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    <title>カジシンエッセイ｜人吉・球磨｜焼酎といえば【高橋酒造株式会社】</title>
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    <updated>2012-04-30T23:00:10Z</updated>
    <subtitle>カジシンエッセイ kajishin</subtitle>
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    <title>第90回　白鳥山のヤマシャクヤク</title>
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    <published>2012-04-30T23:00:00Z</published>
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        凄まじく運動音痴なくせに、山歩きだけは好きですね。
　なぜ山歩きが好きかって言うと、3月のこちらのコラムにも書きましたが、山菜を採るのが大好き。それにキノコやらを採るのも。
　食い意地が張っていて卑しいんです。お店では売っていないグルメな食材を集めに行くのが、ほんとに好き。
　あ、もちろん体を鍛える効果も期待しています。若い頃は気にならなかったのですが、この年齢になると、
「血圧が少々高いようです」
        「血糖値が糖尿病の境界型に入っていますねぇ」
「もっと血液をさらさらにしないと」
「腹回りはあと6センチ、体重もあと5キロは落とさないと、メタボリック症候群ですよ」
などと言われ続ける始末。そんな病気予備軍の私に渡されるパンフレットを熟読すると、必ずこう書いてある。
「運動しなさい！」
　運動は嫌いなんです。スポーツって必ず競い合うじゃありませんか。どちらかが勝ってどちらかが負けなければなりません。
　それが嫌なんですよ。
　しばらく、テニスやらバドミントンやらやったこともありますけどね。でも、あんな競技って、相手が打てそうにない場所を狙ってタマを打つじゃありませんか。
　意地が悪いと思いませんか？相手がミスしたら勝ちだなんて寂しいです。
　だから、スポーツが嫌なんですよ。心がねじ曲がってくるような気がして。（あっ。悪意はありません。あくまでも個人の感想です。お許しを）
　で、その中で唯一自分に向いていると思った運動がこれ。山歩きでした。
　自分のペースを守るだけでいいんですよ。誰かと勝負を決することもない。頂上を極めなくてはならないということもない。自分で想定したコースを歩くだけ。そして、山の恵みの、美味しいものに出会える。素晴らしい眺望も満喫できる。
　そして、も一つ。季節が味わえるんですね。
　いつ行っても同じ光景が広がっているわけではありません。四季によって異なる表情を山は見せてくれます。
　中でも、今回タイトルに使った白鳥山。数ある山の中で一番好きな山です。
　あ、誤解がないように。日本中に白鳥山という名前の山はいくつかあります。九州にも韓国岳の隣にひとつありますが、私の大好きな白鳥山は、熊本は五家荘の山なのです。自然林が広がり、岩は苔むしています。樹々はブナやイチイが目立ちます。昔、源氏の追手を逃れて平清経が潜んでいた山中の住居跡、そして石灰岩の巨石群、ドリーネ、御池と呼ばれる湿地帯。そんな見所がいっぱいなのです。霧が出てくると、幽玄な世界に変化します。鹿の鳴き声を遠くで聞くと、まるで異次元に迷い込んだみたいな気分になるのです。あまりメジャーな山ではないので、登山口から登り始めて帰り着くまで、一人も他の登山者と出会わないこともよくあります。
　あまりに好きな山過ぎて、自分の小説の舞台にしたほどです。一作は「未来の想い出」。もう一作は「インターネットの香保里」というジュブナイル小説。よろしかったら読んでみてくださいませ。
　さて、白鳥山を5月に紹介しておりますが、私は毎年中旬に必ず登ります。
　何故かというと、中腹に何ヶ所もヤマシャクヤクの群落を見ることができるのですよ。
　ゴールデンウィークまでは、花には縁のない光景なのですが、中旬に入ったらヤマシャクヤクが次々に開花するんです。ドリーネ近くに咲くのが一番早いかな。1時間近く登山口からぜいぜい登りつめ、目的の斜面に視界いっぱいのヤマシャクヤクの群落を見た時の感動は、伝えるのが難しい。百聞は一見にしかず、と言いますが、まさにそのとおり。ヤマシャクヤクの花は直径が7、8センチの大きなもの。色は純白です。それが一面びっしりと咲いていると、ここが山の中ということが信じられない。お花畑にいるのか…と思えてきます。
　そんな群落が、あちらにも、こちらにも。
　そこまで来れば、頂上はすぐなのですが、正直なところ頂上にはあまり興味はありません。景観も得られないし、ただ狭いだけ。
　で、頂上を抜けて隣の時雨岳に向かうルートがあるのですが、この道沿いにも群落があるのです。
　ヤマシャクヤクの色は白と相場が決まっていますが、この辺りに稀にピンクのヤマシャクヤクの花が咲くことがあるらしい。今年こそ目撃したいと、いつも狙っているのですが、まだ出会えたことはありません。
　さあ、今年も、ヤマシャクヤクの季節が近づいて来ました。出会えるのは十日程しかありません。わくわくして、ならないのです。
　さらに、今年はもうひとつ、大きな野望を抱いています。
　今年の5月21日は、金環触が観測できるのですが、私の住む熊本市は部分触でしかないようです。
　ところが……。白鳥山では、金環触が見れそうなんですね。
　よしっ。
　ヤマシャクヤクの群落の上の金環触。
　なんてロマンチックなんだろう、と思いませんか？
　そのつもりで、いるんです。
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    <title>第89回　舞台は熊本</title>
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    <published>2012-03-31T23:00:00Z</published>
    <updated>2012-04-27T10:42:36Z</updated>
    
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            <category term="トピックス" />
    
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        初めてお会いして、私の本を「読んでいます」とおっしゃるありがたい方から、質問を受けたりすることがあります。その質問には、不思議と共通点があることに気がついていました。
　皆さん、私の本を読んで考えられることって一緒なんですねぇ。
「なぜ、小説の舞台は、熊本が多いんですか？熊本が描きやすいからですか？でも、カジオさんが主に描こうとなさるのは、現実世界ではあり得ないSFですよね。であれば、架空の都市や、宇宙でも構わないんではありませんか？」
        　よく、そんな趣旨の質問を受けます。
　確かにSFでは、舞台は現在ではなく未来に設定されることが多いようですね。そういう私も、創作を始めた頃は50枚から100枚くらいの短編を書いていたのですが、その中で、未来の事件を語るとき「いつまでも読んで頂ける小説」ということを考えていた気がします。現在を舞台にすれば、現在の風俗を描写の中に入れることになります。流行語や服装などは、数年経過すれば全く通用しないし、下手すれば読む方にとって意味不明ということになる。
　それを防ぎたかった。
　だとすれば、現実社会と全く異なる舞台を設定すれば、時代の変化に伴う作品の風化は少なくなるのではないか、と。
　だから、舞台を宇宙船の中にしたり、閉鎖された空間で宇宙人とコミュニケーションをとる話にしたり。どうしても現実社会に近い描写をしなければならなくなったら、架空の町名を登場させることにしました。『横嶋市』という都市を、かつてよく出していましたが、これは地方都市ですよ、という記号のようなもので現実には存在しません。（横島町というところが、たまたま熊本県北部に存在しますが、これは全くの偶然です。実は『ドグマ・マ＝グロ』というナンセンスホラーを書いたとき、邪悪な人々ばかり住んでいる都市名を考えていたときに思いついた名前です。邪な人たちが住んでいる市、つまり横嶋市であります。その流れで、『クロノス・ジョウンターの伝説』でも舞台は横嶋市になっていますが。）
　初期に現実の熊本を舞台にした話を一作だけ書いています。これは『清太郎出初式』という短編で、明治33年に、ウェルズの『宇宙戦争』の火星人が熊本にも侵略してきたという設定の話でした。しかし、これは一世紀過去を描くのだから風化しないかなと思ったのです。
　で、小説家として商業誌に載るようになってから40年が経過しようとしています。その途中で気がついたことがいくつか。
　いくら宇宙や未来を舞台にしても、架空の場所であっても、数十年経って読み返してみると、その当時は気がつかなくとも妙に古臭く感じることがあります。たとえば、現代なら、ここは携帯で連絡を取り合うよな、と思ったり。パソコンで検索すればすぐわかることじゃないか、と溜め息をついたり。
　技術が予測できていなかったから、やはり、風化しているんですよ。
　そこに気がついてからでしょう。熊本を意識的に出すようになったのは。
　私の小説は、正直あり得ない話ばかりです。そんなあり得ない話にリアリティを持たせるにはどうしたらいいのか？
　たとえば、死者が生き返ったり、時を超えたり。
　そんなホラ話を読んでもらってバカバカしいと思われないためにはどうするのか。
　ストーリーのメインにある大ボラを信じてもらうために、それ以外の部分では、出来るだけ真実を積み重ねる必要があります。そうすることで大ボラもひょっとしてあり得るかも、というリアリティを感じてもらう……。
　この手法を既にやっていたのがスティーブン・キングです。この作家は傑作ホラーをいくつもモノにしておられるのですが、舞台になるのが、彼が住んでいるメイン州が多いですね。そして、小説の中に登場する固有名詞も現実に存在するものばかりです。車の名も洗剤も、お菓子もテレビ番組も。
　そんなふうに、これでもかというほど現実に存在するものを自分の架空世界に取り込むことで、起こりうる恐さにリアリティを醸し出しているのです。生きている屍体や、吸血鬼や悪魔たちと共存させるために。
　私も、自分の大ボラなSF話にリアリティを持たせるなら、私が生まれ、私が育った、私の大好きな熊本を舞台にすることが、いいのではないかと考えました。
　時間の経過で、作品が風化することは仕方ないと割り切って。それより、今読んで、より面白く感じて頂けるならと、リアリティを選んだわけです。
　だから私が、小説の舞台を熊本にしたがるのは、そのように想像の羽を広げやすいからでもあるんです。そうすれば必ずホラがホントっぽく吹けると信じているわけです。
　また、そんな小説を読んだ方が、舞台になった熊本を訪れて見ようと思われる方がいればいいなあ、といつも願っているんです。そして熊本を訪ねて、もっと違った熊本の魅力を発見して頂けたらとも思います。
　まぁ、今回はかなり真面目語りをしてしまいましたねぇ。
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    <title>第88回　春のおたのしみ</title>
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    <published>2012-02-29T23:00:00Z</published>
    <updated>2012-02-29T23:00:22Z</updated>
    
