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Column - 2023.10.01

第228回 新しい家族

 この日が来るとは覚悟していたものの、不治の病にかかり和江が亡くなって一週間が経つ。残された愛しい娘の悲しみは想像以上のものだった。私にしても妻の和江のいない喪失感から立ち直ることはできそうになかった。これからの日々をどう過ごせばいいのだろう。
 祭壇の前で娘と二人、うなだれていたときだった。玄関でチャイムが鳴った。来客か。重い足取りで玄関に向かう。ドアの向こうに立っていたのは、信じられないことに、妻だった。「和江!」そして娘も「ママ!」
 和江は、白い封筒を私に差し出し微笑んだ。手紙を読んで驚く。和江は自分の死期を知り、なんとか私や幼い娘を悲しませたくないと方法を模索したのだ。そしてたどり着いたのが、これ。自分そのものと言えるクローンを作り出すことだった。そして立ち振る舞いも自分そっくりの存在に教育して、死後に送り出すように準備していたようだ。亡くなった和江本人ではないかもしれないが、外見はまさに和江だ。「あなた、よろしくお願いします」とクローンの和江は頭を下げた。思いがけない母親の生還に娘は狂喜した。無理もない。私でさえ信じられないくらい嬉しいのだから。こんな奇跡があるだろうか?和江クローンに娘はよくなついた。和江からしっかり教えられていたのか、私の世話も雑務もすべてうまくやってくれる。妻の祭壇の世話もこなしてくれて、正直、奇妙な気持ちだ。だが、話していて、どこかが違うという違和感を拭えない。違和感の正体はわからないのだが。
 それから数日経ったある日。チャイムが鳴った。和江が出ていくと玄関でフリーズしている。どうしたのだろうと見ると、和江の向こうに、もう一人の和江がいた。その和江も、私を見つけて微笑んできた。新しい和江も白い封筒を差し出した。受け取って開封してみた。妻の見慣れた筆跡だ。生前、彼女が書いたものに間違いない。手紙には、こうあった。クローンを作って送り出した後、どうしても気になり始めた。先に送り出したクローンは自分に似てはいたがどこか不完全な気がしてならない、と。だから、より自分自身に近いクローンを作ることにした。娘のためにも私のためにも、それが最善の方法と信じているから、とあった。じゃあ最初の和江のクローンはどうすればいいんだよ。よく見れば、今回来てくれた和江の方が確かに世話がよく行き届くような気もする。さて、前の和江を追い出すわけにもいかないし。前の和江には娘の世話に専念してもらえばいいか。最初のクローン和江も、今度のクローン和江も、まるで懐かしい家族同士のように互いを受け入れて生活するようになった。娘も二人の母親に最初は戸惑ったものの、すぐに慣れて、楽しそうに過ごすようになった。妻が二人になったからには、これまで以上に頑張らなきゃいけないな、と自分に言い聞かせた。それにしても、科学はどこまで進歩するものなのか。同じ和江でも今度の和江は料理上手だ。
 我が家は和やかな日々が続くようになったある日。会社から帰宅して驚いた。なんと和江が三人に増えていたのだった。娘が言った。「新しいママが来たよ」新顔の和江も手紙を持参していた。それによると、前の二人の妻で不満はないのだが、心配なのは娘の教育のことだという。そういえば、小学校の娘の成績まで私の目は届いていなかった。新しい和江は子供の教育に特化して培養されているらしい。なるほど。娘は新しいママに勉強を習っている。「とても教え方がうまいの。わかりやすくて」しかし、三人女性が寄ればかしましい、とはよく言ったものものだ。同じ顔の三人がぺちゃくちゃしゃべっている。仲が良いのはいいことだが。娘はにこにこしながら三人の母親のおしゃべりを聞いている。しかし……。私一人の稼ぎで、これだけの人数を食べさせていけるだろうか?少し不安になった。
 数日後、また新しい和江がやってきた。もう、驚くことはなかった。いや半ば呆れたものだ。新しい和江が持ってきた手紙には、こうあった。専業主婦だった自分には夢があったのだ、と。それは実業家としての自分の夢。それをこのクローンに現実化してもらいたい。このクローンなら大家族を助けることができると信じている、と。手紙の通り、新しい和江は外に出ると事業を興し、すぐに大金を稼ぐようになった。和江には、そんな商才もあったのかと舌を巻いた。おかげで経済的な心配は消え去った。これなら余裕だなと思っていたら、またしても新しい和江がやってきた。金の余裕ができて我が家の土地を買い足したら、その新しい和江は土地を庭園にと作り替え、植物たちの世話を始め、庭は美しい花々で満たされた。
 五人の妻たちは我が家のさまざまなことをテキパキとこなしていく。娘も淋しがることもない。でも、はたしてこれでいいのだろうか?
 そんな私の背中を誰かが優しく撫でた。新しい和江がやって来たのだ。持って来た手紙にはこうあった。いつも、あなたのそばにいたい。そのための新しい私を行かせます、と。私はクローン和江を見つめた。私の中にさまざまな想いが溢れ出てくる。そのときの想いを実現化させることにした。私は尋ねた。「クローンが欲しい時はどこに行けばいいんだい?」そう。私も私のクローンを作ろうと考えていた。全部で五体。そして五人のクローン和江それぞれに一体づつ贈ろう、と。一家を支える主人であるクローン。私の趣味の釣り好きのクローン。娘の教育に熱心なクローン。家事にも能力を活かすクローン。そして、サラリーマンの私の代わりに会社に通勤するクローンだ。これで、すべてうまくいく。和江たちにも微妙に適性の違いがあるかもしれない。カップルとして最良の相性であることを祈ろう。
 私か?私はもちろん私のことを慕ってくれる和江に、これから寄り添い続けてやるつもりだ。それが正しいことかどうかはわからないが。

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