カジシンエッセイ

第26回「つらもたず」

2007.01.01

ブログの紹介でおわかりのとおり、私の首から上の写真がありません。
どーして、顔を出さないのですかと、よく訊ねられるんです。
「えー、顔を撮られると、魂を吸いとられてしまうのですよ」
そう答えることもあります。
「実は、私の信仰している宗教で、写真で顔を晒すことは、深く禁じられているのですよ。どんな宗教かって?それは聞かないでください」
しらじらしい顔で、そう答えたり。
ま、そのときの気分で、答えることはコロコロ変わります。

基本的に、自分の顔が好きではありません。
自分が嫌いなものを人前に晒すことは、犯罪だと思っています。
誰が、ノートルダム寺院のカジモドみたいな顔を喜んでみてくれるでしょう。
乱杭歯で皺だらけの卑しい笑いを浮かべる男を見せても、著書の売り上げに結びつかないはずです。
ましてや、ある作風で小説を書くときには、リリシズム溢れる印象を与えるように思いめぐらせています。
ところが、私は、リリカルとは縁遠い顔をしているのです。
読者が作者に抱くイメージを破壊してはいけない!真剣にそう思います。だったら顔を見せるべきでない!
おかげで、テレビにも出演しません。カジシンCINEMEMAでは、人形たちに代わりに出演して頂いています。
結果的に、私のところへ回ってきたかもしれない仕事(割と、エッセイ系の場合)が、キャンセルになってしまうことも多いですね。顔写真とセットという注文だったりすると、てきめんです。
「えっ。このシリーズは、筆者の顔を文と一緒に大きく写真で出すんです。そうなんですか?困りましたねぇ。どうしても駄目なんです?今回だけ特別というわけにはいきませんか?」
一つのところだけOKを出してしまうと、その後、頼まれたときに断れなくなってしまいます。
「なんで、あそこだけ写真がよくて、ウチの方は駄目なんですかねぇ」
そう言われるのが、目に見えています。だから仕事が消えても、写真お断りで通すことにしています。
「どうしても写真だめなんですか?」
「ええ。代わりに百鬼丸に描いてもらってる似顔絵を出していただくことにしていますが。それではいけませんか?」
さわりがないように、そのような代替案もちゃんと呈示します。
百鬼丸はイラストレーターの薬剤師さんで、もうかれこれ二十数年コンビを組んでいます。私のイメージは百鬼丸の二等身の似顔絵だという方もたくさんいらっしゃいます。
で、相手の注文先の担当さんは、そこで、
「では内部で、もう一度検討してご連絡することにいたします」ということになります。
これで八割方、次の連絡は入ってきません。それは、それで、かまいません。
熊本弁で「つらもたず」という表現があります。私が、そうなのだろうなぁと思います。標準語に直訳すれば、「シャイ」とか「恥ずかしがりや」にニュアンスに近いが、完全に同じというわけではありません。「ひきこもり」のニュアンスもちょっぴり入っているかなぁ。
分析してみました。
一番の恐怖は、これでしょう。
自分の顔写真を公表したとき。
「自分は相手のことを知らないのに、相手は自分のことを知っている」
これは怖い。芸能人やらテレビに顔を出しておられる方は、日常茶飯事で何とも思っておられないかもしれないが…すごいなぁ、と尊敬してしまいます。
私には、そんな度胸はありません。
「あっ、車が来ないから、赤信号でも走って渡っちまおう」
なんてこと、やってたら「ああ、作家の梶尾さんが、信号無視して渡ってるワ!」と後ろ指を指されるのも厭だなぁと、思うのです。
自意識過剰なのかもしれませんが、そんなわけで、顔を見せませんので、勝手にご想像いただければ幸いです。 
あ、もう一つ言い訳を思いついた。
「誘拐されたくはありませーん!」

カテゴリー:トピックス

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