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            <category term="食に夢中" />
    
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        三月と聞いたら、皆さん何を連想されるでしょうか？
　雛祭り？
　九州の方だったら、下旬からの春休みにタイミングを合わせて咲き乱れる桜、そして、その下でお花見というイベントでしょうか？
　私ですか？
        　秋は、山に入ってキノコを探す日々を続けておりました。年が明けてモノクロームの冬の時間は、部屋の中に籠ってアウトドアの楽しみに縁のない時間を過ごしています。春になると、春の楽しみがちゃんと巡ってくるのです。
　木の芽どき、という言い方があります。奇妙な行動をしでかす人々が増加する時期でもあるようです。そんなときは「木の芽どきだからなぁ。気をつけなさいよ」と諦めたように口にします。つまり、新芽が芽吹く頃は、その陽気が精神に影響を与えるということですね。
　私も多大な影響を受ける一人であります。もっと直接的な理由で。
　山菜採りが、春の楽しみなのですよ。一般的に、ホワイトデーが過ぎた頃にベニヤマタケが阿蘇外輪山に現れ始めます。それからが山菜採りの開幕ですね。ワラビ採り、タケノコ掘り、そんな山菜採りが有名ですが、私が一番好きな山菜採りは、タラの芽でしょう。
　これもキノコ採りと同様で、山の奥に分け入っていきます。
　こちらも、一番いい時期に採りにいくタイミングを見計らっているわけです。最近は栽培もののタラの芽も出回っているのですが、天然物は全く違う。そのサイズといい、歯ごたえといい、食感も、味の奥深さも、早い話が、別の食べものなのです。しかも、春になったからと言って、ずっと食用に適した木の芽状態でいてくれるわけではありません。数日タイミングを外しただけで、タラの芽はタラの葉っぱと化してしまうわけであります。（ま、食えないことはない。悔しさ紛れにタラの葉を採って帰って天ぷらにして食った奴もいますが、彼は芽よりこっちが美味いと言い張っていたなぁ）
　だからホワイトデーが過ぎたら、物置から鎌を取り出して、砥石で研いで手入れしておきます。この鎌は特製です。自分でこしらえたもの。ポリ塩化ビニール管のパイプを150センチくらいに切ったものに小型の鎌をはめ込み、釘を打ち付けて固定したものです。
　これが重宝するんです。
　一緒に物置から引っ張りだすのは山菜籠。蒸れませんからね。
　で、闇雲に出かけるわけではありません。
　タイミングが大事と申しましたが、そのタイミングをどうやって知るのか。その年によって、早い、遅い、が当然あるのです。
　で、我が家の隅にタラの木を植えている。　　
　つまり、このタラの木に芽が出てきたら、間違いなし。タラの芽採り標準木であります。
　そして、この標準木に芽がでたら、第一弾の出撃。
　いつもの、自分のタラの芽畑と名付けている場所へ。えーと、念のためですが、登山靴です。山の中の道とは言えない斜面を移動しますからね。必ず長袖を着用すること。ズボンも厚いものを。山歩きではジーンズは膝が曲がらないから良くないですが、山菜採りでは良いようです。そして帽子と厚い手袋。
　とにかくタラの木は刺が凄いんです。しかも数メートルの高さの幹の先端にタラの芽が付いている。だから、一人で行くよりは二人で行くことをお奨めします。
　一人が刺だらけの枝の先に鎌を引っ掛けてたわませ、もう一人が先端に付いたタラの芽を採取する。一人でやろうとすると、タラの木の枝が折れてしまうリスクが増加する。
　で、若い芽は必ず残すこと。全ての芽がなくならないように。タラの芽は、それからも二番芽、三番芽まで出ますから、後の芽も残しておく。これが、自分に課したルールです。タラの芽を採っていると、同時にハリギリやコシアブラの新芽を探し出したりもします。これも天ぷらにすると美味しいんです。
　必要量確保する頃には、結構斜面を歩き回って、泥だらけ。指を防護したつもりでも、チクチク刺が刺さっている状態ですが、大漁のときは、高揚感でそんなこと、何でもありません。
　で、ここを引きあげ、もう一カ所。梅林にハルシメジを探しにいくんです。そこで、春のキノコを確保したら、行きつけのおそば屋さんに。そこの大将に我がままを言って、採れたてを天ぷらにして頂くんです。その揚げたてをパクッ。
　これを至福と言わずして、何が至福。
　ああ。想像しただけで、堪りません。
　タラの芽の採れる場所ですか？
　もちろん秘密ですが。
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    <title>第87回　寿司大好き！</title>
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    <published>2012-01-31T23:00:00Z</published>
    <updated>2012-01-31T23:00:24Z</updated>
    
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            <category term="食に夢中" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakutake.co.jp/hitoyoshi/kajishin/">
        寿司が好きです。
　寿司という文字は鮨だったり、鮓だったりしますが、どれがほんとうなのかは、どうでもいい。とにかく、寿司と聞くと、パブロフの犬みたいに口の中に唾が湧き出してきます。と同時に頭の中に、にぎり寿司の映像が次々と浮かんでは消えていくというほどです。
　いつの頃からかなあ。
        　子どもの頃は刺身は食べれなかったし、ワサビも食べれなかった。
　学生の頃は、「寿司は高いもんだ！」という先入観があったしなあ。
　社会に出てからだと思います。ある日、仕事の出張先で、一人で寿司屋に入り、お任せで握ってもらった。全ての仕事を終えて開放感に浸っていたこともあるんでしょう。これくらいの贅沢は許されるよね、と。
　もう三十年ほども昔のこと。
　寿司とはこんなに美味しいもんだったのか、と。新しい天体を発見したような感動でした。
　それから、食べもので何が好き？と訊ねられたら、真っ先に「寿司です」と答えるようになりました。それからですねぇ、寿司って奥が深いんだと気づいたのは。
　お店によって、これほどバリエーションがあるんだ！と驚かされます。使う魚、ネタもいろいろなものがあるし、処理の仕方も違うし、大きさも違う。食べ方もムラサキ（醤油）だったり、「何もつけないで」と言われたり。シャリの量も違えば、酢の種類も違う。だから、いろんなお店をまわります。
　どこか旅に出ることになると、必ずその土地で評判の寿司屋さんがどこにあるかを訊ねて、訪れてみることにしています。新しい店に行くのは、本当にわくわくします。旅をしているなあ、という気になるんですよ。
　その土地らしい食材を食べさせてくれる所は、やはり寿司屋さんではないか、と信じています。その土地の地魚を一番美味しい形で寿司にしてくれるお店がいいんですよね。
　北海道に行ったときのおまかせ寿司は、ちょっとショックでした。私が住んでいる熊本の魚は白身が多く、噛んだときの食感がコリコリしている。ところが、北海道の寿司に使われているネタの魚は、どれもネットリ系の味。いや、美味いんです。美味いんですが、同じ日本の同じ握り寿司で、こんなに食感が違うんだと驚いたものです。
　仙台だっけ。
　ふらりと入ったお寿司屋さんで、「九州の人間です。こちらでしか食べられないネタとか、ありますか？」
　マンボウの寿司を握っていただきました。いや、ちょっとゼラチンっぽくて珍味だったなあ。そのとき「ちょっとお高くなりますが、ぶどう海老が入っています」と言われて、お願いしました。ボタン海老より二周りほどでかい。そして甘くて美味い。頭の中では羽が生えた自分が飛び回っているような感動でしたね。そのとき以来、ぶどう海老には出会っていませんが、あの味は衝撃だったなあ。
　そんなことがあるから、旅先の寿司屋訪問って止められないんですよね。この時期は、寿司のことが頭を離れなくて「ちゃんこ寿司の恐怖」という短編を書いたほどです。この作品は、全くSFとは縁のない話で、寿司屋サスペンスというか何というか、我ながらいやしいなぁ、と呆れます。
　食べたことのない食材への憧れが、「地球はプレイン・ヨーグルト」やプレシオザウルスを食べちゃう「M・W・Aへようこそ」に発展することになったんだなあ、と思います。シーラカンスとか、寿司にしたらどんな味なんだろうと妄想していた頃、山上たつひこさんが「握り寿司三億年」の中で、シーラカンスの活き造りと握りを登場させていらしたのを見て、先を越されてしまったなあと悔やんだことを思い出します。
　ひょっとしたら、寿司で食べたら美味いんじゃないか、食べてみたいなあー、と思っているのが、ジュゴン、アノマロカリス、チョウザメ、ピラルクーなどですね。ジュゴンはレッドデータだし、アノマロカリスは絶滅しているけれど茹でて握れば美味しそう。うん！バージェス生物群は眺めているとうまそうですよね。チョウザメやピラルクーは、ひょっとして食べる機会あるかもなあ。チョウザメはちょっと表面を焼きぎりして握ったらどうなんだろう、と想像が膨らみます。こんな発想は邪道でしょうか？
　どこかの寿司屋さんで「寿司屋で無料のものが七つあるんですよ。最後に”り”がつくものですが。わかりますか？」「がり（生姜）」「にがり（ワサビ）」「おしぼり」まではすぐに出ててきたんですが、後が続かない。「あかり」なるほど。「ちゃっかり」マッチのことだそうです。「おしゃべり」「にっこり」笑顔での板前さんのトークということのようです。
　回転寿司は安いけど、何となく味気ない。
　でも、一人で万単位を支払うお寿司は、コストパフォーマンスとして、どうなんだろう。
　数千円で美味しい寿司が食べられて、アルコールも飲める。そんなお店が最高だよな、と思います。
　そういう意味で、いま天草は寿司のお好きな方にとって、天国状態ではないかと信じています。ネタは新鮮で旬のものが食べられるし、どの店も外れがない。創作寿司の名店で食べた鯛のメレンゲ寿司は忘れられない。港の片隅のお寿司屋さんは、行列のできるお店で安いし、水に浮かぶ小舟に乗った回転寿司では、うつぼの寿司を体験したし。
　これから天草は寿司で町おこしが出来るんじゃないかなあ。寿司大好きの私がお勧めします。天草に行ったら、ぜひ寿司の食べ巡りを体験してみませんか？
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    <title>第86回  うさぎどりのこと</title>
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    <published>2011-12-31T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-12-31T23:00:24Z</updated>
    
