかがう。まだ息子は起きていた。布袋さまを見て驚きの声をあげた。布袋さまはサンタクロースになりきり「ホーッ。ホッ、ホッ。良い子にしていたかね。これはサンタクロースのプレゼントだ」
 息子は目を輝かせた。
「ほんとにサンタクロースはいたんだ!サンタさん、ありがとう」それから息子は予想もしない行動をとった。
 貰ったプレゼントを置くと、そのままサンタクロースの布袋さまに飛びついた。
「ねえ。まだ世界中の子ども達にプレゼントを渡すんでしょう。僕に、もう一つくれてもいいでしょう」
 息子は言うが早いか、布袋さまの袋を取り上げ開く。布袋さまも私も大あわて。
「これはプレゼントの袋じゃない。布袋が持っているのは堪忍袋なんだ。皆が堪え忍ぶこと、病気、不満、飢餓、愚痴、怒り、嫉妬、憎悪が詰まっているんだよ」
 そう言ったときはすでに遅く、息子の部屋は堪忍袋の中身がすべて飛び出していた。息子は口をあんぐり開いたが、時すでに遅く、部屋はとんでもないことに。
 部屋だけではない。その瞬間、世界中に…考えつく限りのマイナスの心が、ありとあらゆる所へ飛び散ってしまったのだ。
 「とほほ」と布袋さまは嘆く。しかし、「おや」と袋の底を覗き込んで布袋さまは言った。「何やら小さな光る石が残っているぞ。これは…希望だ」

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くまもと文学・歴史館 収蔵品展番外編
「あなたにも書ける!!カジシンのショートショートの書き方講座」

【参加無料】【要申込(先着順)】【定員100名】

〈日時〉
12月21日(土)午後1時30分から午後3時

〈場所〉
熊本県立図書館 3階大研修室
熊本市中央区出水2-5-1

〈講師〉
梶尾真治

〈お問合せ・申し込み先〉
くまもと文学・歴史館
096-384-5000(代)
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第241回 駅ピアノ

