カジシンエッセイ

第46回「穂足のチカラ」

2008.09.01

かつて、「黄泉がえり」というお話を新聞連載したことがあったのですが、これは、週一回に十枚掲載というサイクルで書いておりました。だから週間連載のイメージだったのです。
で、この前、連載を終了した「穂足のチカラ」ですが、これは、毎日三枚掲載で、三百回とのお約束でスタートしました。いわゆる昔からの正統的な新聞小説の連載スタイルです。だから、連載新聞小説は、これが初めての体験になったといえるでしょう。
とにかく、九百枚の枠組の話と言うことで構想を練りました。念頭に置いたのは、さまざまな年齢層の人たち、小学校高学年から、お年寄りの方まで面白がってくれる話である、ということでした。
そのためには、読者のひとり一人が話を身近に感じられるように、登場する海野家の人々を平均的な家族にして、一人づつを群像劇のように描いていこう、と決めました。そして、何よりも、物語ですが、これは、まだ書いたことのないテーマで、一度は書いてみたいと思っていたものです。
「常にストックが七十枚あると、編集側としては、楽です。うかうかしていると、毎日連載だから、後で締切が追っかけてきますよ」
最初に、そんな助言を担当さんに頂いていたので、連載スタートまでに書いた書いた。三百枚ほどをお渡ししていたと思います。
サカイノビーさんという素敵なイラストを描かれる方を知り、その方に挿絵をお願いして頂きました。
そして、連載がスタートしたのですが‥‥。
予想外のことを体験することになります。

とにかく、書きおろしや、雑誌連載のときとちがって、毎日、新聞を読んだ方々が感想を直接話してこられるのです。しかも、物語の序盤では、登場する家族のすべてが、それぞれ言えない悩みを抱えているという設定です。
「カジオさん。毎朝、新聞読んで会社に行くのに、父親の境遇はシャレになってませんよ。辛すぎますよ。カジオさんのを読んで会社で同じような目に遭って‥‥」
「読むと胃のあたりが痛くなるじゃないですか」
悩みがリアルすぎるかな、と反省もしましたが「もうしばらく待ってください。そろそろ、とんでもない展開になりますから」と頭を下げる日々でした。
だから、連載スタート時の評判は最悪だったわけです。
少しづつ「おもしろい」とか「毎朝の楽しみになった」という感想を耳にして、ほっと胸をなでおろしたのは、海野家の中心である幼児、穂足が事故で入院したあたりからです。
執筆したものについては、大まかなストーリーの流れに変りはないものの、思えばその頃から描写する上で読者として意見を聞かせて頂いたものが、微妙な影響を与えているという気がします。
それから、もう一つ影響を受けたなぁ、と感じたのはサカイノビーさんのイラストです。これからの展開を考えるとき、サカイさんの画もセットになって思いだすのでキャラクターの描写は、服やら表情やらがサカイさんのキャラになっているのが、不思議です。
物語の中盤あたりから、連載を読んでいる人たちに会うと、「これからどうなるんだ?」という質問を受けるようになりました。これは内心、しめしめです。興味がなければ、それが気になることはない筈ですから。
「これから、こうなるんでしょう」と予想をする人まで現れました。それも、次々に。
そんなときは、「まあ、言ってみて下さいな」と。
幸いなことに一人も正解者がいません。にたっと笑って「ちがいます」もう、その頃は結末まで書き終えていましたから、「はずれです」と答えるのが、快感になっていました。それでも、皆さんが考えているさまざまなエンディングを聞かせて頂き、大変、勉強になったのは事実です。ありがとうございました。
結果的に少々延びて九四〇枚ほどになってしまったのですが、もうすぐ一冊の単行本にまとめて頂くことになりました。現在、大鉈をふるっているところです。ぜひ、その際は通してお読み頂ければなあ、と思います。
また、本作は「穂足のチカラ」の幼年篇というつもりで執筆したものです。十年後の設定を同時に考えていたので、登場人物の太郎くんの描写にそんな伏線を最後に残しています。書くタイミングが訪れるかどうか、わかりませんが、そのときは、またおつきあい頂ければと思います。

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