第81回 仏原騒動

熊本のあまり知られていない歴史上の昔話で、いつかもっと詳しい事がわかったら、小説に書いてみたいなと思うものがあります。 
 話そのものが奇妙なので、創作を抑えてもかなりドラマチックになるだろうと確信しているのですが。
 たとえば、加藤清正を父の仇とつけ狙ったという怪力の横手の五郎の話とか。私の自宅の近所に五郎は住んでいたので、すごく親しみがあるのです。ただ、出生も諫早の横手という説と天草という説があって(こちらは木山弾正の子だったという)いきさつが異なります。この五郎は、アメリカのポール・パニヤンなみの怪力男なのです。いずれも熊本城の井戸掘りの際に生き埋めにされますが、そのエピソードのおもしろいことは、あらためてちゃんと記したいなあ。
 それから南小国の扇温泉の近くに臼根切という場所があります。ここは、隠れ里があったのですが幕末のこと六〇数名の住民が一日で虐殺されてしまったそうです。紹介してくれた地方紙の記者の方に「そこへ行ってみたい」と言ったら「やめておいた方がいいですよ。私が取材に行ったら、愛車が原因不明で動かなくなったり、わけのわからんことがあったりしましたからねぇ」
 臼根切の住人は皆、隠れキリシタンだったということです。ゼウスを根絶やしにしたから臼根切と呼ばれるようになったということなのですが。ただ、ちょっと怖そうだなぁ。
 そして、もう一つ。
 今回のタイトルにした「仏原騒動」という事件を紹介したいのです。
 私にはとても魅力的で奇妙な事件です。
 いろんなところに書かれた記述を寄せ集めて、ジグソーパズルを埋めるようにして組立てたのですが、どこまでが真実なのか?あるいは、真実をその時代の権力が自分たちに都合がいいように作りかえたのかがわからない部分もあるのです。
 で、どんな事件かというと。
 時代は延宝二年、西暦一六七四年のこと。
今の山都町の清和に仏原という所があった。
 清和文楽館のわりと近くなのですが。そこの庄屋の息子の結城半太夫は、ある夜に夢枕に立った神さまからお告げを頂いた。
「高千穂神社にある巻物を盗ってきなさい。そうすれば結城家は天下を取れるから」と。
 それから、半太夫は高千穂までひた走り。
お告げの通りに巻物を発見して盗ってきた。それを弟の結城十太夫に話すとそれは凄い!とびっくり。
 それから、天下を取る前祝いだと部落の若い衆を集めて宴会を開いたそうです。
 巻物を座敷に飾り、年貢の辛いのももうお終いだ、さあ、これから世直しだ。
 そんなこんなで、どんちゃん騒ぎ。
 どうも何やら様子がおかしいと覗きに来た土地の者は、仰天してお上に駆け込み訴えた。
 お上も、それは一大事と大挙して駆けつけた。かくして一味は酔いつぶれた状態で計五十三名が捕獲されたそうな。
 その結果、熊本に護送され十三名は打首獄門。その首は長六橋に並べられたと。十九名は獄死。残りは追放されたという。
 これが仏原騒動の顛末。
 ねっ、奇妙でしょ。
 何が奇妙かって、その枕元に立ちお告げをした神さまの意図がですよ。夢だと言えば、そうかもしれない、と思うけれど、よくわからない。統合失調症の一つかも知れなし。
 一六三七年が島原の乱だったから、時代的にはかなり近い。だから権力側としては蜂起の芽は早めに摘んでおかなければと、神経質な対応をしたのではないかとも思えるけれど。
 この話を聞いて、まず連想したのが、ジャンヌ・ダルクの話です。彼女もまず天使のお告げによって……という発端だけは同じなのですが。
 比較すると、こちらの方は、ずいぶん間抜けだよね。
 山都町出身の方によると、夢枕にお告げがあるというのは、別に珍しいことではなく、当たり前のことだそうです。そして、お告げとは言わず、「お知らせがあった」という言い方をするそうです。
 でも……よく考えると、この伝わっている話が真実かどうかも、あやしいのですよね。
 単に、税制に不満を持った仏原地区の若者たちの一揆の相談を事前に取り押さえた。
 そんなことかもしれません。他地区に一揆話が拡がるのを恐れて、こんな夢枕の話を権力側が捏造したのかもしれないなぁとも思えるのです。
 神さまのお告げでも、権力に歯向かえば、神さまは味方してくれないという前例にはなるし。抑止力としての風評効果は絶大だったのではないでしょうか?
 いくつも、すっきりしない謎の部分が多いことも私がこの話に特に惹かれる理由でもあります。
 どなたか、この仏原騒動に関してのもっと詳しい情報をお持ちであれば、ぜひ教えてください。
 あ、仏原騒動跡は今でも見ることができますよ。

第80回 転がる昼飯

タイトルを読んで、「おむすびコロリン」みたいな連想をされた方がおられたら、はずれです。
 つい、この間の日曜日のこと。
 熊本県の北の方にある町で長洲町というところがあります。玉名市の隣あたりで、もっと北は福岡県の大牟田市であります。
 その長洲町で、日本一の規模の太陽光発電施設が稼動し始めたことを知りました。日当たりの良い遊休地を利用しているらしい。

