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Column - 2025.12.01

第254回 走る教師

何故か、世の中には不思議で理解できない行事がある。それも私の職業に関してだ。
 私が教師の仕事につくときも両親は心配したものだ。
 「教師になれば、年末には、“あれ”があるんだよ。お前は「子どもの頃から運動音痴だったろう」と。
 「いや、ぼくは生徒たちを、より高く導くだけで満足なんだ。そのくらいのことは覚悟して教師の職業に就くよ。一回うまくこなせば毎年でもコツを掴んで、うまくやれると思うんだ」
 両親は、それ以上、私を説得する言葉もなかったようだ。私のことを言い出したら聞かない子と思っていた。
 そして私は教師になった。生徒たちに新しい知識を学ばせていくことは素晴らしかった。皆が真面目で勉学にいそしんでくれる。父兄たちも私の教えかたに口を挟んだりはしない。やりがいのある仕事だった。この仕事を選んでよかったと思う日々が続いた。
 この仕事に就くまで色々と脅された。昼も夜もやることが多くて頭がおかしくなるぞ、とか、モンスターペアレントが押しかけてくるぞ、とか。しかし、そんなことはなかった。週休も二日とれて、自分の時間を誰にも邪魔されることはなかった。
 理想の仕事だった。
 そして十一月末。両親の心配していた“あれ”の連絡が、私宛に送られてきた。どこからだって?
<教育委員会>から。

─十二月は、教師は全員、走行免除試験を受けなければなりません。この試験に合格した教師だけ走行免除許可証が授与され歩行できます。また、不合格の教師は、十二月末日迄、師走ぱんつを装着して行動することが義務づけられる。なお、師走ぱんつは時速五キロ以下になると、爆発します。─

 愕然とした。両親が案じていたのはこれか。
 先輩教師たちは驚いている様子はない。
「あの…毎年、走行免除試験とか、行われているのですか?」
「当たり前ですよ。これは暮の風物詩ですからね。師走は、先生、つまり師も走る月ということです。しかし、これは諸々経験の少ない先生が走るということです。経験豊富な先生はあわてることもない。つまり走ることもない。それが試験で問われるということです」
 先輩教師は落着きはらってそう答えた。
「しかし、師走ぱんつを装着して時速五キロ以下で走ると爆発するんですよ」
「当然でしょう。仕方ないことです。教師の資格を問われるような教師が爆死するというのは自業自得でしょう。そう。教師の資格がないことですから。教師は走りまわって当然なのです。先生が走りまわって、初めて師走と言えるのですからね」
 これは大変だ。だが、先輩教師たちは、まったく焦ったりあわてたりしている様子もない。日常の仕事をこなし、授業をやっている。
 ということは、あまりあわてることもないのだろうか。常識的問題が出ると考えていればいいのか。
 先輩教師の一人がひとり言のように言った。
「やはり、十二月は師走というから、一人くらいは走りまわっている先生の姿を見るのも心和みますよねえ」
 やがてすべての教師が受ける走行免除試験の日がやってきた。走行免除試験というから実技試験で運動場を何周かしなければならないのかと思ったら、違った。
 先輩教師たちは、余裕で鼻唄を唄っている。
「何故、そんなに余裕なんですか?」と尋ねると、にたにた笑いで言った。
「なあに。毎年、同じ問題が出るから、毎年同じ答を書けばいいんだよ。これほど気楽な試験はない」
 エエーッ。どうして早く教えてくれなかったんだ。
「はーい。では試験を始めます。皆は私語をつつしんで。これから、一言も話してはいけません」
 試験が始まった。走らなければならないと思ったら筆記試験のみという。
<第一問 国語
 三浦しをんの小説「風が強く吹いている」は箱根駅伝が舞台ですが、十人のメンバーの登場人物のうち主人公灰二の最高走行速度はいくつですか?>
 読んだぞ。この小説。とても面白かったけれど…。最高速度?そんな描写、あったっけ?お…憶えてない。時間がない。次、次の問題。
<第二問 数学
 あなたが全力疾走したとき消失する時速および必要な距離を求めよ。また、消失したあなが出現する過去を正確に記せ>
 まったく見当もつかないい。相対性理論か?
 その調子で問題は十問まで続いた。手も足も出ない。お手上げだ。
 そんなわけで、試験に落ちた。私は師走ぱんつを着け、走りまわりながら食事をすませ授業をやり、師走の走る先生として日常をこなしている。とにかく忙しく走りまわらなければ師走ぱんつが爆発するのだ。
 同僚の教師たちは、毎年同じ答を書くだけで試験に合格している。なんという不公平だ。試験に落ちた私のことなぞ、なんの心配もしていない。試験内容も教えてくれなかった。
 もうそろそろ限界だ。足がふらつく。しかし走り続けないと爆発してしまう。
 ああ、ゆっくりと大の字になって横たわりたい。しかし、師走ぱんつが爆発…。もう駄目だ。しかし、一人では死なんぞ。これから職員室に駆け込み薄情な同僚教師たちの真中で…。

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