Columnカジシンエッセイ

RSS

Column - 2019.11.01

第180回 松茸大作戦

私はキノコが大好きだ。形といい味といい、相性がいいというか、非の打ちどころがない。おまけに、日本人としての私に季節の移ろいを感じさせてくれる。春にはハルシメジ、夏にはヤナギマツタケやタマゴタケ、涼しい夜明けを迎えるようになるとハタケシメジが顔を見せるようになる。そして、いよいよ季節は秋。キノコ本格的シーズンを迎えようとしていた。
ムキタケやクリタケ、そしてナメコなど秋の美味しいキノコは枚挙にいとまがない。もう何年、秋のキノコ狩りを続けてきたのだろう。おかげで、どの山の渓谷のどの辺りに、湿度がどのくらいで気温がどの程度かというところで出かけると、お目当てのキノコが発生しているはず、ということもわかるようになった。
だが、やはりそれだけの経験を積んでも、採れないキノコがある。
松茸だ。
松茸だけは別格のキノコだと思う。芳ばしさもだが、ホイル焼きして日本酒に浸してもうまいし、松茸ご飯は極上だ。そして松茸の佃煮を茶漬にする。これはまさに日本に生まれてよかったと感謝する瞬間だ。松茸の天ぷらは贅沢極まりないと思うが、美味優先であれば挙げな
いわけにはいかない。
ただし、高価だ。
なかなか採れないということもあるし、人工的に栽培できない、ということもある。海外産松茸もあるが、香りがまったくなかったり、色も白っぽくて、とても同じ品種とは思えない。松茸とは別のキノコではないかと疑ってしまう。
時期も限られているのはもちろんだが、発生する松林の環境も関係するらしい。ある成長期の松林に発生しやすく、松林が一定の成長レベルを超えると、もう松茸は出なくなると聞いた。知人に松茸の発生する林を案内すると言われ連れて行ってもらった。急斜面の松林だった。そのあたりに松茸は毎年出るのだという。だが、私の目は節穴だったようだ。「ほら、ここに」と知人は私の目の前の地面に手を伸ばすと、ひょいと何かをつまみあげる。それは松茸。私には見えなかった。そんな捜しづらいキノコでもある。
ある日、キノコ犬の話を聞いた。フランスでは昔は豚を放ち、トリュフという地下のキノコを探させたようだが、今は訓練した犬にトリュフを探させるらしい。トリュフだけでなく、松茸も探すとい
う。これだ!
私は犬を買い、松茸の香料を嗅がせて日々訓練した。立派なキノコ犬だ。これで高価で珍味の松茸が食べ放題!だ。「さぁ、キノコの時期だ。これまでの訓練の成果を見せるのだ。」
ワンと、自信に満ちた声で鳴くと猛スピードで走り出す。その後を必死で追う。キノコ犬が一目散に駆け込んだ先は……。
全国チェーンの弁当屋の店先だった。その弁当屋の店頭では“秋の松茸ご飯キャンペーン”の旗がはためいてた。
へなへなと全身から力が抜けてしまった。
そんな話をすると、友人の生物学者が「いい案がある。松茸にも、ひょっとして使えるかもしれんな」
どうするんだ?と尋ねると友人は言った。「キノコは生物学上は真菌類という分類になる。で、私の研究は生命共鳴現象というものだ。遺伝子的に近縁の生命のDNAを組み合わせると互いを呼び合うようになる。高等生物ではだめだが、カビや菌の実験では成功している。で、キノコは真菌類だが実は人間にも関係のある真菌類があるんだ」「それはなんだい?」「タムシや水虫などの疥癬菌も真菌類なんだ。松茸のDNAを疥癬菌DNAと融合させ、君の足や股間に塗る。すると、
共鳴現象を起こし、松茸が探しやすくなるはずだ」「なるほど。でも痒いんじゃないか?」「いや、松茸を選ぶか、インキンタムシを選ぶかの問題だ。後でタムシチンキを塗ればいい。どうする?」
なるほど。「松茸を採りたい」
そして友人の生物学者は私に松茸DNAの疥癬菌を塗った。
何も起こらなかった。
そして秋。「凄い!」奇跡が起こった。生命共鳴現象だ。
もうどこにも松茸を探しに行く必要などなかった。
我が家の周りに、ぼこぼこと松茸が生え始めたのだ。
共鳴現象とはそういうことだ。松茸疥癬菌が松茸を呼び寄せている。これほど凄まじいい効果があったとは。
家の周りに密生する松茸をすべて採れば、どれだけの末端価格になるだろう。数十万円……いや数百万円。近所の連中が生えた松茸を採ろうとする。私は慌てて裸足で外に駆け出した。「皆、採るな!これは、すべて私の松茸だ」
これほどの強烈な生命共鳴現象が起こるとは、と思ったときは遅かった。
予想を遥かに超えた疥癬菌が、私の股間と足の先で爆発的に活動を開始した。
最初の一本の松茸を握ったときは、すでに私はその痒さに悶絶していた。

コラム一覧を見る