 そのメガ・ソーラー施設は誰でも見学させてもらえるらしい。
 娘夫婦に話したら興味を持った様子。孫を連れて見学に行くという。
 その日は、私も特別な予定が入っていなかった。そして、ふと長洲町にフレンチのおいしい店があったことを思い出す。
「私もドライブに連れていってくれ。ランチでフレンチを食べたくなったから」
 そういう経過でドライブがスタート。
 長洲町に到着したのは、十一時前頃。
 車中で、太陽光発電を先に見るか、フレンチのランチを先に食べるかという議論に。とりあえず、フレンチを先に、という結論になりかけたとき、孫が……。
「フレンチって、どんなたべものなの」
「うん。コースになっていて、テーブルに座ってナイフとフォークを使って……」
「えーっ。そんなの厭だ!」
 あっという間にスケジュールはひっくり返ってしまった。
「その店はおいしいんだよ」
「いやだ。いやだ」孫は一歩も引かない。このまま、お店に入ってからトラブってもまずいなあ。
「もう少し、お昼まで時間があるから、大牟田まで行ってみようか」と娘。「味噌ダレのおいしい焼肉屋があるって聞いたことがあるから」
 それでどうだということになった。娘の旦那も、孫も、私も、肉は好きだから異存はない。
「それでいいよ」
 一路、車は北上して昼飯を食べるのに福岡県に入ることに。
「その焼肉屋の名前はなんというのだ」
「なんちゃら・かんちゃらと言ったと思う。たしか大牟田駅から、そう遠くないって」
「JRの大牟田駅?西鉄の大牟田駅?」
 まるでコンニャク問答みたいに店を探していると、道路標識が。
 そして〈柳川・大川〉の文字も。
「へぇ。柳川かあ」と私が呟くと娘夫婦は「柳川は、行ったことないなあ」
「ああ、あそこは、ウナギがうまいんだ」と私は呟く。
 すると孫が「ウナギ?おいしそう」
 娘も「ウナギは、ずいぶん食べてないよね」
 そう言えば、私もずいぶん食べていないことに気がついた。
「じゃあ、柳川にウナギを食べに行くか!」
 私が思わずそう宣言したら、全員が「賛成!」
 フレンチのランチでスタートしたはずの昼飯が、転がる転がる。
 結果的に、柳川に到着したのは、お昼をまわった頃。
 で、私以外は、柳川は初めてだったので、
私がガイド役。とりあえず、自動車を駐車して、あたりを見回すと、右も左も「蒲焼き」「せいろ蒸し」「ウナギ」の看板が。
「どこに入ったらいいのかわからないよ」
「まてまて。携帯で、どこのウナギ屋がうまいか評判を探してみよう」
 最終的に、二軒のウナギ屋に絞り込みましたが、まだまだ昼飯は転がりそう。
「こちらは歴史があってせいろ蒸しが有名みたいだよ」
「ポイントは同点で、こちらが近いと思うなあ。あっ、あそこだ。けっこうならんでいるよ」
「どっちにしよう。選べないよ」
 結局判断がつかなくなり、孫に「この二軒のうち、どちらか選んで!」と選ばせる。
「じゃあ、こっち」
 結局、由緒あるウナギ屋さんへ。私と義理の息子はせいろ蒸し。娘と孫は蒲焼き。
 皆、うまい、うまい、と。よかったなあ。
ついに落着くところに落着いたわけか、と。
 それから掘割りのまわりを川下りする小舟を見ながら、腹ごなしにそぞろ歩き。魚屋に、なつかしや、イソギンチャクがあったので、その日の夕食はイソギンチャクに決定。
 で、皆で、こんなふうにころころと目的を変更しつつ走らせるドライブも楽しいなという結論になりました。
 あまりに、転がりすぎて、本来の目的だった太陽光発電施設を見ていなかったのを思い出して、長洲町へ引き返したのは、もう陽も落ちようとする時刻だったことを申し添えておきましょう。

第79回 塀の上を歩く

 何の塀の上を歩いているかと申しますと、境にあるんですよ、この堀が。そして私は、おっとどっこいと塀の上をバランスとりながら歩いている。塀の右側には「正常」と書かれている。で、堀の左側は「糖尿病」と書かれているわけです。
 そう。今の私は、境界型糖尿病、または、糖尿病予備軍と呼ばれる状態で、正常とも、糖尿病ともつかぬ煉獄のような場所をふらふらとしております。

