カジシンエッセイ

第66回「水基めぐり」

2010.05.01

春休み、両親とも仕事に出ている孫が退屈そうだったので、ドライブに連れて行ってやった。
午前中に、孫がまだ行ったことのない阿蘇の噴火口に。
ロープーウェイに乗っての火口縁はかなり強烈な印象を与えたようだ。私も、こんなことがなければなかなか訪れる場所ではない。荒涼とした雰囲気に、しばらく孫は無口になっていた。
そして草千里から米塚を見ながら、湯ノ谷の方角へ下った。
米塚の姿も、これまでの山のイメージとは大きく異なることに孫は驚いたようだった。
それだけ移動しても、まだまだ昼をまわったばかりだ。
内牧の「はな阿蘇美」の野菜中心のバイキングを食べて満足する。
それでも帰宅するには、まだ時間が早いと孫が言う。
「じゃあ、阿蘇神社の方へ行ってみるか」と提案した。
「それ、おもしろいところ?」
「さぁ、行ってみなければわからないだろう」
そう誤魔化す。
小学校低学年にとって、「おもしろい」ものというのは、ベイブレードやらテレビゲームのようなもののことなのだから。
「よし、行ってみよう、行ってみよう」と幸い乗り気になってくれた。

内牧から15分ほどで、阿蘇神社の駐車場に着いた。
阿蘇神社は、阿蘇の神様である健磐龍命(タケイワタツノミコト)を主神として12神を祀る由緒正しい神社だ。とにかく、ここの大楼門が素晴らしい。
その風格には圧倒される。
迫力は孫にも伝わったらしい。また、熊本市内で日常見る神社とはちがうことも、わかったようだ。
参詣をして、帰りしなに孫は、水が湧き出していることに気づいた。
「銘水 神の泉」
 神社の敷地内で水が湧き出しているのだ。
「おじいちゃん。神の泉って、何か効果があるの?」
 そう訊ねてきた。
「そうだなぁ。不老長寿みたいなものかなぁ」と答える。
「不老長寿ってなに?」
「長生きできるってことか。年寄らないとか」
「そうなの?飲めばいいの?」
「ああ。飲めばいいようだ」
 孫は悦んで柄杓で水を飲む。
 それから、神社と平行に連なる街並みに足を向けてみた。
 そこに、町の至るところから、清らかな水が湧いている。
 ここ一の宮町は水基の町でもあるのだ。その仲町通りの店の一軒ごとに名付けられた水基がある。昔からの生活のための湧水なのだ。
 時計屋さんも、文房具屋さんも。軒先に水基がある。
 どの水もうまそうで、ペットボトルに水を入れている人の姿もある。
 そして、水基の一つ一つに名前が付いていた。お菓子屋さんの前の水基には「菓心の泉」といった風。
 孫は、意外にも、その水基に興味を示したのだ。近くの店で「馬ロッケ」を囓る私のところへ駆け寄り、その水基の由来を読んで教えろというのだ。
「文豪の泉」というのがある。
「文豪ってなに?」
「すごい小説家になるってことだよ」
「ふうん。おじいちゃん。だったら飲んでおけば。ぼくも飲むから」
「そうだな」と一口飲んでおく。
「金脈の泉」では、孫は、「お金持ちになれるのか。飲もう。ゲームやベイブレードやらたくさん買えるように」と飲む。
「欣命の泉」では、「これも長生きできそう。飲もう!」と孫は飲んだ。
 そんな具合で、御利益を信じて、仲町通りの水基の水を、孫はほとんど飲んでしまったのではないかしら。
「ふうっ。飲んだ飲んだ。これで長生きできるし、お金持ちになれるし、運が良くなれるよねぇ」と満足げな様子だった。
 さて、一の宮町を出発した自動車の中で、孫は、てきめんにその効果が現れたようだ。
「うわーっ。おじいちゃん。どこか止めてぇ。水を飲みすぎた。おしっこもれそうだよー」
 そこで言ってやった。
「おしっこするのかぁ!せっかく御利益のある水を飲んだけど、金脈やら、長生きやら、ぜーんぶおしっこと一緒に出ちゃうんだぞ」と。
 すると、孫は「う・う・う・う。悩むぅ。どうしよう」

 帰りに通ったときに見えた一心行の桜は、八分咲きでした。

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