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            <category term="アドベンチャー" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakutake.co.jp/hitoyoshi/kajishin/">
        皆さん、どのような新年をお迎えでしょうか？この一年が皆さんにとって充実した一年になりますように、心から願っております。

　さて、タイトルの「うさぎどり」とは、このコラムの私のプロフィールに登場している奇妙なキャラクターの名前です。
　いつから、この「うさぎどり」を描き始めたのかなあ。
　小説を出版するようになって、時折サインを頼まれたりするようになりました。私の著作にサインを頼まれたら、まず私は「イヤだ！」ということは言いません。サイン本は古本屋では、汚損本扱いになると教えてもらったからです。そして、必ずその方のお名前も書くことにしています。

        <![CDATA[＜○野△夫様 某年某月某日 梶尾真治＞
　といった感じです。
　その方の名前が入っていたら、古本屋に売り払われることはないだろう、というさもしい著者の発想ですね。
　というのは冗談ですが（ホント冗談です。本気にしないで下さいませ）、本にサインをしていて、妙に味気ないなぁそっけないなぁ、と思うようになりました。漫画家の方にサインを頂くと、キャラクターがサインに添えてあり、華やかな感じです。そして、尊敬する偉大なSFの先達、星新一さんの星ヅルという強烈なキャラクターのことも頭の隅に存在しました。サインに添えられた鳥に、「これは何という鳥ですか？ヒヨコですか？」とファンが訊ねたら「ツルですよ」ということだったらしい。
それで星ヅルと呼ぶようになったとか。今のゆるキャラのご先祖様のような存在ですね。
　で、私もサインのときにうさぎどりを描き添えるようになったのですが、最初から今の形だったわけではありません。
　最初は頭の部分だけ。ウサギを描いてみたら「あれっ。鳥にも見えるぞ」と気がついたわけです。その後に、「ウサギにも鳥にも見える絵」やら「若い女にも老婆にも見える絵」といったトロンプルイユ（だまし絵）にいくつもであったわけです。
　ああ、このようなだまし絵に夢中になったことがあるぞ！と思い出しました。
　それは高校生の頃。アメリカのコミック雑誌を買ったりしていたのですが、そんな雑誌の中に「MAD」というのがありました。
　パロディばっかりが載っている特殊なコミック誌です。テレビや映画をパロディにした作品を中心に、こりゃぁアメリカの駄洒落かな？というページやら、公文書のパロディやら、ありとあらゆる権威的なものを笑い飛ばすページやらがあって、単語を辞書で調べながらも、大笑いして読んでいたわけです。
　その「MAD」のメインキャラクターは、アルフレッド・ニューマンという十代後半の男の子で、表紙に必ず登場します。丸顔でニキビだらけで耳がでかい。そんな彼が表紙で不思議な図形を指差していたことがあります。それが、これ。（A図）

<img src="img/azu.jpg">

何だよ。ただの直方体じゃないのか？としばらく眺める。何で、こんな図形を表紙に……？と思っていたら…
　数秒後に気がつきました。
「あっ！」
　これは、存在しない図形なのですね。下は三本のパイプ状。上は二本の直方体が伸びている。高校生の私は興奮して、このありえない図形を描けるように何度練習したことか。
これがだまし絵と私の出会いだったのです。いかにも実存しそうだが、実存するはずのない絵。あるいは甲にも見えるが、視点を変えれば乙にも見える。絵を、ある場所から見たときだけ成立するだまし絵。これまでいろんなトロンプルイユに出会ってきました。オランダの画家エッシャーなどは、まさにだまし絵の天才ではないかと思います。階段が無数にある建物で、どこが昇りでどこが下りかわからなくなる。芋虫みたいないきものが、昇ったり下ったり。
　水が永遠に水路を流れ続ける永久運動のような建物も。
　トリック・アートなどという呼ばれ方もしていますが、未だに憧れるんですね。だまし絵に。
　うさぎどりの身体の部分は、何度も練習しているうちに、だんだん安定して今の形に落ち着きました。うさぎの耳に見える部分が嘴に見えたとたんに、うさぎの手に見えていたものは、鳥の羽根に見えなくてはならない。
　そして完成したのが、今のうさぎどりというわけです。
　去年の年賀状は、このウサギとトリの頭だけを描いた人がけっこうおられました。ウサギ年でしたからね。人間って、友人同士になると似たような発想をするようになるんだなと感心したものでした。
　さて、私は今年も、せっせとうさぎどりを描き続けることになると思いますので、そのときは「下手だなぁ。物好きだなぁ」と思っても生暖かく見守ってやって下さいね。]]>
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    <title>第85回　天草の映画館へ行く！</title>
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    <published>2011-11-30T23:00:00Z</published>
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        昔から映画が好きで好きで、年間に250本ほど劇場へ足を運んで観るんです。ですが、映画館の数も減りましたねぇ。
　私の子供の頃は、近所にも数軒は映画館がありました。だから私の情操教育は、映画館がやってくれたような気がします。
　映画が好きなので、自分の作品の中にも、映画館を登場させたりします。「壱里島奇譚」という作品でも、天草の離島で閉館になった壱里映劇という映画館を出しました。
        　このときの映画館の描写は、すでに閉館になった阿蘇は小国の映画館を参考にして描写しました。
　天草も本渡に本渡第一映劇という劇場があるのは知っていましたが、足を運んだことはありませんでした。エマノン・シリーズの「しおかぜエボリューション」でも天草の映画館が登場しますし、前述の壱里島奇譚もそう。なのに、一度も行っていないとは！
　実は、春に花見の席で本渡第一映劇の館主である柿久さんと知り合いました。
「秋に映画祭をやるので、天草に来てください」
「行きます。行きます」と安請け合い。
　で、「天草シネマパラダイス2011」が本渡第一映劇でスタートしていたので行ってきました。
　貴重ですよ。今や大型シネコンだらけなのに、映画館が残っているというのは……。
　などと考えながら熊本市から2時間のドライブ。下島の天草市は本渡バスターミナルの近く。
　愛車で探しながら……ビルの一階に映画のポスターが出ている。ここか！到着したのは朝十時。女性の方が看板を出しています。
「すみません、ここいらに有料駐車場ありますか？」
「映画ご覧になるんですか？」
「はい！」
「じゃあ、映画館の横に駐めてください」
　なんと、駐車場付き映画館とは……。その女性の方が宣伝部チーフの田中さん。入場して、何とも懐かしい雰囲気。モギリの横のガラス棚には飲み物や菓子類が売ってあります。
　昭和の映画館です。
　名画ポスターがずらりと貼られてます。
　中に入ってみました。客席は本当にコンパクト。87席です。で、見上げると二階席があります。スクリーンの横には、若き日の高倉健の立ち姿の手描き看板が。横には「天草映画祭」と書かれていました。
　まさに「壱里島奇譚」の壱里映劇と同じだあ。
　そこに館主の柿久さんが登場。挨拶の後、「二階も見てくれませんか？」
　もちろん見ます。狭い階段の途中にはフィルムが置かれています。階段の壁には、ポスターがまたしてもズラリ。何と「マタンゴ」の手描きポスターまで。
「誰が描いたんです？」
「上手い人がいるんですよ。あ、映写室も見ませんか？」
　ダクトのついた映写機が。その横に上映作品の予告フィルムも。
　今回の上映作品は五日ごとに以下の作品。
「東京原発」「幸せの経済学」/「にあんちゃん」「ルバング島の奇跡 陸軍中野学校」「ヘブン」/「拳銃無頼帖 明日なき男」/「その夜は忘れない」「緋牡丹博徒」/「キューポラのある街」「13デイズ」「秒速5センチメートル」/「赤線地帯」「TOMORROW明日」「瞳の奥の秘密」でした。
　たまたま、そのときの昔の予告編の話。
「この予告編を一度上映したら、凄く酸っぱい臭いがするんですよ」
　臭わせてもらうと、明らかに薬品の臭い。フィルムの保存のためなのか……鼻がもげそうな臭いでありました。古い映画の予告編かあ……。キューポラの臭いかなあ。
「どうですか？」
「いや、正直きびしいです。一人もお客さんが来て頂けないこともあるし」
　でも、フィルム上映が可能な、地域の人たちがでかいスクリーンで観られる貴重な場なのですよね。
「コーヒーどうぞ」と田中さんから。こんな映画館は信じられません。アットホームというか。
　で、作品リストを見て気になったこと。セレクトされた作品がややバラバラ過ぎる気がするんですが。
「どうやって、作品を選ばれたんですか？」
　柿久さんが千葉真一好きなのはワカル。他の作品は？
「自分の見たい作品をスクリーンで観る！というスポンサーがいるんです。その方がフィルム代を負担されるケースもあるんです。今回の「ヘブン」「拳銃無頼帖」「秒速５センチメートル」がそうですね。後は、ぜひ観てもらいたい作品。だからこの映画祭は”自分映画祭”でもあるんです」
　そう聞いて、ストンと納得できた気がしましたよ。”俺様映画祭”か。いいなぁ。リクエストしてフィルム代さえ負担すれば、大スクリーンで上映される映画祭のスポンサーになれるわけです。あなたも、心の映画を映画祭で上映して貰ったら？
　そして、ここではデジタル上映ができないんです。フィルム上映だけ。その欠点を逆手にとって、フィルム上映だけをやる天然記念物的映画館として残していくべきだなぁ。天草の文化遺産として。いつも時代劇観れたり。
　昭和の時代にタイムスリップできることをお約束します。天草に行ったら、ぜひ本渡第一映劇に立ち寄ってみてください。
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    <title>第84回 猫の島へ行く。</title>
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    <published>2011-10-31T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-10-31T23:00:41Z</updated>
    