 じゃあ、その塀の上から「正常」の方へ飛び降りたらいいじゃないかと思われるかもしれませんが、手には長い棒を持たされている。そして「糖尿病」の棒の先には、やたら重い錘(おもり)がぶら下がっているので、そうはうまくいかんのですよ。
 この数年の人間ドックではずっと塀の上をふらふらしていたのでありますが、今年のドックで「医者に受診してください」と。
「血糖値、あまり変わってないでしょう」と口応えしたら「昨年9月から判定値が変わってます。手遅れになる前に!」
 そう言われちゃ仕方がない。
 糖尿病専門の先生の門を叩くことになりました。
ただ、糖尿病と言っても、症状がどのようなになるのか、ぴんと来なかった。メタボリックシンドロームとかはよく聞きますが。
 けっこう、合併症が怖い病気だということがわかって、その症状まで聞かされると、だんだん不安感が増して行きます。
 インシュリンやらを自分で注射したり薬を飲んだりしなきゃならんのかなあ。
「とりあえず、生活習慣を改善して数ヶ月後に再検査してみましょう。そして血糖値とヘモグロビンA1の数値が良くなっていれば、問題ないということで。運動量を増やすことと、食事療法ですね。お宅で、食事を作る方を病院に連れてきてください。食事指導をしますから」
 家族に、私の目の前で食事指導が。
「一日の摂取カロリーは1600キロカロリー以内にして頂きます」
 家族は、その場で「今まで食う量が多すぎた」「アルコールも摂り過ぎた。禁酒をさせなくては」と恐ろしい発言ばかりを飛び交わせるのでした。特筆すべきは、「豆腐の食べ過ぎ!」という言葉。肉よりは健康的だろうと思い込んで食べていたら、蛋白質の摂り過ぎ状態だった!のだと。
 で、娘が私の食事のカロリー管理を担当。
 そして、一日に14000歩の運動をする。ということでスタートしました。
 まず、メニューが一新しました。
 牛肉、豚肉類が消える、代わりに、鶏のささ身。
必ず食卓に上るのはコンニャク。
 圧倒的に増えたのはキノコ。シイタケ、シメジ、エリンギ。カロリーはないし、もともと好きだから、キノコは苦になりませんが。
 娘が作っている家庭菜園の野菜も大量に。野菜サラダは毎食ついてきます。
 ご飯は茶碗半分。ビールは糖質ゼロ、カロリーゼロの発泡酒に。
 そして、日々の変化をチェックして記録できるよう体脂肪も測れる体重計を買ってきました。
 スタート時は体重が70キロ。腹囲が90センチでした。
 そして日を追うごとにみるみる毎日体重が落ちていく。一か月で3キロ減の67キロ、腹囲も87センチに。
 最初は面白さも手伝い、珍しがっていた食事ですが、だんだん物足りなく思えてきます。しかもマンネリに。中華食いてぇ!甘いもの食いてぇ!
 とにかく夕食では、必ずコンニャクの刺身が並びます。いい加減、食べ飽きました。
 娘に言わせると「満腹感を感じるように」とのこと。「さすがに飽いたぞ」と愚痴を言うと、その後は「コンニャクのステーキです」「今日は、幻のコンニャクというのがあったから」「手造り秘伝コンニャクです」と。
 いろんなコンニャクを体験した結論。コンニャクは、どう食ってもコンニャクです。
 一日14000歩はがむしゃらに続けました。ただ、本音を言えば、カロリー不足で、へろへろです。
 一ヶ月を経過した頃から体重が、一進一退を繰り返します。停滞期と言うんでしょうか。65.5キロから増えたり減ったり。しかし、しかし、腹囲は85センチに。
 会う人毎に「痩せた」という反応を頂くようになりました。そう言われるとね、嬉しくなって、食事療法を続ける意欲も湧いてきますよ。「拒食症ですか?」と言った奴も!
 とりあえずの目標だった65キロを切ることができました。次は芸能体重の63キロを目指そうかと思いましたが……。
 目標達成後、ひさびさに肥後のあか牛の焼肉を食べました。自分に対してのご褒美のつもりで。
 そしたら……。
 翌朝の体重は、前日の64.8キロから65.6キロに!
 何日かけて落したか……停滞期の努力が一瞬にしてリバウンド。目が点になりましたよ。
 さて、二週間後に再検査が迫っています。勝って兜の緒を締めよ!目標体重に戻して……。
 さて、ヘモグロビンA1と血糖値はいかなる変化を見せているでしょうか?塀の上から「正常」に着地していれば、ご喝采!
 もう少し、緊張の日々が続きそうです。

第78回 エマノンのこと

ある方に指摘されたのですが、今年2011年はどうも私が「美亜へ贈る真珠」で商業誌デビューをして40年らしい。本当かなあと指折り数えてみて、やはりそのようです。
 1991年デビューだなぁ。
 で、よく訊ねられることがあります。
「エマノンの新作は書かないのですか?」
 エマノンというのは、私の連作に登場するヒロインの名前です。
 