その日は、初めての土地へ出張だった。
朝一の新幹線に乗り、その駅で降りた。
かなり大きな都市で、駅も比例して大きい。
出張の目的である会社は、駅から歩いて十分ほどの場所。そこで約束の時間に担当者と会って、開発商品の説明をすることになっている。担当者は時間に厳しいと聞いていたので、予定より随分早く駅に着くようにスケジュールを組んだ。
駅に着いたのは予定時間の三十分も前。目的の会社のあるビルの前には公園があるようだから、そこで時間調整して訪問すればいいと考えていた。
改札口を抜けてビル方向へ伸びる通路を歩く。広場に出たら、左方向の通路に進めばいい。ちゃんと調べておいた。早足で歩くと、その広場へ出た。広場あたりは、随分と通行量が少なくなっている。
これから左方向へ数分歩き、階段を昇れば目的のビルの前に出る筈だった。
ふと広場の隅の黒いものに目が留まった。何だ?
ピアノだ。
テレビでも見たことがある。街角や駅広場などに置かれているピアノで、ピアノに心得のある人が挑戦して名曲を奏で、通行人たちを楽しませる。
これも、そんな駅ピアノなのだろう。少なくとも私には関係なさそうな代物だ。私は唄も音痴だし、小学校の頃から音楽の成績は悪かった。楽器にも興味はない。
もし、ピアノを弾ける腕があったりすれば、この駅ピアノに挑戦してみようという気持ちになったりするのだろうか?
テレビで通りすがりの人が、何気なくピアノに向かい名曲を流暢に弾きこなしている人がいかに多いことか。それも楽譜もなしにやってのけているのだ。
まあ、こちらには関係ないことだが。さあ、目的の会社に急ごう。
待てよ!
そんな考えが浮かんだ。もう一度、ピアノを見た。何だかピアノに呼ばれたような気がしたのだ。立ち止まった。
<そう慌てなくてもいいじゃないか>
ピアノが私に言ったような気が。
<ピアノを別に弾かなくていいんだよ。ここに座ってみたらどうだ。仕事前の焦る気分が落着くぞ。皆がどんな気分でピアノを弾いているのかわかる筈だ。ほんの数分、座ってみればいい。>
それもそうだな。まだ時間に余裕はある。立ち止まりピアノに近付く。
椅子に手を伸ばし、座ってみた。まわりを見回すと通行人がこちらを見て、ホォ、これから弾くのか、と感心した様子で眺め、通り過ぎていく。ほんの少しだけ得意になっている自分がいた。座っているだけだ。弾けないのにね。すると、ピアノにまた話しかけられる。いいや、これも気のせいじゃないのか。
<どうだ。いい気分だろう。鍵盤を指で押してみればいい。凄くいい音がするぞ。皆が知らなくてもいい。それがおまえの曲なんだから。誰も知らない曲、おまえだけの曲>
両手を出して鍵盤にあててみた。
<さあ、弾いてみろよ。素晴らしい指じゃないか。まさに芸術家の指だ。そのまま鍵盤に指を叩きつけるんだ。気持ちを指先に込めて>
弾ける筈がない。しかし、弾いたら気持ちいいだろうな。すっ、とするだろうな。そうだ、どんな音がするかだけ。
指を叩きつける。ピアノから音が響いた。指先から全身に震えるような快感が走った。指先が、まるで自分の指先でないような動きを見せる。小刻みに指が動く。いや、自分ではないような天才的ピアニストの指さばきだ。自分の手でこんなメロディが弾ければいいのにという自分の潜在的願望が現実化した状態といえばいいのか。
初めて聴くメロディだが、弾いている自分が陶酔してしまうような曲ではないか。そして指先が、信じられないほど広がり、快楽の和音をものにしているではないか。弾いている。弾き続けている。
まわりの気配に気がついた。顔を上げると、先程まで誰もいなかったというのに、広場は今や人だらけだ。皆がピアノのまわりで演奏に聴き惚れている。指が勝手に演奏を続けている。何が起こっているのだ。これは自分の演奏ではない。
何かやらなければいけないことがあったような気がする。どこかに行かなくては、という気がするがなんだったろう。大事なことだったと思うのだが。指が止まらない。いや、これほど素晴らしいことがあったろうか。弾いていてこれほどピアノの音が気持ちいいものとは。あまりの気持ちよさに指先からピアノに何かが流れ出ていく。少しずつ究極のメロディに自分の精気がすべて吸い出されていくようだ。ふと、目が、譜面台に吸い寄せられた。譜面台の裏に何かがいて、こちらを満足そうに凝視しているのに気がついた。その目が細く笑うように見えると、こちらの演奏の指の動きも超絶技巧になるのだ。そこで気がついた。音楽も楽譜も何もわからない自分がピアノに取り憑いている何かに操られているからなのだ。ひょっとしてこいつはピアノの魔物?
この駅ピアノは呪いのピアノだ。通りかかる犠牲者を誘いこみ、ピアノを演奏させる。そして、指先から精気を吸いとってしまう。それが駅ピアノの餌なのか。
その犠牲者に選ばれてしまったらしい。
テレビで流れていたのは、妖怪“呪いの駅ピアノ”の実況だったというわけか。どうすればこの危機から逃げ出すことができる。そうだ。本来の自分に戻るのだ。弾き間違えて不協和音を鳴らす、というのはどうだ。駄目だ。指が操られている。不協和音にならない。
最後の手段だった。弾いている鍵盤におもいっきり自分の頭を打ちつけた。これしか方法はない。魔物も頭を使って弾くとは、考えなかっただろう。ズガン!ズゴン!何度も。何度も。頭を打ちつける。頭に不協和音が響き、奇跡的に両手の指が解放された。
<ちっ。逃げやがった>としわがれた声が聞こえた。助かった……!
やっと立ち上がり、ピアノを離れる。自由になった手を振りまわすと、まわりに集まっていた聴衆たちが、演奏が終わったと思ったらしく、私に盛大な拍手を送ってくれたのだった。

 