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            <category term="トピックス" />
    
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        世の中には、猫派と犬派がいるんだそうです。ペットを飼うならどっちだ？と問われた場合のことですね。
　私自身は、どちらでもありません。というより、子どもの頃から家で犬を飼っていたこともあったし、猫が飼われていたこともあったそうなのですが、あまり記憶がない。つまりペットにあまり執着がなかったのでしょうね。
　
        　ところが、現在、我が家では、猫派が圧倒的多数を占めています。
  ペット嫌いの母と中間派の私を除けば皆、猫派なのであります。だから、現在、我が家では二匹の猫が飼われています。ウリエルとハピエルというお洒落な名の猫ですが。（ちなみに昔から、我が家の猫の名は、天使の名前がつくことになっています。ミカエルとか、ガブリエルとか。）で、家族連中がどれくらい猫好きかというと、私が知らないところで、猫カフェなるものに行っていたりするほどです。我が家の猫だけでは不足なのか！
　孫などは、学校から帰るなり、猫の鳴き声を真似ている。人語で話しなさい。どうも、猫たちを呼んでいる様子。そのくらいの猫好き。
　さて、先日の連休。
　天草の離島に行こうということになりました。湯島というところ。
　まだ、私も行ったことがありません。鯛がおいしいところのようです。
　私は、昔から、離島が大好きです。なぜなのかなあ。子どもの頃は天草には、五橋もなく、交通機関は船を使うしかありませんでした。その頃からかなあ。島の中で独特の文化が伝えられている気がするし。なにより、のんびりしている気がする。今でも、まだ行ったことのない離島の名を聞くと、ぼんやりと「行ってみたいなあ」と呟くほど。
　共通した離島のイメージは、「素朴な調理法だが食べものがうまい」というもの。福江も良かったなあ。壱岐も大好きだな。御所浦ものどかだし。そんな離島好きの血が騒ぐのです。湯島は上天草にある離島。湯島大根が有名だよな、という認識しかありませんが、これまで縁がなかった。
　離島好きの血が騒ぎました。どれくらい離島好きかって、「壱里島奇譚」という小説を書いてしまうくらい好きです。
　なぜ、行くことになったのか？
　それを書いていなかった。
　猫島だそうです。有名だそうです。
　猫くらいいいや。行ったことない離島だし。
　家族五人で江樋戸港まで行き、その港に自動車を置いて船で渡ります。出港してしばらくすると船賃を集めに来ます。その日は、乗客はうちの家族とあと二人だけ。のどかです。しかも、出港したと思ったら、あっという間に湯島の港に着いてしまいました。
　港に下り立ち、孫が「猫おー猫おー」と叫んだのですが、猫の姿はありません。
　だが、やたら静か。バイクで二人乗りして走り回っている姿はありますが、自動車は走っていない。昼食を予約していた旅館の方が、迎えに来てくれました。「時間帯もあるんでしょうねぇ。こんなに猫がいないって珍しい」
　診療所も郵便局もJAも小中学校もあるが、警察とか派出所とかはないそうな。平和なんだなあ。
　歩いている人と時折出逢う。「こんにちは」と挨拶を交わす。のどかです。
　猫なぞ、私としてはどうでもいい。この、ゆったりと時間が流れていく感覚は素晴らしいです。
「なにか見るものありますか？」と訊ねる。
「島を一周したらいいです」と旅館の方。地図をいただきました。「猫の島、湯島」とありましたが、まだ、猫らしい猫は見ていないのに。
　それから、島の裏へ。海沿いの小道を歩きました。雲仙岳噴火で犠牲者がおびただしく流れ着いたらしく、その霊を祀うという一ちょ墓供養塔。灯台。そして小中学校の前を通って港へ戻ってくるのに、たった四十分。
人家は見当たらなかったなあ。もちろん猫も。小中学校を過ぎると、途端に様子が変わりました。坂道にそってびっしりと人家が並びます。なんか、時間旅行して昭和に来たような光景。そして。
「あっ…」と孫が叫ぶんです。
　猫が一匹。
　孫がちゃっかり猫の餌を与えると……。
　ヒッチコックの「鳥」という映画があります。幼稚園を鳥が襲うシーンがあります。ジャングルジムにまず一羽のかもめ。その次にカメラが向くと二羽。その次に数羽。やがてビッシリのかもめが。
　思い出しました。どこから現れるのか？どこに隠れていたのか？一匹が二匹、二匹が四匹。わらわらと猫が集まってくるのです。どの猫も痩せているから、野良猫でしょうか。
あっけにとられていると、家族は皆大喜び。写真を撮ったり、餌をやったり。
　なるほど……。猫の島というだけは、あります！
　通りかかったおじさんと挨拶をして言葉を交わしました。「人間の数は、この島に五百人だけど、猫の数のほうがずーっと多いですバイ」
　なるほどぉ。猫を島おこしにしようというアイデアは、よくわかりました。
　それから旅館までは、もう猫だらけ。この島に着いたときは、猫たちは会議中だったかのかな。
　鯛釣りのお客さんたちが、釣果を分け合っていたのですが、一匹の猫が魚を素早く咥えて逃げ去る光景を目撃！「お魚咥えた野良猫追いかけて」なんて、昭和の漫画の世界です。
　時に忘れられた島だなあ、と実感。
　一度は訪れる価値がありますよ。
　
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    <title>第83回　そろそろ来るぞ！キノコの季節</title>
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    <published>2011-09-30T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-09-30T23:00:39Z</updated>
    
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            <category term="食に夢中" />
    