私は、基本的にあまりシリーズ物を書かないのですが、例外もあります。1作は、クロノス・ジョウンター・シリーズ。これは、共通する主人公の連作ではありません。共通して使われる欠陥タイムマシーンの物語です。
 そしてもう1作が、エマノン・シリーズです。
 最初に書いたのは、1981年頃かなあ。
 エマノンは少女の姿をしています。長い髪をいつも風になびかせています。ちょっとハーフっぽい無国籍な感じです。化粧っけがなくそばかすがあるのですが、よく見ると、とんでもない美人であります。洗いざらしのジーンズを履いて、粗編み、とっくり首の生成のセーターをざっくり着ています。
 そして、彼は両切りのタバコを咥えて、旅を続けています。ぱんぱんに膨れ上がったE・Nのイニシャル入りのナップザック1つ持っただけで。
 でも、それは外観上のことでしかない。
 エマノンという自分で名乗る名前も、実はあやふやなものなのです。とりあえずエマノンと名乗っているに過ぎません。NONAMEを逆に読んだ仮の名前なのです。名前は、彼女に言わせれば記号に過ぎないから、どうでもいいでしょ、というわけです。
 そんな彼女は奇妙な体質を持っています。地球に生命が発生してから30数億年が経つのですが、彼女は、地球で起こったことをすべて記憶しているのです。それは不老不死ということではなく、記憶だけが母から子へ一代に一人だけ伝えられてゆく。微生物だったきおくから人間にいたるまで。
 そんな彼女を毎回登場させる連作になっています。
 これまでに「おもいでエマノン」「さすらいエマノン」という2冊の連作短編集と「かりそめエマノン」「まろうどエマノン」という2冊の中編があります。
 エマノンが主体となってストーリーを引っ張っていくこともあれば、主人公が不思議な事件に遭遇して、そこにエマノンが狂言回しのように登場することもありました。
 あまり、シリーズものと意識したくないので、物語をパターン化することを極力排除しようとしてきたつもりでした。
 最近は、年に1回くらいエマノンを書いていたのかなあ。
 数年前に、鶴田謙二さんがSF雑誌に私が書いたエマノンの新作にイラストを付けてくださいました。
 その描かれたエマノンが魅力的なこと。
 それからのエマノンの文庫復刊やらの表紙は、すべて鶴田謙二さんです。
 そのうち、私が最初に書いた「おもいでエマノン」を鶴田さんは完全コミック化されました。
 ひっそりと書き継いでいたエマノンですが、一気に読者が増え、エマノンの魅力を語る方が増えたような気がします。それは、まさに鶴田謙二さんの画の魅力故だろうなあ、と思います。
 昔、名古屋から鹿児島へサンフラワー号で船旅をしました。のんびり3等船室でSFを読んだり妄想したりの繰り返し。そんなときに妄想の中に登場したのがエマノンのキャラクターでした。で、彼女を登場させた短編を書き上げたのです。
 それでエマノンとは、もう会うこともなかった筈ですが、その時の編集さんが「あのエマノンを再登場させて書いてもらえませんか?」
 心の中では「続編なんて書けないよ」と思ったのですが、お調子者の私の舌は「わかりました。早速書きます」と。
 いかに呻吟して書いたことか。
 それから、注文頂くごとに書き上げて、我ながら、よく続いたものだと感心します。
 で…実は…。
 今月、そのエマノン・シリーズの最新刊が出るのです。
 4つのエマノンが登場する中短編が入っています。
 タイトルは「ゆきずりエマノン」(徳間書店)です。なんと、前作が出てから、このエマノン・シリーズは9年ぶりということになるのですねぇ。
 カバーも、エマノンとは切っても切れなくなってしまった鶴田謙二さんです。ぜひ、書店で手にとってみてくださいませ。

第77回 心見の場所

このコラムでも、前に書いたことがあると思うのだけれど、熊本と宮崎の県境に市房山という名峰があります。高さは一七二〇メートル。
 私は、熊本県側の水上村から登るのですが、けっこう登りごたえがある山です。
 で、ほうほうの体で山頂にたどり着き、もう少しだけ山頂の向こう側まで足を延ばすと不思議な巨石があります。
 なんと、岩が崖と崖に挟まれて宙に浮いたようになっているのです。岩の下には何も無いから、非常に不安定な感じです。
 崖の下からも、この宙に浮いた石を見ることができるし、崖の上に行けば、この石の上に乗ることが出来る。
 で、このチョック・ストーン(岩と岩に挟まれている石のこと)が、なんと呼ばれているかというと、「心見(こころみ)の橋」!
 言い伝えによると、心悪しき人が、この「心見の橋」を渡ろうとすると、下に落ちてしまうのだそうですよ。
 へぇ、面白いなあ、と。で、私は下から見上げた後に、この心見の橋にも乗ってみました。いろいろと思うところもありました。しかし、乗ってみてなんともなかったので、ある程度、反省していれば、心悪しき人の範疇には入らないのかと安心してしまいましたよ。なんだか、逆に免罪符を手に入れてしまった気分。
 という前置きで、他にもこのような人の心がわかるようなポイントはあるのかなあ、……とぼんやり考えておりました。そしたら、ありましたよ。
 それも、案外と近い場所に。なんと、仕事場の近所です。
 それが、どこかというと……信号なんです。ほら、赤、黄、青の。天然の奇景でなくて、すみません。
 この信号を渡ろうとすると、つい人は本性を現わしてしまうのですよ。
 場所は、市内中央部の交通センターと西辛島町方向へ続く、ビジネスホテル前の信号です。
 道幅は八メートルほど。
 歩行者用信号がありますが、それが、なかなか青にならない。
 で、通りを見ると、ほとんど車は走ってこない。
 そこで、その人の本質が露になるのです。通りの向こうに渡るのに、人はどれだけ待てるのか?
 右を見ても左を見ても、車はまったく走ってこない。走ればいっきに渡ってしまえる。
 ま、これが、街中での心見の橋なんですね。
けっこう、少学生たちは、辛抱強く、信号が青になるまで待っています。見ていて、いい子たちだなぁ、と、微笑ましくなります。
 だから、ここでの心見というのは、人はどこまでルール(法)を遵守するかということですね。
 ます、年齢や性別によって、信号無視をするパターンがあるか、ということですが、これは、あまり関係がないみたい。
 私も、しょっちゅう、この信号を利用するのですが、その待ち時間を人間観察の心見に利用しているので、あまりその時間が気にならなくなりました。
 ただ、私の姿が、信号待ちの場所で見えると、やはり他の信号待ちの人たちに影響を与えてしまうような。だから、待つときは、ビジネスホテルの出入口付近か交通センターの地下道入口あたりで待機すると、それぞれの正直な行動を見ることができるとことがわかります。
 まず、一人だけで信号待ちしていると、十秒ほど経っても信号が変わる気配がないと、左右を見てさっさと信号を無視して渡ってしまう人が多い。
 それから、二人信号待ちしている。それで、一人信号無視で渡り始めると、もう一人も、「あっ、渡っていいんだ」と後を追って渡ってしまうケースが多いなあ。
 赤信号、皆で渡れば怖くない。って誰かが言ってましたけれど、真理だということがわかるような気がします。スーツを着た初老の怖そうなおじさんが、案外辛抱強く、律儀に信号が変わるのを待っている姿を目にすると、こんな方たちが今まで日本を支えてきたのだなあと嬉しくなるのです。
 ほとんど同時に信号無視して渡り始める他人同士のおばちゃん二人が、おたがい照れ笑いを浮かべる姿は、もう無数に見たなあ。
 他にも心見の場所は、ないのかなあ。
 山奥深い泉のほとりで「白岳しろ」を泉に放り込んで、しばらく待つと水の中から女神が現れ、「今お前が落とした焼酎は、この吟麗しろ・銀しろか?」と訊ねてくるから、「いえ違います」
 すると、女神は「今お前が落とした焼酎は、この謹釀しろ・金しろか?」と訊ねてきたときも「いえ違います」
 すると女神は感心して「お前の心見をさせてもらったが、これほどの正直者は初めてだ。褒美に、金しろ、銀しろも遣わそう」

