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News - 2026.01.01

第255回 十年賀状

新人の彼にとっては、初めての年賀状配達になる。
 その田舎の郵便局の大晦日。彼は仕訳け室の片隅に、ぽつんと木箱が置かれていることに気がついた。古びた木箱で、ずっと置かれていたらしいが、何故か今日まで気がつかなかった。
 彼は先輩に尋ねた。「これ、なんですか?」
 先輩は、眉を寄せた。「ああ。未処理年賀状だよ。七、八年前の大掃除で出てきた。そのままになっているんだ」
 彼は、木箱を開いてみた。少し色が黄ばんだ年賀状が一枚だけ入っていた。そして、その年賀状の年は、なんと十年前だった。ちゃんと住所もあるというのに。

 -あけましておめでとう。
  今年も仲良く過ごそうね。
  由香里

 差出人は女性の名前だけがある。
 女性の名前。住所はない。
 宛先の住所は書かれていた。住所は彼の配達担当地域だ。これもやさしい文字で書かれている。
「これ、明日、届けようと思いますが」
「その住所。家はあるが、誰も住んでいない。返送しようにも差出人の住所もわからないんだよ。そして十年も前だよ」
 年が明け、彼は多くの年賀状を抱えて配達に出た。ほとんど配達を終えて、彼の手元には一枚だけが残った。あの十年前の配達されなかった年賀状だ。今もその住所には古びた無人の家があるのだろうか?
 果して、その家を彼は訪れた。
 無人ではなかった。家の中から明かりが漏れているではないか。彼は入口で叫んだ。
「はい」と返事がある。しばらくの間の後、玄関が開き、男が顔を出した。二十代も終ろうかという男だった。
「あ、郵便局のものです。大変申し訳ないのですが、十年前に未配達になっていた郵便物をお届けにあがりました」
 男は古びた年賀状を受取り不思議そうに裏返し、驚きの声をあげた。
「由香里から!」
 大事な人から年賀状だったのだろう。これほど感情の表れた声をあげるなんて。きっと、何故こんなに遅くなったのだ、と文句を言われるのだろうな、と彼は覚悟した。
 しかし、……男は涙腺がゆるんでしまっているようだった。鼻水をこらえる様子まで、はっきりとわかった。
「本当に申し訳ありません。十年間も、この年賀状をお届けできなかったなんて」
 男は何度かうなずき、受け取った年賀状をやさしく自分の胸にあてた。そして、やっと笑顔を浮かべた。
「いや、心配しないでください。届かなかった理由はわかりますよ。ぼくは県外に出ていったし、その後、ここにいた家族も他所に出てしまった。うまく住所変更もできていなかったみたいですね。
 この年賀状をくれたのも幼い頃からの友だちなんです。十年前に彼女も急に引っ越してしまった。それから連絡も途絶えてしまって…」
 そしてもう一度、年賀状を男は見る。
「今年も仲良く過ごそうね…か。由香里もこの後、県外に出たんだろうなあ」男は目元を押さえ、きまり悪そうに笑った。「あ、この家は、まだ父の名義なんです。年末に、ぼくは帰ってきて、家の整理をしていたんですよ。十年ぶりに訪れたわが家。なにもかもがなつかしい」
 そして郵便配達の彼に向かって、感慨深げに言った。
「……でも、十年遅れて…しかも、ぼくがいるときに届くなんて。なんか由香里がぼくのことを応援してくれていたみたいだ」
「この家には、ご家族で帰られたんですか?」
「いえ、ずっと私はひとり者です。家族は誰もいません。気楽なものですよ…」しかし、その話かたには、どこか自嘲的に聞こえるものがあった。男はずっと独身を通してきたかのようにも見えた。
 そのときだった。家の固定電話がけたたましく鳴った。「あ、この電話、まだ使えるんだ」と言いつつ受話器をとった。
 彼は耳を疑った。
 受話器をとった。それから「由香里?」
 男自身も驚いているのは明らかだ。彼も自分の耳を疑っていた。
 男は言う。
「うん……。うん……。久しぶり。元気だったみたいだね。もちろん……。もちろん会いたいよ」
 男は信じられない表情で電話を切り、年賀状を彼に差し出した。
「信じられますか。この彼女からですよ。今日、たまたま帰省していて……通じないとわかっていても昔の番号を覚えていたから電話をかけてみたって、信じられない。繋がったって。会いたい…そう言ってくれました。この十年前の年賀状。きっと意味があった気がする。だから今日だったんだ。この年賀状。由香里にも見せるつもりです。これは…十年遅れの新年の奇跡です」
 深々と男は頭を下げた。

 彼は配達用の自転車のサドルに足をかけた。
――郵便物は遅れてもいい。届くべき場所に届くなら、それは『間に合った』ということではないのか?
 ふとサドルの上に年賀状が残っていた。さっき渡した筈の十年前の年賀状。彼はあわててそれを渡すために引返した。灯りはもう消えていた。玄関を開けようにも固く閉じられていた。人が住んでいる気配はない。まだ数刻前なのに。
「あの…」後ろから若い女が携帯電話を持ち、立っていた。彼に言った。
 彼は振り返った。「由香里さん」思わず彼女の名を呼んだ。女は頷く。
 「何故、私の名を?」
北風が二人の間をやさしく
通り過ぎていった。

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