球磨焼酎

風土

  • 自然と人が生み出す奇跡。白岳物語。
  • 朝霧の山里から、焼酎王国へ。

歴史

  • 球磨焼酎が、日本最古の焼酎?
  • 武士に庶民に愛された焼酎。

文化

  • 500年以上の歴史を誇る「球磨焼酎」文化。

ブランド

  • 産地呼称が認められた「球磨焼酎」。
  • 世界の銘酒の一員へ。

武士に、庶民に、愛された焼酎。

秀吉の時代、文禄・慶長の役(1592〜1598)によって、朝鮮半島から蒸留法の新しい技術がもたらされたことなどから、江戸時代になると、焼酎造りはいよいよ盛んになってきました。
ただし、自家用の焼酎製造はある程度自由でしたが、販売は藩の厳しい管理の下で行われていました。
また、江戸期、米は諸藩にとってもっとも重要な物資でしたから、豊かに米が実る相良藩内でも、自由に米を原料とした焼酎を作れるわけではありません。
米焼酎は、武士・上流階級のものとされ、農民は、普段は麦や雑穀の焼酎を飲んでいたといわれています。
しかし、それでも、焼酎を飲むことは庶民の大きな楽しみだったようです。
この地方に伝わる「球磨の木びき唄」の中に「鋸もやすりも、番匠かねも、置いて立ちやれ、酒のしろ」という
歌詞があります。焼酎が無いときは、カラのひょうたんを腰に下げ、そこに染みこんだ焼酎の匂いをかぎながら田畑の仕事をした人もいたとか。

そして、焼酎は、相良藩にとって大きな収入源でもありました。特に良質の米を使った焼酎は、粕とり焼酎しかなかった他国では垂涎の的、薩摩や豊後などにも移出されていたそうです。
焼酎を販売することができたのは、藩から焼酎の製造・販売の権利である「醸造株」や「入立(いりたち)」を与えられた者だけ。入立とは、焼酎を飲める休憩所、今で言う居酒屋のようなものです。現在、28カ所ある球磨焼酎の蔵元のうちのいくつかは、江戸期に入立を与えられたことが焼酎造りのきっかけとなっています。

武士に、庶民に、愛された焼酎。

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