Column - 2025.10.01
第252回 ハロウィンの彼女
おじいちゃんがハロウィンのことを知っていたのが不思議だった。おじいちゃんはこう言った。「アメリカ帰りの叔父さんから教えてもらったのだよ。十月にそんな日があるって。不思議な子どもが訪ねてくる。そして言うんだ。トリック(いたずら)・オア・トリート(お菓子)って。お菓子を渡すと子どもは消えてくれる。それでハロウィンを憶えたのさ」その話が大好きになったおじいちゃんは、ハロウィンの日に子どもを待っていた。そしたら本当に玄関からその子どもが現れたそうだ。その子は少しイメージと違っていたらしい。子どもの頃のおじいちゃんより、ずいぶん歳上のお姉さんだったそうだ。黒い服を着て、白いペイントを顔に塗っていた。でもとても素敵な人なんだとわかったそうだ。「トリック・オア・トリート」という彼女の声は十月の風のように柔かく、彼女が街灯代わりに持っていたカボチャの灯火のように温かかったと。おじいちゃんは現れた彼女を大好きになったそうだ。でもお菓子をもらうとすぐに消えてしまった。次の一年、おじいちゃんはとてもハロウィンが待ち遠しかった。彼女とどうすれば他の日も会えるのか尋ねるつもりだった。でも、また今年も来てくれるだろうか?
次の年のハロウィンの日。同じ時刻。彼女はやってきた。そして彼女は言った。「トリック・オア・トリート」前の年と同じ笑顔で。おじいちゃんはお菓子を手に持ち「ねぇ。いつもどこに行けば会えるの?」と尋ねようとした。でも尋ねられなかった。ふと、おじいちゃんが彼女の足許を見たからだ。
彼女の足は、宙に浮いていた。
呆然としたまま、おじいちゃんがお菓子を渡すと「ありがとう」と彼女は言って、闇の中に溶けこむように消えてしまったということだ。
いったい彼女は何者なんだ?
毎年、ハロウィンの日に彼女はやってきた。不思議なのは彼女がまったく成長しないことだ。歳上に見えていたのに、その頃は同じくらいの年齢になっていた。ある年、お菓子に加えておじいちゃんは黒マントを彼女にプレゼントした。彼女は大喜びだった。当然だがマントは彼女に、とても似合っていたんだ。それから彼女はおじいちゃんと色んな話をするようになったのだという。そのあたりで少しずつ日本でもハロウィンの習慣が知られるようになった。皆が仮装してハロウィンの日に集まって大騒ぎしたりするようになった頃のこと。相変らずハロウィンの日になると、彼女はおじいちゃんのところへ忘れずに現れた。おじいちゃんは毎年、「今年もまた会えたね」と伝えると、彼女は本当に嬉しそうな表情を浮かべ、二人で宵闇の中を歩き、色んな話をしたのだという。その頃は、彼女は白塗りをやめ、美しい笑顔を向けてくれるようになっていた。
数年が経過すると歳上と思っていた彼女は、おじいちゃんより幼なく見えるようになっていた。彼女は歳をとらないのだ。
おじいちゃんは思いきって自分の気持ちを彼女に伝えた。大好きだ。ずっと一緒にいたい。そのとき、おじいちゃんは彼女の正体を知った。そして自分が彼女と一緒になれないことも。
「私は人間ではありません。ハロウィンを創り出した人間の心から生まれた、ハロウィンの精なのです。だから、人といつも一緒にいることはできません。私もあなたのことは大好きです。それだけはわかってください」
そう彼女はおじいちゃんに伝えた。おじいちゃんは無理を言うような人ではなかった。一番大事なのは彼女が変わらずに自分のところへ毎年訪ねてきてくれることだったのだから。
歳月は正直だった。おじいちゃんはそう言っていた。おじいちゃんは毎年、年齢を重ねていき、それ迄、誰にも話さなかったこの話をママに話してくれたそうだ。
おじいちゃんは言っていた。少しずつ声はかすれるようになったし、手も震えるようになった。それでも毎年、彼女はハロウィンの夜に、ぼくのところに訪ねてきてくれるんだ、と。そのとき彼女を抱きしめ、どんな一年を過ごしていたのかを語った。彼女がどんなことを話してくれたかは、しっかりと覚えている。彼女は言っていた。「私は変わらない。だから私のことも忘れないで」
彼女は永遠のハロウィンの精霊になったんだとおじいちゃんはそのとき思ったそうだ。
あるハロウィンの夜、おじいちゃんはいってしまった。「でも、心配するんじゃない。私は、彼女とともに初めて毎日を過ごせるようになるんだから。今年も彼女が、そこに来てくれている」
だから、ママは悲しくなかったと言っている。おじいちゃんは本当に幸福そうな笑顔を浮かべていたそうだから。
ママのことかい?
ああ。ある年のハロウィンに彼女が赤ん坊を抱き、おじいちゃんのところに現われ、そして言ったんだそうだな。
「この女の子は、あなたの子です。可愛がって育てて下さい」
彼女がそう言うのなら、きっとこの子は彼女と自分の間にできた子だ。おじいちゃんはそう信じた。そして大切に大切に育てたという。
そう、ママは誇らしく言った。その子が私なのだ、と。
それからハロウィンの夜は三人で過ごしたの。それがハロウィンのおじいちゃんの話。
信じる?信じない?
そう言ったママは一枚の写真を出した。「ママが撮った写真。これ、おじいちゃんよ。隣の女の人が、毎年ハロウィンに訪ねてきた人」
初めて見る写真だった。おじいちゃんの横にいるきれいな黒い服の女の人は、驚くほどママに似ていた。
そして今夜はハロウィン。ドアの外からノックの音が響く。「はい」とドアに走る。いったいどんな人がいて、そして言うんだろう。
「トリック・オア・トリート」と。