第240回 見える筈がないもの

私は好奇心が強い方だと思う。歩いていて変な人を発見すると、話しかけずにはいられなくなる。このときの人もそうだった。
その男は歩いていて急に立ち止まり、前方の空間をじっと見続けている。
何を見ているのだろう?その男の前には何もないのに。
私は好奇心を抑えきれず尋ねた。「もしもし。あなたは、何もない場所をしげしげと見ておられる。何を見ておられるのですか?」
すると、男はうなずいて答えた。「いや、私には見えるのですよ。他の人には見えないものが。ほら、そこ」
何もない。「見えません」
「両手を垂らして恨めしそうにこちらを見ているじゃありませんか。何か言いたそうに」
「ひょっとして幽霊ですか?」
「そのようですね。普通の人には見えないのでしょうね。人は視覚に頼って価値を判断していく傾向があります。見えるものは信じ、見えないものは本当か疑う」
そんなものだろうか?
「つまり、あなたは霊が見えるというわけですね」
「いえ、霊だけではありません。上を見てごらんなさい。何が見えますか?」
「太陽と青空が見えますが」
「はい。間違いではありませんが、私には青空のずっと上に、またたく星々が見えます」
私はびっくりした。確かにそうだろう。太陽の光で星々の光はまったく見えないが、青空の上に、現実には星々が存在している。それが見えるというのは、本当にこの人は特殊体質なのかもしれない。
「私は変り者と人から言われて不思議でなりませんでした。人に見えないものが見えているのは、私にとっては当たり前のことだと思い込んでいました。ところが、私の方が珍しいのですね。他の人には見えないのですから。
どうりで私の価値観と他の人の価値観は違うんだとわかりました。見えるもので人の価値観は変化していくんですね。だから、“百聞は一見にしかず”って言うんですよね。おや、危ない!」
そう言って男は、私を押した。それも瞬間的なこと。
「もう、大丈夫です」と私の腕を引いた。私には何がなんだかわからなかった。
「えっ?いったいどうしたんですか?」と私は尋ねる。男は、「危なかった!」と言った。
「いえね。今、インフルエンザのウィルスが風に流れて飛んできたのですよ。あなたは私が押さなければ、危うくインフルエンザのウィルスを吸い込んでしまうところだった。潜伏期間を過ぎたら、あなたは高熱でウンウンうなされるところでしたよ」
信じられない。インフルエンザウィルスに襲われようとしていたなんて。
「あなたにはウィルスが見えるのですか?」
「ええ。ウィルスだけじゃありません。細菌なんかもわかります。だから、私には皆が手洗い、うがいを毎回せずに、汚い手のままで過ごしているのが不思議でならなかったのです。皆には細菌やウィルスが見えないから、食中毒になるんだなあ、と思いますよ」
そんなものまで見えるのか。
「じゃあ、バイ菌がそこにいますよ。注意して!と教えれば、皆さんは食中毒や感染症にならずに済むということなのですね?」
「はい。かつて私はそうしていました。しかし、食べている人に、今食べたものにノロウィルスが附着しているのが見えましたよ、と教えてやっても、私が頭のおかしい人間だと思われてしまいます。だから、最近は口を慎むようになりました。いいことなのか。あなたになら真実を話してもいい気がしたものでね」
あまりに意外な話の連続で私はどう口を挟んだらいいのかもわからない。そんな私のバッグに男は目をやった。
「おや、あなたはクラシックがお好きなのですか?」と私に尋ねた。
「え?」と答えて自分のバッグを見ると、バッグのポケットからCDのディスクが見えた。それは、さっき人から借りてきた音楽のCDなのだ。カバーが付いていないから、男には何のCDなのかわからない筈なのだが。
「わかりますか?」
「ちょっと見えただけなので、すべてはわからないのですが、貸して貰えますか?」
私はCDを男に渡した。男はCDを目に近付け、ゆっくりと首を動かした。何をしている?と思ったとき、男が言った。
「素晴らしいコンサートだ。ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』ですね。ゲルギエフ指揮のようだ」
その通りだった。
「なぜわかるんです?CDを見ているだけで」
「いえ。CDの面のデジタル信号が見えて感じるのですよ。これも私にある見える力の一つなんですけどね」
なんと素晴らしい能力を数々持っている人なのだろう。このうちの能力の一つでもあればと願ってしまう。羨ましい。
「そんな数々の能力があれば、悩みなど何もないでしょう。素晴らしい方だ」
だが、男は首を振った。「今は就職活動で色んな社を受けまわっていますが、人事担当者から駄目出しを受けるんです。あなたはわが社の求める人材とは価値観も能力もちがうようですってね。」
こんなに色々見える能力があるのに、採用しない会社ばかりとは、見る目ない会社が多いんだな。
男には自分の未来だけは見えないなんて世の中、皮肉なものだ。