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        十月の中旬を過ぎると、秋真っ盛りで、紅葉のニュースとかがテレビで流れたりします。で、私は何だかそわそわして、居ても立ってもいられなくなるんです。
　私の趣味は、キノコ採り。
　キノコはスーパーに行けば年中売ってありますが、私が狙うのは天然の…野生のキノコなのです。
　マッタケなどは、金さえ払えば手に入るけれど、天然のキノコの場合、山に入ってほっつき廻らなければ決して出逢うことはできないんですね。
        　しかも、キノコに会える期間はすごく短い。
　春にはハルシメジ。夏にはヤナギマツタケやらタマゴタケやらと、秋以外の季節でも全然見かけないわけではないけれど、十月からの山奥は種類が圧倒的に違います。もちろん、スーパーで見かけるキノコもあったりするけど、味も大きさも、全く違っていたり。ナメコも「こんなにでかいんですかー！」と連れていった方が驚かれること必至！
　そんなキノコに年一回、巡り合えるんですよ。
　さまざまなキノコが一本のでかい倒木に一斉に生えていることがあります。ムキタケ、クリタケ、ナメコ、ブナハリ、フチドリツエタケ、ブナシメジ。その根元の地面からチャナメツムタケやシロナメツムタケが顔を見せていたりすると、もう狂喜乱舞の世界なのです。
　夢中になって採り始めると、いつしか頭の中は真っ白になっていて、心の隅にこびりついていた垢までも、きれいサッパリ落ちている。そして籠からキノコが溢れかえろうとした時、ふっと、現実に引き戻される。そして、考えてしまうのです。
ーーあと何年くらい、キノコ採りを楽しめるのかなあ、と。
　とはいえ次の瞬間には、再びキノコを竹籠に入れる作業に夢中になっているんですがね。
　だから、九月下旬のハタケシメジ発見やらハナイグチをゲット！あたりから十一月半ば迄が、私の黄金週間というわけです。
　そこで、お願いです。この期間の貴重な時間帯に、結婚式やら法事やら、さまざまな行事をどうかやらないで下さい。あ、いや。やってもいいから、私に声をかけないで下さい。そんな野暮な用事で時間を無駄にしたくないから。
　あ、キノコ採りは昼しかできないから、夜の行事は許す！
　で、キノコ採りの趣味は誰にも迷惑をかけるわけではないので、こんなにいい趣味はない。だから、キノコ採りを趣味とする人々たるや、さぞ善い人ばかりだろうと思われるかもしれません。
　ところが、それは違います。善人は私くらいのものですよ。キノコ採りの方々がお持ちの根性といったらもう、全くねじ曲がっているものばかり。
　山中でばったり出会ったら睨み合いこそすれ、言葉なんか全く交わさない。登山者だったら「こんにちは」「おはようございます」と爽やかな挨拶を交わすのに、相手がキノコ籠を握っているのを見た瞬間に、敵意に満ちた目付きに変わっている。
　たまには言葉を発する人もいます。
「もう、こっちの斜面は全部見ました。キノコ？ないですよ」
　その言い草の憎々しいこと。
　魚は釣っても、その場所にはまた他所から魚がやってきます。ところが、キノコは一度採ったら、その樹には数日間は生えないのです。いや、その年はもう、それでお終いかもしれない。
　キノコ採りは、早い者勝ち！冷血非情のゲームでもあるわけです。
　まあ、一般的にそのような状況でライバルに出くわしたら、私ほどの人格者でないかぎり、目付きは険悪になるだろうし、話し方も、つっけんどんになるだろうことは容易に想像できます。
　少なくとも私は、そういう態度はとりたくありません。まるで、餓鬼道に堕ちた修羅のようではありませんか。
　だから、そんなゾンビのような目付きのライバルどもが山に現れる前に、キノコ採りを始めることにしています。
　朝日が姿を表す頃には、すでに近くにキノコの群生があるような状況が理想的ですね。さっさと下山して、目付きの悪いキノコ採りの外道衆と出会ったら、菩薩の如き表情で、笑釈を与えてやりたいと思うのですよ。
　それから、もう一つ。
　キノコを採る楽しみと、キノコ鍋を自然の中でこさえ、食す幸福は、まさに一体であることを申し上げておきます。
　キノコは最低五種類以上。南関あげ、豆腐、白菜、それに鶏肉を入れて、お醤油を足し、最後にネギを散らす。これが実にうまい。自宅でやるならつくねも入れたいですね。味噌仕立てにしてもいいし、わかめスープの素でキノコを煮て、キムチと豆腐をぶち込むのもいい。
　ああ、早く山に入りたい。くどいようだけど、くれぐれも野暮用で私を引っ張り出さないように。
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    <title>第82回　妄想力で行こう！</title>
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    <published>2011-08-31T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-08-31T23:00:37Z</updated>
    
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            <category term="妄想伝説" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakutake.co.jp/hitoyoshi/kajishin/">
        初めてお会いする方から、よく訊ねられることがあります。私が小説を書いていると伝えると、相手の方はなんだか不思議ないきものを見たような表情をされるのですが、ま、それはいいとしてその後の質問ーー小説家の方って、どうやって話をこさえるんですか？
　そんなとき、まずニッコリ笑って深呼吸。そしてこんな風に答えてみる。

        「話の作り方ですか？それは企業秘密だから、お答えするわけにはいかないのです。フレンチ三つ星シェフに、秘伝ソースの作り方を教えてくれ！とお願いして、すぐに教えてくれますか？」
　なかなかカッコ良さそうな答え方だなあーとは思うのですが、現実ではこんな答えをお返したことはありません。頬は硬張って笑顔なんか作れないし、企業秘密とやらも存在しません。
「さ、さあ。どうやって作っているんでしょうね。自分でも、よくわからないんです。迷って、迷って、作り上げているわけです」とほそぼそ答えるのが関の山。
　それから、もう一つ。
ーーカジオさんの小説のアイデアは、どんなときに、どうやって思いつくんですか？
　これも答えづらいですね。
「いやあ。プロですからねえ。机の上に座ってペンを握ると、流れるようにアイデアは湧いてくるんですよ。あとは、それを書き留めておくだけ」
　嘘です。こんな答えを、もし信用する人がいたら、作家って楽な仕事だろうなあ、と思う筈です。
　机の前に座っているだけで、次から次へとアイデアが湧いてくるんだったら、私も毎年、何十冊と本を書いているにちがいありません。
　アイデアなんて、願っても思いつかないものなんですよ。なんか、良いネタはないかしらと、飢えた野良犬が餌を探すように、いつもうろつきまわって探しています。それでもアイデアが欲しいときに限って、アイデアは湧いてこないものなのです。
　何も考えずに、ぼんやり歩いているときに、ふっ、とアイデアが湧くことがあります。この場合は、自分で思いついた気がしません。「よし、よし、感心者のカジオにお話のアイデアを授けるとしよう」と、天空の高いところにいる誰かが、私の頭の中に放ってくれる。
　私は、私の頭の中の消しゴムがそのアイデアを消し去る前に、大慌てメモをとっておくわけです。
ーー夢の中でアイデアを得たりすることはあるんですか？
　私がいつも現実離れした話を書いているから、皆さんはそんなとこから話のアイデアを得ていると思われているようです。
　確かに、「うわっ。この夢、凄く面白い。この夢の話を小説に書いたら、馬鹿受けするだろうな」と思ったことは昔から何度もあります。
　ところが目を覚ますと、「夢が面白かった！」という事実は憶えているのに、肝心の夢の内容については何も覚えていない。あまりに悔しいので、しばらく枕元にメモ帳を置いて寝たこともありました。
　で、結果はというと……。
　夜中に、これは面白いという夢を見て、寝ぼけ眼をこすりつつメモ帳に記しました。「よし、これで明日は名作短編が書けるなあ！」と、ほくそ笑みつつ再び眠りの底へ。
　翌朝、そのメモ帳を見たら……。
　何を言いたいのか全くわからない支離滅裂な文章が書き殴られているだけ。
　愕然としました。
「シャイニング」に登場する作家が、同じ文を何度も書いたものを家族に見せ、「どうだ。傑作だろう！」という場面がありますが、あれと同じじゃありませんか。
　話は戻りますが、方法としては一度頭の中に芽生えたアイデアを、大事に大事に育てるしか、方法はないんじゃないか、と思うようになりました。
　百人の作家さんがいたら、百の話づくりの方法があるのではないか？
　最近はよく、そう考えています。
　ただ、私は妄想をスタートさせると、延々と妄想を続ける癖が、人より強くあるような気がします。
　もしも、あのとき、ああせずに、こうしていたら？
　タイムマシンの中で、反対方向に小さなタイムマシンを動かしたらどうなるんだ？
　アイデアに関して、延々と妄想を拡大させていくことが方法の一つかな、と思います。
　馬齢を重ねて、最近はとみに妄想力がパワーアップしてきていることを実感します。
　元はと言えばエマノンも、＜自分の前に髪の長い美女が現れたら＞という妄想の連鎖で組み立てたのがスタートですからね。
　とすると、私の話づくりの原点は妄想力？
　あ、私の妄想の例だったら、どれだけでもお話できますよ。
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    <title>第81回　仏原騒動</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://comment.hakutake.co.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=8/entry_id=2685" title="第81回　仏原騒動" />
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    <published>2011-07-31T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-07-31T23:02:02Z</updated>
    
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        <name>管理者</name>
        
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            <category term="妄想伝説" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakutake.co.jp/hitoyoshi/kajishin/">
        熊本のあまり知られていない歴史上の昔話で、いつかもっと詳しい事がわかったら、小説に書いてみたいなと思うものがあります。　
　話そのものが奇妙なので、創作を抑えてもかなりドラマチックになるだろうと確信しているのですが。
　たとえば、加藤清正を父の仇とつけ狙ったという怪力の横手の五郎の話とか。私の自宅の近所に五郎は住んでいたので、すごく親しみがあるのです。ただ、出生も諫早の横手という説と天草という説があって（こちらは木山弾正の子だったという）いきさつが異なります。この五郎は、アメリカのポール・パニヤンなみの怪力男なのです。いずれも熊本城の井戸掘りの際に生き埋めにされますが、そのエピソードのおもしろいことは、あらためてちゃんと記したいなあ。