第76回 リターン・オブ・「私は見た!」

私の周囲に、陰謀論やら世の中の隠された真実やらUFOの目撃やらにやたら縁の深い奴がいる。
 彼についてのエピソードは、このブログの過去記事をご覧いただくといい。そこで、彼のUFO遭遇例やら宇宙人との第三種接近遭遇時の状況やらを記しておいた。と、同時にどのような気持ちで私が書いているのかというスタンスもおわかりいただける筈である。
 私が何度も眉に唾をつけて紹介しているだろうということは、即座におわかり頂けるだろう。
 ところが、そんな懐疑主義の私にも、信じられない出来事が起こったのである。
 前半は、その出来事について。
 

昨年の暮、鹿児島へキノコ採りへ出かけたときのこと。これは年最後のキノコ採りで忘年会も兼ねるので、お酒が入ることを考慮してJRで出かけるのだ。
 さて、熊本駅で特急つばめに乗り込むときのことだ。列車が構内に入ってきて停車する。そして、乗客たちが下車してくる。それを、これから乗車しようとしている私たちはホームで待つわけである。
 何番目に降りてきた客だったのかは、わからない。乗車口を見下ろしていた私の視線の前に、突然、若い女性の足が伸びた。すらりとした長い足で黒い網目のストッキングを履いていた。あまりにもカッコイイ見事な足なので、どんな女性か知りたくて思わず見上げたのだった。
 ところが……。
 見上げても見上げてもステキなお御足が続くばかり。上までたどり着かない。ああ、時間がない。それでも目の前には足が……。
 時間切れで、上にたどり着いたとき。その女性はすでに後ろ姿だった。顔はわからない。ただ、彼女はウェーブのかかった長い髪で、黒っぽい厚手のコートを着ていたことは覚えている。
 同行していた方に訪ねた。
 その女性ことを確認しておきたかった。私の目の錯覚ではなかったということを。
「ああ、僕もしっかり覚えていますよ。髪が長いきれいな女性でしょ。背が高くて、目鼻立ちがはっきりしていて。えっ、足ですか……。気づかなかったなあ。そこまで見ていません」
「いや、足が凄かったんですよ!顔は見ていない」と私は告げた。「視線がたどり着かなかったんですよ。見上げても、見上げても、お御足だけで」
 で、不思議なのは同行の方は上半身だけの目撃。私は足だけの目撃。こんなことってあるの?
 妖怪お御足に遭遇したということなのか。
 そんな出来事を「私は見た!」の彼に言った。すると……。彼は即座に指摘した。
「その女性はエイリアンです。まちがいありません。やつらは、人間そっくりに化けて、我々の間に潜り込んできているんです」
 例によって、そんな解釈である。某缶コーヒーのトミー・リー・ジョーンズ演ずるCMのようなことを。

 さて、その彼と飲む。例によって胡散臭い話が多い。焼酎がすすむごとに。
 例の波照間島の空港のトイレで作業着姿のエイリアンと遭遇した話題になった。そのときは彼は正月休みを利用して、波照間島まで足を延ばした。そして島巡りのドライブの途中で尿意を催し、波照間空港に飛び込んだ。そのとき、すれ違ったという。
「本当ですよ。アーモンドアイで小柄なエイリアンです。とにかくおしっこをこらえていたから、そのままトイレに駆け込んで、出てきたらもうどこにもいなかったんです」
 いつもならそこで私は、「お寿司屋のCM撮ってたの?」と彼をおちょくり、話題は途切れるのだが、その日はそうではなかった。
 実は、その席に同席していた方々がいる。某巨大通信産業の社員で、そのとき勤務地は南方で、しかもかつ、彼が波照間島を訪れていたとき、ご夫婦で彼を案内していたのだと。
 だから、彼はそのご夫婦に同意を求めたのだ。
「ねぇ。いましたよね。エイリアンが!」
 私としては興味津々。てっきり、その気まずそうな表情を浮かべるか、笑いを噛み殺すと思ったら。
 ご主人が口火を切る。
「ああ。空港のトイレから出てきたエイリアンですね。黄色い作業服の」
「あれは宇宙人だとすぐにわかりますよ」と奥さんも。
「ほら、本当だろ」と彼も得意そうに。
 え・え・え・えええええええええええええええええぇ。

「あのときは空港に寄った時間は、離発着がなかったんです。しかもお正月で、空港には誰もいなかったから。宇宙人以外には考えられませんよ」
 三人は、頷きあい、また詳しく記憶を反芻するように遠くを見る視線に戻ったのだ。
 何がホントなのか?

