Column - 2025.05.01
第247回 新しいお店
仕事帰りに気がついた。住まいからそれほど遠くない場所に、お店が出来ている。前は、一般住宅だったイメージがある。建物は壊さずに内部だけを改装して客を受け入れるようにしたのだろうか。かつては目立たない地味な住宅だった外観なのに、気がついた時には、おいしそうな料理を出す雰囲気を醸し出していた。
どんな料理を出す店なのだろう。
まだ営業はしていなかった。夕方、前を通ると、着々と改装準備が進んでいることはわかるのだが。
そして遂にお店がオープンした。店の前に開店祝の華やかな花輪がならんで、“営業中”のプレートも輝いていた。
私は新らしい店がオープンすると、いても立ってもおられなくなる。どんな料理を提供する店なのだろうか?どんな味だろう?メニューはどうなっている?料金はどうだろう?他のお店と比べてコストパフォーマンスは良いのだろうか?そして、接客はどうだろう?どんなにおいしくても接客が最悪であれば、二度と行かない店もあるからなぁ。そして、内部はどうなっているのか?店内がお洒落であれば、心がわくわくするものだ。
店内へ次々と人が入っていく。すぐにでも入店したかったが、今、店に入れば、かなり待たされる気がした。きっと私と同じようにお店が開店するのを待っていた人がそれだけ多いということかな。
数日、我慢して待つ。開店してすぐの様な混雑はないだろう、と確信して店を訪問した。数名の客がいるだけだ。食べているのは麺類が多いようだ。そういえば店のカラーも赤を基調としているから……ここは中華料理を出すお店だったのか。
カウンターに腰を下ろした。中では店の主人が黙々と料理を作っていた。主人は厨房で被る白い帽子と白マスクを着けているので若いのか年輩なのかよくわからない。
女性が水を持ってきてくれた。落ち着いた、感じのいい女性だった。
「注文はおきまりでしょうか」
右隣の男は麺を食べていた。中華そばか。ラーメンだろうか。初めての店で注文に迷ったときは、中華料理店ならラーメンを食べてみれば、その店のレベルがわかると聞いたことがある。
「ラーメンをお願いします」
「はあい、ラーメン一丁」女性店員が復唱した。
「以上でよろしいですか?」
そう言われると腹がへっているから他にも何か食べたくなるかもなあ、と思いだした。するとテーブルの客が、何かをぼりぼりと噛んでいるのが見える。おいしそうだ。焼き豚足だろうか?よそではあまり見ない料理だ。食べてみたい。
「あれと同じものをお願いします」
「おいしそうでしょう。うちの名物なんですよ」
「豚足ですか?」
「ちがいます。食べてからのお楽しみです」
そう言われたら期待しかない。やがて、ラーメンが運ばれてきた。一口スープを啜る。魚介系と鰹節の混ざった上品な出汁。「うまあい!」と思わず口に出た。厨房の主人が嬉しそうに「ありがとうございます」と頭を下げた。そして、味を確かめようとラーメンを見ると小さく切った緑色の葉がかかっている。「これは青ノリですか?」「いいえ。企業秘密ですが…イチジクの葉を干して特殊加工したものです。私たち夫婦のおもいでで使っているんですよ」なあ、と女性店員に言う。恥ずかしそうに女性店員は小首を傾けた。そうか。この二人、夫婦だったのか!
次に出てきた焼きもの。さっきの料理だ。かぶりついたら、その歯応えと舌ざわり。絶妙だ。豚足じゃあない。「何ですか?これ。絶妙なうまさ。どこで修行されたんですか?」
店主はてへへと笑って遠いところを見る目になった。「本当はあっしたち、昔は仕事もせずのんびりとした生活してたんですがね。ある日、こいつが変な奴の話に乗ってね。変なもの食っちまって」「覚醒剤ですか?」「それよりたちが悪い。あ、それサービスでつまんでください」プラ容器に惣菜が入っている。だが、これはリンゴの甘煮じゃないか。
「それですよ。蛇に美味しいからって言われて食べてしまいました。」それが不幸の始まり。それ迄素っ裸で暮らしていたのが恥ずかしくなってね。恥ずかしいとこをイチジクの葉で隠したりしたんですが、神さまの怒りを買いましてね。住んでいたところを追い出されたんですよ。それから住まいを転々と替えましてね。やっとここにたどり着いて店を開いたのですよ」
まさか、と思い壁を見ると、保健所の許可証がある。申請者名は「仇無太郎」あだむたろう。女性が胸に付けている名札は「いぶ」になっていた。
「それは豚の足じゃない。神の怒りで地を這うしかできなくなった蛇の足でこさえたもので、蛇足の揚げ物ですよ」
「というと、あなた方は、アダムとイブですか。旧約聖書に載っている!」
「そうなんです。九三〇歳まで生きたと言われていますが、まだまだこの先長いようです。これから、こちらで商いをやらせて頂きますんで、末永くおつきあいして頂ければ幸いですよ」
そう言って帽子をとって店主のアダムは深々と頭を下げた。茶色い髪はふさふさとしている。
「また来ますよ。こんなにおいしい店だとは。他のメニューも楽しみです」
私は勘定を払って店を出た。また来よう。何という名前の店だったっけ。看板を見る。
――中華料理 失楽園
こんな名前あるんかい!あってもおかしくないよ。でも、あるんだよね。