        　それから南小国の扇温泉の近くに臼根切という場所があります。ここは、隠れ里があったのですが幕末のこと六〇数名の住民が一日で虐殺されてしまったそうです。紹介してくれた地方紙の記者の方に「そこへ行ってみたい」と言ったら「やめておいた方がいいですよ。私が取材に行ったら、愛車が原因不明で動かなくなったり、わけのわからんことがあったりしましたからねぇ」
　臼根切の住人は皆、隠れキリシタンだったということです。ゼウスを根絶やしにしたから臼根切と呼ばれるようになったということなのですが。ただ、ちょっと怖そうだなぁ。
　そして、もう一つ。
　今回のタイトルにした「仏原騒動」という事件を紹介したいのです。
　私にはとても魅力的で奇妙な事件です。
　いろんなところに書かれた記述を寄せ集めて、ジグソーパズルを埋めるようにして組立てたのですが、どこまでが真実なのか？あるいは、真実をその時代の権力が自分たちに都合がいいように作りかえたのかがわからない部分もあるのです。
　で、どんな事件かというと。
　時代は延宝二年、西暦一六七四年のこと。
今の山都町の清和に仏原という所があった。
　清和文楽館のわりと近くなのですが。そこの庄屋の息子の結城半太夫は、ある夜に夢枕に立った神さまからお告げを頂いた。
「高千穂神社にある巻物を盗ってきなさい。そうすれば結城家は天下を取れるから」と。
　それから、半太夫は高千穂までひた走り。
お告げの通りに巻物を発見して盗ってきた。それを弟の結城十太夫に話すとそれは凄い！とびっくり。
　それから、天下を取る前祝いだと部落の若い衆を集めて宴会を開いたそうです。
　巻物を座敷に飾り、年貢の辛いのももうお終いだ、さあ、これから世直しだ。
　そんなこんなで、どんちゃん騒ぎ。
　どうも何やら様子がおかしいと覗きに来た土地の者は、仰天してお上に駆け込み訴えた。
　お上も、それは一大事と大挙して駆けつけた。かくして一味は酔いつぶれた状態で計五十三名が捕獲されたそうな。
　その結果、熊本に護送され十三名は打首獄門。その首は長六橋に並べられたと。十九名は獄死。残りは追放されたという。
　これが仏原騒動の顛末。
　ねっ、奇妙でしょ。
　何が奇妙かって、その枕元に立ちお告げをした神さまの意図がですよ。夢だと言えば、そうかもしれない、と思うけれど、よくわからない。統合失調症の一つかも知れなし。
　一六三七年が島原の乱だったから、時代的にはかなり近い。だから権力側としては蜂起の芽は早めに摘んでおかなければと、神経質な対応をしたのではないかとも思えるけれど。
　この話を聞いて、まず連想したのが、ジャンヌ・ダルクの話です。彼女もまず天使のお告げによって……という発端だけは同じなのですが。
　比較すると、こちらの方は、ずいぶん間抜けだよね。
　山都町出身の方によると、夢枕にお告げがあるというのは、別に珍しいことではなく、当たり前のことだそうです。そして、お告げとは言わず、「お知らせがあった」という言い方をするそうです。
　でも……よく考えると、この伝わっている話が真実かどうかも、あやしいのですよね。
　単に、税制に不満を持った仏原地区の若者たちの一揆の相談を事前に取り押さえた。
　そんなことかもしれません。他地区に一揆話が拡がるのを恐れて、こんな夢枕の話を権力側が捏造したのかもしれないなぁとも思えるのです。
　神さまのお告げでも、権力に歯向かえば、神さまは味方してくれないという前例にはなるし。抑止力としての風評効果は絶大だったのではないでしょうか？
　いくつも、すっきりしない謎の部分が多いことも私がこの話に特に惹かれる理由でもあります。
　どなたか、この仏原騒動に関してのもっと詳しい情報をお持ちであれば、ぜひ教えてください。
　あ、仏原騒動跡は今でも見ることができますよ。
　
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    <title>第80回 転がる昼飯</title>
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    <published>2011-06-30T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-06-30T23:00:45Z</updated>
    