第75回 シラミ騒動

仕事をしていると、娘から連絡がある。
「たいへん。たいへん。」
 聞いて驚いた。孫の頭にシラミがいたというのだ。シラミなぞ、日本では絶滅したムシだと思っていたのだが……。
 最近、子供たちの間でシラミが流行しているという話を聞いて、孫の頭をチェックしたら……。
 

で、孫は、我が家に入り浸りである。だから、たいへん、たいへんだったのだ。
 孫は即座に丸坊主に。
 それから、文字通り“シラミ潰し”に駆除が始まった。衣服や寝具にいたるまで。仕事場から私も動員されて、コインランドリーで滅菌作業。
 娘がネットやらで調べた結果、シラミは成虫で四十度、十分で死ぬそうだ。タマゴもまとめて駆除するには、七十度の高熱乾燥が一番らしい。
 孫の後ろ姿は、まるでお味噌のコマーシャルに出てくるようである。
 そして、その表情たるや……。プライドのかけらまでもが粉々に打ち砕かれたように肩を落としていた。コインランドリーに一緒に行く時も、近所の様子を伺い、帽子を深くかぶり、人目をはばかってこそこそと、小走りにしていたほどだ。
 その後、薬局で、シラミ駆除のシャンプーを買ってきて、孫の頭を処置。
 それから、孫がいつも一緒に遊ぶ親友のお母さんに連絡をとっていた。ご用心を、と。
 あれほど学校に行きたがらずに、脚が痛いだの、熱があるだの、ぶつくさ言っていた孫だが、その日、意気揚々と学校から帰ってきたのだった。
 あまりに、嬉しそうなので、その理由を問うと、その理由がよくわかりました。
 なんと、学校に行ったら、孫の親友も、丸坊主頭になって登校してきたのだと。親友のお母さんも予防措置として頭を刈ってしまったらしい。友達同士が丸坊主になって二人はおおはしゃぎ。
 二人顔を見合わせて大喜びする様子が目に浮かぶではないですか。
 さて、これで一件落着であったかとというとそうではない。
 シラミ駆除のシャンプーは殺虫効果の大きいスミスリンLという商品なのだが、それにおまけで、金属製の目の小さなクシがついている。そのクシでシラミのチェックが出来る。
 娘は、家族にもシラミ感染者がいるかも知れないからと、家族のシラミ検疫をやると言い出した。
「そんなのいる筈ない!」「ぼくは厭だ!」
 しかし、一人づつ娘による検疫が始まったのだ。娘が髪の毛をクシで捌き、成虫やタマゴの存在を調べる。検疫を受ける家族は神妙な顔をして座っている。まるで「遊星よりの物体X」における宇宙侵略者の検査みたいである。
 私の母や息子たちが“シロ”の判定を受けて、次に私。
「いるわけないでしょう。この人生、一度もシラミに縁がなかったんだから」と言いつつ、娘の前に座る。長い長い沈黙の時間が続いて。
「いたあっ!」と娘。
「ウソ……ッ」
 とほほですよ。よりによって私の頭にシラミがいたなんて。成虫が二匹。
 それから私は、殺虫剤シャンプーで頭を洗われる。それでも完全ではないので、頭も丸坊主にしろと言い渡される。
「どれくらい短くすればいいんだ?」
「AB蔵くらいにすればいいよ」その頃、騒がれていたからなあ。
 外は、すでに木枯らしが吹いている時期でありました。よりによって、そんな時期に……。
 髪を切りに行かされました。
「思いっきりガリガリ坊主にしてください」
 びっくりして訊ねられました。
「え、どういう心境の変化ですか」
 もちろん、恥ずかしくてシラミがいたからなんて言えないではありませんか。
「いやあ、まあ、あの。いろいろ、あるんですよ」
「わかりました。いろいろあるんでしょう。お訊ねしない方がいいですかね」
 そうニヤリと笑われましたが、心中では、私の浮気がバレて、土下座の挙句、頭を丸めにきたんだと考えているに違いない。そう想像すると顔から火を吹くようです。
 頭を刈られながら、シラミで頭を坊主にするのと、どちらが恥ずかしいだろうか、と比較検討を続けておりました。
 さて、その後、帰宅すると、孫は私の頭を見て、お仲間が増えたと大喜びの様子でありましたよ。
 つつがなくという語源はツツガ虫に寄生をされずというところから来ているそうです。みなさまも、シラミなくお過ごしくださいますように。

第74回 こんなお仕事

「Aと話していて、いらつくことないか?この間、おれ、頭に来ちゃったよ」

「え、どうしたの。珍しいじゃないか」

「とにかく、Aと来たら無神経なんだよ。自分がやったことやら言ったことが、皆にどんな迷惑をかけているのか、わかっていない。気がついていないんだ。呆れると思わないか?」

「ま、まぁ。興奮しないで飲んで、飲んで」

「ねぇ、そう思わないか?あいつと話していて呆れたことないのか?皆呆れると思うぞ。結果的にAは、自分で自分の首を締めているんだ。あとで、皆、相手にしなくなるぞ」

「おまえとAは学生の頃からのつきあいなんだろう?
 だったら、お前の口で直接ガツンと言ってやりゃあいいじゃないか」

「そ、そ、そりゃあ駄目だあ。たしかに学生の頃からのつきあいだけれど、Aは今じゃうちの商売のお得意さんなんだよ。ガツンって言った日には、うちの仕事を切られちまうよ。言えるわけないよ」

