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News - 2026.07.01

第261回 梅雨の終わりに

 母が家業から引退し、私にショップを引き継げという。ショップは客足の絶えないブティックだ。私にできるかしら、と不安気に言うと、母は笑いながら言った。
「なにも心配いらないわよ。ベテランの彼女がいるから。頼ったらいいよ」
 すると奥で縫製をやっていた女性が立上り微笑んだ。
「もう長いことうちでやって貰っている。なんでもできるし仕事熱心なんだ」
 すらりと背が高く、品のいい顔立ちだった。私に笑顔を向けたのだが、美人といえるのではないだろうか。男性にとっては魅力的に見えると思う。長いこと働いているという割に若く見える。ひょっとしたら私と同い歳くらいじゃないかしら。
 母が彼女を呼んだ。
「紹介しておくわ。これは私の娘。これから私の代わりにこのブティックをやっていくの」
 私は「よろしくお願いします!」と頭を下げた。
「そして、こちらは川上さん。なんでも迷ったら相談しなさい」
 川上さんは、爽やかな笑顔で右手を差し出した。
「どうぞ、よろしく」と握手をした。その瞬間、私は川上さんが本当に頼れる人なのだとわかった。
 やがて、私がショップを引き継いだ。母は、温泉旅行や習いごとと、楽しい日々のようだ。私も何も心配なく店の運営を続けている。お客さまは途切れなく続いており、対応に困ったことがあっても川上さんがてきぱきと業務を裁いてくれた。何故、このブティックは人気があるのか?それは他の店と違い、独自のセンスあるデザインを川上さんが提案し、縫製まで手がけるからだ。その服のセンスがいいといったら、感心してしまう。
 しかも、川上さんは、凄い働きものだった。開店前には必ず川上さんが先に来て仕事をしているのだ。「納期に間に合いませんから」と、彼女はこともなげに笑う。出来上がる服は完璧だった。一度もお客さまからクレームがない。いつも遅くまで働いてくれる川上さんに尋ねた。「いつも遅くまでやってくれるけれど川上さんは恋人とかいないの?」すると、すぐに答えが帰ってきた。
「大丈夫です。恋人はいません」「そうなんだ」
 一息ついて川上さんは答えた。「私には夫がいますから」
 私は、驚いた。彼女が主婦だったとは知らなかったから。まさか、と。「じゃあ、早く帰ってあげないと!」すると川上さんは言った。きっぱりと。
「ご心配ありません。その必要はありません」
 そんな川上さんが、珍しく頼んできた。
「あの。来週の火曜日に、お休みを頂きたいのですが」
 これだけ日々頑張ってくれている彼女の頼みだ。断わるわけにはいかない。
「いいわ。その日一日縫製をやらなくても、迷惑かけるお客さまがいるわけじゃないから」
「すみません。無理を言って」
 しかし、川上さんの顔が嬉しさで輝いているのを私は見逃さなかった。それほど火曜日が楽しみだったのか。
 その火曜日が来た。私一人だが、来店するお客さまに注文の品をお渡ししたり、要望を聞きとったり、いつもと変わらない静かな火曜日だ。しかも、梅雨がまだ明けない。強い雨降りの日は、客足も少ないのだ。これなら、一人でも余裕でこなせるだろう。
 外の雨が激しくなった。
 入口のドアが開いた。「いらっしゃいませ」と言いかけた口が止まる。そこに立っていたのは、川上さんだったからだ。彼女はやつれた顔をして、小さな声で言った。「今日、予定なくなりましたから、これから入ります」
 彼女の目から涙が溢れかけていた。
 他に客はいない。あわてて彼女を座らせた。
「いったい、どうしたの!」
「この雨。この雨で…」とあられもなく泣きじゃくるのだった。「夫に会えない」それだけ言って、しばらく彼女はしゃくりあげ続けた。それから、やっと落ち着きを取戻したようだった。
「私の名は……川上織姫というんです。今日は年に一日だけ、夫に会える日だったのに」
「織姫……と、いうことは……」
 私はカレンダーを見た。そして知った。今日は、七夕だということを織姫が年に一回会うのは夫の……・彦星ということか。
「私たちがあまりに仲良くなりすぎて仕事をしなくなったので、神が私たち夫婦に罰を与えられたんです。私たちは引き裂かれました。でも年に一度、七夕の日だけは逢瀬を許すとおっしゃいました。しかし、これだけの梅雨の豪雨なら。信じられないのももっともです。私の本当の名は、天の川上織姫、というんです」
 なんとも哀れなことだろう。うちのブティックに勤める前、織姫はどうやって過ごしていたのだろう。
 織姫は私が受けた注文票を見て、あわてた様子だ。
「まあ、私がはずした間にこんなに仕事がたまっている。早くやらなくちゃ。お一人で大変だったでしょ。あとは私一人でやりますから、お帰りください」
 私は川上織姫一人を置いてブティックを出た。なんと可哀想なことだろう。言葉に甘えてよかったのか?
 私が大通りに出たときだった。通りの向こうに気になる男性を見かけたのだ。
 打ちひしがれた表情の若者だ。
 そしてなにより他の若者と違うことがあった。
 大きな赤牛を一頭引いていたのだ。もしかして…。私は思わず男に声をかけずにいられなかった。
「ひょっとして、彦星さんですか?」
 若者は私を見て、大きく目を見開いた。

カジシンエッセイ7月号

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