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        <name>管理者</name>
        
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            <category term="食に夢中" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakutake.co.jp/hitoyoshi/kajishin/">
        タイトルを読んで、「おむすびコロリン」みたいな連想をされた方がおられたら、はずれです。
　つい、この間の日曜日のこと。
　熊本県の北の方にある町で長洲町というところがあります。玉名市の隣あたりで、もっと北は福岡県の大牟田市であります。
　その長洲町で、日本一の規模の太陽光発電施設が稼動し始めたことを知りました。日当たりの良い遊休地を利用しているらしい。
        　そのメガ・ソーラー施設は誰でも見学させてもらえるらしい。
　娘夫婦に話したら興味を持った様子。孫を連れて見学に行くという。
　その日は、私も特別な予定が入っていなかった。そして、ふと長洲町にフレンチのおいしい店があったことを思い出す。
「私もドライブに連れていってくれ。ランチでフレンチを食べたくなったから」
　そういう経過でドライブがスタート。
　長洲町に到着したのは、十一時前頃。
　車中で、太陽光発電を先に見るか、フレンチのランチを先に食べるかという議論に。とりあえず、フレンチを先に、という結論になりかけたとき、孫が……。
「フレンチって、どんなたべものなの」
「うん。コースになっていて、テーブルに座ってナイフとフォークを使って……」
「えーっ。そんなの厭だ！」
　あっという間にスケジュールはひっくり返ってしまった。
「その店はおいしいんだよ」
「いやだ。いやだ」孫は一歩も引かない。このまま、お店に入ってからトラブってもまずいなあ。
「もう少し、お昼まで時間があるから、大牟田まで行ってみようか」と娘。「味噌ダレのおいしい焼肉屋があるって聞いたことがあるから」
　それでどうだということになった。娘の旦那も、孫も、私も、肉は好きだから異存はない。
「それでいいよ」
　一路、車は北上して昼飯を食べるのに福岡県に入ることに。
「その焼肉屋の名前はなんというのだ」
「なんちゃら・かんちゃらと言ったと思う。たしか大牟田駅から、そう遠くないって」
「JRの大牟田駅？西鉄の大牟田駅？」
　まるでコンニャク問答みたいに店を探していると、道路標識が。
　そして〈柳川・大川〉の文字も。
「へぇ。柳川かあ」と私が呟くと娘夫婦は「柳川は、行ったことないなあ」
「ああ、あそこは、ウナギがうまいんだ」と私は呟く。
　すると孫が「ウナギ？おいしそう」
　娘も「ウナギは、ずいぶん食べてないよね」
　そう言えば、私もずいぶん食べていないことに気がついた。
「じゃあ、柳川にウナギを食べに行くか！」
　私が思わずそう宣言したら、全員が「賛成！」
　フレンチのランチでスタートしたはずの昼飯が、転がる転がる。
　結果的に、柳川に到着したのは、お昼をまわった頃。
　で、私以外は、柳川は初めてだったので、
私がガイド役。とりあえず、自動車を駐車して、あたりを見回すと、右も左も「蒲焼き」「せいろ蒸し」「ウナギ」の看板が。
「どこに入ったらいいのかわからないよ」
「まてまて。携帯で、どこのウナギ屋がうまいか評判を探してみよう」
　最終的に、二軒のウナギ屋に絞り込みましたが、まだまだ昼飯は転がりそう。
「こちらは歴史があってせいろ蒸しが有名みたいだよ」
「ポイントは同点で、こちらが近いと思うなあ。あっ、あそこだ。けっこうならんでいるよ」
「どっちにしよう。選べないよ」
　結局判断がつかなくなり、孫に「この二軒のうち、どちらか選んで！」と選ばせる。
「じゃあ、こっち」
　結局、由緒あるウナギ屋さんへ。私と義理の息子はせいろ蒸し。娘と孫は蒲焼き。
　皆、うまい、うまい、と。よかったなあ。
ついに落着くところに落着いたわけか、と。
　それから掘割りのまわりを川下りする小舟を見ながら、腹ごなしにそぞろ歩き。魚屋に、なつかしや、イソギンチャクがあったので、その日の夕食はイソギンチャクに決定。
　で、皆で、こんなふうにころころと目的を変更しつつ走らせるドライブも楽しいなという結論になりました。
　あまりに、転がりすぎて、本来の目的だった太陽光発電施設を見ていなかったのを思い出して、長洲町へ引き返したのは、もう陽も落ちようとする時刻だったことを申し添えておきましょう。
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    <title>第79回 塀の上を歩く</title>
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    <published>2011-05-31T23:00:00Z</published>
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        　何の塀の上を歩いているかと申しますと、境にあるんですよ、この堀が。そして私は、おっとどっこいと塀の上をバランスとりながら歩いている。塀の右側には「正常」と書かれている。で、堀の左側は「糖尿病」と書かれているわけです。
　そう。今の私は、境界型糖尿病、または、糖尿病予備軍と呼ばれる状態で、正常とも、糖尿病ともつかぬ煉獄のような場所をふらふらとしております。
        　じゃあ、その塀の上から「正常」の方へ飛び降りたらいいじゃないかと思われるかもしれませんが、手には長い棒を持たされている。そして「糖尿病」の棒の先には、やたら重い錘（おもり）がぶら下がっているので、そうはうまくいかんのですよ。
　この数年の人間ドックではずっと塀の上をふらふらしていたのでありますが、今年のドックで「医者に受診してください」と。
「血糖値、あまり変わってないでしょう」と口応えしたら「昨年9月から判定値が変わってます。手遅れになる前に！」
　そう言われちゃ仕方がない。
　糖尿病専門の先生の門を叩くことになりました。
ただ、糖尿病と言っても、症状がどのようなになるのか、ぴんと来なかった。メタボリックシンドロームとかはよく聞きますが。
　けっこう、合併症が怖い病気だということがわかって、その症状まで聞かされると、だんだん不安感が増して行きます。
　インシュリンやらを自分で注射したり薬を飲んだりしなきゃならんのかなあ。
「とりあえず、生活習慣を改善して数ヶ月後に再検査してみましょう。そして血糖値とヘモグロビンA１の数値が良くなっていれば、問題ないということで。運動量を増やすことと、食事療法ですね。お宅で、食事を作る方を病院に連れてきてください。食事指導をしますから」
　家族に、私の目の前で食事指導が。
「一日の摂取カロリーは1600キロカロリー以内にして頂きます」
　家族は、その場で「今まで食う量が多すぎた」「アルコールも摂り過ぎた。禁酒をさせなくては」と恐ろしい発言ばかりを飛び交わせるのでした。特筆すべきは、「豆腐の食べ過ぎ！」という言葉。肉よりは健康的だろうと思い込んで食べていたら、蛋白質の摂り過ぎ状態だった！のだと。
　で、娘が私の食事のカロリー管理を担当。
　そして、一日に14000歩の運動をする。ということでスタートしました。
　まず、メニューが一新しました。
　牛肉、豚肉類が消える、代わりに、鶏のささ身。
必ず食卓に上るのはコンニャク。
　圧倒的に増えたのはキノコ。シイタケ、シメジ、エリンギ。カロリーはないし、もともと好きだから、キノコは苦になりませんが。
　娘が作っている家庭菜園の野菜も大量に。野菜サラダは毎食ついてきます。
　ご飯は茶碗半分。ビールは糖質ゼロ、カロリーゼロの発泡酒に。
　そして、日々の変化をチェックして記録できるよう体脂肪も測れる体重計を買ってきました。
　スタート時は体重が70キロ。腹囲が90センチでした。
　そして日を追うごとにみるみる毎日体重が落ちていく。一か月で3キロ減の67キロ、腹囲も87センチに。
　最初は面白さも手伝い、珍しがっていた食事ですが、だんだん物足りなく思えてきます。しかもマンネリに。中華食いてぇ！甘いもの食いてぇ！
　とにかく夕食では、必ずコンニャクの刺身が並びます。いい加減、食べ飽きました。
　娘に言わせると「満腹感を感じるように」とのこと。「さすがに飽いたぞ」と愚痴を言うと、その後は「コンニャクのステーキです」「今日は、幻のコンニャクというのがあったから」「手造り秘伝コンニャクです」と。
　いろんなコンニャクを体験した結論。コンニャクは、どう食ってもコンニャクです。
　一日14000歩はがむしゃらに続けました。ただ、本音を言えば、カロリー不足で、へろへろです。
　一ヶ月を経過した頃から体重が、一進一退を繰り返します。停滞期と言うんでしょうか。65.5キロから増えたり減ったり。しかし、しかし、腹囲は85センチに。
　会う人毎に「痩せた」という反応を頂くようになりました。そう言われるとね、嬉しくなって、食事療法を続ける意欲も湧いてきますよ。「拒食症ですか？」と言った奴も！
　とりあえずの目標だった65キロを切ることができました。次は芸能体重の63キロを目指そうかと思いましたが……。
　目標達成後、ひさびさに肥後のあか牛の焼肉を食べました。自分に対してのご褒美のつもりで。
　そしたら……。
　翌朝の体重は、前日の64.8キロから65.6キロに！
　何日かけて落したか……停滞期の努力が一瞬にしてリバウンド。目が点になりましたよ。
　さて、二週間後に再検査が迫っています。勝って兜の緒を締めよ！目標体重に戻して……。
　さて、ヘモグロビンA1と血糖値はいかなる変化を見せているでしょうか？塀の上から「正常」に着地していれば、ご喝采！
　もう少し、緊張の日々が続きそうです。

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    <title>第78回　エマノンのこと</title>
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    <published>2011-04-30T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-05-02T01:58:04Z</updated>
    
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        ある方に指摘されたのですが、今年2011年はどうも私が「美亜へ贈る真珠」で商業誌デビューをして40年らしい。本当かなあと指折り数えてみて、やはりそのようです。
　1991年デビューだなぁ。
　で、よく訊ねられることがあります。
「エマノンの新作は書かないのですか？」
　エマノンというのは、私の連作に登場するヒロインの名前です。
　
        私は、基本的にあまりシリーズ物を書かないのですが、例外もあります。1作は、クロノス・ジョウンター・シリーズ。これは、共通する主人公の連作ではありません。共通して使われる欠陥タイムマシーンの物語です。
　そしてもう1作が、エマノン・シリーズです。
　最初に書いたのは、1981年頃かなあ。
　エマノンは少女の姿をしています。長い髪をいつも風になびかせています。ちょっとハーフっぽい無国籍な感じです。化粧っけがなくそばかすがあるのですが、よく見ると、とんでもない美人であります。洗いざらしのジーンズを履いて、粗編み、とっくり首の生成のセーターをざっくり着ています。
　そして、彼は両切りのタバコを咥えて、旅を続けています。ぱんぱんに膨れ上がったE・Nのイニシャル入りのナップザック1つ持っただけで。
　でも、それは外観上のことでしかない。
　エマノンという自分で名乗る名前も、実はあやふやなものなのです。とりあえずエマノンと名乗っているに過ぎません。NONAMEを逆に読んだ仮の名前なのです。名前は、彼女に言わせれば記号に過ぎないから、どうでもいいでしょ、というわけです。
　そんな彼女は奇妙な体質を持っています。地球に生命が発生してから30数億年が経つのですが、彼女は、地球で起こったことをすべて記憶しているのです。それは不老不死ということではなく、記憶だけが母から子へ一代に一人だけ伝えられてゆく。微生物だったきおくから人間にいたるまで。
　そんな彼女を毎回登場させる連作になっています。
　これまでに「おもいでエマノン」「さすらいエマノン」という2冊の連作短編集と「かりそめエマノン」「まろうどエマノン」という2冊の中編があります。
　エマノンが主体となってストーリーを引っ張っていくこともあれば、主人公が不思議な事件に遭遇して、そこにエマノンが狂言回しのように登場することもありました。
　あまり、シリーズものと意識したくないので、物語をパターン化することを極力排除しようとしてきたつもりでした。
　最近は、年に1回くらいエマノンを書いていたのかなあ。
　数年前に、鶴田謙二さんがSF雑誌に私が書いたエマノンの新作にイラストを付けてくださいました。
　その描かれたエマノンが魅力的なこと。
　それからのエマノンの文庫復刊やらの表紙は、すべて鶴田謙二さんです。
　そのうち、私が最初に書いた「おもいでエマノン」を鶴田さんは完全コミック化されました。
　ひっそりと書き継いでいたエマノンですが、一気に読者が増え、エマノンの魅力を語る方が増えたような気がします。それは、まさに鶴田謙二さんの画の魅力故だろうなあ、と思います。
　昔、名古屋から鹿児島へサンフラワー号で船旅をしました。のんびり3等船室でSFを読んだり妄想したりの繰り返し。そんなときに妄想の中に登場したのがエマノンのキャラクターでした。で、彼女を登場させた短編を書き上げたのです。
　それでエマノンとは、もう会うこともなかった筈ですが、その時の編集さんが「あのエマノンを再登場させて書いてもらえませんか？」
　心の中では「続編なんて書けないよ」と思ったのですが、お調子者の私の舌は「わかりました。早速書きます」と。
　いかに呻吟して書いたことか。
　それから、注文頂くごとに書き上げて、我ながら、よく続いたものだと感心します。
　で…実は…。
　今月、そのエマノン・シリーズの最新刊が出るのです。
　4つのエマノンが登場する中短編が入っています。
　タイトルは「ゆきずりエマノン」（徳間書店）です。なんと、前作が出てから、このエマノン・シリーズは9年ぶりということになるのですねぇ。
　カバーも、エマノンとは切っても切れなくなってしまった鶴田謙二さんです。ぜひ、書店で手にとってみてくださいませ。