「じゃあ仕方ないじゃねえか」

「しかし、あいつ、わかってねえんだから、誰かが言ってわからせてやらないといけない。
 誰かが俺の代わりにいってくれたらなあ」

「あ。それ職業として成立しないかなあ」

「どうするんだよ」

「注文が来たら、その人のとこ行って言うんだよ。鉢巻をしていて、それに<文句代行>って書いてある。
 走って行って『ちわー。Aさんですね。まいどぉ!文句代行業です。お伝えに参りましたぁ。
 あなたぁ、無神経だそうです。皆が迷惑している。そう伝えろってことだそうです。
 少しは反省しろー。
 以上です。どうも失礼いたしました。じゃあ文句お届けしたという印鑑、お願いしまーす』
 そんな感じかなあ」

「依頼人は誰だって、問い詰められたら?」

「そりゃあ、プロだから、依頼人の名は死んでも明かしちゃならないよなあ」

「ああ、わりといいかもしれないなあ。面と向かって文句が言えない人も多いだろうし、権力を傘に着ていたりすればなおさらだしなあ
 ニーズはあるかもしれないなあ」

「でも、いくら依頼人の名を明かさないと言っても、考えて見れば誰が依頼したか、すぐに思い当たるんじゃないか?よほど鈍いやつでなければ」

「だから、『世間では、あなたのことを皆、そうだって言ってますよ』と言添えるオプションサービスをつける」

「なるほど。じゃあ町内に暴力団が事務所を開いたときも、行ってくれるんだ。
 『おたくの組は、この町内で評判悪いですよ。教育上良くないから、町内から出て行け』って。
 行ってくれるかなあ」

「そりゃあケース毎に割増料金をもらわないといけないかもねえ。加えて入院費の実費とか。おれは、行かないけど」

「ご主人から、奥さんに、わしに代わって言ってくれ、という依頼とか、けっこう需要が多いような気がするけど、どうかなあ」

ああ、たしかに。しかし、これこそ、依頼したのが誰か一発でわかるんじゃないか?その後の報復が恐怖だろうから、誰も依頼してこない気もするなあ」

「最後に、『これを依頼したのは絶対にご主人ではありません』と言い添えては駄目かねえ」

 居酒屋のカウンターで飲んでいたら、こんな馬鹿話になりました。皆さんにも、思いっきり文句を言ってやりたいけれど言えない!てことありませんか?
 こんな仕事もアリだと思うのですが……。

第73回サンタを信じる年齢

私の幼い頃から、クリスマスという習慣は、ありましたな。幼稚園でクリスマスツリーの紙飾りのついたお菓子をもらった記憶もあります。
で、サンタクロースの話も知っておりました。サンタはソリに乗ってやってきて、煙突から室内に侵入……いや入ってこられる。
真っ赤な服を着ている。そして良い子にだけプレゼントを置いていく。
 今の情報とほとんど変わりません。
 ただ、子供心に心配はしておりました。我が家は典型的な日本家屋なので、五右衛門風呂に小さな煙突が一つあるだけ。そんなところから入ってはこれない。入ってきても、室内には入れない。焚き口も外にありましたから。じゃあ、どこから入ってくれるんだろう。
 そして、うまく室内に入ってこられたとして。プレゼントは靴下に入れていくということだけれども、子供の靴下の大きさなどタカがしれています。自分が欲しいものと靴下の大きさを比較して不安になっておりました。

われながら可愛いものです。たぶん幼稚園の頃までは確実にサンタクロースを信じていたようです。
 ただ、特殊な事情はありました。私の誕生日は、12月24日です。つまり、サンタのプレゼント、イコール誕生日プレゼントなわけで……。つまりプレゼントひとからげ!
 何と、不幸な星の下に自分は生まれたのだと嘆いておりましたよ。
 さて、孫がいるのですが、いつからサンタを信じなくなるのか、もの心つく頃から観察を続けています。
 小学校に入ってすぐの頃の反応。
「今度はサンタさんに、ゲームソフトで欲しいものがあるから、紙に書いて貼っておく」
 もう、それだけで「こいつは親へのアピールで、すでにサンタの存在を信じていないな」とわかります。家族のために、サンタを信じている子供を演じようとしているのが見え見えなのです。
 娘に孫が言っておりました。
「いま、サンタさんは考課しているところなのよ。いい子だったか、言うことをちゃんと聞いて守ったか、勉強をちゃんとやったか」
 それを横で聞いていて、思わず私も口を挟んだものです。
「そうだ。ママの言うとおりだ。
 実は、おじいちゃんのとこにもサンタさんからアンケートが来たんだ。お宅のお孫さんは、いい子でしたかって!
 ハイだったら、望みどおりの素敵なプレゼントをお孫さんに進呈します。
 イイエだったら……サンタが拐かすって。トナカイと一緒にソリをひかせる。
 ハイでもイイエでもない。どちらとも言えない……のときはコンビニの長靴入りのお菓子詰め合わせクラスのプレゼント。そう書いてあったなあ。
 実は、まだ返事を出してないんだ。どれに○を書いてだそうかなあ」
 孫は、口を尖らせて言いました。
「ちがうよー。クリスマスプレゼントはパパが夜中に持ってくるんだから、いいかげんなこと言わないで」
 なんと現実主義の子供だと呆れたのが2年前のこと。
 で、昨年はというと……。
 孫は、もっと狡猾に成長していたのであります。
 孫は、娘に「クリスマスはサンタさんに○○のゲームソフトが欲しいって伝えて」と言ったらしい。それまでは、旧作ソフトばかりで安上がりに済んでいたのが、新発売の高いゲームソフトになったそうです。
「知らないよ、私はサンタさんに連絡する方法も知らないし」と娘が答えると、孫は、なんともわざとらしく、天井に向かって大声で、
「クリスマスに発売される○○というゲームソフトが欲しいです。サンタさん、サンタさん。○○というゲームです」
 そう、何度も何度も連呼したそうです。おかげで、そのゲームソフト名はいやでも覚えてしまったと。
 サンタを信じていないくせに、その手段からして、孫は確信犯だと思います。
 私の幼い頃の、一番大きな靴下を探しまわった純心さは、今の子供たちには、もうないのだろうなあ。
 結局、孫のクリスマスプレゼントは私が買い与えたのですが。
 さて、今年のサンタプレゼント。孫はどんな手を考えているのでしょうか?

