カジシンエッセイ

第118回 ワケノシンノス

2014.09.01

 前にゴホンガゼを食べた話をご紹介したのですが、けっこう興味を持っていただいたようです。お会いする方から「食べてみたいと思いましたよ」「次の食べに行くときは誘ってください」「お取り寄せはできないのでしょうか?」等尋ねられたものです。季節が決まってるし、日持ちしませんからお取り寄せはできないでしょう。残念です。
 で、思ったこと。
 私の読者の方はいやしんぼで喰い意地の張った人が多いんだなあ、と。もとい!私の読者の方はグルメの方が多いんだなあ。好奇心の強い美食の方が。
 てっきり忘れていたのですが、「梶尾さんはヒトデだけじゃなくて、イソギンチャクも食べるんですね」と言われました。はい、はい、はい。幼い頃からイソギンチャクは食べていますよ。
「どうやって食べるんですか?どんな味ですか?」
 では、今回は、イソギンチャクグルメをご紹介しましょう。
 私のお祖母さんは十九世紀の最後の年に生まれた明治女なのですが、それはそれはグルメでありました。幼稚園に入る前はお祖母さんに連れられて近くの八百屋や魚屋に行ったものです。魚を買うと自分で捌いていましたね。身は刺身。ワタや骨は煮付け、あら炊き。お頭は吸い物。もう何も捨てるところがないように利用していました。あの凶暴そうなハモも、身を骨切りして湯引き、あと半分の身を摺り鉢でペースト状にして、それに、味醂、塩を加えたものを梅干し醤油で食べていました。あんな珍味は、もう食べられないかなあ。その摺身が残ったら、箸に巻いて火鉢の炭で焼きながらいただくという贅沢も経験しました。
 正月明けの頃だと思います。お祖母さんに連れられて魚屋へ。とにかく指先まで感覚が無くなるほどの寒さでした。店頭の金だらいの中にわけのわからないヌルヌルした丸いものが入れられていたのです。いったい何なのだろう?私が興味を持っているとわかったのか、お祖母さんはそれを買い求めました。
 その夜の味噌汁にはネギとコリコリしたわからないものが入っていました。ひょっとしたら!
「これは魚屋で買ったやつ?」
「そうだよ。うまいだろう。中はカニ味噌みたいで」
 確かに、体験したことのない味でした。魚ともエビカニとも違う。お祖母さんは教えてくれました。
「これはワギャーたい」
「ワギャー?」
 不思議な響きの食べ物だなあ。いや生き物か。すると、お祖母さんは解説してくれました。「海水浴に行ったら海の中で花みたいにひらひらしているのがいるだろう。それがワギャー。イソギンチャクともいうなあ」イソギンチャクなら私も知っていました。
「でも、丸くて小さかった。イソギンチャクの形じゃなかった」
「海の中ではイソギンチャクの花が開いた形だけれど、触ったり刺激したりすると丸く縮んでしまうんだ。そう。ワケノシンノスという人もいるなあ。ワギャーのことを」
「それなあに」と尋ねるとお祖母さんは嬉しそうに声を上げて笑うのでした。
 イソギンチャクを使って作ってもらったものは、味噌炒めと唐揚げ。どちらも美味しい。クセのない旨味があるのです。
 翌年の冬にイソギンチャクの調理法を台所でじっと見て覚えました。とにかく砂を吐かせるために縦割りしてよく洗え!でした。
 しばらくして、イソギンチャクは我が家の食卓に並ばなくなりました。
「どうしてイソギンチャクの味噌汁を作らないの?」理由は、魚屋に入って来ないからでした。
 成長してから、イソギンチャクの味噌汁の話をすると皆が、びっくりします。「えっ?イソギンチャクって喰えるの?」どうも、我が家だけの食文化だった気がしはじめました。もう、あの味は食べられないのだろうか?手が凍るほどの寒い季節が来ると思い出すのです。ワギャーのことを。
 高校時代の友人から「玉名地区の市場に、イソギンチャクのワケノシンノスが出てたって」と情報があり、ときめきました。しかし、そのときは話はそのままになってしまいました。
 そしてイソギンチャクとは、とんでもない場所で会うことになります。
 柳川へ出かけたときのこと。
 柳川下りをしていて、ウナギを食べようと船を降りました。すると目の前に魚屋が数件。並んでいるのは有明海の珍海産物。エイリアンみたいな牙のあるワラスボという魚。メカジャ(シャミセンガイ)、そしてイソギンチャクが......。
 ワケノシンノスと書いてある。早速買い求めましたが、けっこう高い。記憶ではもっと小さかったよね。お店の方に尋ねると、「寒い時期は小さくて美味しい」とのこと。どんなイソギンチャクでもいいわけでなく、イシワケイソギンチャクという種類だけを食べるのだそうです。
 そのとき、同時になぜイソギンチャクがワケノシンノスと呼ばれ、お祖母さんが嬉しそうに笑ったのか、理由を知りました。
 ワケノシンノスは若者の尻の肛門という意味だったのです。なるほど似ている。
 自分で調理しました。懐かしかったなあ。これがソウルフードなんだろうな。
 ちなみにイソギンチャクは、柳川からネット通販で買えますよ。食べたいなと思った方のために!

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