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News - 2026.02.01

第256回 二月の人

二月は逃げ月と言う人がいる。他の月よりも日が少ないから、あっという間に月が逃げ去ってしまうことから、そう言われるのだろう。今年も二月は二十八日までだ。
 なるほど卓上カレンダーの二月を開いてみると、最後の方はすかすかの空白になっている。他の月より二十九、三十、三十一の部分は白紙の状態なのだ。
 これでは、二月のカレンダーは淋しいだろう。予定の会合日や観劇、検診日を書き込んだ後にそう思った。
 そこは本来なら、二十九日の行事予定を書き込む場所だ。だが、二月の場合、そうなっている。
 そのとき、ボールペンを持っていたから、冗談半分で思わずその空白に走り書きしてしまった。
「締切守るぞ!」
 私は小説家なのだ。
 かつては趣味で書いていたのが仕事になってしまった。一ヵ月過ごした後に、そのページにたどりつけば、自分でも頷けるような激励になるのではないか?と思えたからだった。締切守る宣言なんて、自分らしくもないな、と思いつつ。
 おかしなことに気がついたのは、数日後のこと。月末近くに知人たちとの集まりが決まり、その知らせが届いた。忘れないようにカレンダーに書きこんでおこう、とめくって予定を書き込む。元に戻そうとしたときだった。カレンダーが、なぜかぱらっぱらっとめくれたのだ。
 あれ?
 そこは二月カレンダーの月末の余白だった。
「締切守るぞ!」と見覚えのある自分の文字がある。
 だが、その下に見なれない書体の文字が書かれていた。
「締切守るって大好き!ステキよ」
 目玉が飛び出るほど、驚いた。それは私の書いた文字ではなかった。美しく品のある文字だった。男性が書いてもこのような文字にならない。細くて柔かく、流れるような書体だった。
 思わず私は顔を上げ、自分が今いる周囲を見回した。
 それは私の仕事部屋の中だった。部屋の中には私しかいない。誰も部屋の中には入ってこれない。
 私は首をひねりながらも、その下の余白に書きこんだ。
「ありがとう。ステキと言われて嬉しいよ。君は誰?女の人?」
 なかなか返事はなかった。仕事の合い間にその二十八日の翌日の余白を覗いた。「そう。会いたいな」と、ある日書きこまれているのを発見したのだ。すぐに、その下に書きこんだ。二月二十六日のことだった。
「いいよ。会おう。いつ?どこで?」
 奇妙な場所を彼女は指定してきた。
「あなたの大学の二号館の前へ、明日午後三時に行きます。青いシャツを着て」
 私が出た大学のことを知っているのだろうか?私の大学時代の知り合い?
 大学二号館前のベンチに私は行った。果たして午後三時ちょうどに青いシャツの女性が現れた。笑顔を浮かべて。
 想像を遥かに超えて彼女は美人だった。昔、好きだったアイドルや女優にどこか似ていてそんな印象を持ったのかもしれない。しかしどこかで会った気はするのだが、どうしても思い出せなかった。
「君がメモを書いたの?」私は震える声で尋ねた。
「そうよ。私、あなたのカレンダーの余白に書いたの」と彼女は言った。彼女は自動販売機に駆け寄りコーヒーを出した。それは学生時代、私が好んで飲んでいたコーヒーだった。
「どうして私が好きだったコーヒーを知っているんだ?」
 彼女は私に笑顔を向けた。それから、色々なことを私に語り始めた。彼女が語ると、私は忘れていた学生時代のことを次々に思い出していた。
 試験に遅れて必死に走って教室に飛びこんで落第点になりそうだったこと。文化祭で、前夜に徹夜してポスターを書き上げたこと。急に腹痛をおこして学内で倒れて医務室に運びこまれたこと。
 誰も、ここ迄くわしい筈はないと思うのに、現れた彼女は、すべてを自分の目で見たことのように語ってくれる。
 なぜだ。
 考えるが、もう少しでたどり着きそうなのに、その答は見つからない。しかし、彼女は全部知っていた。不思議だ。
「君は誰なの?どうして私のことを?」
「あなたは昔から小説を書いていたよね。私、あなたが書いた小説のヒロインだった。あなたは私を現実に存在するように想像していた。主人公がヒロインに出会ったのが二月二十九日だったのよ」
 だから彼女は二月二十九日の余白で実体化したのか。実は、昔、二月は毎年二十九日迄あると思いこんでいた。そして彼女が好きだったアイドルに似ているのは、そういうことだったのか。
「私のこと思い出してくれた?」
「思い出した。カレンダーに書いたのも君なんだね!」
 次の瞬間、私の前から彼女は消え去っていた。あたりを見回しても彼女の姿はなかった。
 翌日、仕事場のカレンダーの二月二十九日の余白には何も書かれていなかった。だが……そして一枚めくると、そこは三月一日。その下の狭い余白に彼女の字が。
「次は、どんな物語を書くの?」

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