第72回ブヒブヒくん出没!

昨日まで、そんな馬鹿な!と思っていたことが、よもや現実に変わる。日常的な生活が、非日常的できごとで大きく変貌する。
 つい最近、私の身のまわりで起こったのであります。
「何で、こんなの学校で貰ってきたのだろう」と娘が言っていました。孫が娘に、貰ってきたプリントを見せたらしい。そのプリントには、イノシシの絵があり、イノシシの習性が書いてあります。
「何だか、イノシシが出たみたいだよ」と孫。そのときの家族を含めた反応は、へえ?まさかあ?というものでした。
 孫の通う小学校は街中だし、校区内には、熊本駅まで数百メートルの新幹線が走ろうとしているところなのですから。これまで、この界隈でイノシシが出現したということは聞いたこともない。
 

野生のイノシシに出遭ったこと二回あります。南外輪の俵山登山口近くで、北向山方面から走ってきた親子連れと遭遇。十数メートル離れていたし、あっという間に姿を消したので恐怖も感じなかったし、現実感もなかったなあ。やはり南阿蘇で、もう一回出遭った。冠ヶ岳に登り、次に地蔵峠まで歩いていたときのこと。平坦な細い道が続いていて、道の両脇は笹藪だった。五、六メートル先でがさがさと音がする。犬かなと思って立ち止まったら、藪の中から、真っ黒いものが現れた。犬じゃない。熊か?しかし、九州では、すでに野生の熊は絶滅している筈では?
 すると黒いものがゆっくり向きを変えて、そのシルエットでわかった。大イノシシだ。そのときは、何も持っていなかった。イノシシがこちらに突進してきたら、どうしよう。立ちすくむしかなかったなあ。その心理的時間の長かったこと。お互い、フリーズしていたのでは。再びイノシシが藪に消えたときは、腰から力が抜けましたよ。
 あのときの恐怖といったら。
 そんな記憶が蘇ったけれど、このあたりじゃあね。そう、タカをくくっておりました。
 その翌日。娘が家に帰ってくるなり「◯◯さん家の前にイノシシが出たって。今、町内の人たちが言っていた」
 〇〇さん家の位置は、我が家から直線で三十メートルくらいの距離でした。それまで、半信半疑だった家族は、一発で恐怖のどん底に叩き落されたのです。
 慌てて孫が学校から貰ってきた「イノシシの習性」に目を通します。
ー雑食性で、人間が食べるものは何でも食べる。
「じゃあ、生ゴミを出す日とか、危ないんじゃないかなあ?」
ーイノシシは夜行性です。
「酒飲んで遅く帰るとき危ないよ。酔っぱらって、イノシシの餌食よ」
 こんなところでも、非難の矛先は私に向けられます。関係ないだろう。
 そんなふうに家族が騒いでも、まだ私自身は半信半疑でした。こちらは、本物のイノシシと数メートルの接近遭遇を果たしているのですから。
 で、毎朝の習慣ですが、日の出前に、私は近くの花岡山に散歩に出かけるのです。イノシシが近くに出たからって、日課を取りやめたりしません。
 その数日後、花岡山へ出かけました。まだ暗い頃ですが、けっこう散歩客は多いのです。
 で、中腹まで登ったら、前方を歩いていた方がライトをこちらへ向けました。それは、毎朝、花岡山をボランティアで清掃しているオバさんでした。それから……。
「あ、すみません。ちょっとぴりぴりして。イノシシじゃないかと思って」
「いえ、大丈夫です。まだ捕まっていないんですよね」
「ええ。昨日の朝もイノシシ出たんですよ。山頂を清掃していたら叫び声がするから、なんだろうと思ったら、イノシシが階段をとことこ登ってきたんですよ。散歩していた人やらみんな大騒ぎ。警察にも連絡したみたいですよ」
 その前日も私は花岡山へ山歩に来ていたのだが。イノシシ出現の三十分程前だなあ。よく考えると、間一髪のニヤミスだったのか。
 家の近所に出たと聞いても、あまりピンと来なかったののに、毎朝の散歩先である花岡山山頂に出現したと聞いたら、怖ぞ気が襲ってきた。
 夜行性どころか、日の出前後の出没じゃないかあ。その日、帰りに薮がガサッというと身構えたり。(カラスでした)
 それからも散歩の習慣は何とか、おっかなびっくり続けてはいいますが。傘を開けば、イノシシくんはびっくりしてくれるそうで、ステッキがわりに持って行きます。ライトの持参で。まだ、捕まってないからね。
 そんな自分の中では、山頂で階段を駆け登るイノシシの姿を想像していたりもします。
 もし、遭遇していたら、怪物が出てくる話を書くときの参考になる気がするもので。