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    <title>第77回　心見の場所</title>
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    <published>2011-03-31T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-03-31T23:00:45Z</updated>
    
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        　このコラムでも、前に書いたことがあると思うのだけれど、熊本と宮崎の県境に市房山という名峰があります。高さは一七二〇メートル。
　私は、熊本県側の水上村から登るのですが、けっこう登りごたえがある山です。
　で、ほうほうの体で山頂にたどり着き、もう少しだけ山頂の向こう側まで足を延ばすと不思議な巨石があります。

        　なんと、岩が崖と崖に挟まれて宙に浮いたようになっているのです。岩の下には何も無いから、非常に不安定な感じです。
　崖の下からも、この宙に浮いた石を見ることができるし、崖の上に行けば、この石の上に乗ることが出来る。
　で、このチョック・ストーン（岩と岩に挟まれている石のこと）が、なんと呼ばれているかというと、「心見（こころみ）の橋」！
　言い伝えによると、心悪しき人が、この「心見の橋」を渡ろうとすると、下に落ちてしまうのだそうですよ。
　へぇ、面白いなあ、と。で、私は下から見上げた後に、この心見の橋にも乗ってみました。いろいろと思うところもありました。しかし、乗ってみてなんともなかったので、ある程度、反省していれば、心悪しき人の範疇には入らないのかと安心してしまいましたよ。なんだか、逆に免罪符を手に入れてしまった気分。
　という前置きで、他にもこのような人の心がわかるようなポイントはあるのかなあ、……とぼんやり考えておりました。そしたら、ありましたよ。
　それも、案外と近い場所に。なんと、仕事場の近所です。
　それが、どこかというと……信号なんです。ほら、赤、黄、青の。天然の奇景でなくて、すみません。
　この信号を渡ろうとすると、つい人は本性を現わしてしまうのですよ。
　場所は、市内中央部の交通センターと西辛島町方向へ続く、ビジネスホテル前の信号です。
　道幅は八メートルほど。
　歩行者用信号がありますが、それが、なかなか青にならない。
　で、通りを見ると、ほとんど車は走ってこない。
　そこで、その人の本質が露になるのです。通りの向こうに渡るのに、人はどれだけ待てるのか？
　右を見ても左を見ても、車はまったく走ってこない。走ればいっきに渡ってしまえる。
　ま、これが、街中での心見の橋なんですね。
けっこう、少学生たちは、辛抱強く、信号が青になるまで待っています。見ていて、いい子たちだなぁ、と、微笑ましくなります。
　だから、ここでの心見というのは、人はどこまでルール（法）を遵守するかということですね。
　ます、年齢や性別によって、信号無視をするパターンがあるか、ということですが、これは、あまり関係がないみたい。
　私も、しょっちゅう、この信号を利用するのですが、その待ち時間を人間観察の心見に利用しているので、あまりその時間が気にならなくなりました。
　ただ、私の姿が、信号待ちの場所で見えると、やはり他の信号待ちの人たちに影響を与えてしまうような。だから、待つときは、ビジネスホテルの出入口付近か交通センターの地下道入口あたりで待機すると、それぞれの正直な行動を見ることができるとことがわかります。
　まず、一人だけで信号待ちしていると、十秒ほど経っても信号が変わる気配がないと、左右を見てさっさと信号を無視して渡ってしまう人が多い。
　それから、二人信号待ちしている。それで、一人信号無視で渡り始めると、もう一人も、「あっ、渡っていいんだ」と後を追って渡ってしまうケースが多いなあ。
　赤信号、皆で渡れば怖くない。って誰かが言ってましたけれど、真理だということがわかるような気がします。スーツを着た初老の怖そうなおじさんが、案外辛抱強く、律儀に信号が変わるのを待っている姿を目にすると、こんな方たちが今まで日本を支えてきたのだなあと嬉しくなるのです。
　ほとんど同時に信号無視して渡り始める他人同士のおばちゃん二人が、おたがい照れ笑いを浮かべる姿は、もう無数に見たなあ。
　他にも心見の場所は、ないのかなあ。
　山奥深い泉のほとりで「白岳しろ」を泉に放り込んで、しばらく待つと水の中から女神が現れ、「今お前が落とした焼酎は、この吟麗しろ・銀しろか？」と訊ねてくるから、「いえ違います」
　すると、女神は「今お前が落とした焼酎は、この謹釀しろ・金しろか？」と訊ねてきたときも「いえ違います」
　すると女神は感心して「お前の心見をさせてもらったが、これほどの正直者は初めてだ。褒美に、金しろ、銀しろも遣わそう」

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    <title>第76回　リターン・オブ・「私は見た！」</title>
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    <published>2011-02-28T23:00:00Z</published>
    <updated>2011-02-28T23:00:45Z</updated>
    
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        　私の周囲に、陰謀論やら世の中の隠された真実やらUFOの目撃やらにやたら縁の深い奴がいる。
　彼についてのエピソードは、このブログの過去記事をご覧いただくといい。そこで、彼のUFO遭遇例やら宇宙人との第三種接近遭遇時の状況やらを記しておいた。と、同時にどのような気持ちで私が書いているのかというスタンスもおわかりいただける筈である。
　私が何度も眉に唾をつけて紹介しているだろうということは、即座におわかり頂けるだろう。
　ところが、そんな懐疑主義の私にも、信じられない出来事が起こったのである。
　前半は、その出来事について。
　
        昨年の暮、鹿児島へキノコ採りへ出かけたときのこと。これは年最後のキノコ採りで忘年会も兼ねるので、お酒が入ることを考慮してJRで出かけるのだ。
　さて、熊本駅で特急つばめに乗り込むときのことだ。列車が構内に入ってきて停車する。そして、乗客たちが下車してくる。それを、これから乗車しようとしている私たちはホームで待つわけである。
　何番目に降りてきた客だったのかは、わからない。乗車口を見下ろしていた私の視線の前に、突然、若い女性の足が伸びた。すらりとした長い足で黒い網目のストッキングを履いていた。あまりにもカッコイイ見事な足なので、どんな女性か知りたくて思わず見上げたのだった。
　ところが……。
　見上げても見上げてもステキなお御足が続くばかり。上までたどり着かない。ああ、時間がない。それでも目の前には足が……。
　時間切れで、上にたどり着いたとき。その女性はすでに後ろ姿だった。顔はわからない。ただ、彼女はウェーブのかかった長い髪で、黒っぽい厚手のコートを着ていたことは覚えている。
　同行していた方に訪ねた。
　その女性ことを確認しておきたかった。私の目の錯覚ではなかったということを。
「ああ、僕もしっかり覚えていますよ。髪が長いきれいな女性でしょ。背が高くて、目鼻立ちがはっきりしていて。えっ、足ですか……。気づかなかったなあ。そこまで見ていません」
「いや、足が凄かったんですよ！顔は見ていない」と私は告げた。「視線がたどり着かなかったんですよ。見上げても、見上げても、お御足だけで」
　で、不思議なのは同行の方は上半身だけの目撃。私は足だけの目撃。こんなことってあるの？
　妖怪お御足に遭遇したということなのか。
　そんな出来事を「私は見た！」の彼に言った。すると……。彼は即座に指摘した。
「その女性はエイリアンです。まちがいありません。やつらは、人間そっくりに化けて、我々の間に潜り込んできているんです」
　例によって、そんな解釈である。某缶コーヒーのトミー・リー・ジョーンズ演ずるCMのようなことを。

　さて、その彼と飲む。例によって胡散臭い話が多い。焼酎がすすむごとに。
　例の波照間島の空港のトイレで作業着姿のエイリアンと遭遇した話題になった。そのときは彼は正月休みを利用して、波照間島まで足を延ばした。そして島巡りのドライブの途中で尿意を催し、波照間空港に飛び込んだ。そのとき、すれ違ったという。
「本当ですよ。アーモンドアイで小柄なエイリアンです。とにかくおしっこをこらえていたから、そのままトイレに駆け込んで、出てきたらもうどこにもいなかったんです」
　いつもならそこで私は、「お寿司屋のCM撮ってたの？」と彼をおちょくり、話題は途切れるのだが、その日はそうではなかった。
　実は、その席に同席していた方々がいる。某巨大通信産業の社員で、そのとき勤務地は南方で、しかもかつ、彼が波照間島を訪れていたとき、ご夫婦で彼を案内していたのだと。
　だから、彼はそのご夫婦に同意を求めたのだ。
「ねぇ。いましたよね。エイリアンが！」
　私としては興味津々。てっきり、その気まずそうな表情を浮かべるか、笑いを噛み殺すと思ったら。
　ご主人が口火を切る。
「ああ。空港のトイレから出てきたエイリアンですね。黄色い作業服の」
「あれは宇宙人だとすぐにわかりますよ」と奥さんも。
「ほら、本当だろ」と彼も得意そうに。
　え・え・え・えええええええええええええええええぇ。

「あのときは空港に寄った時間は、離発着がなかったんです。しかもお正月で、空港には誰もいなかったから。宇宙人以外には考えられませんよ」
　三人は、頷きあい、また詳しく記憶を反芻するように遠くを見る視線に戻ったのだ。
　何がホントなのか？
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